小説を書くというのは、いわば、現実に在る問題に対してソリューションを提示するということであるのだから、小説を読む=ソリューションを知ることからはなかなか生まれない。
それよりはまず、問題集を読むところから始めないといけない。数学の問題はあんなに短いのに、それに対して書かれる解答は相当に長いだろう。
あれが小説のイメージなんだよ。短い問題に対する解答を長々と書き記したくなる意欲。公式の活用はレトリック。計算力はストーリー。そういったものこそが、小説を書く人が最初持つべきイメージなんだよ。
もちろん、問題を解くためには公式を覚える必要があるだろう。解答を多数見て知ることだってあるだろう。
しかし、それらは自分で解答を書く能力になかなか繋がらない。そのためには、やはり自力で簡単な問題から解いていかないといけない。
つまり、文章の書き方を覚えたり、他の小説を見て知ることはそれくらいの意味しかないということなんだよ。
それよりは、問題を探すこと。そして解くこと。
それらの繰り返しによって、数学のあんなに長い解答が自らの手で生み出せるようになる。同じ意味で、小説もだんだんと長く書けるようになっていくだろう。
だから、小説を書き切るイメージが掴めない人は、受験数学の感覚が手がかりになるんじゃないのかな。
何らかの問題が設定されていて、そこに知ってる公式を当てはめたり、手始めになんか計算を進めたりして、「なんか解けそう!」という感覚に繋げていく、そういうような感覚が小説を紡いでいくんじゃないのかな。
なんとなくわかるかも