はてなキーワード: 受診とは
周りと比べてあまりにも単純なミスを何度も繰り返すものだから、優しい職場の方々にも呆れられてしまった。業務内容はとても単純なものなのに、自分でもするべき事がわかっているのに、何度も同じミスを繰り返す。今は悪い意味で心が凪いでしまっているけど、4月頃は毎日家で泣いていた。
これはマズいと思い4月の終わりにメンタルクリニックを受診したところ、発達障害だと診断された。本当は大学の頃からそうなんじゃないかと思っていたけど、クリニックを受診するのにかなりの抵抗があった。
クリニックではインターネットで受けられるものと同じ問診票を書かされ、5分程度で診断がおりた。精神科はゆっくり患者の話を聞かないとの話は聞いていたし、話したい事をまとめたメモを渡していたので時間については驚かなかったが、もう少しちゃんとした検査をするものだと思っていた(WAISとか)。
よくネットで「自称発達障害乙」とか言ってる人がいるけど、この程度の診断なら「自称」と「他称」にそこまでの差があるのか疑問だ(もちろん第三者の冷静な目が必要な人は居るのだろうけど)。
ストラテラ40mgを処方され4日ほど服用したところ、ミスが結構減り、これでやっと救われると思った。今まで学生生活やアルバイトでずっと苦しんできたけどこれでやっと終わるんだ、普通の人と同じ生活が出来るんだと思っていた。
でも、4日目以降から、副作用が落ち着いてくるのと同時に効果も感じられなくなってきた。同じようなミスをまた繰り返すようになった。自分用のマニュアル作りをする、許される限り残業させてもらうなど思いつく限りのことをしたがダメだった。これ以上もうどうしたらいいのか分からない。最後の頼みが服薬だった。
日常のミスを書き残したものを眺めていると、私は知的障害なんだろうか?とさえ思うようになってきた。学業でそこまで躓いた記憶はないのに、どうしてここまで何も出来ないのだろう。日常会話の流れさえ掴めないことがとても多い。
これから毎日死ぬまで人に迷惑をかけ、白い目で見られながら生きていかなければならないのだろうか?
転職したってダメな自分が付いてくるのでは同じだし、結婚したくても容姿も醜いしコミュニケーションスキルも低い。友達も趣味もお金もない。生きていて楽しい事が一つもない。
phaさんの「ニートの歩き方」や高村さんの「自作の小屋で暮らそう」を読んでアーリーリタイアという手段も考えてみたけれど、別の人のブログ等を読んでいると40歳近くまでまでアルバイトをするのは周りの目がかなり冷たいそうだし(私はアルバイト程度の仕事でも満足にこなせない自信があるからもっと冷たい目で見られるだろう)、どちらにせよ暫くは人に迷惑をかけながら働かなくてはいけないというのが耐え難いと感じてしまう。
薄々死ぬしかないと分かっているのに、いざ死のうとそういう場所に行っても死ねずに帰ってきてしまう。親の介護、失敗のリスク、死ぬまでの苦しみ。死ぬのは思っていたより簡単ではなく、それを実行する力がない。
普通の人達は結婚に向けて着々と準備したり、キャリアアップの為に努力したりしている。私は発達障害という点を除いてもいろいろな部分が壊滅的におかしいんだろうけど、具体的に何がおかしいのかも分からない。
人生周回遅れの癖にリタイアすることも出来ず、他人に迷惑をかけながらゆっくり坂を下りていくしかない恐怖。どうしたらいいのか誰か教えてほしい。
ただ受診のほうがメインにして命の母やめたほうがいいのかもとおもうけど
つまり漢方なんて「なくなったころ会いに来てくれる約束」みたいなもんだろ、半分は。
あとの半分は「証診断」しなくても偶然あてはまったら効く。
「高齢」(40超え?)とやらで妊娠いらないなら子宮本体を取っちゃうのも本当に医学上はいいんだ、
卵巣だけのこせばホルモンが足りんなどのあと腐れも一切ない
おセッセにも差し支えない、
開腹もしないし日帰りですぐ出来たりする(医者じゃないからうろおぼえ。匿名の伝聞だから信用すんな)
ただ子宮筋腫もないままやると保険がきかないので多少高くなるのと
「いつか」とか夫婦の絆が失せるような気にはなるかもしれないから無理にとはいわない
それ以前で、
「まだ35で同級生は2人目3人目産んでるのに・・
なにより本人が医者怖いけどこの恐怖感はだれにも言えないたよれない・・・」
って一人八方塞がりやってるおくさんなら
まだあるだろなんかやってないことがいっぱい
タイトルにもあるのだが満員電車にベビーカーを乗せるのは反対である、とだけ書くとなんとなくだが、とても炎上しそうである。
ここで、賛成の方々やお母さんたち(お父さんかもしれないが今まで目についた意見に女性が多かったため、お母さんとさせていただく)にお願いがある。
まず、反対というだけで目の敵にしないでほしいのだ。反対派の人間に理不尽な理由で反対する方々や実際に罵声を浴びせられればそんなことは難しいのかもしれない。
それはもう仕方がない。
他人にあたりたくなると思う。
これを読んでも納得できなければ気が済むまでどんな言葉を投げていただいても結構である。
何があってもベビーカーには絶対に配慮すべきで私には人の心が足りないというのであればきっとそうなのだろうと自戒をしようと思う。
また、これも炎上しそうなことではあるが、お母さんたちは日々の子育てや家事に加えて仕事に行かなければならない現状でいっぱいいっぱいなのだろうとは思う。
ただ、そのうえで更に、というのは酷なのだろうとは思うが自分の事情は他人には理解してもらうことは難しい、無理に理解させるのは悪手だとわかってほしい。
お母さんたちがいっぱいいっぱいであるように、子供をもっていないその他の人にもなんらかの事情があるということを分かって欲しいのである。
そのため、これも無理には読まないでほしい。これもあくまで私の考えであり、誰かに強要するものではないからである。
あと自分の考えをまとめながら書いたらめっちゃ長くなってしまった。申し訳ない。
※以下に述べるのは既婚・子なし(いずれ欲しい)・東京-埼玉間の電車ユーザーの意見である。
前提として今回の満員電車の条件は混雑率200%(体が触れ合い相当圧迫感があるが、週刊誌程度なら何とか読める)程度のものとする。
・まず反対する理由としては単純に「お互いに、危険であるから」である。
・こちらからお母さん方へは、お子様に意図せず危害が加わってしまう場合である。
ある程度身動きが取れる、全員がつり革や手すり(?)に掴まれる様な状態であればよいのだが、それ以上の混雑率になってしまった場合、急ブレーキや電車の揺れで自分の体を支えることすらままならずにベビーカーのほうへ倒れてしまう可能性がある。Togetterに、このような記事もあったので参考にしてほしい。
子連れで満員電車に乗ることはなぜ危ないかの具体例→「首都圏に詰め込みすぎ」「フレックス勤務を進めて」(https://togetter.com/li/1301648)
こちらも細心の注意を払っていても、万が一、億が一のことがある。
そのときに私も後悔したくないし、後悔をさせるようなことは嫌なのだ。
・お母さんたちからこちらにはベビーカーで轢いてしまうといった危険がある。
痛かったし、轢いた方は謝罪の言葉もなしにどこかに行ってしまわれたためあまりよくない記憶として残ってしまっている。
しかし人の密集していない場所でも人を轢いてしまうものを密集している車内へ持っていった場合、車輪で足を踏んでしまい、ケガを負わせてしまう、といったケースも想像に難くない。
その場合、子持ちの方への印象が悪くなるだけであればまだしも、気が立っている方によってお子さんやお母さんにまで危害が加わってしまうかもしれない。
朝の電車に乗っている方が全員いい人とは限らない。
むしろ気が立っている方が多いように感じる。
全員が性格に難があるのではなく、冒頭にも述べたがおそらく多くの人ががいっぱいいっぱいなのだと思う。
そのような人に不満をぶつけても良い結果は返ってこない。むしろお互いが嫌な思いをするだけなのだ。
・また、この話になると出てくる意見が「ベビーカー使用していない人間が次の電車を利用し、ベビーカーを乗せるように努力すればいいじゃない。」といったもの。
(恐らくこれは反対派の中でも「ベビーカーのせいで自分のスペースが侵されるため不愉快」といった考えの方に向けたものだと思うが、)
これも混雑具合によるが、人間が一人降りたくらいで解決するものなのだろうか?といった疑問がわく。一人降りたところで満員なのも危険なことも変わらない。
・以上のことを踏まえると、ここまでのリスクを冒してまで満員の電車に乗る理由が分からないのだ。
きっとお母さんたちと私の溝はここにあるのだと思う。
この件で炎上してしまう一部の発言の原因も(全面的に悪意が出ているものは別だが)ここなのではないかと思う。
私は理由を知りたくて調べてみた。
子供の病院、仕事へ行くために保育園に預けなければならないというのが主な理由であるように思う。
しかし、私はそれがどうしても満員電車に乗らなければいけない理由とは結び付かないのだ。
もっと言うと大切な我が子を危険にさらすことと天秤にかけてまでやらなければならないことなのかが疑問なのだ。
病院であれば通勤ラッシュの時間をさけて予約なり受診とはいかないのか。
仕事にしても在宅ワークや電車に乗らない範囲での仕事をするということはできないのか。
子供をもつ前からの仕事であっても、時間を遅らせての出勤等も難しいのか……。
私には子供がいない。
だから想像するしかないので現実そんなに甘くねーよといわれたらそれまでである。申し訳ない。
それは誰もが分かっているし、この問題に関するいろいろな記事等の結論もそのようなものだった。
しかし、それが分かったところで、明日からすぐに満員電車をなくすこともできない。
危険なことも変わらない。
だからこそ、その子供が危険な目にあってしまうことが怖いのである。
今のところまだ起ってはいないと思うが死亡事故が起こったとしてもおかしくない現状で、子供を守れるのは親だけなのだ。
この現状が、何とか変わればよいとおもう。
死にたいと思うのはなぜか。
死にたいのだろうか、それとも。
逃げたいのだろうか。
生活をしたくないのか。
全部あてはまる気がする。
ときどきそういう波がやってくる。
湧いてくるんだろうか。
現実の生活でなんらかの挫折があったとかいうきっかけがあるときもあれば、きっかけなどなさそうなときもある。
具体的にどうやってというのはわからないけれど、死にたいのだ。
具体的に死ぬということと、死にたいという気持ちは別のものだ、私にとっては。
死にたいという気持ちは自然とそこにあるものだけど、具体的に死ぬことは、現実に合わせた方法を組み立てて考える必要がある。
自分で死ぬことを実行するというのは、大きなエネルギーの必要とされる手続きを乗り越えなければならない。
私が死にたいと思っているときは、そういうエネルギーすら残っていないときだ。
死にたいというよりは消えたいのだろうか。
いなかったことにしてほしいと思っているのかもしれない。
世界はなかったということにしてほしいのかもしれない。
まあとにかく、今、結構死にたいという気持ちが盛り上がってきたので、その気持ちを文章化して記録してみることにしたわけだ。
こうやって書いてみると、論理的に考えようとしているようなそうでもないような。
そういえば、こういう気持ちになったとき、ググると例の電話番号が最上位に表示される。
かけてみると、ナビダイヤルの料金案内から入ってくるのでそこでいい感じに気持ちが萎える。
死にたいと思っているのに、時間当たりの料金の説明を自動音声で聞かされる。
ある意味、盛り上がっている人に水をかけてくれていい感じで冷静にさせてくれるのかもしれない。
そんなわけで、あほらしくなってすぐに切ってしまって、次に何をしようかと考える。
ところが、そういう病院はどこも「予約制」を掲げている。
ほかの科に行くと、症状があるうちに来てくれないと診断できないと医師に言われるけど、心療内科とか精神科というのは、そうは言われないのだろうか。
そういう病の症状というのは、ほかの病気と違って常に同じような症状がずっと続くということなんだろうか。
私の場合は症状というか、死にたい気持ちが盛り上がったり、憂鬱になったり、何もしたくなかったり、破壊的な気持ちになったりすることもあるけれど、それらの気持ちは一過性だ。
そして、それがいつ来るかは予測がつかない。
運が悪いような出来事があれば、その場ですぐに気分が悪くなるし、天気が良くなければ死にたいような気持ちになっていく。
それでもなぜか死なないのは、死ぬほどの気力が足りないからだ。
でも、そのハードルが低いなら、うっかり死んでいるかもしれない。
今の世界みたいに、死ぬのが難しくなくて、簡単に楽に死ねる方法があるなら、ちょっと気持ちが盛り上がったときに実行しているだろう。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
動かすと頚が痛いので、寝違えが起こった時には痛い方向には動かさずにいる方が良いでしょう。
医療機関で処方される湿布には、炎症を抑えて痛みを取る薬剤が含まれていますので、痛い部分に貼るのは有効です。
鎮痛消炎薬や筋弛緩薬の内服も有効でしょう。可能なら緩やかにストレッチするのも有効な場合がありますが、痛みを我慢してストレッチするのは逆効果の場合があります。
筋肉のけいれんが原因の場合には、こむら返りの治療で使う漢方薬が有効なこともあり、痛い筋肉や筋膜に局所麻酔薬を注射する方法が有効な場合もあります。
マッサージが有効な場合もあるかもしれませんが、余計に痛くなる場合には良くありません。
いずれにしても、治療の効果を見ながら治療方法を考えていく必要がありますので、整形外科医への受診をおすすめします。
https://www.joa.or.jp/public/sick/condition/sprained_neck.html
ここ半年ぐらい下の毛を剃るようにしている。
特に色気のある理由じゃなく、シンプルに邪魔だったからである。というのも私の毛質は母ゆずりのスチールタワシタイプで、ぶっちゃけチクチクしてしゃーない。
毛量も多くVIOで言うところのOまで結構しっかり生えていた。そうなるとムレて肌荒れを起こすことも間々あったし、少々汚い話だが毎月の生理のときに経血がこびりつく事が気になった。さほど潔癖というわけでもないのだが「月イチペースでこんな感じなら普段の生活でもなんかしら毛に着いたりしてるのでは」と考えてしまった。その結果、生やしておくより無い方が衛生的ではないか、という結論に至ったわけである。
最初の頃こそデリケートゾーン用の除毛クリームを使っていたのだが、なにぶん薬品なので一度しくじると一週間後までやり直せないことや、毎週毎週使うとなるとちょっと高かったので、今は毎週末に風呂場で手脚用の電気シェーバーを使ってウィンウィン強引に剃っている。
この方法、もしも知り合いがやろうとしていたら普通に止めるぐらい乱暴なやり方なので推奨はしない。私なんかは見せる相手もいないのでテキトーにやっているが、肌質によっては取り返しのつかないぐらい荒れるかもしれない。
こういう場合サロンなどで剃ってもらうのが最適解だとはわかっているが、技術の分値は張るし、セール期間を利用しても一回きりじゃないしなあ……などと考えてしまって結局受診には至っていない。
今の所、かなり快適である。剃ろうと思った原因は概ね解決したし、前述したとおり乱暴な方法ではあるのでちょっと荒れることもあるが、以前ほど重大な肌荒れにはなっていない。あと剃ったあとのスベスベした感じが個人的にかなり好きだった。
まだ長期的な影響なんかについてはわからないが、伸ばしかけがチクチクして1番しんどいのは知っているので、まだしばらくの間は剃り続けようと思っている。
一瞬自分のことを書かれているのかと思って焦りました。
1つの解決策として提案したいのですが、旦那さんはいわゆる発達障害の可能性があるので医療機関を受診してみてはいかがでしょうか。
しかし、発達障害の内のADHDと診断され薬を処方してもらってから
いつも頭にモヤがかかっているような眠気や、体を起こして活動できないという問題が解決されました。
そもそもADHDなんて本当にあるのか?という議論もありますが、実際に日常で自分も周りも困っていたので服薬で生活しやすくなりよかったと思っています。
自分も配偶者にいつも申し訳ないと思っていたんです。きちんとしたいと思ってるけど体や頭が働かない。なんて自分はダメなんだろう、とも。
今も完璧ではないですが服薬前よりずっと良いです。
うーん。まず、休学するのは悪い選択ではないかもしれない。そういう事情があるのなら、1年学年をずらすのも悪くないだろう。ただし、2年も3年もずらすのは良いとは思えないがね。そこから逃げるため、と思わずに、周辺の主に人間の関わる関係を再構築するため、と前向きに考えておくべきだと思う。
あと、自分でも認識していると思うけど、うつ病かどうかは別として、抑うつ状態にあることは間違いないかもしれない。(うつ病を含む)抑うつ状態になった場合、それまで当たり前にできていたことができなくなることが多い。入浴、掃除、ゴミ出しなどは典型的な例だ。ちなみに私の知っている例では、ギターマニアがうつになったらギターの弦を張り替えるのが異常にしんどくなって、ギターを弾かなく(本人の意識としては「弾けなく」)なってしまい……ってのがあったな。電車や風呂の話はまさにそういうサインだと思う。
先日も書いたんだが、精神科もしくは心療内科に受診する気なら、どこに行くかは結構重要。怖いのは、受診して状況聞かれて「はいじゃあこれ」と、複数種の薬をてんこ盛りにされるケースな。うつ病の場合に処方される薬としては「抗不安薬」「抗うつ薬」「睡眠導入剤」の3点セットであることがほとんどなんだが、初診であるにも関わらず、各々のカテゴリーに入るものを複数種、あるいはそれに更に加えて本態性振戦(いわゆる身体の震え)に処方される薬(βブロッカーなどが多いんだが)を一気に処方してくるケースがあったりする。こういうところに通ってしまうと、複数種の薬でメロメロになった状態で、生活改善どころじゃない状況に沈んでいくことになりかねない。5ちゃんとか口コミサイト的なもので情報を拾うのが手っ取り早いと思うかもしれないが、治療を受ける側の主観にかなり寄った情報だったりすることが多い。お薦めは、地元の保健所を探して相談に行くこと。保健所は自立支援医療の窓口になっているので、病院に関する(治療実績を含む)情報が集まるから、怪しい病院は紹介候補から外して教えてくれるはずだ。そしてその上で通院して、コミュニケーションなどでしっくり来ないなら、そこで病院を替えたって構わない。無秩序なドクターショッピングはお薦めしないが、患者は複数の意見を聞く権利があるので。
あと自殺について。まだ本当にうつの底に沈んでいないときが、実は一番危険なんだよな。うつの底に沈んでいたら、厭な言い方だが死ぬ気力も出ない。しかしそこそこ元気なときに精神状況の揺れがあると、そこでふーっと行動してしまうことがあるので。本当にやってしまう人達に共通しているんだが、「死にたい」って言わないんだよな、大概。皆さん「消えたい」「消したい」と仰る。でもな、この21世紀に、ゲイだからって何故自分を消さなきゃならないんだ? 消す必要ないだろ。胸張って生きていいんだぞ。世間のアホな輩の中には「えーゲイだったら俺にも暴走的に来るんちゃうのー」とか言う奴もいるんだろうけど、これは、男性が女性に対してやったとしても許されることではない。単なる性暴力だよね。つまり、ホモかヘテロかなんて、実は何も関係ないんだ。アンタは必死でエロビ買ってるんだろ。なら性暴力にはしっていないんだろ。それでいいじゃん。何を世間に恥ずべきことがある。何故自分を消さなきゃならないんだ。そんな必要はない。胸張って、少し休んで、必要なら医者やカウンセラーの助けを借りて、堂々と生きていっていいんだよ。