はてなキーワード: トリアージとは
hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…
彼らは、はてなの空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。
ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。
はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。
一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。
それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である。
モヒカンとはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。
超長文をダイアリーに投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークをバベルの塔のように積み上げる。
驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。
やがて、彼らの自負が、彼らの論理をはてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。
だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。
まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなたに共感しますが」と箇条書きにするのだ。
モヒカンには心情に踏み込まない。
あるコードの記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。
それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。
一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者へ共感を示している側が正義だった。
弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。
はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者ははてサが受け継いだ。
はてサはテキストサイトのごとく、自らの自意識をダイアリー上で表現していた。
どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、
はてなダイアリーにマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女のマイノリティとしての心情を理解して、
トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないかと弱者に思いを馳せていく。
従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。
はてサとは『弱者に共感する人格の一貫性』によって担保されており、もしも、はてサが言葉が滑らし弱者を蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。
こうして、はてサの敵対者は、はてサが弱者を蔑視する瞬間を狙い撃つ。
ダイアリーに自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村で表現していく。
はてな村においてはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である。
死ねばいいのに、これはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…
はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。
その徹底的な共感の姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。
だが、はてサは死んだ。
最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースやアルファルファが乱舞して、ブックマークはヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。
我々の愛したはてサは死んだのだ。
はてサの強み、驚異的なメタブ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。
文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックのブロックで終了する。
そして、はてブにTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。
"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者系弱者ツイッタラー。
それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ。
hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーでしかない。
我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。
一番いい例が痴漢冤罪の話。
っていう考え。これがトリアージと類似していることに気づかないというか、気づいてるけどやってる。
そこで、「私もはてなサヨクになって
http://anond.hatelabo.jp/20121201092424
みたいにとりあげられたい!」
のコーナーです。
基本的にははてなサヨクも通常の「サヨク」と呼ばれる人と同じく、
を目指す集団です。
でも、はてなサヨクはそれだけではない独自の文化を形成しています。
さあ、みんなもはてサを知ろう!
キーワードごとに解説していくよ!
日中戦争で日本が南京を占領する際に付随して起こった一連の捕虜、民間人に対する殺害、強姦、放火、窃盗のこと。
これを理解しないまま下手なことをつぶやくと大やけどをするので注意すること。
疑問に思うことがあれば、
ダイアリーに書くのは最低でも
南京事件FAQ http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
を読んでからにしよう!
自分が「~が嫌い」とか「~を許さない」と思っていることがらを、
「~は許されない」とか「社会から~は嫌われる」とか表現する卑怯な方法。
「それは世間が、ゆるさない」
はてサの敵(右翼、自民党、軍国主義者など)の味方をするわけではないが、
多くの場合、真正面からはてサに敵対するより自称中立の方が嫌われる。
過激派が国や右翼と戦わずに共産党や他の過激派との戦いを優先するようなものだと理解しておけばいい。
なお、「自称中立」という名前であるが、「自分は中立です」と自称する必要はなく、
はてサから「こいつは自分らに完全には同意していない」と判断されれば「自称中立」は発動する。
(類義語:妖怪どっちもどっち)
の治療を後回しにすること。
不法入国で強制送還されたフィリピン人夫婦の娘カルデロンのり子さんを
「のり子さんって反日なの?」とか
とかは絶対に考えてはいけない。
してはならない。
「それはジャンクフードばかり食べて肥満になった私を責める行為!
セカンドレイプ!この人でなし!」
科学的な根拠を持って否定すること。
議論において相手の意見を正しく引用しなかったり、誤解したり、誇大に解釈して、その歪められた内容に基づいて反論する論法。
(例)
A「妊婦の体は大切にいたわるべき。」
B「そうは思わない。Aは妊娠しない女性に生きる権利は無いと言うが、日本国憲法により誰にも生きる権利は保障されている。」
はてサがよく行うお互いの心を読み合う競技。
ルールは簡単で、相手の深層心理をより悪意にとったものが勝ちとなる。
「あなたの本心は『自分に簸向かえないよう被害者をより失意の底に落とそう』です」
みたいなことをいきなり言われたら、この競技が始まった合図なので、
くれぐれも「は?そんなこと思ってないけど?」なんて言わないこと。
「私はお前の人格が気に入らない」の意。
女性が男性の人格を否定するときにしか使えないので注意すること。
「私はお前の行動が気に入らない」の意。
自身が出版しているさくさくトリアージ(http://www.tokyo-horei.co.jp/shop/goods/10943/)や【警察・司法/ゴネラーへの処方箋(強制か? 任意か?)】(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-horei.co.jp/BGT/sample3_1.html)のアレっぷりではてなサヨク?の間で話題(http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-horei.co.jp/shop/goods/10943/ , http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-horei.co.jp/BGT/sample3_1.html)の東京法令出版ですが、アレな原因は自民党との繋がりにあるかと思われます。
本会総代会の翌日、日本経団連の定時総会が開催され、新たな会長としてキヤノンの御手洗富士夫会長が選出されました。そして「今後十年くらいを視野に入れて体系的総合的なビジョンを作りたい。」と抱負を述べられ、活動の目標として『イノベート・ニッポン』を掲げられました。
イノベーションについては、細萱前会長のモットーでありましたので私も引続き、改革、革新を掲げて皆さんと手を携え、信頼され必要とされる中央会をめざして、創業、経営革新、新分野進出等中小企業の組織化と連携支援により一層傾注して参りますので今後共、関係各位並びに会員の皆様のご指導ご協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
22日告示の県知事選で、自民党県議団などでつくる「信濃会」(会長=星沢哲也・県中小企業団体中央会長)から立候補を要請されていた副知事の腰原愛正(よし・まさ)氏(63)が7日、長野市内のホテルで記者会見し、出馬を表明した。
8月8日投開票の知事選で、独自候補擁立を目指している自民党県議団など県会一部会派や県内経済団体幹部らでつくるグループ「信濃会」は2日朝、長野市内で会合を開き、副知事の腰原愛正(よしまさ)氏(63)に同日午後、立候補を要請すると正式に決めた。
トリアージの問題だよ。
一定以上の能力をもった人が全力で、ようやく生きていけるレベルの社会で、足手まといを養うことで社会が崩壊しかねない場合、泣く泣く「切る」ことはあるだろう。神ならぬ不完全な人間には、他の人間の価値を決めることなんてできはしないけれど、完全ではないからこそ、相手を殺さねば自分が死ぬ状況で相手を殺した人間を裁くこともまたできない。誰もそれが罪であるとは言えない。あんたのばあちゃんは、そういう社会の業を背負った職分を果たしていたわけで、それはとても尊いことだ。
だが、それはトリアージの問題だ。ばあちゃんの時代には、それは一定の正しさをもっていた。だが、そのばあちゃんの意見が、いついかなるとき、いかなる社会条件の下でも正しいわけではない。あんたはそこが全く分かってない。
すくなくとも、あんたのような未熟な物の考え方しかできない人間が、万人相手に考えをはき出せるような結構な世の中で、足手まといを養う余裕が「ない」とは言わせない。今の日本でぬくぬく暮らしながら「知的障害者は死んだほうがいい」なんて台詞を言うのは…つまり、自分の便利で結構な暮らしのためなら人間が死ぬくらい屁でもないなどと口走るのは、絶望的な想像力の欠如と身勝手さと希薄な現実感に基づくガキの脳味噌の持ち主だ。
ばあちゃんが崇高な仕事に携わった職人とすれば、あんたはその恩恵の下でぬくぬく生きてるだけの単なる甘ったれの馬鹿ガキだ。どうしてばあちゃんがそういう仕事をしてたかも想像できず、ばあちゃんらがそういう仕事をせざるを得なかった当時の社会状況も想像できず、そんな不幸をなくそうと努力してきた結果今の社会を作り上げた大量の人たちの苦労を一顧だにしないで平気で戯れ言を言う。あんたはそういうごろつきの役立たずだ。あんたはあんたのばあちゃんが喜んでそんなことしてたと思ってるのか?あんたはあんたのばあちゃんのことも、ばあちゃんと同じ仕事をしてた沢山の人たちのことも愚弄してる。百歩譲って、致命的に無知蒙昧な暗愚下郎だ。
少しは傷ついたか?
なら、あんたの意見がもっと多くの人間を傷つけていることについても、考えを巡らせてみるべき。
「足手まとい」なんか殺しちまえ、というあんたは、多分「犯罪者」についても同じような意見を吐くだろう。だが、あなたの考えは現在の社会全体にとって充分「犯罪的」である…(今の社会がそんな風にできていないことは、あんたは充分承知だろう。あんなエントリを書くくらいだから。)
…ならば、あんたはあんたの主義に則って、自分を「始末」するのかね?
最強に見える。
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51650897.html
この層は、貧困や情弱は当然なのだが、小さいうちからPC等に触れてこなかった今の20代は、同じ10代よりも厳しい環境にあるのではないだろうか。
たとえば、ゲームはするけど配線はできないとか、端子の役割がわからないという人はゲームする人でも多いと思う。
で、きつい事書くけど、これって世代更新するしか解決策がないと思うのよね、根源的には。
要は、見えた分なら相手するけど、俺の視界に映れないなら諦めてくださいってことだ。
同じことは、法律にも言える。
著作権なんてろくに知らない奴ばかりだろ。
だから、省庁レベルで行っている、著作権条項読み上げコンクールだとか、CDのコピーはいけませんよっていうような、一見常識に見えるポスター掲示はかなり校歌があるはず。知ってるけどばれないはず、と知りませんでした(虚偽ではない場合)は問題意識が雲泥の差。
だからこそ、バカの可視化を笑うよりかは、見えたことに安堵する方が、心の持ちようとしてはそうありたいかな、と。
とはいっても、情報爆発とも言えるここ数年、情報を整理するのは非常に重要。ほんと手が回らない。
というわけでトリアージしなければならない。あたりまえだけど。
さて、次に問題なのが我々自身だ。
そして、そこに本当に悩みを持った人が質問に来るのも良い。
じゃあ、そこで回答した内容が、質問者に理解できるだろうか、というと疑問だ。
「mp3ってなんですか?」という質問に「拡張子です」と答えたところで「拡張子ってなんですか?」になるのは当然だろう。
そもそもどこまでわかってないかというのが把握できてないし、熟語にカタカナ語が多いと文の理解さえできないかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110329#p1
まあ、これは医療という立場から踏まえた合理的な考え方に基づくものだから、差別をすべきではないというのは正しいかと思う。
トリアージは差別になるだろうか、と言えば、私は差別になると考える。合理的差別だ。
救うべきものと救えないものを分類し、スクリーニングにかけるということで、より多くの命を救えるのだから、これはやむを得ない。記事も、「不要な」と前置きしてスクリーニングを否定していることを読めば、必要なスクリーニングはあるという考えが見えてくるだろう。勘違いしてはいけないのが「スクリーニングすべてが不要」ではないということだ。そこを誤解しているブコメが幾つか見られる。
「差別を許容することによって自分が差別される側に立たされるリスク」とは、差別の語の前に不要な、を補うのが望ましい。しかしながら、合理的差別のそれも、こうしたリスクを孕んでいることは疑いない。言ってしまえば戦争状態である。
「差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。」というのは、「もし自分が差別される立場に立つ可能性」を踏まえてのものである。そうしたことを慮って差別しないこと、即ち賢い人であるというのは、恣意的な操作ではないだろうか。
また、これすらも医療の立場からの提言であり、一般的な差別全般に対しての言ではないということも注意したい。
さて、記事自体からの引用はさておき、これから差別全体について、合理非合理を交えた私なりの考え方を該当ブコメからの引用を取りつつ述べることにしたい。
Apeman 「しかし、差別を正当化する代償は安くないと私は考える」 構造的な差別についてはマジョリティにとってその代償が極めて安くすむのがこの社会の問題。
構造的な差別、というのがいかなる差別に当たるのか私は誤解しているかもしれないが、ここでは社会的差別ということに換言したい。
つまり社会構成員としての人間が、構成する社会から言わば「空気」のようにのしかかるものだ。例えば、容姿差別、性差別、学歴差別、年齢差別がこれに当たる。
今四項の差別を例示したが、前二つは先天的なもの、学歴差別は後天的な物、年齢差別は漸進的なものである。社会的に合理性をもって正当化されるのは後ろ二者で、前二者についての差別も深刻ではあるが、後者ほど合理的ではなく、日進月歩で改善も見られる。とはいえ、まだまだなのが現状だ。後者に至っては、半ば当たり前というか、「しかたがない」というような意見を耳にする。特に、企業の採用活動などを見るにつけ、それは顕著である。また、学歴差別、年齢差別のメタなものとして「知能差別」が挙げられよう。つまり、「バカは黙れ」「老害はとっとと死ね」の類である。はてなでもここらへんの差別には寛容で、ブコメでは毎日のようにバカに対する差別で賑わっている。
ここに見られるのは慣習的な使い方の「自己責任」が背景にあると思う。性差別などは先天的なものであり、それを打破するのも頷けるが、学歴差別は言ってしまえば「努力の結果」による側面が評価されがちで、できなかったのは本人のせいだ、と抑圧される。簡単な例としては、新年の銀座の福袋を確実に欲しいなら、朝来るのではなく前日前々日から並べば良い、手に入れられなかったのはそういう努力を怠ったからだ、というわけだ。他にも花見の場所取りなども似たようなものだ。要は、ある集団に序列を与えて、その上にいる人ほど大きな恩恵を与えるべき、ということである。これは、集団の下の方への保障の仕方によっては「逆差別」と言われることもあり、非常に難しい問題である。
Sinraptor 差別, 原発, 災害 今後汚染地域に住む人々が、結婚差別などにさらされることも考えられ、些細な事項であっても差別は許容しないという姿勢が必要だと思う。
まったくもってその通りであるが、これは地域差別の問題にも直結している。つまり差別する側が地縁を事由に差別される可能性は体感的に低いのである。
だいたいの人間は相手に見られたとき、悪くても「何処の馬の骨」で、評価はゼロが最低なのだ。しかし、地域が被差別になるとこのゼロがマイナスになる。非合理的な差別はだいたいが不安感情に由来する。正負の乗算が負になるように、相対的に自分が上だと分かってしまうと、それより下のものを「穢れ」として退けたくなるものなのだ。だからこそ差別をしないというのは理性的なものだし、差別をするのは本能に因るし、だから一部のはてなーは例外なく知能差別を(ry
uchya_x しかし、ここは再三差別発言を繰り返している人物が首都の知事に三度も選出されている国でもある。今度も当選するようならどうすればいいのやら。 2011/03/29
これは実はなかなか面白いもので、差別をする人の中にも「政策の支持を得るもの(優れているわけではない)」とそうでないものの二者がいて、石原慎太郎というのはこの前者に価するのではないかと考えている。つまり、差別はするけど仕事はする人として評価されているのだと思う。
リヒャルト・ワーグナーという作曲家がいるのはご存知だと思う。彼の音楽は世界で評価されているが、彼の人間性はあまり「できた」ものではなく、そこはwikipediaでも見てもらえればいいが、今でもワーグナーを支持すること、演奏することがタブーな国もあるのだ。仕事の出来と人間性に相関があるわけでもないので、いい仕事はいい仕事で評価されれば良いのだが、世の中にはそれすら禁忌なところもある。清廉潔白であるなら望ましいが、万人が聖人というわけでもないし、聖人なら仕事ができるという話でもない。
ちなみに私自身は、前都知事選では政策において石原より秀でたものはいなかったと思っている。浅野史郎はちょっといただけない(これはあくまで私の価値観だし、東京にいないので関係もないのだが)
parallel-world 社会, 差別, 医療, 災害 差別する者は損得計算のできない者だと考えている。 2011/03/29
全称的にそう言い切れるとは思わないが、一部の差別主義者は権力を得るに連れて差別思想を暴露する傾向にあるように思う。つまり、権力の高みに登るに連れて「ちょっと落ちただけでは死なない」ように思い、ネット普及前までは特に深く糾弾されるようなこともなかった。今では「バカの可視化」としてそういう発言も多くに共有されるようになり、発言リスクも高まったように思うが、それ自体は化粧のようなもので、内心に差別心を抱く人が減るという話でもないことは心したい。
概括すれば、人間というのは不完全なのだから、差別心を持つ事自体を止めることは不可能である。私たちのこの「差別をしない、あるいはするな」というのは翻ってみれば「不謹慎」と同種の圧力を産む。そしてそれは正義の刃として受け止められる。
差別については、突き進めば個々人の心がけにしかなりえないだろう。それを享受するメリットを限りなく最大化し、多くの人間がみずから進んで、快く、差別をしないよう心がける環境を醸成するのが、最善であると私は思う。
いや、問題は原発事故で放射能汚染された個体による交配で出来た子供の遺伝子的な劣化により日本人は絶滅するかどうかだよ
っていうかこれトリアージ関係なくね?
1.現地入りはしない。
になると思います。
1.についてはご懸念の通り、ロジスティックが付いていない限り、医師と言えど一般人で、現地の負担と現地への貢献は差し引きマイナスの可能性が高いからです。
2.については、実際このようなケースでは、現地ヒアリング→物品手配→現地での医療活動、の手順を踏みますが、その最初の工程の効率化が図れる可能性があるからです。
基本的には、地域拠点病院に連絡がつき、そこに情報を出しているならそれで当面の最善は尽くしているということになると思います。叔父上のお気持ちは分かりますが、トリアージが行われたような現場では、通常の医療倫理あるいは感情的道徳的には理不尽な話が正解となる場合があります。「2人の人を助けるために自分の母親を殺せるか?」という問いと似たような話で、感情的には納得できないのが当然と言えますが・・・
ただし72hという最も緊急的な対応が必要な時期は過ぎていますので、ケースバイケースな点もあって「絶対に止めた方がいい」とはいいきれません。実際に医療的な貢献ができるかどうかは別として「顔見知りの医者が面倒を見に来てくれた」と言うこと自体に大きな効果がある可能性があるからです。患者さん方と現地医療機関の橋渡し役、というのは組織的救難活動では手が回りにくいところでもあります。あくまで「現地医療機関が止めないなら」という条件付きでは一般人のボランティアとは意味が違う部分があるのも確かと思われます。過去の災害対策では「大きな避難所が優先されてしまい、限界集落のようなところは手が届きかねた」というのは常に挙がっている問題点(たいていはやむを得ずあえてそういう決断をしているのですが)でもありますし。
を達成したんだけど、共通点に気がついたので自慢まじりに書く。
TOEICの900も、マラソンのサブ4も、ゴルフの100切りも、始めた頃には遠くにみえる。そして、たぶん最初の目標地点。そこを目指すマニュアルはいっぱいあって、それにお金を払う人もいっぱいいる。俺もいっぱい払った。。
YDPは、目標として切りがいい。数字で表されていて到達したか客観的に評価できる。まわりを見渡せば到達した人が必ず目に入る、そんなレベル。
YDPに到達するためには日常のルーティンから、時間を確保しなくちゃいけない。努力が必要。難しいのは、確保すること、続けること。マニュアル通り。その2つぐらいなら出来そうな気がするし、出来た人が近くにいる。そんなレベルがYDP。
TOEIC900なら、一応の英会話は出来る。相手が何を言うか分かる時は問題ない。電話もパターンを知ってれば対応可能。読むのはまず問題なし。メールのやりとり、自分の専門分野で知らない単語は出てこない。書くのも英借文でクリア。
マラソンサブ4なら、「今週末フルマラソン出ます。」って同僚に言える。練習方法を誰かに教えることが出来る。ナイキショップでiPod Sports Kitの前で話しかけられても恥ずかしくない。
ゴルフ100切りなら、突然の週末のラウンドに誘われる。人のパットライン踏んだりしない。自分の球の行方は追える。他の人の球も見つけてあげることが出来る。ラウンドの全てのショットを思い出せる。
でも、TOEIC900なんて、所詮入り口。気の利いたことは一切言えない。映画の細かい筋は追えない。ネイティブと同じに笑えない。いつの間にか主人公の恋人死んでる。YDPに来るまで、こんだけやってきたのに、あと何倍の努力でラスボスに会えるの?
でも、マラソンサブ4なんて、所詮入り口。順位とか考えられないし、週に4,5回走ってこのタイムなんて、もうこれ以上どうやって練習するの?タイムも縮まらなくて、もうモチベーションの限界。
でも、ゴルフ100切りなんて、所詮入り口。握ったら確実にむしられる。パーとかボギーとか、名前が付いている打数で終われない。楽しいというよりストレスたまる。わざわざバックティーからまわる意味が分からない。
英語が出来るって、もうTOEICではかれるレベルじゃないってことを知った。
マラソン2時間前半って、俺がダッシュしてるぐらいのスピードだって知った。
18回パーをとっても負けるとか。
YDPにたどり着いても、達成感とかない。テストの結果とかスコアが出た瞬間だけ達成感を感じてすぐ消える。もうこれ以上努力しなくていいやなんて思えない。どこからも、もう休んでいいよって声が聞こえてこない。もう残りの人生の方が少ないってのに。こんだけやって、やっとの思いでYDPにたどり着いてもそれが通過地点って。
留学する前、「英語はもう勉強しなくてもいい」って自分で分かる瞬間がくると思ってた。そんなものは来なかった。もう帰らなきゃいけないのに。
俺がYDPに到達したこと思い返してみた。どれもこれもそんな瞬間はやってきていない。
1. トップのすごさ。
2. トップとの埋められない距離。始める前は目標がみえなくて距離が測れない。YDPに来て距離が測れると絶望できる。
3. YDPに到達したってことはわかる。
4. YDP到達後、さらに進もうかどうか迷う。成長カーブがプラトーに近づく。
1.国立大学に入る。俺は宮廷の医学部。そこまで行くと、赤門と鉄門の差が分かる。
2. サッカーで天皇杯の地方予選ベスト8ぐらい。本気モードのサッカー部出身者に軽くあしらわれる。Jリーガーはそれよりすごくて、日本代表は… その先考えたくもない。
3. クロールで4km泳げる。距離はいくらでも行くけど、スピードは出ない。
4. 夜中一人で救急病院で当直してても怖くない。トリアージと応急処置は出来る。自分の専門以外の治療は無理。
5. 自分の専門分野の手術が一人できる。やっとゴッドハンドがゴッドな理由が分かる。理由が分かっても真似できない。
6. IF 5点ぐらいの雑誌に投稿できる。留学して基礎実験始めて、ボスの名前借りてやっとこのレベル。CellとかNatureとかScienceとか意味が分からない。
結局、一つに集中してこなかったから、どれもこれも中途半端。中途半端すぎて、自慢なのか自虐なのかすら判断できないレベル。だれもdisってもくれない。
ここまでやっても、こんなもん。掲示板の中の人たちの「明日から本気出す」って強い共感を覚える。向こうからは共感してもらえないけど。
こっちで「灯台みたいな三流大学出て恥ずかしいけど、日本人には面と向かってそれを言えない。」って言ってる人がいる。優越感を感じられるはずと思って頑張ってここまでやってきたのに、まだまだ劣等感は無くならない。
はてサ(の一部)の人権感覚は信用できないし、そいつらの人権感覚から出てきた意見も信用しないことにしている。
他人のことを「死ねばいいのに」とか「人の姿をした豚」とか「生きるに値しない命」とかブコメつけて罵倒する奴が、
いくらなんでもそんなひどい言葉を使っているわけはないだろうと思ってぐぐってみたら、それどころじゃなかった。
y_arim twitter, くたばれ, 人の姿をした豚, 生きるに値しない命 もうほんとこいつは一刻も早く死ね。 2009/10/19
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/shibata616/statuses/4941382658
http://megalodon.jp/2010-0825-0811-57/b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/shibata616/statuses/4941382658(魚拓)
y_arim hatena bookmarker, 死ね, 生きるに値しない命, 人の姿をした豚, 両生動物のクソ, トレブリンカへ行け 次リナカフェで見かけたら半殺しにする。//ここまで書けばぼくの怒りと憎悪のほどがおわかりになりますでしょうか?>第三者の皆様 2010/06/30
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/wanderingdj/
http://megalodon.jp/2010-0825-0811-40/b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/wanderingdj/(魚拓)
しかも「生きるに値しない命」とか「トレブリンカ」とかって思い切りナチス用語だし。
「トリアージ」にあれだけ反応したお仲間達が、これにはだんまりを決め込んでるんだからねえ。
いやあ、党派性って本当にいいものですねえ。