はてなキーワード: 必然性とは
あれ最後のやつは進化した人類だと思ってた、多次元に進出した人類が多次元に進出するキッカケとなった発見をサポートするみたいな。
サポートしなければ今の人類は居なくなるので必ずあの親子はサポートされる。それは時間とか精神とか空間とかの概念じゃなくて起こるべくして起こる必然性のある行為だと。
これは自分自身の問題であると頭では理解しています。そして友人への気持ちをあえて総括するなら「好き」です。
はじまりは、自分があるジャンルにはまったことだろう。そのジャンルで初めてカップリングおよび二次創作を知って、とある小説書きの作品たちに心を打たれた。始発でイベント会場に行き、新刊を買って、感想をしたためた手紙を渡した。そしてこう思った。この人と同じ土俵に立ちたい。
このとき、自分にはすでにいわゆる地雷があった。自分の好きなCPをABとするならば、それはBXとしよう。ようは相手違いCPだ。相手違いCP全般好きではなかったが、特にBXについては、CP名を見ただけでショックを受けるようになっていた。何もない2人というような題でBXの体の関係がある漫画を見たときはとても驚いたが、恋愛感情がなければ「何もない」判定になる文化圏の人もいるんだな…と学び、ブロックやミュートを駆使して、平和なTwitterライフを過ごしていた。
それから、たぶん1年は経っていない頃だと思う。タイトルの友人から、二次創作していることを打ち明けられた。友人は自分よりも前からそのジャンル者だし、本好きなので驚きはなかった。ただし、前からそのジャンル者と言っても、二次創作を始めたのはごく最近のことだった。そして友人が書いていたCPは、BX、BY、AYだった。評価は二桁中盤くらいだったような。
とはいえこの時点では、まだ以前とそう変わらなかった。
おそらく、BXの割合がかなり低かったことと、自分も小説をアップすればすぐ追い付けると思っていたからだ。
自分は作品を完成させることができないでいた。あの時から数ヶ月経つのに。書き始めてはいた。気が向いた時に取り組み、永遠に修正を繰り返し、飽き、放置し、取り組み……その繰り返しで完成するはずがなかった。
いつかわからないうちに、BXだけでなく、BYも、AYも、地雷と化していた。元々相手違いCPが嫌いな上に、TLによく流れてくるそれらを嫌いになったのかもしれない(BXもそんな経緯だった)。
今まで友達が自分の嫌いなものを好きでも、大した問題ではなかったように思う。しかし、これほど嫌悪感を抱くもので、自分がやりたくてもできなかったことを実現させていると思うと、それはとても重大な問題のように感じられた。嫉妬だ。
やめとけばいいのに、作品サイトに掲載されていたリンクから友人のTwitterを見に行った。
待て、待て、待て。Yは“原作“で片思いの相手がいる(今までに出てきたどれでもないキャラだ)。それは無視して「至上」とは?
いや。
幸せを願うことがカップリングとイコールとはひとことも言っていない。別にやっている創作がYの幸せだと言ったわけでもない。Yの片思いは報われないことが確定している。作品の解釈は人それぞれで、言葉の定義も人それぞれだから、それを考慮に入れれば至上と言えるのかもしれない。
気に触るツイートはたくさんあった。
「AYも好きだけど素敵な作品が多いから自分はBY書きます」とか。
「このジャンルはサブ」とか。
一番あり得ないと思ったのは、原作でBが取り上げられる回があった後のツイートだった。
「初めてBのこと素敵だと思った!」
へえ。じゃあ今まではなんだったの?
どんな種類の感情もYに抱いたことのないBと、別の人が好きなYをくっつけて楽しんでいたのは、両方のキャラを好きだからだと思っていた。それも本当はどうかと思うけど。理解の外にいると実感した。
数ヶ月おきに無性に気になって、友人を裁くためにTwitterを覗き、そんなこと決してできないんだと裁いた気になった自分に言い聞かせた。愚かしい。
そしてもっと嫌なことを知ってしまった。友人はオフ活動が決まったと。
自分もオンで活動で10冊くらい配れそうになってからオフ活動したいなと思っていた。あわよくばもっと……ところが友人ときたら、周りに本作りなよ!と散々言われ、10冊どころではない数を頒布したらしい。嫉妬。自分が周りに認められ、求められたかったのに(もちろん友人が相応の努力をしたであろうことはわかっている)。
CPを嫌いな気持ちと、二次創作への態度の気に食わなさと、嫉妬が入り混じって、友人のことを思い出すとウッと思う。
同時にこの友人のことはすごく大事に思っている。
Twitterはもう見ていない。たまにふっと見たくなるけど、我慢している。
あと、心打たれた書き手の方は活動しなくなって久しい。だから自分の中に嫉妬が残っているのかもよくわからない。友人とCPに関する嫌悪感がセットで思い浮かぶようになっていることだけが事実。
会う機会があるからこの気持ちを想起してしまうんだと思っていたけど、コロナで会わなくてもこれを書くぐらいには思い出してウッとなる。
こうなる前の、好きな気持ちだけで友人といられたらいいのに。
7/21追記:
タイトルにもかかわらず友人がいつ二次創作を始めたのか書き忘れるという失態を犯していたので追加しました。あと作品を完成させられるのは一種の才能なのでどうか誇ってください。
フラットアース仮説な世界でも、天球の太陽が一周する時間を24分割すれば1時間でしょ。
引用元:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
さらに開発者はサーバのスペックも、何台で構成されているのかも、どのような場所に置かれているかも知ることができません。sshもできなければログも見れず、メトリクスのグラフを見ることすらできません。ちょっとしたバグの調査であるテーブルのレコード数を調べるのにも、発行するSQL文を添えた作業依頼書を承認リレーする必要がありました。
これらがなぜ必要なのか、いつからこうなのか、誰も知りません。聞いても誰も答えてくれません。しかしながらこのように決まっているのです。
(中略)
最後は総務部を追い出し部屋にしたことです。やめさせたい人間をグループウェアから登録解除し、総務部という名前を持った統合思念体に統一し、PCも共有で1台しか与えない。昨日までエンジニアをしていた人間がスーツを着て社内を歩いて備品の補充をする。そんなことが許されていました。
(中略)
B to B の方が儲かりそうだからそっちに注力してるのかもしらん。今のはてな は AWSのイメージ
ニコ動はOSのカーネルから色々やってるレベルのエンジニアを集めてあのザマなので
完全に中の人の戦略ミスだな。焼きそばとSQLは有名な話、この話は はてな発だよ
引用元:http://hiroki-uemura.hateblo.jp/entry/2015/09/01/230611
さらに開発者はサーバのスペックも、何台で構成されているのかも、どのような場所に置かれているかも知ることができません。sshもできなければログも見れず、メトリクスのグラフを見ることすらできません。ちょっとしたバグの調査であるテーブルのレコード数を調べるのにも、発行するSQL文を添えた作業依頼書を承認リレーする必要がありました。
これらがなぜ必要なのか、いつからこうなのか、誰も知りません。聞いても誰も答えてくれません。しかしながらこのように決まっているのです。
(中略)
最後は総務部を追い出し部屋にしたことです。やめさせたい人間をグループウェアから登録解除し、総務部という名前を持った統合思念体に統一し、PCも共有で1台しか与えない。昨日までエンジニアをしていた人間がスーツを着て社内を歩いて備品の補充をする。そんなことが許されていました。
(中略)
でも無駄にハイスキルエンジニアを集めたことは完全には無駄になっていなくて、
ニコ生はまだ生きているし、ニコニコ漫画(静止画)も無視出来ない影響力を持ちつつある
ほんま、中の人の偉い人次第ですわ
つまり、セックスシーンを提供する目的の作品でセックス大好き人間を出すのは必然性があるということだな
もう一つ上の「セックスシーンを提供する目的の作品を作るのはやめろ」というとこで議論するべきやね
そもそも脚本を都合に合わせて書き換えればいい時点で、あらゆる場面にも登場人物にも必然性なんてねえんだもんな
ドラマの役者が次のシーズンで出られなくなれば「あいつとはやっぱり別れました」とか言わせれば済む
排外主義が蔓延する現在、“純“日本人に対して「おまえらが移民や難民になったらどうするんだ?」と問いかける以外の目的で2020年に「日本沈没」を語り直す意味ってある?
これなんのために作ったの?
助けを求めて日本にやってきた人たちに入管でやってるようなことを日本人もされるんだよ、こういう状況になったら
何ロシアですんなり受け入れられて普通に豊かな暮らしを享受してるねん
主人公姉弟はいわゆるハーフだけど、これ絶対ストーリー変えて主人公も”純”日本人にした方がよかったよ。ネトウヨという設定だったらもっとよかったと言いたいとこだけど、一般的な日本人は大体ほんのり差別的で排外的だから別にどっちでもいいかもね
主人公姉弟がハーフであることに作劇上の必然性はあったのかな?
私もハーフなのでフィクションの中にハーフのキャラが出てくるとすごく嬉しいんだよね、ハーフであることに必然性がないともっと嬉しい、でもこれに関してはなんか警戒しちゃった
ラップバトルの中で吐露される姉弟の気持ちがいかにも”純”日本人が考えましたって感じで
あと最終話に出てきた在りし日の「日本」の風景アーカイブ、製作陣の「日本」に対するイメージが貧しすぎて絶望しちゃった
取ってつけたような金閣寺、取ってつけたような厳島神社、取ってつけたようなメイド
僕はアイドルマスターにそこまで真剣ではないからライブも行けるときに行ける分だけだし、イベランもしないし、誇れるほどの歴もないけれど、人並みにアイドルマスターと星井美希が好きだったので当然配信を見た。
見る前は特別配信に対して何かを求めていたつもりはなかった。この配信はMRが中止になってしまったことの補填のようなものだと発表された時から理解していた。MRは一度見に行った時に十分満足したから特別新しい思いはなかった。しかしキャラクターによる生配信という形態、そしてShowroomという媒体が無意識的に僕の期待を膨らませてしまっていたのだと思う。
僕は広く浅くオタクをしている。二次元では漫画やラノベを嗜み、三次元でもアイドルを追っている。二次元には二次元の良さがあって、三次元には三次元の良さがあると思っている。今回の星井美希の配信がなぜ虚無だったのかについて語る前に、まずそれについて少し話さなければならない。
二次元に対して求めるもの、それは文脈だ。二次元は所詮創作であり、現実ではない。だからこそそこには理想を追い求め、究極を追求する意味がある、必要がある。なんの必然性もない理不尽が存在してしまうのであればそれは三次元と同じ、あるいはそれ以下でしかない。キャラクターには一貫性が求められ、物語には起承転結(正しくは三幕構成なども含む物語が面白くなるための何かしらの構成・努力、わかりやすさを重視して起承転結と表現)が求められる。三次元には存在しないものを僕は二次元に求める。これは別に僕だけじゃなく二次元オタクなら誰しもが心の底で思っていることだと僕は思っている。
一方三次元に求めるもの、それは生だ。対象が生きているという実感。所詮虚構でしかない二次元では絶対に得られない感覚。生きている人間と物語の登場人物では情報量があまりに違う。その情報量の違いが自然と生の実感につながっていると僕は思う。中にはその情報量を文脈に結びつけるタイプの三次元オタクもいるらしいが、僕はそこまではしないのでここでは省略。
普段僕がアイドルマスターにもとめているのは当然前者だ。キャラクターの成長、物語の文脈を楽しむ。もちろん衣装を着せ好きな曲を聴くなど単に造形美を楽しむときがある。でも本質は文脈だ。ライブに行くときも演者の演技を通じてキャラクターの文脈を感じ取ることが出来る瞬間が最も気持ちいい。
しかし唯一僕がアイドルマスターに対して三次元の生をほんの少しだが感じたことがある。それはMRだった。
目の前で二次元であるはずのアイドルが踊っていること、トークをしていることに確かに生に近いものを当時の僕は感じていた。
そして今回のShowroom配信、おそらく僕はその微かに感じた生をさらに感じられることを強く期待してしまったのだと思う。ただMRの代替であればそこまでの期待はなかったかもしれない。Showroomという普段自分が3次元のアイドルを見るために利用している媒体を通して生配信が行われるという事実が僕を煽動してしまったのだろう。
だが実際行われた配信は生の欠片も感じさせない、二次元ですらない虚無配信だった。
あの配信の目的はユーザーに生を感じさせることで間違いはないと思う。わざわざShowroomを選んでいることが何よりもの証拠だ。だから二次元に求められる文脈などは当然配信に存在しない。それは予想通りだったし配信を見るにあたって一切求めていなかったのでそこに不満はない。
しかし肝心の生はどうだろう。芝居がかったトーク、台本が透けて見える配信の流れ、最後はあくまでリスナーをプロデューサーとして扱う。そこにいたのは星井美希というアイドルではなくアイドルマスターの星井美希というキャラクターだった。誰かが書いた文字通りに動くキャラクターだった。所詮二次元は二次元なんだと、三次元に昇華することなど不可能なんだと。僕がMRで感じた生は所詮ライブという限定された空間だからこそ成り立っているものだった。その成り立ちすらも不安定だったのだろう。きっと何回も行けば途中から生を感じることは減っていったように思う。
別に二次元を三次元に昇華してほしいと常日頃から思っているなんてことはない。二次元に求めるものと三次元に求めるものはそもそも違うのだから今のままで十分なのだ。しかし今回僕は期待させられてしまった。星井美希が生きている可能性を提示されてしまった。その結果僕は思い知る、所詮二次元は虚構でしかないのだと。二次元に生を求めるのはお門違いなんだと。
星井美希は生きていない。
奴隷とか獣人の猫耳とか魔族とか、そこら辺の個々の設定に大きな意味があるわけではない
当たり前だが、別に「奴隷」という属性が良いんだよというフェチでもって人気を獲得しているわけではない
中には『奴隷との生活』あたりまで突っ込んじゃう人もいるのだろうが、そこまで行ってしまうと、もはやオタク向けという括りですら万人向けではなくなる
そういうことではない
オタク向け作品のメインキャラというのは昔から「そうでなくてはならない」ということだ
主人公と同じ目線でなければならないから、ヒロインも世間知らずで外の世界のことには無知でなければならない
行動を共にする必然性がないと困るので、運命的な出会いがなければならない
奴隷とか獣人とかの設定は、あくまでそのための理由付けのひとつに過ぎない
この手の作品ではよく、アクの強いサブキャラの方が圧倒的に人気になることも結構多い
そのうち作者や運営の側もそういう人気キャラをスピンオフやらイベントやらで徐々に押し出すようになり、当初のメインキャラは空気になることも少なくない
だがそれにしてもきちんと段階を踏んで空気を読んでの話だ
メインのストーリーで常に顔を合わせなければならないのがそういう奴だといろいろヤバい
作品の顔であるメインキャラがヘイトを買っては作品自体を投げられてしまう
ボクが他の推しキャラに目移りすることはあっても、メインキャラだけはボクを絶対に裏切らないという、なんとも都合のいい確証が必要なわけだ
例え空気になることがあっても、狂気じみたスピンオフで変な設定がつくことがあっても、とにかく本編でのっけから毒があったらまずいのだ
molmolmine 何の結論も出てないよ。大正時代の世界観の作品が人気出たら女は男尊女卑を望んでるってか。馬鹿すぎて目眩がするわ。
[B! 考え方] HTCH2 on Twitter: "数百回目のポリコレ談義をまたやってるけど、マチズモの極みと言える鬼滅が女性人気・海外人気ダントツなので全ての結論が出てしまっている。 https://t.co/9hPOTUI6TP" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/HTCH2/status/1281191063840010242
あのな、舞台は大正時代でもな、作ってるのは現代、読んでる人間も現代、たまたま舞台が大正時代の現代の作品なんだわ。
その時点ではてブ民の意見は、以前の自衛隊のストパンポスターへの擁護として「いや、下半身丸出しなのは必然性はある!なぜならあの世界では~」って設定の話しだすオタクと完全に一致なんだわ。
設定の話してねんだわ。
近年のディズニー映画は数世紀前のヨーロッパが舞台でも黒人が平等に活き活きと描かれてるんだわ。なぜならな、それが現代の進歩的な価値観に沿うものだからなんだわ。当時、黒人の扱いが悪かったからと言って、劇中に登場する黒人が召使いと奴隷だけだったら、視聴者の黒人の子供たちに対してdiscourageなコンテンツになるんだわ。
鬼滅の刃って少年マンガなんだわ。成人済の女オタクがイケメンキャラ見ておしょんこぽんぽんするコンテンツじゃなくて、あくまでも主要なターゲット層は少年なんだわ。
その少年たちに対して、誤った価値観をインストールしてしまうのはまずいよね、っていうのが今回の議論の本質なんだわ。
またそこからですか?
女ばっか出てくんだよなあマジで…
どうでもいいポジションのモブみたいなやつとか敵役とかは男のことがあるけど出ずっぱりのパーティメンバーはもうホントに女・女・女
必然性があるならまだわかる 女しかいない世界みたいな設定してるんだったらいっそ潔いから良いんだよ(読まないけどな)
普通に男女半々くらいいて「男は力が弱いから戦えない」みたいな設定もないのにどうして仲間になるやつが全員女ということになるのか しかもオバさんとか婆さんとか混じってたらまだ分かるんだけど全員美少女・美女なんだよな キモすぎる
ていうか主人公は嫌にならないのか、バカにされていると感じないのか?っていうのも結構謎
俺だったらすげえ力与えられて転生した上に縁のある人間が全員美少女だったらかなり本気でイヤになると思う 実態はともかくとして、万能の力を持つ神が気を遣って大量の美女を差し向けてきているのかもしれない…って状況は居心地が悪いし、差し向けられてるんだとしたらその美女たちには自由意志がないと言って差し支えないわけで、とにかく虚しい
虚しいし申し訳なくもある 俺がいなかったら彼女たちは神に干渉されず自由に生きていたのでは?と思うと死にたくなりそう 自分のために生み出されたってことならいよいよ虚しい 悲しくもある キモい非モテの陰キャ男の自己肯定感を満たすためには美少女を侍らせてやることだな!と神に判断されたというのが悲しいし、彼女たちの存在のどうしようもない無意味さが悲しい
最初に出てくるメインキャラクター3人目くらいまでが女だとそこで切ってしまう その読み方をすると実に半数以上のランキング作品が消えるんだよな
女性向けのほうがまだマシ(女も出てくる)な気がなんとなくするが、そもそもたいして数を読んでないからわからんな
とにかく女が多すぎる 相棒も女、師匠も女、神様も女、ライバルも女、弟子も女 自分を振り返って恥ずかしくないのか?と思う
「登場人物紹介」みたいなの見て主人公以外女が10人くらいずらっと並んでるとマジで乾いた笑いが出てしまうぜ
男を出せ 女を出すなとは言わんから男も出せ
ドラゴンが女になるのがマジで嫌って書いてた増田いたけど心から同意する 性別不明のキャラ(魔剣とか)が後から女になる率高すぎるんだよな そこは無性でいいだろカス
すげえ作品だとペットなんかまで全部メスで、本当に恐れ入る そんなに自分以外のオスが嫌かよ
俺は高校生くらいのときになろうにハマって女多すぎ作品への憎悪を溜め込み拗らせた結果NTR趣味に目覚めてしまったんですよね
NTRには絶対に主人公以外の第二の男が出てきて主人公ハーレム状態を破壊してくれるから… 俺はNTRそのものじゃなくてNTR展開に発狂するオタクを幻視して抜いてるんだ
本当に罪深いよ 男を出せ
老人や重度の障がい者に年金を払うこととか、生活保護みたいなものって、一般労働者が安心して労働するために絶対必要なものであって、
違います。弱者の人権を維持するために、強者や労働者に仕方なくリソースを一部奪っているだけです。
いらないです、が何にかかっているのかわかりません。
人間はいるいらないではなく、生物として存続しているし生き続けます。いるいらないは誰も判断するようなものではありません。
もしあなたが神であり、人間いらねーなと思っているのでしたら、ぜひ私の給料を月給150万にしてくださいお願いします。
どこから平和的に国民を減らすという話が出ているのか意味不明です。
国民を減らすためにベーシックインカムとかいう電波理論どこから持ってきてんの?
必然性があって人間がこの世に存在しているわけじゃないっていう未就学児ですら知っていることを、もしかして理解してらっしゃらない?
雲が存在するのは雨を降らすためとか思ってる?
雲があるのは自然現象としてただそういうふうになってるだけですよ?
人間が人間として人間ぽく社会形成しるのは、自然の地続きでたまたまそういう動きしているからです。
経済の話以前で、認識力の圧倒的な低さに頭がクラクラしてきました。
十分社会が成熟して富の再分配が完全に透明性公平性をもってすべての人間それに同意できる超絶理想的な社会がもしできたのであれば、金は必要ないし経済はその存在理由をなくします。
それは経済の話じゃないですね。
犬は何をもって生きていると思いますか?あなたは選ばれて生まれてきたんですか?
お金を使わない経済の無い時代、狩猟採集していた我々の先祖は何を思って生きていたと思いますか?
その程度のことも思い浮かばないようであれば、人として最低限の知能が無いと思われます。
自分の中だけで会話が成立しているようです。この文章全体に言えますが、読み手に文意をわからせようとする努力が見れません。
知識が無いのはしょうがないとして、思慮まで無いのは、ほんとしんどい。
なんか知らんけど王様になってるし。どういう話なの?意味わからん。
AIとかベーシックインカムとかの話を読んでると、未来の世界に当然のように国民が存在してるけど、
労働をAIやらロボットが代替するようになったら国民いらないよね。
老人や重度の障がい者に年金を払うこととか、生活保護みたいなものって、一般労働者が安心して労働するために絶対必要なものであって、
国家や企業の存続に労働者そのものが必要なくなったらもういらないんじゃないの?
ベーシックインカムって国民を平和的に減らす過程で有用ってことなのかな?
倫理的な話じゃなくて、未来の世界に国民がいる必然性が思い浮かばないっていうだけなんだけどさ、
経済回すには生活者が必要?十分に発達した社会に経済っていうシステムいるのか?
最終的に生き残る人間て今でいうどの立場の人間なんだろう。そしてその人間て何が楽しくて生きてるんだ。