はてなキーワード: 宮部みゆきとは
男女向けの検討が概ねついているはずだ」
それができたら良かったけど
そういう勘が働くほど見たり読んだりしてないんだよ
表紙見たりポスターか何か見たらわかるが
世の中色々ジャンルがあるんだよ
普段の好みも色々なんだよ
生活も色々なんだよ
話は面白そうでも
他の人が書いてくれて驚いたが
女性向けとは思わなかった
女性向けなぞ欠片も思わなかった
本当に心配してるけど
人生傾けるほどアレコレできないよ
頭は良くないし
法律にも明るくない
博識でもない
何才か知らないが
現実では口に出せなくても匿名だから「助けて」が言える事もある
「メディア効果論」は聞いた事ある程度だったが改めて概要は読んだ
「揺らせるものだったらなんでも揺らしてーんだよボケが!!」の増田は
全年齢向けではない
成人かどうかはわからんが作成者側が誤認していたら未成年者も誤認するだろ
「怒ればいい」って
怒られてるよ?
議員連盟が怯えて気弱になってるけど
「公共の宣伝に不向き」という意見が少数ではない事はわかったはずだ
過半数ではなくとも抗議が出る程度には
コメントでも警察の宣伝には向いてないと言われる程度には少数ではない
基準は早く作ってほしいが
すり合わせできる気がしない
純文学というのは全ての文芸の中でも現代詩に次いで程度が低く、ライトノベルと同等。
売れないことを考えたらライトノベルの方がむしろレベルが高いともいえるかもしれない(私は好きではないが)。
冷静に考えたらわかることだが、まず若書きで頭角をあらわせる分野というのは「知識を必要としない」ことの証明であるし、実際、芥川賞作家含めほとんどの純文作家は10代や20代前半で鳴り物入りでデビューしたとしても、20代半ばには凡庸な通俗作家になるのが一つのパターンになっている。
雰囲気と作者個人のキャラクターやアイドル性といった商品価値だけで決まるようなところがあるので実際は作品は高尚さからは程遠い。
バラエティ番組で例えたら東野圭吾や浅田次郎・宮部みゆきなどの娯楽作家が司会やひな壇を務めるプロの芸能人で、純文作家はVTRとかで出演する素人と考えればいい。
その中でたまに人気者が出るという話でしかない。
本を紹介していくアドベントカレンダー,24日を担当している.
積読はようやく200冊から減少傾向にある程度にまではなった.
有名どころでは池井戸潤や恩田陸,宮部みゆき,赤川次郎なんか好きだ.
外国物はほとんど読まないが,「ハリー・ポッター」シリーズにはわくわくしたし,「オリエント急行の殺人」や「そして誰もいなくなった」には驚いた.
こうなるとシリーズ物は難しくなってくる.はやみねかおるか「ミルキー杉山のあなたも名探偵」シリーズくらいなものだ.
相応しいの!
ということで私の1冊はアンソロジー「サンタクロースを見た」で.
https://www.kadokawa.co.jp/product/301312000298/
それではみなさん,メリークリスマス!
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
ジブリでアニメ化した作品の原作。アニメ化したのは「海がきこえる」までだけど、原作は結構違う展開になっている。
(アニメでは駅で再開してるけど、原作では帰省する前に大学のパーティーで再開してその後デートしたりしている)
一応恋愛ものではあるものの、90年代のリアルな学生生活の空気を書いている作品でもあると思う。
海がきこえるⅡでは、いつの間にか里伽子が主人公のことを呼ぶとき「杜崎くん」から「拓」に変わっていて、付き合っているわけではないんだけどもうすぐ付き合うなこれ…みたいな空気感がキュンキュンする。
とある殺人事件にかかわった人々にインタビューする形式で物語が進行し、たまに事件の中心人物(の兄弟)に視点を移行しながら事件の全容を語るミステリー。
たくさんの登場人物の背景を細かに説明して、ちゃんとストーリーにつながるようになっている群像劇がすごい好き。
映画もDVD買って何回も観た。めっちゃ有名な俳優女優(亡くなった人も多い)がいっぱい出ているのでおすすめ。
富豪の娘と結婚したばかりに、善良で人畜無害な人間なのに何故か事件に巻き込まれるようになってしまう主人公の話。
主人公について昔はただただいい人だ…としか思ってなかったけど、最近はこんな男いねーよ絶対作者の願望入っているだろと思えるぐらいには大人になってしまった。
「希望荘」以降はまだ読んでいない。
大体1話につき8~10ページぐらいで、様々な31歳の女性の日常や感情がすっきりまとめられており、中途半端に終わる話が少ないので大変読みやすい。
これだけあるんだからどれか一つは琴線に触れる作品があると思う。
はるか昔に「雲のように風のように」というアニメが作られている有名な小説。
中世中国風の世界で、基本は田舎の少女が後宮でのし上がる?話だけど政略あり戦争あり哲学ありお色気あり百合/薔薇/近親相姦ありいろんな要素を詰め込んだ闇鍋のような作品。
どうでもいいが「雲のように風のように」は主人公の銀河よりも渾沌に当てはまる言葉だと思う。
安部公房とか星新一、小松左京とか北杜夫あたりもボチボチ文豪になっていったりせんのかな
つか東野圭吾とか宮部みゆき、池井戸潤みたいな人らって後世どんな扱いになるんだろ 大衆にバカ受けして文化的にデカい影響をもったものの、あんまり高尚な感じはしない人たち
将来的には高尚なもの扱いされるようになって教科書に載ったりするのか? それとも彼らみたいはドラマ化映画化直木賞側の人らは忘れられて芥川賞側の作家の名前だけ残るようになるのかな
100〜200年後の国語の教科書見てみたすぎる あっでもそのころにはもう教科書なんてなくて、脳にインプットするデータしかなかったりして… そうはならんか 少なくとも日本ではそうはならんやろなあ…
『とり残されて』収録の『たった一人』。
でもこういうの、年重ねるとキたりするから読み返すわ。
どっかにあるはず。
本読みでもプロの書評の話する人、自分の周りには少ないからめっちゃ嬉しい。
宮部みゆきは『龍は眠る』で、千街晶之が「天才的な語り部であるだけに、
その物語が本来要求しているヴォリュームや完成度さえ踏みにじり、
筆はどこまでも天翔けてゆきかねない」と言っていたのがツボで。
言いたいこと書いてくれたーってなったんだよな。
『時の娘』は確保するかしないか迷ってたんだが、次見たら確保する。
絶版ならごめん。
宮部みゆきが好きだったなら読んでるかもしれないが、とり残されて収録のたった一人。
宮部ファンの間では人気だけど、他の作品が目立つので埋もれがちかも知れないと思ったので。
メジャー作家の無名作品という引き出しが少ないのでまたSFで恐縮だが、時の娘(ミステリじゃなくてタイムトラベルのアンソロジー)収録の時が新しかったころもおすすめ。
ロバート・ヤングといえばたんぽぽ娘という作品が有名だけど、こちらの方が圧倒的にいいと思う。
SFだけど全然難しくないほうのSFで、とにかく楽しい冒険もの。
なんとなくジュラシック・パークのキャラクターにも影響を与えたのではないかと思っている。
宮部みゆきなら『火車』が鉄板だが、『今夜は眠れない』『夢にも思わない』がめっちゃいいから読めとか(少年大好き作者の面目躍如。主人公が中学生男子であるという設定がめちゃくちゃ生きてる。特に後者が主人公に没入するほど、ぐさっときていい)。
アシモフといえば『ファウンデーション』シリーズか『ロボット』シリーズだけど、『神々自身』が神だとか(ヒューゴー賞・ネビュラ賞長編部門受賞作なのに絶版。古本は流通してるから手に入るうちに買って読め。いや読んでください。神だから)。
クリスティでは『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』が有名だが、『葬儀を終えて』がミステリを読んでるほどツボに入るはず(霜月蒼も星5だ。なぬ、霜月蒼を知らぬ? クリスティ好きならググれ)。
そういうの教えてくれ。
くも膜下を発症後、リハビリ病棟を経て施設に入ることになった母を面会に行った。
いつも同じだ。
母は自分の顔を見ると、西日の当たる部屋で演説でもするように話し始める。
私はここに一生いることに決めた。帰るとあなたに迷惑を掛けるから。
今すぐ家に帰りたい。ここはもう嫌、病気は治ったのになぜこんなところにいなきゃいけないの。
そのどちらかだ。
会話なんてない。こちらの話に耳を貸さず、一方的にいつまでも話し続ける。
どうして私はここにいるの、どこがおかしいの?もう歩けるようになったでしょ。ねえなんでなの、いつまでここにいなきゃいけないの?
そんなに私と暮らすのが嫌なの?言ってみなさいよ。
そう食い下がってくる。
そう言うと目を見開いて「ひどい」と言った。
もう限界だった。
延々続く母の話の途中で席を立つと、階下へと続くエレベーターまで追って来た。
降りなよ、と腕をつかもうとするとすごい力で押し返された。
「ここは嫌なのよ、どうしてわからないの」
10分近い押し問答の末、施設のスタッフが説得してくれてなんとか母は部屋に戻って言った。
家に帰ってから姉にラインで愚痴ると「お父さんの三周忌どうする?母さん呼ぶのやめようか」と返事が帰って来た。
どうしよう。
面会からの帰り道、もう面会に来るのはやめようかとまで思ったのに、どうしても「そうだね」と言えない。
迷っていると、姉が「増田が呼びたいなら私は協力するよ」と言ってくれた。
母の面会に行った日はいつも腕が痛い。
本を大量に持っていくからだ。
母は「本を持って来て」と言うけど読んでいる気配はない。
母が読んだ本、というよりも読もうとした本はすぐにわかる。カバーが外れているから。
今の所外れているのは一冊だけだ。
今日も宮部みゆきの最新刊を持って行ったのに、言い争う間、本はベッドの上に投げ出されたままだった。
ただ次の用事を言いつけられるだけだ。
もう自分の知っている母はとっくにいないのかもしれない。
面会に行った後はいつも腕が痛い。