はてなキーワード: 神様とは
ネットで連載文が読める
石岡さんと咲さんの不妊治療がうまく行かない話というのはなんだか何回も読んでしまう
咲さんの気持ちにすごく共感するところもあるし、この考え方ヤバイんじゃないか?と思う部分もある
子供のときから「お母さんになりたい」と考える女の子は多くて、私は運良く子供を授かることができた
中絶を考えるくらい子供を必要としていない女性が簡単に妊娠して
子供がほしくてほしくてたまらないのに不妊治療に大金を使っても子供を授かれない女性もいる
「なぜ養子じゃダメなのか」「人間は一緒にいれば愛情が芽生えるから血の繋がりは関係ない」
そういう意見はある。わかる。
不妊治療をやって、どうしても授からなかったらそういう選択肢を取り、施設から子供を引き取る
里子なら早い段階でおっぱじめるのはわかるが、養子縁組という手段を最初からとる夫婦はそうそういないだろう。夫か妻か、最初から生殖能力がないとわかっていれば最初から養子縁組という選択をするかもしれないが
夫と自分(妻)の血の繋がった子供を産むことはものすごく誇らしく、快感で、かなり承認欲求?が満たされる
子供を産む前の女性も実子を産んだ快感や誇らしさを想像できるから、自分が母親になることに執着して、夫と子作りをするんだろうな
子供は産む前からものすごく欲しいと思うものなのに、子供を得ることができなかった咲さんの悲しみは半端なくて
どうしてあの女は妊娠できるのに私は妊娠できないんだと嫉妬すること
子育てをしながら夫が育児を手伝ってくれないと愚痴る母親に憎しみを抱くこと
咲さんの心の痛みはめちゃくちゃわかる。
私が共感できないのは咲さんの「私には良い母親になる才能があるんだ」と夫に言ってしまうことや
自分のメンタルが崩壊しててもSNSの友人の投稿にいいねを必死で押すところだ
親ガチャという言葉があるけれども、親にとっても出産はガチャだ
どんな子供が産まれるかもわからない。自分が絶対に良い母親になれると心のうちで考えるのは勝手だが他人に「私は絶対良い母親になれると思うんだよね~」と宣言できるレベルの自信過剰な親は毒親になる可能性が高いと考えてる。
もはや親が殺してやりたいと思わせる問題児な子供と色々なパターンがあり、
また、今までずっとSNSでずっと友達にいいねを押してきたからある日突然咲さんがいいねをしなくなったら、友達から咲さんが何かあったんだとうたがわれる。だから、泣きながらいいねを押し続けるというのは
お金ももらえるわけでもないのに、やりたくないことをやってどうする
SNSから離れる勇気もない。こんなにSNSに執着しているのは驚きだ。
咲さんは「自分で自分を幸せにする」のではなく、「子供に幸せにしてもらう」気持ちが満々だ
そりゃあ、出産や子作りは両親のエゴでやるものだ。親は親の人生を幸せにするために子供を産む
でも、親の人生の幸せは完全に子供に依存させるものじゃあないのだ
子供を立派に育て上げることで、子供を育てた私はすごい!誇らしい!と思うのは共感できるが、もしあなたの子供が幸せになっているなら親の努力だけじゃなく子供の力、子供の努力の結果なのだ。
だから、子供の功績はぜーんぶ自分のおかげ!と考える親はむちゃくちゃ気持ち悪いし
人間はそれぞれ、一人一人が舞台を持っててみんな主役なのだから
自己実現っていうのは子供という名の他人を使うものじゃなく、自分の力で自分自身を幸せにするものなんだ
完全に自分の幸せを子供に依存する気満々の咲さんが子供をもし授かっていたら毒親になっていた可能性がある
「良い母親になれるという自信がある」というのは「子供に自分の言うことをきかせて、子供を親の思いどおりにコントロールすることができる自信がある」というのと同義だろう。
そして、咲さんは子供が自分らしく生きられなくして、子供の人生を潰して、将来咲さんの子供が咲さんを恨んで復讐なりなんなりする可能性もあったかもしれない
神様は咲さんに子供による不幸がかかる可能性を完全に潰したのだから
子供に時間をかける必要がなくなって自分自身と向き合う時間がたっぷり手に入った
咲さんが実子を授かれなかったこと、そして、咲さんが養子縁組するという選択肢を持たなかったことは、不幸な子供が産まれる可能性を潰したという意味では幸運なことだったのだ
読む気がないのはわかるが読まないのなら書かない方がいいかもだぞ
反ワクチンはこまったなあという話を書いていて
そういうどこでも探せばでてくるどうでもいい話をするまでもないなって話して
じゃあ何を書いてるんだというと
反ワクチン派が
勉強熱心なら
そういうどこでも調べたらわかるデータと同じくらい
反ワクチン派にもデータあるんじゃね?(ないことは前提で皮肉で言ってる)
反ワクチン派「確証があるというものが絶対的に物理で存在しないと1%でもないことがあれば”ないとも言えるよね”」
と言い出すを「現代科学もその”ない”をできるだけ小さく追い込もうとデータで示してる」
っつー話よ
大丈夫か?
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うーん大丈夫か?
大丈夫というならばそれで良いのだけれども
まず根本的にどうして
書いたかというと
はずでしょ
その上でもし君が正しいというのなら
って言っていいの?
いいわけないよね?
(この部分は”君の正しさが認められていない結果”と君を分断して君の安全を確保しようとしているところだよ)
この文字校正が「煽り」に見えてこの文章に反論しなきゃって沸騰したならちょっとまってね
そういうことではないのだから
それをさらに理由としてもってきて「じゃあ反ワクチンが正しい証明になるよね」とか言い出すわけ
だから、君のそのプロセスではなく、違うアプローチで話してみたんだよ
先に書いたのは「反ワクチン派ってなんで日本語通じないんだろうね」ってことについて
「こういう形に日本語にしたら通じるんじゃね?」的1案をだしてみたわけ
繰り返しになるけど
「絶対正義の科学様の前には何事も否定しがたいだろwww」って言われても
を踏まえてって話
ワクチンあってたすかるねって現実をみても「騙されるな!」って言ってる人が現にいるってこと
整理すると
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ワクチン派
反ワクチン派
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がある
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ワクチン派
・打つと予防できる
・打つと症状を軽減できる
反ワクチン派
・打っても予防できない
・打っても症状を軽減できない
・というかむしろ害がでる
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そういう主張がある
まあ個人がする分にはかまわんと思う
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ワクチン派
・科学的(多重に可逆性のある前提条件を踏まえている)に根拠がある
反ワクチン派
・実際に(多重に可逆性のある(実はない)前提条件となる実例がある)に根拠がある
(”っていう人が実際にいたんだよ実際に”という話の実在の人がいなかったりする)
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まずここで確率が 例=100% かどうかが違ってくる
それを主体に反ワクチンは攻めてくるが科学的根拠の強みは「可逆性」
どうしてそうなったかを追跡してその次に活かす
この数字が大きければとりあえず安心というような層にそのダイレクトに数字で安心と説得してくる
「そんなの実際よく見て理解すればすぐわかる」とか放置するから
新聞広告で絶賛されてる詐欺まがいの不良品を通販で買う人が絶えない
後述にも書くけど「そういう単純なやつらはほっときゃいい」としていたら
集まって実際に金と人を集めて行動をし始めるから面倒なことになる
そしていま実際にそうなってる奴らが面倒を起こしているのは
その前の文書に戻るが「そんな奴らはほっときゃいい」で放置していた結果がそれ
非科学的は「成功例に沿う・失敗はない」という確率の数値が難解なところに付け込む
結局どっちみち最終的には「選択した二択」という個の事情に落とし込む
科学でいう総数重視で少数派は軽視されあなたも犠牲になるから助かる手段を選んでと言われる
群れから引きはがして孤立させて引き込む これはもう今更言うまでもなく洗脳のそれ
科学的というアプローチにおいてはその「失敗・不適合」もできるかぎり追跡して発見につとめてる
いまだに不明な結果はでるがでる度に追跡してる
それが個としての情報まで落とし込まれて配布されてたらみんな不安にならない
そのベールに包まれるというのは陰謀とすぐ反ワクチン派などに利用されるが
「それはあなたの個の情報を秘匿しているのと同じで守られている事だ」
というのを理解してもらわないと話がすすまない
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ワクチン派
・失敗例も母数に含む
反ワクチン派
・成功した話を聞いた(実在してない可能性も大きいがそれは置いておいて)
・その反対なんてすこし考えたらわかるはず
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非科学的なアプローチは「なんかしらんが直接的でない要因でそうなったかもしれない」という
個で対処を反転させ「個別の事象でなんかやばい」とし因果関係を切り離すことで主張を保護してる
「あの人は成功したのにね」「あの人とはちがうからしょうがない」という意味不明なケアがくる
その因果関係の分断から「因果に関係ないのならその因果を結びつける手段が別にある」と神様やら儀式やら奇跡の話になる可能性もある
「なんでそんな情報しってるの」というベールに包まれていない事や個人の情報が詳らかにされていることに疑問が起きない
M資金のときからかわらんのかもしれん それくらいに「そういう人がいたらしい」の言葉の破壊力は強いのかもしれん
なにが問題かというと
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ワクチン派
・実際に行動して結果を求めてる
・実際の行動には金と人が必要
・国などがそれを支えてる
反ワクチン派
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問題の起因となる擦過はこの「資金が必要」と「必要でない」の落差から発生させることなわけで
なんでしなきゃいいだけなのに広めて募ってくるのかっていうと
しなきゃいい人集団とかSNSかなにかで集まっておけばいいものだけど
そうではなく金をかけてまで参加して動員されなければと思わせる動機が必要で
そのために
といった情報を練りこんでくるところ
反ワクチン派に反論できないワクチン派ってそんな簡単に「勉強熱心だから論破されちゃうよね」って
その生真面目にデータをいっぱい出してきてほら正論っていうもののほかにアプローチの仕方があるんじゃね
という話よ
男「そう、ペンギン。」
女「ペンギン...」
男「なんか小さくて、人の名前みたいだった気がする。」
日照りペンギン
私の住んでいる村ではその昔、ひどい旱魃に見舞われたことがあり、梅雨になっても雨は降らず、夏になっても稲穂に実は入らず、秋になっても年貢はおろか自らが食べる分さえ収穫できないという有様で、このままでは冬にみな飢え死にするしかないと嘆いていました。
窮した村人たちがある日、海の神様に祈りを捧げたところ、海からそれは大きなペンギンが現れ、口からイルカほどもある大きな魚を吐き出しました。
村人たちは喜んでその魚を食べ、飢えた体を一息つかせることができたのでした。
それからペンギンは毎日村へやってきては、サメ、マグロ、カツオ、エビ、カキなど、考える限りの海の幸を吐き出して村人たちの腹を満たしました。
それは次の年の春に裏作の小麦が収穫できるまで続いたそうです。
飢饉が終わり、村人たちがようやく魚以外のものを口に出来るようになった頃、人々はあれだけ大きかったペンギンが一匹の普通のペンギンに戻っていることに気がつきました。
自分の身体を顧みずに助けてくれたペンギンの頑張りに、涙を流さない者はいませんでした。
最後の日、ペンギンは小さなイワシを一匹だけ吐き出すとヨチヨチと海へ帰っていきました。
別れを偲んだ村人たちも浜辺へ駆け寄り、膝まで海に浸かりながら両腕を天に掲げ、いつまでもいつまでも振り続けました。
時は流れ、食べ物に困ることのなくなった現代ではペンギンに助けられることも無くなりましたが、今でも村ではその恩を決して忘れず、春になるとペンギンが帰った浜へ行き、祈りながら海に魚を投げ入れるそうです。
男「あっ、それだ!」
sims3で感動してsporeで大ファンになって
sim5報告にワクワクしてて
でももう昔のEAでsims1~3とかspore作った人達いないなら・・・
あああああああ!!!!!大好きなゲームがああああああああああ!!!!!!!
ワーネバだってモバイル化してクッソつまんねええええええええ!!!!!!!;;
sims4だってPS4?PS5の連中にいいいいいいいいいいいいいいい考慮してクソグラでDLC形式ふんがああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!
PCねーなら貯金して10万そこらのデスクトップ買ってMOD入れて楽しめよおおおおおおおおおおおおおおおおおらああああああああああああ!!!!!!!!!
ああああああああああああああああ!!!!!!!!!質の良いシュミレーションゲームくれえええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう現実から逃げたいからマジで!!!!!simsやワーネバみたいなソロmmoみたいなゲーム・・・はぁはぁ・・・・・!!!!
いつまで何年前のゲームで遊び続けなきゃいけないんじゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!
最近のゲーム殆ど持ってて任天堂もソニーもSteamは1000個持っててもクソゲーばっかでたのしくねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ソシャゲもつまんねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!
ああ・・・神様・・・早くThe Elder Scrollsの新作と・・・・Sim5と・・・ワーネバ・・・・(ワーネバはオワコン臭するしいいや・・・)を・・・・・下さい・・・・!!!!!!!!!!!!!!!!!
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
つまんねええゲームばっか増やすなボケええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
社会におけるメリットが全て「それって貴方の感想ですよね」であることは棚に上げておく。
わざわざめんどくさい繁殖方法になってるのは組み合わせでバグらせて多様性というか人間種の幅を広くすることで環境の変化について行けるようにするためだから、精子が量だけあっても組み合わせが激減するから意味ないしIPSやクローンはそれ以下。
AIでも神様でも人類の英知でもいいけど環境の変化を読み切って遺伝子変化とかで対応できるなら無性生殖で良いから男も女も無し、というか老化生殖無しの超現状維持が最強。
たとえば未開社会に20人くらいの村があって全員で芋か蕎麦かまあそんな作物を作って暮らしてたとする。
この村の20人っていう人口は、生産される食料による上限で長い間ずっとその人数付近で推移してきた。
この村においては貨幣もないし貧富もない。食料を頭割りすればもうそれで余剰はなくなるので、シンプルなものだ。食料の量=人口であるということは、余剰が一切なくていつでもギリギリであり、餓死と隣り合わせだということを意味するからだ。
こういう社会を原始共産主義なんて呼ぶ。別に思想があるわけじゃなく、それ以外の社会運営の方法がないだけって話だけど。
この社会においては、たとえば、みんなの共有財産であるところの食料備蓄を、どっかのアホタレがひとりでむしゃむしゃ食べちゃうことは、ただ浪費であるばかりじゃなくて、かなり重い罪だ。なんせ備蓄食料=みんなの命のリソースなわけだから、村の他のメンバーを殺しにかかってるわけであるからして。そりゃみんな激おこっすわ。
ところで現代本邦、コロナ日本の医療リソースや経済やら社会リソースの実態は、どんなものなんだろう?
マスコミによればもう医療崩壊真っ最中で、リソースは枯渇しているらしい。もしそれが真であるならば、リソースをむしゃむしゃしちゃったあほたれは社会に対する攻撃者であり、他の社会参加者を殺しにかかってるわけだから、暴力の巷まったなしだ。
増田で見られるフェス参加者やBBQ参加者への嫌悪は多分背景に上記の考えがあるんじゃなかろうか。ようするに「アイツラはリソース攻撃で俺を殺そうとしてる」みたいな。
でも、個人的にはそう思わない。マスコミは彼らの商売の特性上、エキセントリックで悲観的なことしか言わないわけで、彼らがいうほど日本のリソース(医療のリソースに限定しない)が尽きてるとは思わない。というか、少数者が遊びに出かけて日本人口の数万分の1が病床に入るよりも、マスコミの日本限界キャンペーンのほうが害が大きい気がしてる。
リソースの本当の残余状況を知りたい。感情論じゃなく。たぶん、本当の本当のところは日本政府もわかってないんだと思う。神様じゃねーので。たとえば業種別の倒産状況とか貯金もリソースだろうし、学生の感情的なストレス許容量もリソースだろうし、いっちゃえばまちなかの治安状況も、自治体職員の過労状況もリソースなんだろう。
注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています。
『アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭の意図を察してくれるに違いない。
これを呟いたのが、学生生活の記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるかに若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら。
多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットがスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。
おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。
はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。
「現実の世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメに勝手に情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。
「ロボットがスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語の主人公はロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットのスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツの試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。
だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品の本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信が十三話で終わったからである。)
作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属の身体にはギアが埋め込まれ、コードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースにデザインされているが、人間そっくりのアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間と比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップに唖然とするほど)かなり、でかい。
それでありながら、彼らには意思と感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイドと人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。
そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーはロボットでありながら、チームと「契約」関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだ。アイアンリーガーは金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。
そうしたロボットとロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別の説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。
そして、人間と人間の関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。
そのあまりのギャップは作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレスに意思疎通しながら共存する世界観は、絵本のおとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。
僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー』特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。
だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間とロボットのボーダーレスな世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である。
『アイアンリーガー』における人間とロボットの関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間とロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間とロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。
もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間とロボットの交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンとオーナーの話などは、それがメインテーマだ。
だが、そこで描かれているのは「人間とロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケンの交流、つまり個人対個人の交流だ。
人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイド(ロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分の意思や感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間とロボットの交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである。
しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンとオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。
第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカーや野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである。
ロボットたちは、人間と同じ意思と感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品」であるという事実が、スポーツの試合の影で徐々に明らかになっていくのである。
彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間に役割を与えられ、それに相応しいように設計・プログラムされて生み出される。
その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間とロボットがボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガーの世界観を大きく覆す。
なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく