はてなキーワード: うな重とは
なんかホッテントリに若者のそんな考えが上がってたので自分のことを適当に書いてみる
まず一番大きいのがこれ。
仕事は金を稼ぐっていう大きな目的を共に行う以上、共同生活を行うことに拒否感は無いし、仕事という無くならず常に新しいネタが提供されるモノがあるのでコミュニケーションにも困らない。
けど、私生活ではたまに誰かと遊びに行くのではなく共同生活をするとなると、まず目的がない。
他人の助けを必要とするような重病や事故など今まで生きてきて一度も無いし、今後もし襲われたとしても野垂れ死ぬなり、中途半端に障害が残って自由に動けなくなっても別に良いかな、と思っている。
生活に支障の出るレベルの障害を患ったら、自己責任の旗の下で公的保障がガンガン削られていく昨今はそう遠からぬうちに死ぬだろうし。
家族を含めて、自分以外の人間と一緒に居るととても息苦しい。半年とか一年に一度ぐらいなら良いけど、それ以上頻繁に一緒に居ると話すことがなくて息苦しい。
早く一人になりたいと強く思う。
稼ぎも独身には十分だし、娯楽はオンライン/オフライン問わず豊富にあるし、ちょっとした病気やけがなら周りに病院もあるし、ホントに何一つ困らない。
夫婦仲睦まじい様子をネットや町中で見たり、子供と楽しそうにしている光景を結構見るし、それに否定的な感情は一切浮かばないが、自分と同じ世界の出来事とはどうしても考えられない。
・レース5周目、コース3つめのカーブ「リスボアベンド」手前の直線でソフィア・フローシュ選手のマシンがユアン・ダルバラ選手と接触、コントロール不能のまま高速でスピンし、後ろ向きのまま前方の坪井翔選手と接触、そのままフローシュ選手は飛び上がってしまい、キャッチフェンスとコース外のカメラマンやぐらに接触して落下した。
・なお、ダルバラ選手との接触を含め裁定としてはどのドライバーにも違反性のないレーシングアクシデントとして処理されている。
・フローシュ選手は最高速計測地点では276km/hを記録していた。他の選手は255km/h前後で通過している。
これは他車がブレーキを踏む地点ですでにノーコントロールに陥っていることを示している。
(計測地点は離陸地点から100-200mほど手前)
・クラッシュの当事者となったソフィア・フローシュ選手、坪井翔選手、カメラマンやぐらに居て吹き飛ばされた日本人カメラマン、フェンス脇にいたカメラマンとコースマーシャルの5人がすぐに病院に搬送された。
怪我の状況などの発表はここを参照
http://www.as-web.jp/overseas/432006
・コースマーシャルはコース上の危険を知らせたりなどをする旗を振ったり、クラッシュした車両やパーツの回収をするスタッフ。
・フローシュは翌日朝に手術を受ける予定。
・離陸してしまった原因の一つとして「ソーセージ」縁石と呼ばれるコース上の障害物がある。
これは、コースの内側をショートカット出来るようなカーブに意図的に設置され、カットを防ぐ目的がある。
形は半円形の筒が埋まったような形状で、高さは普通の縁石(赤白で塗られている)よりも高い。
これに乗るとレーシングカーは姿勢を乱してしまったり、最悪の場合はマシンが破壊されてしまう。
・以前から「ソーセージ」縁石の安全性には疑問が投げかけており、他のレースでもこの特殊な縁石によって空中に飛び出してしまった事例がある
Formula e 北京 ニック・ハイドフェルド
クラッシュの実際の動画に注目すると、フローシュの車が飛び上がる直前に乗っかる青いものがソーセージ縁石。
・離陸してしまったもう一つの原因はフォーミュラカー・オープンホイールカーと呼ばれる形状の車特有の問題がある
これらは一般的にF1で思い浮かべるようなタイヤがむき出しの車のタイプと考えて良い。
・今となってはかなりの高速度でのクラッシュでも打ち身や打撲で済んだり、酷い場合では骨折などをしてしまうが、命に関わるような出来事にならないほどの安全性がレーシングカーには備わっている。
ドライバーもこのような衝撃に耐えるために必死にトレーニングをし、衝撃に筋肉で耐えうる身体を作っている。
・しかし、フォーミュラカーの場合、高速で回転するタイヤ同士が当たったり、乗っかったりするとカタパルトのような状態になりマシンが飛び上がってしまうというものがある。
過去にもこれが原因で重傷を負ったり、亡くなったドライバーが多数いる。
・F1も含め、フォーミュラカーのタイヤをカバーすべきという議論も昔から繰り広げられているが、基本的には見た目上を重視していたり、「伝統的なもの」として片付けられている。
・ 他のフォーミュラカーのレースでは、タイヤを上部のみむき出しにしているが、タイヤの前後にバンパーや突起物を設置し、直接タイヤ同士が接触しないようにするデザインも出てきている
ただし、タイヤがカバーした車でもカバーが破壊されて飛び上がる事例もあるので完全ではない
・サーキットのフェンスはキャッチフェンスというマシンを捉えてマシンやパーツなどを外に飛び込ませない意図があるが、今回はフェンスの上部まで飛んでしまったため、ほぼ意味がなくなってしまった上に支柱等が倒れてしまった
・レースを行う際にはフェンスを完全に修復しなければならないため、レース中断中にすべて修復された後らレースが続行された。
・同じくフォーミュラカー特有の問題としてドライバーの頭部、ヘルメットがむき出しになっているという事がある
・クラッシュまでの一連の流れを書くと、
フローシュ選手のマシンは直線上でダルバラ選手と接触、スピンして高速状態のままカーブに突入、後ろ向きになりながら内側の縁石で飛び上がり、縁石と前を走っていた坪井選手のマシン、タイヤに当たり飛び上がってフェンスと後ろカメラマン用のやぐらに当たってしまった。
・ガードレールで防御されているカメラマンのやぐらにドライバーの頭側からマシンが接触してしまったが、「非常に運がいい」ことにちょうど穴が空いている部分にドライバーの頭部が入ったように見える。
これがやぐらの硬い部分やフェンスの支柱に頭部が接触していたら、最悪の事態はまぬがれないだろう。
・今年F1では「HALO」と呼ばれるドライバー頭部にマシンやパーツ破片などが直撃しないように設けられた安全バーのようなものが設置された。
数年前にタイヤが頭部を直撃して即死した事例や、雨でスピンしたマシンが別のマシンの撤去中の重機に当たって頭が潜り込んでしまい、後に死亡するなどの重大なクラッシュが起きたことから開発され、導入に踏み切られた。
HALOは高速度で発車されたタイヤのような重量物を弾いたり、二階建てロンドンバスと同じ重量にも耐えるという強度設計になっている。
・ここ1-2年で設計されたフォーミュラカーにはHALOが設置され、実際にHALOがなかった場合には頭部に直撃してしまうかもしれないというクラッシュが数件起きている。
・初めはデザインの悪さから導入直後には非難の声が多数ファンから発せられた。
ドライバーの視野の正面に縦の支柱が入る特殊な形状なため、視野の懸念が発生したが、実際にF1ドライバーがテストをしたところ特に気にならないという。
HALOが防いだクラッシュなどが起きてからは多少声が静まった感がある。
・しかし、今回のレースで使われているF3はHALO導入以前に設計された車でHALOは搭載されていなかった。
・フローシュ選手に後ろから追突された坪井翔選手のマシン頭部後方のロールバーと呼ばれる部分にはフローシュ選手のマシンが接触した跡があった他、坪井選手のヘルメットにも破損が見られたという報道がある。
・レースは中断中に怪我人の搬送とキャッチフェンスの修復ののち約1時間後再開、無事レースは終了した。
モータースポーツに100%の安全は無いが、積み重ねてきた安全性の結果、これだけの大クラッシュで生命が奪われるという事が無かったのは非常に幸いである。
非正規空母はある。要するに最初から空母として建造していない空母は全て非正規空母だと言って良い(ただし、日本海軍の類別に従う場合に限る)。
空母は任務別・設計別・役割別に異なる名称で呼ばれることがあるので混乱する
当初から航空母艦として設計された戦闘用艦艇のこと。日本海軍独自の言い方。
既存の戦闘用艦艇、または、商船から改造された航空母艦のこと。日本海軍独自の言い方。
フューリアス(大型軽巡洋艦から改装)や赤城(巡洋戦艦から改装)、神鷹(貨客船から改装)はこれに該当する。
現代には存在しないが、『かが』などの全通甲板型DDHが固定翼機の運用能力を獲得したら、事実上この類別として扱われる可能性がある。
飛行甲板を乗っけた輸送船。
格納庫は無い、と言われると驚くかもしれないが、これでも商船にカタパルトを乗っけただけのCAMシップよりは良かったんだ。理由……は書く必要ないよな。
現代には存在しないが、フォークランド紛争で王立海軍が運用したコンテナ船をこれと見なすことは出来るかもしれない。
アメリカのニミッツ級、フォード級、そして、フランスのシャルル・ド・ゴール級のみが該当。
ロシア海軍が原子力空母と原子力駆逐艦からなる原子力艦隊の整備を計画している……が果たして可能だろうか?
また、中国の003型は原子力となる予定。彼等は原潜を運用しているので、ド・ゴールと同じく原潜用原子炉を転用する方法を採れば建造は可能だろう。
飛行甲板を装甲甲板化した航空母艦のことで、第二次大戦期特有の類別(というか、現代の空母を指して装甲空母なんてわざわざ言わないだけだが)。
急降下爆撃で用いられる中小型爆弾に対する抗堪性が得られる代わり、トップヘビーとなるために格納庫を小さくせざるを得ず、同時期の空母に比べて排水量の割に搭載機数が少ない。
ハバクック計画(または、ハボクック計画)で建造予定だった航空母艦の俗称。
大西洋の戦いで空母不足に直面していた王立海軍が、カナダから切り出した氷塊を海に浮かべて空母を作ろうとした計画。
後に氷塊では無く、パイクリートと呼ばれるおかくずと水を混ぜた液体を凍らせた氷を使うように計画変更された。
膨大な予算と鋼鉄の消費が見込まれ、また、アメリカが山ほど護衛空母を作ってしまったり、レーダーの性能向上などの影響もあって不要と判断され、計画は放棄された。
テレビ番組『怪しい伝説』でパイクリートの再現実験が放映されている。一見の価値はある。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した攻撃目的の空母を指す類別。
後にCV/CVN(多目的航空母艦/多目的原子力空母)になった。
冷戦期のアメリカに20年ほど存在した対潜目的の空母を指す類別。
一線級機を運用できなくなった旧式空母は軒並みこちらに割り当てられた。
後に類別は無くなったが、それはこの種別に該当する空母が軒並み廃艦やヘリ揚陸艦に改装されたため。
ほぼ商船構造。いわゆる週刊空母はこれ(エセックス級みたいな立派な空母はアメリカといえども隔月刊でしかないよ)。
アメリカが冷戦期に計画した廉価な艦艇。計画は勧められたが、強襲揚陸艦に吸収される形で消滅した。
その面影はスペインのプリンシペ・デ・アストゥリアスと、タイのチャクリ・ナルエベトに残っている。
CV(航空母艦)ではなく、IX(雑役船)として就役していたアメリカ特有の区分。
Uボートや日本海軍の攻撃を受けない安全な五大湖で空母搭乗員を育成するために、五大湖用の客船を改造して用いられた。
第二次大戦の影の殊勲者。
ウルヴァリンなど。
1959年から1992年まで、空白期を持ちつつアメリカに存在した。
一線級機を運用できなくなった退役空母を訓練用途に割り振ったものである。
なお、空白期の1971年から1978年までは、CVTという別艦種が存在している。
何故なら強襲揚陸艦の主兵装はあくまでも海兵隊であり、主任務は海兵隊の上陸であるため。
搭載する固定翼機はS/VTOL機であるハリアーIIかF-35B。
ヘリやオスプレイなどの輸送用艦載機を搭載せずにS/VTOL機を主に搭載する制海艦的な艦載機編成もある。
このため飛行甲板ではなく、水上に着水した水上機を引き上げるためのデリックを持っている。
航空巡洋艦は歴史上2種類存在していて、1つは既存の巡洋艦を改装し、比較的多数の艦載機の運用能力を付与した艦である。
もう片方はソビエト海軍・ロシア海軍が現在も運用するアドミラル・クズネツォフと、キエフ級。
前者は日本海軍の最上型で、前甲板の主兵装はそのままに後甲板を飛行甲板化している。類型に伊勢型航空戦艦がある。
似たような重巡・戦艦級の主砲を持ちつつ航空機運用能力も持った艦は戦間期にはアメリカなどでも計画されている他、モスクワ級やしらね型などの汎用艦よりも艦載機運用能力が高い現代戦闘用艦艇はこの系譜とみなしても良いかもしれない。
後者はモントルー条約との兼ね合いと、ソビエト海軍の戦略上の問題で大型対艦ミサイルを搭載した航空機搭載巡洋艦として就役した。
※モントルー条約は勘違いしやすい。まず、空母は名指しで海峡通過を禁止されているわけではない。
空母の海峡通過が事実上禁止されているのはArticle 10とArticle 11、Annex IIの合わせ技による。
Article 10では、如何なる国家に所属するのであれ、マイナー戦闘艦艇と補助艦船の自由通行権を認めている(ただし、Article 14によって15,000tに制限される)。
Article 11では、黒海沿岸国は『主力艦』であれば、トン数の上限無く通過が可能であることが記述されている。
Annex IIでは、航空母艦は『主力艦』、および、マイナー戦闘艦艇とは別枠として扱われている。
このため、如何なる国家であれ、航空母艦の通過は不許可になると解釈できる。
ちなみに、空母の定義そのものは1936年ロンドン海軍条約に依っており、『航空機の運用を主目的とする戦闘艦艇』である。このため、水上機母艦も含まれる。
ソビエト海軍・ロシア海軍のアドミラル・クズネツォフとキエフ級は大型対艦ミサイルを搭載し、『主力艦』の定義の一つである10,000t以上の水上戦闘艦である、と主張することによってArticle 11の対象として海峡を通過できるようにしている。
また、ソビエト海軍には対艦ミサイルを搭載できる水上戦闘艦艇が少なく、条約抜きにしても両艦級は対艦ミサイルを搭載した可能性は高い(例えば、9月に舞鶴に来たウダロイ級のあの大げさなミサイル発射管の中身は対潜ミサイルであり、IIRC、対艦ミサイルは搭載できない。あのサイズになっているのはミサイルの下に対潜魚雷をぶら下げているため)。
最も非正規っぽいのはMACシップだと思う(名前的にも、来歴的にも)
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IXとAVTを追加
氷山空母を追加
なんて言っても別に体質とかそういう事で乗れないわけではない。
ただ単に怖いのだ。
鉄の塊に詰め込まれシートベルトを締められ身体がグワっと椅子に押し付けられるような重力を感じ機体が浮く。怖い。
…なんで怖いの?
飛行機以外にも高いところは怖いし絶叫マシーンは好きではないし、さらに言うならエレベーターで一瞬感じるあの無重力感も苦手だ。
幽霊が怖い人が何故怖がるのかとかゲテモノ料理が嫌いな人に何故嫌うのかとか、わざわざ尋ねるか?
そんなことはどうでもいいのだ。怖いものは怖いし嫌いなものは嫌い。
今までの人生で飛行機に乗ったのは小さい頃の家族旅行と高校の修学旅行だけだ。乗ってみたらたいしたことなかったね、なんてことはなかった。大変な緊張とストレスだった。正直もう一生分の飛行機搭乗経験は済ませたのではないかと思う。もう乗りたくない。
幸いにも現在は飛行機に乗る必要のある仕事も趣味も持っていないので大地に足の着いた生活を送ることができている。幸せなことだ。人の子、もっと大地讃頌せよ。
まあ、嫌だと言っても命に係わる場合があれば背に腹は代えられないので乗ると思う。
ゲテモノ食いが嫌な人も、他に食料が無ければ虫を食べるしかないだろう。飛行機に乗る以外に生きる道がない、というシチュエーションになったのなら乗らざるを得ない。
でも今はそのときではない。
しかし自分がそうであっても周りの人間はそうではない。仕方ないよね。だって自分は自分で他人は他人だもんね。
友人には旅行好きな人が何人かいる。もちろん海外旅行も好きだ。それは良いことだと思うし、旅行のお土産を貰ったり代え難い経験をしたという話を聞くのは好きだ。とても楽しい。
そうすると友人は言うのだ
海外に興味はあるし海外旅行という大きなイベントの同行者として自分を誘ってくれることは嬉しく思う。
しかし、しかしなのだ。友達は少なくないが飛行機には乗れない。
その旨を伝えるとほどんどの友人は言う。
大丈夫だよ。飛行機なんて一瞬だよ。なんで怖がるのかわからないな。事故を心配するなら飛行機より自動車のほうが事故数は多いんだよ。
そんなことは知っている。知っている上で嫌なのだ。誘ってくれる友人達には申し訳ないが、今は飛行機という苦しみを乗り越えてまで海を越えて見知らぬ土地へ行きたいとまでは思わないのだ。同行しなくともSNSで楽しそうにしている姿や写真でも見せてくれれば充分だ。
なんどもなんども同じことを言わせないでくれ。飛行機が苦手なのだ。
こうして何度も友人達の誘いを断っていると、まるで自分が人の心が無いような薄情者であるかのように思えることがある。
だがしかし、なぜ飛行機が苦手と言っている相手を海外旅行に誘うのだろうか。
無論海外旅行が好きなのだろう。国内では駄目だろうか。飛行機が駄目だと伝え「なら飛行機を使わない国内旅行はどうだろうか」と返してくる人はいない。当然だ、だって彼らは私と旅行に行きたいのではなく、ただ海外に行きたいのだから。わかっている。知っている。
それはいい。構わない。旅行が好きだというのは充分知っている。だからせめて。
私を友人と思ってくれているのなら、友人が苦手だと知っているのに提案しないでほしい。私が飛行機を苦手に思っていることは知っているが、知って尚対案の用意もなくいつも同じ気休めの言葉しか出さずストレスを伴う行為を求めていると自覚しているのだろうか。
例えば、アレルギーというわけではないが苦手な料理がある友人に「おいしいよ。たいしたことないよ。みんな食べてるよ。なんで食べないのかわからないな」なんて言って嫌いとわかっている物を食べさせようとするだろうか?
私を友人と思ってくれているのなら、自分は苦手ではないからと友人の苦手を軽んじないでくれ。それだけだ。
と、ここまで書いたがもし、もしも、なにか大きな心変わりや大いなる理由があって飛行機に乗って何処かへ行くことがあるのなら
同行者は私と同じように飛行機が苦手な人がいい
空港への道を共に死地へ向かう戦士として分かち合い、ロビーで二人青い顔で目配せし、互いに生きて再び大地に足をつけることを誓うのだ
離陸する飛行機の座席で手を握り数時間を戦い海の向こうに辿り着いたら息を吐き、帰りにまたあの鉄の塊に呑まれることを嘆きたい
苦しみを理解できず第一の試練を乗り越えた戦士に対し「ほらみろ、大丈夫だっただろう?」なんて言葉を掛ける相手よりは苦しみを共有する相手に隣にいて欲しい
当時を知る人間として回答する。まずOLが暇すぎるというのは、そういう時代だったとしか言いようがない。お茶汲みレディーとかそんな言葉が当たり前のように語られていた時代なので、今の総合職のような重責を”そもそも”女性が担ってなかった。残業も特にない。女性社員はせいぜい男性社員の結婚相手程度の扱いでしかなかった。そんな彼女達が輝ける場所がジュリアナで、マハラジャだった。あのコの夜の顔は別人という世界観がウケた。そして、彼女達の中で大卒はほとんどいなかった。当時のシーンで中心だったのは短大卒や高卒のパーリーピーポーだ。現代のオタ芸などに近いのだが、あの当時トップを走ってたのは、それこそ素人クラスの踊りではなかった。お立ち台という単語を聞いた事があるかもしれない。お立ち台は選ばれしグランドチャンピオンのみが立てる輝かしいハレの場だった。とてもじゃないが、素人の踊りという範疇を超えていた。ダンスのテクで魅せるもあり、ポロリで誘うもあり、ファンコミュニティで親衛隊を組織とそんな事もあった。ただのカラオケ芸程度のものと思い込むのは間違いだ。あれはプロの所業としか思えない、そんな熱気があったよ。
ちなみに長文で色々書いたけど、これ全部嘘な。最後まで読んだお前は相当なお人好しだな。
まず俺の考えではどちらも一定の制限がなされるべき、ということを先に言っておく。
その上で「酒とタバコは全く同じ」ではない。
四六時中吸い続けてないといけない(仕事中でさえ1時間と我慢していられない)タバコと、アルコールが同じであるはずがないし、家庭崩壊をもたらすような重篤なアルコール依存とヘビースモーカーが同じであるはずもない。
一言で言っちゃうと“今まで叩かれ続けてきた喫煙厨が同じ構図で反撃ができる武器を手に入れた”と思い込んでいるから「酒とタバコは全く同じ」という主張がなされる。彼らは全く同じで“あってほしい”のだ。何故なら自分を叩いていた武器で今度は反撃できるからね。だから意図的な事実誤認で「酒とタバコは全く同じ」と主張するのだけど、明らかに薬物としての性質が違うわけ。そういうところが気持ち悪いんだよ。本当に喫煙厨は薄らバカで気持ち悪いな。