はてなキーワード: 下水とは
「あれが臭い」「これが臭い」「あいつが臭い」「そいつも臭い」
これに対して臭いの元を断つというアプローチには限界があると思う
生きていれば生き物は臭いを出すものだし、ゴミや排泄物などの処理はどうしたって臭いを伴う
医療や介護、ゴミの収集、トイレや下水関連といった、臭いの問題とは切り離せない仕事だってある
となると臭いを感じる側へのアプローチがもっと必要なのではないかと思う
例えば臭いを感じにくくする薬があれば、世の中に臭いに関するトラブルはかなりの割合で解消できるのではないだろうか?
もちろん臭いと感じる臭いは、腐敗臭など人体に有害なものから発せられている場合も多い
都市ガスの様に臭いを感じやすくする為に、意図的に臭いと感じる臭いにしているものもある
しかし臭いに敏感過ぎる人が、その敏感さを抑える薬や器具はもっと充実した方が良いのではないかと思う
現状は臭いに敏感な人は基本的にひたすら我慢するしかないし、かといってその敏感さに世の中をあわせるのはいささか窮屈過ぎる
俺は新幹線で豚まんを食べただけで通報される世の中にはなって欲しくないし、かといって豚まんの臭いで気分が悪くなる人にただ我慢しろとも言いたくない
基地反対派の市長って、今回の名護市長戦でもそうだけど経済政策がむっちゃ弱いよね。
地方の自治体に雇用や経済情勢を何とかしろと言うつもりは全く無いけど、例えばゴミの分別や下水の問題を、2期やってきて解決していない。
金が無いのかと思ったけど、マンホールカードとかフタとかはやってるんだよ
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/181176
2期やる中で止めて下水事業に回そうとは思わなかったのだろうか?
http://www.city.nago.okinawa.jp/5/4731.html
厳しすぎだろ。。。
反基地運動と経済政策は同時進行出来るはずだよね?なんでやらないの?
政府に睨まれて出来ませんとか言っちゃうのかもしれないけど、市長2期やってゴミの分別や下水垂れ流しを解決出来ないってヤバいでしょ。
どの面下げて「辺野古の海を守れ」とか言ってるの?お前が流したウンコ混じりの下水がすでに汚してるっつーの。
けど、解決出来る所に手を付けずに騒いでも仕方ないよね?
出来る所をやっていく積み上げをしない理由がマジでわからないのだけど、何でなの?
総選挙で負けた時もそうなのだが、反政府を標榜する方々ってイデオロギー優先で市民の生活を無視するよね。
とりあえずメシが食えて生活が出来なきゃ、政治やデモに興味持ちようも無いのだが。
あとさ~。
出口調査と全然違う結果が出たわけだけど、一部報道では出口調査を監視する反基地派が居たって話だった。
調査の表見るまではウソだろと思っていたけど、ここまで乖離すると疑わざるをえない。
本当にやっているのなら、何の得にもならないのでさっさとやめて欲しい。
独自検問とか、工事用トラックの下に潜り込む様子とか動画で見てると、一部暴走した運動家がやってるのでは?という疑いを拭いきれん。
世の中、力仕事や汚れ仕事(犯罪じゃなくて下水関係とか)も色々ある訳じゃん
筋力や体力は道具や機械で補えるかもしれないけど、積極的に自分からそういう仕事に就く人って男女問わず少数派でしょ
女性だけで回すとなると、単純にそういう仕事に就く人が半分以下になる訳だから、絶対に人手不足で回らなくなる
これをどう解消していくつもりなんだろう?
カースト的なものを作って、低層の女性労働者を強制的に力仕事や汚れ仕事をあてがう?
この場合は、力仕事や汚れ仕事に回された人達の不満をどうやって解消するか? という課題が発生する
MM2のマダムマッスルじゃあるいまいし、よそから男を奴隷としてとっ捕まえてきて力仕事、汚れ仕事をやらせる訳にもいかない
将来的にロボットがそういうのやってくれるようになるかもしれないけど、今はまあ無理だよね
おお、はあちゅう。君は僕のミューズ。美術館に囚われし姫。白鯨の住む大海原を優雅に泳ぐ人魚姫。清らかな、泉のような流れに逆らい、君を辿ればあたりは異臭。水は目に見えて濁りゆく。あたりは糞尿まさに下水。たどり着く先は便所小屋。きっとそこは、君が見たアンモニア香る素晴らしい景色が広がっているんだね。
おお、はあちゅう。君は知っているか。桜の樹の下には屍体、枝の先には熟れに熟れた実がたくさんたくさん実っていることを。傍ら君は、満開のサクラ色めくサクラ通りを、電気仕掛けの華やぎで演出することに勤しんでいたね。知ってるよ。その下にも屍体が埋まっているんだ。君はその屍体を、屍体たちの透明な苦しみを、海の巫女として色めく言の葉にして拡声器に載せ、またたく間に大海原をその言の葉の色で埋め尽した。ほんとうに圧巻だった。
おお、はあちゅう。君がその傍らで、手に取り玩んだのは、大海原に映った桜の実の影だろう。それが象徴する苦しみは限りなく透明に近いブルー。チェリーの記憶を持つものにしか真っ赤に見えない。おお、はあちゅう。僕はその色のない影に、色を、限りなく目立つ彩色を試みたんだ。おお、はあちゅう。君はやっぱり気づかなかった。僕は、君の知らないところで大海原に流れ薄れ溶けて消えていくその悲しみをぼんやり眺めていたんだ。
おお、はあちゅう。君は清らかな海の巫女。君を取り巻く警備員が、拡散された言の葉の色の濁りをたしなめたね。それは僕の、僕たちの悲しみの色だったんだ。おお、はあちゅう。君は眩しい。目を覆わんばかりさ。君と僕たちが生み出す摩擦は火花を放ち、みるみる海を漂う言の葉を真っ赤に染め上げた。
おお、はあちゅう。君は炎の歌姫。君の鎮魂歌は虹色の原油。おめでとう。君は油田を掘り当てたんだ。いつ海の奥底で地盤が動いたのかはしらない。たまたまそこから溢れたのが糞尿まみれの原油で、本当にたまたま君の真下だったんだ。君は、限りなく透明に近いブルーだったチェリーの悲しみが誰の目にもわかる熟れた警戒色に変わったのは何時?と歌う。コウモリのように、君を断罪する理由が黒い灰になって宙に舞い、空を覆い、世界は太陽の光を失いほの暗くなった。悲しみと怒りと煽りが雑じったショッキングピンクのグラデーション。超音波、高音波、波と波がうねりぶつかりくだけ、大荒れが君の歌声を掻き消す。灰色が充満する世界で炎に照らされた君。おお、はあちゅう。君は、もう、真っ黒。
おお、はあちゅう。クー・クラックス・クラン、ナチス・ドイツ。君もすっかり差別主義者。信じられるかい。君たちは、かつて私を悪から守るヒーローだったんだよ。黒人、ユダヤ人、童貞。その他、たくさんの悪を教えてくれたね。私は彼らを人間と思わず、ムチで打ち、十把一絡げに大量虐殺したんだ。でもね。海の底で地盤が動いたんだ。こくじんはにんげん、や、ゆだやじんのくるしみ、そして、どうていのかなしさ、は鮮やかに色づいたんだ。一方、クー・クラックス・クランの白衣は黒衣に。カッコいい正義の軍団ナチス・ドイツは糞尿まみれになった。はあちゅうは真っ黒。海の底の亀裂から海上に、吹き出した糞尿臭い原油の黒さは、君たち差別主義者を見分ける目印さ。
おお、はあちゅう。君は知っているか。ライトポリティクスのナイトが存在することを。誰かの祈りの言の葉に呼応して、どこからともなく現れて、海の底を伝説の棒でぶっ叩くのさ。おお、はあちゅう。君が悪いのさ。まさか糞尿くさい原油溢れる亀裂の真上に君がいるなんて思いもしないじゃないか。君もびっくりだろう。でも警告はした。そしてそれは君に届かなかった。おお、はあちゅう。でも安心して君をひとりにしないよ。今、君を嘲笑して、バカにして、消えろって言っている私たちの内の誰かも、人間を人間と思わず、無知でムチを打ち、大量虐殺を楽しんでいるんだ。でもね。またいつか海の底で地盤が動くんだ。きっとまた正義の騎士が軽い感じに(ライトのナイトがライトに)伝説の棒で海の底をぶっ叩いて、吹き出した原油と糞尿がそれまで高らかに正義を掲げていた誰かの頭に直撃するんだと思う。
ねぇ、はあちゅう。この現代アート、バカみたいで笑えるだろ。もし君がこの額縁の中に真っ黒、糞尿まみれで存在しないならば。でも、だからこそ笑えよ。君を人とも思わない未来の差別主義者である私をも。
車の完全自動運転が実用化されれば、高齢になってからでも田舎に住めるようになるんかね。
ただ、人口が薄く広く広がるとインフラの維持コストが増大するわけで、マクロに考えればコンパクトシティにする方がいいわけだ。
ただ、コンパクトシティにするためには、皆が地価の高い都市部に住まなきゃいけないわけで、住むところを強制はできないので上手くいかない。
現実問題としては、都市計画上の市街化区域を狭め、市街化調整区域は住宅の建設を認めず、緩やかにコンパクトシティ化していくのがいいんかね。
その上で、上水と電気くらいは全国津々浦々までの整備を維持して、下水は浄化槽、ガスはプロパンかね。
地方創生したいなら維持戦略が必須で、今だけちょこっと盛り上げても後から維持できなくて酷いことになる。
どうなることやら。
嫌いな人に無理に夕食を用意されて毎週トイレで吐いてた俺の話する? 下水に捨てたくなるくらいには病むよ。それくらい想像つかないの?
虚空を貫く稲妻のように、私の体を痛覚が走り抜ける
「このウンコはビッグでハードだ。私はこのウンコを生み出す痛みに耐えられない」
私が便座の上で悶えたのは、その数秒後だ。ウンコが空気に触れるその刹那まで、私の体は痛みを感じることすらないのだ。
そして私の体はあらかじめわかっていた痛みに悶える。雷雨をいち早く察知する漁師のように。大海原でそれを避けることは誰にもできないのだ。
痛みの後に押し寄せてくるのが、臭いだ。
ウンコが着水するそのゼロコンマ数秒の間に、匂いの粒子は私の鼻に到達する。
こんな臭い物体を身に宿して、誰もが自分を地べたを這っている。
まるで自分は普通の人だと訴えるように。自分は今まで臭いウンコをしたことがないように。
しかし、現実問題として私のウンコは臭い。昨日食べたシーチキンの匂いがする。確かに咀嚼されたはずのシーチキンは、姿を変えてTOTOの便器の上に鎮座している。このシーチキンも、何ヶ月か前はあの大海原を自由に泳いでいたはずなのに。
シーチキンにとってせめてもの救いは、転生したその姿がビッグハードウンコだだったことだ。
宿主に呻き声を上げさせる、ソリッドなウンコだ。
あんな柔らかく芳醇なシーチキンが、どうしてこんなに固く拳を握りしめて、私の肛門を裂くんだろう?
まあ、もう手遅れだ。なんにせよ、ビッグハードウンコは私の体を裂いたのだ。
あれだけ硬いウンコならば下水管を流されても、ウンコとしてプライドを保ち続けるのではないか?
そして、そのウンコはいつか大海原に到達し、回り回ってまた再びシーチキンになるのではないか?
そのとき私は、自分が生み出したビッグハードウンコに気がつくことができるのだろうか?遠い日に離れ離れになった恋人たちが、お互いの体臭を嗅ぎ当てる様に?
全てはまた遠い未来の話だ。さよならビッグハードウンコ。次に出会う時は、もっと健康な消化器官を持って、適切な固さと控えめな匂いで生まれ落としてやりたい。
私にはADHDとPDDの2つの発達障害の診断が下っている。いわゆるASDの気があるADHDというやつだ。
しかし支援が受けられるようなレベルではなく、定期的にカウンセリングや診察を受けている程度。
一応正社員として働いて自立しているが、今のところなんとかクビにならずにやっていけているのは本当にただただ運がいいだけの綱渡り状態でしかないと感じている。
しかし主治医に言わせると私程度では投薬をするほどでもないらしく、認知行動療法だの、自分用マニュアルを作るだのをしながら、
日々塞いだ穴と違う穴から水が漏れては失敗を重ね、社会から完全に脱落してしまうことへのカウントダウンが進む焦燥感をちょっとずつ募らせている。
以下はそんな程度の人間が、自分の状況を確認するために書き殴った、こういうことがあるよね、ということの羅列。
無駄に長く読みにくいが、その辺も含めて現時点での自分をよくあらわしている気がするのでこのまま残しておく。
一般にかなり生き辛いとされるっぽい併発マンの1サンプルとして御査収ください。
個人的な感覚としては、確かに生き辛いけど不幸ではないかなー?といったところ。
落ち着きがなく早とちり、常に体のどこかが動いており、隙あらばクネクネと身を捩って踊り始める。
道を歩けば電柱に激突し、側溝に落ち、何もない場所をまっすぐ歩いているだけで躓いたり足が絡まったりしてすっ転ぶが、転び慣れていて受け身は妙に上手い。
手に力を入れる感覚というのがまだ今一つ習得できていないらしく、握力計で測るとR9㎏/L6㎏とか。
当然力仕事は戦力外で500mlのペットボトルを持って歩いているとすぐに取り落とす。
何とかしようとスポンジボールをグニグニ握ってみたりするのだが、30回もやると手の平が攣る。
余計なことや場の空気をわきまえない発言をしがちで、それを予防するために、
職場では明示的に発言を求められない限り挨拶以外では口を開かないように気を付けている。にもかかわらずこのテの余計な一言による失敗が年に数回はある。
些細な言い間違いなどの流していい引っ掛かりで思考が完全にフリーズし、人混みや刺激の多い空間に行くと簡単にパニックになる。
他者の心の機微に疎く、表情は読み取れず、冗談が冗談とわからず翻弄されて勝手に疲弊し、相手からは呆れられる。
金銭の管理ができず、いくら気を付けていても持っている分だけ使ってしまうので、財布の中に2000円以上の現金を入れておくことができない。
異常に楽観的で、20分以上かかるような作業でも、根拠なく7分あればできると思い込んで毎回失敗する。
何事にも危機感がなくヘラヘラしているように見られるが、そうは言っても来月の給料日まであと20日で所持金1300円というような状況でも、
花が風に揺れていたり、子供が楽し気に遊んでいるのを見たりすればそれはそれとして笑顔になってしまう。
普段は抑えているが、一人になってリラックスしてしまっていると、
ちょっとした苛立ちからのボルテージの高まりを制御できなくなって癇癪を起こし、
最終的にホァーホァーと奇声を発して跳ねまわりながら自身の頬や体をパチパチパンチの如く乱打したり頭をぶつける発作を起こすまでに至る。
初対面の相手と3時間ミーティングをしたら、その日の夜から38度越えの高熱を出す。弟が試験で家に泊まった後も寝込んだ。
ネクタイや襟付きの服のボタンを上まで留めて一日過ごすだけでも高確率で熱を出すので、冠婚葬祭は休みを最低2日確保できなければ参加できない。
靴下を履いているだけで集中力が3割ぐらい減る感じがするし、爪は念入りにお湯でふやかさないと痛くて切ることができない。
パニック発作はだいぶマシになったもののまだ満員電車に乗ると3駅10分に満たない移動に途中下車を必要とし、降りると脂汗でドロドロになる。
夜は安定して寝付きにくく、帰り際に見た月がとても大きかった程度のことでテンションが上がってしまって、朝まで眠れず生活リズムが容易に崩壊する。
たまに早く寝付いてたっぷり眠れた日でも関係なしに朝は朝で大変起きにくい。
起こされても起こされたことを覚えておらず、場合によっては無意識に手足を振り回し奇声を発して抵抗するらしいのだが、記憶はない。
遅刻ギリギリで支度をしていたはずなのに、ハッと気付いたらピンセットを手に2時間近く腕毛をひたすら抜いていてスマホには会社から山ほど着信がきていたりする。
そういえばよーく思い出せばなにやら目の前でスマホが鳴っていたような気がしないでもないでもない……。
慌てて会社に向かいながら、衝動的にいつもと違う道を選んで迷子になり、道を確認しようとしたらスマホは家に忘れていた。
雨が降れば酷い頭痛に襲われ、雨に濡れるとアンパンマンのように覇気を失って耐え難い眠気に襲われ眠り込み、太陽の日差しを浴びて吐き気を催す。
そうかと思えば下痢が出るまで腹が冷えていることにも自分が寒さを感じていることにも気付かずむしろ暑いと感じていたりする感覚のエラーがある。
湯たんぽやストーブで低温やけどして皮膚がグズグズになっていても気付かない。
吐くまで自分が満腹であることに気付かなかったり、ガス漏れや下水の逆流にも気付かないほど一部の感覚が鈍い。
そのくせ視認、認識している痛みには過敏で、袖口やニット帽の締め付けが痛くてつけていられないし、
テレビや映画の他人のケガを見ているだけでも同じあたりが本当に痛み出して使えなくなってしまう。
同じように、体調が悪い他人を見ると、引っ張られて自分も本当に体調を崩す。病は気からとはよく言ったものだ。
奇跡的に結婚に漕ぎつけた妻は、ボディタッチが苦手で触れられることを無意識に拒否してしまったり、言われたことを忘れたりし続けて、
「宇宙人と暮らしている」「人の形をした別種の生物」という言葉が出てくるほど典型的なカサンドラ症候群に陥ってしまった。
その後抑うつ状態と診断された妻は心身の不調を頻繁に訴えるようになり、それに引っ張られて私も体調不良が激増し数年前には休職せざるを得ないところまでいった。
妻の体調を考えて妻を実家に帰して別居した結果、事実として途端に私の体調が劇的に改善してしまったので、他人と暮らす事自体に根本的に向いていないのだろう。
お互いに相手の事は悪しからず思っているので、現時点では別居したまま、一緒に住まない夫婦という形態を継続している。
耳からの情報獲得が壊滅的で、たびたび音声による意思疎通が困難なほど聞き取れないくせに、他人の話し声が耳に入ると頭の中の思考がすぐにリセットされる。
気を付けていても言葉を額面通りに解釈してしまっていてトラブルを起こす。
自分の普通が信用できないので様子を伺って行動を起こすのが遅れる。
3桁の数字すら覚えていられないのでメモを要するのだが、咄嗟にメモに書き込もうと取り出した時点で既に頭には何も残っていないので
相手がメモするほどでもないだろうと思っているしょうもない事ほど相手に二度手間をかけさせてしまう。
何度も見直して音読して指さし確認までした項目が、後から見ると完全に間違った内容になっていたりするし、
動かして整列させられない20個ほどのものを計数するような作業が苦手で、
何度やり直しても誤差が出るので何度も何度もやり直すが数が合わず、最後には数えながら眠ってしまう。
写真を撮ってペイントで書き込みながら数えるのが私がやる分には一番早いのだが、ただ数えるだけの雑用にそんな珍妙な方法をとる事には流石に理解も許可も得られない。
全体的に、長所は短所で打ち消されてそこまで伸びず、短所の数が倍になっているような印象がある。
過集中状態に入りかけたタイミングで、タスクを前から順番に潰していかないと落ち着かない
気持ち悪いというASD的な欲求が沸き出て来てしまうと、不得意なタスクにわざわざ向かってしまって集中がすぐに解けてしまうとか。
跳び込んだはいいが入水角度が浅く、すぐに浮いて来てしまうような感覚に似ている。
長所と長所の相互作用などもあってもよさそうなものだが、ADHDとASD的な特性の長所は割と違った方を向いていて、
うまくいい方向に重なって活かせるタイミングということが滅多にない。(ゼロではないし、実際に人生で数回爆発的な成果を残してはいる。)
今後も私は、周囲には踊り狂っているように映りつつ、もがく日々を過ごしていくのだろう。