はてなキーワード: Wikipediaとは
人間はほぼ全員が死に本能的な恐怖を感じるし、できれば死にたくないと思っている。
また、死に近づきそうになると苦痛を感じるようにもできている。病気、ケガ、空腹、疲労などなど。
本格的に死へ近づくと、苦痛の度合いが耐えがたいほどになるのもわかっている。
生まれてしまったらいつか死ぬのは間違いないし、その途中で苦痛を感じる可能性もかなり高い。
(死がそこまでネガティブでない場合に直前の苦痛を避ける手段として安楽死が選択肢になってくるが、ややこしくなるので触れない)
生まれたいかどうか、生まれる前に本人に確認することはできない。
実際に何年か生きてみて生きるのが嫌だと思ったとしても、もうキャンセルできない。死ぬのは怖いし、苦痛もあるだろうから。
この取り返しのつかない事態を完全に避けるには、生まれることを否定するしかない。
というのが自分なりの「反出生」に至る考え方。
気が滅入りそうなので反出生主義系の思想はちゃんと読んだことないけど、ショーペンハウアーに近いっぽい?
「反出生」なら思想や作品も歴史的に見ればたくさんあるよ(一つの時代で多数派になることはないだろうけど)
反出生主義 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9
年 | 名称 | 概要 |
---|---|---|
1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。
蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸を絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである。
もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。
例えば「絶対悪の淵とやらから救い出すべきかどうかなど天上界のお釈迦さまでもない人間には判断しようもないが、それはそれとして良いことの一つや二つくらいはしていたかもしれない」いう立場だってありますよね
誤った二分法(あやまったにぶんほう、英: false dichotomy)、選択の限定あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。
絶滅を危惧してうなぎを食べない(あるいは絶滅に配慮して流通されたうなぎしか食べない)主義って「環境保護的観点が動機のうなぎ限定の禁肉食主義」と言ってしまうことも出来るのに。
うなぎ食べない派の人がある程度存在するのにヴィーガニズムが否定される傾向にあるのはちょっと不思議な気もする。
そこまでヴィーガニズムに強い拒絶が示されることはないだろうに、と思う。
結果的にやってることは似ているんだけどな。
解決を試みるために手元にあるアヒルちゃん人形と対話してみよう。
「そもそも禁うなぎ主義でありながらヴィーガニズムに嫌悪感を示している人って実在するの?」
「それはわからない。いないかもしれない。とりあえずここではいるという前提で進めよう。」
「あなたはその人に『禁うなぎ主義に賛同しているのならヴィーガニズムにも一定の理解があってもいいだろうに』と問いたいんでしょう?」
「実際そうだね。」
「うーん、改めて考えてみたけど禁うなぎ主義に賛同していてもヴィーガニズムに賛同するとは限らない……かな。禁うなぎ主義はあくまで人間中心主義的な考えだけど、ヴィーガニズムは人間中心主義と対立する考え方だから。」
「Wikipediaからの引用だけど人間中心主義ってのは『自然環境は人間によって利用されるために存在するという信念』だってさ。禁うなぎ主義者はあくまで人間に利用される資源の保護というのを目的としているんだろうね。その一方でヴィーガニズムは——ヴィーガニズムにもいろんな派閥があるけれど——動物の権利を大事にする考えだよね。」
「『ヴィーガン』という呼称にはどうしても動物の権利を大事にしていますというニュアンスが含まれてくるってことか。でも動物の権利とかそういう話ではなく、環境破壊に問題意識を持ったヴィーガンってのがいるんじゃない?そのいろんな派閥の中にはさ。そのヴィーガンとなら禁うなぎ主義は合流できる気がするんだけど。」
「たしかに実際にヴィーガンを名乗る人の中にはそういう問題意識を持った人もいるかもしれないけど……。」
「まあやっぱり合流は無理かもな。少し前に炎上狙いTwitterアカウントがトランスヴィーガンを自称しながら肉を食べてたじゃん。確かにあの釣りツイートは見るに堪えないものだったけどヴィーガンは馬鹿にしていい風潮があるからこそ釣られる人が一定数いた気がする。話はそれるけど個人的にはヴィーガンがたまに肉食べてもいいじゃんって思うけどね。0か100ではなく出来る範囲で活動するのだって意義はあるし。」
「確かに『私は禁うなぎ主義だけどヴィーガンと一緒にしないでほしい』みたいな反発はありえるかもね。」
こんなところかな。
「別の観点も考えてみよう。『ヴィーガンは主義の押し付けをしてくるから嫌い。私はうなぎを食べないけれど、それを誰かに押し付けることはしない。』という意見はどうかな?」
「いろんな反論が考えられるけど『むしろ禁うなぎ主義を他の誰かに啓蒙(=考えの押し付け)しようとしないのは何故?』ってのはどう?」
「それは他人の行動、食生活にケチつけるのはよくないことだから……みたいな返事をしておこう。」
みたいな話も気になるけどまた後で考えてみるか。
ふと、ときメモみたいなゲームって今あるのかと思ったけどあるの?
恋愛ゲーム (ゲームジャンル) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB)
んー、これじゃわからんな。
スマホじゃなくて、
女性向けじゃなくて、
育成要素があって、
決められたシチュエーションの中で、
そんなゲームっていまあるの?
【神回】ツイフェミを個人勢Vtuberがオーバーキルする一部始終【かなえ先生切り抜き】フェミニズム歴史講義
https://www.youtube.com/watch?v=XKK3i7F11SM
痛快!これだけでご飯が3杯進む。そして、Wikipediaとかよりも全然詳しい。
「おまえフェミニズムわかってんのか?」
と女が言えば、ひるむと思ってるみたいだけど…もしその話を俺に言ったら【ああ、左翼がドン引きされたから、擬態のために歴史ある思想に寄生してるって話かい?】とかボロクソ言うからな。
絶対に、俺には言うなよ?
「筋が通らない、迷信に基づいている、実態とかけ離れてるモノに言及し、しっかりと正していく思想」
だったはずだよ。
フェミニズムが筋の通らないモノになってしまってるのは、ツイフェミの祖先がラディフェミとマルフェミという筋の通らないフェミニズムだからだよ
フェミニズムの中でも
という人については、ぼくも大賛成。
でも、上野千鶴子以降(マルフェミが誕生してから)は、「左翼な人が、政党名や思想を隠して擬態するツール」にフェミニズムは成り果てたの。
ざっくりいうと、ツイフェミの源流は
がおるんやけど…どっちにしても今の子には「加齢臭」か「ルサンチマン」のニオイして、苦手なのよね。
思想というより、「アンチ」なだけだから、まともにやってる人から嫌われる
そうそう。
「誰かのアンチ」
アンチしている対象が変わったり消えたりしたらアンチは一気に色褪せるからな?
表向きと違って中身がボロボロな上に、これ幸いにと全ての責任をマスク氏に押し付けて好き勝手やってる社員がたくさん暴れてるわけだ。
みんなさ、なんで実行犯をさしおいてマスク氏だけが悪いと確信してるの?
何の根拠があってそうと言いきるの?
ぼくにはそっちの方こそわからない。
ぼくは元々マスク氏のことをブラック経営者として嫌ってたんだけど、Twitterの騒動で逆にマスク氏のことを見直してるとこだよ。
普通なら何ぞやらかしおった実行犯を捜し出して吊す事も出来ただろうけど、氏はTwitterのシステムや組織や財政の立て直しに全力を出してるから、犯人捜しも吊し上げも後回しにして矢面に立ってるんだろうよ。
普通なら誰かを生贄に捧げるにしても、シニアエキスパートやチーフエンジニアなりを盾にして、表にゃ出てこんのよ。
実際、これまでのTwitterはそうやってきたじゃない。
何かトラブルが起きたところでCEOは矢面に立たんのよ、普通は。
これまで幾度となく起きたトラブルに改悪騒ぎに、そのたびCEOの名前が出てきたことがありましたか?
無いでしょ?
だから今マスク氏叩きしてる人は以前のCEOの名前を言えない。
あ、今Wikipediaを見に行った人、えらいよ!
ちゃんと調べてモノを考えられるのは立派なことよ!
さあさて、責任ある立ち振る舞いとして立派なんはどっちかな?
ちなみに新CEOのヤッカリーノ氏もガッツリ矢面に立ってるね。
そりゃあ、前線に立てばそれだけで偉いってワケじゃ無いけど、CEOとしての責任ある振る舞いとしてはどっちがマシかしら?
話は少し変わるけど、そもそも、代表者以外の一切が視界にないのは兎も角、概念すら無いのは何なの?
そんなんでよく「評価の上で批判してますぅー」ってツラ出来るね。
面の皮の厚み何センチかな?
その厚みの分だけ脳味噌少なそうですね。
しっかしほんと、組織や他人に対する評価がイビツ過ぎなんやわ……
ブコメでぼくのことを信者がどうのとかボロクソ書いてるバカがわんさかおったけど、ホントあんたらは党派性でしかモノを考えられんのな。
あんたらみたいなのは一生モノを解ったつもりになって方々に敵を増やしながら周囲をバカにして回ってりゃいいわ。
ぼくは何も解らないままでいいよ。
今後もずっと間違いながら、騙されながら生きていく。
3回目観てきたやで(入場者特典色紙はづっきーだった)。
…前からTogetterのコメントに「頭悪いなぁ〜」と思ってたけど、今回はさすがにちょっとブチ切れるレベルで頭悪い。
なに?
田舎者って言われて傷ついたの?
まずさぁ…
というコメントやスタンスに影響された人が多すぎるんだけど…お前ら、「貴種流離譚」や定義についてちゃんと調べたの?
アレ、
「お話の形式として、王子様が追放されたり、不遇な幼少期を送ったところから、冒険が始まる話が多いよね?」
しか言ってないぞ
「ロックって、こんなふうに分類できるよね」
と言って、評論した気になってるのと同じやぞ。
…ごめん、貴種流離譚なんかそれ未満ですわ
主人公の身分や立場で作品を分類するという中身そんなに見てない一番頭の悪い分類じゃん…アレ
ましてや、ぼくはハリポタとNARUTOのよく似てるところに、【閉鎖的な狭い社会(田舎)で生じる差別描写の多さ】を書いた
ハリポタは純血じゃないと差別対象で、「汚れた血」の概念も出てくる
色々書こうと思ったし、書こうと思えば書けるけど、無意味だからやめよ
なんか、反論したところで理解できない人に読解力ある前提で、丁寧な反論書いても無駄だからやめます。
議論っていうのはお互いがある程度頭良くて礼節がないと成り立たないことを思い出した。
切り替えよ
「大雑把に正しいこと」
を言うひろゆき・中田敦彦みたいな人を信仰しがちな人は、たぶんあんまり数学ができないか、数学ができても国語力に応用できてない人なんだと思う。
数学で途中式も採点対象なのは、答えだけでなく理解度を問うてること、正しい順番で質問に答えているか?という話なわけで
インターネットの怖いところって
とわかったら、それ以上自分で計算したり、確かめたりする人が少なすぎること。
そして、正しい順番で計算することに対して敬意を払える人が少なすぎること。
「答え」
が重要じゃないんだよ。
答えを出すための法則・組み合わせは1つじゃないことも往々にしてある。
大事なのはその人が使った法則や論理に矛盾やズレがないかという話。
解くための法則だけで正解になるなら、受験も論文の査読もいらない。
普段、
と言ってる俺が、「受験や教育の価値について説明しないとヤバい」と感じる人がインターネットに普通にいるのを見てたら
「教育しないとわからん人・何度も説明しないとわからん人がいる」
2週間前の俺
「教育なんてクソなんだから、高等教育を全員が受ける必要もないし、大学も理系・法律・会計だけでいい」
今の俺
「高校まで勉強したことが、ちゃんとわかってない人がこんなにいるのか…。人類の愚かさを舐めてました。もっと人類を教育してください」
「高校大学でやることなんか、独学でもできるから参考書だけ全員に渡せばええやん」
と思ってたけど…そもそも論理性も読解力もない人に独学なんて無理なんやね。
ほぼ独学(世界史の先生に質問したのは2回だけ)で、模試で、世界史の偏差値74を取れるぼくみたいな人はマジでレアなんだなぁ…と
似たような話で行くと
「Wikipedia(本・説明書)読めば、(たいていのことは)わかるでしょ」
と思ってたけど…そもそも「ちゃんと読める人」ばっかりじゃないんだなと。
文字は読めるかもしれないけど、理解や応用まで来ないんだなぁ…
としみじみ。
俺、人類にすげー高度なことを求めてたんだなぁ…
ごめんね、人類