はてなキーワード: 西郷とは
広い屋館内をひとしきりウロウロして、「銅鐸ってよくみるとデカいですわ!」みたいなゴミみたいな感想を抱いたあと特別展示に向かうわけですわ
エントランスに置いてある今回の特別展示の巨大ポスターを拝見しまして、たまに次の展示告知もありますわねと思いつつ気持ちを高めますわ
特別展示って言うから結構広いのかなと思ってあらかじめお写真を撮る用意をしたりするのですが、入ってみると案外広くありません でも確かに常備展示とは違う空気を吸ってああ博物館に来ましたわ!と改めて思うのですわ
で、順路をゆったり回り始めますわ 展示には大体ネームプレートみたいなのが貼られてて、豆知識が書いてあることもありますわ つっても図鑑に書いてあるやつばっかりでたいして見応えはありませんが、とは言えその辺で見られるものでもないからしばらく見入ったりもしますわ
さすがに妙な展示物が多くて、いちいち足を止めて解説を読んだりするわけですわ 朝の山手線なんかと比べると圧倒的に人が少ないんで少々立ち止まったところで罪悪感は生じませんわ 遠目に見てヘンな展示の近くに寄ってよく見てみるとさらにヘンなところが見つかったりして面白いんですの
館内に流れる靴音を聞きながらいろんな古代の遺物を見て回るとずいぶん癒される感じがしますが、運動不足がたたって足は普通に疲れますわ ベンチに座ってみるとまた落ち着いて見られるんでちょっと趣が違う感じで楽しいですわ
特別展示が終わると、ちょっと触れる小判大判なんてものがありますわ 持ってみると意外と重い小判大判がぎっしり並んでいますわ お金の種類に関してはハッキリ言ってよくわからないですの 普段お金のことなんて気にしてないし、大判と言われれば確かに偉そうな感じだななんて思いながらひとしきりウロウロして、外に出ると大判小判のコーナーは終わりですわ
ミュージアムショップはまだちょっと見てないところがあるけどもう足が疲れたし、別に逃げるようなものでもないということで帰ることにしますわ
志々雄真実
なんかカリスマ扱いされているけど、あいつボスとして意味のある事何もやってなくない?
大魔王バーンとかフリーザなんかと違って、そもそもの野望自体が身の丈に合ってないというか、ぶっちゃけ主人公たちがいなくても成功しそうにないし、
やってる事が(物語上の都合なんだろうけど)とにかく場当たり的で、何をしたいのかさっぱりわからん。
煉獄とかいう船も、なんか一隻で政府がパニックに陥るみたいな事を期待した計画だったような憶えがあるけど、それ計画っつーか、期待が甘すぎない?
最終決戦みたいなのも、うろ覚えだが何かアジトの奥に引き籠って主人公たちを迎え撃ってたけど、
本気で日本征服とかしたいなら、主人公達とチャンバラやってる時点でダメじゃなくない?
組織としてもう終わってない?
端的に言うと、主人公が何もしなかった時にどうする気だったのかが全然わからんというか、
やってる事も規模もオウム真理教かあさま山荘事件かって程度で、
政府が軍出すのもアホらしい程度じゃないのかなーって気がする。
あれに比べたら西郷さんの方が勝ちめあっただろ。
初回読んだ時から「何なのこの人。女はべらせるのと、可哀そうな部下をいたぶって殺す以外の事やってねーじゃん」って感じで、上司にしたくないキャラNo.1だったけど、
なんかカリスマ悪役みたいな扱いになってて全然意味が分からん。
あのキャラのどこに魅力があるのか、誰か教えてくれんかね。
数日前から話題になっている「幕末志士」の「けものフレンズ」騒動について
彼らの有料会員であり、10年近いファンだった自分が考えていることです。
騒動のきっかけは「幕末志士」の会員限定生放送中の「坂本」さんの発言がきっかけです。
彼は「けもフレ騒動の前に起こした騒動」により謹慎中であり、その謹慎中に「けものフレンズ2」の炎上に対して、まとめサイトのコメント欄で「対立煽り」をしたり、ツイッターの複垢を20個ほど作り「けものフレンズ」の信者から何ツイートでブロックされるかという遊びをしていた、というものです。
もちろん普段の幕末志士さんの活動を知らない人からするとこれだけでも十分自慢できることではない、ということは分かるのではないでしょうか。
「けものフレンズ」のファンはこの話を聞いて不快になった方や傷つけられたという方も多いでしょう。
しかし「幕末志士」がここまで燃えている原因はこれだけではない、すくなくとも今までの有料会員たちが疑問を呈しているのはこの発言だけではないと思います。
先に言ったとおり、「坂本さん」は「けものフレンズ」の騒動の前に起こした騒動の謹慎中であり、「自身が炎上した時は「訴訟」を起こしたのにも関わらず他の炎上には加担するのか」と言われています。
きっかけは某掲示板にとあるリーク画像が貼られたこと。その画像は坂本さんと思われる人物とその彼女がうつっているというものでした。坂本さんは数年前から「坂本さん」だと言われる画像が出回っていたこと、リーク画像にかかれていた彼女の名前と坂本さんが一年ほど前に間違って放送中に流出させてしまったラインにあった名前と一致していたことから、本当なのではないかとファンの中では情報がどんどん広まっていきました。
そして毎週行われている放送のタイトルが「最終回」になったこともあり、引退説までささやかれていました。
しかし「最終回」というタイトルの放送は彼らが投稿しているシリーズの実況動画の最終回のお知らせであり、坂本さんだと騒がれている人物は「残念ながら別人」だというアナウンスがされ、今回の騒動によって坂本さんの心がポッキリと折れたため活動の休止が宣言されました。
このあたりはyahooニュース等で取り上げられていたため知っている方が多いのではないでしょうか。
しかし騒動は収まらず坂本さんやその彼女に関係する情報もどんどん追加されていきました。
そんな中、全体公開として「チェックメイト」といったタイトルの生放送が配信されます。
内容は騒動に便乗した脅迫メールや家凸による被害の「告訴実況」。
また犯人探しのために今回の情報を拡散させた人物含め開示請求や訴訟を行うというものです。
そして騒動のリーク画像の中に一つ真実があり、「ファンから送られてきた写真で抜いてしまい、お礼にグッズを送ってしまった」ことを理由に謹慎するということを発表し、謹慎は「最終回」と予告した「くにおくん」の実況動画を投稿した後、ということになりました。
しかし最終回のくにおくんの動画は延期が続き、謹慎も延期という前代未聞の状態になります。
この間にも実況者である「ナポリの男たち」含めた騒動や進撃の巨人の生放送での騒動など小さい騒動は続いていたのですが割愛します。
しかし実質2習慣の謹慎期間中もツイッターなどの更新は続けており、謹慎中の生配信中も電話で出演したりと、ファンのなかでも謹慎とは一体と囁かれるほどの状態でした。
そしてようやく謹慎があけた「謹慎終了SP」の配信のなかで今回の「けものフレンズ」の対立煽り等の発言があり、現在の騒動に発展した、という状態です。
自身が参加していることが目玉の自作オンラインゲームである「幕末オンライン」の中で「ファン」と「幕末志士」の距離の近さが原因で荒れた「幕末オンライン騒動」や動画延期を続ける中、動画があげられなければチャンネルを閉じると発言したせいで荒れた「チャンネル閉鎖騒動」などはありましたが、騒動は基本的に「チャンネル会員」の中だけで収まっていましたし外部に漏れるということはありませんでした。
騒動の経緯が長くなってしまいましたが、幕末志士のリスナーは「炎上」続きだったわけです。
元々「幕末志士」の活動自体9割ほど有料の配信で行われているため、今まで火種になりそうな「割れ発言」「差別発言」「問題発言」等ありましたが、表立って燃えるということはありませんでした。
そして同様に今回の「けものフレンズ」に関する発言もいままで通りであれば表に出ないまま終わっていたはずです。
しかし現状として表に出ているわけですし、今までお金を払ってまで聞いていたリスナーの目が炎上続きで覚めてきている、ということなのではないかと思います。
確かに「幕末志士」はかなり昔から「幕末式再生工作法」や「投コメ炎上」など起こしており、完全にクリーンな配信者、ゲーム実況者とは言いづらいでしょう。
しかし三年ほど前に有料チャンネルを開設してからは、表立った炎上はありませんでしたし「任天堂」との公式配信など含め、クリーンなイメージの方向性で進んでいたと思います。少なくとも毎週のように炎上している配信者ではなかった筈です。
まず「顔バレ」「彼女バレ」に関しては、「幕末志士」の中の人に興味のない人であれば関係のない話だと思います。しかし「幕末志士」の活動自体プライベートの話も多かったため、そこが嘘となると違和感を持つリスナーはいるでしょう。私自身、顔や彼女について興味があったわけではありません。しかし彼の「非モテネタ」や「西郷さんとエピソード」は「幕末志士」の配信のメインエピソードの一つでもありますし、その部分が嘘となると正直動揺してしまいました。
「告訴実況」の配信でも「騒動の人物とは別人である」ことに関して具体的な説明はありませんでしたが、彼が「別人」だというのであればその言葉に乗ろう。中の人ではなく、彼らの演じる「幕末志士」というエンターテイメントを楽しもうと心を切り替えました。
少なくとも「顔バレ」「彼女バレ」騒動でリスナー含めエンターテイメントとして楽しめるものではなかったですし、「心がポッキリ折れた」と言う坂本さんの発言からしてもわかるように非常に疲れるものでした。
告訴、訴訟に関しても本当に被害を受けたのであれば法的手段をとるのは正しい判断でしょう。
しかし、「けものフレンズ」騒動でわかるように彼は「あまり良く知らない」炎上に対して、炎上に加担するような行為をし、それを嬉しそうに語ったのです。
「けものフレンズ騒動」の中では「坂本さん」が「けものフレンズ2」の味方になるような行為を行ったため炎上したと思っている方も多いと思いますが、今回の騒動で失望しているファンとしてはどちらの味方についたか、などは関係ないと思います。
この発言は「訴訟問題まで発展せざるを得なくなったほど自分たちを追い詰めてきた人達」と同じ行動なのではないでしょうか。
一連の騒動がきっかけで今までの彼の言動、行動にも違和感を持つようになりましたし、信じることができなくなりました。
そして度重なる炎上のなかで「坂本さん」が学ばないことを学びましたし、彼はこれから活動を続けていく限り同じ過ちを繰り返すと思います。私はそう感じました。
「坂本さんに何を求めているんだ」「坂本の発言の9割嘘なのに今更すぎる」「こんなのファンなら受け入れて当たり前だ」「勝手に期待して失望するな」
しかしインターネット上の人間のことなんて誰一人も理解できないように、「坂本さんは昔からこんな人だ」と言っている人達でさえ坂本さんのことを理解することはできませんし、誰もが「勝手な幻想」を信じているにすぎません。
「坂本さんの発言は9割嘘」だと言っている人でさえ、彼の発言を好きに取捨選択し信じているだけでしょう。
厳選が進められた視聴者のなかでは今はもう坂本さんを全部肯定するような人でなければ、ファンを続けられないというような雰囲気さえ漂っています。例えば「顔バレ」「彼女バレ」騒動で少しでも疑問を呈すれば「犯罪者乙、震えて眠れ」と言われるように。
あんなに楽しかったラジオもゲーム実況も今では空虚でおもしろいなんて思えなくなってしまいました。
私が信じていた「エンターテイメント」なんてその程度のものだったんです。
すこし違和感を持つと急に目が覚めて、楽しいとは思えなくなりました。それどころか炎上続きの中では苦痛のほうが大きかったです。
これが10年以上応援した「幕末志士というコンテンツ」の離れ時なのだと思います。
少しでも「幕末志士」というコンテンツ、また「幕末志士」以外のコンテンツに嵌ってる人達も含めてなのですが、
「今自分が好きなもの」に違和感を持ち、辛いと思うのであれば距離を取るべきだと思います。
私はファンならすべて肯定しなくてはならない、という考えは間違いだと思っています。
しかし改善が見られないと判断したのであればさっさと降りてしまおう、ということです。その表明って大事なんじゃないかと思います。
多分この世界にはもっと素敵な、自分たちを傷つけないコンテンツがたくさんあるはずです。残念ながら、私はまだみつけられていないのですが。
最後にですが「けものフレンズ騒動」が起きて個人的には良かったです。
けものフレンズのファンはじめとする、外部の人間が「おかしい」と言ってくれなければ永遠と目が覚めることが無かったでしょう。
色々なところで揶揄されていますがほとんど「宗教」に近いものだったと実感しています。
私はここで降りますが、
厳選に厳選を重ね、濃くなった信者達の中で、より快適な「幕末志士」が続いていくでしょう。
私は「幕末志士」が大好きでした。
いくつになっても、子供時代から変わらずゲームを続ける二人は私にとっての夢でした。
そんな夢にまで見た夢を実現させてくれる二人が大好きでした。
そのタイミングが私に取っては今だった。それだけです。
消費税が上がり景気は落ちた。
高景気だけで支持されていた安倍幕府の支持率はついに崩壊、時は一気に幕末へ。
幕府(自民党)内の改革派である一橋慶喜(小泉進次郎)に期待は集まり一度は将軍(首相)に就くも、結局、権益構造からは逃れられず根本的な改革は出来ない。
それに業を煮やした薩摩(大阪維新)は諸外国との貿易で得た富(IR、万博)を元に倒幕(政権奪取)を目指す。幕府との繋がりのあった島津斉彬(橋下徹)は亡くなり(政界引退)、その意思を継ぐ西郷、大久保(松井、吉村)だが幕府の抵抗は強い。
時を同じくして、攘夷派(左派)として力をつけた長州(自由党)の桂(山本太郎)も幕府からの弾圧の前に苦渋を舐めていた。
薩摩、長州、ともに既得権益打破では目指すところは一致していたが、それまでのわだかまり(右派左派イデオロギー)で手を組めない。
そこに目をつけた坂本龍馬(誰だ?)の仲介によって、ついに薩長同盟は成立し、倒幕(政権奪取)を果たした。
中でも幕末志士という2人組のゲーム実況者の動画、生放送が好きだった。
4半世紀一緒にいた親友同士の軽快な掛け合いと珍妙なエピソードに何度腹を抱えたかわからない。
動画を見ていると、ゲームをしている二人と一緒に笑っている気分になれた。
2019年2月23日の生放送で、幕末志士坂本が活動休止を宣言した。
休止理由かと思われた流出画像については別人だという言及のみで、度重なる炎上の結果心が折れたための休止宣言だった。
坂本休止中は西郷のみの放送、進行中の幕末志士関連コンテンツも凍結。
今まで水面下でのみ進行中だったコンテンツもなぜか放送に載せ、その休止を伝えていた。
報告だけで終わるかと思いきや、その後二人でスマブラSPをプレイして放送終了となった。
非常に混乱した。今もしている。
幕末志士坂本の顔写真や、彼女とされている人の情報には興味がない。
しかし、かといって昨日の放送の坂本の対応に納得できたかと言われればそれも違う。
心が折れてしまった為の活動休止とのことだったが、別人の顔写真が流失した今のタイミングでの休止は
「流出した写真が自分と認めた」という燃料をアンチに注ぐことにしかならないのではないか。
写真は別人だと否定し、写真の相手にも迷惑がかかるため流出をやめて欲しいと釘を刺した上で、
何事も無かったように活動を続けることが一番の火消しになるのではないか。
そんな考えが頭の中にある。
「坂本を信じて待とう」というファンもいるが、むしろ昨日の放送で信じることが難しくなってしまった。
一昨日まで信じていた坂本へ、今は説明をしてほしいという気持ちになっている。
幕末志士が好きだった。これからも好きでいたい気持ちもまだある。
坂本直通のアドレスも消すと語っていた為、義憤メールを送ることもできなくなった。
そして「ずっと待ってます!」というファンの態度に馴染めない自分がいる。
ずっと待っていたい思いと疑心暗鬼で引き裂かれそうな自分がいる。
信者になってしまう前に、アンチになってしまう前に、ファンとしての私の意見をここに残す。
私は幕末志士が好きだ。しかし、今回の騒動に対しての対応と昨日の放送は納得できない。
2018大河ドラマせごどん、大政奉還あたりから重要イベントを1話ごとにサクサクこなしてる感じだけど、このまま明治政府内の対立、鹿児島への帰還、西南戦争までサクサクやるのかな?
西南戦争で捕縛され上野まで連れてこられた西郷隆盛が銅像になるシーンは、NHKの日曜夜8時にはさすがに放送できないよね…
銅像になった西郷をみて、奥さんの糸さんが「違う。旦那様はこんな人じゃない」って言うあの感動のシーンは初回の最初に流れてるから、カプセルに入れられるところだけカットかな
近年の研究では、あれは炭素冷凍だった説もあるみたいだけど、炭素冷凍だとあのポーズは難しいから無理があると思うので、通説通りカプセルからのタールが正しいと思う
よく90年代の漫画で、前髪が「一旦上に上がって、数センチしたら急に下に垂れ下がってる」的なやつあるじゃん。その一旦上に上がってるところも書かれてるやつ。あれ「どんな髪型だよ」って思ってたんだけど、あれはどうなっているのかわかった。
おでこの形が絶壁でなく、白人っぽく出ていて途中でグルンってなっていて、そのグルンってなった後ろ側から髪が生えてるんだな。そこから生えれば髪が生える角度は上になり、あの生え際が丸見えの髪型も納得できる。それに対して、そのグルンってなってる部分よりも前から生えている人、例えば俺みたいなおでこ低い&狭い人は相当頑張らないとああは自然にはならないんだわ。別にアニメキャラのマネしたいわけじゃないけど、ああいう作画ってまーたわりと白人側に多い特徴だったことが分かり、西郷系ジャップ辛いわー隆盛顔辛いわー
西郷「おまはんのは小さくて足らん」
博物館は昨日もやさまでみたイタリアミラノのドゥオーモみたいな内装してて、もろにテレビの影響受けてる夢だった
仏像とか絵がたくさんあった
日本でよく見るようなのもあった
でもそれ以外の展示品が不気味だった
仏像っぽい絵・像なんだけど、肩から上がボウリングのピンみたいな形してて、細長い顔してる
普通にまっすぐ立ってる絵・像ならまだいいんだけど、
それが横向きに倒れたりしてるのもあって、どうも見てて不安になる感じだった
隣にいた妹に、これなんかおかしくない?不安になるんだけど・・・って言ったけど、
別にふつう・たいしたことないと言われたのでなんとなく不満に思った
岸は草原が30度くらいの角度で海?川?に接してて、結構角度は急だったけど、
TBSを家宅捜索 社員が女性に危険ドラッグかけた疑い 警視庁
http://www.sankei.com/affairs/news/170621/afr1706210035-n1.html
TBSテレビの50代の男性社員が女性の顔に液体をかけ、けがを負わせた疑いがあるとして、警視庁久松署が今月、傷害容疑で、TBSテレビや男性の自宅などを家宅捜索していたことが21日、捜査関係者への取材で分かった。久松署は男性に任意で事情を聴いており、容疑が固まり次第、書類送検する方針。
捜査関係者によると、男性社員はTBSテレビの海外事業部に勤務。今年4月、東京都中央区のホテルで30代女性に無理やり液体をかがせようとして顔にかかり、約1週間の炎症を負わせたとして、女性が久松署に相談していた。
https://mainichi.jp/articles/20170629/k00/00m/040/048000c
警視庁渋谷署は28日、タクシー運転手に暴行したとして、NHK制作局の40代の男性ディレクターを傷害容疑で書類送検した。NHKによると、ディレクターは来年放送の大河ドラマ「西郷(せご)どん」の演出を担当する予定だったが、担当から外した。
書類送検の容疑は、4月19日未明、東京都渋谷区でタクシーに乗ろうとした際、60代の男性運転手とトラブルになり、暴行を加えて腰を骨折するけがをさせた疑い。当時、酒を飲み酔っていたという。
NHKによると、ディレクターは「申し訳ないことをした」と話している。NHKは「運転手の方や関係者に深くおわびいたします。捜査の状況を踏まえ、厳正に対処します」とのコメントを出した。【屋代尚則、春増翔太】
これも匿名報道。別の報道ではタクシー運転手は全治3ヶ月の大怪我らしい。
マスコミの天下りを受け入れれば、重箱の隅を突くような報道はされないし、自分らの不祥事もお互いに忖度しあうんだから、素晴らしいね、マスコミって
原因・背景[編集]
1871年(明治4年)10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民(現在の台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落へ拉致された。
先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日、遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府は清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年(明治5年)琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。
開戦準備へ[編集]
宮古島民台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在のアメリカ合衆国総領事チャールズ・ルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人を懲罰するべきだ」と日本外務省に提唱した。
初代龍驤は台湾出兵の旗艦であり副島種臣と大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。
孟春(砲艦)は三本マスト・スクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。
外務卿の副島種臣はデロングを仲介しルジャンドルと会談、内務卿大久保利通もルジャンドルの意見に注目し、ルジャンドルは顧問として外務省に雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。
1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島民台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国の統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任を回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府は国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年(明治7年)4月、参議の大隈重信を台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。
明治六年政変における明治天皇の勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変で下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的に企画したのである。
台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に、参議木戸孝允らの長州系は征韓論を否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日、木戸は参議の辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。
水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]
国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日、三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日、台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日、谷干城と赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日、海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵一大隊砲兵一小隊の出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。
5月6日に台湾南部に上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日、台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷の命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域の風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリアは猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。
明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章、イギリスの駐日大使パークスは当初は日本の軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通が北京に赴いて清国政府と交渉した。大久保は、ルジャンドルとフランス人法学者ボアソナードを顧問として台湾問題を交渉し[7]、主たる交渉相手は総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった[1]。
日本と清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球に対し清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。
1879年(明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年(明治13年)の北京での交渉において、日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島の領有は望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。
また、明治政府は兵員輸送に英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便蒸汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱は政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。
日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人・軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。
1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省と海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医(大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省からは外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部の前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。