怖いものを上げて、理由を考える。
で、次に怖くないけど嫌なものを考える。
場合によっては上の例がそのまま(よくわかんないけど)コピペできたりする。
できるだけ具体例で考える。たとえば放射能。
TV的には怖い。何かあったら責任取れないし。
政府的には怖くない。過剰に反応されたら困るし。
一般の人々は、どうしようもない。食べ物を買う(ある程度別のものを選ぶ余裕がある)場合には、怖がってみる。
ここで、知識の源泉となるものを考えると、伝聞となる。(どの程度人体に影響するかまで知っている人は少ないと予想するし、調べた人はごく少数だろうと思う。)
で、伝聞(メディア)から得られる知識によって、ある程度人々は放射能の事を知った。とりあえず、わかりやすくて、たとえがいっぱいで、あんまり科学的じゃなかったけど、いっぱい情報を得た。
長期的な影響とか、データを用いた説明は、受けない。(研究中の事だし、政治的要素?とかでマスメディアでは話題にならない)。
(わからなくて)怖い状態を脱した後、怖いけどその理由がわからないという状態に移行している気がする。
再び具体例から抽象に戻るけど、怖いけどその理由がわからないという状態というのは、怖くないけど嫌なもの感覚に非常に似ていると思う。