はてなキーワード: 体重とは
https://anond.hatelabo.jp/20190107214043
忘れないように書いておこうと思った。
褒められるような健康的な生活をしているわけでもないし、酒も飲むし、体重も結構あるし、
それでも、まさか自分がエコノミークラス症候群になるとは思ってもみなかった。
・気になる症状は時系列で控える
体調不良で1日自宅で寝込んだ後、突然左足ふくらはぎがパンパンに腫れる。
数十メートル歩くと足が攣ったようになり、歩行に支障が出るようになった。
この時点で整形外科を受診、原因わからず1週間様子を見るようにとのこと。
(先生曰く「血管なら太ももから腫れるはずだし、、様子を見ましょう」と)
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右足ふくらはぎと左足ふくらはぎの周囲長が7~8㎝も差がある状態で、
左足は引きずるように歩く有様。
再度整形外科を受診、状態を診た先生が「血管外科を受診してみてください」と。
教えていただいた血管外科クリニックに予約の電話を入れ、翌日伺うことに。
先生の診察で「死ぬところでしたね」とお言葉をいただき、すぐ血液検査と足のエコー検査を行う。
また、血栓が肺に移動してる可能性があるため救急外来に搬送するとのこと。
受け入れ先の病院に連絡を取ってもらう間(2時間程)ベッドで安静にするように指示がある。
救急外来に到着後、採血などを行い、足と胸のCTを撮る。CTも造影剤も初めての経験。
結果、肺に血栓が詰まっている状態が確認でき、肺塞栓症でそのまま入院となる。
治療計画書をもらうまでは軽く考えていたが、計画書の入院期間は2週間とのこと。
しばらくの間は点滴投与で、再度CTを撮り血栓の縮小が確認出来たら投薬に切り替え。
・昨年10月頃、仕事中に「階段を登る」「ちょっとした荷物を動かす」だけなのに、
多量の汗・激しい息切れが起きたことがあった。しばらくしたら治ったのであまり気にしなかった
・昨年後半、何もしてないのに左足膝裏が痛くなり整形外科を受診。この時も原因はわからず。
しばらくしたら痛みが治まった
・運動、日常生活中に左胸にチクチクとした痛みを感じることが稀にあった
今になって、肺塞栓症、深部静脈血栓症の症状を読んでいると、上にある症状がすべて当てはまる。
ただ、個々の症状だけだと気にしないでそのまま生活していたかもしれない。
角オナっていうんだろうか、角に股を押し付けて体重掛けるヤツ。ちょくちょくそれを始めては、特に周囲を気にするでもなく、しばらくそのままの姿勢でじっとしている。しばらくするとふーってため息をついて他の遊びに戻る。
下手になんか指摘して変な癖になったりトラウマになったりすると困るので、親としては指摘も何もせずそっとしているが、ちょっと心配しているのが数歳上の兄がいることだ。兄が思春期になって、妹がしていることの意味に気付いたら、色々と良くないことになったりしないだろうか。とはいえ釘をさすにもどう刺したものか、はたまた何も言わない方がいいのか、色々と悩む。
趣味でいろいろなテイストの服を着ます。職場もファッションに対して寛容な方です。身長・体重は平均ぐらい。あくまで体感なので適当に読んでください。
外側は黒髪だけどインナーカラーで明るい茶髪にしたり色を入れてハーフアップにしていたときも強かった。
明るめの茶髪も効果ありだけど、服・アクセサリーの合わせ方により効力が発揮されるパーセンテージは変動する。ゆるふわテイストの服とメイクだとエンカウントゼロ/1dayは難しいかも。
ひねりのない黒髪は言わずもがなバンバンぶつかられる。初期装備のままフィールドに出たらダメージが大きいのと同じ。
早起きが面倒なんですけど休みの日なんかに軽く巻いたり少し凝ったまとめ髪にすると、何もいじらなかった日よりエンカウント率が下がる。
クソデカい耳飾りが流行ってるのでいろいろつけてるけど、耳に大きい何かがブラブラしてるとビビるのかもしれない。鳥害対策みたいだな。
駅で体当りしてくるマンたちは野生動物と同じで相手の体が大きいと怯むのかもしれない。自分の場合ヒールは5cm以上が効果あり。
太眉+真っ赤な口紅のときがかなり強い。アイシャドウも濃い目だと◎。
モテ系のふんわりかわいい化粧でも、それ以外の装備が強ければ凌げる確率は高いかも知れないけど試したことがないからわからない。
リュック+スカート+スニーカーのように弱い装備がベースでもアウターが黒の革ジャンだと防御力が上がる。
「濃い色の服」ってちょっと大雑把にまとめすぎたけど、パステルカラー・白・ベージュあたりの服を着る場合、首から上や靴の装備を防御力の高いアイテムにする必要あり。
「俺の思う“普通の女”カテゴリじゃない!」と思うと避けるのかもしれない。
ライト痴漢というのはライトに見せかけたただの痴漢のことなんだけど、例えば二の腕をぴったりくっつけてくるとか、スマホを見るついでに肘でこちらの体に何回も触れてきたりとかそういうの。誰でも経験あると思うけど。
腹立って触れてくるマンの方を見るとあっちも見返してくるんだけど、金髪だったり化粧濃くてクソデカピアスだとスッと目をそらして体を離すということが高確率である。
地味ファッションのときは睨んだところで効果はなく体触りターンに戻られていたので効果はあった。
就活生
ほっこり系
無印良品系
体当たりしてくる方が悪いに決まってるけど、体当たりマンが駅に配置されているのはリアル人生ゲームの仕様なのでプレイヤー側にも工夫の余地はある。社則が厳しい人も帰りはアイシャドウ濃い目にしたり、安いのでいいからクソデカイヤリングつけてみるとかいろいろ試すと面白いかも。
痴漢や体当たりマンについて真面目に考えても腹が立つだけなのでゲームだと思って切り抜けるといいと思う。
背が低いとか地味顔みたいにデフォルト値が低い人もいるけど、装備によってカバーできるところは何かしらあるので、体当たりされたくないけど自分のファッションは貫きたいんですぅ〜という人以外はできる範囲で工夫してみるといいと思います。悲しいけどデートの日は体当たりされてもやむなしと割り切ろう。
普通のスポーツであれば、ベストのコンディションを用意するために努力をするが、
格闘技では減量にばかり苦労している。
より弱い階級で戦うために自分を弱くする努力をして、その中でそれほど弱くなりすぎないように…
そんなことをして誰が楽しいというのか。
階級が違うと勝負にならないのであれば、身長で階級を作ればいいのだ。
ホビット級ではホビット級なりに、ジャイアント級ではジャイアント級なりにできるだけ万全の、最強の状態を作る。
その結果アメフト選手みたいな肉体を持った最強の選手がたくさん生まれるだろう。
【中学受験】
動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。
小学校は東京郊外の私立に通った。いわゆる東京の私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針を実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスもひとつしかなかった。
私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいつしかその子に好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。
五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任の先生と相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生の一言だけで私は世界が広がった気がした。
学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家の一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由な校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。
好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家が第一志望となった。
塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生は塾長と奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。
塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。
大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段の学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったからお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリの偏差値をいつも取っていた。
そんなこんなで中学受験。第一志望の受験日は2月1日。受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼの学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任や塾長の言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。
手ごたえはあった。得意科目は算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク。
【大学受験】
東大を受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。
はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践したかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法を模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。
私が中学の頃に父は長年勤めた会社を早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費と生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験の意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。
幸い有数の進学校には通っていたので、目標を東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。
ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間だけが過ぎていった。
願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である。
余談だが、父は学生紛争で東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。
結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験は合格者平均を大きく下回っていた。二次試験の数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。
【大学受験2】
東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。
私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校も卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。
就職か浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。
浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。
後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強と試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校の教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。
この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議と二次試験の過去問も解けるようになった。
結果からいうと、私は当時の前期日程試験で不合格だったが、後期日程で理科一類に合格した。
前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要な試験が少なく、私の場合はほぼ英語と数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。
試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語が会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ちで試験を終えた。
結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分の体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。
こうして私の受験は終わった。
【最後に】
小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家に合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。
受験は競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較でしか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。
正月の受験生たちに、あけましておめでとう。
最も長生きできる通勤方法は自転車であるという医学レポート。自転車移動は最も健康的であるという話も。
http://aquariusmedgim.hatenablog.com/entry/2017/05/08/235452
https://www.lifehacker.jp/2015/10/151012mediagene_gizmodo.html
かなり詳細な医学レポートですので、相当な信頼性がありそうです。
オランダの医学研究機関やフランス・パリ心臓血管研究所の医学研究でも自転車によく乗る人は徒歩、自動車、鉄道、バス利用者いずれよりも健康寿命も実際の寿命も長い事実が示されています。自転車のプロ選手は一般人と比べて健康寿命も実際の寿命も長い事実も明らかにもなっているほど。
インフラに目線を向けてみると、イギリスは市街地への自動車流入に課税して、それを元手に自転車専用道ネットワーク整備を進めているほど。ロンドン市民の肥満対策としても大きな効果が見込める為。
・渋滞が減り〈物流の効率化、消防車、警察車両、救急車の更なる迅速対応が実現〉
・重大事故が減り〈車体重量の重い乗り物が減ることは交通安全向上に大きな効果〉
・公害が減り〈騒音公害、大気汚染公害、その他地球環境全体への様々な公害〉
・運動不足解消が実現でき不健康が減る〈移動しながら運動できるので時間の使い方としても効率的〉
なので、日本でも積極的に自転車利用を広めていくのが合理的と感じますが、皆様の所感を伺いたく存じます。
https://i.imgur.com/uyJaGwN.jpg
補足
あらゆる移動手段のなかで自転車利用は最も長生きできる可能性が高い手段
ちょうど同年齢で運命を感じた。
そこでワタシの乳首開発記録を記す。
と言ってもワタシはまだ開発4ヶ月ぐらいなので後輩である。
1年間で6kg増えていた。
ポッコリお腹は当然気になったが、それより微妙に脂肪が乗った胸に視線が行った。
そこで乳首開発しようと決意する。
ウェットには逃げたくない。(というか、ウェットするなら普通のオナニーをすれば良い)
開発前からすでに指で摘める程度には大きくなっていた乳首をコリコリすると若干気持ちいい。
これはイケるのでは…!
と思ってたがそこまで。初回は終了。
数日間暇があれば乳首をいじりつつ、夜寝る前にチクニーに勤しむと、なにやら腰の内部がじんわりし始める。
これが前立腺の性感なのか。
そう思ってたが、その日はそこで終了。
そこからネットで乳首開発方法を調べ、スポバンに行きつくものの、流石に針を刺すのは怖いのでエレキバンで代用する。
こんなことで心臓発作起こしたらシャレにならん。そう思って半日で剥がす。
そうこうしてるうちに、チクニーで胸の真ん中らへんが気持ちよくなってくる。
神経が奥まで通っていき、それが内部に伝わっていくイメージ。
この頃にサイニーにも手を出す。
催眠のコツはノリノリでかかりに行くことだと思う。(あくまで個人の見解です)
チクニーとサイニーを繰り返してるウチに、身体が勝手に強張って頭の方までツーンと何かが登っていく感覚になる。
もしかして、「イッた」のかと思ったものの、多少気持ちがいい程度で、ネットにある「イク」の気持ち良さには程遠い。
もっとも、この「イッた」後に普通のオナニーをすると、かなり気持ち良さが増すのは新たな発見だった。
最近ではスポバンを購入して乳首に貼ってみたが、ずれた瞬間に乳首が痛かったので外した。
我慢できないレベルでは無かったが、我慢したらいけないような気がした。
まだまだ乳首開発は道半ばのようだ。