はてなキーワード: 車などとは
例えば、数十年前は職場といえば煙草の煙が真っ白に漂う空間だった、しかも煙草を吸えない奴は出世できない風潮すらあった。
喘息の人が煙草の煙の中で健康を害してどうにかならないか相談したら、会社を辞めさせられそうになって起訴した事まであった。
喘息の私は初めてのバイト先の郵便局で休憩時間のたびに煙から逃げて外で呼吸し、こんな煙に耐えながら仕事は難しいし将来働けないのではと絶望したもんだった。
そして昔は特急などの長距離電車は灰皿がついて全席喫煙可、急行や快速なども灰皿つきで喫煙でき、禁煙車はなかった。
駅のホームの室内の座席には灰皿があり空気は煙で真っ白、ホームに出てもそこいらじゅうで吸っていて線路には大量の吸殻があった、煙草の煙から逃げるにはホームの端に立つしかなかった。
喫煙者が車などで突然吸いだすのは当たり前、吸う前に吸っていいか聞いてくるのは気遣いの出来る人、それに対して断るのは気遣いの出来ないKYだった。
痴漢冤罪にあった時にどうするかと言うのは時々語られることがある。
だが、基本どの方法もやはり女様バンザイ警察司法の前では分が悪い。
逃げる。名刺おいて立ち去る。その場で堂々名誉棄損で訴えると反論するなど
もちろんその最悪の事態に当たった際の対応も考えておくべきだが、
より重要なことはそれに当たらないために万全の対応を取っておくことだ。
A)まず、電車に乗らない。
お金が許すならまず会社から徒歩圏内に住むことが最大の予防だ。
自転車でもよいと言いたいところだが近くに駐輪場がなかったり会社が自転車通勤を禁じていることもよくあるので注意が必要。
なのであえて徒歩圏とする。電車に乗らなければ女様から冤罪を食らうこともない。
以下はどうしても電車を使わなければならない普通のリーマン向けである。
B)時間を早くする。
この時間はもうどうしようもない。冤罪を避ける工夫それ自体が困難になるのである。
よってこの時間を避ける。時間がある程度自由のきくフレックスならあえて遅く9時以降と言うのも選択肢である。
C) 始発に乗って座る。
立っているとやはり冤罪にあいやすい。満員電車で立つのはどうにも体勢が安定しないし、
女様を避けるのもなかなか難しい。
ふらっと倒れてそれで痴漢よ!と言われて人生を失った人もたくさんいるだろう。
それを避けるにはやはり座るのが一番だ。
ただ、悪夢の日本の通勤地獄で安定して座る方法は始発に並ぶほかあるまい。
通勤時間のピークではそれでも座れないことが多々ありこの方法に頼るのはそこまで楽ではない。
何より駅の都合でそれが使えない人も多くいるだろう。
このBやCでも難しいということも残念ながら多々ある。
もちろん空気を読まずに乗ってくる迷惑なのはいるがそれでも比較的少ない。
もちろん本当は比較的すいてる車両を選べと言いたいところだが、
どこでも混んでいる都会(特に東京圏)の通勤車両でそれはいうだけ空しいことだ。
E)ドア前は避けた方が良い。
ドア前は冤罪を受けやすいようだ。なぜなら痴漢もその場所が多いと言われる。
要するに他の痴漢のやらかしたことのになぜか無関係の他人を犯人扱いするという女たちが大量発生することが容易に予測できるのだ。
なのでドア前は避けよう。何が何でもせめてこじ開けてでも車両の中ほどに移動すべきだ。
端もあまりよくない。中ほどが良い。万が一席が空いたらラッキーすぐ座れ。
ドア前から動けないほど人が多いのであればその電車は避けて次の電車を選ぼう。
F)全て女様に近づかない方がいいのは当然だがその中でも
華美な女と周りをじろじろ見まわす女には特別の警戒を持って絶対に近づかない。
そういう女は非常に悪い意味で自意識が高い。冤罪率が高いと判断すべきである。
G)女様を見ない。
近づかないことも当然だが女様に目を合わせてはいけない。
外や上を見ておくのが本当は一番良いが、
最悪でも携帯をポチポチいじるくらいかゲームか読書くらいして他に興味のないということを周りに示せ。
ひょっとしたら電車内で携帯ぽちぽちとか見苦しいとかいうバカがいるかもしれんが無視してかまわない。
冤罪の危険よりはましである。ま、これをやる場合乗り過ごしには気をつけろ。
H)駅を出るまで油断するな。
少なくとも移動の時は「降ります!」と声を上げ手を上げて移動するべきだ。
女様に自分が降りるからどいてくれと気付かせるのだ。ま、それでもどかない女が多々いるが。
うかつにぶつかると冤罪を食らう。遠回りしてでも避けよう。
自分自身年収500万あれば十分に足りるし、500って相対的に貰っている方だと思うが...…
1,000万あっても(彼らの納得いく物件には)なかなか住めないらしい中央区は銀座に住んでいたことがあるのでその頃の思い出を語る。
実家は都心ではないが交通の便がよく、なかなか出る気にならなかったが、都心だったら住んでも良いかなと思っていた。いちいち都心まで出て行くのが面倒だったし、旅行したときには周辺よりも中心部にホテルを取る癖があり、時差ボケなので早朝起きて誰もいない繁華街を歩くのが楽しいのだ。歌舞伎町や渋谷も面白そうだが治安が悪いところと夜うるさいのが嫌だったので、手始めに銀座にしてみた。
まず住居について。一体どこに住むのか?
昭和通りと外堀通りの間も『銀座』ではあるが、そこにはまず人は住んでいない。オフィス用の物件ならあるかもしれないが、とにかくオススメも出来ない。ゴミの回収が朝7時半までなのである。昭和通りと環状線の間にある銀座1〜8丁目。そこがわずかな居住地。歌舞伎座を中心に広がる一帯であり、銀座中学校があるなど意外に人が住んでいる。夜はまあまあ静かだし、ここはゴミは8時〜9時ごろ月〜土まで毎日回収に来てくれる。ただし周辺に飲食店が多いため夏は害虫の被害は免れられないのが欠点。ついでに、日当りも悪い。相場も高めだ。ワンルームの平均が11万程度か。ただし10万を切る物件もあるにはある。黒川紀章のデザインした中銀カプセルタワーは何だかんだでまだ残っているみたいだから、一番安く住めるのはそこだ。セカンドハウスとしてメタボリズム建築の記念碑に住んでみるものたのしいかもしれない。5.6万円、たった10平米(普通たったは家賃につける)。
食事について。
外食派にとっては、かなり良い立地だと思う。最近話題のラーメン屋も多いし、複数人でいるのであれば食事には事欠かない。とは言え、庶民の食べる店や一人で気軽に入れる店はそこまで多くなく、オフィスを銀座にしている人の方が楽しめる場合もあるかもしれない。
自炊派にとっては、これが賛否分かれるところで、一番しっかりした食料品店は松屋銀座だ。これにビビって外食に転んでしまうか、周辺に目を向けて食材をかき集められるかで分かれる。他に、ドン・キホーテ、肉のハナマサがあるが、量が多い。新橋駅の下にもとまちユニオンby京急ストアがあるが、小さい。ところがもう少し足を伸ばすと、東京の台所築地市場と、一時期どんどん出店したアンテナショップ群がある。特に茨城マルシェの野菜の品揃えが名前に劣らず良い。ここまで行けると、銀座暮らしは断然楽しくなってくるが、毎日帰り際に食材を買うだけでよく、街歩きに興味がなかったり、残業が多いタイプだと厳しい。とはいえ、スーパーは新富町や日本橋といった同じ中央区ではもっと少ない。最近はコンビニも生鮮食品を扱っているので、うまく活用していけば暮らせるのだろうか。
銀座に住むことの利点は、夜帰りやすい、新橋を含めて、飲み歩ける店が多い、ハマれば食材探しが面白い。築地の食品は決して安いとは限らず、量が多いだけのものもあるが、新鮮さと種類の豊富さが魅力。路線も日比谷線、都営浅草線、大江戸線、有楽町線、丸ノ内線、銀座線と地下鉄が走っていて、有楽町か新橋まで歩けばJRもよりどりみどりだ。これがないと500万円で銀座に住むことはかなわないと言える。到底、車などは持てない。あまり娯楽費や固定費がない人であれば可能であろう。
家賃がだいたい10万円だとして(自分は切っていたが)、1年120万円+α、会社の補助など入れて、自炊を中心に無駄遣いしなければ十分暮らせた。ただし酒、タバコ、車、外食の2つ以上をやる人は難しいと思う。パチンコやる人はやめとけ。近所に多い割に1玉4円くらいで勝てる見込みはほとんどない。
銀座に住んでいると衣住食が(家が狭いこと以外は)だいたい充実したから、それが醍醐味かな。劇場とか映画館とか美術館とか歩いていけるところにあるし、ちょっとしたパン屋とか珈琲屋とかも面白いところがある。そして朝の誰もいない銀座!フィッシュマーケットを探す外人はいるけど!なんか面白いし清々しいんだよな、ビル低いし。生活コストは結構安いと思うんだよな......前住んでたところはロールパンとか198円だったけど98円だったし、牛乳も189円とかだったけど150円以下は当たり前だった。服も昔と違ってH&Mとかあるから高級店ばかりじゃなくなった。3,000円で3着買えたりするのが当たり前。意外とそういうところもあるんだな、と勉強になったよ。
まぁ今は事情があって田舎に引きこもってて次に移る都会を探しているところです。大して金持ちにもなってないので、狭くてもいいから『そこ住めるの?』って人にビックリされるところがいいなあ。
4月17日 7:00追記----------------------------------------------
朝起きたらバズっててビビった。ブコメ参考に間違い(外堀通り→昭和通り、新宿線→浅草線)直したよありがとう。中銀カプセルタワーの人気に嫉妬。ネットかかってて取り壊ししそうなのにまだ募集しているから住めるんだな。ブコメより→http://www.smaheya.com/rent/1807/
>問題は自転車なんだよなぁ
銀座から自転車に乗るのがオツなんだよ!銀座に行くのが目的だと来たら終わるものが、住むとそこから広がっていく感じ。そこそこの値段の車両(5〜15万程度、アルミのジャイアント、ビアンキ、Specialized、キャノンデールあたり)が毎日同じところに繋がれていたけれど、全然盗まれないから治安がいいんだなぁと感心していたよ。超高級ロードに乗っている人は銀座に通勤している人が多かったね。とりあえず和光前を走ってからどこか行くようにしてたな。夕暮れ時とか気分がいい。
>こういうの手取りなのか額面なのか明示して欲しい。
手取り500万って王侯貴族だなあ。年収500万だと手取り250〜300くらい?そんくらいだよ。
これにハマったクチ。気分はトリコで毎週末ハントしまくった。西日本の魚が美味しくてね。日本中の食材が手に入るから冷蔵庫がパンパンだった。今は田舎に引っ込んで憑き物が落ちたみたいに興味なくなったけど。オススメアンテナショップは、全国まちからむらから館(野菜)、茨城マルシェ(野菜)、せとうち旬彩館(うどん)、北海道(スイーツ笑)だな。レストランだと鹿児島、広島が頑張ってる。高知とか山形も良いし。l
次の都市、秋葉原2票かぁ。確かに面白いかもしれない。自分とあまり共通点がないところも、住めばハマって新しい魅力がわかるかも。永田町、霞ヶ関はいいね、ランチが面白そう。丸の内、日比谷とかもいいんだけどどれも銀座に近いのがな。自由が丘、成城に住んでも結局銀座に買い物に行ってそうだ。遠すぎる、なんだかな。豊洲は面白みがないし。下北沢は雰囲気的には好きだし劇場もあるけど、ブランドパクリののバッグが3千円くらいで売られている町って感じ。ああいうの持ってる人どこで買ってるんだと思ったら下北で売ってた。そんなの銀座で持ってる人やっぱいないもんな。まあ自分は無名の革バッグ9千円くらいで買ってるような人間だけど、うろちょろしてたら色々と知識は身に付く。ケッて思う人もいるかもしれないが自分はトレンドとか面白いなって思う方。で、H&Mに行くんだけど。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140325/imp14032511150000-n1.htm
http://iseshima.keizai.biz/headline/1992/
おそらく帰りも同じ経路をたどられるのであろう。
現在三重県内に住んでいる身としては気になっていることがある。
近鉄山田線・東松阪駅から電車で伊勢市方面に進んで数分のところに
街宣右翼の車が常に停車している場所がある。線路から見ると西側。
車体に『憲法改正』とでかでかと書かれていた。
たぶんあえて電車から見えるあの位置に駐車しているのだと思う。
こういう場合、宮内庁の職員が気を利かせて見せないようにするのだろうか。
それとも清濁併せて景色を見て頂くのだろうか。
今回の場合に限らず車などでの移動の際などに政治的意図や皇室を攻撃するような看板があったら、
前もって分かっていれば出来るだけルート変更するかもしれないが
馬鹿ですか?だから、車やバイクの方が圧倒的に危険だから免許制なわけです。
また、小さい頃はヘルメットを被らなくては行けない、と言うルールもあります。
そのへん、年齢で区切るのは差別でしょうか?
さんざん言うけど、自由を得たらその分責任とんなきゃいけないのね。あと、それ、どうやって測るの?
いや、取れませんが?というか、年齢が足りなければ試験すら受けれませんが?
単なる技術能力に加えて、それに対して責任をとることが出来るかどうか、その責任をとる、ということをどれだけ理解出来てるかどうか、その辺考えてみよう。
私が言いたいのは、このような権利を与えるという名のもとに、庇護を取り上げるということが問題だということです。
単に能力に加え、中学に行ってる間にバイク乗る必要があるのか?という話もあります。
それを客観的に示せるでしょうか?
一方、純粋な恋愛であればきちんと大人側が待つでしょう。それでおとなになってから結婚する例はあるでしょう。
そこんところ理解してください。
恋愛は車の免許のように特定の人だけに許される、ということはあってはならない、と言うのは現在のほとんどの人間の共通認識だと思います。
従って免許制などということはあり得ません。
一方、年齢制限は車の免許もそうですが、総じてみな同じく平等に扱われるので、
文句は出づらいわけです。
勿論文句はあるでしょうが、社会を形成するためには何らかのルールが必要であり、どこかで線引をする必要があります。
その線引きは、多くの人が納得するものでなくてはなりません。
自分はしょぼい柔道の大会3位程度の実力しかなかったが、面白かった。
①小内刈
小内刈が得意だった。 相手の足が出てきたところを、あるいは相手の足が地面につく寸前を刈る。
片襟からでも出せるようになると、一本背負いとのコンボが出て、かなり有利になる。
小内巻込を覚えると、さらにワザが広がる。 巻き込む足の取り方、決め方にバリエーションがでるからだ。
小内巻込を覚えると、いろいろな巻き込み技も同時にできるようになる。
小内が慣れてくると、逆足での小外がかかるようにもなった。 これで、相手が足を出さなくても、両方の足に足技をかけることができて、常に相手に前傾姿勢をとらせることができた。
②背負投
背負は初めのころなかなか決まらなかった。 踏み込みはできたが、もう一方の足がおっつかないのだ。 後にわかったことだが、自分は先天の障害で、左足に力が入らない筋肉があった。 そのせいで足が追いつかずつぶれてしまうのだった。
しかし、慣れればできるもの。 最初は膝をついた不格好な背負だったが、できるようになった。
そして、小内がこなれてくると、小内フェイントの背負いがきれいに決まるようになった。
おそらく、筋肉がついたことで、相手を持ち上げる筋肉の閾値を超えたのだろう。
それからは、バリエーションが急増した。 逆背負、韓国背負、片襟かつ一本でない背負、首投、ビクトル投、等等。 背負系のワザはかなり得意になった。
③袖釣
袖釣りは、背負を覚えてしばらくして使い出した。
背負と逆方向に投げるワザだ。
たいていの相手は、右が左、どちらかの防御が弱い。 左右にあおり続けると、どちらかの重心が崩れやすくなる。
袖釣は、普通のやつはできず、両袖を持った袖釣しかできなかったが、それでも十分だった。
さらに時間がたつと、丸山スペシャルという、袖釣の変形を覚える。 これと左小内巻込のコンボで、かなりの相手に対応できるようになった。 自分よりどんな強い相手でも、有効くらいは狙えるくらいになった。
さらに時間がたち、野村スペシャル、中ノ森車、足を持たない肩車なども覚えて、このあたりの変化でかなりの相手をとらえられるようになった。
④寝技
自分が一番得意なのは寝技だった。 だが、試合では決めたことが無い。 ブルペンエースだった。 柔道では、寝技をねちっこくやっていたら待てがかかるので、試合では使いずらいのだ。
そりゃそうだ、こっちはブラジリアン柔術をやっていたのだ()
スパイダーやオモプラッタ、またくぐりなど、相手が知らない技をガンガン出して余裕だった。
寝技はみんなキツイキツイと言っていたが、自分には休み時間と変わらなかった。
寝技は知識だけで圧倒できる分野だったのだ。
紳士が連れの淑女をエスコートする際のマナーとしてのレディーファーストは、下記のとおりである。ただし型どおりであればよいということではなく、状況により臨機応変に動くことが必要とされている。
・道路を男女で連れ立って歩く際は車道側を男性が歩き、女性を事故や引ったくりから守る。
・エレベーターでは扉を押さえて女性を先に乗せる。降りる際も扉が閉まらないように気をつけて女性を先に通す。
・ドアは男性が開け、後に続く女性が通りきるまで手で押さえて待つ。
・高級レストランで案内が付くときは、女性を先に通して男性が後ろを歩く。ただし、案内などが付かないレストランでは男性が先に立って席を探す。
・ロングドレスの女性は座ってから椅子を引きにくいことがあるので、座りやすいよう男性が椅子を引き、女性が座りやすいように椅子を戻す。
・レジでの勘定は、どちらの負担であるかにかかわりなく男性が行う。ただし女性から招待を受けている場合は別である。
・車などの乗降の際において、特に女性がロングドレスにハイヒールという装いならば、運転する男性が助手席に回ってドアを開閉する。
心が拒否してしまうほど
簡単で受け入れがたい
ジョン・ケネス・ガルブレイス
ローンの書類への借り手の署名は 銀行に対し、ローン金額と利息を支払う義務を負う。
返済できなければ 家や車などの資産を失う誓約をさせられるのだ。
はてなブックマーク - お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム(1/5) Money As Debt
SIerと言われるような会社に入った。地方の独立系のよくある中小企業だ。
会社の経営が特別酷いわけでもないし、研修もしっかりしている。同期もみんな満足しているように見える。
僕もそのつもりで入社した。別にすごいエンジニアと仕事が出来ると思って入った訳ではない。
でもいざ入ると寂しくなった。
言語はほとんどVBだけ、客先に行ってひたすら話しあって、仕様書を1プロジェクトに山ほど書く。ずっとプログラミングする立場でいるというのは困ると言われた。
別にこれが悪いと言ってるわけでもない。これは需要がある仕事だし、必要な仕事だと思う。それもわかって入社したつもりだった。
働いている上司や先輩も立派だ。見習うべき部分は山ほどあり、尊敬している。
ただ自宅でコンパイラ実装の解説書を読んだり、最新のウェブ技術の話をウェブで見た後、
同期と上司の会話で「オートマトン」という言葉が出ただけで上司が「難しい、最近のはわからん」などとあっさり話を切っているのを目にするとやっぱり寂しくなった。
これから先社内で同期や先輩と話す内容はゲームや車などの話ばかりなのだろうか。
部屋にある技術書を捨て去って簿記の資格でも取るべきなのだろうと思う。
オープンソースプロジェクトにでも参加してみればいいのだろうか。
家族の反対を跳ね除けても都会に出て他の会社を受けてみたほうが良かっただろうか。いや、実力不足で落ちたか。
入社したばかりでこんなことを考えるのは甘っちょろいと自分で思う。
こんなことを考えている間にコードを書いたり本を読んだりできたのだ。
ただ今回は本当に寂しい気持ちになった。ここに文章を書いたところで状況が変わるわけでもないだろうけど、気持ちが切り替わればいいと思う。
考えてみるとそもそも増田を書くなんて初めてなのだ。
明日にはこの記事を書いたことが僕にとっての黒歴史になってるかもしれないな(苦笑)
そういえばシューカツのために取った応用情報技術者の資格も、なんだか虚しいものに思える。手当てでもつけばいいんだけどな、どうだろ
ビニール傘をさして雨の中をとぼとぼと歩く姿が、ヘッドライトの中で片手を大きく上げるので速度を落としたが、女性であることに気づいて、クラクションを鳴らして通り過ぎる。
大の男が女性ヒッチハイカーをひろうわけにはいかないわけだし、旅の途中でもあるわけだし、だいいち予定をずいぶん超過しているわけだし。ちらりとデジタル時計を見ると、九時をだいぶ回っている。周囲にヘッドライトは見えない。しかたなく路肩に車を停め、僕は傘をさして反対方向へ走り出す。
「大丈夫ですか? あいにく男なんです、それに」
駆けより弁解しようとして、言葉が途切れる。ヒッチハイカーの二十歳前後の女性は小柄で、その細い肩を小刻みに震わせていた。
「大丈夫?」
歩ける? じゃあ、車まで、距離あるけれど。縦に首を振る。それでとぼとぼとついてくるのを振り返りながら車まで歩き、助手席に座らせてヒーターを全開にした。
「この道、ぜんぜん車とおらないですよね、国道なのに」
できるだけ声をあかるくして後部座席からバスタオルを出して、渡す。沈黙を消すためにラジオをつけると、朝のドラマのあかるいポップソングが流れだす。ポットにホットコーヒーの残りがあったのを思いだして、それを注ぐと白い湯気がのぼり、カップを渡すとふるえる手がそれを受けとる。車内灯をつけて地図を広げる。
「どこまでですか? 駅まで送りますよ。ここから歩くとずいぶんありそうですし」
宮城に入ってからずいぶん走った気はしていたが、さすがにぎょっとしてコーヒーをすする彼女の顔をみつめる。ふしぎそうな視線がこちらをちらと見る。
「あ、ええ、大阪も回るつもりですが、ずいぶん先ですよ?」
「友達がいるんです」
ああ、家出かと得心がいき、何も荷物も持たずに海岸線を歩いていた理由がわかったような気がした。大学生ならばまだ夏休みも少しは残っているし、家を飛びだして高校時代の親友の家に転がりこむなんて算段もするだろうし、お金がないからヒッチハイクなんてことも考えるかもしれない。それでもこんなオフシーズンに大阪行きの車などめったになく、それで車を乗り継ぐうちに時間切れのように雨降るひとけのない国道に取り残されたのではないか、そんなことを思う。
「どうも」
カップが差し出されて、ポットをしまい、思いだしたように車を出す。
「とりあえず、今日は仙台まで行く予定だったんです。だからどのみちそこまでは行きましょう。大阪はどうするかはともかく」
「地図見ます」
それでふたりで納得して、ヘッドライトが照らす濡れたアスファルトを見つめながら、静かなラジオに身を任せる。夜のニュースが始まり、あいかわらずの政治の話題が伝えられる。それを片耳で聞きながら、ハンドルを指先で叩く。久しぶりの信号で停車すると彼女が訊いた。
「行くんですよね、大阪?」
ちらと見るとタオルで濡れた腕をぬぐっている。青信号にあわててアクセルを踏み、それから思いだしたように言葉を繰り返す。
「ええ、ですが、大阪に着くのはずいぶん先ですよ?」
彼女は小首を傾げるがそれも無理はなかった。
僕は今、ながいながい旅の途中でそれは生まれてはじめてする長い旅行。先月やめた仕事で貯めたお金をはたききって、日本中をまわろうと思っていた。小さな軽と二ヶ月はふらふらできる貯金、あとは地図だけあればなんとかなるというそんな旅。そんな自分勝手ができるのはおそらくこれが一生に一度で、この旅が終われば、山形の実家の酒屋を継ぐ。やっと都会のやくざな仕事から足を洗って帰ってきた息子の計画を両親は二つ返事で了承し、思う存分遊んでこいなどと、背中まで叩いて送り出した。
「どれぐらい先ですか?」
「さあ、計画決まってないんです。ふらふらしているだけで」
「じゃあ、大阪へ向かってくれないんですか?」
「え? あ、まあ」
いいにくそうにしていると赤信号で彼女と視線が合う。びっくりするほどきれいなまなざしが向かってくる。それで正直に言うことにした。
「岬めぐり、してるんです。全国のあちこちの岬をめぐって写真を撮ろうと思っているんです。だから、大阪にはいつ着くかなんてわからないんです」
彼女はきょとんとしていたが、おかしそうに笑う。
「こういうのはベタなほうがいいんです。あんまり考え込んでも面白いことなんてないんです。考えるより車を走らせた方がいい。面白そうな岬をめぐってみたほうが、ちっぽけな自分がわかるんです。考えている時間がもったいない。走っている間にいくらでも考える事なんてできるんです。それに岬めぐりは、日本人の青春の伝統みたいなところがあるし」
「そうなんですか?」
「歌があるんですよ、有名なフォークソングで、岬めぐりって歌が」
僕はそう言って、覚えてきたその歌をうたい始める。父のカセットテープで何度も聴いた曲。子供の頃のドライブの定番で、それはとても懐かしく、自分の人生を振り返っている心地になる。へたくそな歌を遠慮がちにくちずさむ。指でリズムを刻むと、やけっぱちの冒険心が刺激される。
「失恋の歌ですね」
えっと彼女を見て、ああとあわてていう。
小首を傾げるので、少し迷って話す。
「仕事やめたんです、東京の。それで実家の酒屋を継ぐんです、山形の」
わかったのかわからないのか、へぇと彼女は呟いたがそれでも地図には目を落とし、だいぶ増えてきた街灯の明かりにそれをかざす。ここ、右です。それでだいぶ仙台市内に入ってきたことに気づく。ラジオは深夜放送になっていて、誰かの語りがイタリアの今についてしきりに話していた。彼女はもうタオルで拭くのをやめていて、少し暑い気がしたのでヒーターを弱める。海岸線をまわる旅だったからか仙台はきらきらした人工の宝石のように見え、だいぶ安堵感が戻ってきて、気安く彼女に言う。
「どこかに泊まってください。お代は出すので。僕は車に泊まりますから。大阪の話は明日しましょう。どちらにしても今日は無理です」
「え? ああ」
困ったように迷い込む彼女を眺めながら、考え込む。
(なんなんだろうなあ……、この子は……。得体が知れないというか、自分以外の世界がまったく見えてないというか。こっちがまったく見えていないような気さえする)
まあ、でもそれは今日限りの事で、きっと彼女は仙台で都合をつけて、高速を走る大阪行きの車にヒッチハイクするのだろうと、そう思ってまあこれぐらいはよいかと思う。
「でも、これ、あなたが泊まるためのお金ですよね?」
「ん……、まあ、僕も泊まってもいいのだけど、そうすると見知らぬ男と部屋は別でも同じ屋根の下っていやですよね? だったら節約した方がいいじゃないですか?」
正直に言えば車中泊はもう慣れていたし、無理におなじところに泊まるほうが心理的な圧迫感が大きかった。なので、僕の提案は僕にとっての最善であり、これは僕の都合でそれが好ましいのであり、彼女に対して何かをしているわけではなかった。
それでも彼女はしぶしぶシティーホテルに部屋を取り、僕はその駐車場で眠った。
僕は駐車場でのびをして、体をひねってみて、コンビニででかいヨーグルトを調達してスプーンでそれをすくう。ラジオは健康体操の話で、ダッシュボードの地図を眺めながら、それを聞く。何か正直仙台まで来てしまったことが、まずい気さえしてきてしまう。もうちょっと前によい岬があったのではと。ノートPCを立ち上げて、あれこれと調べはじめる。昨日撮ったデジカメの画像を移しながら、ヨーグルト片手にそれをチェックしていく。この朝の作業はあんがい楽しい。コンコンと窓ガラスが鳴る。視線を上げると彼女が笑っていて、窓を下げた。
「大阪までお願いします」
どういうつもりだろうと思ってしまう。
「あなた、とても優しい人だし、それにとても善良だから」
「半月ぐらいかかるかもしれませんよ?」
彼女はにっこりと笑った。
・女の子ひろった
http://anond.hatelabo.jp/20100116012129
・これこそ逃避
http://anond.hatelabo.jp/20100119221742
・すごい彼女
http://anond.hatelabo.jp/20100123005026
・ふたつ恋した
Eames - power of ten
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/A2cmlhfdxuY&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
30代のサブカルを少しかじった人でも知っている
EAMES FILMS:チャールズ&レイ・イームズの映像世界
アマゾンで見る
画面が徐々に10倍にふくれあがり、そしてしぼんでいく。
ミクロとマクロや、宇宙ヤバイなどの世界観入門としても名高い。
なんとなく眺めていた。
Po10以外はあまり見ていなかったのだが、
Toccata For Toy Trains
<object width="425" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&hl=ja&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/h5p9EMdXRsU&hl=ja&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="425" height="344"></embed></object>
http://www.youtube.com/watch?v=h5p9EMdXRsU&hl=ja
2歳になって間もない息子が汽車や車などの車輪モノが大好きで、
きかんしゃトーマスあたりになると目の色が変わる。
それはそれでかわいいわけだが、
いっつも同じのを見せるのはなんか催眠術の様で避けたいところ。
とはいえ、そこまで息子が食いつくムービーやコンテンツもそんなに知らないわけで、
むしろwiiとDSの区別がつく息子を見てちょっと笑ってしまう自分がいる。
別にトーマスばかり見ている訳じゃないんだが、
せっかくなら息子の好きな汽車の良質な映像を見せてみたいと思っていたところだった。
30代のお父さん達もプラレール好きの息子がいたらこのトッカータのムービーも見せてみましょう。
どんな反応が返ってくるでしょうね。
明日息子に見せてみようと思います。
昔から、女性が言う「かわいい」という言葉で表わされる概念について不思議に思っていたが、最近、少しは自分なりのまとめができたような気がする。
まず、男女共通で「かわいい」の意味として持ちそうなものは、
これらは、とりあえず辞書的な意味だと思う。(古文的には、同情を誘うような意味もあるが今回はスルー)
これを踏まえて、他に女性が「かわいい」というケースを考察してみる。
よく見かけるのは次のケースだ。
・・・自分で書いておいてなんだが、何とも取りとめがない。
プラス評価をしているという事の表明ではあるようだ。だからその程度に捉えておこう。
と、そう思っていた。
しかし、最近になって、ふと気がついた。
女性が辞書的な意味以外で「かわいい」というのは、その身を飾るためのものか、(当人の気持ちの中で)自分の中に取り込んだものに対してだけなのだ、と。
それゆえに、はたから見たら変なものでもハマってしまっていれば「かわいい」と言い、
男性がこぞって高く評価する女性タレントでも、気に入らなければ「かわいい」ではない。
こう考えれば、妙にグラマラスなペットボトルが「かわいい」と言われていたのもわかる気がする。あのときの女性は、気持ちの中でそのスタイルを自己に取り込んだ上で、その「自分の」肢体としての造形を褒めて、ああ言ったのだ。
「かわいい」と。
閃いたままに述べてきたが、これはいくらかでも当たっている考えなのだろうか。答えを知っているという人はいないと思うが、別な立場から見ればこうだ、と言うような話があれば、ぜひ教えて頂きたい。
コミックマーケット準備会からの緊急のお知らせに「なお、持ち込み禁止物については、「コミックマーケット74カタログ」8ページを参照下さい。」とか書いてあるけど、PDFじゃ見る人少ないだろうからコピペ
コミックマーケットでは、以下の物品の持ち込みを禁止します。違反した場合、該当する物品などは没収し、以後返却には一切応じません。
反響が思ったよりあって(無視されるか、せいぜいブクマが3つくらいつく程度かと思っていた。無駄に長いし)今日は驚いた。
私はあんな事を書いたけれども、そこまで悲観的になっているわけでもない。今は。あくまで今は、だが。
高校生のときは一番酷くて、小中はほぼ皆勤だったにも関わらず、高校生時は積もり積もった何かがあったのか、突然鬱状態になり学校を休んでしまったことがあった。2ヶ月ほど。電車に乗り、学校が近づくにつれ逃げたしたい思いでいっぱいになり、途中下車して科学館などへ足を運び宇宙のでかさを目の当たりにすることにより「現実なんてこまっしゃくれたもんだぜ」「私の存在なんてちっぽけもいいとこだぜ。皆宇宙から見ればとるにたらないものよ」と現実逃避を決め込みまくったりした後、ついに学校へ行けなくなった。親は心配し、私を精神科へ連れて行った。鬱じゃないかと医者には診断されたものの個人的にはしっくりこなかった。ぶっちゃけ今でも鬱じゃなかったと思う。「何もできない」わけじゃなかったし。実際ネットとかやったり図書館行ったりしてたので、自分では単なる思春期によくある登校拒否、ぶっちゃけいうと甘え、現実逃避、だと思っていた。しかし親は「本とかネットで調べたけど、鬱の人ほどそう思うらしいよ。とりあえず医者へ通いなさい。お母さんもついていくから」といい、仕方なく薬を飲んだり「最近気分はどうかな」と医者と軽く話したりしていた。しかし精神科の病院はやはり考えられているのか、内科や外科と違って部屋の中がしゃれた喫茶店のようになっているのには驚いた。クラシックなど流れたり、いかにも病院の椅子ですよ!といった感じの椅子ではなく木で出来た椅子が並べてあり、診察ルームではまた、アメリカの考古学者の部屋的な(意味不明だが)感じで後ろには木の本棚が並んでいた。少し話して薬をもらったり血液採取したりして終わるのだが、正直、たいした話もしていないし効果なんてあるのかどうか期待はしていなかった。何より自分が「てーか鬱じゃなくないか。医者も気使って鬱ってことにしてくれてるだけじゃね」と思っていた。その中年の優しげな女医さんと話していると気分は晴れたため病院へ行くのはそれなりに楽しみだったものの、親に無駄に労力をかけさせているようで悪い気もした。薬屋の人も「鬱は脳の風邪ですからね。薬を飲めばちゃんと治りますから大丈夫ですよ」とやけに医者と薬屋の人たちが優しかったのは幸いだと今では思う。
その成果かやはりもともと鬱ではなかったのか分からないが、2ヶ月ほどした時先生から「そろそろこないと、出席日数的に厳しくなってくる」と告げられ、「……じゃあ行くか」とあっさり復帰した。後に医者の先生が言うところによると「登校拒否の子が2ヶ月ほどでしかもあっさり復帰というのは珍しいパターン」だそうだがやはりそれは私が鬱ではなかったからであるように思う。
で、そんなこともあったが今では案外平気だ。
恋愛・結婚に関しては、ハナから期待も自分がそうするという想像すらもしてこなかった(諦めているとかいうより、本当に考えた事が自然となかった、という感じである。ほとんどの人が「石油王になる」ということを考えもしないような感じに)ため今でも考えていない。ほとんどの女性が仮に結婚することを当然のように考えているとするなら、私はその逆で、当然のように一人で生きるだろうと予測していたため、そのように動いている(つもりである)。大学もだから医学部にした。食いっぱぐれないためである(まあ医者だからといって食いっぱぐれないとは限らないのだけども)。最悪世界が崩壊しても、医者という技術を持っていたらその技術を売りにし生き延びれるのではないか…と人からすれば大げさな事を考えこうした。何の映画だったか忘れたが、強盗の親分が瀕死で、主人公か何かが医者で、「おい、そこのお前医者なんだろ。じゃあ親分を助けろ。親分を助けたらお前だけは逃がしてやる」的な事を言い、主人公は治した後も殺されない為「まだ様子を見ないと危ない。俺がいないとヤバい」的なことをいいなんとか切り抜けるという図が記憶にこびりついている。何故か。あの影響もあるかもしれない。「暴力を知的技術で回避する」というところに私は大きな憧れを抱いたのだ。まぁ現実はそううまくいかないだろうが(ていうかそんな状況があまり無いだろうが)。
近頃は将来美容整形外科医になりたい気持ちもある。技術を磨き、私のような人をうまく変えられてあげたらばと思う。何か新しい技術が入ってきたとき自分で試すこともできる(実際それをしている医者はいるらしい)。元が酷いからこれ以上酷くなることはないので大丈夫だ。
私のこれからの希望としては、一人でもなんとかなる仕事につき、なんとか一人で暮らしていける生活を確立させ、時々ニ次元に浸り、そのままひっそりと死ぬといった感じである。一人で生きていけるよう、とりあえず今は家事を身に付けている。一人暮らしではないが、家族の料理は大学入ってから全て担当するようにしている。もう二年ほど経ったのでそろそろ脱初心者ができたと、料理は一通り自炊できるようになったと思う。甘いか。最近は「いかに早く・栄養バランスのよい料理をするか」を研究中である。
そして更に贅沢を言うなら、最期は長野の山奥で天気のよい日に川の近くで寝そべりながら眠るように逝きたい。これが出来れば最高だ。そしてそのまま山、ひいては地球と同化していきたい。なぜ長野の山奥かというと小さいころそこへ遠足だったか何だったかで行った際、陳腐だがその自然の素晴らしさに感動したからである。あれはキレイだった。昼ご飯を川沿いで食べたのだが、あまりに自然が美しく、寝そべっていると地面と山とどんどん一体になっていくような気がして感動して泣きそうになったものだった。川が本当に「光っている」。まあ単に太陽の光を反射しているといえばそうなのであるが、それにしても美しすぎるのではないか。こんなところで屍になれたらば、それはどんなに幸せな事かと思った。私の屍は鳥等の栄養分となり、残った分は雨が降ったときなんかに川に飲み込まれて細分化していき、土に流れ着いたり、川底へ沈み川底の土と同化したり、そうして山と一体化していくのだと考えると初めて「死んでもいいな」と思えた。それまでは死が怖かったのだが。まあ……実際には、燃やされ、葬式を開かれてしまうのかもしれないが……いや、待て。一人身だと葬式はどうなるのだろう?この辺もその内調べておかないとな。宇宙葬なんかもあこがれるところではあるが…宇宙にばらまかれた私の灰がどこかの星に着陸したらと思うとワクワクしてしまうな。私を構成していた原子から、他の星で何かが生まれたらと思うとゾクゾクする。というかそれはまるで「生まれ変わり」のようだ。
出来れば最期には井上陽水の氷の世界などを聞いて死にたい。音楽をあまり知らない私が唯一好きな歌手だ。傘がない、帰れない二人、紙飛行機など何度中学生時に聞いたか知れない(といっても、詳しいわけでは全くない。陽水オタからすれば失笑ものレベルである)。高校生のとき、一人で陽水のライブにも行った。陽水と席が近かった。嬉しかった。「ああ井上陽水って人は幻想ではないんだ。本当にいるんだ。今触れようとしたら、係員に止められるだろうけどもしかしたら触れられるかもしれないんだ。実体があるんだ。陽水もこの後何かを飲んだり食べたり、排泄したり、眠ったりするんだ。陽水って概念上の存在じゃなくて、実体が存在してたんだ。タンパク質や脂肪やカルシウムその他もろもろで出来た有機物という実体があったんだ」と当たり前の事をしみじみとかみ締めた。と同時に、その単なる一有機物であるはずのものが、井上陽水という名前を初めとした色々な概念がまとわりつき、下手をするとひょっとしてニ次元のものなのではないかと思わせるほどにイメージ化というか、偶像化したという事のギャップになぜかゾクゾクした。これだけ有名でファンも多く名曲も多い陽水だが、しかし同時に睡眠や排泄等を他の哺乳類と同様に行う、単なる人間、単なる有機物なのだ。その同時に成り立たないようでいて成り立ってしまっている、その二つを含めた「井上陽水」というものの(陽水に限った話ではないのだが)不思議さ、面白さに頭がクラクラした。それはCDなどを聞いているときには余り気がつかないけれど、ライブに行くと「実体」がそこに存在しているのに、観客は皆どちらかというと概念の「陽水」をそこに見ている、という不可思議さを目の当たりにできてしまう。実体のはずなのに、あの実体はあくまで概念の陽水を伝える媒介物でしかない、主体のはずなのに、サブで終わってしまっているという本末転倒さというのか……自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。いまだ私の中で整理しきれていない感覚なのだ。
そういえば、女子の友達はいなかったのか、とかいてあった気がしたが、友達と知り合いの間のような子ならいた。しかし、私とつるんでいると可愛い子であっても一緒くたに「ブサイク死ねwwww」と罵られてしまうので、妙な距離は常にあいていた。それで女子を恨む気は全く無い。私が逆の立場であれば、私もそうしていたように思う。なかなか学生のレベルで、「でも敢えて友達になるよ!」という勇気を出せる子は少ないだろう。しかもそれだけのリスクを介して得られるものは何かといえば、私という友達である。んな、リスクとリターンが全然つりあってないよって話だわな。寧ろ女子からのイジメは特になかっただけでありがたいことだ。まあ、「ブス視ねw」といってくる男子の彼女とか、その周辺の子は、一緒にクスクス笑ったりはしていたが、その程度ならば中学時代でも既に「その程度の重力……」のベジータ感覚でいられた。それに如何せん下手にそんな男子と私なんぞのために対立して、殴られたりなどしたら洒落にならんし、まあクラスの女子が私を放っておいたのは本当仕方ないことだと思う。気の毒そうに見てくれる子もいたしそれで十分だ。
綺麗な女性を妬ましく思った事はあまりない。嘘だろといわれるかもしれないが、羨ましくも特にない(モテるという観点では、の話だが)。自分に持っていないものを持っている、という観点で「羨み」や「妬み」が生ずるとするならば、美人だけでなく私は際限なく誰かを妬まなければならない。何もその対象は美人だけではない。金持ちや、運動神経のいい人、頭のいい人。キリがない。というかほとんど全ての人は私より何かは秀でているわけで、少しでも自分より上回ってるなら妬むという理屈だと、もうこっちの身体がもたない。妬むのも面倒になるのだ。
私は、恋愛をしたいけどできないというよりも(奥底ではそうなのかもしれないが、無意識レベルの事など意識では判断不可能なのでとりあえず意識レベルの話をする)、恋愛心などが生まれる前に、既に恋愛・結婚なるものを「私の人生には関係の無いことだ」と学習してしまったため、美人な女性がモテたりしていても、関係があまりに無さ過ぎて、ピンとこないのである。妬むも何もないといった感じ。大食い選手権に出るような人を見て、その凄さに感心はしても、でも別にほとんどの人がああなりたいとか羨ましいとか思わないのとおそらく似ていると思う(思う人がいたら申し訳ないが)。「ブスとか言われないで済む」という点では、「美人」が羨ましいというよりも「そう言われないで済む人たち」が羨ましいので、その中には勿論美人は入っているが、かといって特別美人だけが羨ましいわけではない。
寧ろ私が一番羨ましいのは金持ち(の強いて言えば子供)である。金があれば何もせず暮らせるのだから。嫌な事を言ってくる男と会うこともなく環境の(自然的な意味で)いいところで本を読みふけって暮らす、そんなことが可能になるのだから。
私の今までの人生では男、というと前述した彼らしかいないので、美人になったとしても男にモテたところでしょうがない、嬉しくない、という気持ちにしかなれないのである。悪口等を言われない、という点では嬉しいが、モテても嬉しくはない。ま、ブスがこんな事を言ってるのだからお笑いだが。美人が変な男と付き合って、DV被害にあったなどと聞くと心が痛む。あんなに美しい人であるのに、せっかく歩いていても何の悪口も言われず、平穏に過ごせる人なのに、何故自ら火の中へ飛び込むようなマネをするのか……と勿体無く思ってしまう。まあ、しかし、他人の事。向こうには向こうの考えがあるのだろうし余計なお世話というものだろう。
そんなわけでモテない事に特に苦悩はしていないので(多分)、心配してくれた方には大丈夫ですと言っておきたい。
ただ罵倒等されなければそれでいい。何か辛い事があっても宇宙図鑑があるとどこかすっきりする。ま最初言ったとおり現実逃避なんだが。銀河だのなんだのの話をしていると、自分の悩みなどあまりにちっぽけで笑えてくるというもの。地球の歴史などもいい。所詮ぽっと生まれたちいとばかり頭のいい哺乳類の、その中のほんの一部の時代の、更にその中のほんの一部の地域の人間たちがあれこれ騒いでるなど、地球にとってはカスに等しいものだ。地球がちょいとばかりプレートを動かしたりちょいとばかり温まってみたりするだけで人間など瞬殺なのだ。大体人間の歴史という地球に比べたら大分コンパクトなそれであってもまだ私の苦悩などに比べるとでかい。なんだかんだいって、ブスというだけで殺されないだけでまだおそらくマシな時代なのだ。今の世の中不満足な事ばかりだけれども、それは理想の、あるべき世界を想定し、それに比べ不満足な部分ばかりを見ているからで、やはり過去に比べれば、現代というのはそこそこマシな部類に入るのであろう。ブスや未婚の女が冷たい視線を投げかけられるといっても、殺されたりはしない。殴られれば警察がある。私にも人権が与えられているし、こうして自由にネットで発言できる。だからといって「これで満足」ってわけじゃ全くないが、まだマシな方ではあるはずなのだ。ちょっと時代や国を間違えて生まれていたら、そもそも嬰児殺しにあっていたかもしれない。今その気になれば、車を走らせ、コンビニへ行って、じゃがりこサラダ味を買ってきて食べることができる。それだけでも全然マシではないか。車など庶民の乗るものではなかった時代も、そもそも発明されていない時代もあった。車は好きだからそれは嬉しい。最近ガソリン高いけど。
全くだらだらとした独り言で申し訳ない。こうして書いてみると、色々私にも思うところがあったのだなあと気付かされる。
心が拒否してしまうほど
簡単で受け入れがたい
ローンの書類への借り手の署名は 銀行に対し、ローン金額と利息を支払う義務を負う。
返済できなければ
それは借り手が果たさねばならない大きな約束である。
同じ署名が銀行にも必要とされているだろうか?
銀行は借り手の口座にローンの金額をちょっと書き込むだけで、
魔法を使ったようにその金額を手に入れる。
それって絶対おかしくないか?
でも それは事実なのだ!
負債としてのお金 Money_As_Debt.avi.mp4
借り手が借金の誓約をしたら、
銀行は借り手の負債をコンピュータにちょっと入力することでデータ処理して帳尻を合わせます。
借り手の立場から見ればこれはローンのお金となります。
何故なら政府がそうすることを認定していて
誰もがそれをお金として受け入れなければならないからです。
繰り返しますが、基本的な事実は非常に単純なのです。
信用創造 - Wikipedia 現代の銀行業は詐欺 - 中央銀行システムを斬る
資料室(信用創造に仕掛けられた何重にもわたるトリックについて) <Anti-Rothschild Alliance>
資料室(日本銀行のヒミツ−本当の「信用創造」は絶大なパワーを持っている!!) <Anti-Rothschild Alliance>
Money_As_Debt.avi.mp4 - 動画 - はてなダイアリー
信用創造 - Wikipedia 準備預金制度における準備率
資料室(Money As Debt テキスト版) <Anti-Rothschild Alliance>
心が拒否してしまうほど
簡単で受け入れがたい』
知らされていない事である。
ローンの書類への借り手の署名は 銀行に対し、ローン金額と利息を支払う義務を負う。
返済できなければ 家や車などの資産を失う誓約をさせられるのだ。
それは借り手が果たさねばならない大きな約束である。
同じ署名が銀行にも必要とされているだろうか?
銀行は借り手の口座にローンの金額をちょっと書き込むだけで、魔法を使ったようにその金額を手に入れる。
それって絶対おかしくないか?でも それは事実なのだ!
ステップ1
彼は車を買うために1万ドルが必要です。
これはハイパワードマネーと呼ばれるもので、これを元に借り手の借金の誓約があれば、
9倍の1万ドルものお金を無から創造することが合法的に認められています。
この1万ドルはどこからか持ってきたものではありません。
その真新しいお金は、単純に銀行の信用貸しとして借り手の口座にタイプされたものです。
借り手は 中古車を買うために銀行クレジットの署名欄にサインします。
途絶えることのない造幣局の稼業にもかかわらず、
今日 95%以上のお金は銀行に対する誰かのローンによってつくられているのです。
借り手が借金の誓約をしたら、
銀行は借り手の負債をコンピュータにちょっと入力することでデータ処理して帳尻を合わせます。
借り手の立場から見ればこれはローンのお金となります。
何故なら政府がそうすることを認定していて
誰もがそれをお金として受け入れなければならないからです。
繰り返しますが、基本的な事実は非常に単純なのです。
過去に定義された名前があるということは、
既に観測された事象なんだとおもう。
現状は正直デフレと分類していいものか悩む。
たぶん未来にまた新しい名称をつけるかもしれない。
これからまちうけているのは・・・
40万も出せば買える新車が途上国で発売された、
いっぽうで一食の値段は途上国でも100円に近づいてきている。
きっと基本素材の応用が可能になったことによる最終製品のノーボーダー化が
現状のデフレはグローバリゼーションが原因だと言うのがもっぱらだが、
もしかしたら原因はマテリアリゼーションにあるのかもしれない。
つまり何がいいたいかというと腹減ったということなのである。
日本人の話しは最後まで聞かないと判らない。。。