はてなキーワード: プレゼントとは
誕生日に渡さなくても「誕生日知らなかったからコレ」って言ってプレゼント渡されるだけで親ボロボロ泣くほど嬉しがるから、誕生月の日だったらいつでもいいと思うけどね
誕生日はその時に教えてもらえばいい
どうやったら自然に両親の誕生日きけるっていうかわかるものってあるかな?
子供のころから両親とも忙しくてお互い自分自身の誕生日を祝ってなかった
母の日父の日っていうイベントもとくになんか恥ずかしさっていうのがあった
社会人になってプレゼントしたいんだけどいまさら聞くのって子供としてどうなのっていうか
自分みたいな心境いるのか知りたいし、どうやったら知れるか共有出来たらいいな
ちなみに誕生月は知っているが具体的な日にちは知らない
数年前に親になった。
毎年クリスマスイブの夜、サンタ役になり夜中こっそりプレゼントを置くのだが、少しためらいがある。
でもみんなやってるし、いいのかなと思って今年もそうするつもり。
でも自分が子供の時、サンタはいないと知ったとき、「やっぱりそうか」と少し残念だった。
親への感謝より、世の中そんなに夢が溢れてないよな、と現実を見せられた気分だった。
みんなはどうだった?サンタがいないこと、スッと受け入れられた?
元タイトル【マッチングアプリの話とか不毛だから俺のノロケでも聞いていけよ】
https://anond.hatelabo.jp/20221110185331
↓
変更後【マッチングアプリの話とか不毛だから私のノロケでも聞いてほしい】
(若干語尾等を変更しています)
(本文)
マジで何買おうかなぁ!悩むー!!!!!クリスマスもあるよね?だから毎年悩むんだよなぁ!どっちを本命のプレゼントにしようかと!
どうでも良いとかって思った人、そんなんだから増田とかはてブとかの男女論に流されるんだよ?
クソみたいな男女論なんかより私が旦那をどれだけ愛してるか?のほうが圧倒的に重要で、愛があるからこそ男女論は重要な意味を持つんだよ。
どんだけその人たちが愛されたいのか、頭良さそうな言葉を使ってるけど最終的に言いたいことは1つだけ「自分を愛してくれ」だ。
私はもしかしたら旦那から愛されていないかも知れないが、まぁそんなことは些細な問題だよ。
私がもしも世界一ダサくて誰からも愛されない女であっても、その程度のことで私が持つ旦那さんへの愛の深さは決して計れない。旦那を愛することへ全く支障はない。
結婚する前もカッコよかったし、結婚した後もカッコいい、子供が生まれ家族が増えてもカッコいい。
最近体型を気にしてるが、そういうこと言ってるところが可愛いし、私が子供と旦那が食べるだろうなと思って冷凍庫へ入れていたアイスを夜な夜なたべちゃうのも可愛い。
子供も大きくなったのに体調悪いときはくっついてくる癖が抜けないのも可愛いし、人前では大人の男を演技しているところも可愛い!
旦那を残して死ぬことが怖くて、旦那が生きがいなので居なくなると何をして生きたら良いのか全くわからない。
子供に甘い旦那のことだからオレオレ詐欺とかに引っかかるんじゃないか、変なところで意固地だから身体壊しても老人ホームへ素直に入らないんじゃないかな。
私は死ななくても私のお婆さんみたいに私自身がボケてしまうのも嫌だし、旦那をわからなくなるなんて物凄く恐ろしい。
タバコをやめた、お酒も行事ごとのときだけと減らした、息子と一緒にジムへ通うようになった。
結婚とか人生って本当に意味があるのかよくわからない。五十路になってもわからないよ。
マッチングアプリでパートナー探してる若い人たちに教えられることは、あなたたちの婚活の先にあるのは私が今感じてる言いようも無い不安だ。
あなたたちが今やってることは最終的にみんなから忘れられ意味のないことになる。
それを最近実感してきた私がハッキリと断言して言ってやる。
結婚は、良いもんだよ。
(感想)
・嫁がヤンデレに見える
・嫁が旦那に騙されているように見える
(結論)
・「男が女を無条件で愛することはカッコいい」が、「女が男を無条件で愛するのは違和感がある」ということ。
嫁さんの誕生日がもうそろそろなんだよなー!
マジで何買おうかなぁ!悩むー!!!!!クリスマスもあるだろぉ?だからさ毎年悩むんだよな!どっちを本命のプレゼントにしようかと!
どうでも良いとかって思ったやつ、そんなんだから増田とかはてブとかの男女論に流されるんだぞ?
クソみたいな男女論なんかより俺が嫁さんをどれだけ愛してるか?のほうが圧倒的に重要で、愛があるからこそ男女論は重要な意味を持つんだよ。
匿名のはてなーが語る男女論をよく読み解いてみろよ。
どんだけコイツら愛されたいのか、頭良さそうな言葉を使ってるけど最終的に言いたいことは1つだけ「自分を愛してくれ」だ。
俺の嫁さんは世界一俺に愛されている。
俺はもしかしたら嫁さんから愛されていないかも知れないが、まぁそんなことは些細な問題だな。
俺がもしも世界一ダサくて誰からも愛されない男であっても、その程度のことで俺が持つ嫁さんへの愛の深さは決して計れない。嫁さんを愛することへ全く支障はない。
結婚する前も可愛かったし、結婚した後も可愛い、子供が生まれ家族が増えても可愛い。
最近体型を気にしてるが、そういうこと言ってるのも可愛いし、俺が子供と嫁さんが食うだろうなと思って冷凍庫へ入れていたアイスを夜な夜な食っちまうのも可愛い。
子供も大きくなったのに体調悪いときはくっついてくる癖が抜けないのも可愛いし、人前では大人の女を演技しているところも可愛いな!
俺も嫁さんももう五十路で人生の半分を過ぎちまった。
今最も怖いのは俺か嫁さんかのどちらかが先に逝ってしまうこと。
嫁さんを残して死ぬことが怖く、嫁さんが生きがいなので居なくなると何をして生きたら良いのか全くわからん。
子供に甘いアイツのことだオレオレ詐欺とかに引っかかるんじゃないか、変なところで意固地だから身体壊しても老人ホームへ素直に入らないんじゃないか。
俺は死ななくても俺の爺さんみたいに俺自身がボケてしまうのも嫌だ、嫁さんをわからなくなるなんて物凄く恐ろしい。
タバコをやめた、酒も行事ごとのときだけと減らした、息子と一緒にジムへ通うようになった。
それでもやっぱり寿命は来るしボケるんだろう。
結婚とか人生って本当に意味があるのかよくわからんな。五十路になってもわかんねぇよ。
マッチングアプリでパートナー探してる若い連中に教えられることは、お前らの婚活の先にあるのは俺が今感じてる言いようも無い不安だ。
お前らが今やってることは最終的にみんなから忘れられ意味のないことになる。
それを最近実感してきた俺がハッキリと断言して言ってやる。
結婚はなぁ、良いもんだぞ。
マッチングアプリで会う男は、社会人常識レベルの会話が成り立たない人もいるのは何故だ。(特に工場勤務)
私も恋愛経験が多いほうじゃないので高望みしているところがあるかもしれない。
もはや気持ち悪い。ちょっと精神的な病気なんじゃないかと疑うレベルである。
知らないだけで男性というのは本来こういうものなのだろうか?私はごく一部の人間が異常だと思っていたけれど、実際はまともな男性(会話ができる)の方が少数派なのではないのか?
男性諸君は、以下の特徴があてはまる同性を見たことはあるかチェックして欲しい
・5歳下の女に「誕生日だから」と誕生日プレゼントをねだる、焼肉を奢らせようとする
・食事中に喋るので食事が全て飛んでくる。パーテーションがなかったのでシューティングゲームのように避けなければならなかった
・逆に、途切れなく話すせいで相手は食べ物に一口も付けないまま1時間が経過し(何度か食べないのか聞いたがすぐ話に戻る)、不機嫌な店員に完食した私がひどく睨まれる
・7歳下の女を自宅に連れ込もうとする。手を出そうとしても出せなかったので「そんなつもりないし。何勘違いしてんの?」と逆ギレする
・話すことがない(もしくは会話が下手)ので5時間のドライブで永遠に電柱の豆知識を語る
・子供もたくさんいる映画館で開演前にクソデカい声で風俗街の話をする
・真夏に初デートで真っ暗の公園(少し山になっている・30分以内に閉園)に連れて行き山を登らされ「夜景が綺麗だね、じゃあ降りようか」と野球部くらい走らされる
・「どこで食べようか?好きなところ言って!」と言われたのでハードル低そうなお店(本当に気軽に一人でも入れそうなラーメン屋さんレベルのお店)を選んだら10行程の長文で「僕は外食が苦手で、増田さんはそういうお店よく行くんですか?」と突然敬語になりドタキャンされる。電話すると「もう切られたかと思った…」と弱気になったので「そんなことで切らないよ。ごめんね」と謝ったら後日デートしたけど距離感がよくわからないまま関係が終わる(かなりチキンな人なだけかも)
・初デートが終わり、また電話しましょうと言って別れようとするのに、なかなか話をやめないので道のど真ん中でクソ邪魔で周りの目が痛かった
・一日中ドライブで俺の話しかしない。私に質問してこないのでもはや「うん」の返事すらしてなかった。告白されそうだったので好みのタイプを真逆で言って他に好きな人がいると小出しにしたのに無視で告白してくる
・一緒に写真を撮ろうと言ってくる。「俺らの思い出にしたい」私が嫌だと言ったら子供のように機嫌を悪くする。付き合ってないのに気持ち悪い
・メッセージ交換前は普通だったのにラインになった瞬間ハートの数が増える。メッセージも5倍になる
・一度も会ってないのに「そういうところがかわいいね♡」とバカにしてくる
これはごく一部の男たちであり、一方でまともな人も少なからず存在する。
私はフェアな関係性が理想で、割り勘でもいいし、私が車を出しても良いと思う。
それなのに、みんな私が「女」以上でも以下でもない、私自身がどのような人間かなんて1ミリも興味がないと思うと悲しいし、ムカつく。
私に見る目がないだけなのか…そう思うと余計に自信がなくなる。もう恋愛なんてしなくてもいいかなと諦めモードになりつつある。
彼女とは幼馴染で大人になってから付き合い始めて1年くらい経つけど、連絡不精や遅刻癖が酷くて、具体的書くと一週間に一回連絡が返ってくればいい方で、一ヶ月返事がないとかも何回もあって、ようやく会えても1時間くらいは遅刻してきてしまう感じで、大の大人が一年付き合って手も繋いだこともないし、お泊まりも拒否され、セックスも出来ず、自分は今まで何人かと付き合ってきたけどそんな経験が初めてで何度かここ増田に吐き出してました。
元々、お試しで付き合ってもらって、そっから期限も決めずになあなあで続けてきたけど、友達とか同僚とかいろんな人に相談したら、お前の優先度は最下位、好かれてない、付き合ってると思えないと言われて、実際自分も彼女に対してモヤモヤが溜まってる状態でした。
彼女が引っ越すと聞いて、一緒に暮らせば会えないとか連絡取れないとか全て解決できると思い、同棲したいと伝えたけど、やんわりと断られてしまい、本当に自分は好かれてないんだなと感じてしまいました。
彼女の誕生日プレゼントを選んだり、デートで行きたかった紅葉スポットの下見をしたりしている自分が、どうしようもなく惨めでダサくて苦しくなってしまって、別れたいと連絡をしたら、ずっと好きだったけど伝えられなかった、私も誕生日やクリスマスにどこへ行こうか考えていたし、他の人とは違って本当に私を好きでいて大切にしてくれていると感じ始めていたのに、突然の別れ話で整理がつかないけど分かりました別れましょう、と言う旨で返ってきた。
結局、自分の勘違いで、なんとなく絶妙なバランスで続いていた関係がぐちゃぐちゃになってしまって、呆気なく終わってしまった。
子供の頃から今でもずっと好きだったのに、自分の勘違いでこんな散々な最後になってしまって、本当に人生で一番の最悪な気分だ。
ホットエントリに入っていたので。
せっかく愛知にすんでるし、最近なにかと話題だし、空いてるなら散歩がてらに行ってみようかと。
と、なんとなしに行ったんだが・・・。
空いてるって聞いてたのに普通にひといっぱいいるやん。
子連れファミリー、カップル、老年夫婦、オタクグループ、ソロプレイヤーなどなど多種多様な人が、そこにはいた。
会場の前の広場にはキッチンカーがずらずら並んでいたり、アウトドアワゴンをゴロゴロと引いてる人がいたり。
フェス会場か、ここは。
ま、それはともかく。
せっかくなのでキッチンカーで軽食を買って中で食べることにする。
買ったのはジブリとは何の縁もなさそうなホットドックとフライドポテト。
俺はここに何をしに来たんだっけ?と若干思いつつ、美味そうだったので。(実際旨かったし正解だった)
その次に現れたのが、なんと愛知県の大村知事。会場が少しどよめく。
このおっさん、中々の入れ込みよう。どれだけジブリパークに賭けてるんだ?逆に不安になる。
知事の挨拶もそこそこに、ようやく真打登場、本名陽子が現れる。
え?それいいの?昨日井上あずみが歌ってたんじゃないの?と変な笑いがでたが手拍子しながらのんびり聴く。
さんぽが終わると自己紹介。プリキュアやったりガンダムでてたりました、とのこと。へーと思いながら、この会場に本名陽子の経歴知りたい人どのくらいいるんだろうと邪念がよぎる。
次に歌ったのがおもひでぽろぽろの曲と猫の恩返しの曲。ここで本名さんの歌が上手いことに気づく。補正なしのカラオケでこれだけ安定して歌えるのすごいなと感心する。
2曲終わると小休止。本名さんが27年前の生台本を持ち出してきてセリフ読み大会が始まる。
「今から3つ、セリフを読みたいと思います。どことどことどこのシーンでしょう?」と会場にクイズを投げかける。
挙手した観客から3人が選ばれ、登壇。わちゃわちゃとしたやりとりのあと、本名さんがセリフを実演して答え合わせ。
参加者にはおみやげにサイン色紙をプレゼントしていた。ちょっとうらやましい。
バイオリン弾きのおばさんが登場する。この人は天沢聖司のバイオリンを担当していた人らしい。
この人曰く、天沢聖司の演奏シーンはこの人の演奏を録画して、それをアニメーターが一枚一枚描き起こしたらしい。
指の運びなんかはもちろん、なんとなしに動かした肩の動きなどまで完璧に再現されていたとか。実質天沢聖司やんけ。
バイオリンのイントロが始まる。あーこれこれ!と眠っていた思い出がよみがえってくる。
本名さんの歌が加わる。少し音痴。そして直立不動。その歌と姿を見て、映画のあのシーンを忠実に実演してることに気づく。
ちくしょう、にくいねえ!と思いながら、いつのまにか自然と涙が流れていた。
2人が演奏する後ろにはジブリパークで再現された地球屋が見える。このロケーションとシチュエーションが感動させたのか。それとも単純にバイオリンの響きと本名さんの歌声が良すぎたのか。それはわからないがとにかく涙が止まらなかった。
こんなに感動するつもりではなかったのだが。
空いてそうだし散歩がてらに来ただけだったのだが。
ジブリパークにはまだ一歩も足を踏み入れられてないし、チケットも当分取れそうにないけれど、もう十分元は取れたと思うくらい満足してしまった。(無料のコンサートで元を取るとはいったいなんなのか自分でもよくわからない)
そうして曲が終わり、おおきな拍手がおこり、コンサートは終了。
引き続いて、映画が始まる。
久々にみると絵が古いし、設定から話の展開まで何から何まで平成だった。(当たり前だが)
なので良い作品ではあるものの、これを今の令和キッズたちが見て面白いと思うかは微妙なところなのかなと正直思った。
だから増田の懸念も少しは妥当なのかもしれない。今日は人がいっぱいだったけれども、3年後5年後どうなってるかはわからない。
くsssssssssssssssssssssssssssssっそ寒かった!!!!!
映画の序盤くらいから寒さとの戦いに意識が半分以上持っていかれてた。
静かに座るタイプの野外イベントを11月の夜にやらないでください。
以上です。
Twitterのトレンドに「弱者男性」があったので興味本位で押してみたらまあまあな地獄であった。
まあ、端的に言ってしまうと、「弱者男性は性欲抜きで、世の人々が老人や子供に向けているように女性に親切心を向けることができないのか」というツイートに、「そもそも弱者男性が社会から優しくされてない時点で、性欲抜きの優しさなど存在しない」という反論がなされている。
ただ、弱者男性が社会、特に女性から優しさを向けられないのは、女性がその人を恋愛対象外にしているからではない。女性にとって、弱者男性に優しくするのは明確に危険だからだ。
何故なら、弱者男性(全てとは言わないが)にとって、
女性から親切にされる=この人は俺に恋愛感情/性欲を向けている!
まあ、そんな人々の大体が振られる。当然である、向こうはただの下心のない親切心だ。そして、そういう弱者男性の多くは何故かプライドだけは高いから、「俺が勘違いしちゃったな」とはならない。「俺に気を持たせる態度なんかしやがって!」と逆ギレする。自分を振った女性の悪い評判を立てたり、直接的な加害行為に出たりすることもある。
そういう経験が蓄積されると、女性はたまったものではない。当然、親切にする先を選別するようになる。
そこで男性全てをシャットアウトする人もいるが、社会生活を営む上でそれはかなり難しい。ならばどうするか。その男性の人となりを見て判断するのである。例えば、健全な社会性を身につけているか。例えば、清潔感のある服装をしているか。例えば、受け答えはまともか。
間違えるとストーカーされたり、レイプされたり、殺されたりする可能性があるのだ。当然審査の目は厳しくなる。時には男性側が何気ない冗談と思っている言動一つで一気に「親切にしたら危険な人間」へとランクダウンする。
翻って、己を弱者男性とする人々はその信頼を勝ち取れているか?勝ち取れていたら弱者男性にはなってないだろう。
じゃあどうすればいいか。女性にじゃなくて、同じ男性だったり、老人だったりに、見返り無く己から親切にすることから始めてはどうだろうか。
これは、「性欲抜きの親切」を実行する訓練になる。同時に、人間関係のコミュニティに参加することができる。加えて、この人はセックスの事だけ考えているんじゃないんだな、と女性に対して示すことができる。
そして、女性を含めて人との繋がりができたら、まずその人の人となりを知る。相手はセックスの相手ではなく、ちゃんと自分の意思を持った人間として接する。自分の話は控えめにして、相手がどう思っているかに焦点を当てる。性欲は出すな。いいか、冗談でも性欲は出すな。絶対に出すな。美醜や体型も絶対に言うな。一気に信頼は失われる。そうすれば、少なくともあなたを尊重する人は現れる。
弱者男性の最終目標は「女性にセックスでも何でも言うこと聞いてもらえる」ことであることが多い(もちろんそうでない人もいるが)。これは現実社会ではありえない。もしこれが最終目標なら諦めろ。イケメンや金持ちはそうじゃないか、と反論されるかも知れないが、彼らはその分女性に楽しい時間であったりプレゼントなり、お金でもいい、対価を還元してるし、女性だって全てを許している訳ではない。
この世には、性欲抜きの優しさは存在する。弱者男性にそれが見えないのは、彼らがそれを無理やり性欲に結びつけようとした結果だ。
オススメを教えて欲しい。
姪(小4)と甥(小2)を含む姉家族4人に、年末年始ボードゲームをプレゼントするつもりだ。姉はほぼ主婦(音楽系の仕事少し)、義兄はシステム系のお仕事。4人で仲良くやってる、と思う。姉にはこんなん買ってく、と伝えてから購入する。
既にボドゲ好きの友人に薦められ「カルカソンヌ」を購入済み。俺も昔やったことがあるが、小2甥にはまだちょっと難しいかしら?
もう1つ、カルカソンヌよりライトなワイワイ系(?)のボドゲも添えよう、と思っていてそれに悩んでいる。オススメを教えて欲しい。
一時でも、4人家族でワイワイした時間を過ごして欲しい。すぐ飽きられちゃってもまあいい。
(あと、たまーーーにでいいから、遠く離れた叔父さんのこと…思い出して欲しい…😢)
オススメを教えて欲しい。
お誕生日おめでとう。
あなたの誕生日に直接会ってこれを言うことが出来なくてとっても残念だけど、言葉を大切にするあなたなので、言葉を贈ることが出来ればと。
複数日にかけてちょぼちょぼとこの祝辞を書いているので、前後の脈絡がない所は(あ、違う日に書いたんだな)と思ってくれると助かります。
思えば僕たちが初めてちゃんと会ってお話したのはもう2年前の早春のことで、湯島の「シンスケ」から飲み始めるという、今振り返ってもかなり攻めた会だったと思います。
夜の上野公園でお酒片手にベンチで話し込むなど、ここ最近会う時の「型」みたいなのができた(僕としては)非常に素晴らしい会で、次はしっかり桜を観ようなんて話をしてお別れをした、コロナ禍前夜の最後の享楽の日でした。
それからかれこれ2年が過ぎ、(桜を観ようね、という約束含め)もう会うことも無くなってしまうのかな、なんて考えていた今年の早春、あなたから直接DMで連絡を貰えたことを今でも思い出します。それに前会った時に観ようねと話していた桜のことも覚えていてくれてとても嬉しかったです。こういう口約束はとかく反故にされがちで、だからこそきちんと覚えていてくれたことを嬉しく思うし、それだけで救われました。
梅雨が(一時的に)明けた今年の初夏、互いの諸々を乗り切り再び会うことが出来たことは、今年起きたことのうちで最も嬉しいことです。駅の改札で会った時のほとんど最初のひと声、とっても嬉しかった。人から褒められることなんてここ最近はとんと無かったけど、これまでの人生で受け取ってきた褒め言葉と同じくらいの嬉しい言葉をたくさん頂いてしまいました。何だかこんなんで本当にいいのだろうかと、白昼夢でも見ているんじゃないかと、ふと思ってしまうほどに。
10月に会えると決まった時、もう今日含め前後数週間には会えないことは分かっていたので、事前にプレゼントはあげようと思ってました。この話はしたけども、あなたにあげた某ブランド別注のカップは、見た瞬間に、あなたが自分の部屋でこのカップ持つ姿が目に浮かぶようで、これをあげるしかないと即決でした。
自分が思っていたよりもとても喜んでもらえて、本当にあげて良かったなと。人生で、人から貰えるもので心から嬉しいことってあまりないじゃないですか(そんなことも無いのかな、どうなんだろう)。でもあなたの気に入るものをあげることが出来て僕も心から嬉しい。心に余裕があまりない時は洗い物をため込みがちと話してくれたけども、「このカップだけは使っては洗って、使っては洗ってとやっている」話を聞いて、いいものをあげられて良かったと安心しています。
とても暑かった夏の日と、今の寒さ厳しい日々との間隙の、あの偶然にも秋めいた夜のことは死ぬまで忘れない、というか忘れられない。あの夜も嬉しい言葉をたくさん頂いて、嬉しくて何だか泣いてしまいそうで、というか多分少し涙は出ていて、こんなに良い夜があっていいのだろうかと帰りながらぼんやりと思ったことを覚えている。
僕がこれまであなたの言葉にどれほど救われ、励まされた日があるか、あなたへ上手に伝えられないことがもどかしい。
ここ最近はお仕事がとてもとても大変とのことで、僕としてはこの瞬間にも手伝えることがあれば何でも手伝ってあげたいという気持ちでいっぱいです(最近はもう峠を越え、少しづつ色々戻りつつあるみたいで)。
とはいえ、あなたの仕事場に行って直接手伝うことはできないので、せめてもの慰みと、あなたに救われてきた日々の恩返しの気持ちも込めて、とてもつらいあなたの日々を言葉で支えられたらと思う。あるいは僕が元気にやっている姿を見て、あなたが安心してくれるのが僕にとっては何よりです。
「サッカーにできることは何でしょうか。何も出来ない時でも、何も出来ない人を支えることは出来るはずです。(中略)今、自分が出来ないのであれば出来る人を支えたい。あるいはその先の人までも支えたい。この放送を見て、誰かが元気になってその人が、誰かを支えている人を元気づけられるのであれば、それでも意味があるのかなと思って、この放送席からレアル・マドリーとリヨンのゲームをご紹介していきます。」という話をしたのは、サッカー実況者の倉敷保雄さんという方です。
東日本大震災から5日後に放映された、ヨーロッパの大きなサッカーの大会の試合開始前にこの話をしてくれました。
"今自分が出来ないのであればできる人を支えたい"というのはある意味では今回のモットーのようなものであり、自分の中の心がけのひとつでもあります。僕の言葉であったり、普段と変わらずにそれなりにやっている姿であったりが、あなたの心の救いのほんの一部にでもなってくれていたら、それはどんなに嬉しいことでしょうか。
今回は僕が支えるタイミングでした。またあなたに支えられるタイミングが来ると思うので、その時はバトンタッチで。2人ともダメなら、2人で沈みましょう。
前に11月、12月と会おうねと話してくれたの覚えてますでしょうか。
具体的な日取りは決められていないけれども、あなたに会える日だけが今の僕にとっての休日であり、あなた自体が最早休日と言っても良い程です。
太宰治の『晩年』では、麻の生地の着物を一反貰ったことで夏まで生きようと思ったということから話が展開していきますが、まさにそのような感覚で、僕ももう少し長く生きられるなというか。生活に張り合いがでています。
さて、とっても長くなってしまったのでここまでにしたいと思います。
あなたの誕生日を祝福してくれる人はたくさんいると思うから、その人たちの1番うしろから、せめて手を振ってお誕生日おめでとうを伝えます。良い1年を。
祖父が数ヶ月前に亡くなった。
第6波真っ最中で、葬式もなくただ焼いただけなので葬儀には行っていない。
昭和のクソ親父を煮詰めたような、どうしようもないじーさんだった。
苦労人ではあった。祖母方の曽祖父の家業を継ぐために婿養子に入った五男坊。でも継ぐ前に家業が潰れてしまい、駐車場の警備員から身を起こして子供三人育てるための金を稼ぎ、最後には先生と呼ばれる職に就いていた。
定年まで飛行機の距離に単身赴任していて、その頃はまあ多少ウザいけど長期休みに会うくらいなら我慢できるレベルだった。
先生と呼ばれていた頃の名刺をいつまでも持っていて、私を含む孫に会うと、毎回必ず「何かあったらこれを見せろ、"○○先生の孫ならなんとかします"って言われるから」と言って名刺を渡してくる。祖母と話したくて電話をすると、必ず祖父が最初に出て開口一番しばらく電話をしなかったことの嫌味を言われる。「なんだ○○は。最近電話もしてこなくて何やってるんだ」毎回毎回毎回最初にこれを言われる。マッチがつけられないとか鉛筆をナイフで削れないとか、老人ができることができないとここぞとばかりに「なんだこんなこともできないのか。お前は馬鹿だなあ」と馬鹿にしてくる。アラフォーの今ならはいはいで済ませられるけど、高校生の自分には我慢ならなかった。
それでも祖母が好きだったから、電話はしたし祖母の家にも盆と正月には行ってた。それが大学生になったら、祖父は体を触ってくるようになった。最初はたまたまかと思ったが、運転中に助手席に座って太ももを触ってきたので意図的だと言うのがわかった。そのときは咄嗟に大声を出して振り払い怒鳴りつけた。普段は上から目線で嫌味ばかり言ってる癖に、こっちがガチギレするとビビって何も言わなくなる小心者だった。私より若かった従姉妹は、会うたびにデブだ痩せろと言われて泣いていたらしいことも同時期に知った。社会人になって祖母にPHSをプレゼントして、祖母の家には行かなくなった。
祖父は歳をとるにつれて本当に傍若無人になっていったらしい。祖母が足を悪くして、出かけるには祖父に車で送ってもらうしかなくなってしまったのだが、祖母が友人と会いに行くといっても連れて行かなかった。友人が祖母の家に遊びに行くと、怒鳴りつけて家にあげなかった。祖母の妹や自分の娘ですら、気に入らないことがあると怒鳴りつけて追い出していたらしい。認知症の兆候だったんだろうね。極め付けは、祖母が料理できなくなったので祖父がスーパーに弁当など買いに行くわけだけど、スーパーに入ると店員を呼びつけて、欲しいものをメモした紙を投げつけて「そこに書いてあるやつを持ってこい」とかやっていると。祖母の家のすぐ近くに祖父の妹が住んでいて、そのスーパーに行ったときにそんな話をされて針の筵だったそうだ。
そんな祖父が亡くなった。
客観的にみると、祖父は祖父なりに大変だったのだと思う。ああいう性格だから地元に友人は一人もおらず、定年後は家でテレビを見ているだけだった(だから電話にも毎回必ず祖父が出た)。でも何十年も、回数は少ないとはいえ話すだけで必ず嫌な思いをさせられる祖父を可哀想だとは思えない。かといって亡くなって嬉しいわけでもない。正直なところ、大学生の頃に亡くなっていたら大喜びしていたと思う。我ながら残酷だし勝手だけど、とにかく早く死んで祖母を解放して欲しかった。
嬉しいという感情はないけど、安堵の思いでいっぱいだ。もう祖父はいない。祖母も家にはいないしもう何もわからなくなっているから電話することはないんだけど、あの耳に残っている声、「なんだ○○は。最近電話もしてこなくて何やってるんだ」という言葉はもう二度と聞かなくて済む。そして書いていて気づいたけど、親戚がわざわざ私に祖父のあれこれを聞かせてくることがなくなるということに、多分一番ほっとしてる。自分のこういうクズさは祖父から受け継いだのかもしれない。