はてなキーワード: 青春とは
男女ほぼ同数(女性やや多め)だったがやっぱ女子大生くらいだとちょうどいい年ごろなので姫状態。
複数女性いたけど全員がサークル内の男子に告白したりされたりでつき合いだして
女性側がわりと主導権握ってたので荒れなかった。
付き合いだすと一組ずつクリスマスカラオケに顔出さなかったりするようになるのでわかる。
そんであんまりがっついてなくてくっついたりはなれたりが頻繁でない感じで居心地よかった。
おかんみたいな頼もしい女性(鬼部長2年)も卒業後〇〇くんとつきあってたし結婚するわみたいな感じでネタ晴らしがきてなんかすごい安心感あった。
ええとたしかうちがサークル内結婚の5組目で部長と婚約者っつかOBに結婚式の司会をしてもらったあとそちらが6組目になった。ありがとう部長。
今、JAMESONというウイスキーを飲んでいる。このボトルは今年3月あたりに買ったもので、購入当初はよく飲んでいたが、6月辺りから完全に放置していた。アルコールが飛んで香りや味が変わってしまう事をおそれ、久々に飲んでみることにした。
グラスに注いで香りをかいでみると、何故かふわりと懐かしい香りがして、今年春の思い出が強く蘇った。暖かくなってきた春の陽気の日、先輩の下宿でこの酒を飲み、結局オールして、肌寒い朝に始発で家に帰った思い出。半年前の出来事なのに、それがまるで遠い青春のように懐かしく、強く思い出したのだ。
調べてみると、香りと記憶は強く結びついているらしい。ということは、ある一定期間同じボトルを飲み続けたら、その頃の思い出とウイスキーの香りを結びつけることができるのではないか。このとき、「ウイスキー思い出保存法」のコンセプトが誕生したのである。
「ウイスキー思い出保存法」の手法は至極簡単だ。何か思い出深いイベントがあったとき、適当なウイスキーのボトルを選んで飲むのである。大学サークルの合宿期間中、単位を落として絶望する夜、好きなあの子のSNSを偶然見つけて脳が破壊された時...。そんなときに適当なボトルを一本選んで、香りを味わい脳に思い出を定着させる。
あるボトルを飲み続けた期間が、そのまま思い出として記録される。例えば、1月から3月にかけて飲んだボトルであれば、その期間の思い出が記録されることになる。飲み方は何でも良いが、香りを強く感じる飲み方が望ましい。ストレートかトワイスアップがベストだ。
注意としては、最低でも1ヶ月は同じボトルを飲み続け、飲み方は極力変えないこと。これは、香りと思い出を結びつけるために重要だ。また、思い出を定着させたい期間が終わってから半年は、そのボトルを飲まないこと。間を開けないと、保存した思い出に別の記憶が混ざってしまう。あと、思い出を保存するボトルは、簡単に手に入るものがよい。レアなボトルに保存すると、せっかく保存した思い出を簡単に思い出せないくなる。
思い出の保存が済んだら、あとは好きな時に保存したボトルを味わえば良い。きっと大切な思い出が、あなたの脳裏にまるで津波のように押し寄せることだろう。
ちなみに、思い出を懐かしむ手段として音楽もよく使われる。とある曲をヘビロテしながら「ウイスキー思い出保存法」を実施すれば、より強く思い出を保存できるかもしれない。
このやり方は他の酒や飲み物でも応用できると思う。是非お試しあれ。
・露悪趣味
そしてなにより中学~高校くらいまでの年頃の女子への異常な執着がオタクの未熟さを表している
青春時代にまともに女子と恋愛できなかったからいつまでも精神が中学生のまま
中学生である作品に出会い、雷に打たれてオタクになった。人生で1番感動したのも、爆笑したのもその作品。キャラクターに魅力があって、四六時中その作品のことを考えていたと言っても過言じゃない。痛い腐女子だったと思う。でも自分にとってのすべてだった。
私が社会人になっても連載は続いていた。けれど、私は激務だったのでオタクをやるヒマを失っていた。そのままひいひい働いていたら、気づいたら作品が完結していた。
最近やっと仕事を辞めて、時間が出来たから漫画を最初から読み返した。映画も全部見た。変わらず熱く、魅力的で、面白かった。だけど、もうこの作者が新しい作品を描いたとしても、昔のようには楽しめないかなとも思った。
キャラクターは魅力的だ。だけど、身近な女性キャラは判で押したようにほぼ全員美人だ。そして腕っ節も気も強いけど、(「ビッチ」と呼ばれたりするにもかかわらず)恋愛経験は少なくていざとなれば赤面する。いわゆる『オカマ』がステレオタイプに描かれていたり、オチに使われる。ブスはたいてい性格も悪い勘違い女で、性格の良い子は美しく描かれる。特定のキャラの胸について何度も言及する。オカマオチ、ブスオチが多すぎる。これは現代ではもう通用しないんじゃないかと思う。
もちろん、作者の次の作品が価値観をガッツリアップデートされてる可能性もあるんだけど……なんだかモヤモヤした気持ちが消えなくて、増田を書いた。中学の時は周りにガンガン勧めていたし、今読み返しても私は面白いけど、周りに「面白いから読んで!」と言えるような作品ではないと思った。
20代後半になってもティーン・エイジャーのキャラクターばかり好きになって、物語の中の思春期たちの青春を追いかけてばかりの私には、貴方が眩しくてなりません。
友人たちはみな、年をとるにつれて推しキャラの年齢は上がっていき、作品も大人びたものになりました。
私は未だに(見た目)10代の男の子、女の子ばかりを追い求めています。
どうか幸せになってください
恋をした夜はすべでがうまくいきそうで~
ぶっちぎりでダブチ!
江口洋介です。
あのさ、
ピクミンブルームのおつかいが魁け男塾名物直進行進だと聞いて私も張り切ってゲームを始めてみたの。
って言っても、
今までの位置ゲーってあんまりまったくぜんぜんほとんどと言っていいほど興味が無く食指が沸かなかったんだけど、
小学生とかと対戦したら、
対峙するポケモン弱点を狙って瞬殺される情け容赦ないさ加減が私まるでのけもんみたいでちょっと苦手なんだけど、
なんかお花を咲かす争いの無い平和そうな位置ゲーなら楽しそうかなーって
私にピッタリじゃない?
だから私もビッグウェーブさんがアップルの店頭に並ぶかのようにビッグウェーブに乗るかの如く遊び始めてみたの。
襟裳岬にはなにもないところですばりに
私の住んでるところも何もないから
周りは一面お花畑だったわよ。
もうやっぱりみんなビッグウェーブに乗るかの如く魁け男塾名物直進行進をやっていたのね!
私も早速レヴェル6になったのでピクミンをおつかいに出せるようになってベルギーまでさすがに鬼だからそこまではおつかい出さないけど、
さっきから様子を見ているんだけど、
道なき道を直進していく様子はまさに
何この男塾!
私も男塾読んだこと無かったけどこれは魁け!男塾を全巻マンガバンクで読まなくちゃ!ってなんぼのもんじゃーいって思ったわ!
いつも持ち歩かない携帯電話を持ち歩く習慣で歩数を稼いで楽しんでみたいわ。
温かく見守りたいわ。
そんでさー
ゲームとかやり出すと
最新の速いスマホが欲しくなるのよね。
私のスマホじゃなんだかカクカクしてピクミンがよく動かないのよね。
まあとにかく、
襟裳岬には何もないところだけど、
汚れちまーた悲しみに~
そこ歌詞知らないのかよ!って。
可愛いピクミンのピクミンブルームが男塾名物直進行進ゲームにならないようにしなくちゃね。
うふふ。
ホッツコーヒーももうコールドからホッツにすっかり変わったこのもう冬なのかしらね季節。
腰痛くて1日10000歩歩けなかったんだけど
せっかく歩数を稼ぐ遊びで楽しそうだから
また1日1万歩あるくわ!
フレーバーなしのホッツストレートもまたよし!ってことかしらね。
手抜きでは無いんだかんね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
中学生の娘に、なんかいい本ない?って聞かれたんだけど恥ずかしながら青春ものをあんまり読んだことがないので読書家なはてなーの皆様のアドバイス求む
ベタに「ぼくらの七日間戦争」を勧めてみたら、おもしろいけどちょっと古い感じがするって言われたのでなるべく最近の新しいやつがいいのかもしれない
「屋上のウインドノーツ」「武士道シックスティーン」が面白かったと言ってるのでそれに近い方向のものがあれば
どうかお願いします…!
私にとって今回の結婚で一番大事なのは、「こちらに性欲発散が向かない」ということです
よく人間の3大欲求は食欲睡眠欲性欲って言うけどこれは日本での主張、もっと言えば、日本男児の言い分にすぎない
マズローもブッダもそうだけど、男性の欲求には性欲割合が高いけど、女性からしたら性欲の優先順位はかなり低い
マズローに当てはめると、性欲より承認欲求や所属と愛の欲求の方が女性にとっては大事だったりする
この男女の差はテストステロンの量によるものだから、良い、悪いを言うつもりはない
ただ、この事実から目を背けて、不特定多数と気軽に関係を持つ女性や風俗で働く女性のことを挙げる男性がいるのが残念
性欲の解消は求めてない
重ねて言うが、性欲にかける情熱の差をとやかく言うつもりはない
ただ、付き合わされるのが心底面倒で結婚を避けてきた
夫には彼氏がいる
結婚後も付き合いを継続して良いし、何なら新しい彼氏と付き合っても良い
複数と付き合うのはトラブルの元になるから基本はやめて欲しいが、上手くやってくれればいい
家庭に持ち込まないでねというスタンスをとっている
愛と性欲は別物
そりゃ10代の頃は、愛が全て!!!みたいな恋愛もしたことある
良い青春だった
Twitterをみていたら、高校時代によく遊んでいた友達グループの5人が、なんとなく同じくらいのタイミングで帰省を企図している雰囲気があった。
こんな機会を捉えなきゃ、たぶん二度と会わずに死ぬことになるよな、と思ったので、俺はあまり社交的なタイプではないんだが、エイヤっとばかりにみんなに声をかけてみた。「今度集まらない?」
意外とみんな乗り気で、なんと5人とも集まることになった。
場所は、森だ。町のハズレに神社があって、境内が鬱蒼としているので、なんとなくみんな「森」と呼んでいた。神主が常駐する感じでもなく、参拝客は全然おらず、人気がないのがよくて、ときどきみんなで行っていた。
青春の思い出に浸ろうぜ、っていうことだ。
当日、森にきた俺たちを出迎えたのは、ゲロだった。
ゲロが吐かれていた。
森はゲロでいっぱいだった、というと言い過ぎだが、まあ目立つ位置に、イヤな感じにそれはあった。
俺たちは集まった。久しぶりに集まった。
集まれどーー
汚物の、森だった。
結構本当にショックだ
殺人事件が起きてモテる主人公が色々な美人な女性と出会って解決するって感じで
トリックなんて本当に大したことないし犯人も何作も読んでたらこの人だろうなと気づくくらい
ワンパターンなんだけど
ファンだった人はそんなところどうでも良かったと思う
顔は平均以上、コミュ力も高い。小学校では、成績上位で友達も多い。
中学受験して、御三家の次ぐらいに入る。早慶の附属に入ってストレートでもいい。
東大とか医学部とかはいかんでいいので、勉強中心じゃなくていい。
大2までは青春エンジョイして、髪を黒くて就活。持ち前の愛嬌とコミュ力で内定ゲット。
就活終わったらまた大学生活。単位も取り終わってるだろうから好きなことしまくる。
学生時代か社会人なりたてで見つけた、エリートサラリーマンと結婚。相手の親は、首都圏住みの良家。でも姑はうるさくない。
そして寿退社して、子供生んで、専業主婦へ。なんかあったら、互いの両親に援助してもらう。
親の近所のマンションを買っているので、面倒な時は親に見てもらう。
2018年の終わり、狂ったように映画館に通っていた。といっても4、5回おな映画を見たくらいだ。
ボヘミアンラプソディは、その年の4月のTOKIOショックの傷も生々しかった心に、グサグサと刺さった。あ
ディーキーは、フレディのいないQueenはQueenじゃない、とバンドを離れた。ブライアンとロジャーは、ファンのためにQueenを続けることを選んだ。どっちも間違ってない。でもどちらの道も苦しい。おこがましく世界的なバンドと比べ、TOKIOはどっちなんだろう?そんなことばかり考えていた。
解散を選んだV6も、名前を残すことにこだわったTOKIOも。根っこにあるグループへの愛情はきっとおんなじだ。
長瀬くんの脱退が近付いた3月に、大切なお知らせメールが届いた。全く何の予感もなかったけど、メールの文章の硬さから、ろくでもない内容であるのは察知できた。でもV6で?最近の活動も順調そのものなのに?いったいなに?解散の二文字を見て、お知らせメールの堅苦しさには合点がいったけど。
もう帰りの電車でこういうダメージ受けるのつらい、ほんと。山口くんのときもそうだったわ。仕事帰りに呆然としてね。
ただ、妙な慣れみたいなものがあったのも確かだ。一度、自分にとって完璧で大好きだったTOKIOが壊れた経験があったから。
むしろ、ああこれでバランスがとれる、と歪んだ安心感があったのを覚えている。
TOKIOとV6が好きだった。同期で先輩で後半で戦友な2組は、もはや自分のなかではニコイチの存在だった。
どちらも、20周年を過ぎてさらに輝きを増していった。「此処から」の歌詞のように、きっとこれからも永遠に続いていって、2組揃って私の人生に彩りを添えてくれるんだと、勝手に信じ切っていた。
あの時の衝撃やつらさは前にも書いたので繰り返さない。
TOKIOが宙ぶらりんな状態のまま25周年を終えてしまったのに反して、V6の活動は順風満帆だった。その落差というか温度差が、激し過ぎてカケモにはつらかったまじで。勤続25年を謳われたときが一番悲しかったかもしれない。せっかく提供されるV6のコンテンツを、正直全く楽しめていなかった。音楽番組は録画したまま放置、CDやDVDが出れば買いはしたけど、開封もせず積み重ねていた。V6だけがいてTOKIOのいない音楽番組なんて。TOKIOの新しいCDはもう出ないのに…。そんなことばかり考えていた。知らねえよ、って言いたくなりそうな、ほんとにくだらないファンの感情だけど。
だからだろう、V6が終わると聞かされて、ああもう、そんなふうに感じずに済む、とどこかほっとしたのだ。
解散そのものはもちろん悲しい。ただ、3年前のショックを引きずっていた身には、解散という出来事が大き過ぎて、受け入れきれていなかった気がする。麻痺していたというか。
解散を伝えるFCの動画も、つい最近みた。10月中旬 見るのが怖かったというか、エネルギーが必要だったというか。もう、自分にとって最後のコンサートも見終わってしまったというのに。
見なければ現実にならないとでも感じていたのかわからないが、締め切りに追われるように、ようやく再生したのだった。
思ったより長くて、強いて明るく、前向きにしようとしているのがまたつらかった。
雨とか、すごい作品だったのに。こんなこともできる、まだまだ可能性に満ちているのに、なんで終わるの?コンサートも同じだった。
2017年以来、4年ぶりのコンサートは、やっぱり幸せな空間だった。何度でも繰り返し見たいと思った。今回、一公演入れただけでもラッキーだったんだろうけど。
MCはいつも通りのゆるい会話で、これがラストツーなんて嘘でしょ、と言いたくなるくらいで。それでもやっぱりこのコンサートは、お別れの挨拶なのだった。
トニカミVそれぞれの歴代曲と、バリバリの最新曲の組み合わせ。最新シングルさえ外した潔さに、「今」のV6のすべてを見せ切るのだという強い意志を感じるセットリストだと思った。overが一番心にきたかもしれない。それと、コンサートで披露された新曲、目を閉じれば。号泣したけどシールドで涙が拭えなくて、それはもうひどい顔だっただろう。
悲しかったけど、やっぱりコンサートは最高だと実感し、でももうこんな現場はないのだと思うと落ち込む。そんなごちゃ混ぜの感情を抱えて、また一月過ごし、先日ようやく、落ち着いてV6の、音楽に触れることができた。
Mステの160回振り返りのおかげだ。
TOKIOとの絡みをたっぷり見せてくれた。そうそうこういうかんじ。こんな2組が好きだったんだ。さらに昔のMステを振り返ってみた。あらこんなに素敵だったかしらこの人たち。新鮮な気持ちで見入った。ほったらかしだったCD類にも手をつけてみた。初回AB通常盤と3つ、梱包されたまま置いてあったのには驚いた。それくらい、なんというかTOKIOとの格差にダメージを受けていたんだろう。
コンサート前に一夜漬けで見たのとは違う、落ち着いて、平和な気持ちで、ああこの人達素敵だな、と感じることができた。ようやくだ。
そうだ、V6は最高なんだよ。わたし、大好きだったんだよ。この格好良いひとたちのこと。6人でいるときのゆるい空気感が。
少しだけ希望を持てるのは、今のTOKIOが新しい道で輝いていてくれることだ。何より楽しそうだ。そして、何気なくTOKIOは5人なことを伝えてくれる。先行き不透明で不安だらけでもやもやしていたころよりずっと楽だ。
長瀬くんはマイペースに楽しそうだし、山口くんは、元気でいてくれさえすればいい。
まだまだ、新しい可能性があることを感じさせてくれた株式会社。だから、事務所に残るV6の5人も、また違う輝きを見せてくれるのではないかとおもってしまう。5人と6人が一番なのはもちろんなんだけど、それはそれとして、可能な範囲でまた新しい夢を見せてくれそうな。
自分にとっての青春の本当の終わりだとか、メンバーのキャリアチェンジのラストチャンスとか、同年代だから思うこともある。彼らの動向は、社会的には私に何の影響はないもない、衣食住にも仕事にも。でも、こんなにも動揺するんだ。いい歳してアイドルの動向にここまで影響されるなんて馬鹿げてるかもしれないけど、こんなに好きになれる存在があったのも幸せなことかもしれない。
とにかくみんな元気でいて。それだけはお願い。
ラストスパートでものすごく忙しそうだから、ありがたいけど体調も気になる。特に健くんは、オーラス後にラジオ生放送と、最後の最後までファンに寄り添う姿勢を見せてくれる。どこまでもファン目線に立った彼の気遣いはすごい。解散報告動画で涙ぐんで見えたのは、自分が辛いからではなく、解散を知らされる方の感情に同化していたんじゃないだろうか。優しい。本当に最後の最後まで、アイドルの鑑だ。
ある日突然の終わりと、別れを惜しむ時間があるのと。どっちも結局つらいよね。
今も、納得と拒絶の間でぐらぐら感情は揺れている。それでも日々は容赦なく流れて、年末新年とあっという間に過ぎていくだろう。
だけど、そういう呼び方はどうも馴染まない。
彼女は、僕らが小学生の頃から知り合っていたと主張していたが、その頃の僕は彼女をあくまでも集団の一部として捉えていた。
そういうわけで、僕が初めて彼女のことを個として認識したのは高校一年生の時だった。
彼女とは、ある授業がきっかけで近しい関係となった。その授業は、どこの学校にでもあるような、他の人と相談しながら進行する授業。
そうは言っても、彼女と積極的に話し合うことで親交を深めたというわけではない。まずもって、彼女はカモクなのだ。
僕と彼女のコミュニケーションは、会話というよりは問答に近かった。それでも、授業を通して彼女に一歩近づける、それだけで彼女の魅力を知るには十分だった。
後に続く彼女との関係の基礎はこの時期に形成された。一年間にわたる彼女とのささやかな交わりを経て、僕は彼女のことを意識するようになった。
しかしながら、その後1年にわたって、彼女との関係は進展しなかった。
高校2年生という期間は、他の生徒にとってもそうであるように、高校生活の中でもとりわけ忙しい時期だ。
授業のような特別な機会が与えられなければ、彼女を顧みることさえ忘れてしまうほどに。
高校3年になって再び出会った彼女は、少しばかり気難しくなっていた。それは、1年間彼女に見向きもしなかった僕に対するささやかな反抗であるようにも感じられた。
僕らは1年に渡るブランクを埋め合わせるために、2人で過ごせる時間と場所を求めていたが、快適な居場所は多くはなかった。
学校には僕らの関係を冷やかすような人間はいなかったが、それでもやはり居心地が悪かった。また、駅前の喫茶店などといった場所では、僕らのような客が長居すること自体が歓迎されていなかったし、僕としても周りの目があると純然たる彼女との時間に集中できなかった。
そういった理由から、必然的に彼女との時間は僕の部屋で過ごすことが多くなった。親も僕が彼女を引き連れて自室に籠っていることを容認していたし、ともすれば応援していたように思う。僕らの関係は親にとっても都合のいいものだった。
彼女と長い時間をかけて向き合うと、段々と彼女の心の内が見えてきた。
例えば、彼女はムキになると素っ気ない態度を取るようになった。今になって考えると、彼女のそういった部分にも理解を示すべきだったのだが、当時の僕はそれができるほど賢くはなかった。
彼女の新たな魅力にも気づかされた。それは、彼女のユウキだった。僕が見向きもしなかった間に彼女が手に入れた新たな武器。それは僕にとって、彼女の全てのように感じられたし、それはまさしくCそのものだった。高校生という多感な時期に彼女と毎日のように向き合うことができたのも、彼女のそういった部分が僕の心を引き付けて離さなかったからだ。
高校3年の冬に、僕らは一度だけ同衾したことがあった。あの時は単純な好奇心から彼女をベッドに連れ込んだのだが、どうにもやる気が出なかったのでそのまま寝てしまった。僕らにとっては、机を挟んで向き合う方が遥かに適していたのだ。そういう観点から言えば、僕らの関係はどこまでもプラトニックだった。
それからほどなくして、僕らは高校を卒業して、そして同じ大学に通うことになった。
長い春休みが明けて久しぶりに彼女に会いに行くと、彼女はすっかり変わり果てていた。
知り尽くしているとさえ思っていた彼女はすっかり豹変してしまった。
大学に入ってからは、彼女の真意を読み解くことが途端に難しくなった。
彼女のことをより深く知るにつれて、以前にも増して彼女のことが分からなくなった。
僕は、高校時代のように彼女と真摯に向き合うことができなくなってしまった。
彼女と長い人生を共に歩んでいたら、自分がどうなっていたのか知る由もない。
彼女に関する記憶も日々薄れていくのだが、今日のような記念日には彼女のことを思い出す。
受験でお世話になった化学を恋人に見立てて恋愛話をでっちあげようと考えたけど、青春というものを一切知らないので上手くいきませんでした。