はてなキーワード: 処遇とは
例のかつをさんの件だが怖い怖いといえど田舎はそんなもんだろう、と思った。
とにかく田舎ってどっかの代でドジを踏むと永遠に子どもは馬鹿にされる。伯父(とはいえ父とは異父兄弟なので父は兄貴とはいわず○○君とよぶ)の父親は南方で死んだんだが、食料兵だったのに死ぬなんてよっぽどの馬鹿だと言われていた。そんで伯父は馬鹿の子だからとあまり食事ももらえなかったようだ(祖母にとっては実子なのだがやはり馬鹿にしていたようだ)。出ていきゃいいのに虐待児の心理なのかずっと村に残って、その後はアル中になり、まだ苦しみながら生きている。伯父の子どもも馬鹿にされてて出来婚したけどそれもひそひそされて麓の方へ逃げてった。調べたらその地方の連隊は玉砕していて、食料兵と言えど前線の方には行くんだから囲まれて補給線途切れたら死ぬだろうとおもうんだが。
祖父は五男坊で結婚もできるかどうか(田舎だと冷や飯食ってそのまま独身で死んでいくコースである)だったが、伯父が死んだので祖母と結婚したが、未亡人をあてがわれたとやっぱり馬鹿にされていた様子だ。やはり食料兵で死ななかったようだが、年齢考えるとギリギリ二十歳で召集されて内地にいたっぽい(戦地の話は聞いたことがない)のに伯父と比較されやたらもちあげられていた(その時だけ)。とはいえじーちゃんはいい人だったのでなんにも言わず、祖母にも頭が上がらず、しょっぱい食事食わされて脳溢血になり、それでもずっと我慢して我慢して死んだ。最後死ぬ前にさすがに介護がひどかったのか、がまんしてもいいことないとポツリと言っていたけど、それだけだった。多分生まれた時から我慢するしかなかったんだろうなっていう感じの人である。しかもド田舎で畑もちでそれほど金には困っていなかったはずなのに(ある程度遺産あったし)、土地を売ってもらえなかったのか死んでみたら借家だった。苦労を偲んでしんみりしてしまった。
父はそういう田舎が嫌いで盆正月もまったく帰らない。法事もいかない。小さい頃ちょっと遊びに行ったりとか、祖父母の葬式くらいしか自分は田舎にいかなかったけど、あそこには住みたくないな。割と出来のいい従兄弟で京大・阪大行ったのがいるけどどっちもメンタル病んで引きこもっているそうだ。どういう処遇を受けたかはだいたい想像できる。さくっと離れちゃえばいいのにしがみつきたくなる心理はニュータウン育ちにはわからない。たぶんこれからもまだまだ同じような事件起こるんだろうな。
産むかどうかではない。産まれるかどうかだ。
親は子を選べないというのは知覚概念で「産まれている」ことが前提だ。
産む産まないもそうだ。
既に産まれている。
子は親を選んで産まれてこれるかといえば否だろう。
気がついたら産まれているわけだ。
生まれなかったら気付くことはない。
皆気がついたときには地獄に落ちてきているわけだ。前世や他の惑星では知らんがこの地獄でどう生活するかその価値観は知らない。
これから地獄の住人を増やして寂しくないようにしよう。そんな風に考える生活もあるだろう。
生まれた子供のことはどうたらこうたら考えたり親がするものなのか。
自分が地獄に引き釣り込んだだれかというのは子供のことなのか。
そんなことは知らん。地獄の淵で這い上がろうともがいてつかんだら人の足だったって話だ。
産まれて来た子供だって自分と同じ処遇なわけだろう。どこからともなく地獄におちてきた。
親のせいとしたいところだが、何千年何万年と前からつながる連鎖の結果で自分が発生したという地獄の淵で足首のつかみ合いの結果自分も巻き込まれたって話だろ。
自分の親一代が何億年とつながる生命の連鎖反応を起こしたわけじゃないだろう。
親の親の親が産まなければ結果自分は生まれてこなかったわけだ。
産むかどうか考えて結果産んだり産まなかったりしてもいい。産まなければまた産まれなければ産まれてこないだけ。
地獄が終わるときには地獄に投下される人口もストップするだろう。それはせいぜい100年足らずしか生きられない人間のコントロールできるところではないだろう。
何億年と続いた地獄の釜の口が塞がりますとなったら産まれてこないだろう。
産むことが幸せや子供が愛らしいといった感情も自ら規制して「子供をまもるため」という理由で制限していっている。地獄の釜の口も狭まってきているのかもしれない。
なにをどう考えても産まれるときには産まれる。親が考えた考えてないとかいう人ひとりの抵抗で地球という地獄に抗ってもその勇気を称えられたり結果がでたりするものではないだろう。
産むかどうかとか知らん。どうでもいい。殺すかどうかとか盗むかどうかとか勤勉に励むかどうかとか友愛に勤めるとか知らん。どうでもいい。
ただどうでもいいけど結果なぜかしら産まれてきてしまったわけだろ。
人が人を産むのも人が人を殺すのも出来るわけだが人が人類の発生を停止させたり行動を統一したり人類を創造したりすることはできないだろ。
私たちが地獄を作っているとかいう大層な世界観ではなしに自分たちの生まれてから死ぬまでの経験すべてはこの地獄で起きてる悲惨な現象ということだけだ。
たまにいいことがあるからとか幸福なことがあるからとかいうこともあるだろうけどそれは親がつくってくれたものや人類が作り上げたものなのか。
地獄におちてきた自分がそこで見聞きした風景を語っているにすぎない。
つまりは幸福で満ちている世界ってのはここじゃないってだけの話だ。自分たちの幸せな子供が生まれるのだとしたらここじゃないってだけの話だ。
自分が生まれてくるのが幸福にあるのだとしたらここではないどこかだって話だ。
地獄の法則その1セクロスを執り行って肉を孕むという悪行をなしたものはそこに招き入れられる魂をこの地獄に引き釣り込むって話だ。
ほかにも地獄になんらかの形で落ちてきた魂を搾取すると呪われるため地獄に据付の植物しか食べてはいけないとか会則もあるぞ。
ということで世界は神の世界から鬼畜の世界までいくつかに分かれてそれぞれにシフトしたりとかいうオカルトとか妄想が古代から人間にはあるわけで今しっかり「生きることの不幸」を熟考しても気がついたら「それ先に考えて結果なんかほんのりいい感じに仕上げてるやつがいる」と洞窟を掘っていったら先住民の高度な文明を見つけるみたいなことになるので嵌まるなら先に宗教はどの系統にするか考えておけ。
似たような立場で似たような闇を抱えてたから他人事と思えんわ。でも正社員になる事でそれが晴れるわけでもないと思う。
パートじゃ処遇に満足出来なくてもっと責任のある仕事がしたくて小さい子供抱えてるのにパート辞めて正社員採用してもらったけど、
働いて働いて夜中も土日も働いて、やがて家事も育児も疎かになり、仕事の処理能力も落ちて進捗遅れ・ミスも目立ち、
そんな事で会社から評価されるわけもなくプロジェクト一段落したら椅子を外され、今じゃサビ残の量だけが取り柄の独身社員の下で働いてる、
醜いなんてもんじゃない、どす黒いもの腹の中いっぱいに抱えてのどから飛び出しそうな人間もここにいます。ああ醜い。
正社員になったら全てが解決すると思ってたよ。でも違った。仕事も家事も育児も中途半端を極めただけだった。
フルタイムでバリバリ仕事こなしてる子育て中のお母さん、貴女は立派だ。ものすごく憧れたけど、凡人の私にゃ無理だった。
社会的に分かりやすい被害を受けた人は、保護されやすい。応援されやすい。津波やら放射能やら、病気や身体•精神障害とかね。手帳あれば社会的に認められたことを意味する。
逆をいえば、分かりにくいものとか、社会通念上そんなものは知らんといった被害を受けている人は、保護を受けたいのに受けられない。
例えば珍しい病気にかかっていて保険が下りない人とか。ぱっと見には健常にしか見えないタイプの障害とか。性同一性障害とか。LGBTとか。まともな教育を受けられないまま成人した大人とか。病気という自覚がないままなんか変だな性格かなーって暮らしてる人とか。
そういう、通常状態でも被害状態でもない状態の人が一番辛いんじゃないだろうか。
身体障害者にはセックスボランティアまであるのに、非モテはずっとDTのままだ。処遇の逆転現象が生じている。
社会的に理解されやすい、もしくは助けてくれアピールのプレゼンテーションやロビー活動が上手い、ドラマや映画やメディアに取り上げられたなどで注目を浴びた、などがあれば救われる。それが無ければ救われないワケだ。
そして、そういった弱者を救うことが出来るのは余裕がある者だけだ。心理的、金銭的、現在の時間的、未来の展望的、余裕のかたちは様々ある。
石原都知事が言った、余裕があるところがガレキ受け入れてやらなきゃ進まねーだろという意見には賛成だ。
だが、自分の人生にとって震災の被災者はあまり関係がないと感じている。震災そのものへの備えはしなきゃなーとは思う。
人生のつらさは数値化できないから、やたら家族や地域に恵まれて津波受けて家を流された人と、家族にも地域にも友達も恋人も恵まれず過労で精神的に参って体調もあちこち10年間おかしくてお先真っ暗な人間とを比較したとき、どちらのほうがつらいのかはわからない。
ただ、前者は救いの手が差し伸べられ、後者は何もないという事実は横たわっていて、それに困惑したり怒りを覚えたりする。
自分に課せられたつらさを乗り越えて余裕を作り出して被災者支援するほどの器は自分にはない。自分のことで精一杯だ。
非リアで自然災害に会わない人生と、リア充で自然災害に会う人生。どっちが不幸ですか?
「ラジオ」を見ながら、そんなことを考えた。
正月ということで、うっかりモチの大量在庫を抱えてしまった人は多いのではないだろうか。俺はまさにそのひとり。
一人暮らしでモチの大量在庫の処遇に困った俺が、この三が日でたどり着いたモチの食べかたを紹介したい。
ただしこの食べかたは、面倒臭がりでカネをかけたくない人向け。かつ甘党向け。
油をひかずにフライパンで1、2回裏返しながら数分間焼く。
この数十年の人生で、モチをフライパンで焼いたことがなかった。
しかし、いざやってみたらなんとまったくこびりつかない。
ちなみに使用しているのはニトリで購入した300円ていどのフライパン。
もちろん持っているならオーブンを使えばいい。
しかし俺は狭い部屋の一人暮らしなので使用頻度の少ないものは極力持たないようにしている。当然オーブンは持っていない。
裏返す手間すら惜しむなら、焦げ目はつかないが電子レンジで温めるのが格段に楽だ。
100円程度のあずき缶詰を買ってきてモチを入れて食べるのも、もちろん安価で手軽でおいしい。
しかしバリエーションがないという問題がある。すぐに飽きてしまう。
この組み合わせでまずくなるはずはない。
最初は抹茶アイス、次はバニラアイス、さらにはチョコチップアイスにイチゴアイス…と試してみたがどれもおいしい。
この三が日でたどり着いた最終形態がこれだ。
アイス餅はとてもおいしいのだが、アイスの冷気でモチが冷めてしまうという欠点がある。
モチを口に含みながらアイスを食べるという方法もある。しかしそれはなんとなく雰囲気が出ない。
モチの温かさを保ちつつおいしく食べる方法はないものか。そう考えてたどり着いた方法がこれ。
100円程度の板チョコを皿に割り入れ、電子レンジに入れて溶かす。少し牛乳を加えてもいい。
(この記事を書いているうちに元まとめが消えた…)
あくまでそれは「今後のコミックマーケットへの参加におかれましては」と言っているように、「今度参加する時は今回みたいに、法人JANコードを付けて応募しないでね」というお願いにすぎないように取れる
これで合ってると思う。もっと言うと、「JANコード自体、紛らわしいからできればつけないでね」かな。
「JANコードついてるんだけど…しかも法人の… てかJANって商業流通で使うものだからいらなくね?」
↓
「あーゴメンゴメンJAN個人のにしといたよ!いいでしょ?」
↓
「あー個人のになってるね…うーんまあいっか…でも次から、JANコード自体、紛らわしいからできればつけないでね」
と読めた。
だが、コミケで売った商品のその後の処遇については何も触れていない
あくまで法人発行の商品を売ってはならないと言っているだけで、コミケで売った後に法人で売ってはならないとは言っていない
俺は手元に「参加申込セット」を持っていないので確認のしようがないが
これに関しても合ってると思う。というか、コミケで売った後に法人で売ってはならないのであれば、ほとんどの同人誌(とらやめろんでの委託)がNGになると思うから。
最初の問題点としてあげられたJANに関しては、上記で手打ちになっているはず。
ただ、コミケ側の言い分(今後はできれば~)と、うしじま側の認識(個人JANならOK)がちょっと食い違っているかと。
https://twitter.com/gtk/status/246233145089859584
「同人として売ったものと同一パッケで、”当該法人を経由して”書店等に卸した」
が問題だといっているが(これ以外の疑問点に関しては解決済みかと)、うしじまの主張は、
個人→法人(書店)だろうが、個人→法人→法人(書店)だろうが、変わらないのじゃないか?ってことだよな?
@gtk氏の言うように、二次卸的なものになると「同人じゃない」と見なされるのか否か。
話を広げてしまって申し訳ないが、例えば参考までに、東方の言う商業流通(http://kourindou.exblog.jp/14218252/)
はこの認識?
商業流通とは「とらのあな」や「メロンブックス」などの同人作品専門店等や、一般的な同人販売方法を除く流通方法のことを指す。例えばコンビニや家電量販店、海外向けのダウンロード販売等はダメ。
http://togetter.com/li/373382#c722289に関しては俺もちょっと変だと思った
俺はアドオン「New live wall」でさっき書き込みをしたので、それを持ってくる
>流れがわからんかったが
>俺の理解はこんな感じ
>・うしじまがコミケで何か売った
>・作品にJANコードとやらを法人住所で付けたが、準備会に言われて個人住所に変更した
>
>コミケ前に売ってたならともかく
>コミケ後に商業で売る際に、とらのあなもアマゾンも知り合いの会社も差はないだろと
>もしコミケ後に売るんなら、厳密に言えば完全個人での配布しか認められないだろと
ただ、この書き込みをした後に「http://up2.cache.kouploader.jp/koups2281.txt」を読んだ
このやり取りを見る限り
・作品へのJANコードの記載はコミケ準備会として容認できない
この2つであると考えられる
しかし、ここにおいてもコミケ準備会側の要望が不明瞭であると考えられる
ここでは、該当部分を引用する
>そもそもJANコードは、コミックマーケットの頒布において、不要なものであり、同人誌即売会以外の委託販売等を容易にするための手段と考えております。
>そのコードが一時的にせよ、企業によって登録がなされており、また、そのような表記を不特定多数によって確認することができたという状況は、様からの事情説明を勘案したとしても、他のサークル、コスプレイヤー、企業等に対する影響を考えますと、コミックマーケット準備会としては看過することはできません。
>ついては、様の今後のコミックマーケットへの参加におかれましては、「申込書セット」「コミケットアピール」の遵守をお願いするとともに、より一層の熟慮をお約束いただきたく存じます。
>本日、JANコードの登録が「PredetorRat」に変更されていることは、Web上から確認できておりますので、上記のお約束をご返信いただいた上で、コミケット当日に於ける当該メディアについては、頒布をお認めいたします。
そう、ここの部分だ
前半部分で「JANコードは、コミックマーケットの頒布において、不要なものであり」と言っているが
これは、JANコードそのものを禁止しているのか、はたまた非推奨であって禁止ではないと言いたいのかが曖昧である
確実に言えるのは「法人名義でのJANコードの記載は禁止」であって、JANコードの記載自体は不明確である
それを支持するのが、4行目の「JANコードの登録が~」のくだりである
ここの行はあたかも「JANコードの登録がPredetorRat(サークル名)になっていれば頒布を許可する」とも取れる
「上記のお約束を~」は3行目の「「申込書セット」「コミケットアピール」の遵守」であるが
あくまでそれは「今後のコミックマーケットへの参加におかれましては」と言っているように、「今度参加する時は今回みたいに、法人JANコードを付けて応募しないでね」というお願いにすぎないように取れる
つまり、今回の参加においてコードの登録を法人からサークルにしたことで手打ちになっているように考えられる
さて、コミケ準備会は法人名義のJANコード記載と法人発行の作品の頒布(※1)については明確に指摘し、その訂正を迫った
(※1 テキストの一通目、コミケ準備会からのメール内の「「法人発行の商品」は頒布禁止物としております。」より)
だが、コミケで売った商品のその後の処遇については何も触れていない
あくまで法人発行の商品を売ってはならないと言っているだけで、コミケで売った後に法人で売ってはならないとは言っていない
俺は手元に「参加申込セット」を持っていないので確認のしようがないが
ここまでまとめたので、誰か穴や矛盾があったら指摘をお願いする
法律の専門家は「法の範囲で決着のつく事柄に正義や悪を絡める人々」の代表ではありませんね。明らかに。
「刑罰に正義や悪を絡める人一般」の話であれば
おそらく元増田の意図としては、「違法な事をしてはならない」という非難の旨を多くの人に向けて発信する立場の人間として、事件が起こった際にテレビ等ある程度公的な場において意見を求められる「法律家」を判り易い例に出したのだと考えられます。「大津事件を『見て』いて」というのも何らかの公的情報媒体を彷彿とさせます。
そのような場においては非法律家である視聴者にも理解しやすく受け入れやすいように、正義や悪を絡めて問題を語る法律家がいる可能性があります。
「正義や悪を絡めて問題を(公的に)語る」人間の代表的な例、というわけです。
※なお、そのような法律家の実在性について、当方では担保するものではありません。
現実に、
法律家が法の威厳を賭けて反対を述べる、
というのがよくある構図です。
よね?
「刑罰に正義や悪を絡める人一般」の話であれば
(例)であれ(代表)であれ、よりによって法律家を出すのはおかしいわけです。
従って
だから、それならあなたの要約は肝心の「法律家」という主語を取り落としているので不完全なんですよ。
「法律家が法の範囲外から非難を行うのはどういった意図からなのか?」という内容は
元増田は要するに、
「ある人が法を破り、またそれについて法に定められた量の罰を受けるのであれば
それら罪と罰の全ては法秩序の中に完結しているはずだ
であるなら何故『善悪』という別レイヤーからの非難がされるのか」
って聞いてんでしょ?
この文章からは全く読み取れません。
「法秩序の中に完結しているはずだ、それなのに法秩序の中で完結させて語るべき法律家が何故『善悪』という別レイヤーからの非難を行うのか」
とでも書いてあれば別ですが、それでも「逆に何故別レイヤーからの非難を免れ得ると考えるのか謎」というツッコミは有効です。
法律の成り立ちについて解説したトラバがありましたが、あれに従えば法は元々「人々が、自分が○○されるのが嫌だから、他人にも○○しない」ということをまとめたものなので、「人が嫌がることをすれば嫌がられるのは当然」につながってきます。法律家は感情任せの現行法を逸した報復の執行に反対することはできますが、非難それ自体を免れさせるものでは何らありえません。
そもそも元増田の文章においても「(一般人はともかく、特に)法律家が」という表現はされていないので、あなたの解釈自体ちょっとずれている可能性が高いです。
あなたの要約には書いてないんですよ。一度目のそれにはね。
そしてあなたの要約についたトラバです。あなたの表現に責任があるわけです。
書いてないものは読めない、読まないのが普通です。無理に読むと意図が変わる可能性の方が高くリスキーですから。
・馬鹿相手だからって言わずともわかる事まで全部書く義理はありません。
・仮に私が「書き換え」(だからどうやってだよ)を試みたとしても
ここは匿名ダイアリーです。特に読み手を想定しづらい場所です。読み手が誰であろうと表現をサボっていい理由になりません。
あなたは要約によって元増田の文章の表現を変えています。表現が変われば文意も変わります。
あなたが要約したために文意が変わったのです。
いいですかー。
法律の専門家は「法の範囲で決着のつく事柄に正義や悪を絡める人々」の代表ではありませんね。明らかに。
法による刑罰を超えた、善悪論からの糾弾や吊るし上げ・私刑を叫ぶのはむしろ法律の専門家以外の人達によく観察できます。
現実に、
法律家が法の威厳を賭けて反対を述べる、
というのがよくある構図です。
よね?
「刑罰に正義や悪を絡める人一般」の話であれば
(例)であれ(代表)であれ、よりによって法律家を出すのはおかしいわけです。
従って
「(すぐ「法を越えて吊るせ!」って言い出す世間一般の感情の話はともかくとして)
法律の専門家とかがそれに正義や悪を絡めだすのはどうして? 」
あなたが要約文の中で、元増田の文章は「何故『善悪』という別レイヤーからの非難がされるのか」をたずねているものだ、と書いたが故です。
「法律の専門家とかが」という主語をあなたが「読めない!」「読めない!」と頑張ってるだけです。
あなたがどう頑張ってもこの主語は最初から一貫して元増田の文に明示されています。
私がこの当然すぎる主語の省略をしたことを一縷の突破口にしたいようですが、
当然読むべき大元の文に書いてあることを省略されたからと言って
それを不完全な要約によって書き換え、動かしたのがあなたなんです。
・馬鹿相手だからって言わずともわかる事まで全部書く義理はありません。
・仮に私が「書き換え」(だからどうやってだよ)を試みたとしても
…話しててわかったんだけど
要するにあなたは当初ツリーの途中だけ読んで(元増田読まず)参加して、
そこで俺の省略が意図せざるトラップのように機能してあなたのレスが頓珍漢になって
それを俺に「どんな読解力してんだこの馬鹿が」って罵られてカッとなったってこと?
(それは俺のせいではあっても俺を恨まれても困るが)
(ツリーに参加する以上は上流から読むべきだ)
読解力がいかれてるんではなくただのオッチョコチョイかもしれない。
それの辻褄合わせに
「天皇が権威を司り、政治的実権は将軍なり首相なりが握る」という
「権威を司る天皇に、過度に政治的マターにタッチさせてはいけない」の論理が働く。
しかし、「権威と権力の分離」、或いは「立憲君主制」は、アジア的には少数派である。
ヨーロッパは永年の争いの上で、立憲君主制な国家のみが王室を維持できているが、
ドイツでは絶対王権が戦争を指揮し、その結果ウィルヘルム2世は退位に追い込まれた。
比較的政治にタッチしていなかったイタリア王室ですら、退位を余儀なくされた。
フランスは言うまでもない。
結局、立憲君主制がうまく行ったのは、イギリスや北欧程度でしかなく、
アジアを眺めても、比較的「立憲君主的」と見なされているタイ王室も、
立憲君主的だったネパールは王室親政に転じた結果、逆に王室廃止に追い込まれた。
日本とイギリス程度であり、全世界的には「君主制は失敗しやすい」というのが
「立憲君主政体」を経験せず、「絶対王政」と「共和制」しか経験していない。
そういう国民が、「立憲君主制を肌感覚で理解する」ことは、至難の技だ。
国民感覚として「なぜ君主が政治的に責任を取らないのか?責任を取れないのか?」と
感じても、不思議ではない。
日本学生が韓国学生に「なぜ日本には天皇がいるのに首相もいるのか?」と聞かれ、
返答に窮した、というエピソードがあるらしい。
「民主主義と君主制は両立できる」と考える韓国人の方が少数派で、
「君主制というからには、相当程度、政治的権能を有していないと不自然」と考える韓国人の方が、
多数派ではないか?
また、韓国で「権威」と「権力」が未分化なのは、元大統領の処遇を見てもわかる。
日本なら「元首相」は権力は少なくても、「権威」として遇されるが、
韓国では元大統領は「権力」も「権威」もない。だから末路は悲惨である。
ということで、
一歩引いて
「まずどうやって韓国の人たちに天皇制、立憲君主制を理解させられるのか?」を
考えた方がいい。
サンクス。
まぁ、自分は学費のアテがあるから、今後2年の間に取れればいいかな、と思っている。
ま、自分の研究なんてどうせ必要とされてないんだし、死にたい時に死ねばいいんじゃない?皆、「人生を長い目で見て…」とか言うんだけど、そういうの嫌いなんだよね。遠まわしに、「アンタみたいな負け犬の処遇を考えてやるのは面倒」って言われてるのと同じだから。
別に、博士課程なんて、こっちが金払って好きで行ってるんだから、死にたくなったら死にたい時にポンポン死ねばいいと思うけどな。苦しまない自殺の方法なんて、博士に入れる学力があれば、ちゃんと調査できるはずだし。そりゃ、大学としたら死なれると迷惑なんだろうけど、授業料払ってるのに、何っでこっちが大学のことまで考えてやらにゃならんのよ、と思う。
好きに研究して、飽きたら自殺すべし。親親族彼女友人が悲しもうがなんだろうが関係ない、っていうのが、正しい研究者の態度だと思うよ、マジで。
黒船もまた、軍艦であるということが、増田は今ひとつ理解していない。
兵士に与えられた自由は限定されている。
新卒として日本の大手出版社で正社員として勤務し、そのあと出版系のベンチャー企業に転職したものの、そこが潰れたため、外資系金融業の広報で派遣社員として働き、そのあと再び日本の出版社で、契約社員として働いて3年目に入ったのではないか。
その経歴では、外資系のいいところしか見ることはなかったのだろう。
今時、金融の大手企業なのに、パワハラ、セクハラなどが蔓延している職場なんて、あるのか?
銀行、保険会社、証券会社などでは、コンプライアンス研修が毎月のようにあり、訴訟の芽は事前に摘まれる。
それは、この15年近くで劇的に変わった。
パワハラ・セクハラが無かったのは、外資系だったからではなく、金融業だからではないのか?
そもそも出版社やマスコミなどは、現代日本の中では意識改革が相当遅れた業界としても有名だ。
いまだにパワハラ・セクハラが蔓延していて、例えば有名作家や取材対象の政治家などに遅くまで女性社員が接待したり、大手出版社の社長が地方支社に愛人がいるのが当たり前だったり、部下をしかるのに灰皿を投げつけるようなボス猿がのさばっていたりする。
サービス残業が当たり前の本当に糞のような業界が、日本の出版社・マスコミの姿なのだ。派閥も多いし、くだらない足の引っ張り合いも日常茶飯事。
そして、同業他社は、お互いの短所を知っていても、かばい合い、罪の追求をすることはない。
製造業や官僚の罪は追求するワイドショーのスタジオで、ADが失敗してボコボコに殴られていても、注意するくらいで加害者を処罰することすらしないのが、この業界なのだ。
そりゃ、増田もつらかっただろう。
それに、増田は外資系では派遣社員だった。日本でも、派遣社員の処遇は相当に守られている。
なぜなら、契約書で、残業代をきっちりと払うことが明確に定められていて、例外を認められていないからだ。
しょせん、他社の人間であり、身内のようにムリを効かせることはできない。
増田が今の職場でそれを強いられているのだとしたら、契約社員という、正社員を餌にされた準社員の地位にいるからだ。
派遣社員と契約社員の立場の違いが、増田の処遇の差になったとは考えられないか。
さらに、外資系の人間関係を天国のように増田は評価するが、外資系の正社員同士の社内政治がいかに大変か、増田は知らなかったのだろうか。
2年弱といえば、長いようで短かったのかもしれない。
何故彼らは、頻繁にホームパーティーをするのだろうか。
会社を離れたら友人だよ、というスタンスで、フレンドリーに接するのが欧米流。
だが、そんな訳があるはずがない。
上司であっても、友だちとしてつきあわなければならないのは、義務だからだ。
こちらの方が、逆にきつくないか?
プライベートに仕事を持ち込みたくない、という人間は、少しずつ疎外され、出世から外れていく。
とアピールしあい、価値観が違う者同士なのに、相手の趣味に合わせて笑い、会話をし、お互いの家族について相談を「しなきゃならない」。
日本の武道を習いに来た欧米人に、日本の道場のどういう点がいいか、聞いたことがある。
「日本の道場は、上下関係がきっちりと決まっているからとても楽で居心地がいい。欧米では演技が必要で、フレンドリーに接しながら腹を探り合わねばならず、ストレスがたまる」
このような接待方法に近いことを、日本だとMRがやっている。彼らの顧客の医者は、ロジカルで欧米的な個人主義者が多いのも関係があるのかもしれない。
医者は、仕事帰りに居酒屋で飲むのをあまり好まない(中にはキャバクラ大好きの医者もいるけれども)。
それよりも多いのが、週末のつきあいだ。
そこで、週末、医者の野球チームのメンバーになったり、バーベキューを開催したりして親睦を図る。
MRをやっている友人曰く、「自分だけでなく、時には妻にまで、バーベキュー場で顧客のために肉を取り分けさせたりせねばならないのがつらい」とのこと。
増田は、お客様として外資系の上澄みだけに浸り、外資系の賛美者となってしまった。
外資系で本格的に働くと、相当に人間関係で苦労する。それは日本の非じゃありませんぜ。
しかし、文化の違いを乗り越えて、彼らに仲間として認められた時の喜びは、それ以上のものだ。
それは、社内政治を勝ち抜き、圧倒的な業績を上げ、奴隷以上に長時間働いてのち、得られるものだ。
増田のような人間の賛美は、外資系のイメージを上げるという点ではいい宣伝になるけれども、外資系で戦力となる仲間を必要とする者にとってみれば、ありがた迷惑だ。
本来ウナギと無関係な業者までウナギ商戦に参入していることを嘆いているエントリがあった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120702/p1
「ウナギ市場に参入する必然性が乏しい業界が、わざわざ参入するのは、反社会的」と
思っているし、この辺は何らかの自主規制をお願いしたいところだが、
他方で、「ウナギが一切取れない」「ワシントン条約対象になって禁漁」
という事態に陥った場合に、
「ウナギ専門店の処遇をどうソフトランディングさせるか?」という議論を
並行して用意しておかないと、ハードランディングによる混乱を生じさせてしまう。
自分は時々地方出張に行くが、その際には「その地方にまつわる書籍を購入」するのが
で、昨秋に福岡で見つけた本に載っていたのだが、
「なぜ博多に明太子業者が多数立地しているのか?」という経緯が書かれていた。
そこに載っていたのは、
「博多の明太子業者の大半は、実は鯨肉加工業者が転身したもの」という
捕鯨規制の打開策として、明太子加工販売に窮余の策で転身したところ、
山陽新幹線博多開業のタイミングとあいまって、一気に「博多土産」の座を手に入れた、というエピソードらしい。
アナゴやサンマ、あるいは他の食材(魚類以外にも)に応用できないか、