はてなキーワード: アイヌとは
今どきアイヌじゃない俳優使ったら、端的にクオリティ低すぎってなるよ。
なんも考えずに映画作ってんじゃないのと思っちゃうし、実際能力がないからそういう判断になってるんだろう。
ここでかっこいいアイヌの少女を(新人)とかってクレジットして観客をしびれさす(そしてエンタメ界に送り出す)のが、原作を読んだ上で、最低限度以上の映画脳のオーナーが取る行動だろうに。
そりゃ映画にスターは必要だよ。見世物なんだから、客を呼んで売上立てなきゃならない。でもさ、どう考えてもそこらの漫画原作頻出女優より、本物のアイヌをキャスティングして、その化学反応がいったいどうなるんだってほうが遥かに見世物としてパワーがある、おまけに作品の質としても上等になる。
今どき出資者もそこまで馬鹿じゃないでしょ。これじゃあ、始まる前から負け確定だよ。
本来のアジア人は古モンゴロイドつまりインディアン、アイヌ、琉球人のように二重で目がぱっちりして、顔の彫りが深く、輪郭もくっきりした美しい顔立ちをしていた。
しかし、ある日朝鮮人、弥生人のように一重、目が細く吊り目、面長、鼻が低く、アデノイド顔貌の醜い集団が発生した。
新モンゴロイドだ。
純粋なアジア人の一部はアメリカに渡り、インディアンとして高度な文明を気づいた。
一方、旧大陸では本来の美しいアジア人が新モンゴロイドの遺伝子に汚染されてしまい、醜い顔になってしまった。
日本人も本来はアイヌのような顔の彫りが深い美しい民族だったのが、朝鮮からの渡来人に汚染され、今日に至る。
温厚で心優しい一方、好戦的で勇敢という一見相反する基質を兼ね備える
彼らは敵対しない者に対してはお人好しとも言えるレベルで優しいが、一度敵対すれば極めて攻撃的で恐ろしい相手となる。その例はいくつかある。
・東北の蝦夷安倍氏は、一度朝廷との対立関係に陥ったが、すぐに恭順の意を示し、争いを避けた。しかし、陸奥守が口実をつけて、蝦夷を挑発すると恐ろしい敵となり、その鎮圧に12年を要した(前九年の役)
・アステカの王はスペインの征服者コルテスを神の化身と考え丁重にもてなした。しかし、スペイン人がそれをいいことに破壊・略奪・虐殺に走ると、怒り狂いスペイン人を一度撃退した(悲しい夜)。更にスペイン人は大軍でアステカの首都テノチティトランを包囲するが、激しい抵抗に遭い陥落に3ヶ月を要し、コルテス自身も危うく死にかけた。
・スペインの征服者ピサロはインカの皇帝アタワルパを殺し、その弟マンコ・ユパンキを擁立する。しかし、スペイン人の残虐行為に堪忍袋の緒が切れ、スペイン軍に蜂起を起こした。その後36年間にも及ぶ激しい抵抗を続けた。マンコ皇帝自身は度々和平を申出たが、スペイン人の不当な要求を飲めず抵抗を続けた。ピサロが仲間割れで暗殺されると、マンコは寛容にもその暗殺者たちを庇ったが、裏切られた暗殺された。インカの王族たちはスペイン人に虐殺され、抵抗は終わりを告げたが、アンデスの先住民たちはその後も幾度かスペインに対して反乱を起こした。
・ワンパノアグ族は飢え、寒さ、病気に苦しむ白人を助けた。しかし、白人が彼らの土地や命を奪ったため、白人と激しく闘った。(フィリップ王戦争)
・アイヌ人は松前藩と平和に取引をしていたが、不当な為替に激怒し、シャクシャインの元で蜂起した。
・アパッチ族の戦士ジェロニモは本来は心優しい性格であったが、白人に家族を虐殺され、その後は好戦的な戦士として恐れられた。
・スー族の勇者シッティング・ブルは心優しく非常にモテた。その一方で勇敢な戦士として誉れ高く、リトルビッグホーンの戦いでは米軍の騎兵部隊を全滅させた。最後まで白人に屈することを拒み、射殺された。
・日露戦争の名将、東郷平八郎、乃木希典、秋山好古、秋山真之と太平洋戦争の名将、本間雅晴、牛島満、樋口季一郎はいずれも縄文人顔の美形である。白人との戦いで活躍した一方、平時は温和な人格者であった。
以上の例の通りアジア人とは本来顔が美しいだけで無く、勇敢と温和という美徳を備えた優秀な人種なのだ。
一方、新モンゴロイドはどうか。
・弥生人顔の香淳皇后は陰湿な性格で美人であった美智子様に冷たく接した。
・悠仁も両親がお辞儀しているのに、自分だけ頭を下げなかったり、女子生徒から水筒を奪ったりした。
・東名高速煽り運転の犯人も、名古屋アベック殺害事件、市川一家殺人事件、光市母子殺害事件、コンクリ殺人事件の犯人弥生人顔だ。
しかし、東南アジアの人々は朝鮮人よりも更に残虐なことを日本軍にもされたにもかかわらず、それを許し現代は親日的だ。これは宗教も一つの原因だろう。
だが、それだけでは仏教国のビルマ・ベトナム、イスラム教国のマレー、インドネシアが日本を許したことは説明できるが、キリスト教国のフィリピンが日本を許したことは説明できない。
朝鮮人は純粋な新モンゴロイドだ。一方、東南アジアの人々は一部新モンゴロイドの遺伝子の汚染されているが、本来のアジア人としての性質も持っている。
これもアデノイド=弥生人顔が害悪な遺伝子である証明だ。勿論発達障害だから口呼吸してアデノイド顔貌になりやすいという事実を考慮してもだ。
本来は美しい民族だったアジア人が新モンゴロイドに汚染され醜くなってしまったのは嘆かわしい。
これからのアジアの繁栄のためにはそういった醜い遺伝子を少しでも減らし、アジア人の優秀な遺伝子を後世に残すことが大切だ。
縄文人顔の諸君は同じく縄文人顔の同士と結婚し、その遺伝子を残して欲しい。
そして弥生人顔の諸君はもし僅かでも良心があるなら、子作りは辞めて頂きたい。
縄文人と結婚すれば、その美しい遺伝子を汚染してしまう。だから頼む。
これを青メガネ界隈のなりすましだと思ってる向きもあるようだけど、そんなものとは一緒にしないで欲しいね。
大学で長年研究・実証されてきた「特権」理論というのがあるんだよ。
中野アナ:出口さんは、“特権”について研究されていますね。“特権”とはどんな概念ですか。
出口さん:私の定義は、アメリカのいわゆる社会公正教育(social justice education)の文脈での“特権”(privilege)で、「マジョリティー側の属性を持っていることで、労なくして得ることができる優位性」というものです。
大学の授業で学生たちに聞くと、特権という言葉は「学割が使えるのは学生の特権」「ディズニーランドが近いのは地元住民の特権」「女性専用車両って女性の特権」という風に使うことが多いです。でも、それらは“特権”ではない、というのが私の立場です。
自分の努力ではなく、たまたまマジョリティー性を持った側に属していることで、下駄を履かされていることはないでしょうかという視点です。
男性は女性に対して、シス女性はトランス女性に対して、日本人は外国人に対して、白人は黒人・アジア人に対して、それぞれ特権を持っている。
中野アナ:ちょっと自分も点検してみたいと思います。まず人種は、僕は日本国籍なので日本人です。次に、出生時に割り当てられた性は、男性です。
画像(出口さんが示した特権チェックの図。「アイデンティティ」について、マジョリティーかマイノリティーをチェック。「人種」は日本人と、外国人、在日韓国・朝鮮人、アイヌなど。「出生時にわりあてられた性」は、男性と女性、他。「性的指向」は、ヘテロセクシュアルに対して、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、アセクシュアル等。「性自認」は、シスジェンダー(身体と性自認が一致)に対して、トランスジェンダー、エックスジェンダー等。「学歴」は、高学歴と低学歴。「社会的階級」は、高所得と低所得。「身体・精神」は、健康に対して、病気、障害を抱える。「居住地域」は、大都市圏在住と地方在住)
ひとつずつチェックしてみると、中野アナウンサーは、すべての項目でマジョリティー側にあてはまりました。“特権”を多く有しているということになります。
マジョリティが特権を自覚して、やがて成長し、マイノリティのために立ち上がり、特権を捨てるという理論。
正しいことが科学的に実証されており、既に実践に移すフェーズになっている。
出口さんのアドバイスは、差別に触れたときのマジョリティーの心理は6段階で推移するという、アメリカの心理学者・ヘルムズの「白人の人種的アイデンティティ発達理論」に基づいています。
これは、アメリカで圧倒的特権をもつ白人が、みずからの特権に向き合うことで、マイノリティーに対してどう変わっていくかを示したものです。
それによると、最初、マジョリティーは「①“特権”に無自覚な段階」にありますが、“特権”に気づくと「②罪悪感を抱く段階」や「③周囲のプレッシャーに負けてマイノリティーを避ける段階」に移り、その後「④マイノリティーのことを知ろうと、一歩を踏み出す段階」へ進みます。
しかし④の段階は、まだ確固とした信念があるわけではなく、迷いや不安から、前の段階に戻ってしまうことも少なくありません。中野アナウンサーのように、相手に関心を持ち取材しながらも葛藤を抱えるのは、この段階にあたります。さらに進んで「⑤自身を見つめ直し、現状を知ることに没頭する」や「⑥抑圧のない社会を実現するため、自主的に行動する段階」に進むためには、仲間が必要だというのです。
末裔の中で話される勝ったアイヌも負けたアイヌも、総じてアイヌ民族は同化政策を敷かれてしまった時点で負けている。
松前藩に管理されるのではなく、帝政ロシアに脅かされるでもなく、北海道の地の資源をアイヌ自らの信仰対象である神の所有するものであるとして、交渉材料としてアイヌも政治に介入できるようにしなければならなかった。商売が得意な部族と政治が得意な部族が手を取らなければならなかったのだが
内部抗争が己を滅ぼした。
アマゾン奥地の、侵入者はすべて殺す抵抗をするような民族(部族)でなければ、その地における民族のアイデンティティー存続は難しいのであろう。
嘘か真か、我が家の先祖は大和と取引して興隆した家柄、というか一族で、大和から鉄器や布や網などを交易して狩猟へ応用し財産を築いたので今がある、と小さな頃からそう教えられていた
大人になり大和とアイヌの関係性をはっきりと理解できるようになると「あぁ我が家は裏切った側か」と知った
もちろん有識者に言わせれば実際のところはアイヌ同士でも血を伴う争いは頻発していて、それを考えれば鉄器を潤沢に得ていた先祖は有利に戦況を進めていただろうことは想像に難しくない
北海道の西側から始まったアイヌ同化政策でも少なからずの抵抗があったと聞いたが先祖はその先鋒として"交渉"を伴いながら東へ進んだという
まぁどう見ても今のアイヌ人権団体から見れば裏切り者だ
何なら我が家は北海道開拓の功労が認められ、そこそこの地位まで得てしまい戦後は内地へ渡った、つまり今はもう北海道にすら住んで居ないのである
しかも一部権利を北海道へ残したまま温かい内地で暮らしている
そんな家柄なので今のアイヌ人権団体とは距離があり、ほとんど関わりがなく恐らくは今のアイヌ人権団体としては存在そのものが気に食わないのだろうなと考えている
なぜならアイヌ同士で対立があった証明であり、アイヌ同化政策を支持したアイヌの証明であり、アイヌでも大和の役に立つよう働けば出世したという証明だからだ
アイヌ文化では年長者が敬われ酋長が存在したのだが今のアイヌ人権活動ではあまり酋長へクローズアップされたりしない
理由は様々あるのだけれど、上の世代の中に「勝ったアイヌ」「負けたアイヌ」という表現を使う人たちが居るので「負けたアイヌの酋長は存在しないのではないか?」と勝手に考えている
当時からアイヌ同化政策へ抵抗したアイヌ民族主義のような思想者一族は現代のアイヌ人権運動へ繋がっているだろうけど酋長の話があまり出ないのは酋長が過去に失われたからなんだろうと
そしてハッキリと認めるべきだから言うが、その酋長を殺したのはアイヌを裏切った側とされる我々だ
我々の側の酋長は存続しているし、酋長たちは北海道でアイヌ文化を観光資源とみなし現代でも投資している
ものすごくいびつなのだ
一部であれ酋長の血を引く者たちは内地におり、その資金でアイヌ文化を振興する今も北海道で暮らすアイヌはアイヌ人権運動を推進している
父に聞いたことがある「なぜ今もアイヌへ投資するのか?」と
その疑問へ父は「金のためだと言えば嘘になる。いつか帰るかも知れないという想いがある。内地で暮らす私達は誰よりも北海道に憧れているのかも知れない」と応えた
しかし恐らくは現代の北海道で暮らすアイヌと我々は仲良く出来ない
アイヌモシリへ文明の火を灯し、アイヌ文化を焼き尽くしたのが我々だからだ
新海誠は2004年に「雲のむこう、約束の場所」という映画を製作している。
本論では、この映画から政治性が巧みに隠蔽され、特にアイヌ民族が消えてしまっていることを論じる。
北海道をソ連(作中ではユニオン)に占領された世界。藤沢浩紀と白川拓也はそこに建造された不思議な塔まで、自作の飛行機で密航することを夢見ていた。その秘密がふとしたことで同級生の沢渡佐由理に露見してしまうが、彼女は二人の共犯者となり、いつか彼女も塔まで連れて行ってもらうことを約束する。しかし、彼女は突如姿を消し、飛行機の話もそれっきりになってしまう。
三年後、拓也は塔の破壊を企てる反ユニオン組織ウィルタ解放戦線に内通しつつ軍属で研究し、塔の秘密を探っていた。塔の目的は並行世界の観測による高度な未来予測であった。そして、塔の設計者であるエクスン・ツキノエには孫娘がおり、その孫娘たる沢渡佐由理が原因不明の奇病で三年間眠り続けていると知る。
一方、東京に出た浩紀は、佐由理の夢に悩まされていた。そんななかで彼女の痕跡を追い、かつて入院していた病院にたどり着くと、突如佐由理と浩紀は夢の世界で心を通い合わせる。浩紀は佐由理を救うには三年前の約束を果たさねばならないと悟る。
だが、拓也側の研究の成果により、佐由理は眠り続けていることで塔からの並行宇宙の浸食を防いでいると明らかになる。彼女が目覚めれば、この世界はあっという間に浸食されるだろう。
浩紀は青森に戻り、拓也と再会する。浩紀は拓也に「ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚める」と伝え、協力を求める。佐由理の目覚めによりこの宇宙の消失を恐れる拓也は、一度は協力を拒絶する。しかし葛藤の末、佐由理を軍の病院から連れ出してきた。浩紀は佐由理を後部座席に乗せ、米ソ開戦直前でヴェラシーラを発進させる。
緊張が極限に達した米ソは開戦し、その混乱の中で浩紀はヴェラシーラを飛ばす。塔の傍で目を覚まし、涙を流す佐由理。浩紀はウィルタ解放戦線に託された爆弾を投下し、塔を壊して宇宙の消失を食い止める。
佐由理は目を覚ました。しかし、目覚めと共に浩紀に対する思いは消えてしまっていた。
さて、先ほど述べたように、作中では日本がソ連の侵攻によって南北に分断されている。そして作中のテロ組織は(南北統一のため?)北海道の塔を破壊することを目的としている。
そこで、「ウィルタ解放戦線」という名称が問題になる。ウィルタというのは北海道ではなく、サハリン(樺太)の先住民族の名前なのだ。確かにウィルタは北海道に数名居住していたが、北海道の解放を願うなら、「アイヌ解放戦線」とならなければ筋が通らない。
アイヌ民族に言及することによる政治的問題を避けるために事実を歪曲させたのではないかと疑われる。樺太開放も目標としていたと仮定すれば、考えられなくもないが……。
祖父の名前、エクスン・ツキノエは、日本語話者にとっては異質な響きを持つ。また、ロシア語風でもない。元々新海誠は多少いい加減なネーミングを行うことがあるので、深い意味はないだろうと思って数年間はこの名前に注目してこなかった。しかし、私がたまたまアイヌ民族に関する書籍を読んでいたとき、ツキノエは国後島アイヌの首長の名であると知った。同様のことを述べたツイートがあったが、現在は消えてしまっている。
そこでエクスンとはどういう意味かというと、ここによれば「向こうへ」という意味らしい。「沢渡」という姓はここに由来している可能性がある。
http://tommy1949.world.coocan.jp/aynudictionary.htm
浩紀はラストで単身ヴェラシーラに乗り、北海道中央部にそびえる塔を破壊する。すべては佐由理の目を覚ますためであり、並行世界が流れ込んでくるリスクを引き受けてのことだった。
しかし、実はまことに政治性の強い作品である。SFっぽさと感傷的な恋愛描写がまぶされているが、描かれているのは間違いなく世界を変える(少なくとも一国の軍事施設を破壊し、地域のパワーバランスを崩壊させる)テロリズムである。米ソ開戦中の混乱に乗じてのことであり、もしも両国が責任のなすりあいを始めたらと考えると恐ろしい。
新海誠がこの件についてどの程度自覚的であったかは疑問である。どちらかといえば気分的なものでプロットを作っており、作品の政治性についてはあまり深く考えていなかったのではないか。
実際、朝鮮半島やドイツの分断に伴う深刻さは、出会えなくなった家族に言及されることもあるが目立った悲痛さはなく、この作品では過去の背景に退いている。
米ソ戦のなかで時に死体が降ってくる場面はあるけれども……?
作中では「ヴェラシーラ」とは「白い翼」の意味だと説明されていた。
はじめ、自分はこの言葉をスペイン語だと思っていた。つまり、Bella Cielaだ。アルゼンチン方言ではbをvで発音することがあるらしいし。しかしよく調べてみると、スペイン語の語順や活用の形としてはおかしい(当時のウェブ翻訳は今と比べてずっと貧弱だったし、単語の原形で検索するしかなかった)。
そこで、ロシア語ではないかと思い、いろいろなつづりを試みた。すると、「白い」は「белый」ベリイ、「力」で「сила」シラとなり、それっぽい。ソ連にいる祖父がいるのだから、彼女にロシア語の知識があったとしてもおかしくはない。意味は「白い力」になるが、「白い翼」には十分近い。ベラルーシの「ベラ」が白なので、そこから取った可能性もある(同じことを言っているページを見つけた)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216740382。
ただし、これもまた活用の問題がある。「白い力」はロシア語では「белая сила」ベラヤ・シラとなる。それに、よく考えればbとvの音の混同が起こっている。
もっとも、「星を追う子ども」では潜っても呼吸できる水を「ヴィータクア」、世界の果てを「フィニステラ」とラテン語としては語順が逆の形で名づけているので、そのあたりはいい加減なようだ(それぞれアクア・ヴィタエ、テラ・フィニスが標準的なラテン語の形である)。
また、同作の中では深い意味もなくセフィロトの樹が引用され、シャクナ・ヴィマーナやケツァルコアトルなど無関係な神話がコラージュ的に用いられている。その背景には明確な思想を読み取ることはできなかった。
「雲のむこう、約束の場所」では感傷的なまでに甘い思春期の心情を描いてみせた。一方で、この作品はかなり政治的な危うさをはらんでもいた。危うさの一つはテロリズムの肯定であり、もう一つはプロットに入り込んでいるはずのアイヌ民族の存在を背景に退かせたことであった。後者に関しては少なくとも筆者の知る範囲について、ヒロインがアイヌ民族のクォーターであることに言及した資料は見当たらなかった(註:とあるウェブサイトで、佐由理は恐山かどこかの巫女の家系だという初期設定に言及したところがあった。興味深いのでここにリンクを貼るhttp://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/promisedplace2.html)。
しかし、2004年には許された描写だったが、ゴールデンカムイなどで正確なアイヌの描写が出てきた2020年代にあってはどうだろうか?
最近筆者は新海作品からは遠ざかっている。映像が十分雄弁なのに、台詞で説明しすぎてしまうからだ。あるいは加齢による感受性の変化かもしれない。あるいは、この感傷マゾから「卒業」しようと自分を鼓舞したからかもしれない。本稿を書いているうちに、少し懐かしいような苦しいような気分を思い出しかけた。
作中では、北海道に建設された塔が東京からも(かなりの高さで)見える描写がある。しかし、それにしては塔が細すぎやしないだろうか? 以下、視聴当時にした計算を抜粋する。
塔が経っていたのが北海道の中央部、都心から道央まで凡そ1000kmはある。
かなりいい加減な推定だが、視力1.0を有するとは視角60秒の二点を見分ける能力があるということだ。つまり空気による散乱だの屈折だのを度外視すれば、主人公がそれだけの視力があると仮定することで塔の直径を算出できる。それにウィキペディアによれば大きく見えるときの金星がこれくらいの視角だそうだ。塔が自ら光っているわけではないだろうし、このくらいの値でいいだろう。映像を見てもそのくらいだったし。
sinθ=tanθ=θ(ラジアン)の近似を用いると、都心から道央まで凡そ1000kmはあるので1000km×(2π)×(1°/360°)×(1′/60′)= 290.8m程の直径が必要になる。荒っぽい計算だが、作中のヴェラシーラとの比較から見てもそこまでずれていない。ただ、空気があることからはるかに太いと考えたほうがいい。北海道全体が映るシーンでも塔はしっかりと見えていたし、直感的にも300m程度の太さの道央の物体が都心から見えるとは考えにくい。
なお、仰角は30°はあろうかという様子であった。三角関数で考えれば577.3km以上の高さだ。地球の自転の影響でこれだけの構造物は大きくたわむことであろう。ソビエト連邦にそれだけの物資があったかどうか。一応ユニオンは全共産圏を統合した国家だそうだし、この世界では宇宙開発の代わりに並行宇宙が研究されているとすれば、なんとかなる……かな?