はてなキーワード: カーストとは
ムサコと言っても、武蔵小山でもなく、武蔵小金井でもなく、今話題の「武蔵小杉」。
台風の影響で、ムサコで冠水が起きて一部のタワマンで気の毒としか言えない状況が生じている様子。
台風19号で「タワマン被災」 「高層階住み」J-CAST記者も停電、断水に見舞われた
https://www.j-cast.com/2019/10/13369956.html
しかし、5chやTwitterを見てると、なぜこうもムサコはディスられるのだろう。
私は西日本の出身のせいもあって、ムサコに特段の感情も持ち合わせておらず、新興住宅地という印象しかない。
自分が観測した限りでは、ムサコ周辺の、昔からムサコを知っている人が悪く言っているように思う。
そこで、東京神奈川出身でムサコ嫌いな周りの人たちの意見を聞いてみると、
1 上場会社のサラリーマンが頑張って買ったマンションで、奥さんが専業主婦で偉そうにしてそう
2 上層階と下層階でカーストが出来てそう
3 元々、工場地帯だったくせにタワマンに住んでるくらいで裏から目線でムカつく
と言った感じで、直接迷惑を被ったわけではない。どうやら自慢の根拠がないくせに、上から目線でムカつくということらしい。
別に羨ましくもないのに、上から目線で物を言われて「はっ?(怒)」って感じなのかも。
上の批判はサンプルが偏っていることもあるとは思うが、今のディスられ具合は、これまで溜まったムサコへの反発の反動なのだろう。
ただ、諸君、ムサコが人気で多くの人が住んでいるおかげで、他の地域へ人口流入が防げているとも言えるのでないか。
ムサコと言っても、武蔵小山でもなく、武蔵小金井でもなく、今話題の「武蔵小杉」。
台風の影響で、ムサコで冠水が起きて一部のタワマンで気の毒としか言えない状況が生じている様子。
台風19号で「タワマン被災」 「高層階住み」J-CAST記者も停電、断水に見舞われた
https://www.j-cast.com/2019/10/13369956.html
しかし、5chやTwitterを見てると、なぜこうもムサコはディスられるのだろう。
私は西日本の出身のせいもあって、ムサコに特段の感情も持ち合わせておらず、新興住宅地という印象しかない。
自分が観測した限りでは、ムサコ周辺の、昔からムサコを知っている人が悪く言っているように思う。
そこで、東京神奈川出身でムサコ嫌いな周りの人たちの意見を聞いてみみると、
1 上場会社のサラリーマンが頑張って買ったマンションで、奥さんが専業主婦で偉そうにしてそう
2 上層階と下層階でカーストが出来てそう
3 元々、工場地帯だったくせにタワマンに住んでるくらいで裏から目線でムカつく
と言った感じで、直接迷惑を被ったわけではない。どうやら自慢の根拠がないくせに、上から目線でムカつくということらしい。
別に羨ましくもないのに、上から目線で物を言われて「はっ?(怒)」って感じなのかも。
サンプルが偏っていることもあって、上の批判はどうかとは思うが、今のディスられ具合は、これまで溜まったムサコへの反発の反動なのだろう。
ただ、ムサコが人気で多くの人が住んでいるおかげで、他の地域へ人口流入が防げているとも言えるのでないか。
この点で、ムサコの人には感謝してもいいのではないかと私は思う。騒動が落ち着いたら、「ムサコ(のタワマン)ですか、いいですね」と言いませんか?
人間である以上、大抵の人は会話をはじめとするコミュニケーションが大好きだと思う。社会的動物ってそういうものだ。コミュニケーションへの欲求はみんな持っているだろう。
ただこの欲求を叶えることに向いていない人種が存在する。オタクだ。もっとしっかり言えば、会話力のないオタクである。
オタクには会話力のない人物がどうにも多い。これは会話力のない人たちが面白くないという理由で避けられ続けた結果、オタクという社会的カーストの下の層に落ちる傾向があるからではなかろうか。ちなみに「オタクは下ではない」という方がいたら申し訳ないが、オタクである私はこのことを地動説と同じくらいは信じている。まぁこの話や理由の推測は本題ではない。
こういった人たちも人間である以上コミュニケーション欲は当然持っていても不思議ではない。ただコミュニケーションを取ろうにも彼らはあまりにも会話が下手なのだ。
『まったく面白くないセンス』で『こちらがまったく知らない話題』を使い『相手の気持ちを考える能力無し』のまま話すのだ。どうだろう。こう書くと信じられない状況だが、こういった人に心当たりはないだろうか。
前提として、コミュニケーションは双方向性のものだ。互いに伝えたいことを伝え、互いに楽しむ。そうして互いに関係を築きたいと思ったときにはじめて友達と成るわけだ。これは社会的動物として、成長の中で当然知ることなのだ。しかもこれは本当に前提であって、これを知った上でコミュニケーション能力を高めて実際に人と関係を築くことまで含めて社会的動物の本能である。
しかし会話力のないオタクにはその前提の知識すらない。こっちがまったく面白くないと思っていても、勝手に笑って楽しんでいる。当然、能力の方も持っていない。こっちがまったく理解できていないのに、それを察することなくヘタクソな話を恥ずかし気もなく続ける。
そのうえ問題なのがそういったオタクであってもコミュニケーション欲だけはあるのだ。だから話せる機会があると思うや否やベラベラ喋りだす。その行動で一層人から避けられることになるのも理解せず。
地獄のような状況である。欲に能力が追い付いていない。欲求とそれを叶える要素が見合ってないことで社会的動物の機能がバグっていると言ってもいい。下手したら一生この状態から抜け出せないだろう。
せめて知識さえあれば、もっと会話の仕方を考えるだろう。そうして試行錯誤していれば能力は身に着く。当然能力が身に着けば自然と話し相手も出来て欲求も満たせる。
だがそういった知識を根付かせられるのは多くの場合幼少期だけなのだ。大人になってからこういう根本的な知識を身に着けることはあまりにも難しい。それにこういった間違いは友人などの近しい人間から指摘を受けて気付くことが自然だろうが、そもそも彼らにとって近しい人は少なすぎる。
だから、詰んでいるのだ。終わりである。会話力のないオタクは詰んでいる。
「オタクに限った話ではないのでは」と思う人もいるだろうが、まぁそれはその通りだろう。ただ私の思い当たる限りこういう人はオタクしかいないし、オタクほど社会的行動を軽視しがちな層もいない(だから前述した知識がつかない)。やはりこのことはオタクにこそ言いたいのだ。
会話力のないオタクは詰んでいる。でも意識さえすれば抜け出せる可能性は見えてくるのだ。私もかつてそうだったが今は友人もいる。だから詰んでいる状態から抜け出して欲しい。
カースト上位の女性はカースト上位の男としか付き合わないしセックスもしない。
じゃあ、男がみんなカースト上位になりたいかと言うと、そうでもない。
学生時代、カースト上位の男は不真面目で遊んでばかりだから大抵成績も悪く、進学も就職もに苦労する。そりゃどこでもいいなら問題ない。適当に進学就職して、また遊ぶ。将来も見えずやりたいこともない。そんなイメージだ。
学生時代にカースト下位でも、社会に出ると社会人デビューする人がいる。でも、やはりカースト上位者を振る舞うから、不真面目で社会的信頼を失いやすい。
要は、男はカースト上位になろうとすると、カースト上位の女とセックスできる代わりに、色々と失うものが多いのだ。
社会的信頼や将来を棒に振って、カースト上位の不真面目男にならないと手に入らないのがカースト上位の女性。
いつまでたっても手に入ることがなく、なりたいわけでもないカースト上位の男と一緒に下位の男を見下し続けるカースト上位の女に、一生頭が上がらないのだと考えると、ものすごくコンプレックスを感じる。
すもも氏のtwitterを見て、統計的に「救われない女より、救われない男の方が多い」というのは理解したんだ
でも救われない代わりに、救われない人間が多いので
逆に「救われない女」というのは統計的に見て少数派で、受け皿が少ないというより充実していない。だから一気に社会運動になだれ込んだりする。
そして少数派なので「救われない女」として存在する事は許されていない。
なので、現にフェミ女は男に対して「男を降りてもいいんだよ^^」なんて言ったりするが
自身は女を降りることが出来ない。男のように非モテとしてカーストを築く事が出来ず、永遠にモテ女の尻に敷かれ続ける事になる。
カースト上位女がどういうものかわからないけど、(まぁ元気で可愛らしい感じの人だとして)頭がよくなってもそういう人とはセックスできないよ、そもそも話とか合わないでしょ
10代20代に周りのカースト上位の男女が恋愛を謳歌している間に、自分は将来に備えて勉強した。
周りが遊んでいる間に、苦労した。苦しんだ。
でも、その甲斐あって、そこそこ贅沢できる収入が得られる仕事に就いた。
なので、若い時に苦労した元を取りたい。
苦労して金を手に入れたら、いい女とセックスしまくれるんたよね?
でも現実は違った。
カースト上位の若い女は相変わらずチャラ男やオラオラ系のカースト上位の男しかセックスしない。
自分のような金しか持ってない男のところには年増の元カースト上位の女しか寄ってこない。
どんなに金を手に入れても、カースト下位の男はカースト上位の男には敵わないんだね。
死にたい。
中二のとき同級生の女子が一個上の男の先輩と付き合ってるという噂を聞いた。あくまで噂のレベルだ。
その女子は超スタイル良くて、胸もスゲーでかかった。スカートも膝上くらいまで短くしてて、当時はスカート丈はスネくらいまでだったので、膝上とはいえ短くしている女子が少なかった。スカートが揺れるたびに太ももとか出ててエロかった。体育座りとかしたとき、中の方まで見えたりして興奮した。
そんなエロい子が先輩と付き合ってるなんて噂を聞いたから、絶対セックスしてると話題持ちきりだった。クラスでイケてる男子たちは妄想話に花を咲かせていた。
中三になり、卒業近くになった時、クラスのイケてる男子が、その女子にセックスさせて欲しいとお願いしてみたらしい。当然断られようだ。でも、それをきっかけに、色々な女子にセックスさせて欲しいとお願いするのが学年で流行ってしまい、問題になった。
全校集会後に中三の男子だけがそのまま残るように言われ、最も怖い男性教師から全員に対して厳しく注意された。中にはショックで学校を休んだ女子もいるらしい。
でも、自分はクラスカースト下位でその流行りに乗れるようなキャラじゃなかったが、結構女子も楽しんでたように見えた。だめ〜、とか、最低〜、とか言ってキャッキャしてて楽しそうに見えた。
ただ、その休んだ女子というのが、冒頭のエロい女子だったのだ。別のクラスだったので状況は伝え聞きだが、その子のところには毎日のようにお願いがあったらしい。結局その子は卒業式までずっと休んでいたようだった。
話は飛ぶが、大学卒業のとき、同じように学科の同期の女子にセックスさせてくれた頼んで回ったやつがいた。そいつは別大学に彼女もいたし、結構遊んでたので、別にお願いしなくてもやりまくってるやつだった。
そいつは一通りお願いして回った後に、結局誰もやらせてくれなかったと文句を言っていてしょうもない奴だった。
ただ、そんなことを言われても、女子たちからそいつは阻害されることなく、普通に接している。むしろ女子はそういうやり取りを楽しんでいるように見えた。
また話は飛ぶが、自分は最近転職した。退職が決まって、近しい人が送別会を開いてくれた。送別会をやってくれると分かった時から考えていたのだが、参加した女性社員に、最後だからセックスさせてくれたお願いしてみようかと思った。
でもその時、中学の時に学校を休んでしまった女子のことを思い出して、お前はバカかと、そんなことをが許されるのは大学までだと、そんなことをしようと一度でも思った自分を恥じた。
気持ち悪いかも知れないが、その日、その休んだ女子の名前をFacebookで検索してみた。すぐに見つかった。更新は結構前に止まっていたが、海外にいて、外人と結婚して小さな子供もいた。年齢を重ね、とても魅力的な女性になっていた。
実家の猫は自分が家を出てから飼いはじめた猫なんで全然私に懐いてない
盆と正月くらいしか返ってないから、この猫にカーストがあるなら最下位に私がいると思う
自分の縄狩りにいる新参者くらいに思ってるんじゃないかって思ってる
猫のあいさつって鼻と鼻をちょんって触れるやつのことをいうんだけど
たまたま気まぐれにしてみた
ら、懐かれた?いや子分だと思ったのか?
今までこっちから触ろうとしても逃げる感じだったのに
寝るときはいつも母と寝るんだけど(他の家族:父とかが連れてこうとすると逃げる)
寝る時もついてきて足元で寝るようになった
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
***********
クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
***********
今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41