はてなキーワード: 正当防衛とは
そういった目に見える世界は、大きく7つにわけられる。
アメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、南米だ。
それ以外はまあ、誤差みたいなもんだ。
インドはパキスタンと揉めがちだし、アフリカと南米は相変わらずの貧困状態だ。
世界はまだ美しくはない。
信念は規律に繋がり、規律は暴力を抑制するが、暴力無くしては理念は貫けない。
世界は殴り合いを続けながらそれぞれの信念に基づく正常な状態を目指している。
結局のところ、誰も殴りかかってこなければ、正当防衛の権利など必要無い。
目指す理想無くしてはそこへ向かう階段はつくれないし、魔法を唱えても階段は出来ない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
そして、無情な時間は記録しない物事を押し流し、今ある事物から物語は逆算される。
例えば、日本ですらガンディーが非暴力を主張していたことは知られている。
しかし、インドは世界でも有数の軍事力を持ち、そしてその当初から構成員は志願制だ。
「ガンディーは国家を独立させた偉大な人物だが、夢想家で非現実的」というのが、
インド北部におけるインテリ層の多数を占める意見だと聞けば、驚くだろうか。
さて、日本が少子高齢化社会だということは、概ね同意を得られるだろう。
第二次世界大戦が終わりベビーブームが訪れて以降、一貫して合計特殊出生率は右肩下がりだ。
人口置換水準と呼ばれる「人口が減らない基準」を、1974年以降ずっと下回り続けている。
より正確に言えば、丙午の反発を含めた、いざなぎ景気期間ですら、ぎりぎり上回っていただけだ。
団塊の世代が思い描く古き良き昭和の時代も、全体の出生数が多く、個人の出生率は低い。
改正高年齢者雇用安定法で、企業は定年後も年金支給までは人を雇い続ける事が義務になりました。
政府は、投票権を含む成年の定義を引き下げて、18歳以上にしようとしています。
国立大学法人化から10年、国から給付される大学の予算は減り続けています。
貸与奨学金の実態は学生ローンと変わらず、悲惨な現実が増えています。
国際比較で日本の15歳の学力レベルは、トップクラスを誇っています。
一家族に子供が3~4人で当たり前な社会にするには、裕福な生活に慣れすぎた。
目の前には、人口が減り続け、大学が増え続け、膨らみ続けた大学生250万人が見える。
憲法第九条は、フィリピンの憲法と同じく戦争放棄を宣言しているし、
侵略戦争を放棄したスペインやフランスと同じく、我々は平和を求めている。
アイスランドやコスタリカも日本と同じく常設の軍隊はなく、武力を持たない。
だから国連に明記された集団的自衛権についての報道で、徴兵制を懸念する声を上げたくなる気持ちは良く判る。
だが、山頂にある寺院に向かう石階段は、赤鬼が一晩で作り上げたのではない。
多大な時間と、恐らくは相当な犠牲を伴って、信念を基に長い石階段は作り上げられる。
政府はいつから短時間労働者の果たす役割の重要性が増大していると言っていた?
少なくともボコボコにされる覚悟で割って入るぐらいはしないと不味いんじゃないかね。
教師も守られてなくてかわいそうだな。
あと「正当防衛と被害受けてる子を助ける場合は体罰の対象から外す」ガイドラインがあるらしい。
(1)児童生徒の暴力行為等に対しては、毅然とした姿勢で教職員一体となって対応し、児童生徒が安心して学べる環境を確保することが必要である。
(2)児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使は、もとより教育上の措置たる懲戒行為として行われたものではなく、これにより身体への侵害又は肉体的苦痛を与えた場合は体罰には該当しない。また、他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避したりするためにやむを得ずした有形力の行使についても、同様に体罰に当たらない。これらの行為については、正当防衛又は正当行為等として刑事上又は民事上の責めを免れうる。
日本人が危険なところにいたりするのとかさ、親交のある国から助けてくれって依頼があったらさ。
出動するってことだよね?
現状のままでべつに無くても出動していいんだろうけど、安全を確保するために攻撃したりするのはダメなんだよね?
自分が攻撃されてるので反撃しましたってことを裁く軍法とか日本にはないし、正当防衛とか国際裁判なんかに問われるのかな。
そうなると、保護しようとしてる民間人にむけて発砲してる人を止めようとするときどうしたらいいの?
やめてーって叫ぶの?
かわりに俺を撃てーとか言うの?
テロリストは民間人にむけて発砲していたわけではない、後ろの壁に撃っていただけだとか言われたらなんて言い返したらいいの?
そのテロリストらしき人はただの民間人でした、とかいわれたらどうしたらいいの?
民間人のテロリストだったんだけど君たち裁けないよね?とかいわれたら。
なんで自衛でもないのに発砲してきたのとか。
だったら現状のままで助けるべき人が発生したら、肉の壁として自衛隊が出動するのが正しい感じ?
航空機のっとりとかで、全員自衛隊員がまるごしで人質になるので交換してくれみたいな。
まるごし隊員が行っても死傷者増えるだけみたいな気がするし。
銃弾の雨のなか、敵方向に反撃したら敵にあたったとき、それ確実に自分に殺意を抱いていた相手に対してその行為をとめるために防衛措置をしたの?
相手の目をみたの?明確に自分に対して殺意があったの?威嚇射撃だったんじゃないの?現に死んでないよね君?とかいわれたらどうするの?
どっちにしろ、非常事態になる前に民間人とかそういうのは撤退してるはずだとかいわれたら、自衛のために出動する必要がないといえばないわけなんだよね?
よくわかんないんだけどさ、威力をもって自国の意思を対象状況について承認させる事だとしてさ、それを「救助させてくれ」だけに使うってことは、侵略にも使える可能性とかあるの?
明確な侵略行為と感づくところがある場合でも要請があったら自衛隊がでていく、つまり侵略行為の手伝いをさせられることがあるみたいなこと?
傭兵じゃないんだから、そりゃその現場には行けないですとかは言えないの?
そうゆうのってさ、自衛権に限らず「明確に国としてダメとおもわれる交渉を他国から受けたとき」の判断に委ねられるべきなんじゃないの?
国立国会図書館調査及び立法考査局レファレンス(2009.1)より。
我が国政府は、集団的自衛権(right of collective self-defense)を「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」としている。
成立経緯についてのこの人の説明としては、
具体的にはこれからみんなで国連憲章つくろうねってサンフランシスコ会議が開かれたときに、ラテンアメリカ諸国が安全保障理事会の許可なしでお互いの身を守れるようにしたいって言うから憲章内に盛り込まれたとのこと(wikipedia参照)
集団的自衛権の法的性質については、(1)他国の権利を防衛するとする正当防衛論、(2)個別的自衛権の共同行使とする自己防衛論、(3)攻撃を受けた他国の安全と独立が自国にとって死活的に重要な場合に防衛行為をとることができるとする議論の3つに分けられる。現在の通説は(3)であるといえるが、攻撃を受けた国と集団的自衛権を行使する国の関係が具体的に明らかではなく、軍事介入を幅広く認める結果となる恐れがある。
(3)の「攻撃を受けた他国の安全と独立が自国にとって死活的に重要な場合に防衛行為をとることができる」っていうのが増田への回答になるんだろうか。
今、AがBに喧嘩売られてて、負けるとAが持ってる舟はBにとられちゃう。
俺は毎朝その舟に乗って仕事に行ってる。
じゃあAがやられたら俺仕事いけなくなるじゃねーか。
「A殿、助太刀いたすぞ。」
っていう感じかね。
けどこれはあくまでも通説の(3)による理解なので、(1)(2)の理解もあるし、安倍政権がどういう解釈をしてんのかはわからん。
あとそれから、
その濫用が疑われてきたことは否めない。
ってのも書いてあるねー
以上参考になればとシェア。
これから本文読んでみる。
―国際法上の議論―
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200901_696/069604.pdf
元増田やけど。
まずもって、無視()はあんまどーでもいいってか。それヌルすぎ。
暴力とか金をせびられるとか、そういうんじゃないなら、別にいいんじゃねーの、やられても。
暴力を振るわれる生活に比べれば、リア充生活できない()とかどーでもいい、机に突っ伏してずーっと寝てればいいじゃん
仮にやられたとして、靴隠しとか、○○菌とかか。
その場合、暴力のバックグラウンドがいれば、犯人を特定した瞬間に相手を責め続けられる。
相手が悪いことしてるんだから、正面からどうどうとひたすらそれを攻めれば、ガキは感情的にキレル。
これができるのがでかい。
高校のころ、俺はアメフトやってる3人あいてに堂々と正面から正論いいまくってたよ。
暴力的な相手だったし、一回殴られたけど、その場で押さえ込んでバレないように呼吸できなく口をふさいで圧倒したわ。
相手体重100キロくらいあったけど、まったく怖くなかった。勝てるって分かってるから。
その後は、毎日毎日、「俺に喧嘩売ったけど速攻組み伏せられて弱い○○君!!!!」って大声で毎日煽った。クラスの皆の前で毎日大声で煽った。
当然キチガイ扱いだし、先生にもなんども呼ばれたが、「相手が悪いことをしたし、俺はあいつより強い」の一点張りで言い続けた。
ちなみに、柔道やブラジリアン柔術の場合、殴ったりしないし、傍目には何やってるか分からない(組み手、関節、寝技は素人が見ても暴力なのかなんなのか絶対分からない)から、正当防衛かつ、自分は何もしてません、って主張できる。
はてなでブログを書くような人間は全員、子供のころはいじめられっ子だったに違いないと確信している私。
こうして増田で書いている私も当然いじめられっ子だったわけですが、それについての思い出話をひとつ。
いじめられっ子といっても、そこまで酷くならなかった(囃し立てられる程度)のですが、
それは初期の段階で「やり返した」からだろうなー、と思います。
よくマッチョな人が「いじめを話し合いによって解決するのは無理」とか「体罰を否定した日教組による戦後教育の歪みが云々」とか言ってますが、
彼らの話は正しいのかもしれません。まあ、殴り返して余計にいじめが酷くなったという話もまま聞くところですので、
いじめっ子を殴ってそれで沈静化した私のケースはむしろレアなのかもしれません。
ところで、いじめっ子は3人1組の場合が多いように思われます。
3.体が小さくて、いじめられっ子の側に回ってもおかしくないのだが、上手く立ち回ってそれを回避しているタイプ
さて、殴り返すとしたら誰を殴るべきでしょうか。普通に考えれば1ですよね。
でも怖いんです。人気があるからいつも誰かと一緒にいるし。
だから3を殴る。自分よりも弱くて、いかにも殴りやすそうな相手を。
正直、ビビりました。殴った相手が壁に頭をぶつけて、病院行き。
正々堂々喧嘩したのならともかく、自分より弱い相手を一方的に殴って怪我させたわけですから、いろいろ考えますよね。
菓子折り以て謝りにいかねばならないのか、とか、もしかして警察!?とか。
不思議なことにそれっきり何もなかったのですが(牧歌的な時代ですね。15年くらい前)、すると今度は「なんて卑怯なやつなんだ、自分は」
という罪悪感が襲ってきました。
実際、そうなんだと思います。一番弱い相手を狙って殴り、それで鬱憤を解消しようとしたわけですから。
「正当防衛」なのでしょう。たぶん。
でも、いじめっ子のような誇りも信条もないような人種と違って、栄誉あるいじめられっ子の私はプライドたかびーちゃんなので、そう思うのは仕方がない。
この一件から学んだことは、自分がそこまで強くもなく、本当の悪に立ち向かえるような勇気も持ち合わせていないこと。
一般化するなら以下のような感じでしょうか。
1.人間は自分が被害者であると強く思えば、どこまでも攻撃的になれる。
2.しかし、その矛先は多くの場合、問題の元凶ではなく、単に自分よりも弱い人間に向かう。
何でいじめられた私が反省せねばならないのか自分でもよくわからないのですが、要するにいじめとは
いじめられ続けても傷つくし、やり返していじめを終わらせても傷つく
という何このクソゲーな代物なわけです。
「おれのかんがえたせいさくがさいきょう」なんで聞いてくれ。
日本には様々な各種問題があるんだけど、銃を一般人が手にすることで解決する事がたくさんあるんで話を聞いてくれ。
まず、銃があると、弱い人間が自分で身を守れるようになる。老人でも病人でも女性でも、力の弱い男性でも、障害を持つ人間でもだ。
強盗や強姦だって、相手が銃を持っているとしたら、うかつに手を出せない。手を出した途端、銃で撃たれて終わり。正当防衛であれば殺人もokさ。
ヤクザだって手出しできない。銃を持ってる相手に暴力の威嚇なんて通用しない。
このように、対犯罪者でとても有効。え?犯罪者だって銃持ってるだろって?
いやいや、銃所持者はある程度の厳しい試験に合格しないと持てないようにするんです。そこらのDQNなんかまず持てない。
最低限、運転免許よりちょっと難しい程度の試験に合格する必要があり、一定以上の納税者であり、かつ、交通違反を含め、1度も刑事罰及び行政処分も受けたことが無い、というような人間のみにライセンスを与えればよいのです。何かあれば一発でライセンスは取り消し。一生、銃は持てない。
このようにすれば、犯罪者なんて、割れ窓理論ではないですが、本格的な犯罪を犯す前にすでに銃は持てない。
まあいってみれば、銃を持てる身分、持てない身分に別けてしまうことになりますが。
ワープア問題、ブラック企業の問題もこれで一気に解決。労働者は舐められすぎ。労働者に酷いことをしたら銃乱射されると思えば、酷い事なんてできない。
ヤクザに対抗する警察がヤクザと癒着してるようじゃどうにもならん。銃持ってるのが、警察とヤクザだからこうなる。
暴走族なんて、迷惑でしなかないものだって、すぐにいなくなる。
銃の力というよりも、銃を持てる一流市民と銃を持てない二流市民に分ければ、解決できることは多い。
電車の痴漢だって無くなるし、痴漢冤罪も無くなるだろう。痴漢したら撃たれるのに痴漢するアホはいない。
間違った運用した奴は厳罰な。アメリカと一緒。10年模範囚だから釈放とかなし。
でもそれをスルーするキチガイもいるかもしれない。そしてそのキチガイが間違った銃運用をするかもしれない。
でもその確率はヤクザや不良警察官における銃犯罪の被害者よりも少ないだろう。
国家も行政も様々な連中も、個人を舐めすぎ。失礼すぎるにもほどがある。あれだけ銃が普及しているアメリカだって、銃犯罪はあるが、銃によって政治家や経営者がどうにかなったなんて話はあまり聞かない。それはなぜか。個人が銃を持っているから、あまりにも個人に対して非礼な事が出来ないからだ。銃犯罪のデメリットはあれど、メリットも計り知れないのだ。
アメリカはもう銃を管理できない。でも日本なら出来る。なんで犯罪者や不良警察官という悪人だけが銃を持てるのか。おかしいにもほどがあるだろう。
今話題の体罰もそう。生徒が何もできないから暴力をふるう。銃さえあれば、いじめもおきん。柔道指導者のレイプなども無くて済んだ。レイシスト連中もいなくなる。アメリカですら、黒人差別者は顔を隠す。撃たれるから。日本は顔出して人種差別できる。舐めすぎてんだよ、様々な個人を。
国軍だ、核兵器だと言ってる連中も、国内のことを考えれば、個人が銃を持つことには賛成のはずだ。
銃武装というパワー、ちからが互角であってこそ、その先の話し合いが出来る。最初からパワーの違いがあるから、話合いも出来ない。一方的な話だけになる。
オスプレイがあーだこーだ言ってる連中も、銃を持っていれば、攻撃が出来る。もちろん、相応に法で罰せられるし、応戦されるだろうが。しかし、そうされないように運用する方もちゃんとした、話し合いなり、筋の通った手順を取らざるを得ないだろう。個人的にはあまり興味がない話だけど、そういうところにも銃所持の影響は生まれる。
まあ当然、東電あたりもふざけた事は言えなくなる。
日本は武装の自由が無いから、暴力装置を持つ者だけが適当なことをやってられるんだ。
ウヨもサヨも武装の自由、銃所持の自由を叫べよ。
うまく考えをまとめられなくて、だらだら書いてみる。
基本スタンスは「体罰全否定」な立場からの発言と思っていただけると幸いです。
伊吹マヤのおじいちゃんであるところで有名な(超大嘘)方が発言したとか、まだまだ話題に事欠かない体罰関連のお話ですけども。
どうも、人によって「体罰」の定義が違うんじゃなかろうかと思うんだ。
「子どもを指導する目的で行われるもの」って考えてる人もいれば、「指導ではなくて指導者のストレス発散で行われているもの」って考えてる人もいるっぽい。そんなんで議論がかみ合うはずもないよなーと、生温く見てる訳ですが。
どっちにしたって、「体罰」ってその行為に至った背景とか何も知らなかったら「暴力」でしかないんだけども、何をもって「正当な行為」と判断するんだろうな、と体罰容認者に聞いてみたいところではあります。
「許容される体罰」ってのがあるとしても、それはケースバイケースであって、「すべての体罰」が許容されることはあり得ないと思うんだけども。
体罰容認論者の考える「体罰」の定義がわかんないのがすごく気持ち悪い。
例えば小学校で、「宿題を忘れたら先生がゲンコツで頭を一発殴ります」ってルールを担任が作ったとしても、まあ、それが認められるかどうかは、そこの学校の雰囲気(校長や保護者とか)によるのは当然ではありますが。
そもそも論から言えば、「ゲンコツ」がイヤだから宿題を忘れないようにって指導方法が妥当なの?って話なんだけども。
体罰って、行為そのものは暴力なんだから、それが許されるケースって限定されてると思うんだよね。
正当防衛にあたるケースなら、当然許容されるだろうと思いますわー。当然、正当防衛なので、自分自身の安全だけじゃなくて、周りの子どもとかも含めての話です。
「愛のある体罰」なら許されるって言う人いるけど「愛があるかどうか」って第三者が見て判断できないよね?そんな基準って、基準でも何でも無いよね。
大声で罵る、椅子を蹴飛ばす、気に食わない奴をぶん殴ったり蹴ったりとか、要するに威嚇して自分の存在を誇示したいだけの指導者とか親とか見てるとイライラする。
そんな行動を、学校の体育館じゃなくて、一般の利用者がいる市立体育館とかで堂々とやってますけど、それで強くなれてんの?
とりあえず、自分の考える「体罰」は、「指導者(監督やコーチ、親とか)が、指導に必要だと判断して行う、対象者(選手とか子どもとか)への暴力行為」って定義しとく。
結局「ぶん殴って言うこと聞かせる」ってだけのことなので、指導としては邪道だと思うんだ。
「暴力に対する恐怖による指導」ってどんだけ効果あるのかね?そんなんで言うこと聞く奴なら、そもそも「暴力」を必要としないと思うんだけども。
ああ、思ってることを整理して書くのって本当に難しいな。
よくわかんなくなってきたので、中途半端だけど終わる。どうでもいいよね、こんな戯れ言。
第七条 警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法 (明治四十年法律第四十五号)第三十六条 (正当防衛)若しくは同法第三十七条 (緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一 死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二 逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
脅迫罪となれば警察官職務執行7条の1を満たすことはないので、警察は武器を使用することができない
しかも、パンダ死ねば、1頭当たり5千万近い違約金を中国に払う必要がある
雄雌がいるパンダ舎に乗り込んで殺せば1億近い損害を国に与えることができる
まず間違いなく、動物園や国はパンダを殺すことに躊躇すると思われる
え、損害賠償?
そんなの金がないところからは取れませんよ
真夜中しつこくチリンチリンを鳴らしてくる外国人がいたので、A君は相手に聞こえるようにしたうちしました。
Aさんからすれば歩道を自転車が走るのは認められてないので理がある。
と見るでしょう。
さらに言えば、外国人は酒に酔っていたので飲酒運転だし、そもそもこの国の住人ではないのに自国民に大きな声を出す権利はないのではないか、とAさんは思う。
逆にAさんも道の真ん中を注意せず歩いていたし、彼のしたうちがなければ今頃お互いベッドですやすやしているのだ、と外国人は思う。
この話からわかることは自分の正しさを主張しようと思えばいくらでも出来るということだ。
殺人犯ですらその場の状況で正当防衛、殺意の有無で傷害致死、育ち具合で精神喪失、といくらでも正当化できる。