はてなキーワード: カテゴリとは
直近ででかいイベントといえばNASAのアルテミス計画なんだけど、残念なことに打ち上げ「成功」した日ですら200ブクマ以下です。
ちなみにだが延期時にもブクマはついてはいる。100以下だが。「失敗」というブコメをつけたブクマカはいませんでした。
適当に検索でもしてもらえれば分かると思うが、オモテナシが「失敗」した件がトップなわけ。それでも今回の失敗騒動に比べると全然ブクマがついてないけどね。
昔の記事では糞メガネが「日本人を月へ」言うてクソ叩かれてる。これは500ブクマです。
つまり何が言いたいかって言うと、科学技術分野で党派性打ち込むなって話。
普段からこういうカテゴリの記事にブコメしてるとかならまだ許せるが、いっちょかみが調べもせず脊髄反射でブコメするのが気に食わんわけ。
以下自分語り
色々ブクマやブコメを掘ってたら、俺が「こいついやなやつやな~」と思ってたブクマカが、ちゃんとしたブコメを書いてて感動した。
https://blog.uhy.ooo/entry/2023-02-13/technology-selection/
「積極的な技術選定と消極的な技術選定」という視点で、技術選定ということについて論じている方がいる。ここではそれを要約はしないが、この記事の筆者の主張の一つに
というものがある。そしてその例として、
ある技術が「場合によっては良い技術だと思うけど今回は過剰」みたいな下げられ方をされているときに、過剰である理由が学習コスト(消極的な理由)だったりすると残念です。
筆者は技術の「学習コスト」という言葉があまり好きではありません。なぜなら、とくに技術選定において、学習コストは本質的な理由にならないと思っているからです。
として「学習コスト」(消極的な技術選定)についての考えを記している。
ところで、この筆者は、この記事の一つ前に「Tailwind考」としてTailwindCSSというCSSフレームワークについての評価を記している。
https://blog.uhy.ooo/entry/2022-10-01/tailwind/
学習コストの観点では、生のCSSの知識はどうせ必要ですから、Tailwindを使用しても学習コストはまったく減りません。Tailwindのクラス名は生のCSSに比べて簡潔なので一見すると簡単に見えますが、その簡単さはすでにCSSを理解している人が享受できるものであって、まだCSSを知らない人にとっては特に恩恵はありません。
ここでは学習コストをTailwindCSSを考察する際の一つの指標に取り上げている。
この「Tailwind考」を改めて再読してみたが、この「Tailwindの学習コスト」の話が(「積極的な技術選定と消極的な技術選定」で推奨しているような)明確に「消極的な技術選定」の話として、分けて書かれているとは読み取れなかった。つまり、この筆者自身の技術選定記事もまた、明確に積極的、消極的に分けて書かれてはいないのである。
「積極的な技術選定と消極的な技術選定」の記事に追記されているコメントで以下の指摘がなされている。
積極的と消極的は0か100かで分類できるわけではないと自分で言っているのに、明確に分けて書けという主張は矛盾しているのでは?
インターネットで不特定多数に公開される技術選定の文書で、これらを明確に分けて書くのは、多くの場合、本筋から外れるだろうし、いささか無茶な要求なのではないだろうか。
筆者は「その内訳を分析して見せることができます」と反論しているが、技術選定記事を公開するときに、そのような細かい分析を網羅して記述することに、どれほど価値があるだろうか。
このような技術選定の記事を書くとした場合、想定する読者を「どういう理由で選定したか知りたい、と考えている」と設定するだろう。その理由がどのようなカテゴリ(積極的、消極的)に属すか、などは文章を過剰に冗長にするだけであって、むしろ積極的に本文から削っていくものではないだろうか。
元記事の筆者が書いた「Tailwind考」もそうで、「積極的な技術選定と消極的な技術選定」が明確でない今のままで「TailwindCSSの技術選定」として価値ある記事だし、筆者も(内面での考えはともかく)そこの区別は、文書に記す必要がないと判断して、記事を公開したのではないだろうか。
自分が良いと考えている技術が「学習コストが高い」と無下に扱われたら、イラッとくる感情はわかる。
でも、どんな技術選定記事も、その筆者が遭遇した特定の条件、特定の環境下での判断なのは、当然の前提ではないだろうか。
そして技術選定の基準が、純粋に技術的であるかそうでないかは簡単に分離できず、それでもそれを詳細に記述、説明すること(積極的な技術選定か消極的な技術選定かを分けて書くこと)が、本当に必要なのか。
差別のない社会って誰もが快適な世界じゃなくて、誰もが不愉快を受け入れるしかない社会にしかならないんだけど、本当にわかってるのかな?と思う
みんな、自分がこの先に不利益を被るかもしれないことにすごく鈍感というか、結局「まあ(今は)自分には被害がないから許容するね」であって、自分に不利益がある差別は残すんだよね。不愉快だから
結局こんなの「マジョリティが許すか、許さないか」でしかないんだよな。絶対どこかでこんなの爆発すると思うよ。グローバリズムとか言ってるけど、結局移民を「移民」てカテゴリにしか入れないのが物語ってるじゃん
自国民とはチガウ人たちのまんま、LGBTも結局そうというか、自分らに直接害がないレズとゲイは良しでトランスは絶対許さないでしょ
Twitterに書写お題垢というながらあるのはご存知だろうか。
ほか、この朝活書写垢が人気になったあと、雨後の筍状態で数多くの書写お題垢が生まれ、運用が続いてたり、運用が終わったりしている。
さらにいうと、朝活書写から派生したコンテンツを送り出す人もいる。
その書写お題垢からでるお題を楽しみに、書写に勤しむ人は多い。
全員がそういうわけではないが、Twitterで書写をする奴にはどうしてあんなに我が強い多いのか。我が強いから悪目立ちしているのかも知れない。強い奴同士だから、揉め事が絶えない。
誰のものでもないハッシュタグを自分の占有タグのようにしようとするやつ。
それに対して、対抗してくるやつ。
エアリプでキレ散らかすやつ。
お題について感想を呟いてるツイートを発見すると、たちまち書写お題垢信者が「タダでやってくれてるものに文句を言うとは」「嫌ならなら見なきゃいい」そういったエアリプが飛び交うのも茶飯事。
一見、字を書く習慣を持つ人は穏やかな人が多そうなもんだが、Twitterの書写周辺は治安が悪い。
口が悪い奴ほど目立ち、そういう奴ほど字が汚い傾向があるのは不思議だ。汚い字でも平気で出せるメンタルの強さが口の悪さに繋がるのか。
あいつらと同じカテゴリと見られるのが嫌でTwitter書写はやめた。やめたら精神的に平和が訪れた。
鬱屈としながらTwitterで書写をしている人もいると思う。思い切って止めて、別の字を書く習慣を始めたほうがいいかも知れない。
今超絶話題のロケットエントリ、ブコメ見て「こんな奴らばっかだったっけ…」ってなってる。
ド新参だった俺も気づけば10年。まあそりゃ人も入れ替わりますわ。
実際俺が「こいつ臭うぞ…」という奴らはここ2,3年ではてブデビューしたやつが多い。これは「コロナ禍世代」。
でまあ中には「保育園落ちた」以降入ってきた人もおります。これは「落ちた死ね組」。
僕みたいなのは老害予備軍、更に古株は老害軍、仙人とでも呼びましょうかね。
あとジェンダー・政権批判時はめちゃくちゃ過激なのに、このことについては冷静にブコメしている人がいました。スターつけられてなかったんですが…。
男に限らず相談すると、この人は俺の相談内容を全然聞いてないな ということがある。
どんな繊細な悩みを話しても「人間関係の悩み」「金銭的な悩み」とか大ざっぱなテンプレートというかカテゴリ分けされてしまう。
そして「人は助け合って生きてる」と一般的な話、あるいは美辞麗句だけが返ってくる。
そのひとは俺の悩みを理解してない。ただその人が言いたいことを言ってるだけなので相談者は「俺の理解してもらえない」というしんどさだけが残る。
ちゃんと話を聞いてくれる人は「とりあえず解決策」ではなくて、質問が返ってくる。
「私も似たような経験あってこういうふうに感じたけどそういう理解でいい?」
とか
とか。
そういう理解しようとしてくれる姿勢がないと、悩みを聞いてもらったという
助けられたという満足感が生まれない。
「悩み相談されたら解決策を提案することが大切」と思って人が多いけど、そうではなくてまずは
ちゃんと話を聞いて「この人は信頼できる・この人は私を理解してくれる」という信頼を得ないとどんな素晴らしい解決策の提案をしても相談者には響かないのだ。
日本においてスーパー銭湯の多くがハッテン場の1つとして位置付けられてしまっている。夜に行ってみたらいきなりその筋の人に手や股間を握られたと言う体験談が後を絶たない。
爆サイでは「ハッテン場掲示板」なるカテゴリが存在し、頻繁にお相手を募集する書き込みが行われている。逆に言えば募集書き込みが少ないところはハッテン場として栄えていないことを示しており、「該当スーパー銭湯のハッテン場掲示板スレが無い、もしくは過疎っていればゲイに襲われるリスクが低い」と言われる。
そこで、各県のハッテン場掲示板の書き込み頻度を基準として「ゲイに襲われるリスクの高さ」を調べてみる。まずは増田のおひざ元である神奈川県。上位10店舗まで書く。
掲示板URL:https://bakusai.com/thr_tl/acode=3/ctgid=149/bid=2727/
湯快爽快はどの店舗もハッテン場としてよく使われているが、中でも茅ヶ崎店はハッテン場の性聖地とまで言われている。露天エリアの奥にサウナがあり、そこが良く使われているようで、「室内での性行為禁止」という張り紙まで行われている。しかしその張り紙の効果は皆無である。
湯快爽快グループに割って入ってきた新鋭。露天エリアの奥に4人しか入れない狭いスチームサウナがあり、そこがハッテン場となっている。
湯快爽快グループの2番手。露天エリア右斜めに密室状態で天井が低くて狭いスチームサウナがあり、そこがハッテン場となっている。茅ヶ崎店ほど奥まった場所にあるわけではないので利用頻度は若干下がるようだ。
ここも露天エリアにある狭いスチームサウナがハッテン場として使われているようだ。人通りはそれなりにあるのによくやると思う。
湯快爽快グループ3番手。サウナよりも1番奥にある滝湯がハッテン場として使われている。ただ密室ではないためか募集は触り合い程度にとどまり、続きは近くのネカフェで、という書き込みが中心。
中華街の近くにある、スーパーではない普通の銭湯。出会い系銭湯とも呼ばれる。サウナが狭いという典型的なハッテン場パターン
京急傘下のスーパー銭湯。2日に1日ミストサウナが使える日があり、その日はお相手募集の書き込みが多くなる。
ヨモギ塩サウナやシルク湯(白く濁らせたお湯)がハッテン場として使われやすい。施設が大き目で待ち合わせ場所も豊富。
狭いミストサウナが使われやすい。募集のない日もあるが、毎週通っている常連が居るようだ。入館料を高くするのはハッテン場化抑止には効果がないことをこの施設は示している。
ドライサウナはガラス張りであるが、塩サウナ室は外部から死角になるエリアがあるため、そこがハッテン場になりやすい。米軍基地の軍人も使う施設なので、本場のアクションが見られるかも知れない。
浴場の奥まった場所にある、窓がない、密室のサウナ系施設があるスーパー銭湯はハッテン場として狙われやすい。特に10人以上入れる普通のサウナより、狭い(4名くらいしか入れない)ことが多いスチームサウナが狙われている。
逆にそのサウナが奥まった場所ではなかったり、大部屋だったり、密室ではない(外からガラスで様子が見える)スーパー銭湯は、ハッテン場として使われにくい。
例えば7位のみうら湯から3kmくらいしか離れていない「極楽湯 横浜芹が谷店」は、1日の書き込み頻度は2件以下とかなり少ない。これは「サウナ施設は大部屋のみ」「そのサウナは露天エリアからガラスで様子が見え、死角がない」ため、ハッテン場にしにくいためであろう。
スーパー銭湯でゲイに襲われたくなければ、その店のサウナ設備がどのような場所にあって、どれくらい大きいか、外から様子が見えるか否かを調べてから行くのがいいだろう。
ソープ嬢に聞いたところによると、挿入時間が3分以上は「遅漏」カテゴリらしいからな。
ソープ嬢に聞いたところによると、挿入時間が3分以上は「遅漏」カテゴリらしいからな。
ぶっちゃけて言うとヤバい奴の恐怖は女相手でもそんな差がないと思う
鈍器刃物持ってる女なんて普通に勝てないのは同じだし本気で襲われたら死ぬ
ただ女のことは、そんな犯罪行為してきたり襲ってきたりする奴なんてごく一部でしかないし、暴力を本気で傷つけるつもりでふるってこないし、ほとんどの女はいい奴で親切で危害を加えてこないし助けてくれる、という無意識の信頼がある
男は、油断すると痴漢セクハラ性犯罪ギリギリ犯罪にならないレベルの性的嫌がらせをしてくる奴があまりに大量にいて、悪い人じゃなさそうと思ってちょっと優しくすると付きまとわれて、デリヘルの女の盗撮映像を売り買いしてるナンパ集団を繁華街で見かけて、犯罪者情報もあがってて、全く信用できないのは経験則で生まれる警戒心じゃないかと思う
初対面の男は女相手だと距離感バグってストーカー予備軍になるやつのほうが多い
長年の付き合いがあってお互い腹を割って話せてて相手の女関係についてもよく知ってて、マジで信頼できるってわかった男だけが女と同じ「危害を絶対加えてこない信頼安心できる奴」カテゴリに行く感じ
・頼んだらやってくれる
・謝れば許してもらえる
自分の中にこの偏見が強固にあるせいで、女性カテゴリに突っ込まれると自分が全然こうではない恐怖で一言も発せなくなる。
コスメ・服(ブランド)・好きなタイプの話とか振られても一切回答できない。
「じゃあマンガだとどんなキャラが好きなの?」と言われても夢女子じゃないのでそのキャラと恋愛関係になりたいとは思わない。回答は誤魔化す。
最近はネットが普及してきて上記カテゴリに含まれない「女性」も割といることに気付いたけど、でもまだ偏見消えない、自分が女性カテゴリに入れられるとすごい違和感を感じる。
まぁ恋愛も結婚もセックスもしないなら性自認とか関係ない気はしてきてるんだけど。
現職の親会社は、カテゴリ的には中小企業だけど、地元ではそれなりに名の知れた企業なんよ。子会社を全部集めると従業員数は数千人になる。
経営者は常に地元に雇用を作る為に会社をやっていると公言していて、地元の名士みたいになってる。
歴史も深くて、プライベートカンパニーとして安定しているって言われている。
だからここに就職できたら安定だ、安心だと地元ではずっと言われている会社だった。
外から見ると親会社本体と子会社の区別はなくて同一視される。
「○○会社の人」って言われて、そこに勤めているというと「いいなーうらやましい」って言われる所があった。
新卒で就職するときも専門学校から推薦で入社が決まった。教師からも「こんないい所から内々定が出たんだから他の就職活動はやめろ。絶対に行け」って言われた。
正直他に行ってみたい会社とか、話を聞いてみたいところとかあったんだけど、全部キャンセルすることに。
ろくに就職活動せずに、他の会社とは比べずに、とにかく良い会社なんだろうと考えて入社した。
よい会社に入ったって周りから評価されるし、親兄弟もそういう評価だった。
家族には介護が必要なのがいるから、家を出るって選択肢は端っから無くて。(それ自体は全く違和感はない。家族のことは好きだ)
そして仕事上でも、普段接する親会社社員の人はそれなりに頼りにしてくれるので、俺がいなきゃ駄目なんだって気分になっていた。
けど、確かに、これはなんか洗脳の類いである気はする。
じゃあ、何故転職しようと思ったかというと、コロナ禍になったからなんだよ。
コロナ前も、俺はそもそも技術が無いしコミュ障だから、常に勉強してないと捨てられそうで不安で。
あちこちの勉強会なんかに行ってた。メーカ講習会とかは会社に相談しても「予算がないからごめん」って上司に言われれば予算はない。
後は自分でお金をだすしかなくて、参加費が安い草の根的な活動に参加していた。
でもそうなるとと宿泊はできないから、いつも勉強会本会には出るものの、慰労会や交流会には出ずにとんぼ返りしてた。回数もそんなに何回も出る事はできなかった。
さらに、仕事は増える一方で、効率化してもそれを上回るレベルで忙しくなってきて勉強する時間も気力も無くなってきて、親も年取ってきて、介護では俺がやらなきゃいけないことはどんどん増えていって。
休日も時間がないから外に出て行けない。そんな感じになってた。
それがコロナ禍になってそれらがみんなオンラインになったのよ。
交通費がいらなくなった。元々草の根勉強会やら非営利の学会みたいな奴だったから参加費は安い。、
自宅でいくらでも勉強会に出られるようになった。家族を見ながらでも参加できたし、慰労会もオンライン飲み会化されて。
勉強会に出てくるのに、絶対に慰労会には参加しない謎の人扱いされていたのもここで知った。
ブレイクアウトルームで親しく話をするようになった人とかいて。それで、段々と今の環境に違和感を覚えるようになって来てた。
そうこうしているうちに、普段のコミュニケーションはLinkdInでやってると言う事も知って、そっちで交流するようになった。そして、勉強会の幹事をやってくれって言われて、オンラインで全部完結できるからと引き受けたり、企画も手伝ったりした。
増田の言葉を借りると、洗脳が溶け始めたというか。
でも、決定的だったのはここからで。
親会社からLinkdInの俺のアカウントの掲載内容を問題視するような声が出てきた。全公開にはしてなかったんだけど、どっかで見れたらしい。
会社の規定で社名などは公開してなかったし、仕事の内容は一切載せてなかったのだけれど、技術の話や話題は色々と載せていた。
更に勉強会の幹事に関連する情報は載せていた。それが、問題だというのだ。曰く、仕事で身につけた技術の話を外でするんじゃないと。
確かにそうかもしれない、と思って素直に従って全部クローズしたんだけど、勉強会の幹事は続けていた。が、後にそれすらも駄目だと言われて、会社NGになったと別の人に頼んで変わってもらったところで。
普通、会社は、自社社員の自主的な勉強会への参加をNGを出すなんてことは有り得ないし、そんな事をする権利はないはずだと言われる。
ここからなんか強烈に違和感がわいてきた。そこから、色々と調べたり、本を読んだりして、転職をちゃんと考えるべきかもしれないと思うようになった。
名古屋メシ、という括り方が正しいか分からないが、日本に打って出るポテンシャルがあるにも関わらずそれほど知名度がないという意味で妙香園について語りたいと思う。妙香園というのは名古屋に本店を置くお茶屋さんで、売りは焙じ茶である。
妙香園について語る前に、まず、読者諸兄は「焙じ茶」というものに対してどのようなイメージがあるだろうか。商店街のお茶屋さんの店舗で茶葉を焙じる機械から香ばしい香りで客を引き寄せ、試飲に誘い、そして100グラムくらいのパックを購入してみるものの、自宅で抽出してみて首を傾げ、そのまま茶葉を使い切ることなく、年末の大掃除で賞味期限が切れた茶葉を引き出しの奥でみつけて処分する、というそんな印象ではないだろうか。
妙香園に関していえば、そのような存在とは真逆のものであると私は胸を張って言える。自宅で妙香園の焙じ茶を淹れると、まさに店頭のあの香りが自宅のキッチンで立ち上るのである。残念ながら、名古屋人たち自身はこの妙香園の実力について認識していないように思う。筆者は東海地方出身で東京での生活が20年以上なのでそれが残念なのである。
冒頭の記事のタイトルに戻る。名古屋メシというものは、全般的に、味覚の総量が大きく、コスパがよく、それでいてカジュアルさがあるという共通点がなんとなくあるように思う。そういう意味において妙香園は(食い物ではなく茶だが)まさに名古屋メシカテゴリとして語られるべきものだと思う。名古屋に行った時には名駅地下街で妙香園の焙じ茶を買おう。私自身はほかで茶葉を買うということ自体が少ないので分からないが、大した値段ではないと思うし店の敷居も低い。名古屋人のあなたは、いつも名古屋土産として買っている、坂角のゆかりや赤福やらうなぎパイではなく、妙香園を買ってみよう。あなたにとっては只の妙香園に過ぎないが、彼らは妙香園の焙じ茶を知らない可哀想な人々である。あなたが妙香園を与えることによって、彼らがもともと持っていた焙じ茶に対する限定的なイメージを拡張し、つまりは彼らの人生を豊かにすることになるのだ。
コメントとトラバが付いているのが嬉しいので追記する。誤字を少し修正した。
私自身の妙香園エピソードを少し語ろう。引越しの時に、地元の母親が持たせてくれた妙香園を手土産として各部屋に持参して行った。マンションの上階に住んでいた大家が後日、「あのお茶すごいね、あの香り!」と褒めてくれた。いや、勿論社交辞令かもしれないが、「香りに対する驚き」というのは妙香園に関する特有の反応だと思う。
そういえば、積極的にテレビCMとかを打ってるわけではないのでそんなものかもしれないな。売店自体はいろんなところにあるから試してほしい。
あんまり、有名どころの焙じ茶とかと飲み比べてるわけじゃないから、リアクション鈍くてごめんな。
俺が妙香園の関係者ではないと強弁したところでそれを客観的に示すものなどない。妙香園のことが好きだという意味では身内みたいなものかもしれない。妙香園の認知が上がれば俺の幸福度があがるので、その意味では利害関係者とも言えるな。どう?この回答でいいかい、坊や。
これは全くそう。俺が思っていたのは名駅の新幹線の売店で土産を買う時の選択肢が、坂角、赤福、うなぎパイの三本柱なんだが、名古屋人はそのローテーションで満足してないか、ということである。ここまで熱弁しておいてなんなのだが、俺自身、新幹線の売店で買えるのが楽で、名古屋土産のメインは坂角の徳用パック(箱に入ってないやつ)なんだよね。ちょっとこれからは気合を入れ直して、土産で妙香園を配りまくるようにしてみようと思う。
一点書き忘れたことがある。焙じ茶にはいくつかのラインナップがあるが、私がいつも飲んでいるのは「強火」と書かれた、赤緑のおしゃれなパッケージである。同じおしゃれパッケージだと、水出しやテトラパックもいいと思う。「強火」以外の妙香園焙じ茶は飲んだことはないが、母親によると「強火」こそ妙香園らしい濃厚な香りと旨みが楽しめるらしい。