2020-03-10

学者が言う「日本文章の書かせ方・教育法がおかしい」論

あれがどうにも、単なる日本教批判じゃなくて「学者という存在の空しさ」の悲痛な叫びしか聞こえないんだ。

からない人に説明すると、基本的欧米だと文章というものは、研究論文の書き方に則って書かせられるらしい。

正直欧米とかのtwitterとか掲示板見ていると「~は糞!だから私は正しい!」みたいな文章ばっかなので、おそらく不勉強な人が多いのだと思うが。

対して日本だと、ちゃん勉強している人は「起承転結が大切。文章最初に印象深いモノから書き始め、意見感情を書き、それを補強する自分実体験と感じたことを書きましょう!他人意見を書くと減点」

と教わる人が多いと思う。

最初自分馬鹿にしてた。「私がエビデンス」とか、個人的体験普遍的結論に持ち込めるわけないんだ。そんなのはバカ詭弁だ。愚民の為の考えだって

大事なのは目的と、それを補強する数字に根差し判断材料統計とか実験とか客観的事実。そしてそれを結論につなげる論理

でも違った。いくら学者が汗水垂らして地道に結論に辿りついても、

twitterで「友達暴力にあった……日本ひどい;;」とか「コミケは係員しっかりしてるしすごい!でもオリンピックダメ」とか

なんの根拠もないゴミみたいな「感情」で正しさが決まり統計論理より優先される社会戦争いじめが無くならないわけだ。

そういう文章を見てイイネ同意レスが沢山ついてるのを見るたびに、胸が締め付けられるし、憂鬱になる。

結局、日本学校教育の方が正しいのだ。客観的事実や丁寧な論理運びをしても、バカみたいな感情に勝るものは無い。

学に少しでも志したことが在る人間なら、その人間社会の愚かさに絶望した人が多いだろう。人は事実ではなく感情で動く生き物だ。

ペンは剣より強いが、ペンペンであって正しさや事実論理を表しているのではない。

事実論理によって明らかにされる何千、何万何億の人間の声よりも、ひとりの少女の健気な一声に従う社会

学者が言いたいのは、日本教育が「正しい」事への、苛立ちや嘆きだろう。

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