はてなキーワード: うな重とは
うなぎが絶滅危惧種で、貴重な生物ということは理解している。はてな民がうなぎを食べることを好まないのも知っている。その上で聞いて欲しい。
まず、うなぎ食は日本の文化であり、やすやすと消して良いものではないと思う。うなぎは万葉集や浮世絵にも登場するなど、古来より日本人の食文化であった。うなぎ食は日本文化そのものなのである。 それをエゴイズムでその文化を潰そうとするのは、本当に正しいのかよく考えて欲しい。うなぎ食を批判している時の自分の顔がどんなに醜いか気づいているか?
それから、絶滅危惧種に指定されたことと、実際に絶滅するということには大きな差があり、うなぎも現実的に絶滅するにはかなり長い年月かかると思われる。海洋は広く、海洋にいるすべてのうなぎを食べきるなど現実的ではない。生息数に影響を与えているのは確からしいが、そのサンプルデータはあくまで「日本付近を回遊しているうなぎ」に限った話である。日本以外の各地で定点観測した上でうなぎが絶滅に瀕している、というデータは存在しない。
そして最後に、ナマズや穴子などのうなぎの代替食品がさほど広まっていないという点にある。これははてな民も全く抜けている視点なので猛省して欲しい。仮にうな重の代わりに穴子重を食べよう風潮ができれば、既存のうなぎ屋も経営上の問題を抱えずにシームレスに穴子重を出す形態に移行できる。しかし現実的にそのような風潮は起こっておらず、ただ思考停止でうなぎ食に反対するだけの小さなムーブメントが起きているだけである。自己責任論が大好きな人たちにとっては「うなぎ屋を経営しているのが悪い」と言いそうだが、実際問題自己責任というだけで人の人生に口出しするのは誤りだ。彼らにも人生があり、その人生はこれからも続く。
上記を理解しているから水産庁も規制しないのである。ネットDE真実を得たうなぎ擁護派の中で実際のデータを見た人など1%にも満たないだろう。うなぎが絶滅危惧種に指定されたというのは事実であるが、だからといって思考停止して日本文化を破壊して良いというわけでは無い。思考停止せず正しいデータを持って批判することを心がけて欲しい。
その観点から今回の当選について、止めて欲しいという気持ちしかありません。
船後氏は現在全身麻痺で動くことも喋ることも出来ない状態だと聞きます。
その状態は24時間体制のサポートが必要で、食事はチューブから取るしか無く、呼吸器官も弱まっているので、喉から差している人工呼吸器が外れると死に至ります。(そうならないよう、外れたら警告音が鳴り、ナースセンターに連絡が行くようになっています。)
れいわ新選組代表・山本太郎氏は「一番彼らをしっかりとサポートしなければならないのは国会だ」と言っていますが、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190722/k10012002581000.html
サポートしなければならないのは、正確にサポートの出来るプロの医師や看護師であり、サポートの充実した病院などです。
もちろん、家族や社会のサポートも大事ですが、サポートの充実してない国会へ連れ出すことが、本当に正しいのでしょうか?
私には、山本太郎氏のパフォーマンス、もしくは、行き過ぎた希望論を振りかざしているようにしか見えません。
社会が重度障害者を理解し、サポートできるようにするため、社会の代弁たる国会から変えていきたい。という希望論は理解できます。
ですが、船後氏のような重度ALS患者は喋れないので、特殊な機器や透明な文字盤を目で追うことで伝えるしか無く、1つ文章を作るだけでも数分かかってしまいます。
さらにALSはどんどんと筋肉が低下していくので、文章を作る時間は伸びていき、やがて目や指さえも満足に動かすことができなくなり、意思疎通が大変困難になります。
質問も反論もすぐに出来ないのに、国会で十分な議論に参加出来るでしょうか?
私の家族も、どんどんと意思疎通が出来なくなり、特殊な機器で打っていた文章にも誤字が多くなり、目の筋肉が低下して文字盤を追うことも出来ず、最後の半年には文章や文字盤での意思疎通が出来なくなりました。
十分な意思疎通が出来ず、涙を流していました。それを自分で拭くことも出来ませんでした。
そのようなことを、国会でやるのは、ALS患者やその家族遺族に希望を与えるというより、やるせないふがいない気持ちを与えることになると思います。
船後氏や山本氏は、そのようなことを分かっているのでしょうか?
現実的ではない希望論や、行き過ぎた正義を、振りかざしているだけではないでしょうか?
思ったことをバッと書いたので、おかしな点やただの感情論も多々あると思いますが、山本太郎氏が評価されるような世評に憤りを感じ、ALS遺族視点で伝えたいと思い書きました。
また、今回から新たに導入された特定枠を使い、このような擁立の仕方をして、自身は衆院選に挑むという、山本太郎氏のやり方や、特定枠システムにも疑問を感じざるを得ません。
【追記】
色々とご意見ありがとうございます。
全てに目を通させていただきました。
私の中でも問題点がはっきりしていないまま書いた部分もあり、伝わっていない、または誤解を招く表現があった部分もあったと思います。
ご意見を読んでいくうちに、自分の中での何に不安を抱いていたか分かりました。
自分は、もし船後氏が問題を起こしたり物議を醸すことで批判が起きた場合、ALSという病気への批判が出ることを恐れていたんだと思います。
例えば、船後氏に議員能力がなかった、病気が悪化して意思伝達能力が無くなった、または最悪死去してしまった、となった場合、世間の反応はどうなるでしょうか?
それとも、ALSという病気や重度障害者を批判するでしょうか?
もし、ALS(重度障害者)を批判するような論調を聞いたら、ALS患者、家族、遺族は、どう思うでしょうか?
もちろん、まだ何もやっていないのに、時期尚早。杞憂だ。と思われるかもしれません。
私の家族も13年で亡くなりましたので、すでに19年経過している船後氏の体調が悪化する可能性はあると思います。
ALSの理解が進むことは良いと思いますが、批判も受けなければいけない議員という立場に私は不安を感じます。
昨日、鰻を食べた。5年ぶりかな。もっとかもしれない。両親と3人で食べた。美味しかった。
昔は夏のごちそうとして、ひと夏に2回くらい食卓に上っていた。学校から帰ってきて、夕食が鰻だと知った時のあのうれしさ!記念日でもなんでもない日に、母がスーパーから鰻を買ってきて、温めていて、その間にすごくテンション上がって両親にいろんな話をして、それで山椒をかけて食べる。かけすぎて鰻の味がよくわからなくなってヒーヒー言ってると、父が鰻を交換してくれたりして。「食べかけの鰻が新品になった!ラッキー」とか言って鰻にかじりついてた。一番疲れてて鰻を必要としてるのは父なのに。
その美味しさよりも、ウナギを取り巻く幸せな空間が好きだったのかも。お正月やクリスマス、誰かの誕生日じゃないときにサプライズ的に登場して家族の幸せを運んでくる鰻が私は好きだった。
でも鰻が絶滅危惧種であると言う話を聞いてから、何となく食べるのは良くない気がして食べてこなかった。
私が何気なく「鰻が絶滅しそうなんだって」って言った時から、なんとなく鰻が出てこなくなったと思う。それでこの数年、全く鰻を食べなくなって、鰻の話題も出なくなった。土用の丑!みたいな広告を見ても、ちょっと黙ってスーッと通り過ぎるようになってた。
それで、毎年のようにこの時期話題に上る「絶滅危惧種たる鰻を食べるなんてなんと野蛮な」みたいなネット上の話題を眺めてて、ふと思い浮かぶことがあった。
「鰻食うべからず」の論者にはいくつかの派閥(っていうかなんていうか)があって、「絶滅危惧種を食うのは野蛮だ」「養殖に成功してから食べよう」「漁獲量を管理し、高級鰻店にのみ許可しよう」みたいなのが主だと思う。
で、この3つ目の意見を見ていて、「鰻食べよう」と思ったのだ。
3600円とか5400円とかの高級うな重を出すお店にのみ許可しよう、安く叩き売っていたずらに鰻消費を増やすのはやめよう、という話だけど、これにものすごい反発を覚えた。
なんだろう。私たちが我慢をして、鰻の消費量を減らしても、結局お金のある人が得をするだけじゃん、っていう気持ちが突然降ってわいた。
私が我慢しても、褒められるわけじゃないし、そのうち食べられるようになる保証もない。
我慢している間に、鰻を食べる人は幸せになって、私は我慢してて、お金持ちは美味しい鰻を食べていて、それでそのうち鰻が絶滅してみんな食べられなくなる。我慢している人がワリを食う構造なんだなってわかった。
社会の縮図みたいなもので、我慢する人よりも我慢しない人のほうが多くの物を得る。モラルをある程度無視するとモノが手に入る。
それなら、私も鰻を食べよう。ワリよりも鰻だ。鰻を食べるのだ。
鰻が希少になって、高級店でしか食べられなくなるのが資本主義の原理なら、鰻をたくさん食べて、価格競争によってもっと安く食べられる資本主義の原理で対抗しよう。
まぁ、そんなに熱くなるほどではないけれど、とりあえず私は鰻を我慢するのはやめた。ネットじゃ怒られるかもしれないけど、スーパーで私を怒鳴る人はいないし。
と言うわけで、鰻を2尾、スーパーで買ってきた。3000円くらいかな。国産らしい。大きくないけど、おいしそうだ。
買うのには大変な覚悟が必要だったけど、頑張った。私の家にはあんまりお金がない。その原因は私にある。発達障害で、普通の勤め先には長く続かない。小さなミスが多すぎるので、ルーチン的なお仕事もうまくいかない。結婚すれば…・とかも思ったけど、こんな私を選ぶ人はいないわけだし。
この鰻を買うにも5時間くらい頑張らなきゃいけないけど、それでも鰻には幸せなパワーがある。買って帰るときはスキップしたくなった。実際してたかもしれない。
私が鰻を買ってきたのはこれが初めてだ。
鰻を買って帰ったときの両親の顔!とっても驚いてくれて、喜んでくれた。やっぱり、なんでもない日に突然幸せがやってくると嬉しいのだ。
それで、私が責任を持て鰻を温めることにした。温めるだけだけど。母が「山椒あったかな?あ、ダメだこれ賞味期限過ぎてる!」とか騒いでて、父も「これは酒飲まないとなぁ」と物置に小走りで行ったり、楽しかった。山椒はちゃんと買っておいたのを使った。
3人で「おいしいねえ、おいしいよねぇ」って言いながら鰻を食べた。やっぱり鰻を取り巻くこの空間が好きだ。絶滅したらごめんなさい。私が死んだら鰻にシバかれるのかな。でも両親のあの嬉しそうな顔にはいくらでも代えられるな。
一年に一度鰻を食べられるとして、両親も還暦を過ぎているから、あと10回くらいかな、楽しく鰻を食べられるのは。その間に絶滅しちゃうかもしれないけれど、ちゃんと味わえる間に鰻を食べていこうって思った。それまで鰻代を稼ごう。頑張ろう。
鰻を食べよう!と決意してから、近所のスーパーでクジラ肉がだいたい毎日売っていることにも気が付いた。みんな「クジラを食べるのはちょっと…」って思いがあるのか、19時くらいになるとかなりの数が半額になっている。どうせだし、クジラも食べちゃおうと思っている。そこのスーパーのクジラは刺身用らしい。クジラのお刺身も美味しいかもしれないぞ。でも父はあんまり好きじゃないっぽいから、今度一人で試してみよう。
暑い夏もこういう楽しみがあると乗り切りがいがあるなぁと思う。大きめのスイカと同じくらいの値段だし、鰻も頑張れば1年に2回は食べられるかも。
オチも結論も何もないけれど、鰻は美味しかったということで、結びたいと思います。
ありがとうございました。
うなぎなんてタレが美味いだけだと思っていたが、よく考えたら白焼きこそが本来の食べ方だと気づいた。
白焼きのうなぎを食べたことがある人はなかなか多くないと思う。
山椒、わさび、醤油、塩、柚子胡椒などシンプルな薬味をつけながら、素材本来の味を楽しむのが白焼きだ。
決してご飯に合わないわけでも無い。うな重やうな丼のうなぎを白焼きで出している店もある。
初めての人なら蒲焼のうな重を頼んで、一品料理で白焼きを頼んでみるといい。
でもそれなりのお値段がするので、試してみたいだけなら何人かで行って分け合うのでもいい。
タレが美味いだけだと思っている人には是非食べてみてほしい。うなぎが食べられているのはうなぎ自体が美味しいからなんだという事を認識できるはずだ。
白焼きを食べたからこそ分かる蒲焼の美味さがある。白焼きで食べるのも美味しいが、それよりも更に美味しいと思う人が多いから蒲焼がスタンダードになっているんだと。
あんさんぶるスターズ、アニメ放送開始おめでとう。
1話を見ました。作画も動きも綺麗で、あんスタ独特のトンチキ感もあり、時間をかけて丁寧に作られたことが伝わってきました。
これからどう進んでいくのか分かりませんが、きっと素晴らしい作品になるのだと思います。
この記事は、供給の波に乗ることができなかった弱いメンヘラユーザーの、お気持ち表明にも満たないようなただの愚痴です。オチもありません。
あれが駄目これが駄目と並べ立てるつもりはありませんが、あんさんぶるスターズを純粋に楽しめている人にとって、気分を害する内容だと思います。
楽しめている人は、その気持ちを大切にしてこれからも楽しんでください。読まなくていいです。
ただ、吐き出すくらいはさせてほしい。
匿名でごめんなさい。
私は、あんさんぶるスターズが大好きだった。
月に何万円も課金するような重課金ユーザーではなかったけれど、推しのランキング報酬やガチャが来れば課金をする程度の普通のユーザーだったと思う。
ゲームを始めた頃は、周りにあんスタユーザーは殆どいなくて、私が勧めるかたちで周りの友達が始めてくれた。
ゲーム自体はもちろん、あんスタを基盤とした仲間とのコミュニケーションも含めてあんスタが大好きだった。
私の推しはローテーション的に間隔が空いているにも関わらず、最高レアのカードがなかなか登場しなかった。
いつくるのかと毎回ヒヤヒヤしていた。
それでも、二次創作の素敵なイラストや漫画を見て、自分なりに楽しんでいた。
しかし、今考えてみると、やはり推しの最高レアが来ないことは心の負担だったのだと思う。
どのキャラが最高レアになっても喜べるような状況ではなく、「また◯◯じゃない…」と落胆していた。ただ、SNSや周りと話す時には「△△格好いい!次こそは◯◯だから!楽しみだなあ〜」と、いい子なユーザーでいようとしていた。
数年前、あまりにも推しキャラの最高レアカードが来ないために、あんスタをやめる選択をして炎上した方がいた。
その当時は、「わざわざ辞めなくてもいいのに。他のキャラやストーリーを楽しみながら待っていたら、いつか推しが来るかもしれないのに」と友達と話していたけれど、今なら気持ちがわかる。
推しが来ないって辛いよね。
期待と落胆を重ねるにも限度があるし、アイテムやお金も無限ではないから次に来るかもしれないと思うと別所での出費もセーブしてしまったり、気になるガチャも我慢したり。
もちろん、ずっと楽しめる人もいるけれど、それができない人もいる。
私は後者だったのだと思う。
少しずつ熱が冷めていって、ストーリーの回収が最後まで終わらない時があったり、
推しの星4ポイント報酬でさえ理由をつけて取らないこともあった。
息抜きのつもりで別のコンテンツに逃げているうちに、あんスタとそのコンテンツの重要度が逆転してしまって、
あんなに好きだった推しに対してテンションが上がらなくなってしまったことがショックだった。
認めたくなかったし、あんスタを嫌いになりたくなかった。
しばらくあんスタから離れていたが、推しの最高レアのランキング報酬イベントが来たので走らなければと思った。
しかし、走りきることができなかった。あんスタに苦手意識を持ってしまっていたのだから当然だ。ストーリーにも違和感を感じるようになってしまった。
さらに、もう1人の推しの過去が明らかになるイベント(追憶)が始まると聞いて、
この時にはもうカードを取る熱意はなかったけれど、ストーリーは読んでおきたかったからそのぶんは走った。
しかし、これまでに固められた私の中の推し像と、新たに発表された推し像にズレが生じてしまった。
この言葉が成立するか否かはともかくとして、 推しに隠されていた、思ったより壮大な設定に引いてしまった。
周りは「公式が絶対!」派が多かったこともあって、このズレや違和感を周りに共有してもらうことができなかった。
言い方が悪いけれど、後出しジャンケンのように出された情報を見て、
推しを好きだと思った初期衝動であったり、過去に読んだストーリーの 余白で楽しんでいた部分を否定されたような気がした。
あんさんぶるスターズは基本的に1年間を繰り返し、たまに1年前や1年後の世界を覗かせてくれる。
私たちと時を重ね一緒に歩むというよりかは、
歴史を知るようにキャラや出来事についての空白を埋め深掘りしていく側面が強いように思う。
だから当然、年数を重ねるごとにキャラや出来事に対する情報が増えていく。
高校生という短い時間が、彼らのきらめきを一層尊いものにしている。
これは、あんさんぶるスターズの強みの一つだと思うけれど、もしかしたら私には合っていなかったのかもしれない。
もう1人の推しの最高レアガチャが実装され、あまりにも格好良かったから課金をして入手した。嬉しかった。推しを入手できたことに対して喜べたこともまた、嬉しかった。
だけどまだ、あんさんぶるスターズに対する苦手意識はなくなっていないようだ。
推しは可愛かった。
だけど、楽しいと感じることができない。
周りとの熱量の差を強く感じて、取り残されているように思える。
アニメをきっかけとして、これからゲームもライブもイベントも益々盛り上がっていくだろうあんスタを追いかけて、
周りと同じ熱量で盛り上がりたい。
せっかくのアニメを楽しまず、1人勝手にモヤモヤしている今の状況がアホらしい。
自分が嫌になる。
「コンテンツが悪いから今すぐ直せ!」などというわけではなく、私のわがままさであったり、相性とかタイミングであったり、そういう話だと思っている。
だけど、過去にキャラローテーションや解釈の違いなどでコンテンツを嫌いになった人たちのことも責める気になれない。
実家の近所には有名な老舗のうなぎ屋があり、子供の頃は、たまにではあるが、何か祝い事があるとそこのうな重を食べたものだった。
家族が滅多に食べられない御馳走だと舌鼓を打つ一方で、子供の私は小骨の多さに辟易した。鰻というのは食べるとのどに骨が刺さる不快な食べ物だ―そういう印象しか持てなかった。
そこのうなぎ屋は今でも繁盛しており、昼頃にはいつも行列ができる人気店だ。また、うなぎ好きの同僚がいるのだが、彼は他県の人なのにその店のことを知っていて、行きたい行きたいとよく言っている。一度土産に買って行ったのだが、恩人か何かのように感謝され、美味い美味い、身がふっくらしてるし皮が最高だなどと言いながら箸を進めていた。
私が美味いと思えなかったうなぎだが、うなぎ好きには納得の一品であるらしい。彼に限らず世間的にうなぎは御馳走なわけで、けして安いものではないのに、日本人は種を喰い尽くす勢いで食べようとしている。うなぎを美味いと思えないのはどうやら普通ではないらしい。
別に他者と足並み揃えたいわけではないのだが、美味いものを美味いと思えないのは舌が貧しいようで癪だ。もう大人になったわけだし味覚も変わってうなぎを美味いと思えるかもしれない。
そんなわけで凡そ20年ぶりにうなぎを食べてみた。感想としては、うーん
不味くはない。ただやはり小骨が気になる。ふっくらした身が売りなのだろうが、小骨のせいで食感が台無しだ。そしてタレと備え付けの山椒、こいつらがダメ。舌を麻痺させ、うなぎそのものの味を分からなくさせている。
昼食に2000円以上払ったのだから美味いと感じなければ損なのだが、そのスパイスあってしても2000円の価値を感じない。500円なら食べても良い。
なぜ日本人はうなぎに惹きつけられるのか、山岡士郎や中松警部がうなぎを評価する理由は何か、うなぎの分からぬ私には分からない。絶滅危惧種だし無理して食べる必要もない、それどころか食べない方が良いのだが、やはりどこか癪に思う。
お昼いつも行く私の好きなゴルゴンゾーラの美味しいパスタ屋さん。
そこに何故か納豆のパックがあるの。
もしかしたらそんなセットなのかも知れないわと思いつつ、
で、ちょっと待って!
その納豆の着地地点がないんだけど!
まさか!
そんなことしたらGACKTと検索しようものならサジェストされる次のワードにスタミナと出てくるほどなGACKTも驚愕する、
すたみな太郎ばりなせっかくのスタミナのスタミナによるスタミナのためのうな重パスタがスタミナ切れになるじゃない!?
納豆かき混ぜている間に、
納豆は1677万回かき混ぜるのが一番美味しいと言い放ってやまない、
納豆かき混ぜ職人でお馴染みの食通のラーメンじゃない方の山頭火さんもビックリするほどかき混ぜられたそれは、
実際納豆エピソードに定評のある方は山頭火さんじゃなくて北大路魯山人さんの方だったことはココだけの内緒の話。
それでその納豆を
ついにはその紳士どうやって食べるかと固唾を呑んで、
実際には私はパスタは飲み込んでいたけれども、
どうやって食べるのか気になって横目で夏子していたの。
そしたらよ、そしたら、
その紳士!
直接食ーうんかーいって思わず笑っちゃいそうになったわ。
パックごと食べるとは!
うふふ。
ヒーコーは欲しいわね。
ヒーコー飲んだあとは軽く水で流すぐらいな感じでお水も一緒に頂いてね、
意外と歯の着色するんだって。
イチゴとブルーベリーのダブルベリー使いでベリーマッチな感じ、
割引ブルーベリーだったのでお得だったわ。
さぞ涼しげな寒天かんが出来そうよ!
甘み一切無くてもいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
👮♀️さんは鰻チームへどうぞ。勝ったらうな重よ💝