はてなキーワード: 幽霊とは
「部屋が女の溜まり場になっている」(http://www.geocities.co.jp/ocult_utopia/)
幽霊が見えるという若い男が、2chのオカルト板の住人に唆されて、
部屋にいる若い女の幽霊とコミュニケーションを取ってからの顛末をまとめたものである。
>>1の若い男が律儀なヤツで、いちいちオカ板に報告するものだから、
一連のエピソードがストーリーとして読みやすくまとめられている。
>>1の語りが本当かどうかは別にして、なかなかよくできた話で、
幽霊的な怖さは殆どなく、ホロリとする結末でまとめられている。
オカ板住人は当時相当な盛り上がりだったようで、
>>1を励ますために、なんとオカ板住人の少なくとも数十人が、
自室で、全裸で、「びっくりするほどユートピア!」と絶叫しながら、
自分のケツを両手でタタいて踊り狂っていたというのだ。
で、何が言いたいかと言うと、このエピソードのクライマックスを迎えた日付である。
この日は、オレが以前、10年ちょっと勤めていた一部上場企業を退職した日である。
オレが最終出勤日として胸を張って会社に出かけた日、
日本の別の場所のどこかでは、そのようなことが起こっていたとは、感慨深い。
>>1によれば、当日>>1に起こったことは実に感動的なできごとだったようだが、
たとえそうであっても、その前夜に「びっくりするほどユートピア!」と全裸で叫んで踊っていたヤツが、
全国に数十人はいたであろうことはほぼ確実だ。オレにとって特別だった日に。
人に言わせりゃアート一家ってことになるだろうが
私は本当にアーティスト様って奴が嫌いだ。
だいたい世の中の非美術の人が良くないのだけど
とにかく作家と言うものに対して好意的な誤解や情状酌量の用意を持ちすぎている。
「芸術家気質」とさえ言えば、非常識や奇矯な振る舞いが許されるようになっている。
度を越して非社会的、生活態度が堕落的、約束を守れない、言うことが幼稚、
…のような欠点が、むしろ何か創作的な才能の証明として美点のように取り扱われてしまう。
いいですか。
すべてのクリエイターっぽい職業人や学生で、幼稚な人や変な人がいたら、
単に世間並みの経験や責任から逃げ続けたせいでそうなってるだけです。
だいたい「アマデウス」みたいなものが”アーティスト”像として一等に出てくるの状況が良くない。
アーティストに馴染みがない人にとってはああいうのがロールモデルになりますよねどうしても。
でも、”破綻した人格と飛びぬけた才能が先天的かつ不可分なセットになってる天才”なんていうのは
極端で面白いからこそ映画やマンガのキャラとして出てくるのであって
「さすが芸術家だな」じゃなくて、単に「いい加減な人生送ってきたんだな」と思えば合ってるんです。
また、もちろん、
その手の「アーティスト」の変なイメージには美術系の人間自身も冒されています。
私の場合は受験のために美術予備校に通うようになってから大量に遭遇して驚いたのですが、
みーんな、「逸脱者」の振る舞いをし始めるんです。予備校生の時点で。
ちょっと離れて見てると一人一人の区別がつかないようなそっくりのノリです。
これじゃあ単に、軍隊に入ったら軍人っぽくなるのと同じ現象でしかない。
みんなでそういうレディメイドの逸脱に袖を通しておいて、自分は個性的でーすって顔をしてる。
「私の絵がわからないで落とすような学校にはこっちからお断り!」とか言います。
関係ないんですよー、そんな表面上のポーズと製作するものの出来なんて。
どういう態度でも下手な人は下手です。
まああんまり下手だとそういう逸脱者ごっこに参加しないものですが、
予備校で上位のほうだったりするともう勘違いが酷いことになります。
同学年の上位クラスで逸脱ごっこの気風に染まってないのは私含めて3人しか居なかったですから。
「私はアーティストですので」「これは芸術ですから」という免罪符一本で、
社会の常識を踏み倒したり、世間に変な迷惑をかけたり、法律をぶち抜いたりしていいのは
アマデウスさんのようなモノホンの天才、1時代に1人いるかいないかというレベルの天才だけです。
これは割合的に言ったら身長230cmの人みたいなもので、
この人に会ったり理解したりできるのは220cmぐらいの人間だけで、
だから、現実的には「そんな人間は居ない」と思っていただいて結構です。
更に、230cmかつ、世間の誰にでも230cmだと気づいてもらえる人、となると
「アート」だ「アーティスト」だと言いながらなんだか意味不明なことやってる人や集団、
そういうのが人様に迷惑をかけていたり、法律に触れたりしていれば、
何の躊躇も容赦もせずに非難したりしょっ引いたりしてかまいません。確率的に言って。
単なる「美大なんか出たばっかりに自分に甘くて常識のないだらしない奴になってしまった人間以下人間」ですから。
「いい年になっても自分が天才じゃなかった事実に向き合えない臆病な嘘つき」ですから。
モノみたいに蹴っ飛ばして排除していいんですよ。
「自分には芸術わからないからなあ~」「ひょっとして価値あるのかなー」なんて優しい逡巡は必要ありません。
まっとうに生きてまっとうに働いてる一般人のあなたは、そんなのよりずっと偉いんですから。
どうか上下関係を間違えないでください。
原発全部止めてやっていけるならいい。国民感情を落ち着かせるためには有効な手段だ。でも急に全部止めたらそれこそ電気足りないのは間違いない。少なくても正式にはそういう計算になっているはずだ。そうでなければ原発を建てられないからね。
この「原発は必要」という結論を日本国が持っているという認識をみんな忘れている気がしてならない。
1.「代替する手段がある!」説に対しての反論。
みんながあれやこれや指摘しアイデア出しているが、未実践の机上の検証にそこまで信頼性は無い。それって原発が安全と言っていたのと変わらないでしょ。
2.「命より経済を優先するのか」説に対しての反論。
命最優先なら即国内脱出して難民になればいいよ。外国政府から正当性が評価され、原発亡命への道ができたら大したものだ。俺も小さい息子と共に東京で暮らしていて、亡命できるならしたいくらい。誰か道を開いてくれ。
もう原発事故は起きたんだってば。外国からは見放され済みだからその心配なら自意識過剰。
そして次に事故る確率って、震災前と変わらないんじゃないの? それならもう国民は了承済み(もちろん判断ミスだった。しかし判断ミスを理由に契約を無効にできるかい?)で進んできたことだし、事故確率が変わるというデータがあるならそれを元に安全対策すればいい。
天災は人知を超えている点もわかってる。だからこそ、それを人間の判断基準にはできないんじゃないか? 人間が知りうることで人間が判断するべきで、なんとなく怖いからそれとなく安全っぽいことをする、それは泥棒を見てから縄を結うどころか、幽霊に見られてるような気がするから自己流でお札を作るようなもんだ。
【現実と向き合おう】
現実として、日本人が東京で暮らすことは妥当とされている。避難勧告出てないからね。
それが将来にわたって妥当であり続ける保障は無いし、実はガン多発しますなんて結果が後からわかることも十分ありえると思う。それでも、現状は東京で暮らすしかない。
そして古い原発を動かし続けるくらいなら、新しいのに代えたほうが安全だ。
納得できないかい?
ああ、俺もそうだよ。
変更するなら運営側がプロジェクトをきちんと建てる必要がある。単純に廃止を唱えただけで運営側のための提案じゃないことを、運営が「はい貴方様は正しいです!」と受け入れてくれるだろうか?
少し脳圧が変わっただけで歩行が困難なほどボケる。薬を飲めば性格が変わってしまう。
というように脳は、というより思考は物理的な要因に大きく影響を受ける。
でも、幽霊ってなんだよ?
脳という器官がないのに、話したり、光として認識させたりするんだぜ?
「うらめしやー」とか、脳がないのにどうやって恨めしいと感じるんだよw
どー考えても妄想だよな。
お湯を沸かすのにどれほどのエネルギーがいると思ってんの?
ネタだろw かまってちゃんだろw
もし、それが本当なら、再現性があるなら、テレビ局に電話しろよ、しかるべき機関に相談しろよ。
科学の発展に貢献できるかもしれないぜ?
ずっと昔から幽霊の存在は信じられてきて、著名な科学者の中にもその存在の物理的特性を調べ上げ、
新たな原理の発見に繋げようと試みた者は数多くいたが、誰一人としてまともな成果をあげることができず、
かの現象は物理や生物の一般原理から大きく外れているにも関わらず、教科書に記載されるに至っていない。
だから、いない、と断定するのは非科学的あるものの、その存在は非常に疑わしい。
いや、オレはいないと考えている。
でも、たまにむかえの家(廃屋)の二階にいるアレは何なんだろうか?
オレの頭がおかしい、に3000点だなw
妄想や幻覚ってすげーよな
最近職場にやってきた割と偉い人(三十代独身男性)が東方Project作品はまっているらしく、デスクの上に霊夢のねんどろいどとかを置いたりしていた。ちなみにうちの職場はそういうのにかなり寛容。
で、昼休み時に若い女性社員達が「可愛いですね、何かのキャラクターですか?」と尋ねた時の偉い人の説明が以下。
(ギャルゲーですかと訊かれて)ギャルゲーじゃないよ。シューティングゲームのキャラクターだよ。
かぐや姫とかが敵として出てきたりするよ。
(買ってみようかと言い出した女性社員に対して)アマチュア集団が作ったゲームだから、(近所の)ビックカメラでは売ってないよ。よければ俺のを貸そうか?
…みたいな感じで昼休みの間彼女らと談笑していた。こういうやりとりが出来るか出来ないかが大きな違いなんだろうな…。
俺が個人的に興味深いと感じたのは、相手に訊かれない限り固有名詞を全く出さなかった事。
唯一「このキャラクター、名前何て言うんですか?」→「あーこれは博麗霊夢って言うんだよ」というやりとりだけ。なので彼女らは東方Projectの「と」の字も知らないままだけれども、偉い人の話術で興味だけはがっちりと持たされていた。
ブラック企業勤めで精神と肉体が限界に達したので退職、実家に帰ってきた。
残業時間は平均して90時間程度、通勤往復3時間半、腰を壊し、不眠症を患った。血便や血尿も出た。
それだけなら死ぬ気で頑張れば耐えられる。けど、ブラック企業に勤めても未来はない。
正社員でも派遣社員でもなく、個人請負だったから、基本的に全部自己責任。体壊したら一巻の終わり。
メシを食う時間もなかったから基本的に一日一食。栄養剤やプロテインでフォローしていたけど、みるみる痩せた。
かつて、この会社には「ある日突然発狂して精神病院送りになった人」がいたらしい。
その話を教えてくれた先輩も、徐々におかしくなって、幽霊が見えると騒ぐようになって、辞めた。
そういう人が出ても、社長は「弱いのが悪い」と一蹴して、なんら反省する様子はなかった。
死ぬ気で頑張っても報われない。
死ぬまで搾り取られるだけ。
だから辞めた。
地元に帰ると、見事に過疎っていた。
コンビニが潰れていた。スーパーが潰れていた。葬儀場が増えていた。
以前は地元で買い物すれば済んだのに、いつの間にか車がないと生活できないような土地になっていた。
でも、ハローワークの求人情報を見ると、量は少ないけど、質は良かった。
東京の求人は、足元を見るような気配が紙面越しに伝わってくるようなものばかりだった。
こっちで就職できれば、以前のような「死んだように生きることが肝要」なんて生活とオサラバできるかもしれない。
地元に友達はいない。音信不通。非リア、非モテ、非コミュ、ぼっち。
でも、東京の友達と連絡は取れるし、その気になれば東京に遊びにいくことだって出来る。
静岡~東京は新幹線なら二時間程度。車だと何時間くらいだろう。もう何年も運転していないから車は不安だけど。
けど、本もDVDもネットで買える。居酒屋も探せばいい。カラオケも少ないけど安い。ゲーセンは……これだけは、我慢。
なにより、実家だと、家賃はいらない。東京だと家賃や食費で十万以上飛んでいたから、えらい違いだ。
実家にお金を入れても、まだ余裕はある。たとえば旅行に行ったり、高い店に行ったり、そういうこともできるかもしれない。
人生に対して、前向きに考えることができる。こんなこと、何年降りだろう。
今、俺は無職だけど、ブラック企業で働いていたころよりも生き生きとしています。
……あと、全然関係ないんだけど。
ココリコの話
涙が出てくるぜ。
大丈夫かなぁ。
無理やりテンションあがる曲聞いてみるか。
おう!キャパシティ!ライクライク!
リクエストには応え続けるぜ!
本能が揺らぐくらいの言葉探し続けているぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!
完全復活を遂げた俺の心。
どこまでも、どこまでも進んでいく。
これが俺。マイジャスティス。可能性の無限大さを知り尽くしたツアー。
俺がしていることに、意味なんてあるのだろうか。いや、仮にないとしてもだ!
君の描く幸せってどんなもの?僕とは少し違ってるみたいだけど。
やばいくらいだぜ。無理やりたたき起こされてる気分だぜ。
最高だぜぇ。
最高・・だぜぇ・・・・・・・・・・・
だせぇ・・・・・・・・・
クイックオプション!
俺はただ、生きているだけ。
そんな感情全部吹き飛ばしちまえ!
未来なら見えている。究極を常に目指している。
同志よ・・考えてみてくれ。
眠気を吹き飛ばす方法を。
休もう。静かに、詩を歌おう。
心地よいメロディーが俺を包み込む。
さっきの鬱な気分を忘れる。
ああ、結構だ。これで結構だ。
おっぱいだ。おしりだ。ちょwwwwwwwwwおまwwwwwwwwwwwww
ぷおっぷおっwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
げろわろちwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
最高っすwwwwwwwwwww俺マジ最高っすwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前は見ているはずだ!!
ねぇ聞こえてるかな
歌に流されやすいのは仕様です。
困ったものです。
俺・・生まれてきてもよかったのかな・・・・・・・・
収益化!金よこせええええええええええええええ
ヨコセヨ!デパートヨコセヨ!
俺の頭の中をリズムが駆け巡る。
幸せってどういうもの?
いえええええええええええええええええええええい!!
愛されて500周年。
人類生まれて400万年。
何万年と受け継がれてきた
たすきを僕は胸にかけた
やべぇ。ノリノリだわ。
響けこのメロディー。
最高だわ。最高すぎる。
心も身体も満たされていく。
最高の道を、常に探していこう。
なんでい!くっだらねぇ!!
今度っていつ?
超げろまずなんですよねー。
ぐひょひょひょひょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ナメック星人撃退するの。
風の股三郎。
ふっと湧いてくるイマジネーション。
僕は賭けるよ。この今という時間に。
所構わず、僕はでかけるよ。
ところがどっこい・・・嘘じゃありません・・
太枠で書かれた文字。
理解を越えた理解を求める。
勇気をブッ壊して、人は生きていく。
なめていた口、
ひるんでいた出口、
むしゃむしゃと食う。
置いてけぼりの幽霊。
目一杯精一杯の良心。
誰も読んでくれないって?
今日は、の間違いだな。
ゆったりと、滑りこむようにぬるっと入ってくる宇宙。
一人でいたら、一人でいることに慣れてしまった。
鼻くそをほじりながら、僕らは歩く。
本気でア・イ・シ・テ・ル。
ふざけた変換機能だぜ・・
イマジネーションが浮かんでこない。困ったものです。
なんにもないや。本当に、なんにもないや。
からっぽなんだ。そうだ、からっぽの音だ・・
何もない冷蔵庫を開いた時のような。
何もなくなってしまった。
ぼくの手の中には、もう何もないよ。
ぶっ壊すっていっただろ!!
モチベーション高めにもって。
最高級の愛を。愛を。愛を。
I want you.でたらめに作られたこの世界に夢はないのかい?
身体中が痒い。
スーパーで最高なのかもしれない。
(´ρヾ) ネムネムゥー。眠い。さっき起きたばっかりなのに。
/(^o^)\ナンテコッタイ くっだらねぇって、つまんねぇって、
それすら越えていく有象無象。
自我がブッ壊れていく。
俺は俺という存在を理解できなくなる。
さぁ、言葉の端をつかもう。
ぶるあああああああああああああああああああああああああ
ほら、元気を出して。
お前なら俺の感情全部知っているんだろう?
なんてねぇ、くだらないことを撒き散らす。
深い青黒く染まりはしない
空で無数の星が弱く照らすから。
うっひゃあああああああああああああああああああああああああ
またテンションあがってきたぜええええええええええええええええええええええ
うっひゃああああああああああああああああああああああああああ
ゴ━━━━(# ゚Д゚)━━━━ルァ!!
意味なんていらねぇんだよ。さぁ、頑張ろう。噴き出そう。
フォロー人数数万人なんて、どうやってそんな領域へいくんだよ。
全く、理解できないぜ。数千人で手一杯ってとこか。
一日30人で一年に一万人ってとこか。今までの苦労、全部へし折り俺は進む。
前に進む。でもちょっと待って前ってどっちだよ??
俺が誰なのか、それを探す自分探しの旅。
なんでもいいけどそろそろ終わらせたほうがいいんじゃない?
そういうわけです。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
「何でですか? 批判もありますが、被害者の気持ちを考慮すると…」
「いや、そういうことやないんや…やっぱり、ワシはあかんと思うのよ・・・」
「何がですか?」
「そりゃ死刑や。あんなんやってたら、みんなおかしくなるわぁ」
「おかしくって、具体的には?」
「死を国が与えるわけやろ? そりゃああかんわー。国は死を与えるって」
「はぁ…」
「いや、違うな・・・」
「は?」
「国が死を与えることが怖いんじゃないわ…何か、もっと別のことが怖いんやった」
「何ですか? その怖さって」
「はーっ!!思い出したわ! 国が怖いんじゃない! 存在が怖いんや!」
「存在?」
「Oh! 例えばチミ、数ヵ月後に死刑が執行される人間がいたとしよう。さてこの人は生きているといえるのか?」
「そりゃあ、現時点では生きているでしょう」
「しかし数ヵ月後には」
「……死んでいますね」
「そう。生きているが、しかし死ぬことが確定している。これにより、一緒にいるときも、「この人生きているけど、あと数ヵ月後には死んじゃうだよなぁ…」という惧れが生まれる。この惧れが重要!この惧れが、人間の根底の何かとても重要なところを揺さぶるんや! なんか、死刑囚と話していると、幽霊と話しているような気持ちになるんや!」
「そうや。だから、死刑が決まった死刑囚と、余命数ヶ月の花嫁というのは、存在的に捉えたら結構近しいものがあると、ワシは思うんや。だってそうやろ、どっちも死ぬことが決まってるんやから」
「命は大切なものだからとか、言わないんですね」
「『命は大切なもの』なんてあんた、今日日小学生でもいわへんで!みぃーんな現実と戦ってるんや! 子どもは勉強や仲間内の派閥で!主婦は怠慢や近所の奥さんと見栄を張り合ってるわ! 社会人はこの世を知り尽くした魑魅魍魎たちと生き残りをかけたサバイバルダンスや! どうなるかわかったもんやないわ。そんな時代にあんた、『命は大切なもの』て。あかんで、あんた。それはアカン…そんな発言したら、食い殺されるわ、社会ってやつに…あんたは生きてくれや・・・」
「Hey!おおきに!」
人を、部活の練習だとか仕事だとか、そーいうすべきことに縛りつけてるのって、
結局はしがらみなんだな、と思った。
私の所属しているサークルでは、定期的に、大会の運営等ののための会議がある。
色々事情があって、数カ月に一度のその会議は、全国各地の部の代表者が
日本全土のあちこちに集まらなくてはならなくて、時間的にも土日もフルに使わなくちゃで
結構真面目な会議だし、とてもヘビーなものだ。
その会議を尚更ヘビーにしているのは、恒例の毎度毎度の飲み会で、
金土日の夜に、大学生が飲みまくるのだから、それはそれは大騒ぎをする。
一回参加して、閉口した。
ほぼ皆勤の先輩に「なんでですか?」って聞いた。
その先輩は割と不真面目というか、テキトーな人だったので、余計に意外で。
そしたら、「会議常連メンバーの、他の大学のやつらと会いたいから」と言われた。
高校時代、私は某個人競技の部活を辞めようか悩んだことがある。
怪我をしたのだ。でも、やめなかった。
部活の友達と、友達でいたかったからだ。気まずくなりたくなかったからだ。
もちろん、その競技の魅力も無くはなかったのだけれど。
その先輩も、会議だとか、会議にまつわる雑務をきちんとしていたのは、
年に数度しか会えない友達と、心おきなく、後ろめたさなしで飲んで騒ぐためなのだろう。
きちんと運営をこなす達成感も、無くはないのだろうけれど。
「なんでまだ自分はこの競技を続けてるんだろう」って考えた時、
その競技の魅力というのは、あまり有効ではない。そんなに強い選手じゃないし。
勝つと嬉しい分だけ負けるのは嫌だし、練習自体は別に楽しくない。
ただ、部活の合間に皆とダラダラしたりするのが楽しくて、
あんなにしょっちゅう顔を出していたのだ。
先輩のおごりで一緒にご飯を食べる機会が多かったりするのは、
きっとそうやって、部活の人たちをシガラミで雁字搦めにする為なんだろう。
義理だとか、絆だとか、顔を覚えて後輩は先輩に借りを作って
練習から逃げづらくしているんじゃないだろうか。
勝手なイメージだけど、義理人情が重んじられる世界って言うのは、
やっていることがキツそうな気がする。やくざとか。
会社とかでも、そーいう上下関係だとか、仲間意識を大切にする所って
もしかしてそれだけ、すべきことがキツいんじゃないだろうか。
濃い人間関係はちょっと古臭くて、もっとドライなのが流行りだけれど
それはそのぶん「効率化」とか「やりがいがある」とかいって、
キツさも減っているから、成り立っているんだろう。
すべきことのキツさと、人間関係の濃さは、比例しないと破綻する。
高校時代の部活では、年々部員数が(幽霊も含めると)減っていくのが悩みだったけれど、
練習出席のノルマをきつくするんじゃなくって、
もっと部員同士で仲良くならなきゃならなかったんじゃないだろうか。
ゆるい空気にして、馴れ合って。弊害もあるだろうけど。
空気を緩くしないで制度化すると、おごりだとか、挨拶しっかりしろ!ってなるんだろうな。
人はしがらみで縛られて、すべきことをしている。
下品でパロディが凄まじい話題沸騰のアニメ『パンティ&ストッキングwithガーターベルト』。
「こんなに下ネタ満載のアニメは普段無いから新鮮だな~」と思いながら見ていたんだけど、
5、6話目で自分の中で評価が変わった。6話目の精子のゴーストと戦う場面で、
泣きそうになってしまったのだ。
『精子』という、普段自分たちが何の躊躇もなく『殺している』存在に対して、
『怨念になりえる』『幽霊になりえる』可能性を与えたということに対して、
何となく、すごく、感動してしまったのだ。
大体、『ダテンシティ』って何だ?『神と悪魔とはざまの街』って何だ?
何か、パンティ&ストッキングには壮大な裏設定があるような気がしてならない。
考えすぎだろうか。
早いもんで日本中を揺るがした旧石器捏造問題から10年がたちます。
なんと今度は新石器捏造疑惑が持ち上がっているのです!しかも朝日新聞VS読売新聞という面白い対決になっています。
「歴史界のスクープ合戦」として、なぜか「さおだけ屋はなぜつぶれないのか」の公認会計士の山田真哉先生がこの事件の概要を説明していて知りました。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaikeishi/diary/201009060000/
おおまかな流れは上のブログにあるとおりですが、なんだか面白そうなので、ネットに載っていない記事をさがしに図書館で新聞めくってきたところ、以下のようなタイムラインでした。
と、慈覚大師円仁(えんにん)が中国で残した石板をはけーーんと歴史的スクープ!?
http://www.asahi.com/culture/update/0709/TKY201007090344.html
7月10日には朝日新聞の文化面で、どうやって石板が見つかったかを渡辺延志記者が詳しく説明しているんですが、捏造疑惑が出た今よんでみると、この時点でかなり怪しいです。「上、上、中国人のお坊さんがタライを頭に落とそうとしている!」「後ろ!後ろ!円仁のふりしたお坊さんの幽霊が!」ってドリフを見ているような気分になりますよ。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201007100161.html
例えばですね、
法王寺の僧が訪ねてきたのは今年1月。住職の林慶仁さんに石板の写真を示し、「調べても中国には該当者が見あたらない」と、そこに刻まれている「円仁」についての説明を求めた。驚いた林住職が、酒寄雅志国学院大栃木短大教授に相談し、研究が始まった。
おいおい。「円仁WHO?ゴゾンジデスカ?」って、とりあえず日本に来る前にググれかす!あっ、グーグルは中国から撤退したんだっけ。
「あの~、もしかしてオタクのお寺さんに円仁さんいませんか?」とかいきなり門を叩いたのだろうか。円仁さんは天台宗のお坊さんでしたので、普通は比叡山延暦寺に行きそうなものですが、専門の僧侶の多い比叡山を避けて、なぜか生誕の地の栃木にわざわざいくという怪しさ。
もうひとつ例えば
巡礼行記に、法王寺に立ち寄ったとの記載はないが、鄭州を出た日に「仏教は東へと伝わる」と記していた。石板の冒頭の一節とよく似た認識だ。
これも今だから、ではありますが。「そりゃ、ぱくったから、よく似ていて当たり前だろ」と突っ込みたくなりますね。
一番興味深いのは、
書道史の見地からは「唐代の楷書(かいしょ)として疑問はない」(書家の飯島太千雄氏)、文体には「日本人が書いた漢文特有の雰囲気がある」(気賀沢保規明治大教授)などの評価を得た。 <<
と、専門家が御墨付きのコメントを寄せているのですが、最初にでてる「疑問はない」としていた飯島さんというのが、なんと今回の捏造疑惑を暴いてしまったのです!朝日新聞にしてみれば青天の霹靂といったところでしょうか。
ちなみに9月6日の読売新聞紙上によりますと、飯島さんは最初から疑いを持っていたそうで、「2枚目があろうとなかろうととても本物とは認められない」としていますし、「発掘以外で見つかったものはかなりの確率で偽物と疑うのは常識」とおっしゃっていますから、むしろ、飯島さんが最初の記事で自分の話が「疑問はない」となって青天の霹靂だったのかもしれませんが
ともかく、
朝日新聞のスクープをうけて、7月10日には読売新聞が夕刊で、7月18日に持ち込まれたお寺さんの地元の下野新聞がニュースにしています。
こうして歴史の新たな1ページが書き込まれた、と思いきや、忘れたころに衝撃的なスクープがでました。
「円仁の石板」偽物か、寺出版の拓本と別物
とやったのです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100827-OYT1T00018.htm
(リンク切れです)
中国の法王寺が「この世に一つしかない」といっている石板の拓本(墨をつけて写した紙)が2種類も見つかったのです。見つけたのはさきにでてきた飯島さんでした。
続いて、9月3日には、「ゴミの中に第二の石板、円仁の石板さらに疑問も」という第二弾の記事が出ました。後日掲載された写真では段ボールのゴミの下に埋もれていたのか、隠されていたかのようでした。しかも、痛いことに、まわりの模様がちょうど1センチ間隔で、現代のメートル法が使われていたのです。冒頭の山田先生のブログでも、メートル法のところが強調されていて噴きました。
下野新聞は同じ日に「本物?偽者?広がる論争 文言同じ2種類存在 中国で確認「円仁の石板」と、「危ないな、でも地元だし、信じてあげたいなあ」という感じでフォローしています。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20100903/376063
そして、面白いのは、同じ日の朝日新聞にもひっそりと、「2枚目の石板見つかる」と書いていたのです。しかし、偽物説には触れず、これだけを読む限りでは「円仁さんは1枚目を作ってみたけど、ちょっと構図が気に入らないからもう1枚作ったみたい。むしろ本物度が高まるんじゃない?」というトーンでした。ネットには載ってませんでした。
メートル法がなければ、「へえ、そういうこともありなのかな」と感じて、とりわけおかしいと思わなかったかもしれません。
このまま、逃げ切れるかと思ったら、9月6日には読売新聞がだめ押しの詳細な記事を文化面にアップしてしまいました。この記事であげられたいくつもの問題点をクリアして、本物の円仁の石板とするには、偶然に偶然を重ねるようなアクロバティックな理論を展開しないとならないでしょう。なにより最大にして、一番目に乗り越えないといけないハードルはやっぱりメートル法の存在ですよね。
果たして朝日新聞は反論できるのか、それともほっかむりするのか。そして、毎日新聞は、いつ、どちら側に参戦するのか。ところで私が家でとっている日経新聞に出ることはあるのか。楽しみですね~。
つまり、言いたいことは、中国にはこれからも日本人はガンガンだまされるよ、ってことではなく、捏造問題も10年がたち、旧石器から新石器(石板ですが・・・)に進化した、ということです。
さいなら~
http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20100827/1282918092
今回マスコミは「戸籍上200歳が見つかった」とはしゃいでいるが、
実は社会上重大なのは、戸籍の不備問題より、土地登記簿所有者の不備の方がよほど「重大」である。
死亡届の提出は「義務」だが、相続登記は「義務」でないゆえに、
「田舎の二束三文の土地だと、手続料の方が掛かってしまう」ので、
そのまま放置、という事案が相当ある。
感覚論だが、地方の田畑山林なんかでは、2割程度は「所有者は明治のまんま」と思われる。
で、登記簿上は「明治の所有者のまま」だが、実態は2~3代下の世代が「相続しているハズ」となる。
「そもそも、相続人自身、その土地を相続していることを知らない」という状態になってしまう。
これが一番怖い。
二束三文の間であれば、まだいい。
問題なのは、「社会がその土地を必要とする場合」、つまり道路等公共事業の土地収用の
局面において「誰が所有者なのかすらわからない」という状態で、
「そのまま収用が遅延する」というのが一番怖い。
http://www.hrr.mlit.go.jp/library/kenkyukai/h19/pdf/h/h_04.pdf
>「多数相続や共有地の処理が用地処理の隘路となる場合が多いため、
> 例えば一定期間相続登記が放置されるような場合には、固定資産税納付者等に
> 相続人を限定するような特別措置が検討されてもよいのではなかろうか。
> 現時点の登記簿上の権利関係が継続されれば、半世紀後には中山間地における
> 事業着手は相続処理のために不可能になることが予想される。」
「相続登記放置による公共事業進行への障碍」の事案が数多く集まっている。
マスコミは、「200歳の戸籍」のような、実社会には何の影響も及ぼさないような事案の
報道を行う前に、地方の公共事業の隘路になっている相続放置問題に
しかも、閉鎖戸籍については「80年経過すれば廃棄」とされているので、
このまま行けば、「相続人が誰なのか特定不能」となる危険性が高い。
最悪の場合、公示による土地収用手続きになるのだろうが、手間と費用が恐ろしくかかり、
※相続者不明によりやむなく土地収用手続きに入ったと思われる事案
http://124.146.182.228/pdf/0808000029.pdf
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/law/49.html
信じているというと自分でもへんな感じするけど、
二択で言えばそっち側、ぐらいな感じで。
で、なんで神様が人のしている行為や、人の世に起きる災いを放置プレイしてるかなんだけど
まあ神の御心なんて分からないのが本音だけど、いろいろ推察するのは可能だ。
まずそれが「人の問題」だから。つまりそれは人の力で解決しないといけない事柄だから。
他者の力を借りてそれを解決しても、結局いつまでもそれに頼るだけで自立しているとは言えないから。
そしてだから「人の問題」は人の力で解決できるという予想もできる。
それはとても素晴らしいことだろうと思う。
ちなみに幽霊は信じていない。あれは見たい人の脳が作り出す幻のようなものに思う。
嫌いだった。不思議に夢を叶えてくれたなんて笑止。
【神】の話を聞くときはいつも嫌悪感があって、
ムズムズしてきて、嫌な感じで、身の置き方が分からなくなるからだった。
なぜだろうか?
大人は子供に【嘘】をつくのは良くないと教える。古今東西に残る教訓話はその為のものだ。
自分が嘘ついたらこっぴどく叱られる
そ
れ
な
の
に
世間は【神という嘘を黙認してる】から嫌悪してた。
【大人は神の存在を許してる=みんなそろって嘘をついてるから】神が嫌いだった。
「なぜ助けてくれるの?」「助けてくれるっていう保証は?」「その存在を誰が証明できるの?」
【あまりに不確か過ぎで胡散臭い、信用に足らない】ところも嫌いだった。
神様は人々を幸せにし救ってくれるらしいが、そしたら人生に不自由・貧困・不幸は存在しないのだから
神様なんかいるわけない。【子供にさえ論理立てて否定できる、そんな程度なのが神】で、
【こうして矛盾してるのに存在を許されて、あまつさえ信じられてる】ことに憤った。
【幽霊】も【天国・地獄】も同じだ。非科学的なのにどうして誰もその存在を否定しないのか不思議だった。
両者に共通するのは人間の死。生きている我々にはスピリチュアルな事柄であるために、
【存在しない】と断言出来ない、ということに気付いたのはある程度成長してからだった。
そして【神】も【幽霊】も【天国】も【地獄】も、あってほしかったりなかったり、
人間の浅はかな望みによってご都合主義で存在する最たるものなのだと気がついたのは近頃のことだ。
大人になった今、【幽霊】は『明らかに【嘘】だとしてもその存在を否定したくない』というのが本音だ。
ただ【神】は否定したい。存在を肯定してしまうと、この明らかな職務怠慢を追求する必要が生じるからだ。
最後に神やらご都合主義やら森見登美彦風になってしまったが、結局言いたいのは「小さい頃神様が嫌いだった」ということである。
高校時代の野球部の友だちの話なんだけどさ。
もうすぐ一年になるかな、友だちの奥さんが強盗に刺されて殺された。
当時友だちは出張で家を明けてて、一週間ぶりに家に帰ると奥さんが血まみれで倒れてた。
死後三日近くそのままの状態だったそうだ。
新婚でその家には引っ越してきたばかりで、まだ近所付き合いもなかったから発見が遅れたらしい。
犯人はしばらくして別の事件で逮捕されて、この事件についても自白した。
あれから一年経って、裁判も終わり友だちも職場にも復帰して、なんとか元の生活を取り戻そうとしてた。
でさ、先日奥さんの一周忌も兼ねて、その友だちと俺とその他数人で久しぶりに飲んだんだ。
飲み始めて大分経った頃、友だちが突然笑いながら妙なことを言い始めた。
ここのところ、家に帰ると嫁が死んだふりして玄関に倒れてるんだ。
最初はTシャツをケチャップまみれにして、胸におもちゃのナイフを刺してる程度だったんだけど
近頃はエスカレートして頭に弓矢を刺して倒れてたり、それは入念な準備をしてるんだって楽しそうに話すんだ。
俺たちも何を言っていいかわからなくなって、昔から楽しい子だったよなーとか言って適当に話を合わせるしかなかった。
そしたら、友だちがいきなり怒り始めちゃってさ、お前らバカかここは突っ込むところだぞ、俺が頭おかしくなったみたいじゃねーかって。
俺はあいつが死んだことはちゃんと受け入れてる。それに幽霊なんか信じてないしな。
でも、家に帰ると嫁がいるんだ。いつも死んだふりして倒れてる。
そこからなんか変な空気になっちゃって、その飲み会はそのままお開きになった。
友だちはべろべろに酔ってたから、家が近い俺が送っていくことになった。
帰り道でも「お前にも見せてやるからなー」なんて意味のわかんないことを口走ってて。
家に着いた。鍵も俺が開けて、ふらふらになってる友だちをベッドまで運んだ。
したらさ、確かにそこに「嫁」がいたんだ。
最後にベッドに倒れ込んだ友だちが言った。
「きれいな顔してるだろ。死んでるんだぜ、それで。」