はてなキーワード: 干し柿とは
我々は元増田が何故このような日記を書いたのかという疑問を解決するため、元増田の故郷に向かった。
「まだ日本にこんなところがあったのか」
思わず口に出てしまった言葉を同行した上司に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
ワールドカップだの、高校野球だの、オリンピックだので浮かれていた我々は改めて農村の現状を噛み締めていた。
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と我々に何度も土下座して詫びた。
我々はこの時初めて元増田を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、農村の貧しさが全て悪かったのだ。
おいしくて最近お酒を飲むときはラム酒を飲んでいる。銘柄とか飲み方に詳しくはないんだけど。
自分が飲むときはコーラかもしくは炭酸水で割って飲む。ラム酒専門のサイトとかには常温ストレートが香り高く飲めるって書いてあったけど炭酸で割った方がシュワシュワのおかげで香りが立っているような気がする。バカルディの白い方のラムというごく一般的なだいたいの店においてあるラム酒の香りがすごく好きなんですよね。アルコールに自分はあまり強くないので、超薄めてもらっていますが、もともと香りが強い酒なので、それでも美味しい。
一緒に食べるおつまみなんだけど例えば、スルメ、ナチュラルチーズ、プロセスチーズ、カワハギの干物、カレーライス、すき焼き、柿の種、チョコレート、干し柿、焼き肉、ポテトチップス、炙りがっこ、しいたけの焼いたやつ、かまぼこ、ホッケ、イカの一夜干し、油揚げの焼いたやつ、素焼きアーモンド、くるみ、カシューナッツ、といった具合に何でも合う。
おすすめです。
愛と野望とか言うから邦画っぽいねっちょりした感じなら嫌だな~と思ってたけど関ヶ原に至るまでの過程がダイジェストでまとめられててよかった
あと合戦も旗指物とか槍衾とか鳴物とか馬とかよかった
小早川は西軍について高みの見物してたら家康側に鉄砲打ち込まれてビビッて寝返り、西軍敗北のきっかけとなった戦犯として有名
一番好意的に描かれてたのが横山光輝版で、第三極として動くニヒリスト金吾としてわりと魅力的なキャラしてる(結局鉄砲にビビッて裏切ってたが)
これも基本的にはひ弱で優柔不断な坊ちゃまだけど、三成とその部下(左近の息子)に心動かされて西軍側に付こうとするのはいい意味でこっちが裏切られた、が結局家臣に押さえ込まれて小早川隊は西軍を裏切る形に
捕らえられた三成の前を逃げるように足早に去ったとか、覗き見してたら見つかって罵倒されたみたいな逸話が有名だけど、ちゃんと会話して和解してるし結構高感度上がった
吉川空弁当土下座マンはへうげでも名前しか出てこなかったけどここでもほぼ名前だけ
三献の茶、左近召抱えエピソードはあるけど、人面獣心とか干し柿はカット、あと島津の退き口は突撃前だけだったのはガッカリ(入れても蛇足なのはわかるけど、勝ったつもりのところに本陣突撃食らって脱糞するの楽しみにしてたから少しがっかり)
あと暗黒JKは割りと出てるのに小西行長がほぼ名前だけ、斬首前でも一番後ろでしょっとしか映ってないのはちょっと残念
毛屋武久の物見エピソードは結構大事に描いてる。そのせいで長政の影がさらに薄くなってる感じも
ひらパー兄さんの声がいい
七将がヤンキー丸出しでいい
同士よ→自爆は割と衝撃
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
そうだなあ、YESでもありNOでもあるというべきか。
同じだといわれれば同じではあるが、違うともいえなくはない。
以前の私をスタンダードな回答者と定めるなら、今の私は夏バージョンの回答者だな。
時には職業を変えたり、ちょっと若返ったり、アナザーワールドの私が回答することもあるぞ。
特にイベントが絡まないときは通常の状態以外にも……ちょっとワルな回答者になることもあるかな。
おっと、そろそろハロウィンの準備を始めないとな。
前回は干し柿虎だったから、今度は牛泥棒のコスプレで行こうか。
見た目が差分だが、まあバレないだろう。
聞かないでくれ。
靴ずれのせいかもしれないし、私の首が回転するせいかもしれない。
だが最も有力な説としては、私の心臓が普通の人より一回り小さいせいかもな。
ああ酷い、最低の質問だ。
でも、それとこれとは話が別だ。
私の友人いわく「キャベツみたいなレタスは、キャベツとして扱う」らしいが、些か理解に苦しむね。
私の管轄外だな。
会社からの帰りにふと思い立ち、宝石を買うためにスーパーに寄った。
買い物カゴを手に取り、奥の方に進んでいくと、肉コーナーと鮮魚コーナーの間に宝石コーナーがある。
そこではルビーやエメラルドやメノウなど、だいたいの宝石が売っている。
私はそれらを品定めしながら、帰ったら宝石をどのように調理しようか考えていた。
私は、宝石の中では翡翠が一番好きである。甘いような、少し酸っぱいような味は和食にもよく合うし、冷蔵庫で冷やしたものをそのまま食べても美味しい。
しかし、残念な事に翡翠は既に売り切れていたので、色々悩んだ結果、ガーネットと真珠とサファイアを買うことにした。
ガーネットはザクロ石という別名の通り、少し茶色がかった透き通った赤色で、球状の粒がザクロのように塊になっている。
味は酸っぱくもなく苦味もないので食べやすい。干し柿の甘さに似ている。
真珠はプニプニとした食感に好き嫌いが分かれるが、今日はちょうど半額のシールが貼られていたので買う事にした。
食べると口の中を風が通り抜けるような、爽やかな味がする。
あまり食べ過ぎるとしばらく舌が青色になるのが難点ではあるが。
私はこれらの宝石と、ついでに石英のシロップもカゴに入れ、レジに向かった。
冷やした宝石にシロップをかけて、宝石あんみつにすれば美味しいだろうと思った。
ここ一年ほど、定期的に宝石を買って帰る習慣が身についていた。
一週間ほどお互い無言の生活が続いたあと、私が宝石を買ってきて、お互い黙々と食べた。次の日には自然と仲直りしていた。
それ以来、私たちの間に見えない亀裂が出来そうな時、どちらからともなく宝石を買ってきて、二人で食べるようになった。
家に帰り着くと、妻は待ちくたびれたのか、ソファで眠っていた。
今回は裏サンデー
本作は寓話的側面が強いけれども、今回しっくりこなかった。
毎回、最後の締めとして主人公が語るわけだけれども、今回は「目の前しか見ていない人間と、遥か遠くしか見ていない人間、大切なものを見落としてしまうのは果たしてどちらなのでしょうか」ってことらしいんだが、それを語るエピソードとしてしっくりこない。
この「遥か遠くしか見ていない人間」を指しているのは新植物を発明した人で、「大切なものを見落としてしまう」のを指すのは恐らく家族のことだというのは分かるし、一応の筋は通っているのに「え? そういう話だったかなあ」という印象になる。
エピソードに含まれるメッセージやテーマ、それに対してエピソードに感じた印象が違う人がいるってのは寓話としては珍しくないケースだけれども、本作は最後に明確に言語化しているわけだしなあ。
もし、あの言葉に大した意味がないのなら、それこそ尤もらしいことをいって煙に巻いているので、いずれにしろよろしくない。
まあ寓話の作りとして上手くないって指摘よりも、単純に今回のエピソードが今までと比べるとアイデアや構成、演出、オチ含めて奇抜さがなかったのが大きいかなあ。
前回の干し柿の話が発想と、オチも捻ってあっただけに、より今回のエピソードの凡庸さが際立つ。
人間の体で植物を育てる設定なんて割と手垢がついているんだから、その設定を主題にする以上せめて演出やストーリー構成で個性を出さなきゃ。
まあ、今回のエピソードは箸休めではあるものの、ある意味で重要なことが語られているよね。
カバディというスポーツと、野球というスポーツの立場を踏まえた上で、どうアンサーを出すかってのが一つの見所だった。
競技人口や世間の注目度で野球は、カバディよりも圧倒的であることは事実だからね。
作中で語られるとおり、それが客観的に見てどうかはともかく、『理由』を提示できるだけの大きさが野球にはある。
「何をやるにも『理由』や『意志』は欠かせない」、「負けたくない、勝ちたい、だけじゃ…ガキの遊びだ」っていうのは、競技人口が多くて社会での扱いも大きい野球という立場だからこそ重みが違う。
だから、主人公たちも「なぜカバディなのか」の『理由』を提示しなければいけなかった。
それに対してのアンサーは、カバディでの現時点での立場をしっかりと踏まえた上でのアンサーという感じで、かといって他のスポーツを貶めてもいなくて、まあ悪くなかったかと。
嫌いになったとかアレルギーになったとかじゃなしにね。
私の場合は干し柿と落花生とくるみゆべしがそれにあたる。子どもの時は兄と争うように取り合って食べたものだった。ところが大学時代、久しぶりの帰省時に勧められたのに今は食べる気がしないとなんとなく敬遠してしまった。食べなくなってもう10年にはなるだろうか。嫌いとかダサいとか、そんなこと全然思わないのだけれど、ただだだ食べない。
実家から離れて食べる機会が少なくなったからかな?と思ったのだけれど、私よりもっと実家から遠い兄は特産品フェアで見かけたら必ず買うのだという。いったいどこで味覚は変わってしまうのだろう。
パンフレットは売切れてた
転覆事故 | ? →水原さんのお兄さんの件ね。理解 |
新な傘 | たぶん初夜の作法的なことだったはずなのに干し柿を取るのに使ってた |
ご飯が突然二人分になり、夜には一人ないし0.5に | |
なぜ妊娠できなかったのか、誤解したか(痩せるすずさん) | |
白木リンとは | おばあちゃん家の座敷童? たしか回想場面も挿入されてた |
周作の選択した世界とは | ? →別の記事で見た(原作の)リン関係の話? 映画だけだとたぶんわからない |
登場キャラの名前の共通点 | すずさんとリンさん? あとはわからない |
減っていく子供たち | ? |
昭和20年8月に何が起きるか | 来月お祭りのあたりはドキッとした |
あの母親とあの子供 | 最後の? |
点く明かり | 灯火管制? |
なぜ誰かの前で泣かないのか | ? |
隣組が何故挿入歌になって居るのか | ? |
闇市ですずは何を買ったか | 砂糖だけではなくて? |
太極旗の意味 | 別の記事で見た |
すずと徑子の焼けていく肌 | そういえば日焼けしてたかな |
カラフルな煙 | togetterで見た |
妹の腕の痣 | |
謎の怪物 | 籠を背負ってた? ワニもよくわからなかった |
右手 | |
一隻も無い航空母艦 | ? |
青葉の結末 | |
初めて見た飛行機雲 | ? |
まだまだわかってないこと多いみたいだ
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
なぜかというと、とある国では干し柿を恐れる虎の話があってな。
おっと、「饅頭怖い」とかのとは趣が異なるぞ。
泣いている子供を、母は「外に虎がいてお前を食べるぞ」と脅して泣き止ませようとするが、子供は泣き止まない。
この時の会話を聞いていた虎は、「虎と聞いても泣き止まなかった子供が泣き止むのか」と、干し柿に恐怖する。
そしてその後、誤って背中に乗ってしまった牛泥棒を、虎は干し柿だと勘違いして慌てふためき、牛泥棒も食われまいと虎にしがみつく喜劇が展開される。
ここから読み取れるのは、子供が泣き止んだのは干し柿が美味しいのを知っているから。
そして、牛泥棒が虎の背中にしがみつくのは、虎が何を考えているか分からなかったからだ。
つまり、恐怖とは無知と無理解によって生じるものだということだ。
こうして、私の仮装である「干し柿虎」のコンセプトが決まっていったわけだ。
お菓子が欲しければ、自分の体の一部である干し柿でそのまま補給可能な代物だ。
こういう話がある。
とあるレンタカー会社には借りた車に対して保険があって、これは借りた人間が小銭と簡単なサインをするだけで入れるものだった。
なぜか?
答えは簡単だ。
人間は自身がさして必要がないと思ったものに対して、酷く手間を嫌う。
それが例え大したことのないものでも、だ。
結論から先に書く。以下の冗長な文は、連休にも関わらず予定がない暇な25歳女が、昼寝をして見た夢の中で涙して目を覚まし、それが思っていたよりしんどかったのでびっくりしたという話だ。
実に下らないうえに感傷的でオチもないので、よっぽど暇でなければ読み飛ばすことを勧める。
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夢を見た。
ラブラドールレトリーバーのクッキー(♂・仮名)が、嬉しそうに私の寝ているベッドへのぼってきて、布団にぐいぐいと頭を押し付けてじゃれついてくる。
ラブラドールは抜け毛の激しい犬種なので、そんなことをされたらすぐシーツが毛まみれになってしまう。
私はクッキーの愛嬌に少し笑いながらもすぐに「こら、下りて」とクッキーをベッドの上から追い出した。下ろされた彼は名残惜しそうに、ベッドの端から伸ばした私の手に彼の顎を乗せてふんふん鼻を鳴らした後、すっと歩き去ってしまった。
そこであることを思い出した。クッキーは昔実家で飼っていたラブラドールである。当然もういない。
クッキーはずいぶん昔に死んでしまった。今は一戸建ての実家の庭に眠っている。伝え聞くところによるとペットを庭に埋葬するのはいいことではないらしいが、もう大分昔の話である。
私はクッキーの死に目には会えなかった。当時の私は大学生で、上京して一人暮らしをしていた。クッキーは7歳で、一般に小型犬と比べて寿命が短い大型犬としても早い死だったと思う。腎臓を悪くして、尿毒症だったと母から聞いた。クッキーの訃報を電話で受けた私は、直後にバイトが迫っていたためにシフトを代わってもらうこともできず、そのまま5時間働いたあと、着の身着のままで電車を乗りついで家へ帰った。
実家は二世帯で、クッキーは二階の子世帯で飼われていた。大型犬だったが、室内飼いで、子犬のころはよく色んなものをしっちゃかめっちゃかにした。家に帰ったと思ったら、ティッシュと引き裂かれたペット用トイレシーツにまみれて、口に自分のウンコを咥え、すまし顔をした彼に出迎えられたこともある。
「小さくて可愛かったから」、と父がほぼ寝言をほざいてペットショップから買ってきた、そんな彼も7年で大型犬の標準的なサイズと体重まで育った。こわばったクッキーの体は重く、布に乗せて四隅を持つようなかたちで、途中で急カーブを描いて折れ曲がる実家の狭い階段を、家族と四苦八苦しながら庭へ運び出した。
掘った穴の底にクッキーを横たえて、好きだったおもちゃやお菓子をいくつか並べた後、土をかけて穴を埋め戻し、そこらに転がっていた丁度いいサイズの石を置いて彼の墓とした。余談だが、墓のそばには柿の木があって、祖父は毎年その木から収穫した柿を干し柿にして食べている。たまに子世帯にもおすそ分けしてくれる。それを見て、毎度父が「クッキーを食べる時期か」と言う。親子そろってデリカシーがないのか、それとも単に田舎の人間の神経はこんなものなのか、私は知らない。
そんなことはどうでもいいのだ。
大事なのはクッキーはもう死んでしまったということだ。死んでしまったのだから、彼の毛がシーツにべっとり付着して、掃除に手間を取られることももうない。夢の中の私は自分の見ているものが夢であると気づいていた。夢だと気づいていたが、クッキーが死んだことを忘れていた。私は彼をベッドから追い出してしまった。思い出した瞬間に、彼がしたかったことを存分にさせてあげればよかった、もっと遊んであげればよかったと強い後悔に襲われた。生前から彼はベッドに乗りたがった。布団に染みついた飼い主の匂いを思い切り堪能したかったのだろう。そのささやかな願いを今度も遂げさせてやれなかった。喪失感がひどく、自分でもわけがわからないくらい悲しかった。ベッドから投げ出した、伸ばしっぱなしの手の先に、クッキーはもう触れてはこないのだ。慌てて舞い戻った実家で横たわる彼を見たときも、彼を埋めたときだってこれほど悲しくはなかった。夢の中の私は顔をゆがめて思い切り泣いた。泣いているうちに、現実の体の眼球に向かって涙がせりあがってくる感じがして、ついに目をあけると思い切り涙が落ちた。
目を覚ますとあれほど荒れ狂っていた感情はあっけないくらいあっさり引いていった。涙はそれ以上出なかった。私は胸に残った痛みの深さに驚いた。夢の中の涙を現実に持ってくるには、これだけの痛みが必要なものかとちょっと詩的なことを思ったりもした。その痛みもすぐに引いていったが、目を覚ました直後の痛みは、ちょうど心筋に掘削用の機器でも使ってゆっくり穴を掘っていったのだろうかと思うほどだった。それ以上は涙にならなかったのが不思議だったが、頭の中にある感情で眠った体を動かすには、実際それだけのパワーが必要なのだろう。痛みが消えた後は、ただ彼に対する後悔と、ひさびさに抱いた強い感情に対する疲労感が残った。昔はことあるごとに自分が世界一かわいそうな悲劇のヒロインだと思い込んで嘆き悲しんでいたが、今は喜怒哀楽のどれであれ、強い感情を抱くだけで疲れてしまう。吉良吉影の気持ちがよくわかる。あまり感情を揺さぶられると大人はしんどいのだ。悲しい夢を見て、涙を流しながら目を覚ますというありがちなシチュエーションは、本人からすると割と体力を使ううえにしんどい。それが分かっただけ昼寝で潰れた無為な休日ではなかったのかもしれない。
ことわっておくが、私は幽霊を信じていない。虹の橋の存在も信じていない。たぶん、今日の出来事は、浅い眠りで半分覚醒していた脳が見た、妙に実感のある幻の類だったろうと思う。ただの夢だ。そんなことは百も承知で、消化しきれなかった思いをクソのような駄文と一緒にトイレに流したくてこんなものを書いている。
三連休の初日、家と会社の往復以外はほぼ引きこもり状態の25歳女性。言うまでもなくブスで、友達もほとんどいない。吐き出すアテもなかったので、たいしてうまくもない感情的な文をまたネットに吐き出してしまった。どうか許してほしい。病んだブスがやりがちなことだ。打線が組めるし実際かなり打つ。鬱だけに。
べつに許さなくてもいいが。
怖ろしい思いをした。
暖かった昼間とは、打って変わって、夜は急に冷え込んだ。この部屋の気温は22度。指が冷えている。
その記事は、ホットエントリーにあった。匿名ダイアリーの記事だった。タイトルは「和菓子っておいしくない」。内容はシンプルに四行、筆者の意見を述べたものだ。いわく、「味が単調でおいしくない」。これに300user超のブックマークコメントが付いていた。少し変わっているのは、タイトルの脇に短縮URLでリンクが付いているということ。
リンク先を押すと、Tumblrへ飛んだ。そのサイトには「ゴンドウケンジ」なる人が描いた、「青春キネマ」というタイトルの四コマ漫画がたくさん載っていた。
後でtwitterを調べたのだが、その方は現在活動していないらしい。Tumblrは本人が自作をまとめたのかもしれないが、おそらくファンによる無断転載だろう。
その是非は、今はいい。
マンガはほのぼのとした青春群像劇で、俺は(個人的には)楽しく、読めた。だが匿名ダイアリー記事の作者の意図は何だろうか。そのリンクを除けば、ホッテントリによく見る、大喜利のための題材だ。書き手がお題になるヒトリゴトをつぶやいて、それを見つけたブックマーカー達がそれぞれのユーモアを込めた返しを、投げ込んでいく。
平和な風景だ。だけど無関係のリンクを置いた。なぜ。俺の解釈はこうだ。自分のオススメの漫画を、もっとみんなに知ってほしいという思いを込めて、宣伝のためによく受けそうな記事に混ぜた。あるいは書いたのは作者本人かもしれない。その線もないわけじゃない。でもどっちだって構わない。どちらにしろその行為は規約違反だから。はてな匿名ダイアリーでは宣伝目的のブログ記事を載せることを禁止している。もっとも実際のところは、運営だって忙しいようで、いちいち目くじらをたてているわけじゃないのだが。
その記事を読んだ読者はイラつく。気に入らない。これは匿名ダイアリーのルール違反だ。けどもしそうだったとしたなら、単に、トラックバックなりブックマークコメントなりで、そのことを指摘すればいい。「ちょっと増田さん、宣伝はダメですよ」って(注・増田とは匿名ダイアリーのこと。転じてその作者のこと)。
だけど誰一人として、そんなことはしなかった。読者の反応は異様だった。
・一週間待ってください。本当の和菓子をお見せしましょう ・桜餅大好き ・単体でなく緑茶といっしょに食べろ ・阿闍梨餅食べろ ・練り切りは抹茶と食べると最高 ・干し柿 せんべい ・お茶と一緒に食べたら ・たねやの栗月 ・つきたての餅で作ったあんこ餅 ・生八つ橋とかうまい ・苦手だけど揚げ饅頭は食べれる ・とりあえず最高級最中 ・埼玉銘菓十万石饅頭は ・もうすぐ水羊羹の時期だ ・そうなんだ、じゃあ私羽二重餅食べるね ・ブコメが和菓子への愛で溢れていてほっこり
etc..
何も見えていないかのように、軽妙なやりとり−−デジャビュ感さえ有るやりとり−−が交わされていた。いつもの風景じゃないか。
無視・無視・無視。あるいは本当に見えていないのか。俺はそんな風にさえ思った。俺のブラウザにだけ表示される広告なのか、これは。
だけど、目を皿のようにしてメタブまで、凝視して探すと、フツウの風景に馴染まない、違和感のある反応がみつかった。
・タイトルに「青春キネマ:アーカイブ」というサイトへの短縮URLが追加されてるんだけど、なにが目的なんだろう。
・見せしめに(なんの?)id:********2**を召喚。 これはひどい
・この発言必ず大変なことになるからね。事は進んでるよ。真実が明らかになったとき大変なことになるよ。
単に疑問を呈したかっただけかもしれないが。その言い方ではこのように聞こえる。「どうしたんだろう。こういうことが許されるとでも、思っているのだろうか」。
っていうか、見せしめ??? ロンダリングって一体なんなんだ?
俺はこれを見て背筋が凍った。はてなを始めてから1年以上経っているし、ホッテントリ・増田に張り付いていろんな風景を見てきた。バカにしあって罵り合って、共感して、寄り添って。ときには「手斧」を投げ合って。ふざけながら、笑いながら、あるいは顔を真っ赤にして。割としばしば、真面目に。いつも違った景色があった。季節があった。いろんな奴らがいて、多様な意見があった。それでも総じてどこかプロレスじみているというか、儀式的なところがあった。自分たちがやっていることを判ってやっている。俺はそんな風に思っていた。
今日見たのは違う。和気藹々と授業が行われている。生徒たちは楽しげに手を挙げて好き勝手な意見を言い。つられてみんなが笑う。教師も笑う。でもその中心に、素っ裸の中学生がいる。俯いて震えている。でも誰も気づかない。フリをしていて。平気。いたって普段通り。そんなイメージが、頭をよぎったんだよ。
なあ。俺が今日まで思っていたのはさ、もし俺なら、そんな中に突然放り込まれたなら、腹を立てて、本当に激怒して、全員の頭をハンマーで叩きまくると思っていたのだけど、実際に目の当たりにしたら、違うんだな。怒りより、恐怖を感じるもんなんだな。
俺は今や、おまえらが怖い。一体全体、何故なんだ? メタブまで含めたブックマーカー340人に一人一人に直接聞いて回りたい。「何を思ってそのコメントにしたんだ?」。
匿名ダイアリーがいつもの風景なのは、みんながルールを守っているときだけ。
ルールを守ってさえいれば、みんなが笑っていられる。
でも一人がほんの少しでも、ルールを外れたら、意味のわからないことをしたら、そのうち何人かの表情が、スッと消える。
(おおかた誰も信じてくれないだろうが、俺はその元増田ではないことを断っておく)