はてなキーワード: 掲示板とは
あるアイドルのヲタクをしてる。その界隈は結構狭くて、よくある有名な掲示板ではあのヲタクは夜職だとかブスだとかインスタのアカウントはどれだとか毎日のように悪口大会が行われている。そこに書かれるのは大概良席に何回も入ってる人たちで、多分書く人は僻みで書いてるんだと思う。最近そこに私が書かれた。SNSはやってないので私の見た目の特徴を挙げて○○のワンピース着てた人誰?みたいな感じで。すごく酷い言葉も書かれていた。自分はそういうところに書かれるタイプの人間では全くないと思っていたから結構ショックだった。会場内で私のことが見えてる時点で私よりも後列にいるということだから別に悔しくないけど、ショックだった。どうしてあんなに簡単に誰が言われても傷つくようなことが書けるのか。私が画面の向こう側の人にそこまでされる何をしたのか。ただ好きな人のファンをやってただけなのに。こんなことで落ち込むなんてヲタク向いてないんだろうな。
あるジャンルについての情報をまとめていただけのサイトだったが、
いわゆるまとめサイトではなく、個人の日記の延長のようなものだった。
情報まとめを主とする方向へ舵を切ってからは、意外と多くの人に見てもらえていたらしい。
どうやら私個人に対して恨みがあるわけではなく、ジャンルそのものに対するアンチらしかった。
併設していた簡素な掲示板が荒らされ、迷惑かつ不快ではあったが、それだけのことだった。
それから少し間をおいて、私が現実世界で激しいショックを受ける出来事が起きた。
詳細は控えるが、「恋人に振られた」とか「10年来の友人と絶交した」とか、そういう類の、
当時の私はひどく落ち込み、実際丸1日寝込んだ。
この件で人間不信になった私は、急に荒らしのことが怖くなった。
いや、正確には、怖くなったのは荒らしではなく、「荒らしではない人たち」の方だった。
今好意的に接してくれている彼ら彼女らが、今後も荒らしにならない保証があろうか、いやない。
引きこもりと化し暇を持て余していた私は、サイト閉鎖に対する反響をエゴサし始めた。
そもそも人の多いジャンルではないので、反応はあまり多くなかったが、「荒らしに屈した」との見方が大勢だった。
そしてその多くが、サイトを閉鎖に追い込んだ荒らしへの激しい呪詛を呟いていた。
まったく証拠の無いことで、これほどまでに強い言葉を他人に投げつけることができるのか。
人間は、やはり怖い。
それ以来エゴサはしていない。
数年間更新を続けたサイトと、その閲覧者との交流の場を失った私。
みんなが不幸になった。
この話はここでおしまい。
私は、20代後半の会社員です。最近、20歳大学生の彼女ができました。
半年ほど前、レズビアンの出会い専用掲示板にあった書き込みに、私が応募したことが出会いのきっかけです。
待ち合わせ場所に行くと、アイドルのような美少女がいて、「何かの罠かな?」と思いました。募集文には、「20代前半の女性です。食事をして、気が合えば肉体関係を持てる女性を探しています」と記載されていたので、てっきり少し歳下の社会人女性が来ると思い込んでいたのです。
私は歳上女性としか付き合ったことがなく、10近く歳下の女の子に手を出す気はなかったので、食事だけして帰ることにしました。ところが食事中に、「今日は地方から遊びに来ていて、泊まる場所を決めていないんです」と打ち明けられたのです。幼ささえ面影に残る女性を、都会の真ん中に放り出せないと思い、ホテルを探して2人で入ることにしました。
部屋に入り、雑談が終わり、「私は帰りますね」と立ち上がると、彼女は「帰らないでください…」と私の袖を引きました。
行為の後、ベットで彼女を抱きしめていると、さまざまな話をしてくれました。男性経験はあるが、行為を好きになれなかったこと。女性を好きではないかと思い始め、セックスをしてみたかったこと。私がはじめての女性であること、まだ恋というものをしたことがないこと…。
翌日、連絡先を交換して、次の約束もしないまま別れました。
これが、彼女との出会いでした。その後も、会って肉体関係を持つことを、何度か続けることになります。
お泊りデートの別れ際、彼女がぼろぼろ泣き始めたのです。びっくりした私が理由を問いただしても、彼女自身も涙が出てくる理由がわからないようでした。
次に会った時は、ホテルの部屋に入った瞬間に泣き始めました。「私は、人は恋をすると、涙が出てくるんだと思います」と伝えると、彼女は「あなたが好きです…」と応えました。
交際を始めるにあたり、私には決めたことがあります。それは、彼女をなるべく自由にすることです。社会人と学生では、圧倒的に人生経験が違います。彼女を束縛することなく、様々な出会いと経験をしてもらい、その上で私を選び続けて欲しいと思ったのです。
ですから、「男性とも、女性とも、他の方とも付き合っていいよ」と彼女には伝えていました。
昨日のことです。2人でお茶を飲んでいると、彼女に「そういえば、先週おじさんとセックスをしたんです」と屈託なく伝えられました。
私は、全身の血の気が引くのがわかりました。震える手を抑え、「大人として、自分はどう振る舞うべきか」を必死で考えました。彼女は続けて、相手の男性が60歳近いこと、性行為の後に5万円を受け取ったこと、行為が気持ちよくなかったこと、行為の後に交際を求められたことを無邪気に話してくれました。私は笑顔で聞き、相槌を打ち、そのまま別の話題に移っていきました。
その男性の存在は知っていました。時々会う、お小遣いをくれる男性がいると聞かされていたのです。でも、相手は紳士的で、肉体関係を求められることもないと。もちろんいい気持ちはしませんが、彼女に口出ししないようにしていました。それが、大人の振る舞いなんだと。
夜になり、彼女がいつものように私に甘えてきます。私はどうしても耐えきれなくなり、「もう、あなたとはセックスできないかもしれない」と伝えました。彼女は驚いたような顔をして私に縋り、「どうして。こんなにあなただけが好きなのに」と大声で泣き始めました。
その姿を見て、私の中にむくむくと嗜虐心が沸いてきました。「そんなにしたいなら、おじさんにどんなことされたのか全部教えて」と要求し、彼女がされたことを再度なぞっていきました。
キスをして、身体触り、性器を愛撫して…。挿入の話になると、私は彼女の身体を突き飛ばし、「それは、私にはできないことだよ…。もう服を着て帰って欲しい…」と伝えました。「わかりました…」と服を着ようとする彼女の腕を掴んで押し倒し、私は彼女に覆いかぶさって子どものように泣きました。「あなたが好きだから、私は泣くんだ!あなたが好きだから、受け入れられないんだ!」と叫びました。彼女が泣きながら私を抱きしめたので、絞り出すような声で「大人になりきれなくてごめんね…」と言いました。
私は、彼女が好きです。食べ物の好き嫌いが多いところも、大人びているところも、甘えたなところも、少し高い声も、いわゆる毒親から自立しようとしていることも、身支度に何時間もかけて私を待たせることも。何もかもが愛おしい。手を繋ぎ、微笑み、見つめ合い、愛をささやき、静かに語り合い、そんなふうに共に過ごす日々が好きでした。
彼女は、無垢で、経験がなく、悪気がなく、つまり子どもなんだと思います。そんな年代の子に、小金をチラつかせて自分の欲望を解消し、躊躇いなく交際を申し込める男性を、強く嫌悪します。
彼女は、いわゆるパパ活はもうしない。おじさんに連絡しないと誓いました。
本当にそうなんでしょうか?彼女は、また刺激と快楽と金銭を求めて、同じことをしないと言えるのでしょうか?私に告白しないだけでは?疑念はつきません。
それは、君を愛しているからです。早く、大人になってください。
でも、もしも、それまで私が待てなくても、許してください。
商業的には(出版・映画化・主題歌・グッズ展開)いいのかもしれないが、
作品の良さを見事に100日目に殺してくれたなぁと思う
結構ストーリー的にも良い印象を持っていたため、裏切られた感が強いのも事実。
余韻というか、感情的にはしばらく間が欲しいのよ。(49日とかね)
時期を逃すと売れなくなるかもと言うのは、商業的には正しいと思うし、スポンサードしてたら当然の懸念だとは思うけど
やっぱ作品の内容的には、一番やめて欲しい道だったわ
どっかの掲示板に、「まさに100日後に死んだよなあ」という意見にいたく共感した
いろんな考察(時系列・SNSの表示・交差点の謎)や感想が多かったが、かなりの割合で
「商業展開の急激展開に冷めたワ~」
の意見が多いこと。更に電通絡みが明らかになり、ますます冷めたという意見も多数。(自分もこれに該当)
更に、1週間前くらいに急に大手キー局の朝・夕の情報番組で「SNSで話題の漫画~」って取り上げられてたのは思い出すと草。
(確実に2社・2番組以上はあったぞ。新聞の番組欄でも載ってたからそれ以上かも。なぜ急に?とは思っていたが・・・)
以前の記事でTOEICに風評被害を与えてしまったものです。すみませんでした。
https://anond.hatelabo.jp/20200114020713
修士論文の執筆が全く進まず焦っておりましたが、先日、無事修了することができました。
また、研究賞をいただくことが出来ました。
記事を書いた当時、仲良くしてた人に嫌われるのが嫌だったからSNSに書くことも出来なかったし、
某掲示板に書くのも怖かったし、
どこかに誰にも言えずに溜め込んできた事を書きたかったんです。
現実で関わりあいの無い他人に見て欲しいって気持ちもあって...承認欲求が大きくて恥ずかしいですね。
たくさんの応援のコメントにびっくりしましたが、心が救われました。
社会人になるとすべて自己責任で、だんだんと他人から直接的に意見をもらう機会も減ってくるので、
なんとなく文章書くの下手だなって思ってたんですけど、再認識出来てよかったです。
みなさんありがとうございました。
コメントをくださった方に届いていると嬉しいです。
新型コロナの感染拡大で卒業式中止が相次ぐ中、3月頭にうちの大学も中止の決定を下した。学位授与も無くなり、学位記は郵送となる。
SNSでは同じように卒業式中止に嘆く声が多くあった。特に女子の悲しみは大きかった。
私も例に漏れず、知らせを受けた時はどうしようもないくらい悔しい気持ちになった。勢いに任せて天使にラブソングをの嘘字幕動画を作ったくらいだ。
7月に袴の予約会に足を運び、カタログを見たり試着したりして自分好みの着物を予約していた。高校生の頃から袴を着ることが夢だった私は当日が楽しみで仕方なかった。
髪の毛もヘアセットが出来るように伸ばした。
友人とも一緒に写真撮ろうねと約束していたし、友人の袴姿を見るのが楽しみだった。
しかし無くなってしまった。なんでどうしてと訴えたくても、元凶がウイルスでは怒鳴り散らそうがSNSで悔しさを訴えようが伝わらない。
長い髪は性に合わないので泣きながら2日後にヘアカットの予約を入れた。
次の日の朝にはレンタル業者にキャンセルの連絡を入れた。幸い私が予約したレンタル業者はキャンセル料なしの全額返金で、記念撮影のみのプランを検討しているとの事だった。
美容院に行き、卒業式が中止になってしまった事を伝えると「うわ〜やっぱり中止?残念やねぇ…」と言われた。
少し違和感を感じた。
Twitterでは「やって感染拡大したらどうしようも無い」「英断」「仕方ない」等ツイートされているのを見て心がモヤモヤした。
とある掲示板の卒業式中止に関するトピでは「まあ何十年か経ったらいい思い出になるよ」という書き込みを見つけ、今までモヤモヤしてた気持ちが一気にイライラへと変わった。
「残念だったね」「まあ仕方ないよ」「いつか良い思い出になる」等々、慰めのつもりでかけてる言葉なのは十分分かっている。分かってはいるが、そんな言葉で気持ちが落ち着くようなことでは無いのだ。少なくとも私の気持ちは落ち着かない。
この日の為に準備してきた事が全てパーになることは勿論、友人との最後になるかもしれない交流が無くなってしまったのだ。
確かに人生という長い目で見ればこんな事ほんの一瞬でしかないだろう。しかしこの瞬間は二度とないのだ。少なくとも私は一生悔しい思いをしながら生きるだろう。
部外者からの無責任な慰めの言葉にはいい加減鬱陶しさを感じている。
慰めで心が救われるならとっくの昔に救われている。しかしそれが効かないのが現状なのだ。
「それは残念だったね」と言ってウイルスが消えてくれたら良いかもしれない。卒業式が突如決行になったら喜ぶ。しかし所詮無責任な言葉でしかない。言っても十分な心の癒しにはならないし、ウイルスは感染を拡げるばかりだ。
今私が望むのは、そんな言葉をかける余裕があるのなら落ち着いてからでも卒業式を計画して晴れ姿を披露できるようにする事、それだけだ。
40手前。学生時代にホームページといふものの作り方を学び、今もweb業界というか広告業界というかにいる。
当時は掲示板作って、カウンタつけて、同盟に参加し、aboutページにパソコンスペックを載せ、flashでオープニング作てenterボタン押させるとかして。
在宅勤務によって家でパソコンに向かっていると当時のことを思い出してホームページといふものを作りたくなった。
初期のHTML5とかWordPress、jqueryまでで知識が停滞しているので最近の流行りはなんなのよと調べてみると、headless CMSとかvue.jsとかnext?nuxt?とか。もう訳わかんなくなってた。
なんかさ、個人のホームページといふものは、ブログでしか成り立たなくなったの?FrontPageとかdreamweaverとかで作ってFTPでアップして、apeで掲示板作って、キリ番でした報告もらうとか、ドキドキしながら相互リンク申請したりとかしたいんだけど。そういうインターネットはなくなってしまったの?
https://togetter.com/li/1479375
自分はオタで同人・商業でマンガ・イラストレーターとしてもやってる立場(緒方さんよりはずっと知名度もない立場)ですが、
この「作画崩壊」とか言わないで、という点については賛同できません。
ブコメで「クレーマー」とか言葉が使われているように、おそらくブコメでは勘違いしてる人も多いので「え?なんで冷たいの?」ってなってるんだと思います。
とか
「制作サイドを責めないで」と言いたくなる気持ちは分かるけど、作画崩壊等の「画面上で起きている事実を述べるだけの行為」まで制止したがるのはいかがなものかと思う
というブコメの人の立場に僕はまったくもって同意で、これこそまさに言論・表現・評論の自由の問題であり、そういうこと言わないでって言い出す方が本当にやばいことだと思います。
おそらく「え?なんで冷たいの?」みたいに思ってる人の中には、
個人がその作品を鑑賞して率直に思ったことをただ感想として個人のブログにあげたり、
SNSや掲示板等で書いたり、ニコ動やabemaのアニメ配信中のコメント欄で書くことと、
制作者に直接凸したり、「作り直せ」「金返せ」「しっかりきっちりしたものを作れ」的なことを「要求」するクレーム的な行為とを、ごっちゃにしてるんだと思います。
(実際、先述のように、クレーマーって言葉を使ってる人やそれにスターがついたり、なんとかしろと言ってるのは賛同できない、みたいなブコメもありスターを集めています)
「おもしろくなかったなぁ」「全然動いてないじゃん」とかの感想をつぶやいたりすることは、断じて「クレーム」じゃありません。
僕は幼い頃から自身体が弱く、よく体調を崩す上に、メンタルも弱く短い期間ですが通院歴もあるので、同人のあとがきに昔はよくそこらへんのことを(エクスキューズ的な雰囲気をだしつつ)書いてたりしてましたが、
(そして今は読者さんは興をそがれるだろうしもう書かなくなりました・・・特に僕が今描いてるのはエロが多いので、エロだとそういうのは余計萎える情報になりますし)
買ってくれた人はそういう制作者の事情はやっぱりあんまり関係なくて、5chとかSNSとかで「今回は(ペン入れすらされてない)下書き本かよ」みたいなことを言われても、事実なら仕方ないし、そういう感想を言う人がいるのが健全だと思います。
「今回体調が悪かったから、仕上げ処理(影つけ等々)やペン入れすらしてないラフの白い感じな本になったけど、白いとか言わないで」とは、作り手の矜持として、そして自由な評論が許される社会の一員として、僕はやっぱり言いたくない。
「体調悪いとか知らん、書き直せ!」「金返せ!」「こんなクソ本買わされたわどうしてくれるんだ!」「プロならちゃんと完成させろ」とか直接リプしてきたり凸とかならクレームですし、「こんなクソ作品作りやがって死ね!」とかならただの罵詈雑言ですが、
友達同士の会話やブログなりSNSなりのニコ動やabemaのコメント欄で、「動いてない」「作画崩壊してるなぁ」という「感想」すら言わないでってことを、作り手やそれに近しい立場や業界の人たちが言い出したら、創作というものにとって、本当にやばいことだと思います。
動いてなかったら「動いてない」って感想として言っていいと思うし、彩色されず納品されてそれが放送されたら、そこに触れることが自然ではないでしょうか。
邦画関係者が味噌汁で頑張ってるとかが過去にブクマで話題になった時のように、苦労してるからと言われても「おもしろくない」と思ったら「おもしろくない」ってみなさん言うでしょ?
ネットフリックスやAmazonプライムやdTVとかの見放題系だと、B級ですらないほとんど無名の低予算で学生の自主制作映画か!ってのもありますが、
予算が少なくてめっちゃスタッフが苦労して精一杯頑張ったとか、そこにどんな事情があろうが、そういう映画がしょぼい美術(セット)とかだったら、「しょぼいなぁ」って感想言いません?
「スタッフにこれこれこういうい事情があったので、今作についてしょぼいとか言わないでください」って言われたら、そうします?
「作画崩壊と言わないで」に賛成する方は、これから様々な製作者の背景にある苦労や状況に「配慮」して、作品への感想やつぶやきを言うべきと思ってるのでしょうか?
世の中には災害とかだけじゃなく、個人的な心身の不調やら、身内の不幸という場合もあります。
さらにはそうしたことがはっきりわかる情報である場合や、それとなくツイート等から「体調悪いのかな?」「なにかあったのかな?」とか感じ取れるような場合もあります。
そういう製作者の情報もちゃんと調べて、そして製作者の置かれている状況を推し量って、「作品」に感想を言うようにするべきですか?
ドラマやバラエティの演者が逮捕されたりして、制作スタッフにまったく落ち度ないけれど急遽その演者の出演部分を差し替えたり編集でどうにかすることになって、若干ストーリーやら番組の構成上のつながりが不自然になった場合、ドラマ・バラエティ制作者側が「不自然とかおかしいとか言わないでください。そういう言葉を使わないでください」って言ったらそうするべきですか?
よく「お気持ち」ってワードがブコメ等で使われたりしますが、そういう「お気持ち」に配慮して、自粛して、ある感想やワードを言ってはいけないような雰囲気を醸成することは、こういう創作物への自由な評論や感想を萎縮させる変な忖度となって、いい影響を与えません。
特別な災害だからみたいに災害が理由にされてるのが余計にやばいというか・・・実際災害だから仕方ないみたいなブコメもありますね。
でもこの問題は、感染の恐れのあるからという人の集まるイベントとかの自粛と違って、「個人個人が抱く作品への感想」についての自粛のお願いなんですよ?
ブコメで災害だから仕方ないみたいな立場が結構いて、ああ、まさにこういう災害だからみたいな雰囲気から表現や言論・評論の萎縮・自粛・自主規制は始まるんだなぁと、垣間見たような感にもなりました。
繰り返しと言うか念押しになりますが、僕が言いたいのは、人間に言葉を投げることと、作品について感想を言うことは違う、ということです。
作品の制作者に何言ってもいいとか、そういう話をしているわけではないです。
制作者に「最終話の作画ひどかったですね」「ひでー作画だったな」とか直接リプしたり公式に凸したり「作り直して」と要求することと、「最終話ひどい作画だなぁ」「ひでー作画だなぁ」「作り直してほしいなぁ」っていう感想をSNSやら実況コメント等で言うことは、まったく違うものと言うことです。
制作者側にとっては自分が制作したものを言われるのは、あたかも自分に言われたことのように・・・あるいはそれ以上に辛い・・・その気持ちは僕も非常に身にしみてわかっています。
ですが作品への感想についてこうやって自粛するようなことをお願いをすることは、それこそ日頃ブクマでもよく話題になる、言論・表現の自由の萎縮につながる行為につながりやすいですので、、一人の制作者側の人間として、僕は賛同できません。
あれがどうにも、単なる日本教育批判じゃなくて「学者という存在の空しさ」の悲痛な叫びにしか聞こえないんだ。
分からない人に説明すると、基本的に欧米だと文章というものは、研究論文の書き方に則って書かせられるらしい。
正直欧米とかのtwitterとか掲示板見ていると「~は糞!だから私は正しい!」みたいな文章ばっかなので、おそらく不勉強な人が多いのだと思うが。
対して日本だと、ちゃんと勉強している人は「起承転結が大切。文章は最初に印象深いモノから書き始め、意見・感情を書き、それを補強する自分の実体験と感じたことを書きましょう!他人の意見を書くと減点」
と教わる人が多いと思う。
最初は自分も馬鹿にしてた。「私がエビデンス」とか、個人的体験を普遍的な結論に持ち込めるわけないんだ。そんなのはバカの詭弁だ。愚民の為の考えだって。
大事なのは目的と、それを補強する数字に根差した判断材料、統計とか実験とか客観的な事実。そしてそれを結論につなげる論理。
でも違った。いくら学者が汗水垂らして地道に結論に辿りついても、
twitterで「友達が暴力にあった……日本ひどい;;」とか「コミケは係員しっかりしてるしすごい!でもオリンピックはダメ」とか
なんの根拠もないゴミみたいな「感情」で正しさが決まり、統計や論理より優先される社会。戦争やいじめが無くならないわけだ。
そういう文章を見てイイネや同意レスが沢山ついてるのを見るたびに、胸が締め付けられるし、憂鬱になる。
結局、日本の学校教育の方が正しいのだ。客観的事実や丁寧な論理運びをしても、バカみたいな感情に勝るものは無い。
学に少しでも志したことが在る人間なら、その人間社会の愚かさに絶望した人が多いだろう。人は事実ではなく感情で動く生き物だ。
ペンは剣より強いが、ペンはペンであって正しさや事実や論理を表しているのではない。
その原因はいらすとやです。
ネット、テレビのニュース番組、町内の掲示板、駅の案内や、公的な媒体まで。
少しずつ生活を侵食していくかのようにじわじわと、それは増えています。
これが続くと、目にする媒体記号が全ていらすとやに置き換えられるのではないでしょうか。
そのことを想像し、得たいのしれないものが、じわじわと社会や自分を蝕んでいるような恐ろしさを感じて、パニックを起こしました。
使うのをやめてください。お願いします。
いらすとやを、突然目にするのではないかと、日々怯えながら生活をしないといけないかもしれません。
ウイルスのように、少しずつ人々の生活を侵し、そして、何の違和感もなく人々がそれを享受していく様も怖いです。
このままでは社会生活が送れなくなります。本当にお願いします。
いらすとやを使わないで。
、花粉症患者の多くが スギ・ヒノキ花粉症です。 大きさは直径約30~40μm。 パピラという小突起が特徴で見る方向により形が違うhttp://www.erc.pref.fukui.jp/center/kahunsystem/kahun6.html
わだいになってるのは増田だけ
ねらわれてる