はてなキーワード: 独り言とは
これは親への遠慮なのかという独り言。
電気代かかりそうだから冷房やめとこうとか(実家で暮らしてるけど月に幾らかは入れてる)自分が欲しくてケーキ買ってきたけど家族が選ばなかったやつにしようとか、この番組見てても私以外に楽しいと思う人が家族にいないから見るのやめとこうとか。
ここ最近、特によく海賊版ガレージキットについてのツイートを見かけたので、この問題について思ったことを自分の咀嚼用にまとめようと思う。
○○○○○
→版権許諾を得て販売しているガレージキットの海賊版が流通することにより、そもそも今後の版権許諾が得られなくなる可能性がある。
※
海賊版が流通してしまうことで、版元が当日版権をおろしてくれなくなるのではないか?
通常、版権ガレージキットをワンフェス等のガレージキットイベントで販売する場合は、当日版権制度というものを利用する。
(この制度を利用すると、イベント当日に限ってディーラーは製作したガレージキットを版元公式の商品として販売することができる)
これはあくまで出版社等の版権元の厚意で成り立っている制度なので、版権元が許諾をしなくなればそれでおしまいだ。
個人がガレージキットを売る場合、量産にかかる金銭的負担が大きく、一般的に販売個数は10〜100ぐらいのディーラーが多い印象。
これは企業が企画する商品の販売規模とは比べ物にならないほど微々たる個数のため、版権許諾時に版権元へ数%のロイヤリティを支払う場合でも、版権元にしてみれば金銭的な利益はほぼないといって差し支えない。
つまり、さして利益があるわけでもない当日版権にもかかわらず、版権元は手間をかけてガレージキットの販売を許諾をしてくれているのだ。
こうした版権元の温情、厚意のもと成立っているのが当日版権制度。
そんな制度を利用して販売されたガレージキットの海賊版がわんさか…となれば、版権元にしてみればマイナスしかない。
じゃあそもそも版権許諾するのをやめる!と言われても仕方がない。
海賊版を買うことは、先人たちが作り上げたこの素晴らしい制度とガレージキット文化を危険に晒すことに他ならないのだ。
→原型師にも著作権はあるが、訴えるには金銭的被害もなく主張として弱い。
※
キャラクターの版権は企業のものだが、キャラクターものであっても、ガレージキットに対しては原型師にも著作権がある。
これは同人誌(こちらは正規の許諾を得ているわけではないが)の無断アップロード問題でも度々言われているので例にする。
ex.キャラクターの著作権は持っていないが、二次創作であっても同人誌自体は著者の創作物なので、著者は著作権を主張できる
が、権利の侵害を主張したとして、実際に金銭的な被害があるかというと、被害を受けていると証明できる要素に乏しいのが実態。
販売数量が少なく、人気のガレージキットはほぼイベントで完売。
コスト的に生産数には限界があり、版権元の数量制限がある場合も存在する。
つまりは、ディーラーが販売できる数は限られていて、それを売り切っている以上は「売れるはずだったものが売れなくなった」=海賊版と競合することによって売り上げが下がって、金銭的に被害を受けた!
とは言い難いのだ。
自分が何十時間何百時間とかけて、丹精込めて作ったものが勝手に複製され、さらに海外の見ず知らずの人間の金儲けに使われているとなれば間違いなく原型師は不快だろう。
苦労して作ってイベントで売っても、製作にかかった自分の人件費は到底回収できない場合がほとんどでも、ガレージキットの販売を通して趣味を分かち合うことを良しとして皆製作に励んでいるのだ。
でも、権利の侵害をされていることには違いなくても、具体的な被害がないから訴えることも難しい。
(版権元の方がキャラクターの権利侵害で訴えられる分訴えやすいかもしれないが、おそらく割りに合わないし難しい。
版権許諾をやめて、そもそもガレージキットを生み出さないようにするほうがよほど現実的。)
国内ならまだしも、海外のサイトの場合は海賊版は常にいたちごっこで、漫画村的なサイト同様撲滅は難しいのだ。
結局のところ、ガレージキット愛好家のモラルに訴えかけるしかないのが現実だ。
→正規品が買えないんだからからしょうがない!という主張の層は、法律でなんとかできない限りまず改心しない。
※
海外だと正規品のガレージキットは手に入らないから仕方ない!という主張があると聞く。
そもそも版権ガレージキットは海外に向けた製品ではなく国内向けなので、そこで憤るのはお門違いなのだが、こうした考えの人がいる限り海賊版はなくならないだろう。
繰り返しになるが、法律で海賊版を規制するのが難しい以上、ユーザーのモラルに訴えるしか道はない。
海外のガレージキット愛好家にも正規品しか買わない人もいるだろうし、一緒くたに言ってはいけないとも思う。
あとは、海賊版と知らずに購入している人もいるだろうから、情報発信することは大事なのだろう。
ただ、知らずに購入している人やモラルのある愛好家以外の、買えないんだからしょうがない!という人たちはおそらくどうにもならない。
人を殺しちゃいけません!を理解できない人のために、殺人罪という罰つきの法律があるのと一緒だ。
取り締まれる法律がない(効力がない)となれば、モラルのない層はどうにもならない。
だから、Twitterで怒っても、そう言う人たちは多分ほとんど見てないし、興味もない。
そういうのを見てるほとんどの人は、国内国外問わずきちんとモラルのある愛好家だと思う。
そんなわけだから、Twitterで海賊版へのヘイトをつぶやくのは、ちゃんとした人たちが見て憂鬱になるだけなのでは…と感じたりする。
綺麗事かもしれないけど、それだったらそのパワーを創作にのせて、ちゃんとしている人たちとガレージキット文化を楽しむことに充ててほしい。
見つけた報告もいりません。
できる限り再販するし、オリジナルも版権物も色々作るからみんな楽しんで作ってね!
こういう姿勢が一貫しているのもあって、人気があるんだろうなと思う。
海賊版に怒ったって暖簾に腕押し、まともな人がその話題にうんざりするだけ、という諦めもまた大事なのかなと。
もちろん、海賊版の不買を訴えることも大切だし、サイトとか作ってきちんと活動すれば一定の効果はあるかもしれない。
そういうことをできる人はすごいとも思う。
ただ、金銭的な被害を被っているわけではないし、ある程度割り切る方が気持ちとして楽な部分もあるんじゃないだろうか。
○○○○○○
結局、
海賊版を買うのは圧倒的にモラルに欠けた、変なふうにヒケちゃったキットを喜んで組み立てる、見る目のない可哀想な人だなー
そんな人に数限りあるハイクオリティな正規品ガレージキットなんてもったいないわー
と思って、そっと見なかったことにするのが一番なんじゃないかなぁと思う今日この頃。
怒る(不快)という感情は自分の精神も痛めつけてしまうから、そんなモラルのない人たちのために、大切な自分の精神を傷つけないでほしいと思う。
そんな呟きよりも、僕は皆の原型とか、彩色がいっぱい見たいです。
本誌をリアタイで追っていた時から話に違和感を覚え始めた、サッポロビール工場編が本格始動する。
ビール工場編で一番特に何を成し遂げたわけでもやらかしてしまったわけでもないヴァシリが表紙。
2巻のレタラとアシリパツーショット表紙を思い出させる、幻想的な雰囲気を漂わせる良い表紙に思う。
肝心の中身については、当時覚えた違和感と加筆修正部分と最新話までの物語との整合性について感じたことを書く。
ころころ視点が変わるビール工場編にのっとり、自分の感想もしょっちゅう行ったり来たりする。
最新話まで読んでから改めて読むと、ビールの洪水とかのギャグがとても懐かしくあの頃には戻れないのか…と思った。
菊田とアシリパの問答が、菊田が死んだ今読んでまた違った気持ちになった。
アシリパの使命感の強さと、身近な人の死を極力減らしてやりたい菊田の違いがよくわかる。
ここの問答の完全上位互換が、教会での鶴見アシリパソフィアだと思うとやはり菊田は価値観が普通の人すぎる。
武器もなく縛られアチャを悪し様に言われまくり金塊はアイヌの持つものじゃないとルーツを持ち出して屁理屈を言われても折れなかったアシリパの心を、ソフィアの殺害未遂でようやく少し折ることができたと思うと…
土方勢に追い詰められて「どうしヨう」と焦るジャックザリッパーは、以前から本誌と単行本で全くキャラが異なる。
もうあまり覚えていないけれど、ヤンジャン連載のジャックはアシリパと対面するまでは、娼婦に対するコンバンハと鼻歌くらいしか喋っていなくて何を考えてるのかわからず不気味だったのが、
単行本では、子どものような片言日本語の独り言をしょっちゅう言い冷や汗も垂らしまくる。
なんでジャックはここまで本誌と単行本でキャラが違うんだろう。
この巻の宇佐美の屈強さは非常にいいと思う。パオパオ対決は引いたので、こういう暴力のやりあいを待っていた。
急に気づいたけど、だいぶ前の話で杉元と牛山がときめいた「植物を根っこからとろうと失敗したけど成功したら恋人が迎えに来てくれた(うろ覚え)」アイヌの言い伝えの男女のシルエットって、ウイルクとリラッテだったんだね。
ジャックの顎をヒットさせたアシリパのコマは、単行本で読むとなんか味気なかった。
本誌の時はもっと勢いがあり面白かったような気がしたんだけどな。あおり文が無いから勢い不足に感じたのかもしれない。
毒矢で殺そうとする自分に恐怖するアシリパを庇うように登場した杉元。
26巻の加筆でおそらく最初の加筆盛シーン。
「誰から生まれたかよりも 何のために生きるかだろうが」本誌の時から杉元ってこういうことを言うキャラだっけ?と思ったけど、ここからの加筆には驚いた。
杉元のバーサーカーシーンは今までたくさんあった(偽アイヌ村やら樺太逃走やら)けど
即死させる殺し方ではなく嬲り殺しにしてるシーンはなかったんじゃないだろうか。
これ見て冷や汗ひとつかかないアシリパも10代半ばにして強い。
尾形は流氷でアシリパに右目を射られたからこそ生き残ったんだなと思った。
尾形があそこでアシリパに右目射られずにいたら、多分杉元からジャックに対する攻撃と同じくらいのものを喰らって殺されてたよな。
尾形の悪運の強さを感じる。
ジャックは殺人鬼なので殺すなとは全く思わないけど、ここまで嬲り殺しにする必要はあったのだろうか。
単行本作業してるころの連載が動きが無い絵ばかりだったから、作者がここで発散したのだろうかというくらいの熱量だった。
外国人キャラなのに鼻歌以外ずっと日本語だし、作者がジャックザリッパーというキャラに興味が無いのが丸出しでもったいなかった。
作者がロシア語とアイヌ語には興味があるけど、イギリス英語には興味がないのか。
せっかく現実世界のキャラモチーフなんだからただのサンドバッグ扱いでなく、面白くすればよかったのに非常に肩透かしだった。
宇佐美VS尾形のシーンも順序だてて丁寧な描写に加筆修正されていた。
うろ覚えだけど本誌の、衝動的に殴りまくりその勢いで「商売女の子どもの分際で誰が一番安いコマだ!?」から一転「それだけは言いたかった」ウンのテンポが、小気味よくて好きだった。
「取れよ」のコマの宇佐美のチャック前が相手謎の白いものがチロリしてるけど、ここの宇佐美タってるのか…
前日はパオパオで次の日門倉の尻スパンキングで尾形の顔面殴打と、宇佐美の性的守備範囲広すぎる。
宇佐美VS尾形といい、馬で逃げる宇佐美を狙撃する尾形のシームレスなコマといい死に際の鶴見との対話といい、
255話と256話の宇佐美の出来事が、映画のように丁寧に仕立てられていると感じた。
宇佐美の鶴見に対する想いが読者が思っていたより複雑だったことが前の単行本で判明してたので、どうなることかと思っていたけれど
宇佐美はこじらせているので、ここでも「またみんなの前だからって嘘ついちゃって」と思いながら死んだかもしれないが。
言うても鶴見と他の部下たちや右腕自負の月島との関係は、軍隊に入ってからの上司と部下でしかないので、
前からの知り合いかつ自分に対して異常な執着を抱いているのに、死に際になっても敬語を崩さず任務の成果を報告しようとする20歳下の子どもを見て、贔屓してしまうのは情けだと思う。
にしても綺麗なシーンになった時だけまつ毛バシバシになる鶴見と宇佐美が、まさに劇場の舞台俳優たちが『お涙頂戴』な安いシーンを演じてるように見えるのは作者のわざとな魅せ方なのだろうか。
あと改めて読んでなんとなくキロランケの死のシーンと似ていると思った。
そんなに共通点もないんだけどコソコソ話に安堵して死んでいったシーンが被ってそう思った。
キロランケは死の間際に少数民族の暮らしや子どもや在りし日のウイルクとソフィアを回想し、宇佐美は鶴見と見つめあう、
上エ地もだいぶヤンジャンと単行本で性格が変わったので、どうなるんだろうかと思ったけど
上エ地の性格が変わっても周りの反応は何も変わらなかったので、上エ地はあの世界の人間にとっていてもいなくてもいい存在なんだなと思った。
犬の首子どもに見せつけ首絞めシーンの丸々差し替えと煙突での癇癪と、人となりがわかる加筆は嬉しいけれど前後の繋がりが両方とも急だと思う。
しかし、周りの反応は変わらなくても自分の気持ちを言語化できる程度には意思があるようになっていて少し安心した。
ヤンジャンでの死にざまが哀れ過ぎたのでどうやってもアレよりはマシになるだろうけどね。
煙突で言ってることもまあ間違っちゃないしな。正直とか美しいとかはよくわからないけど(今後のほかキャラへの布石なのか)
誰もがっかりした顔を見せてくれないから自分のがっかりした顔みて笑って死ぬという結末は変わらなかったけども、本人が満足ならヨシ。
でも上エ地頭破裂後のコマのナレーションは全く意味が分からない。日本語がおかしいと思う。
この物語で明らかにされた~仕掛けって作中のキャラじゃなくて読者のことを指してるのか?
上エ地のお披露目は杉元にも土方にも鶴見にも誰にとっても情報としては±0だよ、とついさっき話してるのにこのナレーションが差し込まれる意味が全く分からない。
これって結局鶴見と杉元&土方がほぼ同時に暗号解いたから五稜郭の攻防戦が速攻始まるよってことを言ってるだけなの?
にしても3話連続で名有りキャラが一人ずつ死んでるんだな。アニメ化したら下手したら1話で3人死にそうだ。
最新話で土方には「神」「光」「智」などカッコよさげな漢字が入ってるとわかった後で、門倉の刺青見ると漢字が平凡すぎて草。
房太郎はここで抜け駆けしようとしたから死んだんだと思うと悲しいな。
徐々に負傷していくのがゆっくり描かれ始めるのがきつい。
というか今の負傷具合で泣き言一つ言わない房太郎が屈強すぎる。
ジャックと上エ地はキャラメイク微妙だったけど房太郎はいいキャラだったのに残念だな。
会話の成り立たない奴に殺されそうになり、火事の煙を吸いまくり、縛って袋詰め状態で馬車に揺られて、精神的拷問を受け、房太郎と有古の死体(片方生きてる)を目の当たりにして、寝ずに暗号解読する…ってハードスケジュールすぎる。
読者としても非常にカロリーを消費する巻だった。
次巻は教会の鶴見回想・キロランケの手紙が丸々入って終わりかな。
おそらくギャグ的なシーンがほぼなくなる。大阪房太郎がそのままならそこだけか。
真面目な話ばかりになり、急激に話が進みつつ矛盾も多々あるので加筆修正が26巻並みかそれ以上になると思われる。
とても楽しみ。
27巻の表紙は久々に鶴見だろうか。
最近6時半に目が覚める。
平日も土日も関係なく。
しかも出社の日は7時過ぎに、リモート日は9時に起きたって間に合う。
アラサーとはいえ世間一般ではまだギリギリ「若者」ではないか。
おばさんと呼ばれる歳かなあとは思うも27を壮年、老年とは呼ばないはずだ。
早朝覚醒とか呼ぶらしい「目覚ましなくても朝早く目が覚める現象」の原因は老化のほか、自律神経の乱れとかストレスなんかがあるそうでどれも心当たりがない。毎日ぼちぼちの不満を抱えつつ、それでも楽しく生きている。
じゃあ生活習慣か!と思ったが米も肉も野菜もまあまあちゃんと食べている。
自炊してるからバランスがいい!とは思ってない。実際サラダは嫌いだ。
とはいえ、少なくとも毎食ジャンクだったりコンビニ弁当ではない。
酒はごくごくたまーに飲む。夜だけ、1回ほろよい1本くらい。そうじゃなくても、グラスワイン1杯くらい。日本酒ならお猪口2杯くらい。
しかし酒を飲んでなくても6時半に目が覚める。
二度寝できる日とできない日があって、今日はできない日だったので、6時半に起きて朝風呂に入り、布団カバーなどを大きなものを洗濯し、でかいぬいぐるみを手洗いし、フローリングと窓を拭き掃除した。
なんとまだ11時。
ちょっと休憩もかねてお茶を飲みながら増田を開く。汗かいたのでまたシャワー浴びないといけない。阿呆。
14時から知人とリモートお茶会を予定しているのだが早起きするとやっぱり一日がとても長い。
悪いことってわけでもないんだけど、「またかよ」
ずっと片想いしてた好きな女が指輪した彼氏の手と自分の手とゼクシィの付録映りこんだ匂わせ通り越して直に嗅がせてくるインスタ上げたからもう何もかもがどうでもいい
とりあえず次の恋がしたい
しかしこのご時世なのでビアンバーも行けねえしビアン出会い系は心は女だから…で許されようとしてるおじさんばっかだし(差別とかでなく私は完全に女性じゃないとイケないので)
失恋した心を埋めるためにとりあえず風俗デビューしちゃう?って思ったけどレズ風俗は学生には高ぇし
ちなみひ男性向けの駅前とかで集合してからホテル入って規定時間遊んで別れる風俗(デリヘルってやつか?)の相場ってどれくらい?わかる人いたら情報求む
外に出ると、庭のナンキンハゼの木が「アツイ アツイ」と言っていたので、もうすぐ夏がくると思った。
空を見上げると、太陽が「申し訳ない」というように両手を合わせていた。
さて、と私は思った。
庭の隅に小さな家庭菜園がある。4月にトウモロコシと里芋を植え付けて育てていた。
先週、実をつけ始めていたトウモロコシが夜の間にタヌキに食べられて全滅した。ネットを張っておくべきだったなと思ったが、もう遅い。
トウモロコシには悪いことをしたと思った。
里芋の方は順調に茎を出し葉を伸ばしている。
一週間前までは手のひらより小さかった葉が、今はもう顔くらいの大きさになっている。
10株ほどある里芋の一つ一つを見て回り、「大きくなったなあ」と呟いたら、その一つが「ソウカモネ。」と返事をした。
私は、家庭菜園の野菜たちにはある種の愛情のようなものを持っている。
しかしその一方で、この愛情は食べる側からの一方通行の愛情に過ぎないと思うこともある。
ライオンを好きになるインパラがいないように、人間を好きになる里芋もいないのではないか。
私のことをどう思っているのか。聞いても答えてくれないだろう。
朝まで降っていた雨の名残の水滴が、里芋の葉の窪みに溜まって、キラキラと光っていた。プールみたいだなと思った。
一通り見回ったので、家に戻ってアイスコーヒーでも飲もうかと思った。
庭の小道を歩くと乾いた砂利がザクザクと砂糖のような音を立てた。
ナンキンハゼの木は相変わらず「アツイなあ、アツイアツイ。」と言っていた。
空を見上げると、太陽が両手を上げて吹っ切れたようにゆらゆらとダンスをしていた。
もうすぐ夏がくる。すぐそこに来ている、と私は思った。
オシラサマ思い出した
Japaaanマガジン 歴史・文化 なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介
@2019/08/18
世の中は実に広いもので、結婚と一口に言っても人間同士とは限らず、イルカや抱き枕など、様々な相手と結婚した方のニュースにふれると、愛情の形は実に色々あるものだと実感します。
と言っても別に昨日今日の話ではなく、日本でも人間と人間以外のパートナーが夫婦となったエピソードが残されています。
そこで今回は柳田國男『遠野物語』から、オシラサマの話を紹介したいと思います。
あまりに馬が好き過ぎて……
むかす、あったづもな(昔、こんな事があったそうだ)。
とある農家に一人娘がおりまして、気立ても器量もいいのに、年頃になっても縁談を断り続けていました。
あまりの事に、将来を心配した父親がその理由を糺したところ、娘はなんと「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」などと言い出します。
この申し出には父親も仰天しましたが、確かに以前から、厩(うまや)に一人で籠もって馬に向かってずっと独り言を続けている様子を目撃していました。
確かに馬は昔から、単なる家畜ではない「家族」だけれど……(イメージ)
馬といるのが何でそんなに楽しいのかと訝っていたら、なるほどそんな眼で見ていたとは夢にも思っていませんでした。
「バカもん!お前を永年、手塩にかけて育てたのは馬なんぞにくれてやるためじゃない!」
父親として当然の思いを伝えると、思い切って遠野城下へ出かけていきます。
「……お前が『馬と夫婦になりたい』などと言い出すのは、村にロクな男がいないからに違いない。よぅし、これからお町でこれ以上ない好青年との縁談を取りつけてきてやるから、楽しみに待っておれ!」
父親が出かけてしまうと、娘は馬と夫婦になりました(具体的なやりとりについては割愛されています)。
馬の首に縋りついた娘が……
さぁ、娘が馬と「夫婦になった」ことを知った父親は、烈火の如く怒り狂います。
「おっ父ぅ、やめてけろ!」
懇願する娘も顧みず、父親は馬を裏庭にある桑の木につるし上げ、斧でその首を叩っ斬ってしまいました。
「あぁ……何てむぞい(かわいそう)!」
娘が叩っ斬られた馬の首に縋りついて泣いていると、どういう訳か、馬の首ともども飛んでいってしまったそうです。
たった一人の大切な娘を失った悲しみに暮れていた父親は、ある晩不思議な夢を見ました。
「おっ父ぅ、親不孝な娘でごめんなぁ……その代わりって訳じゃあねぇんだども……」
「裏庭の桑の木で、私たち夫婦を彫ってお祀り下されば、きっと功徳がありましょう」
自分たちの結婚を認めて欲しい……そんな娘の思いに、とうとう父親も折れて馬と娘の像をお祀りするようになりました。
その像は桑を削った棒の先端に顔を彫り込んだ素朴なもので、幾重にも布を着せて支えるのですが、どういう訳か迷い事などある時には馬の顔がどちらかへ向いて「お知らせ」してくれるので、いつしか「お知らせ様」と呼ばれるようになり、それが転じて「オシラサマ」として今日に伝わっているそうです。
どんどはれ(昔話などで「おしまい」の意)。
はじめに言っておくと、これは普通四輪ATを受ける人の独り言なので二輪とかMTとかの人は知らん。
知恵袋を見ると、「運転免許は小学生でも1発で受かる」「日本語が出来れば受かる」「あれに落ちるのは脳に障害がある」とか色々出てくるけど、いや、普通に難しいよ。仮免前効果測定で「青信号は進めという意味である」という問題に堂々と○と答えたのに間違った時の衝撃たるや。数こなせばおかしな言い回しとか複雑な文章にも慣れてくるけど、少なくとも、ただ日本語ができるだけの人がノー勉で受けて合格出来るようなものではないです。ある程度勉強は必要。あと、小学生はまず受験資格ないです。
というわけで、効果測定やら仮免やら本免やらに落ちた皆さん!!!!! 落ち込まないで!!!!! 普通に難しいです運転免許は!!!! 伊沢拓司も1回落ちてるから安心して!!!!
コロナ1期生(昨年がとも言えるが)21年入社組技術系研修by研究所に付き合ったんだけど、色々知らないことを教えてくれた。
昨年は3月就職協定解禁が緩和されたらしい、でも緊急事態宣言で各社足並みが揃わなくて、弊社は入社面接を延期していたらしい。知らんかった。
弊社(一般消費財メーカー)は昨年5月にリモートで面接を行ったとのこと。
緊急事態宣言後には入社が決まったらしく、その後は修論に邁進していたとのこと。
でも大学によって、大学に入る総人数の規制があったらしく、規制が緩ければ実験上等、規制がきついと研究するのも面倒があったとのこと。
昨年もだが、通常新入社員全員が半日研究所見学に来るんだけど、そのイベントは無かった。
先輩を見てると研究所の見学が有用かどうかは疑問符があるので妥当かしら。
通常なら若手先輩が飲みに連れてったりして交流を促すのだが、当然なし。
以下、独り言
逆に言えば、新入社員育成プログラムが必要かどうかが、問われるかも。
上述のように1か月研究所での教育を行うんだけど、無くてもいい気がする。
ちなみに僕は別企業だけど新入社員研修で研究所での研修を受けていない、いきなり工場実習だった。
あまり変わらないような気がする。
コロナ1期生(昨年がとも言えるが)21年入社組技術系研修by研究所に付き合ったんだけど、色々知らないことを教えてくれた。
昨年は3月就職協定解禁が緩和されたらしい、でも緊急事態宣言で各社足並みが揃わなくて、弊社は入社面接を延期していたらしい。知らんかった。
弊社(一般消費財メーカー)は昨年5月にリモートで面接を行ったとのこと。
緊急事態宣言後には入社が決まったらしく、その後は修論に邁進していたとのこと。
でも大学によって、大学に入る総人数の規制があったらしく、規制が緩ければ実験上等、規制がきついと研究するのも面倒があったとのこと。
昨年もだが、通常新入社員全員が半日研究所見学に来るんだけど、そのイベントは無かった。
先輩を見てると研究所の見学が有用かどうかは疑問符があるので妥当かしら。
通常なら若手先輩が飲みに連れてったりして交流を促すのだが、当然なし。
以下、独り言
逆に言えば、新入社員育成プログラムが必要かどうかが、問われるかも。
上述のように1か月研究所での教育を行うんだけど、無くてもいい気がする。
ちなみに僕は別企業だけど新入社員研修で研究所での研修を受けていない、いきなり工場実習だった。
あまり変わらないような気がする。