はてなキーワード: アスカとは
エヴァが、おたく達へのメッセージとして結局、「普通にしてさえいればいいんだよ」ということしか言えなかったのが悲しい。そりゃ俺も、きっとほとんどの大人も、他に何も思いつかないわけで、だからこそおたくは、どうしようも無くおたくな訳だけど。
「あんまり拗らせずに、ただ普通にしていればいい。普通にしていれば、普通の力学がはたらいて、普通に周りの助けを借りて、あるべき所に収まることが出来る。心配しなくても、あなたの出番、あなたにしか出来ない仕事というものも絶対にやって来る。それも、誰の目にも、もちろん、あなたの目にも明白な形で、やって来る。」っていうメッセージは、悩み一般をテーマにした物語の結末としてはよくあるし、実際、ほとんどの”元・拗らせてた”大人は、そういう結論を通って、まともになったんだと思う。
もうそういう結論でしかエヴァを終わりに出来なかったって言うのも分かるし、庵野が新劇場版を始めた意図は全然違うところなのかもしれないけど、やっぱり26年おたくを待たせておいて、最後の最後でいつもの「納得感」をフルスクリーンで叩きつける、っていうのもどうなんだろう。
アスカのケンスケとのあれこれだって、おたくを舐めているとしか思えない。アスカがケンスケと過ごして居心地良いのは納得できるけど、ある一つの言葉がアスカを救ったような描き方をするのは辞めて欲しい。エヴァは「人を劇的に救う、核心的な一言」みたいな安いドラマのアンチテーゼではなかったのか。
安易な「この世界の片隅に」みたいな場面も、本当にエヴァでやる必要があったのか?どんな状況でもしたたかに暮らす人々の力(に触れたアヤナミ)でしか、シンジを立ち直らせることは出来なかったのか?エヴァは「人をやがて救うのは、時の流れと日々の暮らし」みたいな、安いドラマのアンチテーゼではなかったのか?
庵野、結局お前さえ結論を出せなかったせいで、おたくたちは今でも、どこで聞いてきた言葉なのだろうか、”他者の痛み”がどうだとか言ってエヴァを語っているぞ。おい見ろよ、「ガフの扉」だとか「ゴルゴダ・オブジェクト」だとかの話は凄く厳密に考察できるのに、心の問題になるといきなり、曖昧な言葉でなんとなく語ることしか出来ないおたくのありさまを。心の問題は、「絵コンテにはこう書いてある」だとか、「ウルトラマンのオマージュだ」だとか、とにかく情報を集めていけば解明できるような事じゃなく、おたく自身がその”他者の痛み”とやらにしっかり向き合って、「普通に」自分の心を見つめ直していかなければいけないのに、おたくはそれが分からないんだよ。そもそもシンジだって、そういう面倒臭い奴として描かれていたのに、結局、じゃあそんなシンジが(そしておたくが)どうすれば救われるか、庵野、お前にも、結局分からなくて、急遽シンジを一定時間黙らせて、それから別人格にシンジをやらせることにしたんだろ。それであんなに、シンジの心の動きが追えないような造りになってしまったんだろ。庵野。あんまりじゃないか、庵野。ほとんど前田真宏が作ったって言うのは本当なのか、庵野。本当にあれで、シンジをシンジのまま救うことがないままで、いいのか庵野。
タイトルは半分釣り。劇場版シン・エヴァンゲリオンの感想をいくつか書く。
・一番印象的だったのは、シンジを支え、見守るのは、旧来の命令や強制しかしないオトナ達ではなくて、セカンドインパクト後に生まれた、かつての同世代の若い世代だったという事だ。
農村部の描写は、安野モヨコのマンガ・アニメの「大きなカブ(株)」と重なると思うけど、今、庵野秀明を支えているのはエヴァを見てた若い世代なんじゃないかなと思った。現在向精神薬を飲んでいる自分としては、動けないシンジの代わりに、アヤナミレイ(仮)(そっくりさん)が農村で人間性を取り戻していく過程がリアルに感じられた部分。シンジの回復とそっくりさんの消滅もそういう事かなと。
・裏宇宙でのゲンドウとシンジの描写が、急に安っぽい特撮のような背景になるのは、あそこで物語の位相が庵野秀明の内面描写に移ったからかな、と思った。今回、絵コンテを使わずにプレビズでレイアウトを決めてた辺りも、庵野秀明がパンツを下ろして内面を語る為には、従来のアニメ描写の仕方ではなく、実写映画(というかドキュメンタリー)の手法を使いたかったんじゃないかな。
だから終盤のキャラを見送るシンジは、プロデューサーの立場で、25年に渡って苦労をかけてきた各キャラをねぎらう立場だったんじゃないかな。元々は24年前のEoE(旧劇場版)で消費されてしまう筈だったキャラ達は、その後もスタッフ・キャスト・観客の中で生き続けてきたから、それを演じてきた(という体で)各キャストに見せ場と居場所を最後に与えたような気がする。それがこの作品が卒業式のように感じられた理由かもしれない。
・マリエンドは、個人的にはもうEoEと貞本版マンガでアスカエンドはバッドエンドもグッドエンドも見てしまったので、第3の終わり方としてよかったと思う。
・個人的に残念だなと思う点を上げれば、いくつかの戦闘シーンは大雑把に見えたこと。物量と情報量を上げればものすごい物が見えるわけではなく、逆に大味になってしまった気がする。
でも最初のTV版から見続けて26年経って、こんな作品を見られて本当によかったと思う。エヴァンゲリオンという作品とシンジとアスカとレイとカオルは、アニメの歴史に刻まれたと思うし、今後も神話にはならなかったとしても伝説にはなるんじゃないのかな
遅ればせながら『シン・エヴァ』観ました。個人的な感想メモ(ネタバレあり)。ちなみにTV版から観ている39歳男です。
・旧劇場版でシンジとアスカがお互い傷つけあったのは「二人は他者だから、触れ合えば傷つくのは必然なんだ」と受け止めてた。それに対する『シン・エヴァ』の回答は「あれは二人の相性が悪かったせい。それぞれ別の人とくっつけば幸せになれるよ」ってことだと理解した。マジか、と思いましたね。あまりに身も蓋もなさすぎて。しかし言われてみれば確かにそう。こうなってみると、もうこの終わり方しか考えられない。
・旧劇場版のアスカって、エヴァの全編を通してみてもトップクラスに酷い目にあってたと思う。肉体的にも精神的にも。見ていて居たたまれなかった。なので、浜辺のシーンで惣流のほうのアスカも救済してくれて嬉しかった。
・それにしても、まさか渚カヲルがゲンドウの分身(別人格)だとは思ってもみなかった。これが一番衝撃的だったかも。
・でもよく考えると、TV版の時点でカヲルはレイに「君は僕と同じだね」って言ってるんだよね。レイがユイのクローンだとして、じゃあカヲルは誰の分身なのかと考えれば、論理的にはゲンドウしかありえない。なんで俺は25年間その可能性に気づかなかったのか、ということのほうが今となっては不思議。
・カヲル君の「歌はいいねえ」という台詞とシンジ君のウォークマンが、25年の時を経てゲンドウというキーワードでひとつに結びつけられる展開は震えた。
・あそこに置かれていた鉄道車両は、庵野さんの故郷の山口あたりで昭和時代に走っていたやつが多かったと思う(あとは天竜浜名湖鉄道?)。あの村が箱根のそばに2029年ごろに存在しているとすると、明らかに時空が歪んでいる。この時点ですでに庵野さんの心象風景に片足を突っ込んでいると理解した。あの村全てが仮想空間とも受け取れる。
・作画もあの村の場面の一部だけ、なんか質感が違いましたよね?
・TV版から存在していた夕闇の電車の中での自分との対話シーン。あれはあの旧型国電の中でやってたのか。あの車両は庵野さんの地元の宇部線で長く走ってた形式。なので単に懐古趣味で旧い電車を出してたのではなく、自分の故郷の、おそらく青春時代によく乗っていた電車の中でずっと自問自答していたわけね。なんというか、本当にエヴァって私小説だ。
・村の人がレイを「そっくりさん」と呼び続けるの、普通に気持ち悪いよ! 初日だけならともかく、その後もずっと。同僚に対してその扱いは酷くないか。レイ視点だから悪意がないように受け取れるけど、実際にはあれは村社会の新人イビリなんじゃないの。エヴァは「誰が誰をどういう名前で呼ぶか」について極めて意識的な作品なので、こういう「気持ち悪さ」も織り込み済みでやってそう。
・レイはやっぱり個体によってかなり人格が違う。にしてもTV版の「ばーさんは用済み」のあの子だけは極端に性格悪かったな。あれは何だったのか。
・ミサトさんは「自分は大人じゃないけど、それでも大人の役をきちんと果たすんだ」と決めた人。TV版と旧劇場版ではそういうちゃんとした大人はミサトと加持ぐらいだったけど、新劇場版ではリツコとヴンダーのクルー達も付いてきてくれていて、そこが良かった。
・にしても生命種の種を満載した船で最終決戦に突っ込むのは、リスク管理としてやばすぎ。そいつらはどっか安全な場所に厳重保管しておくべき。
・ミサトさんが息子とずっと会わないと決めたこと。それってユイやゲンドウと同じ過ちを繰り返してるんじゃないの、と思えて複雑だった。ユイも「自分の選択を息子はわかってくれる」みたいなことを言って死んだけど、息子の側からしたら親に捨てられたと思っただろうし、その葛藤を描いてきたのがまさにエヴァという物語なので。これは「シンジの物語が終わっても全てが解決するわけじゃない。親子の葛藤は次の世代にも続いていく」というメッセージだと受け止めた。
・新劇場版の全体を通して、リツコさんの物語はほぼカットされちゃった。新劇から見た人にとっては、あの人はミサトさんの有能な副官というだけの存在になるのかな。まあ尺もあるし仕方ないか。
・新劇場版での冬月が何をしたかったのか全然わからない。旧劇場版まではユイとの再会だよね? 今回は違うの? あんた何なの?
・ゲンドウとシンジの取っ組み合いのケンカは笑った。庵野さんって、映画の前半で綿密にリアリティーを積み上げておきながら後半で暴走するよね。『シン・ゴジラ』の無人在来線爆弾のときも思ったけど。
・「ユイ、お前はずっとシンジの中にいたのか」って、そんなの当っったり前だろうがー!! そんな凡庸な結論に至るまでに人類を3回も滅亡の淵に追いやるんじゃねえよ。
・庵野さんはエンディングの巨匠だと思っている。「全ての子供達に、おめでとう」と「気持ち悪い」。観た人の記憶に刻み込まれるエンディングを2つも作ったのは神業。
・そして今回のエンディングも後世に語り継がれる素晴らしい出来だと思った。俺は泣きました。
・大人になったシンジ君、イケメンだなあ。声は神木君だしパートナーは素敵な人だし。この話って結局「ただしイケメンに限る」ってやつじゃねーの、という思いもよぎる。
・チョーカーを現実世界でもずっとつけてたのは、思春期の呪縛はそれだけ強いものなんだという意味合いかな。それとも単にマリがチョーカーを外す場面が撮りたかっただけ?
・マリは鶴巻和哉の色が濃いっていう評を見たけど、確かに『フリクリ』から飛び出てきたみたいなキャラ。『フリクリ』も大好きなので嬉しかった。鶴巻さんもありがとう。
・でもこの結末って言ってみれば「夢オチ」だよね。それでも自分も含めて肯定的な感想が多いってことは、要するにたいがいの人は登場人物の人間関係に決着がつくことを何より重視していて、そこに整理がつけば夢オチでも構わないと思ってるってこと…?
・「One Last Kiss」最高。天才の曲。宇多田ヒカルのエヴァ関連の仕事は全て文句のつけようがない。こんな荒唐無稽な物語にかっちりハマりつつ、なおかつ宇多田ヒカルらしさを失わない曲をよくぞ3曲も作ったものだと思う。宇多田ヒカルさんもありがとう。
・で、『Q』で出てきたトウジの制服は何だったの? とかそういうことを考えだすとキリがないので、もう考えない。
劇場で自分の前の席に高校生の集団が座っていて、終わった後で「どうだった?」「わかんねー(笑)」と、まさに自分が高校生で旧劇場版を観た時と同じような会話を繰り広げていた。そのことに何だか感動してしまった。
たぶんあなたはまわりの空気を読み、人に気を遣う良い人なのでしょうね。おつかれさまです。
ちょっと提案なのですが、もっと憑依型ロールプレイに合ったゲームを遊んでみるのはどうでしょう?
F.E.A.R あたりがエモいやつをよく作ると思うのですが、ここでは「ダブルクロス」を紹介してみます。
以下ダブルクロスの雑な紹介
シナリオ重視。エモいシナリオをGMがいいかんじで読み上げる。プレイヤー達はロールプレイしながらキャラクターたちと関係性を結んでいく。
こんなんとか
こんなんとか
「これは、死んだあいつの分、そしてこれは・・・俺の怒りだ!!」
こんなんみたいなやつができる。
人との絆を消費して超すごいことができる。
プレイヤーたちは ”力” を使うごとに侵食率が上がり化け物になっていく。シナリオ終了後に人間に戻れるかどうかの判定がある。
ここでも重要になるのはキャラクターの関係性。人との絆が多いほど判定にボーナスがつく。
”人との絆” を使った技は便利だし強いけれど使いすぎると人に戻れなくなる。
判定失敗するとキャラロストです。
https://dic.nicovideo.jp/a/ダブルクロス
たぶん憑依型ロールプレイの人たちが遊ぶと映えるのではないかな、と思います。
それにロールプレイがシステムに組み込まれているタイプのゲームなら、あなたもお友達に気を遣わなくて済むのではないかな、と。
マリは基本的に謎だらけですが、コミック最終巻でユイと同じ研究室であることと、Qで冬月に見せられた写真にマリっぽい人がいることで、「世代としてはユイ・ゲンドウ世代」。また、シンで「式波」がクローンだったことは、「波がつく名前=クローン」を示唆していると思われるため、真希波であるマリもクローン、と考えて良いと思います。
問題は年齢ですが、綾波レイの子供バージョンが存在することを考えると、クローンの年齢は好きにいじれることになるので(仮に0歳から育てなければならないとしたら、ユイが死んだ後に作ったレイがシンジと同じ年にはならないはず)、マリはどこかのタイミングでクローンになった、と考えられます。
エンディングで何故か年を取ったマリですが、ここはもう推測ベースで、エヴァの世界を終わらせたことで止まっていた時間が流れるようになり、14歳か16歳だったマリはそこから年を取った。一方、シンジが送り出したレイやカヲル(アスカも駅のホームにいたらしい?)は人生をやり直して0歳スタートになり年齢の差が付いてしまったのではないでしょうか。レイやカヲルの年齢は遠くにいるので外観だけでははっきりしていないのですが、「線路のホームで別のところにいる」という描写が「シンジとマリとは別の世代で生きている」ということを示しているのかなと思いました。
ループについては、テレビ版では青い海が新劇場版では赤い海になっていることから、ループというより時間だけは過ぎているけれど、インパクトが起きたことで世界がやり直しになっていているのでしょう。地球はそのまま年を取っているけど、人間はその記憶がなくリセットされたので西暦とかも自分たちの記憶で使っていて、実際の西暦ではない、とか。
カヲルは第1使徒、つまりアダムという特殊な使徒なので、世界が変わっても記憶は持ち越せているのだと思います。何度も死んでいるけど記憶だけは持ち越せて、だから死ぬのも恐くない?
冬月先生の行動は推測でしかありませんが、ゲンドウ同様ユイが好きだったことは判明しているので、ゲンドウにつきあってユイに会える人類補完計画を応援してたけどどこかで悪いことしているという自覚があり、最後はゲンドウの味方もしつつ自分の心に従ったのでは。
アスカのシーンも2枚会ったの自分が確認できてなかったのでこれもスキップで。
惣流はテレビ版で死んで、式波は波シリーズでクローン、なんだとおもいます。
アスカは破で使徒化してしまい、中から出てきたのはあれを取り出すことで使徒化できたので、使徒化を抑える存在だと思います。
加持さんはまったく描かれてないので今後のスピンアウトに期待。破の最後に出てきたQ予告が実際には予告じゃなくて、破とQの間の14年間を表現しているようです。司令服のカヲルくんとか、山に登ってるゲンドウと冬月とかいるので。
本当は純粋なエンターテインメント路線だったのですが←
コアなオタク層を無駄にするわけには行かないので旧劇のネタも仕込んでみた所存ですw
ちょっと乳好きなところも見えちゃったけど・・・気にしないでね!」
マリ「いやーありがと!
私のかわいさは二十分に伝わったかな?」
アスカ「見てくれたのは嬉しいけどちょっと恥ずかしいわね・・・」
ゲンドウ「見てくれありがとな!
正直、作中で言った私の気持ちは本当だよ!」
では、
シンジ、マリ、アスカ、ゲンドウ、レイ、俺「皆さんありがとうございました!」
終
シンジ、マリ、アスカ、ゲンドウ、レイ「って、なんで俺くんが!?
改めまして、ありがとうございました!」
本当の本当に終劇
そっくりさんがパシャったのはアスカの発言からネルフから離れて活動していたからと思われる(ネルフで液体に入ってプクプクとメンテをする必要がある説)。
同じクローンの式波がパシャらないのは使徒を組み込んだからと考えている(アスカと使徒が一体化するのはネルフ、ゲンドウの意図だとしても辻褄が合う)。
ではマリがクローンだとしたら、どうやってパシャらないようにしているのか?
冬月の「イスカリオテのマリア」発言からクローンではなく単に使徒と捉える方がしっくりくる。
マリが使徒、生命の実の側であると考えると隔離部屋に本を溜め込み知恵の実側の知識を欲している様子とも合致する。
混同されやすいが知恵と知識は全く別のものであり、マリはあくまでも知恵ではなく知識だけを求め、知恵には立ち入ろうとしない。使徒とヒトをわきまえていたからだろう。
そう考えると知恵を絞って生きている第三村にマリだけが入っていかないのも頷ける(冒頭で「迎えに行く」とマリは言っておきながら迎えに行かない!)。
4 過去作とむすびつけて語ることができる
8 メインキャラクター間のやりとりが過去のストーリーから納得できる
9 メインキャラクターのその場の感情が理解できる 「今シンジは落ち込んでいる」
12 破の予告内容がまだ映画化されていないので、以降の作品は偽物だと思う
16 カオル君は俺の嫁
さあ…
不明 俺は京大教授パワーでクローンでも作ったんじゃないかなぁと思ってる
死んだ時間軸で蘇るんじゃなくカヲルくん作の死海文書と生命の書に従って世界ごとだいたいループしてるみたい
普通に死んだのにシンで出てきたのはアスカ同様13号機の中に残滓としていたからっぽい 加持さんがいたのは不明
ゲンドウの目的の手伝いもするしマリの目的の手伝いもするしユイの目的の手伝いもしてたっぽいからたぶん自分の教え子が好きなだけだと思う
全エヴァ貫いたのとは別に全アダムスの器が順番に消えていくって描写だと思ってる
13号機に取り込まれたときに迎えに来たアスカオリジナル?と新劇で普通に出てきてたアスカだと思う
破で3号機に乗ってたときに第9使徒に侵食されたっぽい 眼帯とL結界中和してた柱みたいなので封印してたけどコード999で使徒パワー開放(解放後にパターン青って言われてる)
さあ…
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
魂の移動くらいはスナック感覚でやる作品なんで、若返ったんじゃなくマリもその要領で新しいボディに魂を移して、今の個体では破で初めて搭乗したと思われる
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
色んなエヴァンゲリオン作品(TV・旧映画・新映画・漫画、etc)を生きてきて全ての記憶を持ってるくらいの解釈でいいかと
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
シンの冬月先生は個人的な野心は特になく、教え子の選択を見届ける教育者としての生を全うしたように見える
超雑に言えばエンジョイ勢
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
絵コンテのモノクロの世界に還りかけたシンジくんを迎えに行って世界に色彩を取り戻したのがマリ
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
惣流と式波は別のキャラなので、惣流はそもそも新劇には存在しない(はず)
惣流は人間の両親がいるが、式波はデザインベイビーだから両親といえる人間がいない
おそらく綾波型クローンと式波形クローンはアプローチも完成度も違う
式波は生存競争させて完成度を高めたライオン方式、綾波型は数撃ちゃ当たるマンボウ方式かと
2枚残ってたのは見逃した
破で体を使徒に乗っ取られかけて一命を取り留めはしたけど左目は人間に戻せなかった
村を囲んでた棒のミニ版を左目に埋め込んで完全に使徒化するのをなんとか抑えてた
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?なんか私が見てないだけでウィレ?ができるまでの映画とかアニメとか設定とかがあったの?
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
これはただの予想だけど今更エヴァンゲリオンというブランドの商売を止めるとも思えないんで、今後はガンダムみたいに庵野秀明が総監督からは退いた形で、マリという人間やアスカの14年間や加持のサード強制停止とかをスピンオフで補完していくのかなと思ってる
就職先の人間関係をよくして長く働くという程度のことではなかろうか?
はずれ(人間性ぶっこわれ)のおじさんやおねえさんばっかりだったけどそのうち同僚のシンジくん(まとも)と職場恋愛してみた
まあこのままだったら結婚する的な
じゃあなんで一人だけ老けてないの?
作内で明言されてないけどマリはLCLに最初から触れる機会があったのかね。
も在り得るね。アスカもTVでは親がいたけど映画は人造人間だっていうから。
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
それだとアヤナミそっくりさんみたいに「覚えてない」ことになるので、TV版や漫画版EVA(=並行世界)の記憶があるくらいのことではないかと。
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
単に自分の研究そのものやそれを引き継いだユイやゲンドウを完遂させたかっただけでは。世界の謎をいきつくところまで見てみたかったみたいな研究者にみえる。研究者ってのはマッドサイエンティストかどうかは他人が決めることで本人はとことん知りたいだけの人。
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
わからないけど、自分のEVAに8-12号機をたべさせてたんで食べたことでかわったんじゃないの?
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
人造人間(クローン)だからもとになった人間がいるのかもしらん。TV版にはでてきてた。それをシンジが補完計画やめさせる程度のちからをもてたことで全世界を見渡す眼をもっちゃって知ったことで写真としてでてきたのかも。そもそも序破急シンとおして加持さんがかたりかけてくる知識もシンジの知識だけではありえないことなので、水先案内人として最も適した魂をだれでも呼び出せたみたいな。
Qでみた眼帯は破でエントリープラグごと噛み折られたときのダメージかとおもったけどよくかんがえたらLCLにとけた人間は全身再生できる(TV版)。
今回で眼から赤い模様のついた柱出してた。これはパリに立てたり農地を囲んでた柱の小型版。使徒や補完計画の赤い世界から人間を守る効果がある。アスカはこれを眼にうめこんでおくことで使徒としての暴走をおさえていた(けどどうしようもなくなったら暴走を手段としてつかうために自力で排出できた)ということがわかった。
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?なんか私が見てないだけでウィレ?ができるまでの映画とかアニメとか設定とかがあったの?
ないけど、強いて言えば破でゲンドウにようやく手に入れましたって差し出してたシーンがそれ。TV版ではゼーレとゲンドウのダブルスパイだったしミサトさんとの話もいろいろあるので見れば「こういう人物ならサードインパクトを命がけで停めるわな」「ミサトがいうんだからまちがいないだろ」と納得いくかもしれん。
みてない
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
ok。TV版と旧劇場みてた人間からすると「ゲンドウとシンジ、本格的に狂ってしまったのはどっちだったんだ?メリバなのか?」って悩んでたので。
TV版では狂ってしまっても仕方がない扱いをシンジはずっと受けてた(それは冬月が仮説をたてゲンドウが実施しミサトらネルフにやらせてた計画すべてのしわ寄せを受ける立場で)とおもうんだけど、最後に真っ白な世界でみんなに拍手をうけておわる
そしてそこまで苦労して世界はもとには戻ったかというと戻らず破滅のままだったことが旧劇場版であかされた
となると拍手ってのは脳内妄想だけなのでは?ってならざるをえない
やはり限られた狭い人から承認をうけただけでは人は救われない(手術がおわっても入院生活が続くようなもの)
世界ごと祝福されていないといけない
俺 現実に生きろというメッセージがキツすぎてすぐには受け止めきれ無い、つらい
友達 アスカ可愛かった、アヤナミ可愛かった、前向きな終わりでよかった、考察するぞー!
お前らはどっちだった?
自分から考察とかしてる人じゃなくて単なる人の書いたのを読んだだけだけど答えてみる。
明示されてない。
漫画版読むとユイの事が好きだったらしいからユイの息子を助けたかったとか、ユイ自身の思いを継いだとかそんなところ?
メタ的な視点では真希波=デウスエクスマキナ(機械仕掛けの神:ギリシャの演劇で終幕のためにオチをつける役)じゃねーのって言ってる人もいる
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
これも明示されてない。
綾波、式波がクローンだったから~波なマリもオリジナルマリのクローン説とかある。
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
生命の書っていうのに名前を書いているとやり直しても記憶を保てるとかなんとか。
メタ的に言えば旧劇場版や、その他の展開の記憶を持っている、くらいでいいんじゃね。
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
刺し違える気はなかったと思う。
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
俺が覚えてないから回答できない。
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
式波のオリジナル説と、惣流アスカラングレー説を見かけたけど惣流でいいんじゃね?
破で第九使徒に浸食されたのを封印柱で使徒化しないように封印してた。
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?
破の最後で起きたニアサードインパクトは月から投げたロンギヌスの槍で途中で止められた。
一方Qでは槍が2本刺さってたからカシウスの槍で止めたんだと思う。
槍ってなんだよ!
そんなもんはねぇ!
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
アラサー、アラフォーオタクの心にしこりになって残ってたのは、テレビ版、旧劇場版(Air/まごころを、君にとかEoE)で3回も物語に決着がつかなかったことなんだと思う。
特に旧劇場版は監督のメンタルがやられてたせいで「他人はいないといけないけど、近くにいると傷つけあう。それでも現実に戻らないと」みたいな結論になって、その結果アスカの「気持ち悪い」で締めることになった。
それが今回のシン・エヴァンゲリオンでは前向きなメッセージで終わることが出来たから、エヴァを追ってきた人は成仏できたんだと思う。
そこに至るまでのシナリオが陳腐だとか、アクションシーンが序、破に比べてQ、シンはイマイチとか、俺/私はアスカとシンジ/カヲルとシンジのカップリングが見たかったんだよ!みたいな嘆きも一部残ってはいるけどね。
昔エヴァ見たとき、ATフィールド持ってる使徒ってどうやって倒すの~~?とか、
超強力ハイパービーム出すラミエルどうやって倒すの~~?とか、
2体同時撃破しないといけないイスラフェルどうやって倒すの~~?とか、
クソデカ質量で大気圏突入してくるサハクィエルどうやって倒すの~~?とか、
レリエルのディラックの海とか意味わからんし今度こそ完全に終わったじゃん~~?とか、
そういうワクワクする戦闘がシン・エヴァ(ヱヴァ)には一切なかった。
まあ今更「ATフィールド持ちに対してどうやって倒すの~~?」とかこすられても冷めるわ冷めるんですけど、真新しい特殊戦闘はなかったっす。
最後のほうとか、デザインは洗礼されてるけど別に特殊能力とかなさそうな数の多いモブ使徒とモブエヴァが大挙してきて、アスカとマリもなんかよくわからんけどシンクロ率めちゃ高い動きしてるし、技術発達によりアンビリカルケーブルの制限もないし、超兵器あるしでスーパーロボット大戦で倒しましたって感じで、映像はよく動くけど面白みはなかった。(そういえば昔のスパロボF、初期エヴァは宇宙に出撃できなかったのが懐かしい)
お元気ですか?
昨日、僕は久しぶりに姐さまのことを思いながらトイレでオナニーをしました。
姐さまの白いプラグスーツ姿はとても素敵です。
と言いつつ劇場にはまだ足を運べていません。笑
今から、姐さまが大画面を所狭しと縦横無尽の活躍をされていることを想像して興奮しています(性的な意味ではありませんよ笑)。
ですから、ネタバレをひたすら避けている状況なのですが現代のインターネット社会ではそれも難しく、うっすらと姐さまがバカシンジに選ばれなかったらしいということがわかっています。
ああ姐さま、だから、あれほど……。
それにしても姐さま。
お互い遠くに来ましたね。
姐さまと出会った時は文字通り姐さまだったのに、あっという間に僕の方が年上になって、今ではおじさんです。
次に姐さまでオナニーする時には僕はおじいさんになっているかもしれませんね。笑
夫と一緒に見に行ったんだけど、なんか夫は納得?満足?してて、余韻に浸ってるのかなんなのかわかんないけど、そっとしておいて欲しい…みたいな空気出してるから聞けない
漫画読んでないから詳しく知らないんだけど、マリは冬月先生のとこの学生さんだったらしいけど、じゃあなんで一人だけ老けてないの?
エヴァに乗ってると老けないみたいな設定?だったけど、マリがエヴァに乗ったのってQの最初の方で加持さんと一緒にいたところが初めてじゃないの?時間軸が違ったの?
それともエヴァパイロットだから老けないって言う設定とは別の設定があるの?最初からカオルくんみたいに人間じゃなかったってこと?
カオルくんはループしてるみたいな話だったような気がするけどループしてるってどういうこと…?
Qで死んだカオルくんとは別のカオルくんも色んなところで死んで、また月みたいなところの棺桶から同じ姿で生えてきて、死んだあとの時間軸にカオルくんとして登場してくるってこと?
冬月先生は何がしたかったの?自分のとこの学生がヤバい道に進んで取り返しがつかなそうだから一蓮托生で最後に刺し違える気持ちだったってこと?
マリがエヴァをたくさん食べて、シンジくんを迎えに来たときにエヴァの姿が色々切り替わってたけどあれはどう言う意味があったの?
アスカのシーンで、回想しながら沢山のアスカの写真が一枚ずつ消えてったのに、レイの説明の時には一枚しか写真が残らなかったのに、アスカの時には最後に2枚残ってたのはなんでなの?
惣流と式波で2枚?じゃあ惣流ってどこで何してんの?出てこなかったよね?
アスカってなんで眼帯してるの?あの眼帯の中はどうなってたの?中から出てきた青いのはなんなの?
加持さんがサードインパクトを止めたって言う話だったけどどうやって止めたの?なんか私が見てないだけでウィレ?ができるまでの映画とかアニメとか設定とかがあったの?
どうでも良いけど、ミサトさんと加持さんガンダムSEEDのマリューラミアスとムウラフラガみたいだなって思った
なんかみんな満足とか不満足とか判断できるくらいには理解できてるみたいだし、アラサーアラフォーのオタクの共通言語的な雰囲気の作品みたいだし見てみるか〜って今年になってから見た私みたいなにわか知識では全然理解できないシーンばっかりだったけど、多分、シンジくんはお父さんと和解?できて、中学生の頃の初恋みたいなものにもケリがつけられて、自分が不幸にした世界でも頑張って生きてる同級生を見て立ち直る決心をして、ハッピーエンド的な感じで大団円ってことで良いんだよね…?
ヒカリの父親が「うちの娘は下ごしらえが上手だから美味しい」みたいなことを話していたと思うけど、下ごしらえが重要な具材ってなんだろう?
一つはアクの強い食物。例えばタケノコとか。もしかしたらドングリなんかも食べるのかもしれない。
ただ、絵は植物という感じではなかった。青っぽい皮のようなものがついた白い身に見えた。
ただ、あの世界にクジラはいないと思われ、そうなるとペンギンなのかなぁという気がする。
青っぽい皮してそうだし皮下脂肪が多くて臭みを取るのに下ごしらえが重要になりそうだし。
シンジ君が来たからとペンギンをしめてご馳走を作ったのかもしれない。しめたわけじゃなく塩漬けかもしれない。でも塩だって貴重だろうから塩漬けは作らないのかな。
というわけで、あの料理の具はいったいなにが予想されているのか知りたい。
普通、手で稲を植える時は後ろ向きに進むらしい。作中のように前向きで進むと植えた苗を踏むかもしれないから。実際そっくりさんは足を取られて植えたばかりの苗をダメにしている。
どうして前向きで植えたのだろう?
あそこまで小さい棚田だと後ろ向きは転落などで危ないから前向きに進んだのではないか説、元々農作業をしていない人たちが始めたから素人っぽさを出す演出説を確認できたけど、それ以外にはないのだろうか?
例えばプラグスーツのお尻が破れていたからとか。それとも前向きで田植えをすることは珍しくない?
テレビ版を見ている人にとって加持君の印象はだいたい共通したものがあると思うけど、新劇のみを見た人は加持君の印象ってどんな感じなのか知りたい。
鑑賞中、アスカはケンケンに加持君の代理を求めているのかと思ったけれど、あとから考えると新劇でアスカは加持君にちょっかいを出していないので、それは明らかに間違いだと気がついた。
新劇だけを見た加持君はどんな印象で、シンを見て違和感とかないのだろうか?
マリの描写が足りないのでは?という意見はよく見かけるけど、そういう意見を持つ方にとって加治君の描写は十分だと考えているのだろうか?
冒頭のパリ奪還でいつものようにマリは歌っているけど、真実一路のマーチだけ歌いかたが可愛くない?
マリっていうよりも坂本真綾が演じる他のロリババアみたいな感じで、演出の意図だと思うけど、意図が全くわからない。
あと、あそこでリツコの台詞が「カチコミ完了」に聞こえるんだけど「書き込み完了」?
書き込みだと思うけどシンは変な語感の言葉多くない?ニアサーとか。
ニアサーという略し方は矮小化することで実はそんなにシンジ君を恨んでいなかったという演出なのかと思うけど、引っ掛かる言葉が多かった。
私も庵野、庵野というのがイヤなタイプで、そもそもどれが庵野秀明が意図したものでどれが庵野秀明以外のスタッフが意図した演出なのか私は知らない。
決裁という意味ではすべての演出に庵野秀明は関わっていると思うけど、そうではなくエヴァンゲリオン博士は見分けているのかもしれない。
なので、どこをどのくらい庵野秀明が関わっているのか、その見分け方を知りたい。