はてなキーワード: がっかりとは
痩せた。そしたら男友達だと思ってた人間がつぎつぎと彼氏候補になった。
みんなお断りした。
そしたら男友達に戻ると思ったのに、遊びに誘っても来ないし、メールも返さないし、疎遠になってる。
つまんないの。
男とか女とかひっそりきにするぐらいがいちばん好きなのに、どーしてどいつもこいつも
人を声かければ落ちるとか安く見積もりやがってムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく
ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカ
誰でもいいのがお前ら見え見えなんだよ。だからふられたら友達辞めるんだろ。
友達は人数じゃねえよ、質だよ。こんなしょうもない男たちだとは思わなかったorz
あーーーあ、がっかり。
ふるさとが濁った水で浸しになっている。
夜、曇天、何か目的があったらしい僕は、その流れに身を任せたり、たまに抗ったりして、母校へ向かう。
その母校は小学校だった。しかし、中で待ち受けていたのは中学校時代の音楽教師だった。
3年生の時に僕の部活の顧問となった当時25歳のその若い女性は、僕が引退するかしないかというところで妊娠が発覚し、僕らの年代が引退するに併せて産休に入った。
卒業してから顔を合わせたことのないその女性は変わらぬ姿でそこにいて、僕と再開した。
ここでわかったことなのだが、どうやらこの水浸し、僕と100人ほどの学生のしわざだということで、反省文を書かされることとなった。
そして通された部屋が近所のマクドナルドの二階席。そこで僕らは談笑しながら反省文を綴った。
ちらほら帰る人も出てきたあたりで僕も仕上がり、反省文も受理されて帰宅の運びとなった。
外を出れば未だに急流は衰えず、その流れに身を任せて自宅へと戻った。
なんと、僕が反省文も書いている間に黙って一家揃って引っ越したという。待ってるから早くおいで、と、電車で一本で着くから、駅の近くだから、との文面。
どこだかわからない。とりあえず自宅(小学校時に借りていたアパート)に向かう。
そこももちろん水浸しだが、家は原型をとどめていた。宛もない旅が始まる。
==ここで一度目を覚ます。暑くて穿いだタオルケットがテーブルにまで届き、コップが床に転がった音で目が覚めた記憶はある。しかし、治す気もせず、また眠る。目が覚めたのはここではないかもしれない==
場所はどこともわからない部屋の一室。水浸しどころではなく、潜らないといけないところもある。なぜいるのかはわからない。ところどころでアメリカ人とすれ違う。
「オー、ニホンジンtie’ヘンネー。ミズbeatAシノヘヤデ Sayカツnounテ デキマセ’ーン」とアメリカ人は言い、黒のパジェロJr.に乗っていずこへと去りゆく。
それを幾人か見届けた後、僕も部屋を出、家族を探しに歩く。
隣町の離れた森、小学校のとき、クワガタを捕りによく父と車で通った道を歩く。木を蹴るだけで、ミヤマクワガタがごっそり取れた、森。
そこに、駅があった。正確には、森は現実にあるが、駅は夢のなかだけ、そこにあった。駅名は覚えていない。
中は、山手線に走っている車両と同型だと記憶している。見た目はとても清潔で、人は4,5人ほどしか乗車していない。とても空いている。
そこの、緑のシートの座席に腰掛ける。このとき、僕はまだ全身水浸しだ。床もシートも濡れる。
途中下車をする。というより、手がかりもないので、ひと駅ひと駅虱潰しに当たるほかない。
確か、この駅に降りたとき、誰か女性と一緒にいた気がする。しかし、外に出たときは、僕一人だったはずだ。
駅の外に出るまでは、改札を抜けてからもうひとつ噛ませてあって、レストランやら、蕎麦屋やら並ぶ通りを抜けなければならなかった。
ここで、確か昼ごはんを食べようとするが、結局やめたのだった。
ちなみにこの駅、この町は見覚えがない。
外に出ると、森にあった駅の隣なのに、人が集まっていた。道路も整備され、郵便局も駅前にあり、商店街があり、生鮮市場もあった。
その風貌はいわゆる都心とは違い、たとえば温泉街のようなところだったり、たとえば小さい町の駅周辺だったり、そんな感じだ。たしかヤマザキショップもあった気がする。
そこの駅名は、よく思い出せないし、夢のなかで見た時も初めて見たとか、この世ではないどこかのような印象を持ったことは、覚えている。
名前は、人偏に鬼のような漢字と、『離』という字とも『雑』という字とも取れるようなものを、もう少し難しくしたような漢字の、二字で表記されていたはずだ。
そこのマーケットに足を運んで、いろいろ物色していたのだけど、食べ物が面白い。
全部現実のものより食材だけが大きくて、背負ったり両手で持たないと運べないようなものばかりだった。
面白いのだけど、仕入れてる人が持ってきた手羽先のから揚げが、持ち運ぶときに何度も地面を擦ってるのを見てしまい、がっかりしてマーケットを出た。
そして駅に戻り、電車に乗る。いくつもの駅を通り過ぎ、気が付けば300km以上は進んでいたのではないか。
このメールは、目を覚まして数時間経った今でもはっきりと思い出せる。
こんな内容だ。
僕ははっきりおかしいと思った。ここには電車一本では付かないからだ。
そこで僕は以前の森の中にあった駅で降りて、歩くことにした。
歩いて、歩いて、報徳の駅にたどり着いた。
ここも寂れており、ちょうど富士急行に乗り継ぐあたりのような駅の風貌だ。
これもまた、はっきりと覚えている。僕はここで何かに絶望したのだ。絶望しながらも、満足したのだ。あとのことは覚えていない。
目を覚ます。
時刻は8時40分を過ぎようかというところだ。
こう、前から歩いてくる人と道をふさぎ合っちゃうっていう…
掲題の件、ないですか?
私は日常茶飯事です。歩いていてもなりますが、特に自転車では顕著です。
自転車通勤なのですが、5割以上はディフェンス合戦している気がする。
毎度毎度あわわ…となり(すみません)と会釈してすれ違う訳です。
すこし前、前方から来た自転車を押した二人組みに相対した際(私は自転車に乗っている状態)
もう一方の相方が「何やってるの!」と大爆笑する出来事もありました。
で、ふと戯れに、
「このディフェンスの傾向はその人の人付き合いの性質を表しているのではないか」
と考えてみました。
まず
・ディフェンスしがち
→これは、人と向かい合った際に自分の方向性をはっきりさせず、
とりあえず相手の出方を見よう、それから自分の出方を決めよう という傾向
これに由来するのではないでしょうか。
さらに私は、どんな人ともディフェンスし合うのです。
たまに、周りの歩行者などお構いなしに、迷いなく真っ直ぐ自転車を走らせる人もいるのですが、
そういう人にもディフェンスしちゃいます。
これは、
・どんな人ともディフェンスしがち
→相手の出方を探ろうとしつつも、探った結果をそんなに考慮しない、できない
自分中心的な傾向
に由来するのではないでしょうか。
なんてこった。
あまり話さない同僚と2人で打ち合わせに行く時には、会話の糸口を必死に考えて浮かばず胃が痛くなる程度に苦手です。
人付き合いが得意な人はあまりディフェンス現象が起こらないとか、ないでしょうか。
この現象はそんなに頻繁に発生するのでしょうか?
1ヶ月に1度くらいのペースで巡回している某Web漫画について。
中身が更新されていたのだが、新規キャラクターが10人くらいぞろぞろと出てきた。
正直、一気に出過ぎな気がする。
これだけのキャラクタ、本当に扱えれるのか?
収拾つかなくなって「俺たちの戦いはこれからだ」もしくは「みんなそれぞれの道を歩みました」的な展開で終わるのは勘弁してほしい。
まあ、フリーで公開してくれている漫画なんだから、あれこれ文句つけるのが間違いで、「嫌なら見るな」の一言で済まされるのかもしれない。
でも、見る側としてはストーリーの伏線が投げっぱなしで終わられると、夢オチにされたような脱力感を覚えるのも事実。
以下、最期ががっかりだったフリーの作品。匿名とはいえ、名指しで言うのは憚られるのでどんな作品かを書く。
web漫画A:
主人公はある日突然何者かに殺害されるが、赤ん坊に生まれ変わる。第二の人生を生きる傍ら、どうして生まれ変わったのかなどの過去を調べたりしていったのだが、突如のハーレムエンド。生まれ変わりについては断片的なことしか明らかにされず。特に主人公の分身的な存在に関しては、ほとんど何の説明もなし。
脱出系ホラーゲーム。主人公は幼女。家の中を捜すと自分や自分の家族が殺されたことになっており、混乱する。
結局、幼女は本当の幼女ではなく幼女の記憶を部分的に引き継いだ妖怪だったというオチなのだが、じゃあなぜ幼女や幼女の家族が殺されたのかがはっきりしないまま終了。演出もホラーゲーム特有の恐怖を煽るものがある一方で、ポケモンフラッシュのようなプレイヤーの健康に直接影響を与えるようなものも多用されており、最期のオチのがっかり感をより深くさせた。
バツイチになって色んな女の子と付き合ったり遊んだりして、最近ようやくわかって来た。
女は顔じゃない、と。
女は身体だ。
顔だけアイドルみたいに可愛くても、スタイルが普通の子(がっかりおっぱい的な子)は、
付き合っても本当にすぐに立たなくなる。
でも、スタイルがいい子(自分好みの体型の子)は、顔が平凡でも全然飽きない。
あと、セックスの相性ってのも間違いなくある。
男女の大きさの相性、上付き下付き、カリの当たる位置。
だいたいは前戯の仕方とか体位の工夫でなんとかなるけど、限度がある。
すごく感じやすいとか、すぐ濡れやすいとか、柔らかいのに締りがいいとか、
どんな男から見ても相性がいいと思われてそうな子もいる。
そういう名器と言われる子に限って、実は一度もいったことが無かったりする。
すぐに濡れるから、ろくに前戯もせずにすぐに入れられてたんだろうなー、
もしくは今までの男がみんな早漏だったんだろうなー、って子がたくさんいた。
そういう子を見つけて開発してあげるのは、凄く楽しかったりする。
セフレや恋人なら、身体が第一でも納得行くだろうけど、結婚はどうなの?
そう思う人もいるだろう。
なぜなら、セックスがいつも上手く行けば、後のことは全て許せるからだ。
こういうカップルは、よっぽどのことが無い限り別れない。
性格や価値観が最高にぴったりでも、セックスがダメだと仲直りの手段が無い。
ただ、世の中には相性がすごくいいように見えて、片方が我慢してるだけという
カップルがすごく多かったりする。
お互いに浮気することで、表面上は平和に成り立ってるカップルとかもね。
こういうのは、全てセックスの相性が悪いことが原因だと思う。
仲が良ければ、価値観も似て来るし、仲がいい相手に対して性格が悪い人間なんていない。
セックスの相性の基本中の基本は、濡れることと立つこと。
女が濡れるのは、男のテクニックや努力や工夫や道具やローションとかでなんとかなったりする。
誰が相手でも女はなんとかなるから、男向けの風俗産業が成り立っている。
でも、一度女を感じなくなった相手に対して、男が立たせるのは、なかなか難しい。
女性向けの風俗がなかなか成立しない最大の理由は、これだったりする。
そうなると、何年経っても男を飽きさせることなく立たせてくれる女を選ぶことが、
それって結局、顔じゃなくて身体なんだよね。
むしろ顔は地味な方がいい。服と同じで、派手だと飽きやすいから。
地味な顔で身体がエロい。さらに感じやすくて濡れやすい。
これ、最高。
だから、女は顔じゃなくて身体というわけだ。
でも、いい身体の女はなかなか見つけにくい。
もう補正下着とかパッドとか豊胸手術とかやってる女は死んでほしい。
だから、退屈なデートとかしてる暇があったら、さっさとセックスすべき。
色んな女と試してみて、何が自分の好みなのかをはっきりさせるべき。
そして、自分とぴったり来る身体の女を見つけたら、絶対に手放しちゃいけない。
その女が自分から離れられなくなるよう、最大限の努力をすべき。
そういう女を見つけてなくて、顔や価値観だけで選んだりしてるから、浮気するんだと思う。
若い時にヤンチャしてヤリまくって遊びまくって、そのあとは見つけた女を一途に守る
AKBが好きだ。でもそこらのライトなファンよりAKBのことについて知らないし、実は興味もない。
主要メンバーの名前と顔くらいしか一致しないし、歌も全然知らない。
でも好きだ。仕事や勉強の合間にAKBの動画を見てしまう。で、泣いてる俺がいる。
なぜ俺はAKBを見て泣いてしまうのか、なぜAKBは俺を泣かせるのか。
それは俺にとってのAKBは高校球児みたいな存在になってるから。
彼女たちが頑張って踊りを覚えて、オタっぽい人と握手して、頑張ってる姿が高校球児のようで感動する。
この曲、全員にスポットライトがあたるとこで既に泣けるのに、最後の歌詞でだめ押しされる。
成長しているチームB 見に来て下さい
どんなに売れても ここで歌っています
これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。
4つだけは本当だということじゃない。
8つすべては「真実」に近いと思う。
実践できれば楽に生きれると思う。
それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。
ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。
いったいなにを欺いているのか?
リンク先で語られている内容よりも
語られなかった内容に注意してほしい。
1、今に生きる
過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的。
2、人や社会に期待をしない
求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる
自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。
その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。
こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要
6、ワクワクするものごとを選ぶ
選択の連続の人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤やジレンマに苦しむ
7、自分の行いは必ず帰ってくる
きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。
自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。
8、物事は全て中立
「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分が意味付けをしてるだけ。
たとえば同じ場に居合わせて災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分の宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。
ぐうの音もでない。
いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば
わりと納得できる考え方だなーと。
(というかこれがわからないとしんどい)
しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。
でも、とりあえず
ということはほぼ間違いないと思う。
世界じゅうの人がみんな
この方法を身につければ
きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。
ちょっと想像してみよう。
(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府、日本、テロリスト、なんでも)が
もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。
こりゃパラダイスだ!
ぼくたちはお互いがお互いを認められるような
真に寛容な社会を実現できる!
誰と遊んでいようが楽しい!
よーし!あの丘の上まで競争だ!
これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。
でもそれは「従うことができれば」の話。
実際、どこの場でも目にする。
「人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい
長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると
最後にはだいたい前の8つくらいに収まる
(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビで美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。
昔の人は偉いなあと思う。
そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。
もちろん、まだまだ読み足りない。
なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。
きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど
個人的には、ぼくの考えを
そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して
今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。
いや、正確に言うと、否定してくれはするけども
それが納得できないのだ。
ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど
もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。
まず1つめのウソ。
ぼくが言いたいのは
すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。
古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら
さっさとそれを実行すればいいのに
なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。
それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど
じゃあ、なんでその普遍的な問題が
大昔から今まで解決されないままなんだろう。
般若心経の新訳を読んだ。
ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?
そりゃあれじゃないの?
大笑いしながら観ていた。
その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が
実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。
おいちゃんは父親にこう言われたらしい。
「団子屋に文学なんか必要ない」
団子屋が文字を読む必要がないなら、
本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。
これは団子屋だけの問題か?
かなり多く存在してるんじゃないのか?
それでなんの不自由もなく生きていけたなら
感覚だけで生きていくことを恥じることもない。
それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。
難しいことはわからない。
バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに
なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。
でもそれがどうした?
バック・トゥ・ザ・フューチャーの理屈がわからなくてもなんの不自由もない。
熱心な仏教徒や
わかりにくいな…。
その最初の救いを信じていたら
いつのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ
(オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。
「念仏を唱えれば救われる」って
そそのかされただけじゃないのか?
バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん。
念仏を唱えるだけの百姓。
そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?
つまり、ぼくが言いたいのは
読めない人がいるかもしれないということだ。
読んだ人に待ち受けているのは
でも、読んでない人はどうすりゃいい?
で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?
そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。
でも、現実はそうじゃない。
何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。
この人生訓がなぜいいのかということを
絶望的なまでに理解できない人がいる。
そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。
要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。
このたぐいの人生訓すべてが。
掛け算までしかわからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。
上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。
いつまでも掛け算のところでつまづいて
文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?
掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?
やっと言いたいことの一つが終わった。
冗長になりそうだけど
もうひとつ言いたいことがある。
更に絶望的な想定だ。
さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。
(まちがってたら言ってください)。
なんかさぁ…
内容自体はそんなに変わらないのに
急にうっとうしくなった気がしない?
どこかで見たことあるなあ…
これどこで見たんやろう…
ああ、そうか
「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?
その時どんな気分がした?
殺したくなった?
泣きたくなった?
正義づらした誰かに強制されるのだ。
それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。
この想定のたちの悪いところは
その大義名分が「間違ってない」というところだ。
誤解なら間違ってると指摘することはできるけど
ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。
え?
間違ってないなら実行できない人が無能で怠惰なんだから仕方ないって?
wikipediaによると2009年の時点で日本のニート総数63万人
彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?
賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?
ニートだけじゃない。実際働いている人でも
(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格を破壊するには充分すぎるとおもう)。
(統計を出すつもりはないけど)。
1つめのウソで言及しているような
感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手は
2つめのウソで言及しているような
こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?
損する人のほうが多くないか?
そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。
この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。
でも納得できない。
これでは救いにならない。
でもいつまでも状況に進展がない。
だれか否定してくれよ。
「おまえ間違ってるよ!」って。
1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど
そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。
枠組みを作ろうと思う。
ほとんど働かなくてもいいような枠組み。
楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。
そうして、口やかましい人たちを黙らせる
http://auauai.tumblr.com/post/9080858048
これはブログでも書いてるけど
やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。
優しくて閉鎖的な空間だ。
個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。
そういう人と連帯を組むことはしたくない。
じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは
そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。
自信を少しずつ取り戻す。
まずはそこからだ。
誰だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。
心底、世の中に絶望していた。
どれも納得できなかった。
共感をもたらしてはくれたけど
やっぱり現実はしんどいままだった。
山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた
(いまでもその選択肢を考えてる)。
いくら本を読んでも
現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。
でも最近考え方が変わった。
それもやはり本を読んで変わった
(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。
だめ連の本によると
連帯すると分散される(当たり前か)。
家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。
近隣の人の援助もあったらしい。
それはちょっとできるかどうかわからない。
でもぼくらにはインターネットというツールがある。
レゴ作って2chにスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり
自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画がYoutubeで何万再生もされたり
「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり
要するに「好き」とか「やってみた」とかの
ということは
そういうしょーもないアイディアが収益化する可能性があるのだ。
ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。
社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。
誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。
心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。
外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど
ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。
とりあえずヒマならその家に集まってみて
生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。
なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら
そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる
(ぼくもいくつかアイディアがある)
奇しくもこの考え方は
楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。
しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所
(SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)
これができるだけでも意味はあると思う。
もうだから早く家借りよう。
とりあえず、ツイッターかmixiかメールかなんでもいいから連絡をください。
http://twitter.com/yukkun1986/
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi
breed0902@gmail.com
(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。
たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。
怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。
別に住まんでもいいのよ家には
慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。
もう疲れた。
もう待てない。
もう泣きたくない。
誰かが泣くのも見たくない。
きみは死ぬな。
それでも生きれるようにしたいのよ。
ぼくもきみも。
これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。
コメントに返事を書く!
なげーよ。
ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。
短く的確に書ければいいなと思います。
書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます。
誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰/自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる
元々いい感情は持ってなかったけど、何よりがっかりしたのは保身に走ったところなんだよね。
もし裁判中に「著作権なんてくだらねーぜ!」って叫びながらアート活動はじめて取り押さえられるような人物だったら、俺は手のひら返して拍手喝さいしてた。
わかる。すごくよくわかる。私は高校中退してるんで更に低学歴。
中卒としては、大卒の人は知性にあふれていて欲しいんだけどね。
こっちは高校も卒業してないから、基礎的な教養すら持っていないというコンプレックスはかなりある。
自分より高学歴の人間と話していて、悪い意味でボキャブラリーの違いを感じると、かなりがっかりするのよ。そっち大学行っててどうして分からんのよ、と。(本来の意味でのFラン大学出身とかならまだしもさー)
http://anond.hatelabo.jp/20110728145323にある
・相対的
・既視感
・盲信
・懐疑的
これらが通じない大卒ってなんなの?
実際このなかの数個が通じなくて会話の中で説明したことあるんだけど大学でなにしてたの?
(抜かしたやつは意味を知りませんでした。中卒なので勘弁してください)
うちの妻は、男の視線が気になって仕方が無いそうです。電車の中で若い男にチラチラ見られたり、すれ違いざまにちらっと顔を見ていったりすることが度々あるそうです。一緒に外を歩いていると「今の人また見ていった、顔に鼻クソついてない?」とか、帰宅後の会話の中で「今日もジロジロみられた、鼻クソでもついてたんかな?」なんて話がよく出ます。ちなみに妻は超絶美人っていうわけでもなく、色白ではあるけれど笑顔が可愛い程度の20代後半の普通のタレ目女です。妻には「パっと見可愛いから見ちゃうんだよ、でも、近づいたらそれほどでもなくてがっかりしてるんじゃないか?」って言っておだてていますが、本当はそれは嘘です。実際は「年頃の女が視界に入ると、とりあえず見る、その女の容姿に関係なく」という性質が大抵の男にはあるだけ。とにかく男は女を見るけど、女が別段美女とか可愛いとかいうわけではない、ということ。
しょっちゅう男の視線を感じるからといって自分が何か特別な存在であるわけじゃないんだということに28年も女やっていてもまだ気が付かないものかね、女って。だから女は自意識過剰だなっておもわれる。
逆だ
自分がおっさんになればなるほど(相手との年齢差ができるほど)
単に若いってだけで「可愛い」の枠が広がる
自分が今よりも10若かったら「ビッチ」と蔑んでいた相手もちょっと若さ余った馬鹿で可愛いになるし
更に今よりも15若かったら「ブサイク」に分類していた顔でも充分可愛く見える
20若い頃には脱いだら全然魅力がなくて萎えたようなスタイルですら
成熟しきってない若い子はこれくらいの魅力のなさで十二分、むしろそれが素晴らしく見える
相手が金目当てだろうと、40のおっさんなんだからそんな事当たり前だ
40のおっさんについていくJKにそれ以外の目的があると思うか?
金目当てではなく遊び目的の40のおっさんについていくJKなんて「いい女」の訳がない
問題は、それを鼻で笑ったり他の男に悪口として言わないような相手を選ぶ事
自分が買われている、と思わず、相手を憐れんだりさげすんだりする
そう思いあがらず、口にしない相手の条件はおのずと分かるだろう?
がっかりするな
妥協ではなく本気で、今よりもレベルが格段に低い相手に若いと言うだけで魅力を感じるのが中年だし
今よりも若かったら、なんて無駄な思いは捨てろ
昔々、あるところにソープ嬢がいました。
たくさんの男たちに
「僕の恋人になってください」
と声をかけられました。
すると彼女は決まって、
「わたし、ソープ嬢だけど、それでもいいの」
と言うのでした。
本当に、わたしのことが好きなら、
その言葉に、男たちは驚いて、
彼と彼女は、とても楽しくおしゃべりして、
彼は、他の男たちと同じように、
「僕の恋人になってください」
「わたし、ソープ嬢だけど、それでもいいの」
と答えました。
はっきりと
「そんなの関係ないよ」
と言いました。
そして二人は恋人になりました。
ある日、二人で楽しく過ごして、
「彼は、わたしが身体を売っていることについて、何も言わない」
「わたしが他の男と何をしてても、平気なのかしら」
「それって本当に、わたしのことを愛しているのかしら」
それから、彼女は不安で不安で、たまらない日々をすごしました。
本当に、彼が自分のことを好きなのかどうか。
彼が笑って許すたびに、彼女は安心して、
そしてさらに不安は深まっていくのでした。
たくさんお金をくれるお客さんと、特別なデートをした話を彼にした次の日、
彼はとても悲しそうな顔で、別れを切り出しました。
彼女は思いました。
「ほら、やっぱり彼は、わたしのことを本当に愛してなんかいなかったんだ」
おわり
メルトスルーについて政府が認めたことについて、現状や今後を含めて状況を全く報道しない糞メディアにはがっかりした。
爆破弁♪の頃はものすごい騒いでいたのに、最近は福島第一原発の所長さんを英雄視する茶番劇が堂々と放送されている。
例えば "汚染された地域に早く戻れるように・・・・・・" と自治体の長がテレビで主張したりするんだが、
気持ちはわかるけど、移住レベルに汚染されているところもあって、今の世代は諦めなければならないはずなのに、
政府もごにょごにょだし、糞メディアは悲劇をネタに不可能なことを応援したりする。
メルトスルーの件だって朝から晩まで特番組んで流すネタなんだが、そんなことをする局は無く、話題にさえも触れない始末。
誰も体験したことのない未知のレベルに入っているのはわかるが、わからないから報道しないのはいつもの糞メディアらしくない。
学者先生も姿をくらましたし、まぁヤバすぎて話せないのかもしれないが、無責任だわなぁ。
5/23
ただ、そのおかげでえっち出来た。雨降って地固まる。
5/27
眠気がキツイらしくいちゃいちゃさせてもらえず、明日からいなくなるのになぁ〜と残念に思う。
途中仕事が無かった時代の話をされたが、正直イミフな理由できれていた
ってかなんの話なのかも論点見えず
帰りがけに早く起きろと頭はたかれてムカついた
なんの理由でもはたかれるのはムカつく
5/28
説明不足のメールに、説明を求めるメールして、メール帰ってこないと正直だるい
ってか全体的に、話のポイントが伝わってこない
聞き方の問題だけじゃないと思う。
5/29
これは俺だからなのか、今までもそうだったのか。
そうなら彼氏達かわいそうだなぁ
今週は浮き沈み激しかった。
結局、彼女が伝えたい事を分かってあげられないのがなんだかなぁの原因
正直、伝える方の問題が大きいと感じる
優しいけど、思いやりが無い。
それが彼女を表してる。
ただ、きっと僕向けのペルソナなんだろうな
オレは1年ほど前、数分先の自分自身を見ることができるようになった。
平凡なサラリーマンのオレの、なんの未来もない人生が、これから劇的に変わるんだと思った。
しばらくして、この力がほとんど意味のないものだということに気がついた。
オレは落胆した。
この力は一体なんのためにあるのだと、途方に暮れた。
どうしてもこの力を有効活用したかったオレは必死に考え、ひとつの使い道を思いついた。
試しに近くのくじ売り場へ行った。
くじを買ったら、1000円だけ当たった。
正解だった。スピードくじならぎりぎり間に合うようだ。
オレはグーを出したら負け、パーを出したら勝ちというルールを決めた。
その日から、くじ売り場の前を歩いて自分の姿を確認するのが日課になった。
スピードくじなんて滅多に当たらない。
ほとんどのオレはグーを出していた。
1ヶ月で1万円程度の儲け、たかだか小遣いが少し増える程度だった。
それでも、オレは満足して日課を続けていた。
最近、この力に異変が訪れた。
オレの前を歩くオレの拳が、握られていることに気づいたんだ。
自分の手を確認するが、開いている。
いや、それどころか、よく考えたらオレは負けたときの合図なんて出したことがない。
不気味に思いながらも、オレはその男を追って歩くしかなかった。
オレの拳は、かたく握られていた。
このエントリーは三つに分けて考える必要がある
特にアニメが好きでもなく、知識があるわけでもないのに
畑違いの自身の知識だけで中身がないと断じてしまうのは、あまりにも幼稚だ
自分はお涙ちょうだいのドラマや惚れた腫れたの話が好きではないが
そうした話に感動する人もいる、場合によっては人生観が変わる人もいる
それを否定しないし、尊重する
自分が気にもとめない作品でも影で制作者の血のにじむような頑張りもあっただろう
あの作品は中身がない薄っぺらだ、あんな作品で感動する奴はたかが知れていると言ったらどうだろうか
さらに言えば
まどマギのようなオタク向けの作品以外でこうした論評を下しただろうか
このエントリーからはオタクに対して潜在的に見下しているものを感じる
最後に三つ目この人自身に対してだ
登場人物に感情移入できず、ストーリーもご都合主義のてんこもりで
うすっぺらに感じただけだった
それとも自分の感度が低すぎるのかなと書いてあるが
追記で謝罪するぐらいだから
お前の感度はクソ低いよバーカ