はてなキーワード: 現実逃避とは
自分は、人を嫌いません。というと、周りからよく疑いの目を向けられます。いい子ぶっているのではないか、実際は人を嫌っているのに、自分で自分を否定しているのではないか、嫌いと言う言葉の定義を知らないのではないか。
自分からしては、なんで周りの人は人を嫌うのだろう、と逆に疑問を感じます。人を嫌っても、何もいいことなんてありません。人を嫌ったところで、自分の人生はバラ色に変わるわけではありません。嫌いな人が苦しんでいることに喜びを感じる方も多いかもしれませんが、そのことが自分の役に立つわけではありません。その人がなにかみんなのためになにか貢献して、失敗している場合、むしろ自分への影響はマイナスです。
人を嫌うことにメリットを感じないように思うのは自分だけでしょうか?むしろ、嫌いな人が回りにいる、ということで自分の心が灰色になるのではないのでしょうか?人を嫌っていないのでよくわかりませんが。自分は高校生ですが、嫌いな人と高校生活ずっといっしょに過ごすというのは、少し地獄じみている気がします。
毎日嫌いなものが食卓に並んでいたら、誰だって嫌ですよね?嫌いな食べ物を捨てるよりは、その食べ物を好きになったほうがいいのではないでしょうか。
また、嫌いな人のことをみんなで話すといったことをしている集団もいますが、その行為に意味あるのでしょうか?みんなで話すのは楽しいことですが、嫌いな人のことをみんなで話しても、より憎しみが増幅されて終わりなのではないでしょうか。
そもそも、人を嫌いになるほどのエネルギーを皆さんは持て余しているのでしょうか?周りの人を嫌って、そんなことに時間を費やしている暇があったら、勉強するなりしたほうが良いと思うのです。
人を嫌うことで得るものは、ストレスぐらいではないでしょうか。
人を嫌わない、それは難しいことかもしれません。人生経験の少ない高校生からみても、社会は広く、いろいろな人がいます。日常的に人を殴ってくる人、常に独り言を喋っている人、周りの人を巻き込んで現実逃避する人、例を上げればきりがありません。自分でもそういった人のことを苦手に思うことはよくあります。ですが、それが人を嫌いになる理由になるかと言われたら、ならないと思います。
自分は彼らによって迷惑を被ったのは事実ですが、自分も同じく他人に迷惑をかけていますし、迷惑をかけられたから恨んでいるようでは、迷惑で得たストレスを増幅していくただのドMになってしまうと思うのです。
それにむしろ、自分が彼らから良い経験を頂いたのも事実です。明らかに通常は得ることのできない経験をさせていただきました。その得た経験は、直接なにかの役に立つわけではありませんが、きっといつか人生を振り返ったときに、思い出として残るでしょう。
せっかくの80年ぐらいの短い人生(もしかしたらもっと短いかもしれない)なのですから、できるだけ珍しい経験をして死にたいと思うのは、ふつうのことではないでしょうか?折角の短い経験で得たものなのですから、悪い思い出よりは良い思い出のほうがいいでしょう。
でも、その人を嫌わないということに、違和感を覚える自分もいるのです。
人を嫌わないということに、その裏に隠れた事実を覆い隠していしまっているのではないかと。その人が本来やっていたよろしくないことすらも、すべて肯定してしまっているのではないかと。何もかも肯定して世界から目を背けて生きているのではないかと。
これは自分に対しても言えることです。自分は、人を嫌わないということで、何か自分に対して言い訳をしているのではないかと。
昨日も、ある人から言われました。「無理して嫌わないようにしているみたいで、キモい。」その場ではごまかしましたが、確かにその言葉は正鵠を得ていました。
自分は人を嫌わないということを言い訳に、歪んだ人間関係を構築してしまっているのです。常に人を馬鹿にして(もちろん自分では冗談のつもりです)、常に人を貶めて、それだけでしか自分と相手との会話を構築できない、歪んだ人間関係を。最悪です。基本的に何かあれば人を馬鹿にして、会話に困ったら人を馬鹿にして、ただのコミュ症を汚い言葉で覆い隠しただけの、最低の自分がそこにはいました。
周りの人が普通の会話(なんでしょうね?)をしているのを見て、どこか羨望を感じているのも事実です。人を嫌わないのを言い訳に、何も改善のための努力をしていないのに。
人を嫌っていないから、人の悪口をいくら言ってもOK。少し前まで自分はそんなふうに考えて行動していました。自分は自分に甘えすぎていたのです。
同時に人を嫌わないために、少し苦労しているのも事実です。自分のことを常にからかってくる人が、自分のことを常に見下している人が、失敗しているとき、苦しんでいるときに、良くないと思いつつ、やめないといけないと思いつつ、心の奥に、かすかな喜びを感じている自分がいました。
その気持ちは自分から生じたものであるが故に、嘘ではないことは確かです。しかし、それを認めることによって、自分の信念である、人を嫌わないが壊れてしまうのではないかと恐れ、その気持ちを否定してきました。
でも、同時に、そこまで自分に嘘をついていきたいのか、と思う自分もいました。自分に嘘をついて、自分に嘘をついた自分を自分と認めてもよいのか、と。嘘にまみれた自分は、もはや自分とは言えません。その2つの考えに挟まれて、どうしてもどうすればいいのかと悩んでしまいます。
また、自分は人を嫌わないということで自己満足に陥ってまっているのです。
人を嫌っていない自分ってすごい。人を嫌っていない自分って優しい。人を嫌わない、その自分の信念みたいなものを笠に着て、裏側で自己満足している。最低です。これなら人を嫌ったほうがマシかもしれない。そう思うことも多々あります。 そして、人を嫌わないことの裏側で、自分は人を無意識にでも道具として扱ってしまっているのです。人を嫌わない、そのためだけに人と腹を割って話していない気もしますし、人を嫌いになりそうな場面に出くわしたら、そっと目を閉じている。もはやなんのために人を嫌わないのかわかりません。本末転倒です。
そもそも、そんなことをしてまで人を嫌いにならない必要はないのではないかと、最近思うようになりました。あまりにも、人を嫌いにならないことによる違和感が大きくなりすぎて。でも、未だに人を嫌いにならないことをやめていません。
自分は、嫌われるのが怖いのです。陰でコソコソと悪口を言われるが。自分が知らないところで、自分が嫌われるのが。自分を知らない人が、自分と合わずに自分を悪い人だと思うのが。自分は、人からの評価に過剰すぎるのです。自意識過剰。自分は、自意識過剰の極みのようなものでした。
それゆえに、自分が嫌われるのが怖いから、人を嫌わないのです。「自分が嫌なことを人にしてはいけません。」自分は、小学校で教わったことを、未だに信じ続けているのです。自分が嫌われるのが怖くて。周りの人が嫌われるのが怖くて。自分は浅はかにもこんなことを始めたのでした。
ですが、今はその目的はあまり原型をとどめていません。今の自分はどちらかといえば自己満足の意味合いのほうが強いのです。
きっと、この世界に理想は存在しないのでしょう。優しい世界は存在しないのでしょう。だから自分は、優しい世界を作りたかった。
でも、自分は優しくはなかった。利己主義と自意識に満ち溢れたただの高校生だった。
この優しくない世界で、自分はどう生きるべきなのでしょう。答えがないが故に、自分は答えを探して、今日も自分は答えのない日常を彷徨っています。
いや、死にたいわけじゃないんだけど、まじなんもできねえ、集中力が死んでる、なんもできねえ、文字が読めねえ、物事が頭に入ってこねえ、現実逃避的に増田は読めるのにな、長文だともう読めないけど
金が無くて追い詰められてんのに、どんどんやる気がなくなる
まじ、死ぬ気になればなんでもできるって嘘だよな、実際はなんもできなくなる、余裕がなくなればなくなるほどそれを回避するための手段が打てなくなる、人間ってわけわかんねえな、そこらへんの人刺して金取ろうとかそういうことしか思いつけなくなる
いや、短絡的だってわかってんだけどな、何故か自虐的な行動に走ろうとしてしまう
これ俺だけか?俺だけなんか?
昨日は看護師国家試験だった。勉強から開放されたことだし今日はひたすらゴロゴロしようと思って、一日中ベッドの中にいた。ご飯も適当で、倒れない程度には食べた。持病があるのに薬も飲み忘れた。スキンケアとかオシャレも、家事も、食事も、トイレに行くのも、セルフケアの全てが面倒くさくて億劫だった。
今日はベッドの中でゲームをひたすらやってた。久しぶりのゲーム、夢中になれた。だからといって最高に楽しかったかと言われるとそうではない。
私が、国試が終わってから幸せだと感じることは、「何もしなくていい」とう事だ。幸せだなぁと思う。
国試が終わったら読みたい小説もたくさんあったけど、今は全く読みたくない。とにかく頭を使いたくない。今日はゲームして、思いをこうして言葉にして、それが限界だ。勉強中はあんなに小説を読みたかったのに。
勉強から開放されたことで、自分の体にへばりついていた頑丈な殻が少しづつボロボロと地面に落ちていくような感覚が、昨日からずっと続いている。殻が剥がれていく度に、殻の中から本来の私が出てきて、その出てきた部分はちょっと生き生きとした色をしている。
だけど体は動かない。動きたくない。疲れてるのかな。頭がぱんぱんで、弾けそう。頭を使うことはしたくない。エナジードリンクは元気の前借りと言うけれど、そんな感覚。飲んでないけど。頭のエネルギーを使い果たした結果、頭の中は疲れ果てて、錆びこけてしまった。もうだめ、動かない。
そして今日の夜、死にたいと思った。決して悲しい気持ちや苦しい気持ちはない。むしろ逆だ。なんか幸せ。だから、この幸せな気持ちのまま死んでしまいたい。そうすれば、もう辛い思いをしなくていいから。もう苦しい思いはしたくない。この幸せな気持ちのまま死にたい。親のお金で暮らしているのに贅沢だなぁ。
この先、また1年前みたいに心身ボロボロにならないかが本当に心配だ。いや、今度はもっと酷いことになるかもしれない。辛い気持ちになるのはもう嫌なんだ。
「未来に幸せがあると思えない」と無意識レベルで、脳の髄と心に刻まれている。本当はそんなことない、というのが真実だとは分かっている。でもどうしてもそうとは思えない。
死にたいと思ってるけど、これはたぶん本当に死にたい訳ではないし、私は実際、死なずに生き続けると思う。死にたい気持ちは現実逃避だ。
私は今の生活が嫌なんだろうなと思う。友達もいて家族もいて、普通に暮らしているのに何がそんなに嫌なのかは分からない。
でも私は時々、日々の生活の中でふとした瞬間に、急に電車に乗って遠いどこかへ行きたくなる。行先も決めずに、二度と引き返さず、遠いどこかへ行きたい。何もかも捨てて放浪の旅に出たくなる。
実際は絶対しないが。
風俗嬢からCGデザイナーになった。趣味が欲しくてCGをやってみたら意外とできたから、完全に風俗を卒業して仕事にしてみた。
その「意外とできた」がかなり低レベルだったのは業界に飛び込んでみて分かった。すごい人は沢山いる。私は凡人かそれ以下で、正直全然稼げなかった。そういえばバカだった。新しい技術を覚えるのも楽じゃない。全然タスクこなせない。
お金がないなら、風俗でまた働けばいいと思っていた。でも空いた時間があればちゃんと休むか絵を描いたり映画を見るほうが身になる気がするし楽しい。私はずいぶん変わった。私がこんなに何かに夢中になって頑張れるなんて思わなかった。
ただ、自分を追い込まないと生きてる気がしないという自傷行為のような、現実逃避のようなものは相変わらずだ。夢中になりすぎて胃に穴が開くとかよくやる。風俗をやるぐらいのメンタルだから仕方ない。
今私が非常に面白がっている人物で宇野常寛さんという人がいます。
この人はネット上でサブカルチャーへの評論を展開し、その文章を買われて(?)ライターとしての活動を開始、現在はSFマガジンという雑誌で評論「ゼロ年代の想像力」を連載しており、オタク評論の新たな地平を切り開いた巨人・東浩紀と敵対したり、一緒に酒を飲んだりしています。
要は上の世代にもある程度期待されている新進気鋭の評論家さんです。
その主張は苛烈で痛快です。「評論の世界は十年遅れている」と言い放ち、その十年を取り戻す作業が自分の仕事だと宣言しています。上の世代の評論家はすべて「現状認識できていないノスタルジー中年でもはや害悪」、萌えに耽溺するオタクは「『酸っぱい葡萄』状態のどうしようもない奴ら」と無手勝流の撫で斬りで片っ端から斬り捨てます。
この人の活動の遍歴をまとめてみると面白いのでは? と思いこの記事を書いてみました。
北海道にて全寮制の男子校に入る。ここでの経験がその後の宇野さんの方向性を決定付けます。元々オタク率が高い田舎の進学校、加えて異性がまったくいない寮生活という住環境……。それは寮生の九割がキモオタという地獄絵図。ここで宇野さんは大嫌いなファンタジー小説を新刊が出るたびにむりやり読ませられて感想を聞かれる、などの地獄のような責め苦を受け続けます。富野信者でサブカル系の宇野さんには美少女がビキニアーマーを着て大冒険をするような話は耐えられなかったのです。
なぜ宇野常寛があれほどまでに萌えオタを敵視するのか? それはこの寮生活でのトラウマがすべての原因なんです。宇野さんが萌えオタを攻撃するのはこの頃の復讐なのです。
寮生の半分は卒業後に「引きこもりのギャルゲーマー」になったそうですから相当屈折した人たちが集まっていたことが覗えしれます。そして、「恋愛したくてもできないからギャルゲーに逃げるオタク」をいっぱい見た宇野さんは「性愛コンプレックス」にこだわるようになります。
同じ嗜好性を持つ人間がまったくおらず、一人で古本屋に行き「アニメック」のバックナンバーを買い集めていた宇野さん……。この時に趣味を共有できる仲間に出会えていればその後の人生は大きく変わったでしょう……。
この辺の話は旧惑星開発委員会のコンテンツ「善良な市民のオタク黒歴史」というエッセイに詳しいです。
高校を卒業し、宇野さんは寮生活から解放されて浪人生活に入ります。ここでどんな風に過ごしてたのかはあまり語られませんがPLANETS第四号によると「楽しすぎてさらに浪人した」と書いてありますので、キモオタ軍団から解き放たれたのがよっぽど嬉しかったのか勉強せずに遊んでいたようです。
しかし、そこはやはり浪人生。二年間もの浪人生活でキャンパスライフへの憧れはどんどん膨れ上がっていきます。未だに「大学生活」や「サークル」に拘るのはここに起因があるとみて間違いないでしょう。
ところで思春期を男子校で過ごし、その後二年間浪人……ってことは宇野さん、ヤラハタですか?
そして、立命館大学に入学し関西に移住。大学に入った宇野さんはサークルの自己紹介名簿を見るのが趣味となり、サークル内での「立ち位置」や「キャラ設定」について考察するようになります。おそらくは自慢のコミュニケーションスキルを生かしてサークル貴族となり、カーストの下位にいる人間(宇野さんによると「毎日辛いけどサークル抜けると友達がいなくなるから抜けられない人間」)を苛め抜いていたんじゃないでしょうか。
そして在学中、おそらく三年生か四年生の頃に「善良な市民」というハンドルネームで2002年1月に「惑星開発委員会」というウェブサイトを開設します。それまでのテキストサイト(単なる日常を痛々しいほどの過剰な修飾で必死に面白話に仕立て上げようとするサイト)に違和感を持っていた宇野さんは一人ではなく友人を誘って複数人で運営。
主なコンテンツはアニメ・漫画作品を複数人でレビューする「クロスレビュー」、90年代のサブカル文化人や事件を考察を加えて紹介する「惑星開発大辞典」、宇野さんが出会った痛いオタクを面白おかしく描くエッセイ「善良な市民のオタク黒歴史」などです。
複数人で運営していること、宇野さんの広範なサブカルチャーへの知識、ひたすら萌えオタを攻撃する芸風、まったく洗練されてないごちゃごちゃしたサイトデザインなどで話題になります。
特に萌えオタへの強烈な煽りは当時のオタクたちを刺激し、某掲示板でスレッドが立ち「萌えオタは現実逃避してるのか?」と論争が巻き起こるほどでした(当の宇野さんは萌えオタ批判は「過剰な方が面白いからエンターテイメントでやってる」と掲示板でネタバラシしていました)。
しかし、おそらくは就職でメンバーのプライベートが忙しくなり、クロスレビューを更新することが難しくなります。また、萌えオタ批判がマンネリ化し、一本調子になってしまい、読者にも飽きられ始めてしまいました。そうして宇野さんは更新への意欲を失っていき、更新を止めてしまいます。活動停止、実質の閉鎖です。最終更新は2003年4月になっています。
続き
> ああ、金ないアピールなんてしてないよ。単純に増田が、大元の増田の言ってる意味全然分かってない?お子さんいない?増田も受験とかしてない系?って思ったんだけど。
↓
↓
ワイ:国立とか私立とかあるんでそれらの区に(当然、荒川区/台東区から通える)
例:お茶の水女子大学附属中学校、筑波大学附属中学校、東京学芸大学附属竹早中学校、桜蔭中学校、駒込中学、
↓
↓
ワイ:なぜなのか?(荒川区や台東区から文京区の徒歩可能地域、チャリ通(学校としては禁止)可能地域という話をしてるのだが?)
↓
キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
↓
ワイ:それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
なお、貯金は審査対象に入らないし、住んでる区にもよるが、元増田か嫁が一時的に専業か収入抑えれば、中所得者住宅入れるぞ?
上限、689万とかなんで
キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
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ワイ:国立とか私立とかあるんでそれらの区に(当然、荒川区/台東区から通える)
例:お茶の水女子大学附属中学校、筑波大学附属中学校、東京学芸大学附属竹早中学校、桜蔭中学校、駒込中学、
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ワイ:なぜなのか?(荒川区や台東区から文京区の徒歩可能地域、チャリ通(学校としては禁止)可能地域という話をしてるのだが?)
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キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
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ワイ:それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
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ごめんな、びっくりするほどうらやましくないんだよ…。分かってあげられなくてごめんな…。
なぜなのか?キミ金ないから公立しか選択肢がないし電車がとか言ってるのやろ?
つか、当たり前だけど、都営/区営/中堅所得者住宅、みんな調整してはいるんやぞ?良いか悪いかは別としてな
(通じてなかったみたいなので補足:付近の家賃相場考えたら、過小評価されるようにしたり、もっと稼げるのに入居するまで抑えたりしてるに決まってるやろ)
まぁそもそも住んでないっぽいけど
国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
もう何度目か分からないが団地や中堅所得者住宅に入ればいいのに
キミ土地勘なさそうだから中堅所得者住宅の具体例 > anond:20190205113347
年収2450万円も 都営住宅の明け渡し請求、23世帯に (2010年9月16日)
東京都は都営住宅に住む高額所得者23世帯について、来年4月30日までに明け渡しを請求することを決めました。中には年収が2450万円もある人物もいるということです。
高額所得者とは都営住宅に5年以上住み、最近2年連続して収入が月額39万7000円を超えた人が対象です。今回明け渡しを請求された23世帯のうち、5世帯は手取りの年収が1000万円以上でした。最も高額だったのは50代の会社役員で、手取りの年収は2450万円でした。この男性は多摩地区の広さ3DKの部屋に月およそ9万円で22年間住んでいました。
■都営住宅、44世帯高収入 立ち退き請求へ 年収1700万円も
2016.2.18 07:01
都は17日、都営住宅の入居者の収入を調べた結果、44世帯の所得が基準を上回る高水準だったと発表した。
最も多かったのは、50代の自営業者で年収約1746万円だった。都は9月30日までの立ち退きを求め、従わない場合は提訴する。
https://www.sankei.com/smp/region/news/160218/rgn1602180002-s.html
刀の映画を見に行った。
2回目。
1回目からずっと感じてたけど、あんまり口にすることでも文章にすることでもないかなと思って蓋をしてたけど、どうにもしんどいので吐き出してしまうことにする。
書いてスッキリしたいだけ。
なんだけど、誰かに知ってほしい気持ちもあるらしくて匿名ツールを引っ張り出してきた。
映画を見た人間のぼやきなので映画鑑賞済みであることを想定して書きます。
***
自分に正直に言うと、
「正しい歴史のために正しく死なねばならない」
と言われた信長のことを、少し羨ましいと思った。
まだまだ完結するまで死ねないと思っている作品も多いしオタクとして生きてて今が楽しくないわけでもない。
楽しいと感じている時、発している時、私は確かにその瞬間「楽しい」と心の底から思っている。
なんだけど、それに反するように、死にたいと、心のどこかでずっと感じている。
「生きることで発生する日々の煩わしさ」と、「死ぬ瞬間に生じる種々の煩わしさ」を天秤にかけて、ただ「現状維持」だけを選択しているような感じ。
変わることが面倒くさい。
だけど生きていることも面倒くさい。
なんなら今、「歴史のために」と言う大義名分を掲げてこの命を終わりにしたい。
「正しい歴史のために」
「正しく死なねばならない」
人の生死に正誤などあるのかと感じもするが、私の命が正しい歴史のために摘み取られるのであれば私は喜んでこの命を差し出したい。
彼の死には意味があった。
それ以上に、彼はそこで歩みを止めることを許された。
私も許されたい。
「生きる」ことを「辞める」ことを許されたい。
生きた時代が違うから、信長のその選択は私が望むそれとは全く別のものなんだけれど。
信長は歩みを止める気なんてなかったと思うんだけど。
それでも、今生きていることが間違いだと言われて、あぁそうなんだ、やっぱり生きてることは間違いだったんだ、って、私は納得できる。
別に誰に何を言われたわけではないけれど。ただの現実逃避だってだけかもしれないけど。
それでも、羨ましいと感じてしまった。
22歳、処女。タンポン初使用。タイトルそのまんまの内容、それ以上でもそれ以下でもないよ。しかも長い でも前半自分語りなので感想は×から下だよ
生理って本当に人それぞれの症状があって、ケロっとした顔で平生と変わらない生活する人もいれば、会社学校休んでベッドで微動だにせず顔面蒼白で部屋⇆トイレの往復してたら1日を終える人もいる。自分は後者。頭痛腹痛吐き気貧血食欲減退苛立ち筋肉痛、症状の満漢全席。最高です。
歳を重ねるごとに症状が悪化している。
×
社会人になる前にタンポンデビューをしよう!これが1時間前の私。結果から言うとデビュー失敗したよ、ごめんね私・・・。
まずどこに入れるのかわからない。義務教育から学んでるので、何がどこにあるかは知っている。でもわからん。そもそも入れるのにベストとされる中腰態勢がキツい。生理中は筋肉痛に加え痛みと弛緩で足腰ガタガタなんだよな、中腰になると足ぶるぶる震える。日頃の運動不足も祟っている。頭痛と吐き気と目眩で手元も意識もおぼつかない。そんな時にデビューしようとすな。生理中の人間の思考回路最悪。今も真っ最中だけど。
とりあえずタンポンをここら辺だろうと目処つけたあたりに当てたら違ったようで、激痛。まずここで泣いた。世の中の女性達みんな膣に指突っ込んだ経験ある?私はない。なのでおっかなびっくりゆっくりまさぐってみる。痛みしかない。初めて親知らず抜いた日、麻酔がとけてきた患部をじかに指で触った時に近い痛み。空気椅子が出来ないので膝立ちになる。情けない。
手当たり次第総当たりの甲斐あって中指が根元まで入った。これが今回1番の成果です。ここに至るまで22年、長かった。やっとこの痛みから解放されるんだとまた泣いた。目的と手段が滅裂。タンポンを同じように押し進める。入らない。痛い。拷問か?
みんな忘れがちなんだけど指って、関節があるから曲げられるんだよね。タンポンはプラスチックの筒だから曲がらない。タンポンは指のように体に合わせてうねらない。同じ道を辿れない。完。
いや入るはずなんだ。中指まで入るなら入るだろなんで入らないんだよいや私が知りたいわ。
情けなさで泣いた。ここまでに1時間くらいかかってる。吐き気我慢できなくて結局吐いた。浴室でやっててよかった。
引き抜いた中指が真っ赤で本当にここから血が出てるんだなーと思った。現実逃避すな。
よく考えてみれば中に入ったらカバー引き抜くだけだからあと一歩なんだよね。1日であと一歩まで行けたのすごくないか?天才じゃんね。それはそれとしていい加減毎月1週間紙オムツする生活やめたい。もうすぐ10年経つぞ紙オムツ生活。あと30ねんは続くのマジで言ってんの?
紙ナプキン費用だって馬鹿にならないしまず貼り替えるためトイレに移動する力が無い。できるだけ立つ座るの動作を減らしたい。横移動はいいが縦移動は5倍くらいキツイ。んだけどデビュー失敗したので明日もベッドとトイレの往復確定。
とりあえず本懐を遂げることなく人生終えたタンポンに合掌。意識朦朧とする中やろうとした私が悪いだけで、ふつうに中指根元まで入ったしタンポンに処女関係無いな。次のタンポンはきっとうまくやるでしょう。今回の私は完璧で幸福ですと言える日を夢見て寝ます。みんなもよきタンポンライフを!