https://blog.uhy.ooo/entry/2023-02-13/technology-selection/
「積極的な技術選定と消極的な技術選定」という視点で、技術選定ということについて論じている方がいる。ここではそれを要約はしないが、この記事の筆者の主張の一つに
というものがある。そしてその例として、
ある技術が「場合によっては良い技術だと思うけど今回は過剰」みたいな下げられ方をされているときに、過剰である理由が学習コスト(消極的な理由)だったりすると残念です。
筆者は技術の「学習コスト」という言葉があまり好きではありません。なぜなら、とくに技術選定において、学習コストは本質的な理由にならないと思っているからです。
として「学習コスト」(消極的な技術選定)についての考えを記している。
ところで、この筆者は、この記事の一つ前に「Tailwind考」としてTailwindCSSというCSSフレームワークについての評価を記している。
https://blog.uhy.ooo/entry/2022-10-01/tailwind/
学習コストの観点では、生のCSSの知識はどうせ必要ですから、Tailwindを使用しても学習コストはまったく減りません。Tailwindのクラス名は生のCSSに比べて簡潔なので一見すると簡単に見えますが、その簡単さはすでにCSSを理解している人が享受できるものであって、まだCSSを知らない人にとっては特に恩恵はありません。
ここでは学習コストをTailwindCSSを考察する際の一つの指標に取り上げている。
この「Tailwind考」を改めて再読してみたが、この「Tailwindの学習コスト」の話が(「積極的な技術選定と消極的な技術選定」で推奨しているような)明確に「消極的な技術選定」の話として、分けて書かれているとは読み取れなかった。つまり、この筆者自身の技術選定記事もまた、明確に積極的、消極的に分けて書かれてはいないのである。
「積極的な技術選定と消極的な技術選定」の記事に追記されているコメントで以下の指摘がなされている。
積極的と消極的は0か100かで分類できるわけではないと自分で言っているのに、明確に分けて書けという主張は矛盾しているのでは?
インターネットで不特定多数に公開される技術選定の文書で、これらを明確に分けて書くのは、多くの場合、本筋から外れるだろうし、いささか無茶な要求なのではないだろうか。
筆者は「その内訳を分析して見せることができます」と反論しているが、技術選定記事を公開するときに、そのような細かい分析を網羅して記述することに、どれほど価値があるだろうか。
このような技術選定の記事を書くとした場合、想定する読者を「どういう理由で選定したか知りたい、と考えている」と設定するだろう。その理由がどのようなカテゴリ(積極的、消極的)に属すか、などは文章を過剰に冗長にするだけであって、むしろ積極的に本文から削っていくものではないだろうか。
元記事の筆者が書いた「Tailwind考」もそうで、「積極的な技術選定と消極的な技術選定」が明確でない今のままで「TailwindCSSの技術選定」として価値ある記事だし、筆者も(内面での考えはともかく)そこの区別は、文書に記す必要がないと判断して、記事を公開したのではないだろうか。
自分が良いと考えている技術が「学習コストが高い」と無下に扱われたら、イラッとくる感情はわかる。
でも、どんな技術選定記事も、その筆者が遭遇した特定の条件、特定の環境下での判断なのは、当然の前提ではないだろうか。
そして技術選定の基準が、純粋に技術的であるかそうでないかは簡単に分離できず、それでもそれを詳細に記述、説明すること(積極的な技術選定か消極的な技術選定かを分けて書くこと)が、本当に必要なのか。