はてなキーワード: 半沢直樹とは
舐める舐めないで生きてる人と関わらないのが一番だと思う。関わらざるを得ない場合、要点だけに絞ってハキハキ対応。楽しい空気・有意義な意見交換ができてるときに舐める舐めないの話って出てこないし
「謝って下さい」
にも『謝らせることしかできないのが彼の限界のようで、無力感に苛まれた』と言った。だから、
「舐めてる」
という言葉も使わない。
そんなこと聞くのも野暮じゃん?
自分がそう感じる時点で舐められてるか、相手の態度が許せてない。
他人に聞いてもねぇ…
舐めてる?って聞いて、舐めてないって答えても信じられないだろうし、舐めてるって答えられたらそれこそ喧嘩するしかなくなる。
「威圧することで優位に立ちたい」
だから使いたくない
11/30から1泊で日光の日光金谷ホテルを予約してて、12/1は日光を観光する。12/2は箱根に行く予定でもうホテルも予約している。12/2は朝から美術館に行きたいから早めにチェックアウトする。ホテルも一人で泊まるし観光も全て一人。
選択肢としては
2.都内のビジホ
の4択。具体的にこれから悩む。
a.グランドプリンスホテル新高輪(9000円)
村野藤吾の代表作のグランドプリンスホテル新高輪。アクセス良好。洗面などの部屋は古いがそこも楽しめる。
部屋のタイプは喫煙ツイン30平米。一人だと18時チェックアウトだけど、朝から箱根に行くから別に特に旨味なし。2人で予約すると9500円なので、村野藤吾が好きな友達を部屋代要らないからと誘っても良いかもしれない。
b.リーガロイヤルホテル東京(10500円)
半沢直樹が好きなので撮影地の一つであるリーガロイヤルホテル東京にちょっと行きたい。部屋タイプはダブルの25平米。洗面や浴室の写真が見当たらないので不安。
登録有形文化財の旅館。豪華な旅館とかじゃなくてヤバめなかんじ。じゃらんとか楽天とかでは予約できないので直接旅館に連絡しないと泊まれないようだ。なので多分Go Toトラベルは対象外。そもそも空いてるのかすら分からない。部屋のタイプは8畳和室。トイレ風呂は共同。
d.鳳明館(5000円)
本館別館森川別館の3つがあるようだ。こちらも本館が登録有形文化財。でも西郊と違ってじゃらんなどで予約できる。Go Toトラベルの対象にもなってる。文豪が昔愛用してたらしくて文豪プランなども展開している。部屋のタイプは4.5畳から6畳。こちらもトイレ風呂は共同。
2.都内のビジホ
a.ドーミーイン(朝食付き5000円〜6500円)
ドーミーインの朝食食べてみたい。プレミアムとかいろんなタイプあってよくわからない。
こちらも村野藤吾の代表作。建物がとにかくかわいい。アクセスがとにかく悪くて平日だと一日平日3本の小田原駅からの送迎バス(要予約)か、新宿から1日1本のバスか、小田原駅からのバス(1日15本程度あった)か…。部屋タイプは禁煙ツインルーム38平米。翌日の箱根の美術館は巡りやすくて良さそう。
赤い屋根が可愛いホテル。庭も綺麗なんだけども見頃は5月らしいので12月に行ってもなあ…というかんじはする。aと近所のためアクセスのメンタルはこちらも期待できない。
4.箱根のビジホ
泊まりたいところがとくに思いつかない。
甲斐みのり氏の著書「一泊二日 観光ホテル旅案内」の付録だった日本全国わたしのホテルBEST100を参考に考えてみた。今のところ鳳明館本館が有力かな〜。
ドラマ版ゆるキャン△2期の制作が決定したので、記念に大垣城の思い出を書く。ドラマ版の大垣があまりにもアニメの大垣そのままだったことに感動して、大垣に関係するものを何かしてみようと思い、大垣を観光しようと大垣城へ行った。今年の3月のことだった。
岐阜県大垣市のJR大垣駅から歩いて10分で大垣城に到着した。当時は児童・生徒の入場はコロナ禍により制限されていたが、そうでない私は特に問題なく入場できた。大垣城は関ヶ原古戦場に近く、最上階の天守閣から西の方を眺めると、南北を山地で囲まれた関ヶ原が琵琶湖方面への通り道のように見える。もちろん大垣城内の展示では関ヶ原の戦いを売りにしており、戦いの様子を表現したジオラマの展示、当時用いられていた当世具足の展示、武器を手に取って体験できるコーナー、ビデオコーナーがあった。
私がその中でも気に入ったのはビデオコーナーであった。入口の立て札には「SEKIGAHARA」というタイトルと劇画調の石田三成と徳川家康の精悍な顔が描かれており、「関ヶ原の戦いはただの権力争いではなく、後世の武士の価値観を決定するイデオロギーの闘争であった」みたいな感じ(注:正確な文章は忘れた)の煽り文が異彩を放っていた。中を見ると、公立図書館の様な一人再生用の視聴ブースが5つほどあり、映像は全部で2時間と説明文にあった。大垣城以外にも「奥の細道むすびの地記念館」など市内をいくつか観光するつもりだったので、10分ほど軽く見るつもりでヘッドホンを装着してDVDの再生ボタンを押した。結論から言うととても面白くて、1時間ほど見てもまだ続きが見たかったけど、泣く泣く中断したほどだった。
私は高校で日本史を履修しておらず大河ドラマの類も見たことが無く、石田三成を見ても「誰だっけ?」と思ったほどである。関ヶ原の戦いは豊臣と徳川の争いであるとは漠然とは知っていたが、関ヶ原の戦いの時には豊臣秀吉がすでに故人だったことも知らなかった。そんな私でもDVDに夢中になった。
映像は豊臣秀吉の死から始まる。秀吉を豊臣財閥の筆頭株主兼社長に例えて、五大老は秀吉にM&Aで吸収合併された競合他社の社長としていた。五大老は自社の株式の全てを秀吉に売り、代わりに秀吉の会社から株式を譲り受けて豊臣財閥の取締役になったという設定である。五奉行は執行役員部長で秀吉生え抜きの社員だという。それぞれの大名の石高数は、豊臣財閥の持ち株数で表していた。
秀吉の跡を息子秀頼が継いだものの未成年で実権がないので、成人するまでは取締役である五大老が秀頼を補佐するようにというのが秀吉の遺言である。遺言に反して株式保有数第二位で副社長の徳川家康がクーデターを企て、それを社長室長兼企画部長の石田三成が阻止するというのが「SEKIGAHARA」の大きな流れだ。250万石もの大資本を持つ取締役副社長の家康に対して、わずか18万石の部長に過ぎない三成がどのように対抗するのか。この会社組織で例えた設定がナレーションや図表でわかりやすく解説されたので、歴史に詳しくない私でも現代ドラマを見るように楽しむことができた。
時間がなかったので飛ばしながら見たが、それでも全部見終わることはできなかった。この「SEKIGAHARA」は「原作:堺屋太一」とあったので、帰宅後に原作を読んで関ヶ原の戦いを調べることにした。原作小説の「大いなる企て」でも、五大老や五奉行を会社組織で例えており秀吉の死から物語が始まる。しかし、映像版と原作小説ではストーリー構成が大きく異なっていた。映像版では秀吉の死後に関ヶ原の戦いが始まり、合戦の様子を三成と家康のそれぞれの視点で描くのがメインであった。それに対して上下巻構成になっている原作小説では、朝鮮出兵の和平交渉と撤退に三成が中間管理職として苦労する描写に長尺が割かれている。朝鮮出兵から帰還した大名に対して三成が秀吉の葬儀を取り仕切り、それがようやく一段落ついたころには上巻が終わるという具合だった。関ヶ原の戦いはいつ始まるんだと思っていたが、残念ながら原作小説は関ヶ原の戦いが始まる前に完結してしまう。
原作小説は私の期待に反して関ヶ原の戦いは描かれなかったけれども面白かった。それにしても、原作では三成が中間管理職として苦労する地味なサラリーマン小説であるのに対して、映像ではドラマのようなエンタメに仕上がっているのはどういうことだろうか。気になって原作者を調べてみたが、堺屋太一がただの小説家ではないことが分かった。
堺屋太一は元通産省の官僚であり、大きな業績として大阪万博の企画立案に携わったことがある。通産省を退官後は、小説家・博覧会のプロデュース・ドラマなどテレビ番組のプロデュース・大臣・学者・政治運動とマルチに活躍しており、どれをとっても大きな功績といえるだろう。「SEKIGAHARA」のプロデュースも堺屋太一の活動の一つだ。「SEKIGAHARA」では単に原作のストーリーをなぞることにこだわらず、大垣城の展示作品としても、エンタメとしても楽しめる物を意識してプロデュースしてきたことだろう。
堺屋太一を知らない人でも、「団塊の世代」という言葉は知っているだろう。「団塊の世代」は元々堺屋太一の小説のタイトルで、当時「戦後っ子」と呼ばれた戦後生まれの世代が、将来社会でどのような役割を担わされるのかを予想した近未来小説である。この小説も私は最近読了したので感想を述べてみる。
1970年代中頃に連載した当作は80年代90年代のバブル景気とその崩壊を予測できなかったものの、団塊世代の出世が頭打ちになること、無駄に役職者が高い人ばかりになり組織のピラミッドが歪になること、人余りの団塊世代が関連企業へ出向されるなど、年功序列型の賃金上昇や終身雇用が維持できなくなる現在を予測している。
団塊世代は今でこそ巨悪と描かれることが多い。昨今話題になったドラマ半沢直樹もその一つだ。ドラマでは銀行マン無双というタイトルが似つかわしいほどの勧善懲悪痛快劇であるが、原作小説では「オレたちバブル入行組」のタイトルの通り、バブル世代である半沢直樹らが団塊世代に復讐をする世代間対立の物語である。ただ、原作でも世代間対立の色合いは作品を経る毎に薄くなり、三作目で「ロスジェネの逆襲」というタイトルで半沢らより下のロスジェネ世代の人物を多く登場させながら、ロスジェネ世代がバブル世代や団塊世代に逆襲をするというわけでもなくタイトルに反して半沢直樹無双となっている。四作目ではとうとう世代間対立は関係なく、その時話題になっていたJAL再生タスクフォースや民主党の事業仕分けをネタにして半沢直樹無双をやるだけになってしまった。ドラマ2期で過剰な演技や顔芸ばかりが取りざたされることに批判もあるが、原作もこの様なものである。
閑話休題。しかし、「団塊の世代」を連載した1970年代中頃では、団塊世代はまだ二十代の若造である。その頃から戦後っ子が老害へと変貌する未来を予測したのは流石としかいえない。「団塊の世代」の4話では1999年が舞台になっており作中では、団塊世代が既得権益をむさぼりレジャーにうつつを抜かして経済や技術の発展を妨げた、と批判がなされている。大阪万博など一大レジャーを築いた堺屋太一自らがこのように評するのは痛快にして皮肉でもある。
ちなみに、堺屋太一は1935年生まれで2019年に故人となっている。多くの業績を残したすごい人を亡くなって1年も経ってから私が知ることになるとは何て残念なことだろうと思ったが、それで堺屋太一の小説の面白さが色あせることもないので今も読んでいる。
ゆるキャン△ドラマ2期決定を機に大垣城の思い出を述べてきたが、関係ない話が長くなってしまったので、この辺で筆を折ることにする。
このご時世、鬼滅の刃を純粋に楽しめることは幸せなことだと思う。
自分も流行に乗って映画を見てみたいなと思って、先日フジテレビで放送していた総集編みたいなものを見てみたんだけど、正直なところ自分はそんなに面白いと思わなかった。
話はよくできていると思ったし、退屈とは思わなかった。つまらないものであれば途中で見るのやめるけど、2時間×2週分最後まで見た。これが流行るのは頷けると思ったけど、自分にはハマらなかった。特に情緒や感性を刺激されなかった。
自分にガッカリした。鬼滅の刃がNOT FOR MEである自分に。
最近だとドラマの半沢直樹なんかは面白いと思って毎週見ていたりしたんだけど。
勧善懲悪で暑苦しいというところでは半沢と変わらないような気がするし、何が原因なのかはよくわからない。
年齢的なものは一つあるのかもしれない。歳を取りすぎた。
半沢直樹レベルではなく流行っている鬼滅の刃の盛り上がりをリアルタイムで楽しめれば、絶対に楽しい。
今年はコロナでなかなか良い話題が無い中で、鬼滅の刃の話をタネに盛り上がってみたかった。
上映期間中に一度は映画を見に行ってきたいけれども、この状態で見に行っても知識を入れるための勉強みたいな感じで終わっちゃいそうだなあ。
ここ最近のおたくカルチャーの躍進が俺の心にカタルシスを与えすぎてヤバイ。
ゴミゴミタレント俳優起用擁護勢もアニメ馬鹿にしてる実写勢もことごとく叩きのめしてあまりにも爽快すぎる。
もう自然な演技(笑)だの半沢直樹で実写勢内部からすら自己崩壊してるしいよいよ趨勢が決まってきたな。
碌に見てもらうことすらできない邦画実写映画のごみどもよ消え去れ。
多様性(黒人を監督にするアニメ制作会社)でもジェンダー関連(日本一興行収入稼いでる女性映画監督はアニメ監督)でもすでにアニメに負けてるのに全く気付いてないし。
気づかずに偉そうな馬鹿だらけ。
ざまぁみろ。キモオタどもに地に這いつくばらされる気持ちはどうだ。
きもちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。
それは俺じゃなくて半沢直樹に言えよ
鬼滅の刃が社会現象になっている理由について色々な理由が考察されているけど、一番の理由はこれだと思う。
つまり「鬼滅以前のジャンプには鬼滅の刃のような作品が存在していなかったから」。
鬼滅の刃の連載が始まったのは2016年11月だったけど、当時の少年ジャンプって日本の「失われた30年」みたいな雰囲気だったと思う。
90年代(ドラゴンボール・スラムダンクその他)のような黄金期はとっくに過去のものとなり、いつ終わるか分からないワンピースとファンも半分諦めているハンターハンター、そして新しく出てきてはすぐ消えていく90年代の焼き増し劣化コピーのような新作ばかり。
今までジャンプ作者が思いつかなかったような世界観やキャラクターの作品が新鮮だった。
そしてそれが読者や時代に見事にウケたので大ヒットになった。
つまりは、鬼滅の刃の大ヒットの構造的要因とは「90年代の黄金期の否定」なんだよ。
ジャンプに必要な友情努力の原理原則は守りつつ、90年代とは全く違う漫画を作ったから大ヒットした。
2013年に大ヒットしたドラマ・半沢直樹についても同じだと思う。
当時のテレビドラマは刑事モノ・医療モノ・弁護士モノばかりで、銀行モノのドラマはほとんど無かったと思う。
どのテレビドラマも警察か病院か弁護士事務所か裁判所ばかりで視聴者が内心飽き飽きしていたところ、それまで思いつかなかった銀行ドラマということで大ヒットしたのではないか。
文庫本は1000円以内で買えて、1000円を超すのは大判の単行本。5年前くらいまではこんな認識だった。
では、令和2年の市場に出回っている文庫本の値段はどうだろうか。
高い。いかんせん高い。1000円を優に超える“文庫本”なんでザラなのだ。
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おかしい。2000円出せば文庫本を3冊買えるという感覚だったのに。今は2冊でも予算オーバーではないか。
ネットで読みたい本を探し当てても、値段を見て絶望する。税込ではなく、税抜で1000円オーバーだったときのショックさは説明できない。
増税、出版不況、紙の価格の高騰、電子書籍の台頭等、紙の本の価格のインフレが起きる理由は何となく想像できるし、本の値上がりは現在の社会において不可逆的で、受け止めなければならない現実であることは分かっている。
しかし、それならばページ数と装丁の豪華さが価格と比例していない状況はどう説明すればいいのだろうか。
とある上下巻構成のミステリー小説を書店で購入した。1冊1100円ずつ、合計2200円だった。両方とも400ページも無く、ページ数としては特別多いわけではない。
コニーウィリスの小説を上下巻セットで購入したときも同じくらい取られたけれど、こちらは上巻だけで600ページ超。これだけ厚ければ仕方ないよねと諦めがつく。
ちなみに半沢直樹の1巻は同じくらいのページ数で、800円出してお釣りが返ってくる。
こうして他の本と比べると、高い買い物しちゃったなあと後悔するとともに、やり場のない怒りが込み上げてくる。
どうして、どうして(比較的)薄い本にこの値段を払わねばならないのかと。
加えて、件のミステリー小説本文の紙は、お世辞にも良質な紙とはいえなかった。読書中にシミのようなものを見つけ、自分で汚したのかと思ったら紙の汚れだった、ということが何度もあった。
そもそも文庫本って、「単行本の廉価版」として売り出されているものではなかったのだろうか。
ハードカバーの本は劣化しにくく長期保管に適している。それに、なによりも本らしさを実感できるのはハードカバーだと私は思う。ハードカバーでなくても、講談社BOXやハヤカワポケミスのように変わった装丁がウリのシリーズもある。そして、単行本は場所を代わりに文字が大きかったり紙が明るかったりするので、読みやすい。
今挙げたような単行本の長所が発揮されない代価として、安価で買えるというのが文庫本の長所ではないのか。
もはや文庫本が単行本の値段に近づきつつある。ここまできたら文庫という形態にする必要がないのではと私は考える。
長くなってしまったが、紙の本が好きなので、最近の謎の価格設定に余計に納得がいかないのだ。
不平不満を言いながら割高な文庫本を購入する私のような消費者は出版社にとって立派なカモなのだろうが、ここまで強気の値段を連発されると、じきに購買意欲が無くなるだろう。古本屋やフリマサイトでいいやとなる(図書館は返却期限があるのでイヤ)。
お気に入りのレーベルを見つける程度には現在進行形で読書に没頭しているので、出版業界は衰退して欲しくない。
だから、世の中の需要を喚起するためにも、私のためにも、文庫本を安くしてほしい。
価格インフレのメカニズムを完全に理解したところで、私が本の値段を下げられるわけではないから。
9月27日18:15頃に台東区浅草橋の須賀橋交番前交差点で信号無視の車が横断歩道を歩いている5歳の男の子をはねてしまった事故だが、直後にたいこ茶屋の若大将が自分の息子が跳ねられた件をツイート(今は削除)したため、被害者の男の子が浅草橋に通勤されてる方だったら誰でも知ってるガッツおじさんのお孫さんということが判明してしまいました。
男の子は残念ながら亡くなられてしまい、須賀橋交番前交差点そばのファミリーマート浅草橋3丁目店の目の前に献花台が設置されてます。
たいこ茶屋と言えば半沢直樹の撮影に使われていたということで聖地として有名なお店であり、その半沢直樹最終回の日にそんな事故が起こってしまったということが本当にいたたまれない。
合掌
漫画です。
・ストーリーは島耕作が会社の中で平社員から社長まで上り詰めていく話である
そこまでスカッとはしない
俺も知らない
そこまでは女は多くない。連載最初のころに離婚しているから女遊びしても不倫ではない
どっかの漫画評論家が、この作品の女性は物のような扱いだと憤慨してた
エロは多いけど成人向けまでじゃない
・絵面は美味しんぼとシティーハンターを出して割ったような感じ
沢山コメントもらえてありがたいです。
おっしゃる通り。
読んでて「ひぇ〜〜ここにだけは巻き込まれたくね〜〜」と思うような人間関係が出てくる漫画のことを言ってましたね。
コミュニティ内でゴチャゴチャやっている話。だからバトル漫画は私の定義からは明確に違います。
挙げてもらったものだと半沢直樹とか沈まぬ太陽とか白い巨塔、高村薫の合田三部作はひぇ〜ですね。サラリーマン小説だとよくありますね。
島耕作とかのサラリーマン漫画は読んだことないけど同じ感じなのかな?
ちなみに今日から俺は!!は大好きで全巻持ってます。全くひぇ〜感はないけど(殴り合いはひぇ〜だけど)考えてみるとたしかにあれもマウンティングか。
でもネチネチめんどくさい変わった人だと思って読んでた。南海キャンディーズの山ちゃんとかも、面白いけどめんどくさい人だねって。
あとこのトラバとか、ブコメにも似たようなこと書いてあるけど。
男でも女でもネチネチめんどくさい人とは関わり合いになりたくないと思っているけど、女だとよくいる人、男だと変わった人だと思っている自分に気が付いた。ジェンダーバイアス。
そもそも女向けでもドロドロひぇ〜を読むの嫌なのに男向けだったら読むのかって言うと、読まないよなぁ…
でもせっかくなので読んで(見て)みようと思ったもの(自分の意図してたものと違うだろうものを含む)
・アメドラのSUITS
ありがとうございました。