はてなキーワード: 理解力とは
「男の生き辛さとはなにか?」
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「彼女をもてないと一人前と見なされないのは男社会の都合じゃん」
というのが(正誤はともかくとして)相手側の主張でしょう?
いろいろなベクトルがある。
その中でも、才能無いくせいに有能や優秀と言われ、それなりのポジションを取れる人間の苦悩を紹介する。
1、どこでもNo.2
発言力があり採用されそうな案を見つけることが出来る。言い換えれば、「答え」に決まる流れを見極めることができる。その「答え」に乗っかり、広げ、自分の立場を確立することができる。だから、あたかも理解力のある有能社員を演じることは出来るが、0から1を産み出すことが出来ないことに壁を感じる。その壁に無能感を感じる。
大抵の人間は天才と言われることはない。有能と言われる奴らもそう。誉められる割には天才とは言われない。だが、なにをやっても割とできる。だから、自分は天才なのではと思い、何かに挑戦してみては反響を得られず無能感に苛まれる。
3、全力を出すことに抵抗がある
出来ないことに直面してしまうと今までの自信が揺らぐ。無意識にしろ意識的にしろ、出来ることの中で物事を決定しそれなりの結果を出す。上手く行かなくても言い訳を残すことができて自我を保てる。
4、上手くいかないことを周りのせいにしがち
中途半端に成功経験がありプライドもあるから、自分に責任が有ることでも周りの見る目が無かったりタイミングの問題だったと結論付けがち。でも、やっぱり自分が凡才だからと冷静に見つめ直す事もできるから、そのギャップに鬱になる。
5、やればできると言う言葉に左右されがち
大抵のことはやればできると思ってる。でも天才は、やらなくてもできる力を持ってることを知っている。その差が埋まらないことに無力感を感じずにはいられない。
https://digital.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html
このニュース、話題になっているけど、「アラビックヤマト」のインパクトの大きさから「フェイク」じゃねーかと思う人も多いと思う。
そうじゃないんだよという理由は下のリンクのものがだいたい説明している。ちゃんと取材しているということなんだよね。どうでもいいことで、需要ないかもだけど、報道関係者として補足説明しておくわ。
http://blog.mobilehackerz.jp/2019/05/blog-post.html
東大などの国公立大や有名私学レベルなんかみんなやっていることなんだけど、プレスリリースを作る際に「縛り」をつけることが多い。
この「縛り」、業界用語なんだけど、情報の解禁日時を指す。このサイト http://news.ceek.jp/search.cgi?q=%C2%A4%B7%EC&way= なんかで検索すると、30日の午前2時の日経の記事がネット上だと一番早く、その後各報道機関が報じている。
全くこの報道には関わっていないので、完全な推測だが、おそらく「30日朝刊から解禁」という条件で、事前にプレスリリースを報道機関に提供している。
なんで事前に提供するのかというと、大きく正確に書いてほしいからだ。例えば解禁日当日にいきなり発表だと、取材する側もなるべく努力はするが、十分な取材もできず、あいまいな理解のままで原稿を書くことがある(テレビも新聞も1日に締め切りが何回もあるので本当に大変)。
そこで発表する側はいい加減なことを書いてもらわれては困るので、解禁日のルールを受け入れてくれる代わりに事前にじっくり取材していいよってことをする。
特に大学の研究なんていう一見素人にわからないものなんかはその傾向が大きい。後は企業や官公庁の発表でもよくある。
最も簡単にできるものではなくて、報道機関側(だいたい記者クラブ)との相談で決まっているけどね。
で、横一線でよーいドンってなった時、力が出るのは、理解力の深さと「面白がり」なんだよね。
「面白がり」ってのは、また業界用語で概念的な話なんだけど、平べったく言えば「視聴者や読者が『へぇー』や『面白いな』『興味がわいた』と思えるように視点を持って取材したり、原稿を書いたりすること」かな。
今回のケースで言えば、そもそも研究自体もすごいことで「へぇー」って思えることなんだけど、おそらく一番面白いのはアラビックヤマトも使えたということじゃないかな。
報道を見る限り、それに一番早く着目したのは朝日の記事。おそらく記者が研究者に取材して説明を受けている最中に「PVAって何ですか」「あー、市販ノリで使われているものですか」「ところでなんですが、もしかして市販ノリでも試しました?」って感じで取材した結果だと思う。
TOEICで100点をとるのは、なかなか難しいことだと思う。
まあ普通の人ならおそらくそこまで点数に拘ることはないだろう。
巷でTOEICで何点アップ!とか何点取る方法、はたくさんあるのに100点取るコツは検索しても見つからない。
なのでここに、そのコツを書いていきたいと思う。
TOEICは200問、990点満点であるが、そのスコアは単純な足し合わせではない。
問題の正答率や難易度といった統計的な要素が大きく関与してくる。
そうやって処理を行われ、補正がかかった値が我々のところにスコアとして帰ってくるわけだ。
これで大体50点くらいはズレが生じると言われている。(あくまで得点計算法や換算法は外部公開していないので推測なのである)
これがTOEICで100点を取る上で非常にネックとなってくるのだ。
なにせ狙った点数をとるには、補正まで考えないといけないのだから。
では、我々には手の施しようがないのかといえば、そういう訳でもない。
すなわち、新傾向からある程度時間の経過した今がチャンスだと考えられる。
そもそも新傾向は、問題内容を一新し全体的な難化を図る意図で行われたものである。
新旧傾向の過渡期では、スコア平均が落ちた諸兄も多いであろう。
しかしあれから数年が経過し、受験者も相応に慣れてきたことであろう。
そういった今こそが、100点を取る上で良い環境になっている。
次にスコア帯の話をしよう。
先程補正の話をしたが、これは中上位においてばらつきが最も大きくなる。
逆にいえば、最下層と最上位はその影響がある程度少なくて済むのである。
そのため単科目よりも両科目での合計の方が100点をとりやすい。
次に科目ごとの特徴であるが、特にリスニングは下位補正値がかかりやすい。
得点平均がリスニング>>リーディングとなりやすいことからもそれは推測できるだろう。
理想としてはリスニング10〜20、リーディング80〜90のバランスだろうか。
博士でもあればまだマシであるが、公私・文理ごた混ぜで大学生が参入してくると、補正も乱高下しやすい。
そのため、12〜3月はあまり100点を取るのに適さない。個人的には6,7月をお勧めする。
とは言っても完全に読みきれないだろうから、この項目は補助的に聞き流してほしい。
例えば問題順。問1と問96なら、難易度はともかく問96の方が正答率は低い傾向にある。
何故か? そこまで辿り着くまでにタイムアップとなる受験者がいるためだ。
そのため、スコアとしては後ろの問題に手をつけるのは博打である。
定石としては前半部の問いを10〜20問見繕い、そこから問いていくのがスタンダードな手法だろう。
また、引っ掛け問題、複雑な構造になっている問題もなるべく解かない方が良い。
そういった問題の正答率を読み、それのみを選別して解けるようになれば大したものである。
ここまで下準備をしてきたが、そもそも問題を間違えてしまっては意味がない。
ただでさえ補正が存在しているのに、それ以上の不安要素を抱えたまま100点を目指すのは至難の業である。
とはいえ前半の問題はある程度楽ではあるので、そこまで高い理解力は必要ないかもしれない。
常にTOEIC850〜900点をとれる程度の英語力があれば十分であろう。
ここまで長々と書いてしまったが、ここに書いてあることを実践すればTOEICで100点を取ることは容易であろう。
また機会があれば紹介したい。
ぜひ諸兄も、肩肘張らずに挑戦してみてほしい。
健闘を祈る。
100点を狙うのに必要な正答数が示されていないとの意見を賜りました。
それに際して記事を書きましたので、今更ではありますが、リンク貼付の形で追加させていただきます。
https://anond.hatelabo.jp/20190527202425
また、本記事にてしれっと「TOEICで100点を取ることは容易であろう。」と記述しましたが、実際にはそこまで容易にはなりません。
達成可能性1%が、運以外の要素を排除した結果上昇する程度にすぎません。
良くて4,5回に1回100点を取れれば良い方でしょう。
誤解を招くような記載をしてしまいましたので、追記にて謝らせていただきます。
誠に申し訳ございませんでした。
久々にこっちで雑感。
ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。
いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格を描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスがたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。
本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭な性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるから分からなくもない。そういった経験から来る嫌悪感は普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。
安易な善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやすい悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合、言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。
「好きって感情はいいけど、嫌いって感情はダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画が打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画の顛末を踏まえた場合、逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフを安易に引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。
で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化しちゃうんだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなものを他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。
好きという感情を肯定する以上、嫌いという感情も肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定や否定は個人の感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間の本能だしね。だから私だって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いそのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。
そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚。
例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。
その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャル・アジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスをゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解な人間。「社会正義だから」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理が破綻してしまう。
とはいえ、そういった指摘をフィクションの世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我が袋小路に入ってしまうこともあるから、ちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範と一般社会の規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲームは本質から遠ざかっている。
そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定の作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分のツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画はもっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。
買い物しようと街まで出かけたが
Amazonでの販売価格よりも店頭価格が安かった場合には購入を考えている商品を見に、街まで出かけたが、
Amazonでの販売価格は12,158円、店頭での販売価格は10,980円+税で合計11,858円。
店独自のポイントシステムも含めると、これは店頭が断然お得と判断したので購入を決意する。
財布を忘れて
程なくして財布を自宅に忘れていることに気付く。
普段はカバンに入れっぱなしなのに、昨日自宅でネットショッピングをする際、クレジットカードのセキュリティコードを確認するためにたまたまカバンから出し、その後机に放置してしまったらしい。
すぐ片付けておけばと後悔。そして少しの間絶望していたが、ふと、数ヶ月前キャンペーンに乗じてPaypayで1度だけ決済をしたことを思い出す。
最近やたらと電池の減りが早いが、肌身離さず持ち歩いているスマホが役に立つ場面が来た。
久々にアプリを立ち上げると残高は884円。
操作感を思い出しながら、登録した口座から決済に必要な11,000円のチャージを試みるも、「現在ご利用を制限しております」との文字が。
もう一回試みる。ダメ。額を変えてもう一回やってみる。またダメ。いくらやってもチャージができない。
愉快なサザエさん
財布を忘れるというミスを犯した後せっかくリカバリーの策をひらめいたのに、思い通りにいかない。平静を装うが心中はこの上なく不愉快なサザエさん。
みんなが笑ってる 子犬も笑ってる
腹の虫が収まらず、電子決済システムの使い辛さに対する不満をSNSでぶちまけた。しかし、同情の声も一部では上がったものの自業自得、理解力不足の声が相次ぎ、みんなの笑い者となる。
ルルルルルル 今日もいい天気
今日はいい天気だと思っていたが不幸は重なり、帰り際に数十年に一度のゲリラ豪雨に遭遇。
しかし度重なる不幸への対処で、生命線であるスマホの充電を使い果たしていた。今日に限ってモバイルバッテリーも持っていない。
交差点を見渡せば、水しぶきを上げながら通行する車にスマホのカメラが向けられている。
今となってはPayPayのわずかな残高を使ってカフェで雨宿りすることも、雨雲レーダーを確認することも叶わず、ただただ真っ黒な積乱雲が通り過ぎるのを待つしか無いのであった。
ただの吐き捨て。
自社サイトや、転職サイトへ記載されている文面を見る限り未経験でスキルがない人間も雇ってもらえるようだった。
そう思っていたのだが、いや、全部私の話し方とか、伝え方とか、というか私のこれまでやってきたことが何もかもがクズだから、だから何か、ボロクソ言われた。
業績を数字で言えと言われても、クリーニングという斜陽業界でははっきり言って数字が出せるような仕事はできない。
やりたいと思っていたことならずっと前からやっている、最もな意見だ。
私はクズだから、高校の時は勉強も全くできず、何もかもが駄目だった。
ただ、最近やっと勉強というものがどうすればできるのかを知った。だから、勉強している。
それでも、まあそりゃあ、そう言われるよね。
結局どの角度から見ても、今更やったってクズはクズなんだから。
高卒23歳で何か新しいことを始めるのはかなり遅いし普通じゃないらしい。
正直ネットではそんな意見見たことなかったので、私は甘い考えだったんだなって思った。
私は他人よりいつも遅れている。
早生まれなのが原因だろうか?
いや、原因なんて結果のもとには何も意味がない。
物事の理解力がついたのは、ここ数年だと感じている。普通の人はもっとずっと早く覚えられることを私は、いつもずっと遅く覚える。
足は幼稚園の頃から誰よりも遅いし、算数の時点で数字に躓いたし、なんかもうクソだ。絵が好きで、それが得意でなければもうとっくに色んな意味で死んでただろう。
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・内部の情シス的な人たちは、4/1からの新入りやら異動やらの対応で大変そう。
・紙の資料が多い
・優秀っぽい人が多い。情報処理能力が高い。理解力高い。早口。こっちが言葉足らずでも意図の理解、咀嚼、反応がはやい。
・チャットツールとかクラウドとかグループウェアとか使いたい。メールが飛び交いまくる。
・ミーティング多い。一日に一回ぐらいある。急に決まる。
・決裁めんどくさい。よくわかんない。
・優秀な人は多いのだろうが、仕事の構造、システムが悪い、古い感じがする。
・役職が多くてよくわかんない。
・街宣車や、省庁の前で拡声器で叫んでいる人がほぼ毎日いる。うるさい。こんな状況で仕事…。
・19時過ぎても相当の人が残ってる。ワークライフバランスとは…?
・中堅どころの人で「染まりたくない」と、色々取り入れようと頑張っている人もいる。報われてほしい。
・割と女性多い。みんなおされ。
・国会当番というのが大変そう。
・みんなちゃんと仕事してくれる。前の職場は仕事しない、したがらない、報告しない、押し付ける、あからさまに不機嫌を撒き散らす、などが平常だったので、人間性という意味では数段上に来た感じがする。
・しかし、こんな優秀な人たちが多いのに、組織やシステムとして機能してない、うまく回ってない、やたら手続きが多い、といった感じ。
・文書主義は、戦争の反省から組織としての暴走を防ぐために生まれたんだろうか。
・農水省の食堂はメニューに食料自給率が書いてあって面白い。職員以外の一般人も入れる食堂があるので、契約終わったあとも気が向いたら食べに行こうかな。
・ここにこんな経費はいらないよね?税金なんだから無駄にはできない、というマインドは良いが、細かな削減、枝葉末節の話が多く、そもそも大きな枠組みでそれはどうなの?と思うこともある。
・経済波及効果や文化波及効果といった意味では、やっぱ有用なのかなあ。
などなど。
凡人なりにがんばるよ。
https://togetter.com/li/1338540
これね。
けもフレ2好きって言うやつがいたとして、そいつは1期のこと知らないんだと考える。
1期見た上で言ってるならそいつの理解力、読解力のなさを疑う。
頭の悪いやつはいくらでもいるし相手にするだけ無駄なので無視する。
矢口が鼻につくのと一緒。
頭が悪く教養もない格下がイキってるのが滑稽で鼻につくからマウント取られてるだけ。
マウント取られたくなかったら事情を理解しているし教養もあるというところを見せて、相手する価値があるというレベルに達しないとダメ。
その上で自説を納得させるだけの説得力を伴う主張ならば叩かれないよ。
叩かれてきた人らはこの内どれかかすべてが足りなかった。