はてなキーワード: 便宜上とは
初めてリーダーを任されたプロジェクトが成功したことで、私は会社を辞める事を考え始めた。
もちろん、以前のように仕事が辛くて辞めたいと思ったわけではなく、
全力で仕事をした結果、私ができることはやり尽くしたと思ったからだった。
医療のSEは激務で、女が長く続けていけるような仕事ではなかった。
こんな生活を続けていたら、いつか体を壊すだろうと思っていた。
どうしても一人暮らしがしたくて、わざわざ東京の大学を受けた。
就職する時地元に戻ろうかと思っていたけれど、まだ少し東京に未練があって
でも地元を離れて時間が経ち、帰りたいという気持ちが強くなっていた。
そんな思いもあり、転職活動を始めた。
活動を始めて1ヶ月、あっさり内定をもらった。
東京の会社ではあったものの、タイミング的に新年度を新しい会社で迎える事ができ、
また、思ってもない程の好待遇。仕事の内容も興味があり、それまでの経験も十分に生かせるものだった。
でも、どうしても会社を辞めるという決心がつかなかった。
5年間勤めた会社。そう簡単に辞められるわけもない。
でも、それだけではなかった。
それを見る事で、彼がそこにいるような、見守られているような気がしていた。
それらをもう見る事ができなくなる。
そう思うと、辞めるという決断がどうしてもできなかった。
最初に内定をもらった会社は辞退し、その後も悩みつつ転職活動は続けた。
これで地元に帰れる。妹や友達にも相談し、その会社に入社しようとほぼ決めた。
そして会社を辞める事で、彼のことにけじめをつけようと思った。
彼の事を忘れたいと思った事は一度もなかった。
でも、どこかでけじめをつけなければいけないということはいつも考えていた。
業界最大手であるその会社の内定をもらえるとは、正直思っていなかった。
その会社が、中途はほぼ契約社員でしか採らない事を知っていたので、
更に悩む事になった。
仕事内容や待遇など総合的に考えると、最後に内定をもらった東京の会社が良いのは分かっていた。
でも、地元に帰りたいという気持ちも強かった。どちらかに決める事ができず、悩み続けた。
回答期限を何度も延ばしてもらった。
最終的には、東京の会社から、希望があれば数年以内に地元への転勤も可能という話を聞いて、入社を決めた。
会社に未練が全くないわけではなかった。
最後は、その気持ちを半ば強引に断ち切った。
会社の寮に住んでいた私は、辞めるとなれば当然引っ越さなければいけなかった。
就職する時に、寮に入らない荷物を実家に送っていたため、まずはそれを取りに行こうと思った。
車を持っている友達に頼んで一緒に行ってもらおう、と思いつき、例の男友達を思い出した。
以前から、私が引っ越す時は手伝ってね、と言っていた。これもある意味引越しだ。
金曜の夜に出発して、西宮へ向かった。
大好きな街。やっぱり帰りたいという気持ちが出てきてしまい、東京の会社を選んだ事を少し後悔した。
帰ってくるのが数年遅くなっただけ。あと少し、東京でやりたい仕事頑張って、必ず戻ってくる。
自分にそう言い聞かせた。
その日は一緒にホテルに泊まった。
こいつ一応彼女いるのにいいのかよ。。とは思ったが、お互い全く異性という認識がなく、
一晩一緒に過ごしたところでどうこうなるなんて考えられなかった。
その日は広いベッドで、くっついて寝た。
5年間友達でいて、しょっちゅう一緒に遊びに行ってはいたけれど、あんなに近付いたのは初めてだった。
体温がものすごく気持ちよくて、離れたいとは思わなかった。
帰りの高速で、「私たち恋人同士にはなれないけど、夫婦にだったらなれそうだよねー」
という話をした。昔から、私たちはよく似ていた。食べ物の好みは見事に一致していたし、
何故か同じタイミングで同じことを考えていたり、相手が考えている事が分かったりする事が多かった。
「でも実際結婚したとして、結婚10年目ぐらいの熟年カップルからのスタートだよねー」
「新婚の初々しさなんてきっと皆無だよねー」なんて話をしていた。
あり得ない事だけど、もし本当になったら、きっと幸せだろうなあ、と思っていた。
無事帰宅し、疲れて寝ていたら、その友達から「彼女と別れた」という報告の電話があった。
車の中で「別れるかも」という話はしていたが、まさか本当に別れるとは思わなかった。
そして彼女の愚痴でも聞かされるのかと思ったら、何故か私たち結婚したらどうなるかなぁという話をしていた。
まさかそんなことあり得ない、とお互い分かっていたはずだったけど、そんな話をしているのは楽しかった。
彼を亡くした後、誰も好きにならないと決めていたわけではないけれど、実際誰も好きになる事はなかった。
今後も、誰も好きになることはないのかもしれないな、と思っていた。
そもそも結婚と恋愛は別物だ、と思っていたから、恋愛を飛ばして結婚だけできるなら、それもありだなぁと思った。
夜は沖縄料理屋で飲み、さてこれからどうする?という話になり、どっかのホテルで飲もうということになった。
帰る心配をしなくて済むからいくらでも飲める、という考えからだった。
飲みながらDVDを見た。見終わってベッドに入ると、彼は突然
「結婚しよう。舞といつか生まれてくる子供を、一生愛せる自信あるよ」と言った。
まさか本当にそんな事言われるとは思わなかった。信じられなかった。でも嬉しかった。
この人と一生一緒にいたいと、本気で思った。
そして彼は「んじゃーまぁ、一応付き合っとく?」と言った。
最近ゲームやってると、外人からなんか凄くフレンドリーなメッセージやらフレンド申請を頻繁に貰う。
外人ってどいつもこいつもこんなものかと思ってたけど、俺より外人率の高そうなゲームを沢山やってるのに全然貰わない奴がいたりと、どうも違うらしい。
なので、割と初期にフレンドになった在米アメリカ人に「何で俺にフレンドの申し込みしたの?」と尋ねてみた。
参入が後発になればなるほど、IDに使われる単語の組み合わせも減っていくので、便宜上末尾に数字(19**のような生まれ年など)を入れたりせざるを得なくなる。
しかし俺はゲーム機発売直後に購入しアカウントを作ったので、そういった制約がまだ殆どない頃だった。ちなみに英和辞典に普通に載ってる5文字の英単語。
「だから、お前にフレンド登録を申し込んでる奴の中には、お前の事を全く知らない奴も結構いるんじゃないかな。とにかくせっかく早い者勝ちで取得したIDなんだから、乗っ取られないよう大事にしろよ!」みたいな事も言ってた。
http://anond.hatelabo.jp/20111025181753
「何してるのそんなに」って意見もあったんで、少しだけ。
8時少し前に学校に着く(以前は7時半には着いていたけれど、最近は校門に立って挨拶とかもしなくなったので、この時間で間に合う)
↓
今日の連絡事項の確認や、保護者からの欠席の連絡への対応、今日やる「雑務関係」の確認(授業関係は、忘れようがないから確認しない。雑務は忘れがちなので毎朝確認)。
ここまでは、一般的な会社とそんなに変わらないと思う。
正直、連絡事項を伝えるだけなら誰でも出来る仕事。でも、生徒の変調を見逃さないためには大事だし、本気でやろうと思えば、毎朝何らかの話を用意しておく・生徒一人一人に話をさせるとかもできる。
最近は手を抜いているから、行って口頭で連絡事項伝えておしまい。
授業は、一日に3~4コマ程度です。授業は教師の仕事の中ではわかりやすい仕事の一つだと思うので、説明しません。
強いて言えば、HRや総合などもきちんと計画たてて準備してやってますよ、ってくらいですね。
高校の場合、多い日で一日4コマ、200分程度空いているわけですが、その間何をしているのか。
ここまでで、大体160分くらい使ってますね。
もちろん、この時間だけじゃ授業の準備は終わらないので、詳しくは後ほど。
本当はここで生徒関係の事もやってますが、便宜上分けて後にまとめて記述します。
生徒が質問に来たりして、ご飯食べてる時間がないので、昼休みは生徒対応で大体終わります。
ですので、上に書いた、授業と授業の間の空き時間などでご飯を食べます。
教員の休憩時間も、生徒と同じでここに設定されているので、ここで食べないと、午後も授業が詰まってたりすると、最悪放課後まで食事出来ません。
最近は、昼休みに職員室から逃げ出して、生徒に見つからないところで食事しています。これなら生徒が質問に来たりすることもありませんから。
朝と同じです。
夜七時前くらいまで拘束されます(部活自体はもう少し早く終わりますが、生徒が完全下校するのを確認したりするので)。
ようやく翌日の授業の準備が出来ます。
私は、良い授業をするためには、一回の授業に三倍の時間準備をしなさい、と教わりました。
前述したように、一日の授業数は3~4コマ。
当然無理です。ここから9時間も授業準備したら、朝4時ですから。ですので、「良い授業」をするのは早々にあきらめます。
これなら8時には授業準備が終わります。
学級日誌系もそうですが、小テストの採点や、生徒一人一人にコメントをつけたり、回収したノートの確認などです。
コメントとかやらなければ、もっと早く終わります。最近はここも手を抜いて極力何も書きません。
もちろん、生徒の反応は明らかに変わります。コメントを書いてあげた方が、モチベーションが上がって成績もあがります。
ですが、丁寧にきめ細かに見ていくと、終わりがありません。
今では、手を抜きまくって、9時過ぎには学校を出られるようになりました。
回収物や返却物に、一人一人コメントを書いたり、きちんと目を通したりすることもなくなりました。
宿題なんて、回収してやってあるかだけチェックして、答え配って各自で答え合わせさせてます。
授業準備はともかくとして、これらを全部きちんとやったら、0時過ぎても帰れません。
現状、お役所的事務作業さえきっちりやっておけば、「良い教師」と認定されます。
授業の内容がどんなにグダグダでも、担当教科の生徒の学力が下がっていても、明確な判断基準がないので、よっぽどの事がなければそれでクビになったりはしません。
極端な話、少しでも早く帰りたかったら、必須とされる事務作業だけやって、生徒の話も聞かず、授業も全て教科書を読むだけにして、後は各自で自習させて、部活も活動拒否すれば、毎日定時で帰れます。
それが生徒のためになるかどうかは知りませんが。
けど、まともな就業時間で、まともに生徒と向き合える仕事にしてくれ。
定期考査前に生徒が職員室に質問に来たり、何か生徒に問題が起きると、最初は「俺の出番だ。がんばろう」と思ってたけど、最近は「面倒くせぇこと持ち込むなよカスが」とすら思う。
例えばみんなが目にした事のある物で言えば、学級通信とか。
あれを配ろうと思ったら、東京都の場合、まずPC上で起案して、起案番号なる物を取得して、関係分掌の担当教員などに判子をもらって回らないといけない。
学級津心に限らず、外部に配布する物は全てこれが必要。
要するに、個人情報保護とかそういう問題で。お題目としては「外部に配布する物は、教員個人個人が勝手に作れないようにして、きちんと各部署でチェックしましょうねー」ってこと。
一事が万事こんな感じ。
問題起きた時に「我々(上層部)はきちんとルールを作って、やらせてました」と言うためだけの作業が非常に多い。
三年生担任にもなると、前の会社の一つの部署で作ってた書類より遙かに多い量の書類を、一人の教員が作ってる。そんじょそこらのITベンチャーが一年間で書く書類の量より多いと思う。
ブ米で、「三年目には転職前よりマシな生活手に入れた」とか書いてる人いますが、殺意覚えるんでやめてください。
生徒と関わるのが仕事なのに、生徒と関わる時間減らして労働時間削って、何が「マシな生活」ですか。
本音を言えば、今だって毎回一人一人の小テストにコメント書いて返したいし、一人一人と毎日ちゃんと挨拶して、話しかけてくる生徒全てにきちんと受け答えしたいんですよ。
でも、それをやったら日付変わる前に帰れないし、毎日それを続けていたら死ぬと思ったから、やめたんです。
就業時間は確かに減りましたよ。
でも、それって本当に「マシな生活」ですかね。
そもそもの問題解決にも使えるのだが。人類が数千年に渡り人と人とが協力をする事によってあらゆる問題を解決してきた事から今回はその論理の応用編。論理を用いたコミュニケーションについて解き明かしていきたいと思う。
人が人に意思を伝える時にはどんな種類があるだろうか?
※分類できるというわけではなく要素として
一、命令(相手に何かを要請)
一、伝達(単に事実や事柄を)
とまあ色々あるけれど、個々に主観的なものと客観的なものがある。
ではこれらの情報交換を人と人が行う時にお互いの共通認識が多いか少ないかだけでその人とその人が仲良くなったり仲良くならなかったりというのではなんとも勿体無い。
だって誰でもそうだろう。例え偶然でも似たような過去の経験があったり似たような将来像や様々な物事に対して個々に思う感覚が似ているかどうかだけで大概の人は親近感を抱いたり、はたまた嫌悪感を抱いてしまう。
自分はそれは非常に非常に勿体の無い事だと言いたいのだ。
だって、たまたま誰かにとても嫌っている同僚だとか上司がいたとする。お互いに相容れないのがもしこの世に生を受けてからの全ての経験の似通りにたまたま距離があった事で様々な物事に対する認識が離れてずれてしまったのだとするのならば、もし、もしも今後共通の体験をしたり、または知識として何かしらの経験を得たのならば、“今”は協力できないと思っている相手とでもいずれ協力でき、お互いに“楽しい”と思える時間を人生に内に占める部分が増えるのではないだろうか?
例え話しに基づいて解いていく
さてここはある雑談の場だ、そして誰かが話しだす。
※実際はどちらの発言にも主観と客観が交じりあっているが便宜上無視
まず主観的例文
次に客観的例文
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
強引な例だが、こういった雑談の場では今までに聞いた事の無い意見に対して聞いた側がどう思うのかがこれからの検証を進めていく上でとても重要になってくる。なぜなら既に自分の中で“自分はこれに対してこう思う”という一つの自我が既に形成されていると、案外素通りで他者の自分とは異なる意見を受け入れてしまうからだ。
例えば、雨降りの天気に対して
「嫌な天気だね」
と誰かが言ったとする。かなり住んでいる地域の影響も受けるかもしれないが年間数日しか雨が降らない地域の人は絶対にそんな事は思わないだろうし。例え日本国内でも雨に対して一切の「嫌な感じ」を抱かない人もいる。それにその時の状況として洗濯物を天日干しにしよう!などと予定していたのであれば嫌だと思うかもしれない。この場合客観的例文だったので状況に左右されやすいのだが、例えば
「えーっ、不味そう」
と誰かが言えば、味に対しての感覚の相違なんていうものは人それぞれだという前提が多くは幼い頃から経験しているので、さほど相手はそう思うのか程度にしか自分とは相容れない主張に対して不快感を抱かない。
では、何かの物事に対して新規の見かた、新たな捉え方を意見として雑談の場で表明された場合はどうだろう?
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
どうだろう?実際に身体の成長と日常的ストレスまたそれによる日常的な筋肉の緊張には関係があるので、そうだ!と思う人もいれば、関係無いよって思う人もいるだろう。だがここで言いたいのはそんな事ではない。
命題の因果関係が成立するかしないのか?という部分に目を取られてしまうから“こいつとはなんか合うな”とか“こいつとは合わないな”なんていう思い込みで他者との相性を判断してしまうのである。
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
という主張に対し論理の技法にのっとって哲学し分解考察して行こうと思う。では
A “親が怖い”のならば“子の背が低い”
B “子の背が低く”ないなら“親は怖く”ない
C “親が怖く”ないからといって“子の背が低く”ないとは限らない
解りやすくすると
A´ 親が怖いと子の背が低い
B´ 子の背が高いなら親は優しい
C´ 親が優しいからといって子の背が高いとは限らない
そして、それぞれに反論すると
A” 怖い親に育てられても背の高い子はいるはずだ
B” 背の低い子の親でも優しい親はいるはずだ
何かを“そうだ”と言いたい時に、その物事が“在る”事を証明するのは簡単だ。その主張のたった一例であってもそれを相手に提示すればいいだけの事だから。
しかし、何かを物事や事実を“ない”と証明する事は非常に困難を極める。今回の場合で言うと
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
に対して“そんな事は無い”と思った時に、因果関係は別として世界中の全ての怖い親の子が背が高い事を明らかにできればそもそもの因果関係を抜きにしても“そんな事は無い”という事を文字通り証明できるのだが、世界中を調べる事は物理的にも時間的にも不可能に近いしそもそも過去現在未来においてその事実が存在し得ない事を証明するのはそもそも文字通り不可能だ。
ではあなたがだれかと物事に対する感覚や捉え方で不一致を感じた時に、どう考えたら、無駄かもしれない不和発生の原因を取り除けるだろうか?
誰かが何かに対してある考えを持つ時に、自分も相手と同じ境遇、同じ体験、同じ経験をしていたならば同じ事を“今”思うかもしれない。
だって相手は“そう思う”という事実も自分も沢山見聞きしていたら“そう思う”だろう事は、ここまで読んだあなたなら想像つくだろう。
それにそのあらゆる相手の主張する事実は勿論、あなたにとって想像可能な事かもしれないしもしかしたら想像不可能な事かもしれない。けれど、ただ“違う”や“こいつとは違う”と思うのではなく先ほどの“悪魔の証明”により“(自分が)そうとも思える可能性”があるよな!と論理の帰結として言えるのだという事だ。
人生とは様々な物事や関わる相手に対して
なんとなく常に“判断”をしてしまう。
“いいな”とか“やだな”とかなんとなく思ったり・・・
確かに本能として“好感”を持つ対象には関わろうとして“不快感”を抱く相手とは関わろうとしないという現実はある。だがしかし、これは自分自信の経験でもあるけれど、なんかむさ苦しそうだなと思っていた奴が凄い楽しくて面白い奴だったり。なんかいつも不機嫌そうで関わりたくないなと思っていた人が実は共通の趣味がとても多い人だったりという事が多々あったりする。またその発見は良いものだとも自分は思う。
あなたは、ここまでこの日記を読み「論理の技法」を手に入れた。
ある命題に対しては「肯定」「否定」「対偶」があるという事。対偶とは超訳すると、ある意見に対して肯定できないからと言って否定した事にはならないというとても重要な考え方だ。
くどいけれどもう一度おさらいで例文をだす。
アルファベットでないならAではない
さらに拡大解釈をしてみよう!
さらにこの考え方と飛躍拡大していくと
どうせなら自分にとって都合の良いように考えた方が得のはずだ
だって水が低い方に流れるのと同じで人も楽な方に流れている
当たり前の考え方になるだろう
「相手の立場に立って考えなさい」
などと言われているのではないかと思うが
逆の考え そして更に、逆の裏(上記★の部分)を“一念”に置く事で世の中のだいたいの悩み、問題は晴れるだろう。まさしく世界の見え方が変わってくるのだ。そしてこの考え方を上手に活用すればより多くの人と協力が可能になるだろう。
なぜなら
人類は“協力”によって様々な問題を解決し、そして発展してきた。
そしてこれからも
@awaikumo
昨日の「Togetterかわいい彼女を作る方法」とか今日の「非コミュに足りない10のスキル」みたいな話を読んで「そんなの無茶だー」とか「だったら俺はいいわー」とかはてブでコメントしている人が散見されるけど、まあ冗談半分で書いてるのかもしれないけど、そうじゃなくてもし本当に「世の中そういう仕組みになっているのか…そんなの嫌だー! うわー」と思っている人がいたら、そんなことないよと言いたい。
少なくとも俺はそうではないやり方というのを知っている。
件の話を書き込んでいる人にとってはそれが真実なんだろうけど、それはその人の経験した範囲での話でしかなくて、まあ「うれしいが貯まると恋に落ちるんだよ」みたいなのはものの捉え方の一例でしかないわけで、村上春樹が言うところの「便宜上世界がコーヒーカップだと考えても何の支障もない」(だっけ?)みたいな話だ。
だからそれが都合よければその考え方を採用してもいいし、「なんか気色悪い発想だな、それ」と思った人(俺だ)は、全然別の発想をしてもいい。
俺の経験から言うと恋愛にはタイミングが大事だと思う。オタクに恋愛の苦手な人が多いのは、要は運動神経が鈍くてタイミングが掴めないからだ。押すタイミング、引くタイミング、誘うタイミングに告白するタイミング。間合い、とか、呼吸、とか言ってもいい。だからまあ運動とかしたらいいと思う。すごいてきとうだけど。
「非コミュにたりないスキル」についても俺ははっきりと真に受けない方がいいと言い切れるし(生まれてこのかたお歳暮を送ったことはないが友達もいるし仕事も上手くいくし恋愛も絶好調だ)、とりあえずそんなスキルはその話を書いた奴がそう主張しているだけなのだからほっといていいと思うよ。ちょっとした情報をメールする? いやー普通にうざいととられる可能性は高いと思うよー。まあその辺は距離感なんだろうけどそれが上手けりゃ非コミュにならんのでは。10個のうちの1個がそれって変だな。多分この人は周囲からちょっと浮いてる気がする。それはともかく非コミュに足りないスキルは、ネットに書いてあるたわごとをスルーするスキルだ。もっと実践(自分の経験)によって人生の指針を定めた方がいい。これは結構、正鵠を射ているのではないか。
科学雑誌『ニュートン』の2011年6月号は東日本大震災の特集で、地震の大きさについていろいろ書いてあった。
なんでも、マグニチュードの数値が1上がると地震の持つエネルギー量は約32倍になるとか。
と、言われてもド文系の私には何がなんだかわからない。だから、インターネットの力を借りて地震の大きさについてメモってみる。
http://www.convertalot.com/earthquake_power__calculator.html
Earthquake Power Calculator
まず、1995年の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)について。
M7.3 エネルギー量は5600兆ジュール。TNT火薬に換算すると1.3メガトンぶん。
これを便宜上「1阪神」と名づけよう。1995年の阪神は弱かった。関係ないけど。
M7.9 エネルギー量は4京4000兆ジュール。TNT火薬に換算すると10メガトンぶん。
1995年の阪神を1とすると7.8倍のエネルギーだ。すごい。つまり年間ワースト記録の年間84敗(1995年)の7.8倍
つまりシーズン通産655.2敗を喫するということだ。すごい。
今年三月の地震はどうか?というと、当初の速報値では
M8.4 エネルギー量25京ジュール。TNT火薬に換算すると60メガトンぶん。
阪神が44チーム。これはなかなかすごい。一塁手グレンが44人も。打点も3388点は期待できる。
しかし翌日、M数が修正された。
M8.8 エネルギー量は100京ジュール。TNT火薬に換算すると230メガトンぶん。
っていうか、昨日の数値の4倍近くじゃねえか。178阪神。新庄が178人いるので気の迷いで買ってしまったランボルギーニLM002・チータも178台ということになる。ちなみに大失敗作のチータは301台しか生産されてないのでほとんどが新庄の愛車ということに。
翌々日、正式な値が出た。
M9.0 エネルギー量は190兆ジュール。TNT火薬に換算すると470メガトンぶん。
やっぱり昨日の倍近くじゃねえか。どんだけ丼勘定なんじゃいと突っ込みたくなるのを抑えてみるが、やはり339阪神というのは途方もない。シーズン終了時のゲーム差は36.0だったからその339倍で…12204ゲーム差。追いつける気がしない。
M9.5 エネルギー量は1100京ジュール。 TNT火薬に換算すると2600メガトンぶん。
1995年の阪神の1964倍の規模ということだ。もう気が遠くなる。シーズン途中の監督交代も1964人。シーズンが4~10月の七ヶ月だとしても(阪神のシーズンがそんなに長い事は90年代には滅多になかった)毎月280人の監督が必要になる。2.5時間に一度監督が交代する計算になる。
戦争責任者の問題
最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。
そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。
さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
たとえば、最も手近な服装の問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき、普通のあり合わせの帽子をかぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れられない。もともと、服装は、実用的要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想的表現ではないのである。しかるに我が同胞諸君は、服装をもつて唯一の思想的表現なりと勘違いしたか、そうでなかつたら思想をカムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分の立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。
少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである。
もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。
しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。
ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。
もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたものの責任が解消するであろうか。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである。
もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪の観念の交叉する余地はないはずである。しかし、有機的生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題も人間の行動と結びついた瞬間に意志や感情をコンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象に善悪の批判が介在し得るゆえんである。
また、もう一つの別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたらとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜(ぼうとく)、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人人の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(ぜいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
こうして私のような性質のものは、まず自己反省の方面に思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである。
こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。
しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである。
すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任の問題も、便宜的な一定の規準を定め、その線を境として一応形式的な区別をして行くより方法があるまい。つまり、問題の性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位や職能によつて判断する方法である。現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。
しかし、それなら映画の場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないか。しかもこの場合は、いじめたものといじめられたものの区別は実にはつきりとしているのである。
いうまでもなく、いじめたものは監督官庁であり、いじめられたものは業者である。これ以上に明白なるいかなる規準も存在しないと私は考える。
しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである。
たとえば、自分の場合を例にとると、私は戦争に関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念をもちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。
戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。このばか正直をわらう人はわらうがいい。
このような私が、ただ偶然のなりゆきから一本の戦争映画も作らなかつたというだけの理由で、どうして人を裁く側にまわる権利があろう。
では、結局、だれがこの仕事をやればいいのか。それも私にはわからない。ただ一ついえることは、自分こそ、それに適当した人間だと思う人が出て行つてやるより仕方があるまいということだけである。
では、このような考え方をしている私が、なぜ戦犯者を追放する運動に名まえを連ねているのか。
私はそれを説明するために、まず順序として、私と自由映画人集団との関係を明らかにする必要を感じる。
昨年の十二月二十八日に私は一通の手紙を受け取つた。それは自由映画人集団発企人の某氏から同連盟への加盟を勧誘するため、送られたものであるが、その文面に現われたかぎりでは、同連盟の目的は「文化運動」という漠然たる言葉で説明されていた以外、具体的な記述はほとんど何一つなされていなかつた。
そこで私はこれに対してほぼ次のような意味の返事を出したのである。
「現在の自分の心境としては、単なる文化運動というものにはあまり興味が持てない。また来信の範囲では文化運動の内容が具体的にわからないので、それがわかるまでは積極的に賛成の意を表することができない。しかし、便宜上、小生の名まえを使うことが何かの役に立てば、それは使つてもいいが、ただしこの場合は小生の参加は形式的のものにすぎない。」
つまり、小生と集団との関係というのは、以上の手紙の、応酬にすぎないのであるが、右の文面において一見だれの目にも明らかなことは、小生が集団に対して、自分の名まえの使用を承認していることである。つまり、そのかぎりにおいては集団はいささかもまちがつたことをやつていないのである。もしも、どちらかに落度があつたとすれば、それは私のほうにあつたというほかはあるまい。
しからば私のほうには全然いい分を申し述べる余地がないかというと、必ずしもそうとのみはいえないのである。なぜならば、私が名まえの使用を容認したことは、某氏の手紙の示唆によつて集団が単なる文化事業団体にすぎないという予備知識を前提としているからである。この団体の仕事が、現在知られているような、尖鋭な、政治的実際運動であることが、最初から明らかにされていたら、いくらのんきな私でも、あんなに放漫に名まえの使用を許しはしなかつたと思うのである。
なお、私としていま一つの不満は、このような実際運動の賛否について、事前に何らの諒解を求められなかつたということである。
しかし、これも今となつては騒ぐほうがやぼであるかもしれない。最初のボタンをかけちがえたら最後のボタンまで狂うのはやむを得ないことだからである。
要するに、このことは私にとつて一つの有益な教訓であつた。元来私は一個の芸術家としてはいかなる団体にも所属しないことを理想としているものである。(生活を維持するための所属や、生活権擁護のための組合は別である)。
それが自分の意志の弱さから、つい、うつかり禁制を破つてはいつも後悔する破目に陥つている。今度のこともそのくり返しの一つにすぎないわけであるが、しかし、おかげで私はこれをくり返しの最後にしたいという決意を、やつと持つことができたのである。
最近、私は次のような手紙を連盟の某氏にあてて差し出したことを付記しておく。
「前略、小生は先般自由映画人集団加入の御勧誘を受けた際、形式的には小生の名前を御利用になることを承諾いたしました。しかし、それは、御勧誘の書面に自由映画人連盟の目的が単なる文化運動とのみしるされてあつたからであつて、昨今うけたまわるような尖鋭な実際運動であることがわかつていたら、また別答のしかたがあつたと思います。
ことに戦犯人の指摘、追放というような具体的な問題になりますと、たとえ団体の立場がいかにあろうとも、個人々々の思考と判断の余地は、別に認められなければなるまいと思います。
そして小生は自分独自の心境と見解を持つものであり、他からこれをおかされることをきらうものであります。したがつて、このような問題についてあらかじめ小生の意志を確かめることなく名まえを御使用になつたことを大変遺憾に存ずるのであります。
しかし、集団の仕事がこの種のものとすれば、このような問題は今後においても続出するでありましようし、その都度、いちいち正確に連絡をとつて意志を疏通するということはとうてい望み得ないことが明らかですから、この際、あらためて集団から小生の名前を除いてくださることをお願いいたしたいのです。
なにぶんにも小生は、ほとんど日夜静臥中の病人であり、第一線的な運動に名前を連ねること自体がすでにこつけいなことなのです。また、療養の目的からも遠いことなのです。
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日)
http://ribf.riken.jp/~koji/jishin/zhen_zai.html
国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告は、放射線事故などの非常状況時において
公衆の被ばくは20~100 mSv/年を超えないようにという参考レベルを示している。
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=1137
■水に関して
I-131 51.8Bq/kg(03/22は67.8Bq/kg)
Cs-137 検出されず
Cs-134 検出されず
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/31/3155/suisitu/kensuikekka.pdf
Bqの値をSvにするには「実効線量係数」という数字をかけて算出する必要がある。
(成人。子供は摂取した年齢から70歳まで)にあびる放射線量が算出される。
I-131 8.04日 2.2×10-8
http://www.remnet.jp.cache.yimg.jp/lecture/b05_01/4_1.html
51.88 × 2.2×10-8 = 114×10-8 Sv/kg
114×10-8 Sv/kg = 114×10-2 μSv/kg = 1.14μSv/kg
1kg=1リットルの水を飲むと、50年間で1.14μSv/kgの放射線をあびる。
便宜上ここでは、1年間で50年分の放射線を全て浴びると仮定する。
100 / 1.14 = 87
年間で87リットルの水を飲むと、100mSv/年を超える可能性がある。
これは普通に越えそうな値。
例えば、3/24に放出されたI-131は、04/01には半分になる。
そのため、上記浄水場の値は、福島第一原発の状況にほぼ連動するだろう。
現在のような放射性物質が外気に放出される状況が1年続けば上記の計算式が成り立つが、
まとめ
・現状のまま、ある程度の時間が経つならばICRPの参考レベルを越える可能性はある。
本日、京都府警川端警察署に勾留されている京大受験生に寄せ書きを届けてきました。私たちは今回の件に関する京都大学および京都府警の対応に大きな憤りを感じている学生など有志であり、彼の一刻も早い釈放を願うものです。
氏名が分からなかったのですが、差し入れはすんなりできました。以下の寄せ書きのほかに、救援ノート http://qc.sanpal.co.jp/kyuennote/、ONE PIECE総集編(分厚いやつ)、山の本三冊を差し入れました。一人につき三冊まで入れられるとのことです(一日二件まで)。
★どうしてそこまでされなければならないのか。みんな君へのひどい扱いを怒ってるぞ!がんばれ!!
★あなたは悪くない。カンニングの対処ぐらいで警察にたよる大学がなさけない。逮捕されて不安だろうけど、がんばれ。(今年で大学を卒業した学生より)
★aicezuki君へ。「カンニング」行為そのものより、なりふりかまわず警察にチクってあなたを逮捕させた京大当局のほうが何兆倍もひどいと私は思っています。人間を選別し、競争にかりたてる大学受験制度にそこまでして守るべき価値などない。大学は本来、あらゆる人々に開かれた場所であるべきなのに。いまはほんと、しんどいと思うけど、体に気をつけてね。こたえたくないこと、イヤだと思うことには、いっさい答えなくていいから。外に出れたら、どこかで会おう!(京都大学の一大学院生より)
★私は、あなたへ何と呼びかけていいのか分からないけれど。ネット上の名前で呼びかけるのも不思議な感じがしてしまうので、やめておきます。周りが何と言おうと、誰が何と言おうと、あなたのしたことは、警察におわれたり、捕まったりするようなものではないと思います。それはただ単に、大学(京都大学も含めて)のあり方、というものが変わってしまって、あなたがその分かりやすい“みせしめ”にされてしまっていた、しまっている、という話だと思います。あなたのしたことのいい悪いではなくて、マスコミがどれだけ取り上げたとかであなたの取り扱い方が変わっているというのが本当におかしいと思う。苦しいかもしれないけど、あなたのやったこと、されたことにたいしてどこかで何かを感じる人は絶対にいる。私もその一人です。あなたは一人じゃないです。昨日、読売テレビに取材を受けそうになりました。私個人が映像、写真が好きでないのと、テレビが放映されるかもしれないことを考えて断ってしまいましたが。本当は、「この逮捕は不当であり、大学内で処理すべき」と言ってやりたかった。言えなかったのは私の意志の無さですが、そういう人もいる。必ずいる。メディアが流すのは「真実」ではないし、あなたに告げられる全てが「真実」ではない。今はこの文章を書くくらいしかできませんが・・・。
★京都はとっても良いとこ、みんなあったかい人ばっかりやで!警察の言ってることなんて気にしたらダメだよ!!ずっと応援してます。
★警察の、意地の悪いおっちゃんの、言うことなんか聞かんでもええんやから、いくらおどされようとも、自分の言いたくないことは、言わんかったらええんやで。「世間をこんなに騒がせて・・・」なんて、説教をたれてくる、意地の悪い警察のおっちゃんは、絶対におるやろうけど、聞かんかったらええんやから。まあ、なんぼ僕らが励まそうとも、あなたが、しんどいのとかは変わらへんかもしれへんけど、少なくとも、あなたのやった行いを、別にええやん、と、特に特別視することも問題視することもせずにいる人は、いっぱいいるし、僕もその一人です。「頑張れ!」としか言えないんだけども・・・。ほんま、マスコミとか警察、そして大学当局が馬鹿みたいに騒いでるけど、気にせんかったら、いいからな、頑張れ!
★試験会場でも勾留されている今も孤独(コドク)と感じているかもしれませんがこのノートにあるように、あなたはコドクじゃありませんよ。テストでわからないことがあって、人にきくことが、なぜ犯罪になるのか。人は一人で生きているものではないよ。わからないときは、人に聞いてもよいというメッセージをあなたは広めたと思います。(京都で楽しい生活を送った大阪に住む人より)
★警察に受験生を突き出した京都大学を、許さない。カンニングでタイホされるなんて、絶対おかしい。私のまわりの人もみんな言ってます。どうか、こんなことに負けないでほしい。大学受験をあきらめないでほしい。メンツを保つのに必死な大学、ネタに飢えてるだけのマスコミ、絶対に許さない。がんばれ!まけるな!あなたは悪くない。犯罪者扱いしてるヤツらは許さない。(3浪京大生より)
★あなたは英雄です。英雄は試験に直面したり、大変の無理解に苦しむものです。あなたが切り開いた可能性は大きい。そして歴史は、京大や警察ではなくあなたの側にあります。それぞれの現場で、これからも共にがんばりましょう。
★ひどいめにあったね。とうきょうにくることがあればあそびにきてください。
★カンニング程度で被害届とは狂気の沙汰。思い悩むこともあるかもしれんが、完全に大学側がアホなのでくじけないように。寒いと思うけどガンバレ。応援してます。(企業奴隷より)
★カンニング自体は許される行為ではないと考えますが,それが偽計業務妨害罪などという罪に当たるか自体がかなり議論のあるような状態で,東北から遠く京都まで身柄を引っ張って来て,逮捕勾留という強制的な身体拘束をすることが正当とは思えません。既に全国的に過剰な報道がなされており,また,警察による意図的な取調べがなされることにより,真実がねじ曲げられる懸念もあります。一刻も早く,逮捕勾留された少年の身柄が解放されることを望んでおります。
★たった一人の若者の反乱と攪乱に、権威と権力を持つ大学と警察とメディアが自らのナルシシズムを省みることなく引き起こした大騒乱が、現今の社会の醜悪な権威と権力の腐乱したカリカチュアでしかないなら、責めを負うべきは受験生という若者一人ではとうてい有り得ないというべきだろう。問われているのは責任でも罪状でもましてや良心などという道徳や倫理でもなく、むしろシステム維持と面子に執心する権威主義と保守主義の排外的で抑圧的な浅ましさではないだろうか。必要なのは血塗られた犠牲の羊という現在ではなく沈着さと思慮のもたらす未来への投企の力ではないだろうか。もしその力が意に反し貧困でしかないのなら、いまわたしたちの為すべきことはただひとつであるはずだろう。
★京大生でも今回のタイホはおかしいと思ってる人はいます。私も今回のタイホはおかしいと思います。吉田寮から応援してます。
★ぼくはカタブツなので、試験中の不正行為はいかなる事情があろうとも決して許容すべきではないと考えています。今回あなたが犯した行為は、多くのマジメな受験生に対して侮辱であり・・・ということを改めて書くつもりはありません。あなたが反省してさえいれば、これ以上の罰は不要です。(農学部3回)
★aicezukiさんへ。「カンニング不可」なんて学校が決めたこと。それが罪に問われるなんて「明らかに不当」である。君は不当に逮捕されているのだ。それを決して忘れないでほしい。警察に洗脳されることなく、自分が罪を犯していないことを絶えず考えていてほしい。(京大生、文学部生より)
★別に、そんなに騒ぐほど悪いことしてないよね。(元京大生)
★苦しかった受験勉強の上で受けた受験のプレッシャー、とても辛かったと思います。あなたがしたことは他の受験生から見たら非難するべきものであるかもしれませんが、このようなことが起きても、私は不思議だとは思いません。それを、京都大学との話し合いもなしに警察に引き渡すということは、やりすぎなのでは、と思います。頑張って下さい。応援してます。(京大理学部生より)
★aicezuki様へ
これ以外にあなたの呼び方を知らないので、便宜上こう呼ばせていただきます。もはや、あなたにとってこの名前は思い出すのも辛いものなのでしょうが。しかし、この後でも触れますがあなたのやったことは、世の中が騒ぐほどには、そんなには悪くは無いのですよ。だから、この名前をみたからといって、あるいはテレビをつけて大人たちがしたり顔でこの名前を呼んで非難していても、あまりへこんだりしないでください。
私はこのメッセージで、あなたのやったカンニングという行為自体の是非について云々言うつもりはありません。今の入試制度はダメで、あなたのやった行為はそれに風穴を開けるような革命的行為であってとか、あるいは入試制度は厳然とあるんだから、その公平性を揺るがすのはとんでもない行為だ…云々とか。私は今の入試制度が良いものだとは決して思いませんが、それをどう改善していっていいものか代替案など考えていたりしているわけではちっともありませんので、何せ偉そうなことはいえません。何よりあなた自身はどのようなつもりもなく、ただ合格したいという一心でやったことなのでしょうから(そういうつもりで無かったらごめんなさい)。まあ入試制度等々について色々と考えた方が良いのでしょうが、行為自体の是非についてはひとまず置いておきましょう。
少々前置きが長くなってしまいましたが、改めて私があなたに応援のメッセージとして言いいたいことを言わせていただきます。あなたは、たかだかカンニングくらいで逮捕されてしまい、警察やメディアといったよく知らない大人たちに二重三重にか囲まれ、非難や擁護を受けながらわけの分からない状況にいるのでしょうが、あなたは本来はそんな状況に置かれなければならないほどには悪くはないよ、ということです。カンニングがばれた以上は不合格は仕方ないでしょうが、ただあなたが今逮捕されている状況は間違いなく不当であり、どう考えても非常識なバカな大人たちの行き過ぎた制裁です。ちょっとしたケンカをして相手にかすり傷をつけたからといって逮捕される人っているでしょうか?駄菓子屋で10円ガムを盗んだからといって逮捕され、あまつさえ社会に論争を巻き起こすことがあるでしょうか?もしあったとしたらおかしいですよね。やりすぎですよね。でも、そんな変てこな明らかなやりすぎを今回やってしまったのですよ京大は。京大にどういう意図がある(あるいは無い)にしろ、自分たちの用意した監督官の不手際とか内部調査をしない怠慢を棚上げにしておくためには、逮捕というのは結果的には絶好の手段になりますからね。あなたを、まるでとんでもない悪人であるかのように扱うことで、自分たちは一方的に被害者であるかのように見せることが出来ます。まああれこれ考えたところで、どういう意図で京大がこういうことをやっているのかは本当のところはわかりませんが、しかしどちらにしろ、あなたを警察に逮捕・起訴させるという行為があなたにとって、大学にとって、社会にとってどういう影響を与え、どういう事態を巻き起こすのかすら全く予想できないバカが今の京大の執行部の連中なのです。だから、あなたは今非常に辛い状況にいるのでしょうが、この事態が自分が悪いせいだとかあまり自分を責めないようにしてください。何度も言いますが、あなたは無知な大人に過剰な制裁を受けてしまって不当にも今のような状況にいるのだと私は思うのです。
あまりに過酷な仕打ち受けてしまった今、適当に「がんばれ」とか「負けるな」なんて励ましを言っても、あなたが再び立ちあがる上ではあまりに無力なような気がするのでとりあえず「あなたはそんなに悪くない」とだけ、言っておきます。それが、私がこの事態を傍観していて抱いた、素朴で単純な実感であり、これ以上でも以下でもないし、これ以外もありません。
本来ならば、他人同士で私はあなたのことを応援も非難もすることはなかったのでしょうが、こうなった以上、つまり不当にもあなたのしたことを何か重大な話題であるかのように扱う風潮が蔓延して非難や擁護が飛び交ってしまっている以上(本来重大事として扱わなければならないのは今回京大の執行部がまたまた踏みにじった大学の自治についてだと私は思うのですが)、とりあえずあなたを応援するしかないと思っています。こういう形でなんとも無力な応援ですが、何か少しでもあなたにとって勇気付けになれば、私としては本当に幸いです。あなたの入学しようとした京大ってこんなもんです、社会ってこんなもんです。それでもあなたがまた入試を受け たい(京大でもどこでも)だとか、あるいは就職なり何なりで社会に出るだとか、何にせよあなたの選択する道を私は影ながら応援しています。仮にも最高学府の1つと言われる大学に受験するという所まで漕ぎ着けたのですから、あなたのこれまでの人生での選択ややってきたことはそんなに大きく間違ってこなかったのだと思いますし(まあ学歴やいわゆる「頭の良さ」で人生の良し悪しが決まるとは当然思いませんが、それなりは誇っていいのかなとも思います)、そしてこれからもそうである事を祈ります。少なくとも変な大人たちの引き起こした騒ぎにその選択がゆがませられないように、そこだけはあなた自身がこれからがんばってください。応援しています!(最近卒業したばかりの元京大生より)
(以上)
俺よりも少し年下、20代半ばのイケメンの知り合いがいる。かなりのイケメンで、高卒の俺からは眩しい学歴があってリア充で、ブサメンで人望がない俺なんかにはもったいない友人なんだが、割と慕ってくれているので有難い。
付き合ったり話をしているうちに、実はかなり頭が悪いことが分かってきたという話。
ある晩の酒の席でサイドビジネスや不労所得の話になったとき、彼から実は株を始めていることを聞かされた。詳しく聞いてみると、株を教えてくれる教室に通っていて、株をやるためのソフトウェアを購入したのだという。教室の先生は株式売買のエキスパートで、その先生が用意したソフトウェアを用いて臨めば、高確率でうまくいくのだと。
株式売買もFXもぜんぜん分からないし、あまり興味をもてない俺には想像がつかない世界だが、周囲の人間から株をやるための準備金として80万円も使ったという話は聞いたことがなかった。
「騙されている」
そこまでは思わなかったが、それはちょっとおかしいような気がした。こいつ騙されやすいかもしれないなと思った。
ちなみに今日時点で、彼は株から足を洗っている。収益はだせず、教室代とソフトウェアのローンを支払っている最中である。
ある晩、電話があった。
「XXXさん(俺のこと)、アンチエイジングをご存知ですか?」
そう切り出され、健康食品や化粧品を取り扱うマルチ商法的なビジネスに関心があるのだという話を聞かされた。知ってるよ。ねずみ講ではなく、ネットワークビジネスというやつだよね。
「よく知っていますね。俺も最初に聞かされたときには怪しんでいました。でもその人の話を聞いたり、ネットで調べるうちに、これは信用できる。21世紀のビジネスはアンチエイジングだと思っています。XXXさんも今度ぜひセミナーに参加しましょう」
調べてみるよ、また連絡すると結んで電話をおいたあと、彼が始めたというネットワークビジネスを調べてみた。苦情の坩堝だった。特にその最初に参加するセミナーは「マインドコントロールセミナー」と呼ばれるらしい。ネットで調べて信用できると思えたというのは、何を指していたんだろう。
電話から2週間くらい経ってから、メシの誘いがあった。彼以外のマルチ商法関係者が来ていたらイヤだったが、そんなことはなかった。
例のビジネスの話題になり、意見を聞かれたので、「ぶっちゃけ、まったく信用できないと思った」と正直に言った。すると、意外な返事が返ってきた。
「俺もそう思い始めています」
信用できないと思えてきたらしい。彼はそのビジネスをやってみたいと母親に伝えたところ、やめておけと反対されたのだという。まあ、そうだろうな。君のお母さんがそれなりの常識を備えていれば反対すると思うよ。
「占い師というわけではないんですが、説明できる言葉が無いので便宜上それでいいです。このエピソードをなぜ披露したかというと」
要するに、母親はただ反対したわけではない。その占い師さんの意見を仰いだ上で反対しているのだから、彼自身も考え方を改めたのだそうだ。俺には「なるほど」としか言えなかった。
アフィリエイトの話は俺から切り出したということもあるんだけど、彼自身も元々興味があったようだ。俺自身はWebアプリ用のフレームワークをいじったりするのが楽しいので、適当なWebサービスをリリースして、あわよくばアフィで収入を得られればという程度の考えなんだけど、どうやら彼は違ったアプローチをとっている。
「XXXさん、アフィやるにあたって、情報商材は何を買いましたか?」
アフィリエイトを始めるために情報商材を買わないといけないものなのか?そもそも情報商材って。大胆なうたい文句をズラズラ並べた縦長のページで売っているやつですか。
「そうです。怪しいですよね。おれも詐欺に気をつけながらよくよく吟味しましたよ。で、PPC広告でアフィリエイトサイトへ誘導して収入を得るための情報商材を購入しました。3万円で3ヶ月間コンサルタントしてくれるのです。評判を見た限りでは、これでうまくいかなければ何をやってもダメなのだと思っています」
そう意気込んで話してくれた。情報商材でボロ儲けって、いかがわしいダイエット広告やトルマリンパワーくらい現実味がないと思っていた。件の商材のURLを送ってもらい見てみたが、その考えは変えられなかった。
騙されやすいのか、好奇心旺盛なのか、人を疑うことを知らないのか、どう表現すればいいのか分からないが。
彼は生まれ育った環境のおかげでそういう性格になったのだろう。占い師のエピソードでそう思った。実際にこういう人がいるんだなとも思った。
俺が二次災害的に騙されることが心配なので、距離を置いて付き合っていこうとは思う。
そしたらえらい怒られた。そんなもん相手にしても消耗するだけだと。
って言われてるのに
いろいろ考えたんだけど、友達に借金することにしました。とりあえず200万くらい。
といっても本当に借りるのではなくて、便宜上借りることにするだけですが。
それで、一度実家に行ってこようと思います。借金の申し入れに。
「親子兄弟は助け合うものだって言ったじゃない!私のことも助けてよ!」って言ってきます。
今回貸してくれたら、もう一度借金します。それでもダメならさらにもう一度。
DQNな返しだというのは自覚しています。でもたぶん同じことしないとわからないと思う。
これで縁を切るといわれたらそこまでだし、とことん付き合ってくれるなら考える。
なんでこんなめんどくさいことするの
それやってる内にまたズルズル変なとっかかりが出来るだけでしょ
友達の助言をちゃんと聞けよ
元増田です。
そしたらえらい怒られた。そんなもん相手にしても消耗するだけだと。
逃げられるならとことん逃げな! と言われて、ちょっと気が楽になった。
今回の狙いは、妹が「お金出せ」で、親が「お金出せ、ダメなら妹+子供引き取れ」で確定です。
親のほうは手紙にそう書いてあったので、間違いない。
妹はお金がなくて遊びに出られないのが不満らしい。またパチか。
実家のご近所さんに恐る恐る連絡してみたら、毎日ケンカでえらい騒ぎなんだって。
親が「ごくつぶしは出て行け!」で妹が「居座ってやる!」になっているらしい。
お騒がせして申し訳ありませんと土下座したくなる気持ちで謝ったよ。
恥ずかしくて穴がなくても穴掘って埋まってしまいたい。
お金についてはさらに情報があって、妹の元旦那さんに養育費の増額要請がきたそうでw
ベビーシッターを頼まないかわりに自分で面倒を見るから、その分の費用を上乗せしろと。
何を考えているんだかわかんないねぇと2人で笑ってしまった。
また、「家を売ったんだから半額よこせ」とも言われているらしい。
家を売るためにローンを即時全額返済しなきゃいけなかったし、
被害者への弁済をしただけでも足が出てるというのに。
いろいろ考えたんだけど、友達に借金することにしました。とりあえず200万くらい。
といっても本当に借りるのではなくて、便宜上借りることにするだけですが。
それで、一度実家に行ってこようと思います。借金の申し入れに。
「親子兄弟は助け合うものだって言ったじゃない!私のことも助けてよ!」って言ってきます。
今回貸してくれたら、もう一度借金します。それでもダメならさらにもう一度。
DQNな返しだというのは自覚しています。でもたぶん同じことしないとわからないと思う。
これで縁を切るといわれたらそこまでだし、とことん付き合ってくれるなら考える。
私は迷うこともなく、それを振ったのだけど、端的に理由をいえば『いい知れない気持ち悪さ』があったからだ。
大学の後輩を便宜上、Fとしよう。私とFはバドミントンのサークルに入っていて、別に中が悪いというわけもない。飲み会に行けば気兼ねなく話が出来るし、Fが元カノの話をしてたって、ふんふん――それで? と私は興味がないから、適当に相槌を返す。彼が話す内容って、彼女の思い出話とかじゃなくて、どういう女だったか! って性格とか、外回りの話でしか無いんだよね。私はそれを訊いていて、Fって女のことを外見でしか判断してないんじゃないかって思った。だって、ちゃんと相手のことを見ていれば、もっと深い話が出来るはずなのに、Fは元カノの話を私と話すときの(切っ掛け)とか材料でしか使ってない。嫌じゃなかったけど、そこに凄い壁を感じてて、私はFという男に対してそういう男なんだ、なんて評価を勝手に下していた。
サークルが終わった後に、Fと飲みに行った。そりゃ誘われたら行くわ。私はお酒が好きだから。
いつもの居酒屋で、サラダを注文して、それが来たら早速食べて、一杯目のカシオレを飲んでいる時に急にFが口を開いた。
「そろそろ付き合って欲しいんだけど」
は? って思った。そろそろも何も、私ら別にそんなムードとかないじゃん。意味が分からなくて、その言葉の真意を訊きたいとも思わなくて、私はFに「うちらが付き合うとかありえないでしょ?」と脊髄反射的に返す。こういう時は言葉のクッションとか必要ないと思う。でも、Fは私の言をはねのけるのだ。
「いや、おれマジで○○(私の名前)のこと好きなんだよね。本当に付き合って欲しい」とか言いやがるわけ。
私はさっき、Fが前に付き合っていた女のことを、外側でしか見てないと書いた。少し足りない部分がある。彼はsexualな話も私と交わすわけだが、前に付き合っていた女との性的な――そう、性生活の話もする。同棲してたらしいし、毎日猿みたいにやってたらしい。そこに気持ち悪さを感じるわけじゃないけど、彼はいつだって臆面もなく、そうした話を繰り返すのだ。
私は、凄く嫌なことがある。
告白って、つまり『君とセックスしたい』っていう言葉を言い換えただけじゃないのか?
私達だって、大学生で、そろそろ良い年齢だ。中高生とは違う。条例でセックスが禁止されているわけでもない。私自身、別にそうした行為が嫌いなわけではない。ごく自然なものだと思っている。
だけど、それを面と向かって、『告白』というカタチで表明されるのが、何故か言い知れぬ怖さを感じさせるのだ。
男って、そういうことに気が付かないのだろうか? 付き合ったら、そりゃセックスなんて当たり前にするだろう。愛してたら身体を重ねたいに決まってる。キスもしたい、抱きしめたい。私も好きだったら、そう思うに違いない。
別に、Fはいい友達かも知れないが、私は彼のことは好きではない。前述した全ての行為をなぞりたいとは思わない。
私が余計なことを考えている間に、つまみがテーブルに並べられる。
ザンギを食べながらFに訊いたのは、ひどく直接的な言葉だった。「あんたさ、ただセックスしたいだけじゃないの?」
言い訳が嫌いなのに、Fは「違うって、マジで好きだから付き合いたいって言ってんだって!」って本当に真剣な顔をしていて、それだけはちょっと笑えた。私は好きとか、嫌いとか、愛情とか、そういうの全部ひっくるめて全然分からないのだ。
私が過去に付き合った男とは、本当に将来を考えていたと思う。ただ、若くて馬鹿だったんだとも思うんだけど、そうした彼らと(いわゆる)お付き合いってやつをして、性的な付き合いもして、でも、それって本当に愛されてたんだろうか? って疑問に思った。私は、ただ、女として見られていただけじゃなかったんだろうか? すぐやれそうだから、付き合ってみたいと思われたんじゃないだろうか?
そうやって空虚な気分に陥ってしまうのも仕方ない。私はいつも、相手から交際を申し込まれるのに、相手から振られる。私がこういう性格だから、それを見抜かれてしまったのかも知れない。
一時期、私はひどく荒れていて、どうでも良い男と寝たりした。別に好きでもないのに、ちょっと優しい言葉を掛けられたら、ラブホに直行だ。ちゃんと避妊はしたけど、そうした数多の男はみんな一度きりだった。みんなただ、ちょっとやりたかっただけじゃないのか?
少し臆病になり過ぎているのかもしれない。もしかしたら、私が気付いていないだけで、Fは私を本当に幸せにしてくれるのかもしれないけど、私は「好き」って言われるのが怖くなってる。その先にあるのが、どうしても性的なものに繋がっているような……そんな感覚が拭い去れない。
その日は、Fには「今はそういう気分になれないから」って、彼氏はいらないからって、断ったんだけど、でも本当にFが私のことを好きでいるのなら、もう一度くらいアプローチされたりするんだろうか? でも、私はひどく怖いのだ。それが。
優しくされたり、甘い言葉を掛けたりしてくる男ってのは、今までのパターンだとみんな同じだった。すぐに寝ようとする。私の自尊心なんてとっくにズタボロで、それに対しては何もいうことはないけど、こんな固定概念は簡単には拭い去れない。
こうやって、考えてたら面倒になってきて、もういっそ1回Fと寝てしまった方がいいのだろうか? とも思ったりする。セックスしたら、相手のことが分かるのだろうか? 分かるわけないのに、分かった振りをしたいだけなのだろうか私は?
Fから着たメールを返さないで放っておいてる。また一緒に呑みに行きましょうだって、その裏側って、一体なにが隠されてるんだろう?
Aとはアナルセックスを数度しました。感想は、痛い・気持ち悪い。だんだん体が冷たくなって、冷えによる腹痛が起こりました。Aのおちんちんは大きいほうだったので、5分くらいしか耐えられませんでした。
Bとアナルセックスをしたいと思うようになったのは、彼とはじめてセックスしてから二ヶ月目くらいです。Bとの体の相性はたぶん合っていると思います(Aと比較して、ですが)。
Aとアナルセックスを数度(10回ないくらいかな)したうちの最後のあたりで、快感の扉のドアノブに手が触れたような気がするんですね。だから、Bとのアナルセックスでドアをオープンさせたいんです。なにより、大好きなBに全て(の穴)をささげたい。ビッチです。
Bとアナルセックスしたいなあ。一回すれば好奇心は収まるんだけどな。
Bはしきりに「体の負担が大きいし、増田が耐えられるとは思えない。あれは玄人しかできないプレイだ」って言ってるけど、
「いや、よゆーよゆー。ちょっとしんどいけど、大丈夫だったよ」
って、言えないし。
昨年の10月に振られた。
昨年の12月に、相手から仲直りを求められた。
そこから、何度か崩れ掛けながらもズルズルと友達なんだか恋人なんだか分からない関係を続けてた。
こき使ったり、暴力された事もあったりと、良い扱いを受けてたとは言えないけど、甘えさせてくれてたし、たまに甘えてきた。
「みんなの前じゃ恥ずかしかったから」とか可愛い事も言ってた。
自分については書くと恥ずかしいのだけど、容姿は良いとは言えないし、なかなかふとっちょでもある。
それ故、今まで女の子と付き合うなんて経験をした事もなく、昨年の4月に告白された時なんかはもう舞い上がっていた。
相手の言っている事を疑いもせずに信用した。「好き」だとか、「愛してる」だとかいう言葉が嬉しくて、労力もお金も消費する事を惜しまなかった。
当時の自分では、精一杯相手のことを大切にしたつもりだった。
ただ、相手を取り巻く環境はそれなりに特殊で、それが原因で次第に相手に対する愛情は崩壊していった。
しかも、その事を僕に事前に告げた上での告白に踏み切っている。何かがおかしい。
更に、その彼氏は家族ぐるみでの結び付きで、親同士が仲が良いので、別れるに別れられないと。
その上、その彼氏はかなり優秀な奴だった。通うところからして自分たちとはレベルが違う。
第二に、親がかなりのキチガイだった。
いつも親に自分の行動を制限され、身体的、精神的、経済的にも暴力を受け、家内は父と母が対立して居て、そのどちらの味方にも敵にもなれない彼女。
「両親から愛されないから、他に愛を求めた」とかこれまた可愛い事を言ってくれた事もあったけど、
家内での苛立ちのはけ口になるのも、これまた僕に対する暴力だった。
10月に振られた時には「やっぱり元の彼氏の方が良いから」、と言われたので、それなりに吹っ切れたつもりだった。
でも、12月に仲直りを求められた時には「あの時彼氏の方が良いと言ったのは、あなたに自分を責めて欲しく無かったから、私が悪い事にした」と言われてしまったので、承諾してしまった。
なにより、自分が他に仲良くしている人達が、彼女とも交流があるので避けるに避けられないと言う事もあった。
本当ならこの時点できっぱりと「ふざけんなよこの野郎」とでも言ってスッパリ関係を断ち切っておけばベストだったんだろうけど、
正直な所、女子が親しくしてくれる事なんてそうそう無かったので、ズルズルと友達以上恋人未満を続けていた。
ある時、他の知人が彼女に告白した。しかも時期こそズレるが、2、3人と。
彼女は「付き合ってくれ」と言う事には応じる事も拒むこともせず、ただ相手の望む事(一緒に何かをしないか、等)には応じていた。
決して自分はもう彼氏でもないが、それでも比較的近くにいたかった気持ちもあったので、もちろんその都度追及はした。
返事は決まって、「ただ相手のしたい事に応じているだけ。来る者は拒んでいないだけだし。」だった。
ムシャクシャするくらいならもう縁を切ってしまおうかと何度も考えたけど、優柔不断な僕は結局ズルズルと関係を続けた。
今日、彼女とIMで会話をして居た時に、ふとした事で本音をぶちまけられて、そして本音をぶちまけた。
本当に色々な事を吐露された。
以下に羅列したいと思う。
…何がどうなってるのか分からない。
もう、正しいのがどれで間違ってるのがどれとか分からない。
多分彼女を手放せば、僕に親しくしてくる女子なんてほぼ居なくなるだろう。
それが嫌だったから、ズルズルと続けて来た。
でも、これだけの事を暴露されちゃってなお、どうすれば良いのかが分からない。
承知した上で、自分も泥沼に浸かってしまえばいいのだろうか。
それとも、彼女の言うとおり、一刻も早く泥沼から抜け出すべきなのか。
自分が考えている事が正しいのか、彼女の言った事が正しいのか。
もしこれで僕が決裂する道を選んだら、これからの交友関係はどう変化していってしまうのか。
ただの友達以上恋人未満のはずなのに、一体どうなっているんだろうか…。
支離滅裂な文章で失礼しました。
NCISってアメリカの海軍出てくるドラマ見てたらそんなことをふと思った
廊下もぎりぎりすれ違えるくらいだし一般兵なんて個室どころかカプセルホテル並
こいつらどんだけでかいんだ?と不思議に思ってちょっと調べてみた
ニミッツ級原子力空母と全長がほぼ同サイズ(300m弱)で幅が2倍から3倍(ニミッツ40mWB約200mナ150m)
高さは空母のほうがwikipediaになかったけど最低でも2倍以上の空間があると考えていいと思う
まぁアニメの戦艦は空間占有体積に比べてデザイン上の無駄な空間多いけど便宜上倍以上の空間があることにする
排水量や重量から面積を予測するのは空想科学的に無意味である(ex:マジンガーZやウルトラマンの体積と重量の矛盾)
もっとバカでかいかと思ったらそれほどでもない感じだ
そして乗員は空母が船員3000名乗員2500名で5000人以上が乗っている
対してWBは225名ナデシコも214名
2倍以上の面積を1/10~1/20の人員で使用しているわけだからそら空間もあまるわけだわ
angmar 無責任に面白がってるアウトロー気取りが鬱陶しいのはさておき、これでコミティア本体が潰せるわけもなく、一部のエロ系創作家が追い出されて終わりな可能性が高い面で闘争としてどうなのと思わなくもなく。 2010/06/03 y_arim twitter, 揉め事 私怨でコミティア潰す、か。面白そうだな。そのやり方、上手くすればビッグサイトから同人誌即売会追い出すくらいはできるかもよ。91年のコミケや94年のシティのように。 2010/06/03
angmar こういう話に関して、開き直りとか上から目線で面白がってる手合いが一番クソだと思う。というとまた「クソだとは十分自覚してるよ」とか返すのでこの手合いはどうしようもない。 2010/06/03 y_arim twitter, 揉め事 id:ululun いやー、この件については「面白そうだからもっと暴れろ」スイッチが入ってしまった。基本愉快犯なので 2010/06/03http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/akami_orihime/status/15227172705
二人は仲良し