はてなキーワード: まなざしとは
「フェミニスト」を一般人から切り離した言い方がまず嘘くさいなw本当にヨーロッパ行ったの?ロンドン留学で学校のお勉強してただけで文化はちゃんと学んでこなかったんじゃないの?人権意識が日本のままで帰ってきてるんだね。フェミニストの思想を共有できるかどうかって人権意識が高いか低いかの話だからね、端的に。女性好きとか男性嫌いとか損得とかあんま関係ない
よくいるよね、日常的な英語喋ってご飯食べて勉強して帰ってきただけで現地の文化歴史が全然わからないままなのに語っちゃう留学生
てか学生で学校の中にほとんどいる生活じゃ、性差別の実態なんて日本でもイギリスでもそこまでわかんないと思うよw
日本の女性が言う「性犯罪が多い」は、「性的搾取や性的な被害を軽視する風潮があるため、性犯罪に刑法的にカウントされない性加害的態度が死ぬほど多い」って意味で、「レイプが多い」って意味じゃないと思うよ。
それは言い分聞いてればなんとなく読み取れるでしょwフェミニストの言いたい事や心配や関心や心理を読み取れてない人多すぎてワイは国語力の低さが気になるよ
他の犯罪率は低いにもかかわらず、盗撮や痴漢の件数は警視庁だかのアンケの相談解決率からざっくりだけど算出される暗数含めるとアメリカの2/3くらい、人口比率やそれ以外の犯罪比率と比較しても多いよね、犯罪の少ない国って性犯罪以外の話だよねってことだし
その通りだ。1960年前後、まだフェミニズムという言葉がなくウーマンリブと呼ばれていた時代は、ミニスカートは男によるふしだら侮蔑を乗り越え女性が自由な格好をする権利の象徴だった。
だが、今は違う。『女体に対する社会の性的なまなざしそのものが女性差別の構造を産み出しているから、男が女性を性的な存在として扱わない構造を作らなければならない』という現在のフェミニズムの考えでは、女性は自分の自由意思に基づいてミニスカートを履いているのではなく男尊女卑社会の構造によってミニスカートを履かされていると考えられている。だからミニスカートを履く女性は現代フェミニズムにおいては男尊女卑社会の維持に荷担する存在だ。
ここ最近、対人関係においてとても考えることがあったのでここに残しておこうと思う。
私は社会的地位が低く、差別や偏見のまなざしを向けられることの多い仕事をしていた時期がある。
令和というこの時代にそんな話あるのか。という感じだが家庭環境が複雑で、親元から離れたいと思い、できるだけ早くお金を貯めるために働いていた。
私は出会って間もない人から仕事について聞かれることが苦手である。
社会的地位が低く、差別や偏見の目で見られることが今でもあると分かった上で、誰に頼まれるでもなく自分で選んで働いていたわけだが、いざ偏見や差別的な意見を聞くと多かれ少なかれダメージは受ける。なので誰彼問わず簡単に話せない。
よく野球と政治と宗教の話はしないほうがいいと言われるが、これは個々の思想や考えに強く繋がっていて人を選ぶデリケートな話題だからだと思う。それと同じように年収の話や恋人の有無などのパーソナルな話題も簡単に触れてはいけないというような風潮を感じる。
そんな感覚で私も生い立ちの話や仕事の話、信頼関係が構築されていない上でのパーソナルな話題についての話は聞かれたくない。もしパーソナルな話題に触れる会話をするときは、こちらから話はじめると思う。主体性をもった上での開示である。
ただし例外もある。給料が発生している場では別だ。本心ではなくともそれなりの言葉を放ってやり過ごす。
だが、給料が発生しているわけでもなく、言ったところで場が明るく楽しく盛り上がるわけでもなく、何のメリットもない場面で簡単に話す意味が私にはないと感じる。
もしくは、自分がこれについて悩んでいてこんな時あなたはどうしていたのか話を聞きたい。というような切り口で聞かれたら別だ。自分だったらこの場合、ある程度パーソナルな話題でも話すだろう。
気を使ってほしいと言うと傲慢だが、経験上信頼関係が成り立っていない状態でこのような話題を振ってくる人は自分が同じようなことを聞かれても気にしないか、自他境界がしっかりしていないかのどちらかであることが多く、後者であると厄介なことが多い。
わざわざ楽しい話でもないデリケートでパーソナルな話題に触れることで不快に感じたりトラウマを思い出す人が一定数存在すること、大げさに言うと義務教育で教えてほしい。
漫画読み始めた
・山王のキャラ、映画だとストイックな高校生たちって印象だったけど、漫画は丸ゴリが序盤はモテを意識するキャラだったりエースの人がいじられてたりキャラクター感があっておおってなった
・とにかく名作すぎてネットミーム的に使われてるコマがすごくあるから、感動のシーンで胸熱と赤ペン先生感が同時にくる
1番これは!ってなったのは「退屈なんだよお前らなんて」を蛸壺屋さんがけいおんで描いたところ
・三井さんがボコられながら「 されたくなかったら体育館出てけ二度とくんな」的な声掛けに「ちくしょう…ちくしょう…!」ってなって意地でも出ていかないシーン、感情が揺さぶられた
・桜木軍団、漫画がバスケ漫画路線確定した以降は出ないのかな?と思ったら割とたくさんでて驚いた
スラムダンクは桜木君がバスケットマン覚悟完了までを描く物語でもあるから、変化前の桜木君側を知ってる人、旅立たれる側の人がいると変化がよりエモーショナルになるのかごにゃごにゃ
覚悟完了までで全国行けるのすごすぎる
洋平君がカードキャプターさくらのともよちゃんと言われてていとおかし確かに
ジョージ・オーウェルがかつて1984年の中で予想した「ビッグ・ブラザーが見ている」世界になってしまった今、社会的弱者だとか、性的なまなざしがどうかなどを気にしながら生きていかなければならなくなった。
日々、心をすり減らしながら働いて、ほんのひとときの慰めすら焼き払われるようになってしまった令和2年の空気に、政治的な正しさとやらが自分たちの日々のくらしにはなにももたらしてくれないことに気づきつつも、いつかは報われる、そう思いつつ過ごしていたと思う。
一見、素晴らしく見える言説。
貧困をなくそう、飢餓をゼロに、すべての人に健康と福祉を。
SDGsの17のゴールについて、文句を言う人はいないだろう。だって、そうあった方がより良い社会に見えるから。
これに反論するには、謳われているこれらのテーマよりより強い強度で、反証しなければならない。
しかしこれらのゴールは、そもそも反論する必要すらない、無敵の命題なのだ。
ひとは多くのテーマを投げられると混乱してしまう。マジックナンバー5と言われるように、17のゴールなんて扱えようもない。
それでもテーマ単体はそれぞれどうしようもなく正しい。ただしいのだ。
そうやって少しずつ罪悪感を逆手に取り、気づかないうちに、正しさを盾に作り上げてきたディストピアは我々が暮らす社会を次第に蝕んでいったように 思える。
こんなことネットで言ったら社会的に死ぬよね、みたいな枕詞をつけて、対面で、「ここだけの話」をするようになってしまっている。
1984年で描かれていた監視社会は気がつけば現実のものとなっていた。
そんな時代に暇空茜氏が登場したのは痛快この上ない出来事だ。
私はapos時代やブラウザ三国志時代の空白氏を存じ上げなかったが、Twitterにて「暇な空白」として現れた以降、フォローこそしていなかったがリストに入れて彼の振る舞いを眺めていた。
すぐレスバ対象にマウントを取るし、ピンフスキーにウザ絡みをし続けるさまなどは、見ている分には昔のインターネットが戻ってきているような気がして個人的にはめんどくさそうだけど好ましく思えていた。
彼を好ましく思わない人からは、承認欲求に狂った躁状態であるという揶揄を目にしたが、それは誤りで今も昔のインターネット然とした振る舞いの延長であると思う。
忖度なくマサカリを投げ、雄叫びをあげる猛獣でありつづけるだけであり、私のような新参から見ても変化してるとは思えない。
とにかく氏は特殊個体であることは間違いないが。そういう人なのだ。
そんな彼が暇を持て余して?始めたウソを暴くという戯れだが、この話を追っていてずっと感じていることがひとつある。
彼は一切攻撃していないのだ。
ただ淡々と記録をつまびらかにし、過去のデータや発言と照合して、それらを解説してオープン化しているだけにすぎない。
それが攻撃だと感じるのであれば、自身の振る舞いを顧みた方がいいと思うが、それはまた別の話。
正しい「とされる」ことをしているから、多少難があっても多めに見てもらえる、というバリアが彼の行動によって無効化されつつあるように見える。同時に相手がたの反論や非難の矛先を全て彼が受けることによって、矢面に立ちたくない、立てない事情がある他の人間も行動に参加できるようになっているのだ。
結果、暇空氏が一人で叩き出せるダメージよりも遥かに大きな数値を稼ぐことができていると思う。
むろん、暇空氏一人が攻撃もしなければならない場合だったとしてもかなりの数値だと思うけれど。
こういった暇空氏が端緒となった調査行動だが、彼が裁判費用として集め始めたカンパの金額を見るに、社会的に大きなムーブメントが産まれていることは疑いようがない。皆、彼に望みを託したいのだ。一方で、Twitter以外のソーシャルメディアではこの話題をあまり見かけない。
だからマイナーな運動なのだ、影響はないという意見になってしまうのはわからないでもない。しかしこれは(あくまで私の個人的な見解だが)実態を窺い知ることができないという観点から正しくないと言えるだろう。
私のFacebookのフレンドには、暇空氏が言う83-2人委員会の人間がいる。「ナニカ」に近いと目される組織で勤めている人間も複数名いる。財団の犬も。
社会人として、そんな交友関係の中で、この関連の記事に言及なんてできないのは自明であろう。
関係性に色々なグラデーションがある中、83-2人委員会に名を連ねているけれど、今のあなたの見解は?なんて今のインターネットの世界で聞けるわけがない。そしてそもそもFacebookは国内においては仕事の告知や自慢しか流れてこなくなっている斜陽気味のメディアだ。
わざわざ、波風を立てるようなことを書かないのだ。書いてしまうような人は狂人であろう。(おそらくその手のタイプの人はフレンド関係のままだけどフォローをはずされているだろう。)
しかしながら、わたしと同じようなソーシャルグラフを持つ友人とリアルで飲む時に、ポロッと話題に出してみると面白い反応を得られるのだ。
お互いの認識を恐る恐る確認するようなやり取りをした後、「あれまじでやばいよね」みたいな形になる。
そして、「暇空にカンパしたもん」というように、陰ながら支持している旨を明かす。「おれも」と返す。そして、「これはFBでは言えないよねー」「そうそう、角が立ちすぎる」なんて会話になるのだ。
極めて個人的なサンプルであるが、800人くらいフレンドがいる中で、その中で近似したソーシャルグラフを持つ200名の中で、たまたまリアルで会う機会があった人のうち15人弱がそんな感じだった。
普段積極的にインターネットに触れている党派性に染まっていない層はWBPCの話について好ましく思っていないと思っていいんじゃないだろうか。
一方で、ソーシャルグラフが近くない友人、実家近辺の友人や大学時代の友人はこの問題を認知すらしていないからここが課題だと思われた。
左のいつメンがいれば、同様に右のいつメンもいて、一般的な生活者だったらどっちのいつメンの話も聞きたくないのだ。怒りに満ちた言葉や、皮肉になってない当て擦りの言葉なんかもう、たくさんなんだよ。
そういういつメンは言葉遣いも悪くなる。怒っている人には近づかなくない。だから先鋭化する。
そんなところに突如として現れたのがこの冷静さに満ちた動きなのだ。観客をするにもリテラシーが必要とされる。
かわいそう、良さそうといった感情によって蹂躙されてしまった社会と世間を取り戻す智慧の革命と言っても過言ではない、かも。
あけすけに語られる不恰好な言説ではなく、冷静にウィットを込めて、時には自虐も入れてソフィスティケートされたうえで投げかけられるから、抵抗なく飲み込める。これを冷笑という向きがあるのかもしれないが、そう知覚してしまうこともわからないでもない。しかし、冷笑というよりはポップであると感じる方がおおいのではないだろうか。
本件はもはやcolabo問題ではない。
ナニカが何かは観客席の人間からはわからないが、最終的にはナニカ疑獄に収束すると思うし、そう願いたい。これは静かな、静かでポップな革命だといえよう。これがきっと、戦後の本当の終わりを示す標なのだと思う。
…
だけど現実ではいまの時代もちろん無理で、理由は性的まなざしにさらされた女子たちが傷つくからだってのも当然ながら理解してる。
…
どうか、男の誠実さに下心を含めないでほしい。
美しくも若くもない女性には価値がないので置き換わってほしいと思う。
スクール水着に萌えるしバニーガールに興奮するし、なんならマイクロビキニや逆バニーになってほしい。
ピュアな女子高校生、女子中学生にそういう格好で誘惑してほしい。
だけど現実ではいまの時代もちろん無理で、理由は性的まなざしにさらされた女子たちが傷つくからだってのも当然ながら理解してる。
だからオタク紳士は二次元で我慢して、胸を張ってタテマエを叫ぶんだ。
「「「「バニーガールの格好もエロくなんてないですよ!!! 性的に見る方が異常」」」」
【コップのカドでグリ美ちゃん】過激すぎて一部店舗で販売停止&批判の声集まり過ぎィ! https://togetter.com/li/828406 #Togetter @togetter_jpより
ゾーニングを求める声が多いが、「まなざしフェミが騒いでるだけ!ゾーニングの必要なし!」との声も多い
海洋堂 @kaiyodo_PR「ワンダーフェスティバル」パンフ表紙における公式キャラの性的表現について #wf2016w https://togetter.com/li/935950 #Togetter @togetter_jpより
最初のコメントが、表自戦士のきゃしゃんPによる「また #まなざし村 住人が噛み付いてるのかと思ったら割と本当にダメな表紙だった。」である
ただ、「まなざし村のフェミが発狂してるだけ!」と言ってるコメントも多数
秋葉原トレーダー3号店のエチエチな看板が1週間で外される。 https://togetter.com/li/1427855 #Togetter @togetter_jpより
「これは流石にダメだろ」という声と「フェミが発狂してるだけ!そんなにエロくない!」「表現の自由を謳うからにはこれも擁護しなきゃフェミと同じだろ!」という声があってコメ欄で長々と言い争ってる。ただ、時が経つにつれこの騒動も「フェミが問題なかった看板に難癖つけて取り外させた」ことになったようだ
福岡パルコの性風俗店の無料案内所風展示撤去に、「フェミガー!クレーマーガー!」と言う人、「さすがにこれはアウトだろ」と言う人 https://togetter.com/li/1902105 #Togetter @togetter_jpより
流石にこれはアウト派が多い様子。だが、ヒトシンカなど「フェミガー」と言ってる表自もいる。フェミが叩いてるものは擁護しないと気がすまない様子
▼ルイズピザのバイクを郡司真子氏が取り上げる!「これは流石にアウト」 https://togetter.com/li/1975569 #Togetter @togetter_jpより
何が、「女は女」だ、クソミソジニーが‼️‼️‼️
女に生まれついた時点で、どんなに努力しても勉強しても仕事を頑張っても、結局、女であること以上には見られねーって事じゃねーか‼️‼️‼️
何が自然界の掟だ‼️
お前ら男と屈伏した女の理不尽な理屈で、色眼鏡の性的まなざしで、女が生まれながらにハンデを背負わされてるってモヤモヤ話以外の何なんだよクソ
※うっすらネタバレあり
いや、「君の名は。」はなんて当時のJKに大ヒットしたんだから、女性受けが一番良いってのは語弊があるか。
あの頃から今まで新海映画を「気持ち悪い」と評していたタイプの一部の層の女性にも、今回の映画がおおむね好意的な意見なのが面白いと思ってる。
なので、理由を考えてみた。
最近、新海がインタビューで「瀧が入れ替わった三葉の胸を揉むシーンは今だったらボツにします。今の観客は受け入れないとジャッジしたでしょう」「これから金ローで放送されるたびにどう思われるか心配もしなくちゃいけない」と言ってたが、実際、今回の「すずめの戸締り」では、JK主人公すずめに対する性的な目線は一切描かれてない。
出てくるイケメン閉じ師の草太は、作中のほとんどを椅子に変えられた姿(去勢された男)としてすずめと旅をするのでそこに性欲は混じらない。
ただ、その分にすずめ→草太への性的な欲望は感じ取ることが出来る。江戸時代に女歌舞伎がえろいから駄目ってなったから若衆歌舞伎になって結局、男にえろさを求めたようなそんな感じになってる。
もう一人のイケメン芹澤も見た目はホスト崩れのチャラ男だが、すずめにもすずめの叔母の環にも性的なまなざしを向けることは一切ない。
目の前で環が顔を覆って泣き崩れても、無遠慮に体を触ったりすることはない。
ただひたすら、草太への心配という感情ゆえに巻き込まれて、一緒にドライブすることになった不憫な男である。
すずめは草太を救うために命がけで行動する。そして、最後にすずめを救うのはすずめ。自分を救うのは自分というテーマだ。
最初は、JKと大学生男の恋愛とか問題にならんのかと思ったが、新海は「すずめの草太への想いは恋心だが草太はわからない。恋愛ではなく戦友、相棒として描いた」というようなことを言っていて、草太が作中で「すずめさん」とさんづけで呼びつづけたのもそこが大きいのだと思った。
前提として「マンガのキャラは実在しない」というのはあるんだけど。
もし女性キャラ本人が実在したとして、たとえば「機関誌に載せるからパーソナルデータを教えて」と言われた場合って、おそらく胸のカップ数は言わないと思うんだよな。
「不特定多数の異性に向けて、性的なまなざしを向けられるような情報を開示したくない」と思うのが大多数だと思うんだわ。
(セクシー女優みたいにそういう視線を向けられることが職業的に得を生む場合は別として)
ふむ。一晩かけて考えがまとまった。
少年誌を掲げつつも、少女の読者が一定数いる事実を知りながら❶
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「少年キャラが」同年代の少女を性的に見ている、のではなく、主体は「作者が」❷
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ところで、職場でのセクハラが禁止されてるのは職場を変えるのが困難だから、である
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だが物語の流れ上の必然性も、こういう漫画ですよ、という事前の断りもないので避けられない❸
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未成年の少女❶ が見ている前で、大人の❷ 性的まなざしを初見回避不可❸ で見せびらかす
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=セクハラ
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少年を戦地に追いやるフィクションとの差は、セクハラか否か。セクハラ概念はフェミニストによって発明されたアイデアだが、今日では広く支持されている
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まだ、読者による不買推奨運動の選択肢が消えてない。「嫌なら読まなければいい」を推してく選択肢もありうる?◉
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作者サイドにお願いするしかない。赤の他人への身勝手な指図( = お気持ち)の断行
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= “やめてほしい”
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なお、お気持ちの内訳が「倫理観」なのは明白だ。大人が子どもにセクハラすべきでない、とは紛れも無い倫理観。誠実さのためにはそれを隠すわけにはいかない
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変に取り繕ってマンガ家側が正しいかも、などと言うのはウソをつく行為なので、むしろ失礼。まさしく「倫理観が違う」。ファン視点では自分側が正しく見える。自信がないなら最初からお気持ち表明してない。だから、誠実さのためにそれも隠さない
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= 編集部も含む制作サイドへの「価値観のアップデート」の要請
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もし無視されたり、断られたら?
↓
盗撮の罪についてずっと考えてる。
もし盗撮して本人にバレずにネットにも流出せずに、自分だけで楽しむとしたら、それは罪になるのか。
先週、ルッキズムの話題で盛り上がったときに、ブクマの人がこんな事を言ってた。
選ばれた・選ばれなかった女性に伝えなければ、乳房を理由に選別しても良いらしい。
私は反対の立場だ。間違ってると思う。それには盗撮と同じ論理が適用できる。
すなわち、社会秩序を乱した罪。
「バレない盗撮してる」/「乳房を理由に女をルッキズムで選んでる」
そうした言動・行動自体が女性たちの安全な暮らしを脅かすのは、否定できない。
多くの男がバレない盗撮をしている事実、ルッキズムで女性を選んでる事実は、女性たちの人生を恐怖に満ちたホラーに、理不尽さに心を病むような悲劇に、変える。
同じ理由で、同僚の男性を自分側の見た目だけ巨乳の女性のアバターに置き換えるのも、良くないと思う。
今現在既に、そういう試みをしていると宣言してしまっているし、完成したら彼はネットに報告するだろう。
すると、「女性の体を、性的なまなざしで見て利用する」のを既成事実化することになる。
それを見て羨ましがった増田やブクマカーが現れるだろう。しかし同じ環境を用意できないなら、欲望が高じて同僚の巨乳女性に不自然に近寄ったりするかも知れない。
社会秩序の崩壊とは、微かな粗野な言動が知れ渡ることで、もっと大それた邪悪を助長する恐れをもたらすこと。
私の話をちゃんと聞いてくれたなら、悩んでいた疑問に今や答えられるはずだ。
歴史的に革命をもたらす者って本人は猛反発にあってボロボロに朽ち果てていくけど死後結果的に本人の目指した時代がやってきたりするじゃないですか。
それまでの価値観だと異常者でしかなかった「家庭的にも社会的にも何も成していない男」が自由恋愛と格差社会の時代には普通に現れることを身をもって証明してくれた人たち。
特に当時オタクの持ち物だったインターネットをガッツリ弱者男性マインドに寄せていったのは良くて、これで下の世代がかなり"教育"された。
おかげで今は「適当に生涯独身で生きます」と宣言しても表面上は「ま、いいんじゃない?」と返すのが正しい世の中になったし本心からそう思う人も多い。
氷河期弱者男性のおかげで今の俺たちがあるといっても過言…いや過言か。でもそこそこ貢献してくれたと思う。
ただ、そうやって彼らが(部分的に)作り上げた時代に…彼ら自身はいまいち適応できていないのが残念なところだ。
まず本人らの価値観が更新されていないからいまだに妻子持ちの年収800万~年齢的には1200万あたりに「普通」のラインを置いているフシがあり妙に要求が高い。
しかもパターナリズムが抜けていない場合が多くて影響を与えたはずの下の世代ともやたらと衝突を起こす。
なんといってもずっと針の筵だったから性根が腐りきってしまっているのが致命的で、もう属性がどうとかではなく普通に付き合いたくない人間になってしまった。
最初の話になぞらえると今は氷河期弱者男性にとって死後の世界、腐りながら彷徨う姿はゾンビのようなものだから、せめて速やかに成仏してほしいものだ。