はてなキーワード: 温暖化懐疑論とは
突然だが俺はもう止めようと思う。
『地球に優しい』とか『地球を守ろう』というスローガンに代表される、環境に配慮した生活を、である。
別に今更「"地球の為"なんておためごかしだろwww 人間が困るからやってるだけだろwww」みたいな中二病に開眼したわけでも、宗教右翼的な温暖化懐疑論に鞍替えしたわけでもない。気候変動の対策は何より人類の為なんてことは、重々承知だったし、少なくとも今のままなら温暖化は進むだろうと思っている。
端的に言ってもうモチベーションが無い。尽きた。というか何で今まではモチベーション続いてたんだ、ってレベル。
世間は『サスティナブルな社会の在り方』とか『SDGs』とかで姦しいけど、そもそも俺には『今の社会を持続させる』動機がなーんも無いことに、遅ればせながら気付いたわけだ。
俺には子供はおろか姪や甥もいないし、何か後世に残せるものもない。何者でもないまま孤独に死んでいくことしか出来ないしがない一市民だ。(同世代のいとこは結構いて子供もいる家庭持ちも多いが、いとこやその子供たちが俺を孤独から救ってくれるわけでもないだろうから遠慮はしないことにする。そもそも同世代でも、家庭持ちと独身の間にはどうしたって断絶が生じるのである。)
だから俺は下りる。環境に配慮することはもう止める。石炭発電もバンバンやれば良いし、コンビニでは毎回袋貰おうと思うし、ガソリンエンジン車の暖気運転もガンガンやろうと思っている。
別に環境に配慮した生活にウンザリしたわけではない。地球温暖化対策にネガティブになったというより、温暖化が進むことにポジティブになったと言うべきか。仮に温暖化で生活が苦しくなったとしても、自分一人なら全然平気な気がするし。
それよりも運が良ければ地球温暖化による世界の変革を目の当たりに出来るかも知れない。そっちの方がよっぽど楽しみだし、モチベーションも湧くってものだ。
グレタ・トゥーンベリさんとかには怒られるかもしれない。「私たちの未来を奪うな!」って。うん、ごめんね。でも俺にはそもそも未来なんて無かったんだよ。そんな人間に自分がいなくなった後の未来のことまで考えろってのは、そもそもリアリティのある話じゃないんだよね。
君は思考が極端だね。まず、「差別」という言葉の使い方が極端すぎるよ(今は没交渉になってしまった「活動家」の先輩の言葉遣いを思い出す)。
いや、「差別」ですよ。大抵の原子力関係者だって、温暖化や石油枯渇が心配される中「原子力が人類を救う」という使命感と誇りを持って仕事しているわけです。それを誇ることが許されないばかりか、もんじゅのように「原子力関係者には嘘を含め何を言ってもよい」という風潮がはびこっている。「全て原子力村が悪い!温暖化CO2原因説は国際原子力村の陰謀だ!」みたいな陰謀論に至っては「全て国際ユダヤ人が悪い!」というのと同じようなパラノイア的なものを感じます(そういえば、広瀬隆はユダヤ陰謀論者、温暖化懐疑論者でもありました)。
一方、石油業界関係者は普通の人と同程度に、自分の仕事に誇りを持つことが許されているはずです。あれだけ叩かれてる官僚でさえ、個々人を叩くような人はまあいないでしょうし、誠実に語れば「世間で言われているより実際の官僚はずっとまともなんだね」ぐらいの反応は得られるでしょう。「お前ら全然残業してないでいい給料もらってるんだろ!」と言われて「いや、そうではなく労働基準法の適用対象外なのでサービス残業を強要されているだけだ」と説明して「公務員村の情報操作だ!」なんて反応が返ってくることは考えられない。この違いはなんですか?
そう、飛行機などが安全でないことと、原発が安全でないことは重みが違うんだ。(「重み」という言葉遣いがおかしいかもしれないが……「重大性」かな。この暑苦しい夜に、重苦しすぎるが。)
それがまずおかしいと思います。どう考えても「あなた」が飛行機で死ぬリスクと原発事故で死ぬリスクは前者の方が高い。土地が使用不能になるという話にしたところで、ダムだの空港だの区画整理だのと大して変わらない(時間の長いオーダーで見れば使用不能とは言えないという意味も含めて)。実は原発のリスクというものは既存のもののリスクと変わらないし、予測不能なほど巨大なリスクという意味ではCO2と温暖化というもっと強烈なものが比較対象として存在しうる。
というわけで、原子力だけを特別扱いするのは合理性に欠ける感情論でしかありません。その意味で、脱原発か否かという議論は原子力と「それ以外」の得失を比較して行われるべきです。それがない議論はまともな脱原発議論とはいえません。
原発だって隠せませんよ。放射能なんて1ベクレル(1ベクレルって原子核1個が1秒間に崩壊する放射能ですよ。超・超微量です)単位で計測できてしまうのに。事故に至らない「事象」を隠しうるという意味では飛行機や鉄道だって同じことです。
原発は、それを建設する計画の時点から、「安全」を強調して地元を説得した。地域の住民はそれが一番気になるからだ。これと比べることができるのは、「飛行機などの安全」ではなく、……そうだな、「金融商品の元本割れのリスクの説明」ではないか?
化学工場やガスタンクを建てる際だって「安全です」と説明されるでしょうがそれに文句を言う人はいないですよね。人工物に「絶対安全」があり得ないことは誰でも知っているからです。実際、命の危険という意味では化学工場やガスタンクの方がよっぽど高いです。原発だって当然同じように理解されるはずです。
一方、金融商品は「絶対元本割れしない」ようにすることができます。法律上、そういう契約を結ぶことは可能だからです。だから「元本割れはしません」といえば嘘になる。ここが全然違います。
JALも同じことをしていましたが、それでもなお「安全だ」と主張することは可能でしょう。
それにJCOが「原発でないこと」など、一般人には正直、どうでもいい瑣末なことなんだ。同じ「核(エネルギーの平和利用の)施設」で、何かあったら原発でもJCOでも周辺には同じ結果をもたらすものなのだから。
全然「同じ結果」ではありません(JCOでは土壌汚染は皆無。これは原理的にそういうもの)。JCOと原発を同一視するのは、石油精製工場で爆発事故が起こったらなぜか火力発電所が責められるような話です。ですがまあその辺は別にいいでしょう。「客観的にみて、JCO事故以前は『原発は安全』と主張してなんの問題もなかった」と言い直してもよい。それ以降にしたって、原子力業界の死者数が他の業界に比べて非常に少ないことは変わらないですし。
あ、ついでに思い出したので言いますが、1991年美浜事故、もんじゅナトリウム漏れ事故、JCO事故などのたびに「原発の安全神話崩壊」は騒がれていたはずです。これでもなお「マスメディアは『絶対安全』を国民にプロパガンダしていた」というのなら「嘘つき」か「健忘症」のどちらか一方だとしか言いようがないと思います。
美浜は何度も"事故"が発生しているが、「国際評価尺度」で「事故」扱いされる「レベル4」以上になったことはない。2004年ではなく、1991年の蒸気発生器伝熱管損傷が「レベル2」だ。
それはその「事故」が放射能事故に限られているからです。プラント事故という意味では2004年の二次冷却水漏れ事故は電力業界全体を揺るがす大事故であったことは間違いない。あの事故は火力発電所でも起き得るものだったのだから猶更です。