はてなキーワード: パラダイムシフトとは
ふるさと納税のキャシュふる(https://cashfuru.com/)という仕組みがすごすぎる。
「ふるさと納税の返礼品がいらない人」から返礼品を買い取って、「返礼品が欲しい人」に売るというサービスだ。
ふるさと納税をするだけで、寄付金控除を得られるだけではなく、寄付額の2割も儲かる。
なんと便利なのだろうか。
「いや、肉とか米とかそんなほしい人いる?サービス成り立たなくない?」
なんて声も聞こえてきそうだが、実はその心配もいらない。
自治体自身が返礼品を購入するのなら送料やら保管費もいらない、いや、もはや実体の返礼品すら不要だろう。
さらに、総務省が嵌めた足枷である「経費率50%以下」の制限を回避し、自由な返礼品選びが可能となる。
以前手紙を書きながら、この速度感いいな?!となったので懲りずに書いてます。よっぽど気が向いたら読んでください。
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ラインの既読機能が苦手です。いつ読んだかとか読んでないとか、、手紙はそういうのないから気が楽だな。読まなくてもいいし、読まれないかもと思うと、不思議と素直になれる。
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逆に私は_さんのどこが好きなのか考えて、昔の日記もぜんぶ読み返して、結論は、見た目でした。
今だから言いますが、どタイプです。めちゃくちゃ好み。そそられる。いちばん好きな部位は、、全身360゜ナイスだけど、、ふくらはぎかな。すっごくきれい!
なんて美しい人なんだろう。好きすぎる。私は_さんにつりあう人間ではない、できる限り魅力的に映りたい!でもこの人、何を考えてるんだろう?
_月に初めて話したときから、私の原動力は性欲でした。言いすぎか。でも恋って性欲じゃないの?
何を考えているの?と問うのをやめてみました。立ち入らないことにしよう。わからないってことを尊重しよう。別々の場所ですごして異なる受容体をもつ他人同士が、知り合う、わかりあうなんてそもそも無理なんだ。
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結果として、_さんの価値観をないがしろにする行動に出たことを、後悔しています。
ごめんなさい。
セフレになりたいわけではなかったんです。
でもさわりたい。内面にふれることができないならせめて。_さんはセックスに愛が必要だと言う。それ性欲のマイルドなやつじゃないの?恋と愛は何が違うの?そんな、誰に対しても欲情するわけじゃない。他の誰でもなく、_さんに、さわりたい。けどさわれない。私は_さんをなにひとつ知ることができない。頭痛も快感もわかりあえない。だけどこれ以上立ち入った話をしたらきっと拒絶される。。
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立ち入らないということは、受け身でいるということです。受け身ばかりでは、勝てません。
いつしか、私は負けているんだ、1位には程遠いんだ、最後に選ばれるのは私ではない、、妄想からの執着、不安と嫉妬が全身に充満していました。なにひとつ現実ではなく、ただの思い込みで、本人に訊けばはっきりすることなのに。
私は自分の想像力を全く制御できません。爆発的な負の感情。疲れた。腫瘍でしかない。切り落としたい。
だから_さんが荒療治をさずけてくれたことに、とても感謝しています。
助かった。
醒めました。
勝負と考える時点で何かがずれていることに、やっと気づきました。_さんは標的、獲物だったのか。手に入れたら終了?私は_さんに向き合っていない。自分勝手に設定したゴールに押し込もうとしているだけだ。
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私は_さんをどう思ってるのか?
どういう関係になりたいのか?
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あらためて、打算を抜きにして、考えました。打算を抜くのになかなかの時間とエネルギーを費やしました。
もし目の前にあなたがいたら、気持ちをどんな言葉で伝えるだろう。
「好き」とは言えるけど、「つきあいたい」とは言えるかな。
友達でも恋人でもない、そんな categorizeできるような、一般的な関係にはなれない気がする。
でも、絶縁はやだな。
さみしいな。
そう思って手紙を書きました。読んだ?読んだからラインくれたのかな。
ありがとうね。
実はね、あの日、もうブロックされてると思ってて、どうせ届かないし好き放題言っちゃえ〜てなったの笑
うれしかった。
初めて、コミュニケーションがきちんと一往復した感じがした。
ということはこの_ヶ月間の私は、一人相撲だったのか?_さんはずーーっと隣にいてくれて、きいてもないのに始まる自分語りに静かに耳を傾けてくれていたのに、私は見栄と性欲と妄想に振り回されていただけだったのか?私は一体なにと戦っていたのだ、to be continued...
これくらいにしとこう。もう十分伝わったからね。
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出会う前と後で、明らかに異なっています。いろいろな事柄が。事柄に対する私の反応が。
当事者としての人生に直面したというのでしょうか?役割を演じるのではなく、目標から逆算するのでもなく、、
今までの私にとって人間関係は利害と役割だったので、この構造はとても新鮮で、むずかしいです。
とてもchallengingだな、と思います。
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自意識過剰で保守的で不器用で、めんどくさい・まわりくどい・しんきくさいの三位一体みたいな私につきあってくれて、本当にありがとう。
あらためて、_さんのことが好きです。外見だけじゃないです。この場合は_さんの私に対する態度が好きという意味。
やさしい人。
臆病で、極端で、疑い深くなることが恋なら、もう、やめたいな。
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以下のツイートとそのブコメの着眼点が一面的で残念だったので考えを述べる。
@koshian
というか学者なんてのは真理探求のために一般よりずっと不道徳であることが認められたり奨励されたりするもんでしょ
https://twitter.com/koshian/status/1485127978162229252
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/koshian/status/1485127978162229252
その変更が主流派にとって受け入れられないものであれば不道徳と批判される。
パラダイムシフトと呼ばれるような重大発見であり、学者はそれを目指すべきだ。
中世の神学的な道徳に反してコペルニクスが地動説を主張したり、
ニュートンが地上も神の世界である宇宙も同じ自然法則で物体が動いていると証明したからこそ、
素朴な感覚に反して実験と理性が導き出した世界観を採用する科学という営みが生まれた。
それを継承して相対性理論や量子力学や遺伝学を生み出し、人類の科学技術はここまで発展できた。
逆にソ連では共産主義的に道徳的なニセ科学あるルイセンコ農法を採用し、
大量の餓死者を発生させ、正当な遺伝学社達を投獄・粛清して生物学の後退を招いた。
学問のために不道徳であることを恐れない学者と、道徳のために学問を利用しようとする学者だったら
おそらく後者の方が問題を引き起こすであろう。そもそもそれは学者ではなく活動家だ。
ダビンチや平賀源内の時代は間違いなく解剖という当時としては非道徳で奇妙な行為が必要だった。
ただ現代では過去の失敗やいざこざがあってこういう手順でしましょうねって基準がある。
教養があるわけでもないしはてな記法をつかいこなせるわけでもないので読みたくない方は後半読まなくて良いと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20211122100941
結論から言えばそれ自体は製作制作側セクションでは不可能に近いと思っています。
そして自分も正直萌えに走ったアニメは不要というのが持論です。
知らない方のために言っておくと光や黒い帯、モザイクで見えなくする場合ですら描かなければならないんですね。無修正のものと修正済みのものを作る必要があります。
子供向け作品も服の着脱がある場合は見せたくなくてもお尻やその肢体を描いていましたし
という演出の場合は見せなくても作画するということが多々ありますね。
貴方も作画や彩色、撮影処理をするセクションであれば大変苦しい思いをしているとおもいます。
自分もエロアニメをやっていたので無修正の股間や乳首を延々と寝ずに作画し続けるなどということをしていましたのでつらさがわかります。
知っている範囲だけでも味気ない萌えアニメやエロ絵を作画、制作、撮影スタッフの生活のために作り続けているなと感じますし、勤めていた会社がスタッフを使って同人誌を作って販売していることも気分が滅入ったものです。
「万人に受け入れられるものじゃないもの」「会社をなんとか生き永らえるだけの駄作」を延々と作り、高額で売らないと生きていけないほど困窮しているんです。
円盤が売れないグッズが売れない、下請けで金がないなどの理由は多々ありますが。
実際に萌えやエロを入れない場合どうやって自社のアニメ作品を制作すべきなのかわからなくなってしまっている国内アニメ会社が多すぎると思ってます。
これに関しては異論は認めますが言いたいのは基本そんなエロ部分よりもアニメとして大事なもんがあるだろうということです。
他国ではすでに
TVでは萌え絵を極力出してはいけないしエロパートはもってのほか、胸の谷間も国により統制対象です。
人を殴るシーンもすでに規制やカットがされています。そういう作画をしない演出が必要になっている時代なのです。
そんな時代でどうやったらいい作品って言われるものを製作・世にだせるでしょうかね??
デ〇ズニー社が卑猥な表現に見える素体をスタッフに見せてスタッフを不快にさせて辞めさせるなんてことがあるでしょうかね?多分しないでしょう。まあそうだろうなと思えます。
日本の会社はどうでしょう、無修正のぐちゃぐちゃのものを「やれ」と強いていることでしょう。よくて「あなたにはこの仕事は無理」と言ってるのではないですかね。
おっしゃるとおりここは完全規制されているべきであり、制作側でもゾーニングされた上でなくてはならないのですが無理だとおもいますね。
萌え萌えしたもので稼ぎたい人を大量解雇して再編成するだとか、アニメ会社たちが一念発起して集まりすべての作品をオリジナルで作るだとか、スポンサーが直接アニメスタッフをあつめて製作するだとか、
そんなでかいパラダイムシフトや革命でも起きない限り、これは良い方向に向かうことはないでしょう。
正直萌えだけに走った薄い内容の動きがつまらないアニメは不要と思っています。
これこそアニメ会社の生き残る根幹に存在していてはならないものなんです。
技術と情熱を注げる世界中に見せられる作品で生き残りたかったんですよ。私も。
最近ではインターネット、ひいてはSNSの発展により「隠れた才能」なるものが注目されるようになった。
この国が無駄にした才能、拾い上げられなかった才能がこうして輝くことは素晴らしいことだと思うし、この環境を作り上げてきた技術者達には感謝してもしきれない。
しかし、そうした才能や個性が数多発掘される時代だからこそ、生きづらさを感じてしまうこともあるのだ。わがままだろうか。しかしここはひとつ、冴えない子供の愚痴として少しだけ聞いてはくれないだろうか。
自分ははっきり言って「普通」だ。大勢にほめそやされるような個性はもちろん、先述した人々のような「隠れた能力」も持たない。本当にただただ普通なだけの人間だ。
パラダイムシフトというやつだろうか。足並み揃えて生きることを教えてきた大人たちは突如として「個性を伸ばす」ことを声高に掲げ、「互いに個性を尊重しよう」と自分達に懸命に伝えてきた。良いことだ。良いことではあるが、それならば自分のような「伸ばす個性も才能も無い奴」はどうしたらいいのだろう。「誰にだって個性はある」とでも言われるだろうか。言わんとすることはわかる。そもそも普通なんて曖昧なもので、自身を構成する要素のうちひとつでも平均から極端に離れればそれが才能と言われることもある。もしくは構成する要素そのものが多くと共有されない場合、それが個性だと言われたりする。そのくせこれらの現象は、マーブル状の価値観の上で矛盾することも珍しくない。繰り返しになるが普通なんてそんな曖昧なものなのだ。
しかし自分は、物の見事に能力全てにおいて平均かそれ以下だ。好きなことで自分を語るのはおこがましいが、ぶっちゃけ趣味も好みもありきたりだ。
正直苦しい。17年とかいうクソ短い今までの人生、個性や才能と言えるほど夢中になれたものもない。誰かの笑いの種になるような出来事のひとつもない。これはほとんど承認欲求に変わりないものなのだろうが、それでも「隠れた才能」とやらが日の目を見るようになり、そこら中に個性や才能が蔓延する世の中は自分には生き辛くて叶わない。これを誤魔化せるほどに情熱を捧げられるものすらない。せめて美味い飯が食えてゆっくりと眠れるだけで幸せと言える人間でありたかった。呪うのなら普通であることに正しさを見いだせる世界がどこかにあってほしかった。