はてなキーワード: 土建業とは
IT業界で死亡事故が多いのは、DOS時代からWindows時代になった20年ぐらいの間は少なくとも常識だった。
死亡原因もそれなりにある。
ただ、いわゆる土建業よりへたすると 死亡率が高くなってしまう。率だけでいえば、土建のほうが実際は高いが
従事している人数がIT業は比較的多く、そのわりにこの死亡件数となると
また、生半可な知識がひろがるのは避けたいが
様々な問題があり、回避できない発注元となるべく企業が増えてしまうことは事実。
その中でも、なんとかしようとしている若手リーダは大変だなとは思うが、できることには限りがあるし
本当にこれだけ。
近年の売り手市場のおかげで良い就職ができた若者たちは一生自民党に投票し続けるぐらい感謝している。
だから僕は、野党が若者に支持されるためにさらに若者の雇用を改善する政策にコミットして欲しい。
既に自力で良い勤め先を見つけた都会の賢い若者だけでなく、自民党が移民を入れることで切り捨てようとしている田舎の低学歴・低職歴・低スキルの若者でも妻子を養えるほどの収入を得られるように。
具体的に思いついたのは、ボンクラでも仕事が見つかった昭和を再現して、たくさん人を雇う土建業や製造業に仕事を回す公共事業の拡大だ。
日本人の若者を雇った数と支払った賃金に応じて入札できる仕組みにして、企業が若者を片っ端から雇って子供を育てられるだけの稼ぎになるまで政府が仕事を作り続けると約束する。
財源は国債で賄う。この政府支出のおかげで仕事に就けた若者や生まれることのできた子供が将来返済するのだから、これは正義にかなっている。
左翼リベラル諸氏が黙ってる不都合な真実だけど、左翼リベラルが全世界で弱者が裏切ったから極右が台頭した。
左翼リベラルが全世界で、恵まれない人達を助けると言いながら、金持ちのアクセサリーとしてのチャリティーはするけれど、隣の家の困ってるおっちゃんに職を与えなかったんだよ。
彼奴等は怠けてる。グローバルスタンダードで移民を入れろ。困ってる外国人を無視するのか? と。
困ってる遠くの難民を助けるのには力を注ぐけれど、ちょっと遠くのガラの悪い地域の人達を助けることはアクセサリーにならない。
KKOとか、仕事がなくなって困ってる土建業や製造業のおっちゃん家族には極めて冷淡だった。
可愛そうなやつを助けるという顔をして、「お前らは滅びて消えろ。難民を助けてやる」とやり続けた。
メルケル、オバマ、民主党、マクロン、どいつもこいつも弱者の味方って顔をして、国内のキモいが助けなくてはいけないはずの同胞に対しては、冷淡で、尊大で、何より無能だった。
こういう事を言うと必ず「左翼のせいにするな」というよね。
誰がいま、野党に政権を渡したら景気が良くなって、給料が上がって、税金が安くなるって信じるの? 過去そう言ってたくせに、全部裏切って真逆の政策を全力推進したじゃん。民主党政権は文字通り裏切ったんだよ。
裏切り者は滅びろ。
3000万も必要になるのは、それなりの大学まで通わせた場合だからなぁ。
貧困家庭だと、そもそも子供は勉強嫌いになり大学までたどり着かない事も多そう。
若い内からガテン系で働き始めて、要領良く成功しちゃうパターンもあるからね。
土建業だと中卒で年収1000万を超えている人もいっぱいいるよ。
高校&大学に通うという目的は、お金を払って知識や技術、人脈を手に入れるためだと思う。
人生を成功させるために高校ブースト、大学ブーストにお金を払ってステータスを上げているわけだ。
子供ガチャで特にハズレとされる人は、大学まで通ったけど、それに見合った知識や技術を身に付けられず助け合える人脈にも出会えなかった。または、卒業後にそれを有効に活かす環境に移ることが出来なかった人だね。
67歳、末期がんだったという。
つよい順に並べたが、
翁長さんの受けたプレッシャー、ストレスは想像を絶するものだったと思う。
病の原因と進行は過剰なストレスが一番大きい。
生まれ育った琉球という島が、外部の人間によって破壊されていくのを止められない。
悔しかったと思う。
沖縄県民と翁長さんの意志を継いで引っ張って行ってくれるような人は現れるだろうか。
命がけで、勝てる可能性の低い戦いに身を投じなければならない。
このまま、他の離島のように組織票によって極右市長や土建市長になってしまうのではないか、
この国の未来にはまったく希望は持てないが、かつて大戦において過大な迷惑をかけた琉球にこれ以上のさらなる迷惑を強いるというのか。
本当にこの世界は汚れていて、救いようのない世界だなと改めて思う。
自分は今本島ではなく離島にいるので、ただ静かな海を眺めているだけでその汚れを忘れられる。
ただ、それすらも壊されようとしているのだ。
姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。
うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。
そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。
姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。
姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。
父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福な時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立の大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。
当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学の友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオスな空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢の大人たち。あの光景が私の音楽の原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。
夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノのビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。
「ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから」
後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかわからない。
三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。
私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちはアパートに引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。
姉はすでに大学を卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビの取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。
姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初は経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。
ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外に留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。
姉は私に銀行のカードを託した。「本当にやばくなったらこのお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?
預金は600万円だった。コンビニのATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。
そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいるものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ。大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生でいちばん苦しかった頃かもしれない。
そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分がいかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。
姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカで日本人の恋人と暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりでパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗な警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織の幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。
そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験が不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行のカードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指に翡翠の指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当にでっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。
それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近は土建以外にも手を広げて、高齢に鞭打ちながら、建物管理の資格の勉強なんかをしている。
姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国の大使館でアルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規の職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリートの仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイが組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。
姉の最後のテレビ出演は、この大使館がバラエティ番組の取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢の職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。
そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルのオーナー兼マネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトのリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。
ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。
結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあいだ何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色の翡翠の指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、
一件辺りインセンティブで10万貰えるところは優良土建屋と言われてしまっているため
普通の土方は当然それ以下あるいは貰ってないんじゃないかと思われる。
建築士とか営業マンはインセンティブの額が平均しても最低でも優良土方の数倍は貰えてるのだから差別的だ。
何故このような格差が出来ているかは、学歴とか資格とか諸々頑張った恩恵だと言う人もいるが
実際に家を建ててるのは土方である。
一番給料高い人達が一番働いていないのに、どうして土方を見下しているのか不思議でならない。
今はこうした背景から技量のある職人がどんどん辞めていって土建業界は慢性的な人手不足に陥っている。
土建屋が儲かっていないわけではなく、寧ろ儲けている中で土方だけが常に流動的な雇用状況の憂き目に晒されてしまっている。
他所を見渡すと、中抜きしまくって割を喰ってる介護士は年々増え続ける高齢者に反比例するように減少していっている。
土方は一戸建てを建てても儲けは上から順に差し引かれていき、手元には殆ど残らないので建てれば建てるほど大損している。
これでは土方が減って行くのは当然である。
ここの作業員の質が悪くなると協力する為のコストが人数が増えるメリットを上回るのは良くある話。
そして、コーディング以前の問題として設計が悪いと大規模なプログラムはまともに動かないのも常識。
で、まともに設計できる人間ていうのは別に「天才」ではない。ただし、そこら辺に転がってるわけでは断じてない。
きちんと色々なモノを自分で作成したことがあって、その上で自分が設計したものを大人数に作らせたことがある、そういう経験の積み重ねをしてきた人間。
日本の下請け構造が最悪にクソなのが、製作の経験がなくて設計()だけ出来るつもりになってるSEもどきが、製作経験のある下請けになんとなくモノを作らせてるとこ。
作業員、作業員というが、システムの設計はコーディングが理解できない奴に出来るはずがない。
優秀な設計者にきちんと設計者としてのポジションを用意した上で、きちんとしたヴィジョンを描ける人間がプロジェクトを導かないと、大規模なプロジェクトはうまく行かない。
ちなみに、土建業界でも下請け依存の体質は問題視されていて、日本のゼネコンは優秀な下請けが使える国内では高品質な仕事ができるが、海外に行くと途端に悪化するという事例が知られてる。
つまり技術的にキチンとした指示を出す能力が足りないという事。
下請けにやらせりゃいいんだよw なんて言ってるやつは本当に時代遅れ。
かといって、天才なんて言葉で簡単に片づけて、本当に個人に必要とされる技能とチームが作るべき仕組みについて考えられない奴もバカ。
ここの作業員の質が悪くなると協力する為のコストが人数が増えるメリットを上回るのは良くある話。
そして、コーディング以前の問題として設計が悪いと大規模なプログラムはまともに動かないのも常識。
で、まともに設計できる人間ていうのは別に「天才」ではない。ただし、そこら辺に転がってるわけでは断じてない。
きちんと色々なモノを自分で作成したことがあって、その上で自分が設計したものを大人数に作らせたことがある、そういう経験の積み重ねをしてきた人間。
日本の下請け構造が最悪にクソなのが、製作の経験がなくて設計()だけ出来るつもりになってるSEもどきが、製作経験のある下請けになんとなくモノを作らせてるとこ。
作業員、作業員というが、システムの設計はコーディングが理解できない奴に出来るはずがない。
優秀な設計者にきちんと設計者としてのポジションを用意した上で、きちんとしたヴィジョンを描ける人間がプロジェクトを導かないと、大規模なプロジェクトはうまく行かない。
ちなみに、土建業界でも下請け依存の体質は問題視されていて、日本のゼネコンは優秀な下請けが使える国内では高品質な仕事ができるが、海外に行くと途端に悪化するという事例が知られてる。
つまり技術的にキチンとした指示を出す能力が足りないという事。
下請けにやらせりゃいいんだよw なんて言ってるやつは本当に時代遅れ。
かといって、天才なんて言葉で簡単に片づけて、本当に個人に必要とされる技能とチームが作るべき仕組みについて考えられない奴もバカ。
あからさまに、核家族化向け住宅が増えて、ワンルームが増えただろ。
果ては現在は、ボッチ席まで出来る始末。
その上で、公共事業で土建業に大量の金を流しておいて、住宅ローンで核家族向け住宅にも融資をして
止められなかったと言ってもな。
核家族向け住宅に融資すれば核家族は進んでいくがこれに対しての融資はした。これは明らかに国家も後押しをしている。
反面、核家族を食い止めるためになんかしたか?啓蒙活動しかしてないじゃん。税制優遇か何かしたっけ?
むしろいまって、住民票を分離したほうが得なぐらいな勢いでしょ?
税制全部を見渡して、核家族化のほうが有利な税制になっていたら、それは(意図していない副作用だったとしても)核家族化を推進したと言っていいよね?
税制の副作用で、核家族化が推進されるということに気が付かずに、税制をしてしまったとしても、個人として政治家にも・官僚にも責任とれとは言わないけど、国としては考慮すべきでは?
http://anond.hatelabo.jp/20130716162838
この元増田を読んでちょっと反論してみたくなったので反論してみる。
この元増田の気持ちとしては
中学時代ケンカに明け暮れ、自分を虐げてきたあいつらはこれからの人生低賃金の仕事しかないつまらない人生で
勉強ばっかりしてきた自分はこれかの人生高給稼げてわくわくする未来開けた人生だ。
というように読み取れた。
ここが間違ってたらごめん。
大学生が書いたということなんで、まあそんな意見になるのかなと思うけど、人生そんなに甘くはないということが言いたい。
この土建業界という世界は、確かに元増田の言うとおり低賃金労働でこき使われることは間違いない。
そもそも法を遵守するとか頭にない。
彼らは外面からみると雇用されているように見えるけど、実態は雇用ではないことが多い。
法律的にもきちんとしている土建業者に就職したなら別だけど、土建業界ってほとんどの場合、雇用保険も、健康保険も払わず、税金も自分で処理してね、という実態は外注扱いという名の個人自営業者扱いの一人親方である場合が多い。
だから才覚と度胸のあるやつはそのうち自分で仕事を取ってくるようになる。
売上がある程度あがるようになれば会社を興すやつも出てくる。
起業なんておしゃれな言葉を知らなくても、そもそも日本にある中小零細の土建業者なんて、そんな形で興した会社がほとんどだし、回りにそういう連中がいっぱいいるから見本もたくさんある。
なかにはそれなりに会社を大きくするやつもいる。
社長の世界でも勝ち組み負け組みはあるから一生下請で終わったり、倒産したりするやつもいるけどね。
でも才覚や度胸があるやつは小さな世界に満足することなく自らの世界を切り開いていく。
海外を見ることだけが大きい世界というなら別だけど、まだ見ぬものにわくわくできるというのなら、彼らの人生だってまだまだこれからだ。
全員が全員、小さい世界だけで一生を終えるわけではない。
たとえ中小だとしても会社を経営するっていうことだって、ほとんどの人間は見たことのない世界だからね。
これは高学歴であっても同じで、高学歴で大卒だからって、高い給料がもらえて、知的な仕事ができるわけではない。
元増田が言うような、知的な仕事で、たくさん給料がもらえて、いった事のない場所、出会ったことのない人、まだ見ぬものにわくわくできる仕事というのは非常に倍率が高く競争率の激しい仕事だ。
大学にいった俺の人生は勝ち組みであいつら一生そんな狭い世界で生きていくのかよざまぁみろ
と言いたい気持ちはよくわかる。
だけど、20歳そこそこではそもそもまだ何にも決まっていない。
どの世界だって、自らの人生を自らの手で切り開く覚悟を持った人間には新しい世界を見ることができる。
それには、中卒とか大卒とか勉強できたとかはほとんど関係ない。
まあ、元増田が一生安泰で生涯賃金がものすごくよくて、わくわくできる仕事ができるところに就職したんなら、別に言ってもいいけどね。