はてなキーワード: 安定剤とは
20代の頃、仕事中に目がかすむ症状がでました。その日の帰宅中のバスの中で視界が急激になくなり、バスから降りて「これはやばい、どこかに連絡しなきゃ、救急車、家、」と考えていたら、思考と身体が一致しなくなりました。
声も「あー、うおー」としか出ず、立っていられずに道端のポールに倒れかかっていたところ、通行人の方が救急車を呼んでくれました。
運ばれた先では、医師の言っていることは分かるのに口からは「あああ、あああ」としか発することができず、視界は完全になくなり、こちらの意思を伝えることができません。
見た目ではパニック状態と判断されたのか安定剤を飲ませてもらいましたが、水が飲み込めず錠剤ごと口から漏れてしまいます。
数時間ほどベッドに寝かされていたら視界が開けてきて、喋ることもできるようになりましたが、頭がチカチカする感じと目の焦点が合わない状態が数週間続きました。
後日精密検査を行ったところ、身体や脳に異常はみられないが「一過性脳虚血発作」の可能性があるということでした。この病気の予後自体は悪くないのですが、脳梗塞の予兆でもあるので注意が必要だそうです。
生理前になると情緒が不安定になり、毎晩訳もなく辛くなって苦しくなって泣いたり、今死ねば周りに迷惑にならない…と考えてしまい安定剤を飲んだりして嵐が過ぎるのを待っている。
この間は子供に何か「イヤ」と言われるだけで全てを否定されたような気持ちになり「そっかー、じゃあママが死ねば満足だねっ」となってしまうし、実際に子供に問い詰めたこともある。
生理中は通常と変わらない労働をしていても激しい疲労感に襲われ、家に帰る頃にはぐったりして子供と話すことすら億劫になる。
また、ちょうど家に帰るタイミングで服用しているコンサータが切れるのでその反動の疲労感も来るのでいつもの倍以上に疲れている感じがする。
とにかく生理前・生理中は育児ができないと言うほど精神がおかしくなるし、身体も辛い。
ピルは服用していたけど、経血量が減って生理期間が短るなるだけで精神への効果ゼロ、身体の負担8割減という感じだった。
ただピルを服用してから肝斑ができてしまい、個人的にそれがとてもショックであまり飲みたくない(レーザーでも消せないし、本当にどうしたら肝斑って消えるの?)。
既にADHDで心療内科には通っており、安定剤などは貰い、先生にも相談している気がする(診察時間が短いので何を話したかよく覚えていない)。
婦人科への通院はしていない。田舎なので近所の産婦人科が2ヶ所しかなく、そこへ市内の人が集まる感じになっており、どうしても妊婦さん優先になって診察までものすごく時間がかかり、予約をしても2時間待ちなどがザラだったりしてその間子供を連れて待つというのを想像するとゾッとするので行きたくないという気持ちが強い。
安定剤を十分に用意して思い切って歯医者にチャレンジしてきました。
ところが待合室で待ってる最中になんだか動悸がしてきて
♪どーきどきどきどきどきどきどきどき…君の銀歯が!!
という感じになり施術開始直後に無念のギブアップ帰宅と相成りました。
優しい歯医者さんなのが本当にありがたい…
大丈夫な時は全然平気なのでホント自分でもトリガーが謎なんですよね
終わるまでじっとしてないといけない!口弄られるから呼吸が乱れそう!みたいな強迫観念があるのかも
まあ体調万全にしてまたリベンジ頑張りたいと思います(虫歯あるの嫌だし)
精神科、心療内科、臨床心理士のカウンセリング、民間カウンセラー、産業保健師と渡り歩いて悟ったことがある。
当方は双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。
だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。
そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。
どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、
という話を聞かない。
向精神薬にしろ麻薬にしろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。
ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、
しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。
を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。
つまるところ、精神科、心療内科は「ヤバいブツを販売する場所」なのだ。
仕事を辞める際、多重労働や人間関係の辛さが原因だったとして、
こうした場合、精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、
この場合、会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由を会社と争う必要はない。
形のない労災やパワハラを会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。
辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。
精神科や心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。
「ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、
賢く利用するのがよい。
クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、
そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。
残念だけど。
精神科、心療内科、臨床心理士のカウンセリング、民間カウンセラー、産業保健師と渡り歩いて悟ったことがある。
当方は双極性障害もちの看護師だが、精神科で処方される薬はなんせ「死ねる」薬が多い。
だいぶ処方がマイルドになってきたにせよ。
そして「いっぱい飲んだら死ねるかしら」という輩が後を絶たない。
どんな薬にも致死量はあるだろうが、例えば循環器や泌尿器科で出される薬を飲んで死のうとした、
という話を聞かない。
向精神薬にしろ麻薬にしろ、脳に作用する薬には強い規制がかかっている。
ドラッグストアで購入できる薬も、以前は処方薬であったものがどんどん増えているし、
しかし、向精神薬だけは別である。最も弱い安定剤でさえ市販はされていない。
を内服は多めにもらって自己調整している、という人も実に多い。
つまるところ、精神科、心療内科は「ヤバいブツを販売する場所」なのだ。
仕事を辞める際、多重労働や人間関係の辛さが原因だったとして、
こうした場合、精神科で「抑うつ」「適応障害」などなんでもいいので診断書をもらい、
この場合、会社へは一身上の都合とだけ伝えておき、退職理由を会社と争う必要はない。
形のない労災やパワハラを会社に認めさせるのはほぼ不可能だけれども。
辞めるまでいかなくとも、「明日から2週間ぐらい仕事いけません」のような診断書はわりとさっくり出してもらえる。
精神科や心療内科への通院歴はスティグマにもなりうるが、自分の身を救うこともある。
「ヤバいブツを7割引きで販売してくれるところ」「身を守るお札を書いてくれるところ」と割り切って、
賢く利用するのがよい。
クリニックではなく大きな精神病院には良い臨床心理士がいたりするが、
そういった人の援助を受けられるのは、取り返しのつかないほど心を壊した後だ。
残念だけど。
自殺に関する増田がわさっと増えたので流行りに乗る、じゃないけど書き散らしておこうかなと。
自分は自殺を試みるとこまで行かなかったし、ふいに糸が切れたみたいに車道や線路に吸い寄せられたりしたこともない。
一言目にため息、二言目に死にたいって言い続けていたしスマホの履歴は全部死ぬ方法だった。スマホ触って死に方調べる元気はあったんだよな。フシギダネ
元々ポジティブの塊とかコミュ力お化けとか呼ばれるようなタイプの人間だったせいもあってあまりの変わりように知人に泣かれた。自殺してなくても泣いてくれる他人ているんだなーと超他人事で、申し訳ないとか嬉しいとかじゃなく、どうでもよかった。ぼんやりしてた。
薬はポチポチゲーと一緒。安定剤とか意味あったのかいまだにわからないけど一応毎日飲んでたからマシだった可能性はある。飲むのやめたりODしだすと吸い寄せられたりするのかもね。
そういうのが続いてたのがある日、「なんで死にたいって思ったんだろう」って急に、なんだろう、目が覚めた、みたいな。徐々に回復とかじゃなく、急に。やたら目覚めのいい日あるでしょ?あれ。
だから打開策なんかないんだと思う。よばれれば死ぬし、急に死ぬし、急にやめるし、急にはっとする。タイミングと運が全てだと思う。私は生きる方向に来ただけ。それが良かったかどうかは知らない。
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
【前回のあらすじ】
鬱病の私はやむを得ない事情で無理矢理汚部屋の片付けをしている。
台所エリア初日。今までよりも層が厚くなっており、見るからに手強い。
実際やってみると、明らかに不要なものと必要なものがはっきりわかれていて、時間はかかるが作業自体は難しくなかった。
割れたガラスや陶器がちょこちょこあって厚手のゴム手が非常に役立った。破片は取っ手の割れたマグカップに集めておく。
今回は洗面所のドア前まで(エリアの半分くらい)までで終了。実作業時間は1時間半ほどだった。
なぜかハサミが4本、あと汚部屋あるあるだと思うけど現金が160円出てきた。
出てきた160円でセブンイレブンのセサミスティックとスニッカーズ(小)を購入しおやつにした。
作業後なんか知らんが精神が荒れ、職場のこととか考えてしまい号泣しながら安定剤を多めにのんだ。翌日通院のため風呂に入っておきたかったができなかった。
成果:ゴミ袋2袋
5日目 通院のためお休み
朝からめちゃくちゃに体調が悪く、寝ていたかったけれど翌日は天気も怪しいし薬がないとしぬので死ぬ気で通院した。帰宅後、明日全てをサボると心に決め、半ばヤケで洗濯と風呂をやっつけた。
書き忘れていたが、うちの間取りは洗面所があるタイプの普通の1Kである。洗面所のドアの手前は4日目にきれいになったものの、向こう側は服やら何やらがギチギチに詰まって開かずの扉ならぬ閉まらずの扉になっていた。昨日完全サボりを決め込んでいたが、そこがどうしても気になり片付けとかは一切気にせず、とりあえずドアが閉まるように物を洗面所の方に押し込んだ。
あとは基本お布団。明日に備えおやつを買いに行き、ちょっと早めに寝た。
なんか朝から元気だったので、8時頃から作業開始。1時間程度ゴミを袋に詰め続けるお仕事。折れに折れたパスタが沢山出てきて本当に自分が嫌になる。
はっきりいらない紙系のゴミと、不燃系のゴミが多い。紙系を袋にぶち込みつつ、不燃系は背後に流していく。
私は食事は基本紙皿と割り箸なのだが、未開封含め割箸が500膳くらいあった。
当初床だけの予定だったが、戸棚の中の古い食品を処分して空いたスペースに割り箸を収めた。
この辺で集中力の低下を感じ、お布団に戻って昼まで寝た。
昼食は掃除してきたら出てきた青の洞窟のジェノベーゼにしたがチーズやナッツのコクが感じられず、あまり美味いとは言いがたい代物だった。というかあんま美味しくないから残してたんだろうな…
入居当初めちゃくちゃ元気だった私は台所と洗面台部分にフロアシートを貼っており、今までは剥がすか剥がさないか迷うレベルの汚れだったのが、この辺りからどす黒いカビ的な何かがついていて本当に過去の自分を褒めたくなった。
原因はシートタイプのパックの袋から出た水分である。声を大にして言いたいのは、水分が入っているか否かで掃除の難度は大きく変わるということである。迂闊にシートパックの袋の上にダンボールを載せてその上を歩き回ったりしないことだ。そんな人間私以外に存在しないと思うけど。
2時間ほどかけ、一通りゴミをまとめることに成功した。出てきた皿や不燃系のゴミたちは明日作業することにして、紅茶を入れセブンイレブンの冷凍大学いもをいただいた。
成果:ゴミ袋6袋
その後は電気毛布を入れてぬくぬくのお布団でさっきまで泥のように眠った。夜眠れるか不安を抱えたまま、今これを書いている次第である。ここまで読んでくださった方ありがとう、明日いいことありますように。
多分続きます。
標題の通り鬱病患者なんだが、諸事情あってとんでもねぇ汚部屋の片付けを強いられている。
大体4年くらいかけて形成されているのでそれなりに強固であり、DPZかなんかのライターさんで汚部屋で有名な人よりちょっと酷いくらいである。
鬱の方は2日に1回は布団から出られない感じだ。
鬱病と片付けの相性は言うまでもなく最悪だが、事情があるので致し方ない。
私の場合はかなり特殊なケースだと思うけれど、後進の役に立つかもしれないのでここにまとめることにする。
1日目 ダンボール
1日目はとにかくダンボールをつぶした。
数えて無いけどたぶん20個はあったと思う。
この時点で視界が若干スッキリするし、歩行しやすくなるので片付けの効果を実感できる。
ただかなりの重労働であり、ここは可能であれば健康な人にやってもらうといいと思う。
写真を撮って家族に自慢したらまだまだ序の口と言われ、まずは褒めろとキレておいた。
2日目
朝起きた時から腕が重く、動けなかった。
夕方若干人間性を取り戻したので、クロッキー帳(大人向けの自由帳みたいなもの)に間取りと散らかり具合を書き、一日作業したら一日休む方針で計画を立てた。
そういえばと小型の安物掃除機を発掘し、明日から使うことにした。
3日目(今日)
朝から気合いを入れてゴム手袋と電池を買いに行ったら疲れて午前中は寝た。
午後から作業である。ヘッドホンで激しめの曲を聞きながらゴム手袋を装着する。
前提として私は黒いゴミ袋を使っているので、センシティブなものも放り込むことが出来る。
とりあえずトイレのドアが閉まるように詰まっていたゴミを取り除く。数年ぶりに個室が復活した。
まずは玄関のタタキからである。靴置きがぶっ壊れていたのでとりあえず養生テープで補修し、脇に避けておく。
ペットボトルはラベルとふたを除いて別の透明な袋に入れていく。
捨て方に迷うもの(テンション上がった時買ったクソデカネックレスなど)は大きめの紙袋にいれておく。
必要だがあるべき場所が違うものは別の大きめの紙袋に入れ、後で分別することにする。
タタキがあらかた終わったら掃除機をざっとかけ、靴おきを戻してレギュラーの靴を置いておく。
レギュラーじゃない靴や傘、シューズケア用品は下駄箱に入れる。
玄関前の床もちょっときれいにして、トイレのドアがスムーズに開くようにする。
トイレである。トイレットペーパーの芯など比較的捨てやすいゴミが多いのでポンポン袋に入れていくだけで済む。
なんか水のペットボトルの空のやつが6本くらいあってびびる。なんで?
トイレの中も当然やばいくらい汚いのでサンポール先輩を散布ししばらく置いて流し、落ちなかった汚れは使い捨てのブラシを使い擦り落とす。
成果:ゴミ袋4
今になってであるが、ホコリがすごい出るのでマスク必須である。私はKF94のものを使っている。
手を洗ってお茶を入れ、朝買っておいたセブンイレブンの冷凍大学いもを食べながらいただいた。
…と言うと優雅だが、実際は小太りの人間がベッドに胡座をかいて片手にナルゲンの1リットルボトル、片手に箸を突き刺した大学いもの袋を持って声にならないうめき声をあげている感じである。
食べ終わったら、無理みが天元突破したので電気を消しお布団に入ってフラストレーションの解消のためこの文章を書いている。
ここまで読んでくれてありがとう。
多分続きます。
睡眠を、まずは頑張って確保ですね!
私は子宮の悪性腺腫の摘出時に、40代前半で予防的に卵巣もとりました。
以来20年、薬なしには眠れません。
当初数年、精神的にも不安定になり、特有のあらゆる症状に苦しみました。
今20年後も続いている症状は、不眠と、口腔の緊張感です。
動悸が激しい時に頓服を飲むのと、
入院と休業は合わせて40日でしたが、その後は、薬漬けでも職場復帰しました。
頼る親も居ないし。。。生きるためには働かなければで。
今は月に1回ですが、減薬できるまでは2週間に1回とか行っていました。
口腔の緊張も辛いけど、睡眠の方が本当に大事なので、導眠剤だけ、続けています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f44cdf1913da753f6ced16dd5605147ba80774e/comments
家のドライヤーが俺の使用中に壊れてしまったので、急遽夜のうちに買ったのだ。
そのことを今朝妻に伝えたところ、ヒステリーを起こしてしまった。
不快な顔をしている俺を見て「あーあへそ曲げちゃったね」の小言ジャブから始まり最終的には
「全部私が悪いんでしょ?全部全部全部全部…!!!」と続く。この手のヒステリーが週1で起きる。
こうも言われた。
「私と全く同じ考えで全く同じように育児してほしい」
俺が考え方や立場も違うので全く同じは難しいよ伝えたらやっぱりヒステリー。
しかしながら君は0歳の子供を寝かしつけてから寝ていたじゃないか。
起こすのは忍びないので相談はできなかった。
そして妻が困らないようにとの配慮から夜のうちに購入したのだった。
言い返したが最後、ただただ否定され続け、今日ついに限界が来たのか不意に気づくと涙がこぼれていた。
その様子を見た途端、今度は自責モードに切り替わる。「私が何も言わなきゃいいんだね」「全部我慢する」
「私は駄目だ」「幸せになっちゃいけなかった」子供には「駄目なお母さんでごめんね」
「この子は愛されているから私がいなくなっても平気だよね」と続く。
俺には「悲しんでいるの?」と見りゃわかる事を聞かれ、バカにされる。
途中息を吐くように「ごめんね」と言われるが、その中身のないごめんねはもう耳には届かない。
思えば子供が生まれるまでは仲が良かった。意見がすれ違えばまだ話し合いで解決できた。
多分彼女には福祉が必要だ。眠らない日や体調が優れない日が増え、いつもイライラしている。
土日は俺が料理を作り、妻に要求されたら一緒に出かけ、家を建て暮らし、地方情シスのワープアだが、
身を粉にして働いてきた。
おむつ交換もやり、ミルクも与え、寝かしつけもしている。自発的に。
休日は妻の一人きりの時間を作り、週1回はお出かけ中の妻に代わり子供を見ていた。
虚しいな。どこで間違ったのだろう?もう戻れないかな。
こんなつもりじゃなかったな。
病院連れてけ
多分なんかの疾患持ってる可能性高いし
あんたが今後夫婦続けたいならその奥さんカウンセリングさせた方がいい
お金かかるけどお互い苦しむよりましだ
疾患持ってて酷ければ障害者年金だってもらえるしお前も奥さんに文句言わなくていいんじゃないか?
お互いの為だと思ってこんなとこに愚痴る前に精神科で薬貰って不安定になる奥さんを安定剤で安定させてやってくれ
不安になってパニックになるのは日本では一般的ではないけど立派な疾患で薬で落ち着かせて辛い気持ちを抑える事が出来る
病人扱いされたくないかもだけど辛い状況ならずっとそのままより治す事や変わる為に自分なりに調べて然るべき場所に頼ろう
安定剤…飲もうか(使命)
「介護士ですが、クライアントに暴言や嫌がらせをされて辛いです」みたいな話がしょっちゅうSNSで話題になるけどさ、そんなの認知症か障害のストレスで病んでるんだから精神科医を常駐させるか巡回させるのが最初だろ。
なんで働き方がどうこう、介護士の人権がどうこうみたいな話になるんだよ。
精神科医が認知症をすきっと治せるわけじゃねえけど、ある程度の処方だったり、介護側への助言だったりはしてくれるだろう。介護士側の精神がやばい時は安定剤くれそうだし。
病気なんだから、入居者を責めるだとか、介護士の精神論とかより先に、まず医者だろ医者。産業医みたいなもんでイマドキ必須だろ。老人ホームに精神科医を置かない理由あるのかよ。