うまく考えをまとめられなくて、だらだら書いてみる。
基本スタンスは「体罰全否定」な立場からの発言と思っていただけると幸いです。
伊吹マヤのおじいちゃんであるところで有名な(超大嘘)方が発言したとか、まだまだ話題に事欠かない体罰関連のお話ですけども。
どうも、人によって「体罰」の定義が違うんじゃなかろうかと思うんだ。
「子どもを指導する目的で行われるもの」って考えてる人もいれば、「指導ではなくて指導者のストレス発散で行われているもの」って考えてる人もいるっぽい。そんなんで議論がかみ合うはずもないよなーと、生温く見てる訳ですが。
どっちにしたって、「体罰」ってその行為に至った背景とか何も知らなかったら「暴力」でしかないんだけども、何をもって「正当な行為」と判断するんだろうな、と体罰容認者に聞いてみたいところではあります。
「許容される体罰」ってのがあるとしても、それはケースバイケースであって、「すべての体罰」が許容されることはあり得ないと思うんだけども。
体罰容認論者の考える「体罰」の定義がわかんないのがすごく気持ち悪い。
例えば小学校で、「宿題を忘れたら先生がゲンコツで頭を一発殴ります」ってルールを担任が作ったとしても、まあ、それが認められるかどうかは、そこの学校の雰囲気(校長や保護者とか)によるのは当然ではありますが。
そもそも論から言えば、「ゲンコツ」がイヤだから宿題を忘れないようにって指導方法が妥当なの?って話なんだけども。
体罰って、行為そのものは暴力なんだから、それが許されるケースって限定されてると思うんだよね。
正当防衛にあたるケースなら、当然許容されるだろうと思いますわー。当然、正当防衛なので、自分自身の安全だけじゃなくて、周りの子どもとかも含めての話です。
「愛のある体罰」なら許されるって言う人いるけど「愛があるかどうか」って第三者が見て判断できないよね?そんな基準って、基準でも何でも無いよね。
大声で罵る、椅子を蹴飛ばす、気に食わない奴をぶん殴ったり蹴ったりとか、要するに威嚇して自分の存在を誇示したいだけの指導者とか親とか見てるとイライラする。
そんな行動を、学校の体育館じゃなくて、一般の利用者がいる市立体育館とかで堂々とやってますけど、それで強くなれてんの?
とりあえず、自分の考える「体罰」は、「指導者(監督やコーチ、親とか)が、指導に必要だと判断して行う、対象者(選手とか子どもとか)への暴力行為」って定義しとく。
結局「ぶん殴って言うこと聞かせる」ってだけのことなので、指導としては邪道だと思うんだ。
「暴力に対する恐怖による指導」ってどんだけ効果あるのかね?そんなんで言うこと聞く奴なら、そもそも「暴力」を必要としないと思うんだけども。
ああ、思ってることを整理して書くのって本当に難しいな。
よくわかんなくなってきたので、中途半端だけど終わる。どうでもいいよね、こんな戯れ言。
男同士でエロ話したいときに女は邪魔なのと同じだよ 察しろ