はてなキーワード: マーケティングとは
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
最近、マッチングアプリでは謎の外国人による投資案内を目的としたアカウントが多数見受けられる。
初めは友達、恋人を探してます。とカタコトの日本語で話すが、途中から何故か急に仮想通貨のチャートを送りつけてくるようになる。
それに対して、投資に興味がないならやりとりをやめればいい。とさも当然の如く語りかけてくる。
昔はFacebookアカウントが必須だった気もするが気づいたらメールアドレスだけあれば登録可能になっていた。
昔のmixiよろしく利益を上げるためにはユーザー数を増やすのが大事なんだろうが、ユーザー守らない企業には何があるのか。興味深く様子見しながら今日も通報する。
こういうのはどんなに消費者センターに話しても自衛してね。と言う結論しか出ない。それはそれで仕方ないんだが、、、こう言う輩からのいいねがうんざりする。離脱したいのだが、、、真面目な出会いを求めて今日も精神すり減らし、、、いい人には出会えず、投資詐欺にはどんどんいいねされる日々が続く。
参考までに
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内容がバズるかどうか:マーケティング。どういう事柄や記事にニーズがあるか調べ、ニーズに合致するコンテンツ案を大まかに考え、その案をタイトルから文末まで読み手が次々に読み進めたくなるような文章構成に落とし込むこと。
文章にケチが付くか:論理と倫理への配慮が要る。論理への配慮とは、演繹と帰納と適切な根拠をもって自分の主張を支えること。倫理への配慮とは社会通念や法律に則した内容であるかチェックすること。
さっき、"「文章力」や「本当に欲しいもの」の定義は、自分が読んだり書いたりする中でしか磨かれないだろう。"と書いたが、これは事実の片面だけを切り取ったもの。自転車に乗れるようになるためには、自転車に乗っている人を参考にして、自分も実際に自転車に乗ってみるしかない。文章を書くことも同じなのでそう書いた。
ただし、見よう見まねで練習する以外のもう片面として、先人が蓄積している上手に自転車を乗りこなすための知恵を活用するという方法があるのも事実だ。文章を書くことについても、マーケティング、セールスライティング(コピーライティング)、ストーリーテリング、パラグラフライティングなど各論の参考書は色々ある。それらを読めば特に「文章力」の定義に関しては理解が進む。
しかし文章力の定義を磨いたところで、結局のところ、実例をたくさん読み、また、自分でもたくさん書く経験を積まなければ文章は上達しない(これを書いている自分の文章力を思うと恥ずかしい限りだが、それはさておき)。
とりわけ、自分が「本当に欲しいもの」に関しては、読んで書いての経験の積み重ね無しには磨けない。鯛を食ったことのない人間に鯛の味は分からない。世界を旅したことのない人間に世界旅行の醍醐味など分からない。味わってみて、やってみて初めて、「あれが良かった、これは良くなかった、今度はこうしようか」という感覚が掴めてくる。それなしに「本当に欲しいもの」の定義などしても空々しいだけだ。
こんばんは、不織布マスクです。
今回の群馬県で開催されたフェス「GLOBAL ARK 2021」の件、様々なメディアからの報道を拝読・拝見しておりますと、もっとも重要であるはずの当事者―すなわちマスク側の見解が欠落していること、および布マスク様への風評被害が気がかりとなり、誠に僭越ではございますがこの場をお借りして一言申し上げさせていただきます。
まず、今回の「不織布マスクNG」騒動については、日々市井の皆様の感染予防に微力ながらも粉骨砕身、尽力しているつもりの弊マスクに対する明らかなヘイトスピーチであり、大変遺憾に思っております。しかしながら、これは私ども不織布マスクにも原因の一端があることは認識しており、身から出た錆とのご指摘があれば甘んじて受け入れる次第でございます。
原因を紐解いていきますと、2020年初頭の新型コロナウイルス禍初期段階におきまして、予想だにしない未曾有のマスク需要があったこと、これが最大のものであったと思います。これまで鼻炎・風邪・花粉症および医療界や飲食業界、製造業の方々からの安定的な、しかし代わり映えのない一定した需要とは異なり、全世界的な規模での私ども不織布マスクへの注目が集まったことは記憶に新しく、ようやく我々の時代が来た、と一同血湧き肉躍る(血も肉もありませんが)思いでありました。しかし、私共は皆様のこの期待を逆手に取り、世界的なマスクの価格高騰・品薄の状況を看過する結果となりましたことは周知の事実かと存じます。正直に申し上げますと、誕生から現在に至るまで、かつて無いほどのお声をかけていただける現実に、甘えがあったかと問われればそれはノーとは言い切れません。驕りがあった、そう受け取られても仕方がない。そう思っております。
私どもがこの所謂”マスクバブル”に湧く中、競合する他のマスク様各種はあくまでも私どもの代用品として、着実にその勢力を伸ばしてゆきました。コロナ禍以前の世の中において、再利用可能なマスクといった需要は実に限定的なものであったと言えるでしょう。私どもとしましても、給食当番を除いては概ねほとんどのマスクについて、人口シェアをカバーしていたものと把握しております。それが、事もあろうに自分たちの犯した失策により、我々にはないデザイン性、昨今のSDGsの考え方にも適う再使用可能という環境配慮への姿勢、またはブランドマーケティングにおけるステータスおよびファッション性までをも身につけた競合の他マスク様方による大きなシェアの喪失を招いたことは、今もってなお痛恨の極みと存じます。ウレタンマスクなどという、マスク界の風上にも置けぬ不逞の輩を生み出してしまったことについても、己の責任を感じずにはいられません。そもそも、マスクにダサいもダサくないも、コロナ禍以前は存在しない価値観でした。時々刻々と変化する現代社会に適応し、「給食当番がしてるやつ」から「不織布マスクが売っていなくても手作りできるもの」、そして「国が配ったアレ」から最終的には「ファッションアイテム」までの見事な昇華を遂げた布マスク様は、まさに適者生存の理そのものを指すようであり、私どもの慢心が招いたこのような結果については慙愧の念に堪えないというのが偽らざるところであります。
ありがたいことに、供給体制の安定後は引き続き多くの方から温かいお声掛けを戴き、現在は決して昨年の二の轍を踏むことのないよう、地道に一歩一歩努力しております。また今回の騒動につきましても、多くの方々からフォローするお声を頂戴しましたこと、身に余る光栄に存じております。しかし事実として、私どもがかつて自らの過ちにより皆様のお手元、いやお口元を離れた際、それを救ってくださったのは他ならぬ布マスク様であります。本件につきましては主催者への抗議こそごもっともではございますが、どうか布マスク様への風評被害につきましては、お控えいただけないかと、私ども不織布マスクからも改めてお願い申し上げる次第でございます。
末筆となり恐縮ですが、皆様くれぐれもお体にはお気をつけいただき、ふたたび鼻炎シーズンだけ程度のお付き合いとなる時代を共に迎えられますこととを祈念申し上げまして、弊マスクからの挨拶と代えさせていただきます。
・社会的知性
そういう文脈での優秀さ。
それだけが優秀さのモノサシではないと思うが、一昔、ふた昔前に流行った、「社会人に一番求めたいのはコミュニケーション能力です」とか言われていたものの正体はこの辺の能力のことだろう。増田の言うようにそんな能力を持ち合わせている人は10人に1人もいない。
男物の時計をそのまま女性用にしたデザインが欲しいのに女性物になると何故かピンクになったりキラキラストーンがついたりするのが嫌だっていうツイートがバズってたけど
そりゃ実際にはそういうデザインの方が売れるからそうしてるんじゃないの?
売る側だってけして何も考えずに女性物に特定のデザインを押し付けてる訳でなくて
これに限らず映画のポスターが日本版ではデザインが大幅に変わったりして「ダサピンク」と連呼されるのも
そっちの方が需要があるんだから仕方がないんじゃないのって思う。
あと、不思議な事にこういう映画のポスターがフェミニストから叩かれてる時には表現の自由戦士が殆ど沸かないよね。奴らは二次元にしか興味ないからかもしれないが。
ぶっちゃけDaiGo氏並みのラッキーに恵まれるケースは滅多にないので
DaiGo氏並のナルシズム(選民思想)を拗らせるには至りません
ただ、ナルシズム(選民思想)を拗らせていなくても、『予想判断能力』『人の気持ち・物事を理解する能力』に
DaiGo氏並みの深刻な問題を抱えている発達障害の人らはたくさんいると思います
そして、深刻な問題を抱えているが故に会社や学校でうまく行かなかったりするかと思います
『いろいろと面倒くさいので1人でなんでもやりたいな』
・・・そう考えると思うんですけど、その夢想を体現し大成功を収めているのが
自称している年収額の真偽はともかく経済的な成功自体は間違いなくしています
どうでしょう?運や理解者に恵まれ経済的な成功も収めた氏らが羨ましい感じでしょうか?
おそらくなんですけど、『人に嫌われても別に?』だったり『(自分にとって重要ではない)他者の評価に興味がない』までは共感しても
ホリエモン・DaiGo氏が羨ましいとなる人はまずおらんと思います
それは単純に賢く見えないから・お金があっても幸せそうに見えないからです
マーケティングの一環とは言え年がら年中バトルを繰り広げています
トニー谷 (https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E8%B0%B7)並に世間に嫌われています
どう贔屓目に見ても疲れそうです
信者がよちよちしてくれる・全肯定してくれるから何だかんだハッピー?
もしかしたら本人はそうかも知れません
けど、しょっちゅうバトルしてる・トラブルを起こしているグルになりたいか?と問われて
まぁ YES とは答えんでしょう
そもそも応援している人たちすら『氏らになりたいか?』と問えば言い淀むくらいなんですから
今回の事件で、思ったのは『人に嫌われても別に?』だったり『他者の評価に興味がない』のは強みではなくて、
やっぱり "障害" なんだなということ
他人の評価を気にしすぎて病んだり、行動が制限される人たちもいるくらいなので、強みのようにも見えるけど
今回のように軽々と一線を踏み外してしまう
あと運に恵まれ理解ある家族やら仲間やらに囲まれても自省がゼロだと
メジャーは多くの人が働いているため、十分な売上が必要となる。
しかも、マーケットはほとんど日本のみ、しかしアメリカとなると桁違い,
それほど人気が無くてもマーケットのデカさで物凄い大金を手にする事が出来る。
そのため、特に日本のメジャーではマーケティング調査などにより、
確実に売上を確保できる作品が、しかもコンスタントに製作される事を求められる。
“良い”という事自体、既存の価値観、過去の経験によって決められている。
生活においてはそれで良い。
が、芸術という事になると違ってくる。それは単に保守的という事に過ぎない。
そしてメジャーでは、その保守的な作品を大々的に宣伝、露出する。
消費者は個々の価値観を持っており、それぞれに相性の良い作品があるはずで、
労力を惜しまず探せば見つけられるだろう。が、その労力を惜しんでしまっている。
そして、知っている人が多ければ多いほど、その作品が良いと言う人が多くなる。
10人の人が知っていて10人が「良い」と言うよりも、
1000人の人が知っていて100人の人が「良い」と言っている方が、
結局支持している人が多いと言う事になってしまうのである、たった1割なのに。
日本人特有?の、「みんなが良いと言ってるから良い」という感覚により同調。
それにより、この保守的な作品がまた次の作品に反映されるという悪循環が生まれる。
ある種、カルトやな。
まず、価値観を誘導しておいて(マインドコントロール)、