はてなキーワード: 千万とは
面倒がって誰も言わんし俺も仁藤がそれだとは言わんけど、女性人権関係者の攻撃的振る舞い、まさにこの自称恩知らず少女が克服した振る舞いなんだよな。
本当に申し訳ないけど、当時は支援者の方々に感謝の気持ちなど1mmもなかった。「本当に助けなきゃいけない人は助けたくなるような人ではない」と言われてるけど、そう言う感じだったと思う(辛いことだけど、助けたくなるような弱々しい子は助けられる前に亡くなっているとか再起不能になってるとかもあると思う)
・助けてくれてありがとうとかではなく「金持ちの家に生まれて愛されて何不自由なく生きてこれた人もいるのになんで自分だけ」としか思ってなかった
・「見下してんじゃねえよ」と思い常にイライラしていた
もちろん今思えば見下されると感じるような態度を取られていたわけではない。こちら側の受け止め方の問題
・何をしてもらってもとにかくムカついてた
今思えば十分すぎる環境だったけど常に不満しかなかった。あれ以上ご飯が豪華だろうとめちゃくちゃいい部屋だろうといつまでも文句を言ってたと思う。その感情の底には過去親に大切にされなかった悲しみや怒りがあったんだろうなと思う。
・なんか、本当は甘えたいとか泣きたいとかありがとうと言いたいと思うタイミングもあったんだけど
そうすると自分が今までの自分を否定することになるような気がしてできなかったんだと今思う。
説明しづらいけど、恵まれて育った子の与えられた愛情+余裕が100だとすると私は3くらいしか持ってなかったから
この「大人」とか「環境」とかを暇空とかインターネットとか他の補助金事業とか適当に読み替えると、今燃えてる界隈の行動とメチャクチャきれいに複合すると思わないか?
例えば「支援者ぶって何千万寄付したくらいでいい気になるんじゃねえよ、たかだか公金何千万がなんだよ、インターネットのオタクが見下してんじゃねえよ、社会に服従したら私の愛情が擦り減って0.1に減っちゃうんだよ」みたいな。
そういう人が猿山のボスやっちゃいかんと思うし、毒抜きと支援が必要なのはこいつら団体トップじゃねえのと思うんだよな。
あと私が飲食店でバイトしてた時、私の事情を知ってたキッチンの方がシフト被るたびに「明日の朝食べなさい」とご飯とおかずを持たせてくれてたのだけど
お礼を言ったことが一度もない
普通の人は意味がわからないし非常識すぎると怒って当然だろうけど、おそらく当時の私の頭では「なんか押し付けられたけどあるから食っとくか」みたいな感じだった
ところで直接は関係ないんだが、こういう雑な善意を押し付ける側に立つと「礼を言われるよりお前が腹ペコでやってきてキレ散らかしてるのを見ると俺の手間が増えて悲しい」くらいの感情だったりするんだよな。だから感謝の念を持つのは自分自身の改善として大切かもしれないが、「過去に犯してしまった消せない過ち」レベルではないんだなあと思う。ある意味では意志があって判断できる一個人として見ていないからこそ勝手に「こいつは明日飯を食う必要がある」という勝手な判断を押し付けることが出来る。
だからこういう行動の渦中にある人は無理に今すぐ感謝の念!とか考えず、言われるがままで良いんだと思う。もらえるもんはもらっとけ、気持ち悪かったら捨てとけ。
海外でシェルターのボランティアしてるけどほんとこれ「正直いくらもらってもやりたくない人はやりたくない仕事だと思う」不正会計で儲けたいならシェルター運営なんて最悪の手段だよ。というか不可能。数千万円しか公的援助が出てないって知って驚いた、ますます不可能。赤十字とキリスト教系チャリティ団体が運営してるうちの組織の運営費は億円単位なので。オーウェルも言ってるとおり「自分に恵んでくれる慈善家を憎まない乞食はいない」んだよ。つかそーいう認識じゃないととてもボランティアなんて出来ねぇのよ、感謝してほしくてボランティア始める人間はすぐ辞める。感謝してほしいなら別のことするよ、だからシェルターの利用者は恩知らずでいい、現在ちゃんと望んだ生活を送れているならそれでいい。
フェミニスト寄りのオタクの人たちや、腐女子の人たちが、よく「カーテンの向こうに行けばいい」みたいなことをおっしゃるんですが、なんでこれに賛成できないかっていうのがイマイチ伝わっていないので、簡単に説明したい。
この間話題になった、大阪駅の咲の広告は、ソシャゲの広告なんですよね。ソシャゲの開発費用はどんなに安くても数千万、普通は億単位かかりますし、咲とのコラボのための開発費やライセンス料もかなりの金額がかかっているはずです。
ここでコストを回収して利益を出すためには、わりとガッツリ広告しないとできない。
「宇崎ちゃんは遊びたい」とか「月曜日のたわわ」もそうで、出版社を背負って立つ、とは言わないまでも、バンバン一般に売れて利益を出してくれるから、当たるかどうかもわからない新人発掘や、赤字垂れ流しの人文系の仕事ができるわけですよね。
同人作家も、今やプロ同人みたいな人が多いので、売れるか売れないかは生活に直結している。
助成金貰って大赤字で出版する大学の先生とか、子供部屋おばさんが趣味のお仲間の交流でやってる同人誌と違って、彼ら(彼女ら)は商売でやってるんですよ。だから、がんばって広告しなきゃならない。
ぶっちゃけて言えば、山本直樹は、印税の入ってくる大御所で、低コストな制作体制で、一部の趣味人に刺さればいいってビジネスをやってるから、カーテンの奥に引っ込めばいいぐらいのことを言っているだけ。
この基準をソシャゲ屋に適用すれば、どんだけの人数の首切らなきゃならないか、という想像力がゼロの、ゲージツ家の先生のたわごとにすぎないわけです。
金の問題なんだから我慢しろ? そういう意味じゃ、ナチの作ったゲットーだってゾーニングと金の問題に過ぎない。まあ、金が無さ過ぎて餓死者と病人が続出したわけだけどね。
ま、そういう前提があって、もう一つの問題として、そもそもその広告表現が「カーテンの向こう」に引っ込まなければならないほど実害があるのか、って問題がある。
もちろん、その表現で傷つく人や、精神的ショックを受ける人がいることは認める。しかし、そのレベルで言うならば、ハングル表記で精神的な打撃を受けるネトウヨだって珍しくない。
感情に貴賤はない以上、「内心の静穏の権利」を守るために規制するとなると、ハングルにショックを受けるネトウヨの主張も飲まなければならなくなる。
もちろん、現実にそんな規制はできないから、そのくらい我慢しろって話にしかならないわけなんだけど。
これが、廃人を続出させるシャブであれば、たとえシャブでビジネスやってる人がいたとしても規制するのは妥当だと思いますよ。でも、萌え絵は、規制薬物や公害物質のようなものじゃないわけですよね。
そういう比較衡量を全くせずに、自分が興味ないからって雑にゲットー送りにしてしまえ、みたいなことを言うのは、控えめにって恥知らずの愚か者なわけです。
めちゃめちゃ燃えてるアレ。
まぁ、燃えるのはわかるんだ。
猫のことなんて何も考えてない、猫の命をかるんじたシステムだと。
ただ、あれに怒り狂ってる人たちは「自分たちは猫のことを大事に思っている」「自分たちは猫を最後まで看取る自信も健康も経済力ある」「自分たちはなにか起きたら親戚や友人がなんとか猫の面倒を見てくれる」と、とにかく自分だけは猫の飼育環境はパーフェクトなんだと自信満々。
なんだかなぁ、と思う。
大事に思う気持ちは完全な主観なので、それはまぁ本人がそう思ってればご自由に案件なのだが、
健康や経済力なんてなにか一つのボタンのかけ違いでかんたんに吹っ飛ぶし、
なにか起きたときに他人がフォローしてくれるなんてそんなのなんの保証もない。
自分自身2匹の元野良猫を飼っているが、そんなに自信は持ちきれない。
健康や経済力なんて、病気や会社の倒産なんかが起きれば吹っ飛ぶし、
なにか起きれば助けてくれる親戚や友人なんていない。そんな人間関係なんて持ってない。
そもそも「猫のためにはすべてをなげうって猫の寿命を伸ばしまくる」という考え方自体に賛同できない。
野良猫は3年から5年生きたら長生き、外飼いの猫ならだいたい10年、と言われている中、完全室内飼いだと15年とか生きるのが多くなっている。
人間の飼い方でやたら寿命が伸びているけれど、保護されなければうちの猫もそろそろ死んでいる年齢だ。(3歳と2歳の猫がいます)
個人的には外の世界にいたら長くても5年で死んでたんだから、この子達だって5年生きられたらもう良くね?と思っている部分があって、自分の心の冷たさに愕然とする。
もちろん完全室内飼いで餌もそこそこ良いやつをあげて、ワクチンも接種しているが、病気になったときにうん十万もかけて治療する気はない。
多分、あのねこホーダイを考えだした人たちの根底にある考えは「野良猫で生きてたらあと半年後の命もないかもしれない、とりあえず2年か3年くらいでも飼えるような高齢者や単身者も対象に含めて、譲渡可能先の母数を増やしたい」という部分なんだと思っている。
2年か3年しか飼えないなら飼うな!その後どうするんだ!と言うことで多くの猫好きが怒っているんだろうが、実際に2年か3年後も今と変わらず飼える保証がある人間なんてこの世に一人もいない。
そして、野良猫でい続ければ2年生きられただけでラッキーなレベルなのだ。
あのサービスは、文章に配慮がなくてめちゃくちゃ燃えたけれども、譲渡基準をあまりに厳しくしすぎて※譲渡可能先を自主的に減らしまくった保護団体が作り出した末路だと思っている。
※世の中には「共働き不可(お留守番時間10時間以上不可)」「と言いつつ世帯収入一千万レベルの収入を求める」「子供がいたらだめ」「かと言って高齢者不可」「独身?そんな精神異常者はお引き取りください、男性ならなおさら」というような、そんな人間世の中に何割いるんですか??みたいな譲渡条件を突きつけてくる団体がそれなりにある。いま猫を探してる方はそういう団体は避けて、譲渡条件厳しすぎないところを探してみてください。なお、トライアルや自宅訪問の上引き渡しとかは受け入れてあげてください。それは必要だと思うので。
片っ端から訴えて匿名のリベラリストの実名を晒し上げの嫌がらせをしつつ
訴訟が一通り終わる数年後に勝てませんでした。でカンパの余りとnoteやらで稼いだ金もってネットからとんずら。
数千万くらいは稼げるんじゃない
最近、はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡を記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリのリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙に個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。
さて、若者の皆さんはインターネットのオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。
JUNETは学術系ネットワークで、その主要コンテンツは今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまりは話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術系ネットワークだったので書き込みの責任は個々人にあり、書き込みへ責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ。
まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。
まぁそんなこんなで日本のインターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPやWWWがデファクトスタンダードとなりWindows 95が社会現象になるほど売れた時代、ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブへアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。
そのホームページ開設ブーム期のホームページは実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号、家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代の個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである。
書いてある内容も個人の日記帳、しかも実像へかなり近い個人の日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページの管理者が学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページの管理者が広く公開していないURLを無断で他所に転載することはネチケットに反していた」という古の文言を現代で記すこととなる。
現代の感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術者から見れば「ローカルにDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートなURLの可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。
例えば過去の時代、NTTはハローページという個人の電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報は公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合、倫理的に問題ないか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というものが必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたことから、ハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味で担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。
現代の、それこそ若者の感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話で詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号の価値は低かった。
まぁそんなこんなで、URLは公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観の時代は存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。
当時のYahoo!はディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報を収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査が必要で、Yahoo!に掲載されるということはウェブサイトへ一定の価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーはGoogleが登場する前から使われ始めている。
リンクフリーはYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトをランキング形式で掲載するようになったからというのが実際の答えである。
人気ランキングが存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止・無断リンク禁止のスローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。
そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名のインターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
そうつまり「テキストサイトブーム」の到来である。
テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。
ディレクトリ型ウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身である「あめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別のウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型である「ランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的なインターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒と表現しても良いのか迷う程度に現代インターネットは闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。
URL無断転載禁止・無断リンク禁止派の最後の抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンはウェブページからウェブページへのページリンクを自動的に収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しかし自動で収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。
もちろん静かに仲間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感でしかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleはウェブ検索エンジンの検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説で運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧な解決手段ではない。
まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本のインターネットは匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリーが一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。
そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止、勝手にウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。