はてなキーワード: 問題集とは
自分語りすまん。
中卒で漢検2級をほぼ満点で一発合格した者だけど、普段からよく本を読んでいたせいなのか、2級がカバーしている常用漢字の範囲は元から身についていて、自分の弱点を把握して潰していくみたいな感じだった。
試験会場では2級対策の本を何冊も持ってきて読んでる人たちが大勢いて周りが全員優秀な人たちに見えてビビった。
けど合格率30%程度だから、あそこにいた優秀そうに見えた人たちの大半が落ちたってことだよな。
平均的な知能しかない中卒に負けるってどういうことだよ。
そんなわけで、常用漢字の範囲しか出題されず、一般教養と呼ぶに相応しい2級は大体なんとかなる。
あの検定の真のやばさは準1級以上から始まると思ってる。未知の日本語と遭遇することへの戸惑いを乗り越えることと、あとは純粋に暗記力と根気が試されるからだ。
自分は死ぬまでに1級取りたいなと思いつつ、取れないままかもしれない。だって準1級と1級は実用性皆無で自己満足でしかないんだもの。
書店で問題集を買ってきて、ふたりで一緒に、なるべく毎日、その問題集の1単元ずつやっている。
60~70問くらいの問題をウンウン言いながら解き、大学ノートに答えを書きつけ、終わったら交換して互いに採点しあう。
検定を受検して級をとろうとは特に考えていない。単に大人として一般教養をかためておこうよ、それくらいの動機。
そもそも夫婦ともに机に向かってお勉強をすることじたいン十年ぶりなので新鮮。
「あー! ここまで出かかってるんだけど!」
「読めるけど書けない!」
「点、つくんだっけつかないんだっけ?」「ここ突き抜けるんだっけ?」
「こんな部首知るか!」
「ほんとは書けるんだよー!ど忘れなんだよー!」
みたいにキャーキャー騒ぎながらクイズ感覚、ゲーム感覚で楽しんでいる。
ひとりでやったらたぶん全然おもしろくないと思う。ふたりでワイワイやるから楽しめている。
※恥ずかしいので級は明かさない。少なくとも準1級や1級ではない。
受験した皆様、お疲れ様でした。自己採点の結果はいかがでしょうか。
今年は例年より優しかったみたいですね。
さて、本題。
毎年この時期になると私にとって嫌な思い出がよみがえる時期でもあります。
宅建の受験体験記って、学歴はあまりないけど、頑張って合格しました!
とか、こうやって3ヵ月独学で合格しました!みたいな内容が多いと思うので、私のような例はある意味珍しいんじゃないかと思います。
まぁ失敗談なんてわざわざ残そうと思わないってのがあるでしょうけど何かの参考になれば。
私が宅建試験を受けたのは〇年前、理由は当時、自宅の購入の話を進めており、営業と打ち合わせをする機会が多かったから。
なので、自分も勉強して知識があった方が何かといいんじゃないか、っていう軽い理由からだった。
確か、その時が春先ぐらいだったので、言っても試験までは半年あるし、それなりの学校(都の西北方面)出ていた自負もあった。
メジャーな資格で、独学用の教材も充実してるから有名な参考書を買って勉強すれば、なんとかなるだろうっていう気軽な感じだったように思う。
(合格した暁には営業さんに実は私宅建取りましてね。とか言って驚かせてやろう、みたいなことも当時内心思っていた。今思い返すと恥ずかしくて穴があったら入りたい・・・)
で、早速本屋に行き大手予備校が出版している参考書と問題集を購入。
ただ、会社勤めもしているので試験勉強と言っても、平日は寝る前にテキスト読んだりっていうレベルのことしかしてなかった。
それでもほぼ毎日勉強するようにして、ゴールデンウイークも明けたころには、テキスト理解できたわけじゃないが問題集も取り掛かった。
が、勿論最初は9割以上解けない。
でもめげずに何周かして夏の終わりごろには8割は解けるようになって、それなりにいけんじゃね?ってなっていった。
このころには久しぶりに自主的に勉強することの楽しさや充実感、みたいなものも味わっていたように思う。
順調かと思われた秋口に過去問に手を付け始めたところで一気に奈落の底に落ちることになる。
問題集が過去問準拠なんだから、問題集解ければ過去問もいけるはず、と思って臨んだ過去問がさっぱり解けない。
問うてる本質は問題集と同じなのかもしれないが、聞き方を少し捻られただけでさっぱり解答できないのだ。
つまりそれは問題集を暗記していただけで理解していなかった、ということなんだろうと今にして思う。
が、もう時間も残されてない。かなり焦ったが過去問10年分を5回はやって40点ぐらいはとれるようにはなった。
あとは当日の問題の相性でなんとかならんかな、と運を天に任せて試験日に突入。
終って家で自己採点してから後の事はあんまり覚えてない。あまりにショックを受けすぎて。
・・・というのが一連の顛末。翌日教材一式は処分したことは覚えている。それから一度も受験はしていない。
宅建ごとき一ヶ月で、とか一週間で受かるとか言う人がいますが、本当であるならその人は相当秀才です。
ですが、宅建試験はちゃんと努力すれば合格する試験で、才能はいらないと聞く。
受験生は働きながら受ける人ばかりだと思いますし、当然スタートラインは皆が平等ではない。
それでも受かる人は受かっている。
私は一回で受けることをやめてしまった結果、「高学歴なのに宅建に落ちた人」になってしまいました。
家族しか受験のことを言ってなかったのが不幸中の幸いでしたが、もし職場に言っていたら、あいつ○○大卒なのに宅建落ちたのか、っていう評価に絶対なっていたはずです。
これは宅建受けたことない人、宅建を良く知らない人もそう言うと思われます。
つまり、世間的には宅建はそれぐらいの難易度と思われてるっていうことです。
いやいや、落ちたとしても勉強したことは財産だよ、っていう意見ももちろんですが、期待値が大きかった人にとってはあてはまりません。落ちたっていう事実だけが残ります。
これを解消するには再度受けて合格するしかないわけですが、残念ながら私は気力が持ちませんでした。
そして何年たってもずっとこのことを自分の中で引きずってます。
どんなに社内で仕事のことで難しいことを言っても、頭の中で「でも宅建は落ちたんでしょ」っていう囁きが聞こえます。もう病気ですね。
こうなってしまうぐらいなら一回も受けない方がマシすらあります。
今なぜ数年経って振り替えろうと思ったか。
それは会社のよく知る後輩が受験して合格の見込みっていうのを聞いたから。
後輩は決して高学歴ではない。
でも、仕事で一生懸命努力が出来る、周りからの信頼も篤い好人物だ。
きっと仕事と同じようにコツコツと宅建の知識も積み上げたのでしょう。
なぜだかわからないが、その一報を聞いて、私も来年やってみようかな、とふと思い、その気持ちを忘れないうちにここに記すことにした次第。
数Aの問題集を買ってきてひたすら解きまくれば分かるようになるぞ。
小説を書くというのは、いわば、現実に在る問題に対してソリューションを提示するということであるのだから、小説を読む=ソリューションを知ることからはなかなか生まれない。
それよりはまず、問題集を読むところから始めないといけない。数学の問題はあんなに短いのに、それに対して書かれる解答は相当に長いだろう。
あれが小説のイメージなんだよ。短い問題に対する解答を長々と書き記したくなる意欲。公式の活用はレトリック。計算力はストーリー。そういったものこそが、小説を書く人が最初持つべきイメージなんだよ。
もちろん、問題を解くためには公式を覚える必要があるだろう。解答を多数見て知ることだってあるだろう。
しかし、それらは自分で解答を書く能力になかなか繋がらない。そのためには、やはり自力で簡単な問題から解いていかないといけない。
つまり、文章の書き方を覚えたり、他の小説を見て知ることはそれくらいの意味しかないということなんだよ。
それよりは、問題を探すこと。そして解くこと。
それらの繰り返しによって、数学のあんなに長い解答が自らの手で生み出せるようになる。同じ意味で、小説もだんだんと長く書けるようになっていくだろう。
だから、小説を書き切るイメージが掴めない人は、受験数学の感覚が手がかりになるんじゃないのかな。
何らかの問題が設定されていて、そこに知ってる公式を当てはめたり、手始めになんか計算を進めたりして、「なんか解けそう!」という感覚に繋げていく、そういうような感覚が小説を紡いでいくんじゃないのかな。
お返事ありがとう
Udemyってそういうのもあるのか。
資格とかとる時に良さげな問題集ない時とかしか使ってなかったから知らなかった。みてみるね
そんなバチバチ環境ではないんだけど、なんか私が優しい?から後輩が舐めてるらしく……
課長とか部長とかには私の仕事は評価してもらってるので辞められるような仕事はしてないはずなんだけど……
それでもっと叱れって言われてる😭
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。
FF16クリアしたんだけど、これはゲームが好きな振りをしたい人には最高のゲームだと思った。
①アクションが下手でもアクションゲームをクリアしたという実績が解除できる。
→私はアクションやFPS,格ゲーが下手で、SEKIROは勿論ティアキンも難しすぎて挫折したんだけど、FF16は難なくクリア出来た。
練習が必要ないのが良い。ストーリーフォーカスモードを選択すれば、敵のHPが低めでサクサク進められるし、
オートドッジという自動回避アクセサリを付けて、気付いた時にR1回避すれば、ほぼ無傷・ゲームオーバー無しでクリア出来た。
コマンド方式時代のFFに比べ、レベル上げや戦略工夫の苦労も無く、ただただクリアした実績だけ解除したい人間には最高だった。
②単純なストーリーのおかげで何も悩まずに楽しめた
→敵にも感情移入出来てしまう深いゲームだと、辛い思いをしてしまう(例:DQ7の女戦士マチルダ)
また、トゥルーエンド等、自分が望むエンドに持っていく為にプレイヤーの腕が問われるゲームも、クリアは出来れど大変だった(例:ブラッドボーン)
その点、FF16は分岐ルートも無く、敵もただただ憎たらしいキャラを最後まで維持してくれる(例:アナベラ)で、
ゲーム中も昔のアメリカの勧善懲悪映画みたいな安心感があった。
主人公の不遇もちゃんと報われるような方向に向かう所も良かったし、
主人公は成人後、主人公の自己肯定感を回復させる為の良きメンターばかりに囲まれるのも良かった。
色んな人が言ってるけど、ストーリーや情勢をプレイヤーに分からせるためのシステムがとにかく完成されていて、
ストーリー把握の為に街の人から手当たり次第話を聞く必要やサブクエストをクリアする必要が無かったのも快適だった。
③有名タイトルをクリアする為に必要な労力を考えるとタイパが良すぎる
→私はまあまあ歳取ってるんだけど、ドラマを観るのが面倒で2倍速で見て友人の話についていったり、
彼氏から長編漫画を勧められたら、1巻読んだあとネタバレサイトを読み漁って、必要そうなエピソードの巻だけ読んで楽しんだふりをしていて、
最近揶揄されがちなネタバレ・早送り若者の行動を昔から率先していた。
飽きっぽい性格なのも起因しており、参考書や問題集を選ぶ基準もページ数が少ないものを選ぶようにしていた。
そういう性格で何故ゲームやドラマ、書籍等のコンテンツを摂取しているかと言うと、
人類が好きで、話が盛り上がった時の人々の喜ぶ様子を見ることが趣味だから、話を合わせるためにゲームが好きな振りをしている。
そのような人間にとっては、いちいちコマンドを打つ練習も、エイム練習も、相手の隠れる位置やマップを覚える必要もないFF16は最高のゲームだった。
私みたいなのには誰でも出来るソシャゲの類を勧める人もいるんだけど、
課金すれば誰でも出来るイメージが浸透しているソシャゲに時間とお金を溶かすのは逆にコスパが悪く映る。
ちゃんとゲームが好きな人に見える本格コンシューマーゲー、という条件でいうとFF16はタイパが最高に良いゲームだった。
同じようにゲームする時間は勿体無いが、ちゃんとしたゲームをクリアした、という実績だけが欲しい人にとってのGOTYになり得るゲームだと思う。
[B! ブレードランナー] 『ブレードランナー』デッカードは人間か、レプリカントか ─ ハリソン・フォードが新証言「私はずっと知っていた」 | THE RIVER
ブレードランナーとかインセプションとか映画に限らないんだけど
「さあどちらでしょう?答えは皆さんで考えてください」みたいなのが嫌い
作者は必ず答えを持って作ってるでしょ
だからラストまで時間をかけて観客を引っ張って来たはずなのに、
それを信じてこっちもついて行ったのに最後の最後で答えを明かさないってそんなのナシじゃない?
裏切りじゃない?
見た人がああだこうだ議論してるのを神目線で「あ〜答えはちがうんだけどな〜?(ニヤニヤ」とかやってるの?
あ、それとも作品内でヒントを描いてるつもりなのに観客がその結論に辿り着けてないとか?
それならそれで失敗だよね
伝わってないんだから
とにかく答えはわかりませ〜〜〜んってジェットコースターで終点に行かずに空中に放り出されたような気分になるんだよ
リアル人生はそんなものだけど創作は用意されたアトラクションでしょ?
ほんと無責任すぎる
世界史の特徴、特に日本史との最も大きな違い。それは、平均点レベルまで到達するのに時間がかかることである。
日本史は覚えたことが得点に直結する。古代のことなら古代の内容が分かれば得点できる。
だが、世界史は違う。
古代ローマのことを覚えただけでは設問のほとんどに答えられない。
例えば入試では「古代ローマの民主制と比較して現代の民主主義を考える」みたいな技能・思考を必要とする問題が出題される。ローマを覚えてもすぐには得点にならないのだ。
つまりこれは、「暗記しただけでは勝てない」ということを意味する。そして、平均点に到達するのに大きな労力がかかる。
さらに言うと、そこまで労力がかかるとなると、モチベーション維持が大変である。
とすれば、受験に備えるためには以下の条件を満たす学習を進めなければいけない。
①用語を覚えることについて
1.最低限の語句を
2.モチベが落ちる前に
3.素早く覚えきる
→「ポエニ戦争」「マグナカルタ」「則天武后」「資治通鑑」などの語句を古代から近現代まで各地域ごとにひととおり知っている状態、空欄補充ができる状態にする
②流れを押さえることについて
1.覚えた語句を
3.関連づけて理解する
→かなりざっくりした言い回しになるが、「十字軍において、最終的には聖地を奪回した状態を維持することはできなかったが、その過程でイスラームとの接触を通じてもたらされた文物や価値観は後のルネサンスにも影響した」という感じの理解。その中で人物ほかもう少し具体的な用語を付与していく。サラディン、インノケンティウス3世、ラテン帝国、アンティオキア、とか。
ここで問題となるのが、どちらにどれくらいの時間を割くのか、という点だ。しかし、当然ながら時間は有限である上、理解を「定着」させる為には②により多くの時間がかかる。
つまり何が言いたいかというと、①を終わらせて初めてスタートラインに立てるのであり、そこまでの作業を迅速に終わらせられないような人間は受験世界史の勝負の舞台に立てないから諦めろ、ということだ。
さて、先述の作業の期間の目安が二週間つまり半月であり、そのために最も有効な問題集のひとつが「スピマス」である。
詳しくは以下のサイトより。
https://www.yamakawa.co.jp/product/03077
しかし、いきなりこんなものに取り組んでも何も意味がわからないだろう。
受験期までにちゃんと通史を学べる恵まれた高校はそう多くないだろう。そこで、先述②より先にまず把握しなければいけない最低限の「流れ」を把握するのに最適なサイトがある。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/
20分×40回で800分。受験勉強へのトータルの時間を考えれば大した量ではない。
用語は決して多くなく、これを見ただけでは知識量としては受験に通用しない。あくまで流れを掴む用途なので、躍起になってちゃんとしたノートを取る必要はない。
各回のラストで内容を要約してくれる。それを見てなんとなく雰囲気が掴めればいい。
これらを高校の夏休みが始まるまでに終わらせられないなら受験世界史にはスタートラインにたどり着くこともなく敗れることだろう。
しかし、今の時期、5月末に始めて6月15日までに終わらせられればまだ間に合う。
それから1ヶ月かけて基本的な問題集に取り組み、夏休みに共通テストの過去問に取り組むことができれば、9月には個別の入試の対策ができる。
そうすれば、よほど偏差値の高い大学でないかぎりはまず通用するレベルに行き着く。
受験生達の健闘を祈る。