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はてなキーワード: 幽霊とは

2013-02-25

オカルト板でよく見るコピペ名所

SS 雫石・慰霊の森

S+ 常紋トンネル

S 旧旧吹上トンネル 旧善波トンネル しとどの巌 新三郷トンネル名称不明) 

A 畑トンネル 八柱霊園(第、7、13区画、芝生霊園) 幽霊ペンション 八王子城址

B 千駄ヶ谷トンネル 伊勢トンネル 旧野木病院 新吹上トンネル 小美玉小川脳病院

C 犬鳴トンネル 厚木恵心病院 ホテル望洋

D 多良崎城址 中村精神病院 明通トンネル 人穴

E 虹の大橋 京急横須賀中央駅 東京湾観音 池島

行ってはならない。入ると呪われる殺される、自殺、謎の事故死、らしい、という、話がある、耳にする・・・等。

殆ど都市伝説の域を出ないデマ恐山東尋坊のように元々神聖化された空間ならいざ知らず。

例えばトンネル笹子トンネル事故でも有名な、単なる老朽化による崩落事故とか暴走族ヤクザの住処といったありきたりな事に尾びれを付けたもの殆ど

そもそも“出る”というのも口コミ程度でソースがはっきりしない。そんなにすごい名所なら十中八九新聞に載るものだけど、当時のニュースソースを取り上げての話がないし

あくまで噂レベルの話だったりする。

次に多い病院ホテルなどの施設類に至っては、殺人医療ミスによる二次被害経営破たん後耕作放棄地の如く捨てられただけ、または明治大正期の洋物ブーム~戦後の高級団地ブームなど時代ごとの流行が年月を経て廃れて廃墟化したという今でもよくある倒産事情によるもの

島や穴は万葉集にも載ってる大陸半島から渡ってきた技術者伝道師が移り住んだ土地であったり、ポットホールなど地理学術的に証明された自然や人工による産物殆ど

それに尾びれが付いたのが、かの有名な桃太郎だったりする。

駅については、飛び降り自殺や酔っ払うなどして誤って落ちて死んだ事故や事件に尾びれが付いただけ。実際事故や事件の記事が出ても心霊スポットになってるというのは噂程度にしかない。

慰霊の森や霊園は戦没者を埋葬してるのでむやみに騒ぎ立ててはいけない。樹海も同様。なぜならあそこには生身のおくりびといるから。

冷やかしで入って行方不明になったり死んだりするのはそこを守っている守人、つまり狂信的な団体・組織の人に殺されただけ。何も不思議はない。

心霊スポットっていうのは人間の思い込みが原因で作り出された虚構。幽霊がいない事はマスコミ心霊現象懐疑的になってきた事も証明してる。何を隠そう心霊スポットの出所は全部マスコミなのだから。嘘を嘘で塗り固めると傍目に見ても通常は嘘と見抜けないように、誰かが付いた嘘に別の誰かが賛同したらあたか事実であるように誤認する。

人間の悲しい性よ。

この止揚もない性質で本質が見極められずやたら自分や他人を傷付けてるのだから

2013-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20130206121557

いいね!

人のいい所を探した結果辛くなってしまうのは、「自分もこうなれたらいいのに」と思っているからじゃない?

ネットで書きこむときみたいに、自分の正体を誰も知らないと思って、幽霊になったつもりで、「別にこいつらから吸収なんかしねーし」って思って見てみるといいよ

それでも自分のだめな所に目がいってしまうとしたら、それはいい"気付き"なんじゃないのかな

http://www.youtube.com/watch?v=P-tT6fu1I8k

こういうのを見ると、人を賛美をするのには苦しい作業が必要なんだなと思うけど、

疲れはしても、気持ちのいいことなんだろうとも思う

2012-10-10

恐怖の源泉

怖いものを上げて、理由を考える。

放射能幽霊ゴキブリメンヘラ

で、次に怖くないけど嫌なものを考える。

場合によっては上の例がそのまま(よくわかんないけど)コピペできたりする。

できるだけ具体例で考える。たとえば放射能

放射能は怖いかどうか。

TV的には怖い。何かあったら責任取れないし。

政府的には怖くない。過剰に反応されたら困るし。

一般の人々は、どうしようもない。食べ物を買う(ある程度別のものを選ぶ余裕がある)場合には、怖がってみる。

住むところ(代替の余裕がないもの)の場合は怖がらない。

ここで、知識の源泉となるものを考えると、伝聞となる。(どの程度人体に影響するかまで知っている人は少ないと予想するし、調べた人はごく少数だろうと思う。)

で、伝聞(メディアから得られる知識によって、ある程度人々は放射能の事を知った。とりあえず、わかりやすくて、たとえがいっぱいで、あんまり科学的じゃなかったけど、いっぱい情報を得た。

長期的な影響とか、データを用いた説明は、受けない。(研究中の事だし、政治的要素?とかでマスメディアでは話題にならない)。

(わからなくて)怖い状態を脱した後、怖いけどその理由がわからないという状態に移行している気がする。

再び具体例から抽象に戻るけど、怖いけどその理由がわからないという状態というのは、怖くないけど嫌なもの感覚に非常に似ていると思う。

長話と脇道にそれた話になっちゃったけど、僕たちが言葉で表すほど心はさまざまな感情を分類できないというのが結論。

2012-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20120919142550

う−ん、デスブログ場合

幽霊人面犬口裂け女)=「デスブログに書かれたものに不幸が訪れる」

枯尾花=「何か事件が起こったらデスブログ内を検索して関連してそうな記述を引っ張ってくる」

じゃね?

幽霊があけっぴろげに見えてる」と主張しているのはデスブログで遊んでいる連中だけで、

そこには結局、幽霊と枯尾花の関係が存在している。

2012-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20120911192444

霊的な体験をしたという覚えがないので、個人的にはあまり関係がない。

でも実在するかしないかはわからないし、いるわけない!という気もない。

いわゆる霊感みたいのが、人によってあったりなかったりするのかもしれないんだし。

科学は「客観的に確認できる」ことを求めるものなんだから

幽霊がそういうものから外れてるとしたら、科学的・物理的にありえない、ってのも通用しないし。

逆に言えば、いくら個人や数人がはっきり見た・感じたと主張しようが、それが全ての人にとって

条件を変えても客観的に観測できるものでなければ、科学的には存在するとはいえない、ってことじゃないかな。

でも、幽霊というものが実際に存在しようがしまいが、

そういうもの人間が当然のように想定したり考えたりする、時には現実に見る、

というからには、心理的な意味がそれだけあるってことなんだと思う。

2012-09-11

みんな幽霊についてどう考えてる?

自分は、んなもんいてたまるか!って感じだ。

認知心理学やってたことが大きいんだと思うけど、霊的体験とやらはきっと、恐怖が認知ミス引き起こしたとか

何でもないもの幽霊だと認知したとか、そういうのだろうと考えてる。だいたい目が見えるとはどういうことかというと(ry

とことん冷静でも認知ミスは起こるものだし、正確に把握できるとも限らないのが人間から。だから信じる気になれない。

なんだけど、たとえばここ5年だけでも、身の回りのちゃんとした人たちが「そういう経験がある」ってぼそっと言ってて、真面目に考えてみたくなった。

普段からスピリチュアルな発言の多いやつは除いても、冗談では絶対にスピリチュアルトークなんかしない人たちがぼそっと、そういう話を告白する。

院で理系研究者やってるとか、認知科学やってる奴とか、そういう、人の認知システム分かってそうな奴までも、そういう経験があるとか言うんだ。

無論懐疑的に。たぶん疲れてたか、恐怖に支配されてたかと思うんだけど……でも研究室の先輩も同じこと言ってんだよ……こええよ。とか。

大抵の場合、「あそこにいる/いた」ってのが一致してるのがひっかかる。「いた」という幽霊の特徴も。

あと、そういう奴らが酔っ払って、守護霊とやらの話をし始めたことがあって、人の斜め後ろ上をちょっと見て、コメントするんだけど

そのコメント内容が、一致してる。全く交友関係のないグループから自分守護霊とやらについて同じようなことを言われて、どうもひっかかってる。


もちろん、そういう存在を信じるかっていうと、やっぱりできない。

でも、何か自分は壮大なドッキリに巻き込まれてるんじゃね?って気持ち悪い感覚がある。

考えるのも無駄かなーって気もしてきたんだけど、なにせスピリチュアルトークなんかできるキャラじゃないので、リアルでは相談もできない。

それになんとなく、そういう話は避けたいって空気もある。誰だって怖い話は嫌だしな。

なので、ネットでみんなの意見を聞きたい。もしよければ、だけど。

みんな、幽霊についてどう考えてるんだろうか?

2012-08-10

ブスは痴漢心配をしてはいけないのか

ブスのくせに痴漢心配してるwwwとか、階段スカート押さえてるwwwwとかを馬鹿にしてるのを見るんだけど

ブスやデブって、痴漢とかスカートを見えないように工夫してはいかんのか?ブスは女性性を放棄しないとだめなのか?

誰もお前のことなんか標的にしねーよってのは、ブスが痴漢心配wwwとかって笑ったりすることの理由にはならないと思うんだ。

どうしてもそう思いたい人に分かってもらえるように言うと、標的にされるか否かの事実は問題ではないんだよ。


自分女性であるという意識がある限り、潜在的に自分痴漢や変質者の標的であるっていう拭い去ることのできない恐怖が常につきまとうんよ。

ブスが痴漢にあわない保証なんて誰がしてくれるんだよ。されてからじゃ遅いんだよ。まずはハードル低いブスから始めるかもしれないだろ。勇者ちかんにとってのスライムみたいなもんでさ。

だいいち痴漢なんて存在のものが誰にとっても迷惑だし出会いたくないものから、できる限り避けようとするのはブス美人男女かぎらず合理的な行動だと思うんだよ。

自分でなくても他人が痴漢されてるの見て不快でないなんて、同じ変質者かAV脳、エロゲ脳だけだと思うよ。まともな大人なら男女関係なくリアル世界でこんな光景みたくないわ。


ブスが痴漢心配するのは、幽霊を信じてる人がそれを怖がるみたいなものなんだ。

幽霊を信じてる人は、どんなに幽霊存在しないって説得しても、墓場や廃病院は怖いから近づきたくないよな。

この人の行動規範幽霊なんかいねーから遭遇するわけねーだろ馬鹿がwwwって批判するのは簡単。でもこの人にとっては、自分幽霊存在を感じないで済むかどうかが大事なんだよ。

まり幽霊の恐怖で頭を支配されないで済むなら、気味の悪い墓場を避けて遠回りするか、高いタクシー代を払ってささっとスルーした方がよほどいいんだよ。

それは別に批判されたり笑われることでもなんでもないだろし、それを笑ったりするのもどうかと思うぞ。

幽霊通り魔に変えたらどうだ?遭遇するかどうかも分からない通り魔をできるだけ避けようとする奴を腰抜けと笑うのか?


あとな、ブスだから勘違いとか美人は許されるとかそういう考えそのものがどうかと思うぞ。

勘違いってのはそうやって笑って馬鹿にしてる奴らのことだよ。

そうやって自分が叩きやすものを叩いて満足してることの低俗さに気付けない、恥ずかしい奴らのことだよ。

2012-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20120806105542

それホントに夢だったの?幽霊ではなくてどこかに人間が潜んでいたのでは?

2012-05-01

十一本指

#象の足

見つけないで欲しい。たった一人で逆上がりをする細い腕の、規則正しく失われてい

った憂鬱と。まだ失われていない真っ昼間に、これから失われる夢の続き。押入れ。

幽霊。原っぱ。糸電話の向こうから叫ばれ続ける”たとえば世界がなかったとしても”

という声に耳を塞いで、待ち続ける、待ち続け、失われ続ける、続けた、続けていた。

待ち続けて、待ち疲れ、青い空を見て涙が出た。何かを殴りつけた。読むことのない

手紙を燃やした。草むらに横倒しになった巨大な冷蔵庫を前に、立ち尽くすことしか

できなかった。

消えていく輪っかと

現れる独り

消えていった人の

ぼやけた横顔

消えていかない海に

追いつかない時間

#追いかけっこ

障子に開いた五つの穴の、そこに当てられた四人の目の。何を見て、何を見ようとし

て。「不安なの?」と誰かが言った。押入れの中から声がした。震える体を抱きしめ

ようとしてくる人がいて。それでもひたすらに独りだった六畳間の、中吊り棚に立て

かけた、気象衛星鉛筆デッサン。指先が痙攣し、はぐれ、引きちぎられ。破れた人

差しから海が広がる。見覚えのある海岸線に、燃え上がる袈裟姿の坊主。もつれる

足に指し貫きが引き摺られ、砂の城がそれに巻き取られる。波の打ち寄せる音だけが

鮮明に聞こえる。悲鳴は隠される。波は多くを攫い、やがてそこには誰もいなくなる。

何も見えなくなる。

喉もとに

纏わりついた

途方のない痛み

うっ血した首筋

窓を叩きつける

冬の土砂降り

底冷え

十二月

2010年かくれんぼの日。六本指で生まれなおした真っ暗な午後三時に、手紙を書い

た。寝巻きのまま、口笛を吹いて夜になった。一つの真っ暗が終わってまた別の真っ

暗がやってくる。手紙を書き終えることはできない。くしゃくしゃになったPPC用紙

からこぼれた言葉、が、角膜に焼きつき。”天井に人型の染みができて、やもりの見

る夢、バイオロイドの見る夢、もう一度だけ話がしたい、黙って取り残されたのも、

本当にもう手探りで、びっくりするくらいに遠く、押入れの戸締りが、夏になったら、

さぼてんが枯れたよ、体が、寒い

弱弱しく

手を繋いだ

聾だったのに

片耳を塞いで

生きる、ということ

生きている、という

その

#大赤斑

人に差し向けた人差し指に鬼やんまが止まり、失われていったものはもう一度失われ

る。人を指していた自分の指に突き刺される。逆上がりをしてひっくり返った景色

ひっくり返らなかった世界。何もかもが悲しいのは”それがそこになかったとしても”

という声を枯らしてしまたから。待ち続け。待たれ続け。待たされ続け。目の前で

大口を開ける坊主の、かき消された叫び声。両目を覆った十一本の指。その隙間から

ちらちらと覗く青い空が、鮮やか過ぎて、恐ろしく、涙を流し、殴られ、手紙を書き、

書いては、燃やす。伸び縮みする宇宙膜に手を伸ばし、広がりの切れ端に俺は飛び込

む。

2012-02-18

[] 松井冬子さんの講演を聴いたよ at 2012.02

アーティストトーク「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」at 横浜美術館レクチャーホール, 2012.02.11(Sat), 15:00-16:00。Kyo.I.

 

 横浜美術館松井冬子さんの講演を聴いた。彼女個展世界中の子友達になれる」の関連イベント。 

 11時ころ会場前に行ってみたらスタッフの方(美人)がいたので話を聞くと、「どのくらいの方が集まるか何とも言えませんが、現時点ではどなたも並んでません」とのことで、とりあえず個展を鑑賞。同行した絵描き女子はたいへん楽しんだようだけど、私はよく分からんかった。むしろ常設展に感動。あ、でも松井さんの『ただちに穏やかになって眠りにおち』は印象に残った、私は宮沢賢治の『オツベルと象』が大好きだから

 13時ころ会場の様子を見に行ったらもう150人くらい並んでてびっくりした。慌てて最後尾に並ぶ。老若男女が並んでる。一人で来てる人も多い。並ぶときに、スタッフの方からレジュメ」と称される紙が配られたのだけど、松井さんのプロフィールしか書いてなくて残念。

 講演タイトルは「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」。この奇妙なタイトルは、松井さんが東京藝大で博士を取るときに提出した論文タイトルだそうで、講演ではその論文について解説してくれるということだった。

 

 15時。学芸員さんの挨拶に続いて、松井さん登場。

 とりあえずビジュアル的に面白い。つま先から太もも全体まで包む黒いエナメルのロングブーツ! テカテカしている。もともと脚がすごく長いのかヒールがすごく高いのか両方なのか知らないけど、やたら大きかった。

 松井さんの話によると、彼女博論2006年執筆して、2007年2月教授陣の前で発表したのだけど、発表の際に高熱を出していて上手く出来なかったとのこと。今回はその時のリベンジをしたいという。

 で、講演が始まったわけだが、うーん、日ごろ自分プレゼン下手を痛感している私としては、非常に勇気づけられた。こんな下手な講演が世の中にあるのか! 私の前に座ってた中年女性が、講演中に隣の人と「おもしろくないね」と言っちゃうくらいである。

 講演タイトルを見ても分かるけど、松井さんは基本的に、いわゆる「中二病」全開な文章を書く人だ。絵のタイトルも『陰刻された四肢の祭壇』とか『終極にある異体の散在』なんて感じだし、個展の絵にもそれぞれ解説文がついてて、それが全部同じような調子で長々と書かれている。まあ、幽霊とか臓物とかを描くくらいだから、「中二」なのは文章だけの問題じゃないと言われるかもしれないけど、それはともかく。

 不必要に硬い語彙を好んで使い、しかもそれぞれの言葉の組み合わせ方が少しずつ適切な用法とズレていて、さらに主述関係や修飾-被修飾関係あやふやなので、全体として意味が不明瞭。そんな文章を、文字情報なしで口頭で早口で(つっかえながら)読み上げるのだから、分かりやすくなるわけがない。

 と、つい悪口が長くなったけど、私の理解した範囲で要旨をまとめると、

他者との接触は私に痛みをもたらすよね。

この痛みそのものは伝達不可能。痛みとは孤独もの

でもそれを芸術作品に託すことで、目に見える形にして、人に伝達できるのでは。

そういう試みが視覚芸術のなかに確かに存在しているし、松井自身の制作も、その系譜に連なるんだよ。

 こんな感じでした。

 この系譜の探究として、河鍋暁斎とかダミアハーストとかクリスチャンボルタンスキーとか色々な作品が挙げられ、分類され、その流れで自作解説も行われる。(ちなみにその分類の名前は「攻撃性自己顕示実践型/受動自己犠牲変容型/局地的領域横断型」。一貫した中二感。)

 余計なお世話だけど、「知覚神経としての視覚によって覚醒される痛覚の不可避」というタイトルでは全然内容を表せてない(うえにそもそも日本語としておかしい)ので、まともに修正するなら「痛覚の覚醒企図する視覚芸術の系譜」ってところでしょうか。

 私の記憶する限りでは、「不可避」の部分が講演のなかに出てこなかったので、もし質問コーナーがあったらお尋ねしたかったのだけど、むしろ講演の後半は時間が足りなくなって、松井さん自身の話さえだいぶ端折られてた。残念。

 ちなみに私の同行者は、「全体としては難しくてよく分からなかったけど部分部分は面白かった」とのこと。例えば、ある作品に描いた孤独幽霊が、少女コミック主人公のようなものだという話。少女運命の相手に出会うために奇跡を待つのは、逆に言えば奇跡なしには出会い存在しないということであって、そこには極めて近代的な「ディスコミュニケーション」があらわれている、とか。

 

 私は正直、講演の内容自体にはこれといった感想を持てなかったんだけど、にもかかわらず彼女に対する印象は大きく変わった。

 松井さんの文章は、中二病的だ。見た目には間違いなく中二の文章だ。でも、彼女がそういう文章を書く理由は、いわゆる中二病とは大きく違うんじゃないか。講演を聴いてるうちにそう思えてきた。

 自意識過剰中学生は、全力でカッコつけて(実はカッコ悪い)文章を書き、しかもそのカッコつけた自分に酔っている。

 一方、松井さんは、無理やり日本語ねじまげて珍妙言葉かいをすることを、ある意味でむしろ強いられてるんじゃないか。そうでもしなければ、彼女が何を言っても「美女の言葉」として消費されてしまって、結局何ひとつ表現することができなくなってしまうんじゃないか

 彼女は、整った顔立ちの、いわゆる美人だ。私は、平たく言えば、「どこかで過剰に武装しないとなめられてしまって、男と対等に見てもらえない、それが嫌なのかもなあ」、と思った。感覚的な話だけど、堅苦しい言葉をたどたどしく話す彼女を見ながら、思ったのだ。

 彼女は講演の中でも「メスしか描かない」と言っていたし(尾長鶏はオスだけどドラァグクイーンイメージなので名誉女性と考えているとのこと)、ネット情報によるとフェミニスト上野千鶴子さんのファンらしいから、性に関する問題に強い意識を持っているのは確かだろう。(※追記:フェミ関連の話としては、http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090709/1247140423、などがある。)

 ただまあ、こんなふうに分析されるのは、たとえこ分析が実情を言い当てていたとしても(いやむしろ言い当ててていればこそ)、松井さんの立場からすれば不快以外の何物でもないだろう、とは思う。

 残念ながら私には、松井さんの作品自体をフェミニズム絵画として論じるだけのモチベーション能力も無いけれど、そういう見方もできるのかもしれないね。というかできるんだろうね、間違いなく。

 

 長くなったついでに一つ。

 私見では、松井さんは「言いたいことが山ほどあるけど上手く表現する技術がない人」だと思う。だからあんなに自作解説をしたがるのだ(いまネットで少し松井冬子評を探してみたら、彼女自作解説にヘキエキするという人は一定数いるようだ)。 結果、彼女のファンは、「よくぞそれを言ってくれた!(技術はともかく)」というタイプの人と、「グロテスクな絵を描いて、博士号を持ってる、美人すぎる日本画家! おもしろい!」というタイプの人に分かれることになる。あとまあ、「幽霊大好き!グロ大好き!」という人もいるのかもしれない。サブカル

 私自身は、特に彼女同調するわけでもなく、外見や肩書に魅力を感じるわけでもなく、幽霊が好きなわけでもない。そして彼女の文章を容認できる忍耐力もない。

 まとめると、私には彼女について語る資格はない、ということなのかも。

2012-01-16

実名IDを捨て去る時が来たのです

今日ネット炎上で生贄の羊がネットでの居場所を失いました

ネット炎上」というサバト犠牲となった生贄の羊よ

あなたの居場所はいつでも「はてな匿名ダイアリー」にあります

ここではあなたが名乗らない限りは、炎上の恥をあげつらう人は誰もいません

実名IDで縛られた浮世のしがらみを捨て去り、ひと時の魂の休息を得るべき時が来たのです 

実名IDという「ネット人格」を捨て、匿名不特定多数の「ネット幽霊」の一員になっても

あなたという魂がネット社会から消える事はありません

増田」へようこそ

2012-01-13

http://anond.hatelabo.jp/20120112224310

今の現代社会ニート穢多非人のたぐいだね。抑圧された勤め人が鬱憤をはらすための必要悪

ただ「ニートネットで云々」というデータはどこにもなく 今のところは実体のない幽霊さんみたいなもの

2012-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20120104205833

えぇ、増田なのにズコバコギシアンしてるの?

その増田幽霊とか脳内とかではなくて実在するんですか?

格差社会反対!!

2011-11-22

http://anond.hatelabo.jp/20111122103314

平坂読はわりと西尾維新なので、表面的には癒し系でも中身はめちゃ殺伐としてるよ。

俺妹」が読めるなら「はがない」も十分に楽しめると思う。特に最新刊。

「空パン」読んだあとは「丘ルトロジック」を。

そのあと十文字青扇智史を読むべき。

アサウラの「バニラ」が良かったなら木ノ歌詠瑞智士記)の「幽霊列車とこんぺい糖」を読むべき。

秋山瑞人はたぶん読んでるだろうけど、読んでなかったら「イリヤ」を。

あとは中村恵里加とか。

ああ、浅井ラボを忘れてた。

2011-11-18

http://anond.hatelabo.jp/20111118095624

幽霊がいる いない の話ではなくて

無いものを有る と考える人間と付き合うのが疲れる

というハナシ。

で、当然「実際放射線放射性物質ともに検出されてるんだからあるんだろう」

という返事が帰ってくるんでついでに

放射性物質拡散具合や濃度・半減期を考えれば、避なければならないもの・場所はおおまかに分かるはずである

問題は、知識が足りないので判断がつかず、恐れすぎるあまりに過剰に放射性物質放射線に反応して大騒ぎする。

その大騒ぎをなだめたり付き合うのに疲れる というハナシ。

さて、一つ質問。3/12以前に 放射性物質 放射線 放射能 電磁波 波長 α線 ベータ線 ガンマ線 半減期 同位体 原子量 中性子 核分裂 臨界 臨界

このうちの一つでもきちんと説明できないのに原子力発電に反対していたのなら

信号が赤で止まれ の意味すら知らず交通安全の話をするのと同じぐらいの無知である

「そんな難しいこと普通の人が分からないだろ!」

あなたはいま むずかしいはなしをしてるんでちゅよ。

今、このうちの一つでも分からず今回の事故の話をしているのなら・・・・。

ま、そうやって生きていけばいいんじゃない?でも俺にかかわらないでくれよ。馬鹿の相手は疲れるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20111118090509

チェルノブイリ甲状腺ガンが多発したのは、ヨウ素の放射性同位体を大量に摂取たからだ。

セシウムの放射性同位体」が「食物を通して摂取」されて、「どのような危険があるのか」有意データは無いからな?

ヨウ素甲状腺ストロンチウムは骨に蓄積される。

体内に留まるから被曝危険が増す。

じゃ、セシウムはどこに取り込まれるんだ?

普通にしてりゃ、クソとして出てくよ。

事故直後のヨウ素にしたって、日本人は海草を多量に食べるから治療のため甲状腺に放射性同位体を蓄積させようとしても大変なんだ。

故意に、放射性同位体を蓄積させようとしても、大変なんだ。

お前みたいなやつが、必死になって「幽霊を作ってる」んだよ。


そもそもが、大気圏内核実験やってる頃の放射性物質の量は、いまとは「比べ物にならない」が、いまの老人はみなガンで苦しんでいるかね?

仮にガンになったとして、それをタバコでもアスベストでもなく、「ピカのせいじゃぁーーー」って言ってる団体いるか

アホらしい。

http://anond.hatelabo.jp/20111118095624

おれは、大人になっても幽霊は怖いよ。

怪談とか見るの嫌いだしね。

心霊スポットとか行くやつの気がしれない。

嫁さんもやっぱりホラー系はだめで、基本家ではホラー禁止だが、たまさか見てしまったときは、ずっと一緒にいる。

「ゆうれいなかいない」ってのは、どちらにとっても慰めにならない。

http://anond.hatelabo.jp/20111118090620

大人になっても幽霊がいない」ってことが分からない奴と付き合うのが疲れるって話だろ。

2011-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20111115103802

条理の問題じゃないっつーの。これだから理系ダメなんだ。

たとえば「幽霊怖いよパパー」っつって泣いてる娘がいるとしたら、父親がすべきことは何だ? 条理を説くことか? 

2011-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20101106161007

(長すぎて続きが表示されなくなっていたので分けました。)

死ねば?」

「何故ですか」

だって生きていても楽しくないんでしょ?」

「大抵はそうですね」

「だったらなんで死なないの?」

「それはさっき言いましたよね」

「…人間生きるか死ぬかどっちかじゃない?早く死にたいんだよね?」

「どちらかと言えば」

「死ぬのは嫌なの?死にたいの?どっちなの?」

「どちらかと言えば嫌です。今生きてますから

「じゃあなんで死なないの?どっちなの?わけわかんない」

「あの、一ついいですか?」

「なに?」

もしかして、死ぬの反対は生きるだと思ってますか?」

「あたりまえじゃん。死ぬか生きるかしか無いじゃん?他にあるの?」

「死ぬの反対は生きるじゃないですよ」

「じゃあなんなの?」

「生まれるです。」

「生まれる…」

「そう、生まれる。生を受ける事、が死ぬ事の反対語です。」

「…死ぬ事の反対は生きるじゃないの?」

「そうです。"死ぬ"の反対は"生まれる"です。そもそも死ぬというのは出来事です。生きるというのは状態です。」

「え、なにそれ?」

英語習った事ありますよね?」

「うん、学校で習ったよ」

動詞の種類に、動作動詞と状態動詞というのがあったのを覚えていますか?」

「んーなんとなく」

「あれに近いです。つまり、死ぬというのは動作動詞です。生きるというのは正確には"生きている"という状態動詞です。」

「ほんとに?それあってる?」

「知りません。でも言わんとしてる事はわかりますか?」

「わかる。生まれるも、動作だしね。」

「そうです。死ぬと生きるという二つは対になるはずがないのです。生きるの反対は強いて言えば、死んでいる、でしょうか。」

  

「…それで何が言いたいの?」

「何が言いたいか

「うん」

「私が言いたいのは、早く生を終えたい事と、今生きている事は両立するという事です。」

「え?両立?」

「そう、両立です矛盾しないということです。」

矛盾するでしょ!死にたいのに生きてるっておかしくない?」

おかしくありません」

「なんで?生きてるのに死にたいんでしょ?」

「そうですね」

矛盾してるじゃん!」

「どこがですか?」

「どこがって、全部!」

「まず、生きているということ、の反対は、先ほど言ったように死んでいるということ」

「え?うん、そうだね」

「生きているのに死んでいる」

「なにそれ?」

矛盾してますね」

矛盾…っていうかわけわかんない」

「それが矛盾です。生きている事と対になっている死んでいるという状態が重なっている。これはどちらなのかわからない。矛盾しています。」

「そうだね、どっちなの?」

「だから矛盾しているのです。今言ってるのは生ける屍とか死んだように生きてるとかそういう話ではないですよ」

「それはわかってる!」

「では、死んだのに生まれた」

死産?」

「いえ、出産のことではありません。言い直しましょう。死ぬ人が生を受ける」

「どういう意味?」

「ある人が、死ぬと同時に生を受けるってことです

「生まれ変わるってこと?」

「転生の話ではありません」

「じゃあなに?どういう意味?」

矛盾しているという事です。死んだのか生まれたのかどっちなのか」

「どっちなの?」

「だから矛盾しているのです

「ていうか普通間違える?」

「そういう話ではありません。」

「じゃあどういう話?」

「生きている人が死ぬ」

「うん」

「これは矛盾してませんよね」

「当たり前の事だよね。生きてないと死ねないし」

「そうです。」

「何が言いたいの?」

「生きているからこそ、死ねるのです。」

「わかんないって!」

「生を終えたいという思うのは、生きていないと出来ません」

「うん、それはそうだね」

ですから、生きているという状態と、早く生を終えたいという気持ちは矛盾しないのです

  

「なんで?死にたいなら死ねばいいじゃん?おかしくない?」

「私が死なない理由は先ほど言いましたよね?」

「うん、聞いた。親がどうとか」

「では、理想としてはなるべく早く生を終えたいというのも覚えてますか?」

「覚えてるよ。早くないけどね。」

「私は今、生きてますよね?」

「目の前にいるのが幽霊じゃなければね?」

幽霊ではないですよ。」

「わかってるし」

「ではもう一度聞きます。私がなるべく早く生を終えたいけれど、今生きているということは矛盾しますか?」

「…んっと、君の場合は、親が生きている間は生きたいんだよね?親が死んだ後死にたいんだよね?だから今生きているのは生きたいから生きてるんじゃないの?」

「生きたい、ですか?」

「そうそう、生きたいから生きてる。違う?」

「違います

「え、なんで?死にたいなら死ぬでしょ?親が死ぬまでは生きたいから生きてる。間違ってなくない?」

「間違っています

「どこが!」

「私は、今自然に生きています。」

「はあ?」

「生きようと思って生きているわけではありません。」

「じゃあ死ねばいいじゃん!」

「死のうとも思いません」

「わけわかんない!じゃあなんで生きてるの?」

「生まれたかです。」

「生まれたから?」

「そうです。生まれたから。」

「生まれたから生きてるって、なにそれ?」

「生まれたら、生きている事が自然な状態です。」

「生まれたって死ぬひとはいるでしょ?」

「います

「それは自然じゃないってこと?」

「それも自然です

「どっちだよ!生まれたから生きているのが自然で、死ぬのも自然って」

「どちらも自然ですですから、その場合の死は、事故死であったり病死であったり自然死であったりします」

全然わかんない」

「私は今生きてますよね?」

「さっき聞いたし言った!!」

「そう、それが自然です。今私が生きている事というのは、この世に生を受けて、それを維持している。自然の状態です。そこに私の意思はありません。」

「でもご飯食べたり寝たりするよね?」

します」

「それは生きたいからじゃないの?」

「違います

「じゃあなんで?」

「食事は、腹が空くからです。」

「あたりまえじゃん!」

「生きたいからではありません」

「だーかーらー、お腹がすいてご飯を食べるってことは生きたいって事にならない?」

「なりません」

「なんで?」

「それが自然な事だからです

「だから自然自然って意味からないって!」

あなた、ご飯食べますよね?」

「食べるよもちろん」

「生きたいですか?」

「私は生きたいよ?」

「では、食事をとる時に生きたいって思いますか?」

「…思わないけど」

「生きるために食事をとると毎回考えて食べてますか?」

「…食べてない」

「では、生きるために食事をとりますか?」

「そりゃそうだよ」

「考えてもいないのに?」

「考えなくてもご飯食べる事は生きるためなの!」

「本当ですか?」

「当たり前じゃん」

「それは、後からそう教え込まれただけではないですか?」

「え?」

「生きるためには食事をとる事が必要だと、後から教えられただけではないのですか?」

「そりゃー教わったよ?でも教わらなくても生きるためにご飯は食べるよ」

「本当ですか?」

だってお腹空くじゃん」

お腹がすく」

「そう、生きるためとか知ってなくてもお腹はすくでしょ?じゃあご飯食べるよ」

お腹がすくから

「そうだよ、お腹がすくからご飯は食べる。それが生きるためになる」

「生きるためかどうか教わっていなくても、お腹がすくからご飯を食べる」

「そうそう」

「つまり、ご飯を食べる理由はお腹が空くからですよね?」

「そうだよ?」

「それが自然です

「…ごめん、わけわかんない」

  

「例えば、ですよ。例えば、あなたは生きるためには食事が必要だという事を知らないとする」

「うん。知ってるけどね」

「例えです。」

「たとえね、たとえ」

「そう、例えです。例えば、あなた生命維持のための食事の必要性を知らない。しかしながら、腹は空く。当然、食事をとりますよね?」

「うん」

あなたはなんのために食事をとりまたか?」

お腹が空いたから」

「では、あなたが食事をとった事は、生きるためではないですよね?」

お腹が空いたからだけど、それは生きるためだよ」

「でもあなたは生きるために食事が必要だという事を知りませんよ?」

「知らないけど、知らなくても生きるためになってるよ」

「生きるためになっている。」

「うん」

「では、あなた自身はどうなのですか?」

「私自身?」

「そうですあなた自身は、生きるために、と思って食事をとりまたか?」

「ええっと、私はその時点では知らないんだよね?じゃあ思ってはいない。でも実際はそう。」

「そうですよね。食事をとる事は生きるためになっている。でもあなたにその意思はない」

「そう、なるね。」

「話を戻していいですか?」

  

「ごめん、何の話だったっけ?」

「私が生きたいから生きているかどうかという話です

「そうそう!生きたいから生きてるんでしょ?」

「違います

「じゃあなんなの?」

「生きている事が自然なのです

「また自然…」

「言い換えましょうか?では、私が今生きているのは、私が生きたいという意思を持ち続けてようやく維持している状態ではなく、私が何も考えないところで勝手に生きてしまっているのです。」

「でもご飯食べないと生きていけないよ?ご飯食べないの?」

「食べます

「じゃあ生きたいからご飯食べるんでしょ?勝手に生きてるなら勝手に食べるの?」

「食べたいから食べます

「生きたいから食べたいんでしょ?」

「違います。腹が減るからです。」

「腹が減るってことは生きたいって事じゃん?」

「そうかも知れません」

「でしょ?」

「でも、死にたくても腹は減ります

「じゃあ食べなきゃいいじゃん」

「その時が来れば食べません」

「今は生きたいってこと?」

「違います

だってご飯たべるんでしょ?」

「私が食事をとるのは、生きるためではありません。腹が減るから食事をとるのです。先ほどの例え話覚えてますか?生きるという意思を持って食事をとるのではなく、腹が空いたから食事をとるだけなのです

「そんなの屁理屈だよ!だってご飯食べることが生きるためになるって知ってるじゃん?」

「知ってます

「じゃあ生きるためになってるじゃん。死にたいなら生きるためになる事を避けるじゃん」

「私は今は死ぬ事は怖いので避けています

「じゃあ生きるために食べるんでしょ?」

「違います

「なんなのもう!!!!!わけわかんない!!!

  

「いいですか」

「なに!」

「私の住んでいる日本では、そして私の今の環境では、幸か不幸か、食事に困る事はありません。」

「それは幸せなんだよ?世界からすれば」

「そうかも知れません」

「そうだよ多分」

「そう、食事に困る事は無いのです。そして、また幸か不幸か、私は病に冒されてもいません」

「そうなの?」

はい

「そうは見えないけど…」

「そうなんです。つまり、今現在私は、死の局面には晒されておりません」

「知ってる。私もそうだし」

「そうですよね。」

「うん」

「そう、そういった状況において、生命を維持する事は、果たして困難でしょうか?」

「んー、ちゃんとご飯食べて、寝て、運動していれば大丈夫なんじゃない?」

「そうですよね。」

「そう思うけど?」

「では、私の環境において、食事と睡眠運動は阻害されるでしょうか?」

「されるの?貧乏なの?」

「されません。」

「そうだよね」

「では、私がただ生きるだけというのは難しいと思いますか」

「ただ生きるだけ?わりと簡単なんじゃない?」

「わりと簡単です

「そうでしょ」

「では、私がただ生きるためだけに、生きてやる!!という強い意思は必要だと思いますか?」

「ただ生きるだけなら、なんとなく生きていけるんじゃない?」

「生きていけます

「そうだよね?」

「つまり、私は生きたいという意思を働かせて生きているわけではなく、腹が減れば食事をとり、眠くなれば睡眠をとり、体を動かしたければ運動をし、ただなんとなく自然に生きているのです。」

「なんか、怠けてるね…」

「そうかもしれません」

「…」

「私は今ただなんとなく生きています。そして、なるべく早く生を終える事を望んでいます。ただし、それ以上に私が死んで親や妹が悲しむ事を恐れています。それらは順序はあったとしても、矛盾はありません。」

2011-10-12

増田は既に死んでいる

増田は7歳の時に鉄棒から落ちて死んだ

正確には脳細胞がほんのちょっとだけこの時に死んだ

それ以来増田あの世とこの世を行ったり来たりしている

時々他人の話している言葉が数秒間だけ分からなくなったり

自分が何を言っているのか数秒間だけ分からなくなったりする

時間にしてほんの数秒間だけのことなので、なんとか誤魔化して数十年生きてる

言語能力を失う数秒間は幽霊になったような感覚がある

他人と意思疎通ができなくなるということは即ち「XX」になるってこと

増田は上記の状態に陥った時は少しは悲しくなるけど、悲観にふけるほど悲しいとは感じてない

ほんの数秒だしね

しかし、一生涯周囲との意思疎通が難しい状態で過ごさないとならない人を目の当たりにすると

胸がちくちくする

2011-09-07

ねこきもち

箱の中がすっかり暗くなってしまってから、もう随分と時間が経ちました。

入れられる以前に小耳に挟んだことなのですが、どうやらこの箱の中には猛毒の入った小瓶が置かれているそうです。小瓶は口を溶接されて密閉状態にあるものの、すぐ側には振り上げられたまま固定された金槌が設置されていて、その金槌とある時間がきた途端に振り下ろされるのだそうです

そのとある時間なる時がいつを指すのか、私には全くわかりません。いまこの瞬間にもその時が来ているのかもしれないし、あるいはもっと先のことだったり、考えたくないことではありますが、もう過ぎてしまったことだったりするのかもしれません。金槌は誰の影響を受けるでもなく、独立した一つの事象として、完全な確率五十パーセントで振り下ろされることになっているのです。小瓶は割れてしまうのかもしれないし、割れないままかもしれない。私は死んでしまうかもしれないし、生きたままいられるのかもしれない。

まったく、とんだ状況の中に押し込めてくれたものです

激しい憤りを覚えずにはいられません。私の生死という何よりもの大事項が、私はもとより誰からの手も離れて、唯一、五十パーセントなどという無機質極まりない確率だけに委ねられているなんて。ほとほと酷いにも程があるのではないのでしょうか。

加えて理不尽まりないことに、この五十パーセントという確率をより厳密なものにするために、箱に入れられた私には様々な枷が与えられたのです

例えば視覚について。小瓶と装置が見つかっては壊されかねないとのことから、箱には完璧な遮光が施されることになりました。完璧な暗闇。暗黒と呼んでも差し支えのない暗さが用意されたのです。よって私には、少し先の様子はもちろんのこと、私自身の輪郭さえ視認することができません。そこに本当に私の身体があるのかどうか、馬鹿げた話ではありますが、疑いすら持ち得てしまえる暗さなのです

また聴覚についても、同様の理由からか、自ら発した声さえ聞きとれない程に徹底した遮断が施されています。どのような原理が働いているのかは不明です。そもそもなにも見えないのですから、確認のしようがありません。ですから以下は推測になりますが、もしかしたらここに入れられる前に鼓膜を破られたのかもしれないし、あるいは箱を形成する外壁に特殊な吸音板が使用されているのかもしれません。

兎にも角にも、防音吸音共に優れすぎた暗い箱の中で、私の視覚聴覚は文字通り死んでしまっているのです

極めつけとばかりに、全身を支配する身じろぎひとつ取れない虚脱感もまた、私に与えられた枷のひとつでした。暴れないようにとの理由から、箱に入れられる際に何かしらの弛緩剤を投薬されたのでしょう。半ば強制的に同じ姿勢のまま横たわらねばならなくなったので、次第に皮膚感覚麻痺していきました。

何も見えないし聞こえない。嗅覚も味覚もあてにならない上に、触覚までも機能不全に陥った。つまるところ私は五感を全て支配されてしまった木偶のような有様を晒しているのです非情まりない状況です。これほどまでに不自由を徹底するくらいなら睡眠薬を投与してくれたらよかったのにと思わずはいられません。一つも外傷を与えられないまま生殺しにされている気分なのです。私という生命存在について、これ以上ないほどに蔑ろにされているという屈辱感が、辛うじて私の精神を狂わせず律してくれているのです

私は、私の生命を、その生き死にを決定する何よりも重大な決定権があからさまに奪われてしまっていることが憎い。生命の存続を決定づける要素というものが、たった一つ、誰から意図から独立した、純粋まりない確率にだけ寄っているという事実が、憎くて憎くて堪らないのです

どうして私はこんな箱の中に入れられなければならなかったのでしょう。こんな馬鹿げた箱の中で、徹底して自由を奪われたまま生死の恐怖に怯えなければならないのでしょう。

こんなに理不尽なことがあっていいのでしょうか。こんなに残酷なことがあっていいのでしょうか。

はいま、とても孤独です。胸にぽっかり穴が開いたとか、むせび泣いてしまうとか、そんな孤独よりももっと深淵にある、一面の虚空とでも言うべき孤独感にやられてしまっているのです。すごくすごく、ものすごくさびしいのです。独りぼっちのまま、永劫の暗黒に投げ出されてしまったものですから絶対零度にも等しい肌寒さに打ち震えることしかできないのです

箱の中からは一切の遠近感が失われています。暗黒だけが広がっていて、どこかにあるはずの小瓶と金槌は当然のごとく、箱の壁も底も天井も全て消えさってしまたかのようです。無論、実際にはそこにあるのでしょう。けれども、ありとあらゆる感覚器が閉ざされ麻痺してしまった私には、当然のようにそこにあるはずの物ども(実際にはそれ自体に何かしらの存在意義が与えられているはずなのに)が、ないも同然になってしまっているのです

正直に告白しましょう。私にはもう、箱の中に私がいるという前提にさえ自信が持てなくなってきています。確かに私というもの存在している。こうして取り留めもないことを考え、あるいは空想している私の自我ないし意識とか精神などと呼ばれている唯一性は確保されている。けれども、その唯一性が本当に箱の中に閉じ込められているのかどうか。本当はもっと違う、どこか異質な空間を漂っているのではないか。疑念を払拭し切ることができないのです

しかしたら、いまこうしてここにある私は、どこか遠く宇宙の果てを漂っているのかもしれませんし、マリアナ海溝の水底に横たわっているのかもしれない。あるいはキラウェア火山の火口からマントルの方向に向かって沈下しているのかもしれません。

私には私自身を覆う箱がどうなっているのか知る術がないし、五感が死んだままではここが箱の中なのかどうか判別がつかないのです

加えて、いまここにある私が本当に生きているのかどうか。そんなことさえも私には確認する方法が与えられていません。ともすれば私は、二分の一の確率をすでに通り過ぎてしまっているのかもしれないのですから。私はもう死んでしまっているのかもしれませんし、運良く生き残っているかもしれません。弛緩剤を打たれた身体で浅い呼吸と僅かな拍動を続けているのかもしれないし、その全てが停止したままだらんと横たわった肉塊になっているのかもしれません。

私は私自身の肉体を自由にできるだけの力を奪われてしまっているのです。私という思考が生命活動を続ける健全な肉体に宿っているなどと、一体誰が認めてくれるのでしょう。完璧な暗闇に毒された五感は、すでに感覚器としての意義を失くしています。私にはもう本当を確かめるだけの機会さえ与えられていないのです。ありとあらゆる想定は、もしかしたら私自身が作り出した捏造なのかもしれない。私を巡る様々な状況や、そもそもの私という唯一性についても、プログラムされたロールプレイにすぎないのかもしれない。

私という存在について、口惜しいことに、ゆらぎの只中にある私には振る舞い方を決めることができないのです

叶うことなら、誰かに私を見つけ出してほしいくらいです。私を閉じ込めた狭い箱をこじ開けて、私がどうなっているのかを観測して、私の有り様を決定して欲しい。私にはもうそれだけの力が残されていませんから。身動きも取れないまま、孤独に身を震わせ続けることしかできないのですから

全能の神であれば、光あれと呟くこともできることでしょう。無茶な願いだと承知のうえですが、そう告げることができたのならどんなによかっただろうと感じずにはいられません。

自身を巡るありとあらゆる不確定なゆらぎを自らの意思で確定できるなんて!

あこがれは、しかし一方で臆病な陰影を生み出すものです。箱が開かれ、私が見つけられて観測され、結果的に私の有り様が決まることについて、嘘偽りなく告白すると、確定されるいまに不安を感じていることから目を逸らすことができなくなるのです

生きているのか死んでいるのかさえも自分自身では確かめようのない私ではありますが、それでもやっぱり死ぬことは怖いのです。死んでいると決定してしまうことが生理的に恐ろしいのです。どうしても受け付けられない。きっとそれは私がまだ具体的な死という現象を体感することも想像することもできていないからなのでしょう。

いいえ、なにも私に限った話ではないのでしょう。人徳有望な仁君名君であっても、極悪非道殺戮者であっても、遍く存在する人畜無害一般人であっても、誰だってそうだろうと思うのです。年老いた人や、病床に伏せる難病患者であるのならば、もしかしたら限りなく近しい想像を働かせることが可能かもしれません。が、それでもやはり具体的な体験については一生不明なままだと思うのです

結局、死とはゆるがせにできない圧倒的な意味を持つ終着点だと思うのです時間というもの、あるいは意識というものが絶対的な不可逆性を有しているように、たとえそれが儀礼的な通過点や他に類を見ない印象深いイベントであったとしても、決して覆すことのできない絶対的な事柄に違いないのです

私は、いまここにある私という思考は、私を巡る様々な有り様が決まった瞬間にここから存在しなくなります。頭までどっぷりと浸かった、熱くも冷たくもない、温度を感じることのできない完璧ぬるま湯を抜かれてしまって、否応なしに外気に触れざるを得なくなってしまからです

そんな取り返しの付かない変化が恐ろしい。死んでいると決定づけられるだけに限らないのです。私にはもう、生きていると決まってしまうことさえ不安不安でたまらないことなのです

きっといまここにある私は、永遠とも感ぜられる点に留まった小さな小さな幻想のようなものなのでしょう。それ以上広がることもなければ縮まることもない、伸びることもなければ短くなることもない。拡散することも閉塞することもない、数学的に正しい唯一一点に留まったまま自己同一性勘違いしてしまった幽霊のような存在なのでしょう。

その点は、座標平面上の至る所に存在し、同時にとある一箇所には存在していないのです一心同体も同然となった私のことなんて気にも留めないで、ある特定の事象が起こった瞬間に、その事象が起こったありとあらゆる時空間の中のたった一つに、まるでバスから降ろすかのようにして私を収束させるのでしょう。

またそんな点に留まってしまった幻は、実物になる可能性も、霞となって消え去る可能性も平等に有している。

はいま、どんな時空間にも存在し、ありとあらゆる性質を有していながら、同時にどんな性質からも見放された孤独に苛まされています。誰かに見つけて欲しいと願う一方で、その時一体私がどこにいるのか、どのような姿になっているのかが不安でならないのです

因果の理から放たれてしまった私は、何時迄経っても不確定なままなのです

2011-09-02

幽霊って本当にいるの?

ほとんどの人に幽霊は見えないわけですが、ごくたまに、見えちゃう人がいるんです

見ちゃった人は、「幽霊は絶対にいる!」「あの場所には崇りがある!近付いちゃいけない!」

なんて、声高に叫んで周りに注意を促すわけですが、周りの人に幽霊は見えないので、

「あの人ちょっとおかしい」なんて目で見られるわけです

見ちゃった本人にとっては、「幽霊を見た」という事実があるので、

「暗かったから、柳の木が揺れてるところを幽霊と見間違えたんじゃない?」

なんて諭しても、幽霊存在を否定されてしまうと、自分自身の否定にもなりかねないので、聞く耳をもちません。


「あれは柳の木だから。おまえらの見間違いだからBy フジテレビ

http://www.fujitv.co.jp/fujitv/company/news/110902.html


幽霊がいないことを頑張って証明してほしいと思います

2011-07-31

お化けなんてないさー

いるなら連れてこいよ。

うちの祖父ちゃんお化けでもいいから連れてこいや

 

ひ孫にランドセル買ってあげたのに、背負ってるの見る事もなく3月に亡くなったじいちゃん。

姪っ子は、同じく祖父ちゃんが買った電子ピアノでいっぱい練習して、ちゃんと発表会やったよ。

間違えなかったよ。

 

じいちゃんが植えた、たぶん百合花咲いてるよ。

植木鉢の奴枯らせてごめんな。

じいちゃんの東京の姉からメロン届いたよ。

いつも桃売りに来るおばちゃんも来てるよ。

 

夏用のパジャマ捨てるよ?

いっしょに買いにいった靴は捨てられん。

 

金魚はまだ元気やよ。

1日1回しか餌あげてないけど、ちょっとスリムになったわ。

 

じいちゃんが建てた家、ちょっと床が心配になってる。

遺産でなんとかするけど、遺産の処理やりたくない気持ち分かるやろ?

 

じいちゃん。

蕎麦が大好きで、でもこの時期はいつも冷やし中華トマトのっけて食べてたじいちゃん。

本当にいないの?

 

去年の春までばあちゃんがいた病院行ったら、もしかしたら二人ともいるんじゃないの?

 

ブラックは嫌いで、ドロリッチも好きになれなくて、

いつもジュース飲んでたじいちゃん。

じいちゃんが水を含んだスポンジを口に当てると嬉しそうに吸ってたばあちゃん。

 

二人とも本当にいないの?

 

 

 

さみしいよ。

 

一人でご飯作ってもおいしくない。

酒屋に勧められた酒もだめだ。

サザエのシーズン来てるよ。

 

 

やっぱりじいちゃんとばあちゃんあって俺だったんだよ。

 

小学校上がる前に母親を亡くし、

それから母代りに見てくれたばあちゃん、

ほんとに俺があかん事した時以外は全然怒らなかったじいちゃん。

 

ばあちゃんが病気になってから

十数年支え続けて、もうどうしようもない所まで自宅で看病したじいちゃん。

それを受け入れたばあちゃん。

 

今、俺は全然だめだよ。

ばあちゃんが亡くなって、ちょっとして仕事辞めた事知ってるやろ?

でもじいちゃんが亡くなってから、もう何のやる気も出ない。

 

唯一の趣味だった料理も一人じゃおいしくない。

 

彼女も作ろうとしてみたけど、

どうしても結婚しようって気にならん。。。

 

 

 

聞きたい事、報告したい事、いっぱいあるよ。

じいちゃん、ばあちゃん。

本当にいないの?

後ろから肩たたいて欲しい。

 

おい、〇〇~って声かけて欲しい。

俺も、の~、じいちゃんって言いたい。

 

全然おもしろくないTV見ながら言いたい。

うら、この問題分かるわ~って自慢したい。

 

 

 

 

 

幽霊がいるとか言う奴は全員市ね。

いるんなら俺のじいちゃんとばあちゃんとお母さん出してこいや

 

生前の想いがーって言うやつは、8代呪われろ。

 

31歳で7歳と5歳の子供を残して亡くなった母。

その代わりをしてくれたが、60から病気になった祖母。

祖母を送ったけど、姪っ子の入学式も甥っ子のアレルギー克服も見ずに逝った祖父。

 

しょーもない恨み抱いて死んだカスよりよっぽどうちの家族の方が気持ち深いわ。

 

じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、

会いたいよ。

 

じいちゃん、頼むわ。。。

2011-07-16

ふと目がさめてトイレに入ろうとしたら何かの気配があった

幽霊か?ぶっ殺すぞ!」と思ってドア開けたら、

前に別れた彼女が便器に手を突っ込んでた。

「何してるの?」と聞いたら、

「間違えて大便を流してしまった」と答えた。

これからは「部外者以外立ち入り禁止」の貼り紙をしておこうと思った。

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