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今では信じられないことだが、90年代~10年代はリベラル論壇でサブカルチャーの作品や作家について深く思考し語れているか?が論者として凄いかどうかの基準のひとつ。これが暗黙の前提だった。
だから宮台真司も東浩紀もサブカルチャーについて語っていたし、そんな風にインテリにレペゼンされるのが嫌な野良の書き手と謎の小競り合いが起きて……とモメ事もその周辺で延々繰り返された。
このレペゼン枠争いはいまでも岡田斗司夫のオタキングという通称だったりがその時期の文化遺産として名残が残っている。ユリイカがたまにマンガ家特集やったりしてる所なんかもこの名残のひとつだ。
何にせよこの戦いでは深く理解をする、少なくとも理解をしようと務めた者が勝者であり価値として認められていて、これだけは立場、思想を問わず共有されていた。
これが10年代に一気にかわり、理解しているか?よりも反省させているか?が価値となった。迂闊な表象を出した作家や企業をどれだけ炎上させ反省させたか? 理解の深さを競うゲームから一抜けし、かわりに誰かを反省させることをリベラルは選んだ。
これが便利だったのはサブカルチャー批評はキャラの造形、関係性、物語、世界観、作家の意図、フェティッシュ、社会反映、二次創作での扱い。そのすべてに目配せし応答できる知能が求められたが、反省させるのは目に入った刺激に反応するだけで良いので猿でも出来る事で、強力な利点だった。
だから議員になりたての売れたい中年やバズりたいだけのNPO代表なんかがこぞってこの反省ブランディングに手を出すようになり、……このへんから後は皆の記憶に新しい内容がそのまま起きていった。
20年代には誰かを反省させた=凄い奴。が蔓延しきったのでそれに続いて、自分は反省した=凄い奴と、どれだけ反省させたか競争に更にどれだけ反省したか競争までもが加わり不毛さとナンセンスさに更に拍車がかかった。
これは当初は理解の深さで勝負してたのに、いつしか反省の深さで勝負するようになったTBSラジオの宇多丸なんかが最もわかりやすい例だろう。
今の売れ筋はtoxicマスキュリニティで、反省用アクセサリーとしては最近話題になった御茶ノ水の人なんかは全身これで固めていたし定番アイテムとなっている。
この辺りの時期ですでに宮台は映画語りだけを残し撤退していたし、東浩紀は観光客をキー概念とし、レペゼンの万能感から離れ不能さに留まることを選んだ。
このリベラルの入念で計画的な自滅によってサブカルチャーを通してリベラル的に何かを考える思想の蝶番そのものが場所とプレイヤーの両面から壊れ修復不可能になっていった。
保守やヘイターの手によってではなく自分たちで壊すことを選び、現状フィールドに残ったのは壊すことで延命できるような既に賞味期限きれなのをごまかしている評論家だけになったし
新しく出てくるプレイヤーも落合や成田のようにITビジネス系とつきあう形を選びサブカルチャーにはそもそも深入りして言及する事自体あまりない。
こうやって入念に登場の準備をお膳立てし、鍋も具材もすべてリベラルが自らの手で揃えきったあとに現れたのが暇空だった。
こういう流れがないとなぜ彼がやたらとHUNTER×HUNTERの話をするのかエロゲではランス10が最高傑作だったという話をするのかも意味がわからないし
なぜ他の候補のマンガ賢者ブランディングに対し対談で謎のクイズおじさんと化して企画を破壊してまで暴くのかそのメリットが恥をなぜ上回るのかもわからないが
彼は要はこの系譜の忌み子として出てきており、リベラル論壇が自分から手放したここの客層を単におさえただけだ
そしてその上から保守っぽさアンフェミっぽさをメッキで後乗せして支持の総量を増やそうと形づくっていってるのだが、リベラルはあまりにも愚かなのでこのメッキを本体だと思ってミソジニー枠で処理しようとしていて、ほんとうにどこまでいっても愚かだなと感じる
コーディングインタビューするときにその辺のセンスを問うような問題を出すようにはしてるね。
最近の採用はインターンからが多そうだから、そもそも一緒に働いて難がある人は採用されないようになっている気がする。
入社してからは可読性・保守性大事って相当叩き込まれる気がする。
コードそのものの書き方もコードコメントもそうなんだけれど、コミットログとかレビュー依頼とかからも気を付けるようにしている。
レビュー依頼でもその変更をするにはどういう背景があって、何をやっていて、選択肢がある場合はなぜこの選択肢を選んだのかについて説明する。
競技プログラミングをやる人を採用するにしても、末端のプレイヤーではなくて競技プログラミング用のライブラリーを保守・メンテナンスしている人を採用したほうがいいと思う。
保守・メンテナンスには長期のメンテナンスという視点がどうしても不可避だと思うので、産業としてのプログラミングを割と理解しやすいかすでに理解していると思うので。
欲の有無はでかいと思うよ。
田舎暮らしで30代後半だけど親と同居の手前20代前半で結婚を諦めたので、
知り合いの結婚式に出席する度に捨てるつもりでご祝儀は出しているし、
兄弟の家族には出産・入学祝いや甥姪のプレゼントに100万円近くは使っている。
惜しいなというよりも社会的に仕方ないかって思っている。下の世代にはお金のことで大変な思いをしてもらいたくないし。
田舎に帰ったときに、東京にはあれがあったこれがあったと思いながら暮らす余生をイメージすると非常に辛く惨めになりそうだったので、
そのときは都会的な欲を刺激するようなことはせずに過ごした。これは性格差が出ると思う。
今の若い世代は大学進学の関係上、かなり高い確率で都会的な暮らしをする時期があるので、
今25歳で女です
ここ3、4年ありえないレベルで抜け毛がひどくて本当に困ってる というか完全にハゲてきてる
元々細くて柔らかい髪質でぺたんこにはなりやすかったんだけど、薄毛ではなかった
後ろ姿の写真撮っても全くつむじが気にならないくらいのボリュームはあった
1ヶ月半に一回くらいのペースでカラーもしてたけど髪の毛が特別痛むこともなかった
2021年の8月ぐらいに初めてコロナのワクチンを打った 9月には2回目を打った 両方モデルナのやつ
ちょうどその時大学がオンラインで、あまり人と会わなかったから自分の髪の毛について全く意識してなかった
その年の12月ぐらいに久々に友達とご飯を食べて、斜め後ろから撮った自分の写真を見たときに、「あれ、なんかつむじ割れてない?」と思ったのが全ての始まり
写真で見るといわゆるつむじハゲ、つむじ割れみたいな状態になってた
そもそもつむじハゲがどういう状態なのかもよく分かってなかったから、えっこんなことあるんだ?って驚いてた
きっと前の日の乾かし方を間違えただけだろうと思って、
その日の晩は念入りに髪の毛を乾かした 割れそうな向きと逆方向に風を当てるように、頭皮をわしゃわしゃしながら
え、なんか薄くない?地肌見えてない?ちゃんと乾かしたのに割れてるじゃん……
毎日乾かし方をあれこれ工夫して試してみたけどやっぱりつむじ割れが直らなくて、
でも直らなかった
頭皮が脂っぽいのか?と思って頭皮用のトリートメントも試してみた 駄目だった
頭皮はさっぱりしたけど髪の毛の量は戻らなかった
そういえば抜け毛多くない?これって前から?なんか髪の伸び方もだらんとしてて元気がない気がする、なんで?
肩下まで伸ばしてもキレイなストレートになってたのに、その頃の私はなんだかお金がなくて美容室に行けない人みたいだった
2022年3月頃 髪が傷んでるから駄目なんだ、いっそ短くしよう!と思い、肩上のボブにした
見栄えは少し改善されたけどつむじ周辺の薄さは直らなかった
なんで?
その頃には鏡を見るのが怖くなった 友達に後ろ姿を見られるのが嫌になった
それでも、まあ時間が経てば直るだろうと思った
髪の毛のことはなるべく気にしないようにして、後頭部の写真を撮るのもやめた 髪型はショートボブをキープするようにした
つむじというか、つむじや分け目周辺の髪の毛の量が著しく少なくなっている
正面から見ると普通だけど上から見下ろすと一目瞭然でハゲていて、完全に地肌が見えている状態になっていた
もうこのあたりからはずっと憂鬱で、人前に出ると髪の毛のことが気になって仕方なかった
友達には「元々猫っ毛だからじゃない?」と言われたけど、その友達も私の(正面以外の)写真を撮るのを控えるようになっていた
あ、本格的にやばいな…と焦りを覚えた
自分はびまん性脱毛症という病気なのかもしれない、と思い始めた
食事や睡眠時間により一層気を遣うようになって、ジムにも通い始めた
肌は綺麗になったし痩せたけど髪は戻っていない
まだ25なのにハゲるとか嘘でしょ?
つむじが割れるとか最早そういうレベルでもなく、どれだけ気をつけてセットしても地肌ががっつり見える
背が低いので余計に気になる
街を歩くと大多数の人は私を見下ろすことになるけど、「うわ、ハゲてるな」って思われてるんだろうか
ハゲる前から、ストレスらしいストレスもないし、生活習慣も元々規則正しい方だった 食べ物もどちらかというと少食だった
なんで?ってずっと思ってたんだけど、カメラロールにある自撮りを見た感じ、
ワクチンの副反応で苦しい🥲みたいな写真の3週間ぐらい後の写真から一気に髪の量が減ってる気がする
でもワクチンの副作用で抜け毛進行したんだとしたら、もう私何もできなくない?どうしたらいいの?
いやワクチンのせいではないと思う、自分でもこんな仮説バカげてると思う、でも他に原因が思いつかない
病院行けばいいの?もうでも手遅れだよ、今更何やっても遅いよ
多少の成金になって実感するのは年収5000万円程度は金持ちヒエラルキーの中で下の中程度ということ。
それを感じるのはいろんなところであるけど自分の場合は車選び。
小僧のころにあこがれた国産スポーツカーはもはや絶版車で、じゃあせっかく金持ちになったからと高い車を選びだすと途端に現実が見えてくる。
1億円~の車はモロモロを切り詰めれば買えないこともないけど、あれはそういう買い方をする車じゃない。
じゃあ半端な車好き小金持ちは何を選べばいいのか。
フェラーリのような工芸品を維持する情熱はない。ドイツ御三家やレクサスなんかも1500万円程度では成金根性を満たせない。
(関係ないがマカンの素グレードに乗ってるやつら、全員リセールの事しか考えてねえだろ)
で、ずーっとここんところ考えてた。
原点に返るために、見栄を張りたい成金根性をいったん脱ぎ捨ててみた。
そうすると出てきたのが”普通に見えるけど中身はすごい”。「羊の皮を纏った狼」。
発想が古い。と自分でも思う。
でも考えるとそう。
金持ちに対するルサンチマンが自分のアイデンティティに深く結びついちゃってるからわかりやすい金持ち車はなんかイヤだ。ダセェ。
でも金持ちになったんだから単なる大衆車は嫌だ。あとスポーツカーっぽい奴がいい。SUVは嫌いだ。
Golf R
どうでしょうか。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:サラダ。夜:人参と玉ねぎとシメジとウインナーのコンソメスープ。豆腐。納豆。バナナ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
お疲れモー。
極星器の杖の4凸を作った。
極星器の進捗は剣と杖が4凸で他はまだ未取得。
自分が90HELLを周回しやすい属性のときにガッツリやろうと思いながら流れに身を任せてしまっている。
拳、斧、ヤリ辺りは使い出がありそうなのでやりたい気持ちはある。
昨今の増田のブクマ推移を見ていると東京に関連する増田のブクマが多く、そりゃまぁ東京は人口が多いんだから東京の話題にすればそれだけ多くのブクマが集まりやすいのは当然のことなんだけど、納得しつつ納得しきれないようなモヤモヤのようなものもあるというか、よくもわるくも利用されてる感あるなぁと思ってしまいました
栄養ドリンク、さも健康に良さそうな名前だが実態としてはエネルギーを前借りするための薬品を大量に詰め込んで内臓を壊しながら寿命を燃やすだけでしかない。
その癖して生薬配合だの漢方だのと言ってさも体に良いですよという顔をしてるし、パッケージだって薬瓶や養命酒を思わせるような外観を気取っている。
一方でエナジードリンクは実に毒々しい。
名前からして「ここ一番でドーピングするためのアイテム」ですよといった風だ。
サイケなパッケージにデジタル風のアイコンやモザイクを添えていて、見るからに「身体には悪いよ!」と訴えてくる。
だからこそ信用できる。
嘘がない。
こんなのを飲んだら寿命が縮むと言うのが見ただけで伝わるし、飲めば明らかにそれとわかる元気の前借りが起きる。
スポンサードする相手もプロゲーマーのような見るからに健康に悪い人生を送ってそうな連中ばかり。
令和という時代は情報の速度が加速したせいで誰もが世間擦れしている。
嘘や欺瞞はこの世界にありふれたものとして捉えられていて、その上で「まだ比較的誠実な嘘をついているか」で信用が決まる。
栄養ドリンクの嘘は昭和だけで通用した嘘であり、メディアが簡単に国民を騙せたこれだけの嘘だ。
それこそ昭和なんてのはヒロポンを単なる健康グッズとして売ることが出来たような時代なんだ。
平成の中頃からインターネットの発達もあって庶民を騙すのに必要な嘘の程度が変化してきた。
その中で、無理に騙すよりはあけっぴろげにした方がまだ信用できるという方向へと変化が起きる。
違いは結局そこなんだよな。
地域にもよると思うが水とまりやすいところは水貯めたり、地盤低めの所は玄関に土嚢積んだり、庭とか家の周りある飛びそうなもの家の中に入れたり犬しまったりいろいろあるよ
実際は環状道路の1本内側だけど、メリットデメリットを挙げてみる。
・あらゆる店が徒歩圏内にある(24時間営業スーパー、コンビニ、ファミレス、電機店、ドラッグストア、ホームセンター)
メリットの中では、特に電機店が一番便利だった。在宅勤務中にマウスやキーボードが壊れたらすぐに買い換えられたし。
ただ、デメリットのほうがどうにも耐えられないので引っ越すことにした。
急激に疲れやすくなってオタク趣味に割く体力がなくなったし、飯も量を食えなくなったし、脂物もだめになった。
酒も翌日に残るようになって平日は飲めなくなったし、タバコを吸うと頭痛がするようになったし、
性欲もなくなってから身だしなみも雑になった。
そもそも飽きっぽくて集中力もなくなって新しいものに取り掛かることもできない。
まじでこのまんま人生から全ての楽しみが失われて、老いるままに老いていくんだろうな。
そんな自分を受け入れられない人が狂うのかもしれないけど、正直狂う体力もない。
若い頃に孤独だった人は陰謀論者になりやすいみたいな研究結果が出たらしいけど
結局の所これって陰謀論にハマるのは結果であって原因じゃないよね
若い頃変な奴で皆の輪に入れなかった人が
年老いた変な奴になってスマホとかネットで陰謀論に触れて陰謀論者になってるだけで
原因は変な奴である事、悪い言葉だけど今風でいう所の「ガイジ」「陰キャ」で「キモい」から社会から排除された人達って事よねこれ
でも陰謀論者って世界的に見ても分かるように結構他人に、それも広範囲に迷惑掛けまくってるのもあって、それでこういう人達が加害者の側面も持ってしまって
余計に他人から軽蔑、蔑視されて更に孤立し、救われ難い存在へと凄い勢いで陥っていってる流れを見てると、もうこれ現代ネット社会が生み出した地獄だと思うのよね
だから、ネットが無い時代の方がこういう人達にとって幸せだったんじゃなかろうか?狭い世界で近所の人に「あの人変わってる」って言われるだけの存在だった方が良かったんじゃなかろうか?
と最近は感じるよ
カロリーで言えば700kcalぐらいになる
それまでは一本満足バーみたいなものを食べてたが、全然満足できず、10時ぐらいには腹が減ってボーッとなる日々だった
鉄火丼食べるようになってからは12時になってもさほど腹が減らない
だいたい柵で売っているが、これだと解凍してから切る手間があるし、1食分だけ解凍することができない
でも探せば見つかるから、興味がある人は探してくれよな
それならそれで地方の客取ることに専念して地方は自信持っておすすめ!とかにしときゃいいのにな
明るい、おもしろいとか元増田に分かりやすいエンタメ感がないと、エンタメ的に好きなんじゃなくて人間性に惹かれてるっぽくて嫉妬しちゃうってことか。仲良くてなによりやね。
ワイ、国内では結構大きいインターネットサービスを提供する会社にいる。
この数年、一部で競プロ出身者を持て囃す傾向があるが、それは全く幻想であることを伝えよう。
ワイの会社に来た競プロ出身者(2人いる)には、システムのパフォーマンスが出てない部分を高速化してもらったり、なんやかんやで複雑化してしまった箇所を改善してもらったりなどを期待していた。(やけに抽象的なのは特定を防ぐためで、実際はもっと我々の課題は明瞭である。)
その競プロ出身者は、プログラミングの腕は一見一流だと思う。高学歴で学生時代から競プロに親しみ、何色が云々だとか、いくつかのコンテストで入賞したりしていた。パズル的な問題を解くには確かに強い人材だと思う。しかし、企業で使うにはあまりにカスすぎて、「企業に出張ってきて迷惑をかけるんじゃなく、部屋にこもって競プロやってろ」と思うに至った。
まず何よりも第一に、コードの品質があまりにひどく、見るに耐えないものだった。「これは可読性が低いコード、ということを本当に理解できないのか?」というレベル。コードレビューで「◯◯さん、あなたは賢いからこのコードでも問題ないと思いますが、他の多くの方は◯◯さんほど賢くないので、コードが長くなってもいいからもう少し意図を掴みやすいコードにしてもらえると助かります」のようなことを何度も何度も何度も何度も言った。でも変わらなかった。「自分のコードが正しい」「動けば良い」という発想から抜け出す柔軟性を全く持ち合わせておらず、控えめに言ってカスであった。
次に、我々が解決したい課題そのものよりも、その周辺の競プロっぽい部分に勝手に取り組んで時間を消費するという問題があった。あくまで例えばであるが、データベースに大量データをインサートする際のパフォーマンスが低くて困っていた、としよう。その issue を競プロ出身者に渡すと、大量データを取得する部分を高速化したり、インサートする前の前処理でデータをソートしたりして僅かな高速化を喜ぶのである。ボトルネックはインサート処理そのものなので、それ以外の部分を改善してもユーザーに届く価値はほとんど向上しない。やんわり指摘しても「でも以前よりは速くなっています」という返答である。同様に、何らかの issue を割り当てたときも、その issue の周辺からグラフ理論の問題に落とし込めるようなポイントを探し出し、改善して喜んでいた。カスであった。
人格はそこまでガチのカスというわけではなく、ある意味では無邪気な少年のようであった。ただそれは我々が求めている人材とは異なった。競プロ出身者一人だけこういう行動ならまだしも、我々は二人ハズレを引いている。言うまでもなく人材採用は大変コストがかかるので、今後わざわざハズレを引きに行くことはないだろう。もっとはっきり言うと、競プロ出身者を採用することは無い。
世間にはまだまだ「競プロ出身者はプログラミングに詳しいすごいプログラマである」という幻想があることだろう。しかし実際は、自分の好きな領域にのめり込んでいるだけで、宿題そっちのけでゲームをやっている小学生と似たようなメンタリティなのだ。
企業にプログラマとして雇われるなら、プログラムを書くだけでなく、もう少し大きい視点を持ってユーザーに価値を届け利益を上げなくてはならない。その重要な能力が欠如している競プロ出身者は採用すべきではないのである。