あれがどうにも、単なる日本教育批判じゃなくて「学者という存在の空しさ」の悲痛な叫びにしか聞こえないんだ。
分からない人に説明すると、基本的に欧米だと文章というものは、研究論文の書き方に則って書かせられるらしい。
正直欧米とかのtwitterとか掲示板見ていると「~は糞!だから私は正しい!」みたいな文章ばっかなので、おそらく不勉強な人が多いのだと思うが。
対して日本だと、ちゃんと勉強している人は「起承転結が大切。文章は最初に印象深いモノから書き始め、意見・感情を書き、それを補強する自分の実体験と感じたことを書きましょう!他人の意見を書くと減点」
と教わる人が多いと思う。
最初は自分も馬鹿にしてた。「私がエビデンス」とか、個人的体験を普遍的な結論に持ち込めるわけないんだ。そんなのはバカの詭弁だ。愚民の為の考えだって。
大事なのは目的と、それを補強する数字に根差した判断材料、統計とか実験とか客観的な事実。そしてそれを結論につなげる論理。
でも違った。いくら学者が汗水垂らして地道に結論に辿りついても、
twitterで「友達が暴力にあった……日本ひどい;;」とか「コミケは係員しっかりしてるしすごい!でもオリンピックはダメ」とか
なんの根拠もないゴミみたいな「感情」で正しさが決まり、統計や論理より優先される社会。戦争やいじめが無くならないわけだ。
そういう文章を見てイイネや同意レスが沢山ついてるのを見るたびに、胸が締め付けられるし、憂鬱になる。
結局、日本の学校教育の方が正しいのだ。客観的事実や丁寧な論理運びをしても、バカみたいな感情に勝るものは無い。
学に少しでも志したことが在る人間なら、その人間社会の愚かさに絶望した人が多いだろう。人は事実ではなく感情で動く生き物だ。
ペンは剣より強いが、ペンはペンであって正しさや事実や論理を表しているのではない。
ぼく「WAIS-4とか受けたほうがいい」
グレタディスってんのかおめー