はてなキーワード: 医療過誤とは
ひろゆきさん、認知症入所者死亡で施設に賠償命令判決に「認知症の高齢者は預からないのが安全」と私見(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/7082b24304793be24e242b4cdf9335cf5e449d00
福祉問題に詳しい人が集うはてぶの強みは、このような課題解決の場面でこそ存分に生かせる。
西村や成田や高松の浅知恵では100年たっても思いつかないような仕組みを、みんなで話し合って、はてな発で投げかけたい。
有効な提言ができれば、はてなサービスの重要性も更に広く理解されるようになる。
先日の集団自決とベクトルが揃ってる、ともかく年寄叩きすればネット俗情でウケが獲れる。勿論彼が同様の立場になることなんか絶対考えない、富裕層の強者は被害に遭わないから社会インフラは劣化して上等。
賠償金を踏み倒した反社会勢力の方を、識者みたいに記事にするのが間違っていると思います。話の中身も、陳腐なネット俗論そのもので紹介するに値しないですよね。
産科が少ないのは女性が産科選びがちなのに、その女性を排除してきてるからでしょ。女が外科医を選ばないから女を差別していいという癖に、男が産科を選ばないから排除しないのは差別だよね。外科医だって賠償は多い
twitterで私見を述べるのは自由だと思うのでどうでもいいけど、この程度の知見しか持ち得ない人を知識人として持て囃すメディアは正直信用に値しないと自分は感じる。
この道を突き進めば「医療過誤で訴えるな」「(児童養護施設、障がい者施設を)虐待で訴えるな」までいく。俗情と鬱積、悪態を喚起するだけの御仁。本音主義なるものは社会に一利も齎さぬ。
俺は↓この増田を書いた者で
https://anond.hatelabo.jp/20221126194637#
ガキと思われてると感じたのはこの書き込み
医療過誤でもなければ手術後にすぐ死んだとかでも責任問われないでしょ。それと同様のことだと思う。
AIのプログラムには設計ミスがないという前提に立ってるので、そのAIが起こした事故はもはや天災のようなもの。なるべくしてなった不可避の事故とみなされるんだろう。
参考ページ
https://toyokeizai.net/articles/-/349633?page=3
「まず、法人は刑事罰の対象ではないので、実質的には社長や開発担当者などが対象になる。だが、品質に問題があった、というだけでは難しい。現不能なバグによって事故が起きた場合、メーカー、運転手含めて誰にも過失がないことになる。ほかの法律でも起こることだが、刑事責任を誰も問われない、という状況が起こることもありうる。」
に君呼ばわり
前回の分はこちら。anond:20211225174826
と題して、死刑反対派の反対理由として想定される考え方を簡単な形で挙げて、それに対して私の反論を述べることにする。
〈反対理由その1〉:冤罪の可能性があるので、死刑には反対する。
〈反論その1〉:それは「医療過誤の可能性があるので、ガンの外科的な切除手術は廃止すべきである」と言っているようなものである。目指すべきことは、外科的切除の廃止ではなく、ガンであるか否かを間違えるような誤診断の発生を無くす/減らすことである。
誤診断が存在する可能性をゼロにはできないが、だからといって外科的なガン切除技術の価値がゼロになるものではない。それと同じことで、冤罪の発生する可能性が有ろうと、死刑の存置を選択肢に入れることには合理性がある。
〈反論その2〉:死刑以外の懲役刑などであれば、冤罪であっても取り返しがつくのだろうか?そんなことはない。
かつて、強姦の罪で服役した人物の冤罪が判明した(実は、被害が虚偽申告による全くのデッチ上げであったことを、後に"被害者(を騙っていた女性)"が自供した)という事例があった。強姦の罪で服役した人物は、懲戒解雇で仕事を失い、妻から離婚された。さて、この冤罪の被害者のことを「生きているので、損害を取り戻すことは可能である」と言えるだろうか?答えは否である。
ならば「取り返しがつかないから、懲役刑は無くすべき/反対するべきである」と、あなたは言うだろうか?おそらく言わないだろうと思う。
仮に冤罪の虞を理由にするならば、死刑だけではなく、懲役刑や罰金刑など全ての刑罰の廃止を主張しなければ辻褄が合わないであろう。
ー ここから補足(a) ー
死刑反対派の中には「国家による殺人である死刑は、取り返しがつかないものであるが、個人による殺人は、取り返しがつく」と考えている人たちが存在するように外部からは見える。しかし、その考え方は、非・死刑反対派の目から見ると、論理性を欠くように感じられる。上でも述べたとおり、死刑以外の刑罰も、取り返しはつかないからである。
おそらく、死刑反対派は次のように2つの派閥に分かれるだろう。
A.同次元派:「死刑も国家による殺人である。同じ殺人なのだから、死刑には反対である」と考える人
B.別次元派:「『個人による殺人』と『国家による殺人(死刑)』は次元が異なる。異なる次元であるが故に、死刑には反対である」と考える人
「死刑は取り返しがつかない」と言う人たちは、おそらく別次元派であろう。取り返しがつかないことは反対理由にならないというのは、私からの反論として上に述べたとおりである。
「殺人の取り返しはつく」と考える人は、おそらく同次元派であろう。同次元派に対する反論は、また別に述べることにする。
ー ここまで補足(a) ー
ここ数年、ブラック校則が話題になっているが毎日新聞の記事に『中学校でどのような校則があったか』の年代別グラフがある。
こちらのグラフでは特に『帰宅途中の買い食い』『スカートの長さ』などの校則について、今(正確には2018年)の20台~30台で一度は緩和されたことが見て取れる。
つまり、毎日新聞の記事にあるような『昔より今が厳しく』という一直線の構図ではなく、昭和から平成へと移った1990年頃に“管理教育”への批判とそれに後押しされた校則を巡る人権救済案件や裁判があり、
その影響で1990年代後半~2010年頃には校則の緩和が行われていて、その揺り戻しが最近になって再び出てきているというのが正しい実態なのではないか。
そして、ちょうどその頃の『1990年版ブラック校則』をめぐる案件に関わった話をたまたま本で読んだので書いてみよう。
ちなみにその本とは、伊藤芳朗(弁護士)著・『ボクが弁護士になった理由』という本だ。
著者は「この事件と前後して綾瀬女子高生コンクリート詰め殺害事件があった」と書いているから時期はだいたい想像できる。内容については少し長くなるが以下に引用する。
この事件は、当時問題になっていた管理教育の最たるものでした。まず、登下校時には、100メートル置きに教師が立って服装、髪型、歩き方などをチェックする。もちろん決められたルート以外の道を通るのは許されない。
山手線の駅に近いため、駅には教師が変装してスパイ活動をしている。髪型は三種類に決められており、おかっぱ頭可、中くらいか、長いかだけ。中くらいの時は黒のゴムで2つに縛らなければならず、長い髪は三つ編みにしなければならない。
もちろんワンレンとかポニーテールは不可。パーマや毛染め、脱色はもってのほか(即退学)。しかも、三種類の髪型を変える時は教師の許可が必要。
また、下着の色が決められていて、肌色か白でないとダメ。ピンクは不可。そのため、全校一斉の抜き打ち検査が度々あり、全校生徒が体育館に集められ、男性教師が並ぶなか、一人ひとり服をめくられてチェックされる。
もし決まった色の下着を着ていなかったり、夏の暑い時にスリップを着用していなかったりすると、壇上に上げられて教師たちから「この子たちは娼婦です」と罵倒され、笑いものにされる。(中略)
体罰は横行し、女生徒も平気で教師から下腹を膝蹴りされる。顔を殴るのは当たり前。言葉による暴力も凄まじい。(上掲書。p.224-226)
平成の初めの時期ですらこのような管理教育があったという。このケースでは、中退した元生徒を申立人として弁護士会に人権救済を申し立て、最終的には校則・制服の全面改訂で妥結したそうである。
前者のパーマ事件があり、報道されたことを受けて別の生徒が『自分もこのような理不尽な退学処分を受けた』と訴えてきたのが後者であり、著者が主に関わったのは後者であったらしい。
男子生徒はS高校在学中にバイクに興味を持ち、免許を取得してときどきバイクに乗っていました。その後、先輩が事故死したことをきっかけに男子生徒はバイクに乗るのを止め、自主的にバイクの免許証を担任に預けていたのですが、元来メカいじりが好きな男子生徒は他人のバイクの修理などを自宅で行っていました。そのような経緯から男子生徒は今でもバイクに乗っているのではないかという疑惑が持たれ、免許証を預けていたなどの態度も一切考慮されず、弁解をする機会も与えられないまま退学願いを出すよう強要され、これを断ると退学処分を行ってきたというものです。(上掲書。p.241-242)
最近は見直されつつあるというバイク関係、いわゆる「3ない運動」を厳しく実施することに関する事件だったのだろう。そして
最初は学校側と復学交渉しましたが、あまりに学校側の弁護士(元検察官)の態度が悪いので(元生徒)本人が怒りだし、ボクたちも頭に来たので、たぶん全国でも初めてだったと思いますが、裁判所に申し立てて、学校に残っていた職員会議録や元生徒の生徒指導要録を証拠保全(裁判が始まる前に相手方が持っている重要な証拠を押さえてしまうこと。医療過誤訴訟でカルテの書き換えを防止するため行うことが多い)したのです。(中略)これも全国初だと思いますが、校則を正面から争った裁判で、生徒側が勝訴したのです。
という結果となった。
ボンタンというのは幅広ズボンのことだが、制服を改造したりするのが流行っていた時期だったのかその辺の影響はわからない。
とにもかくにも、男子生徒が校則違反のボンタンを履いて登校したところ学校からブロックアウトされ授業を受けられないという事例が埼玉県と千葉県で同時期にあったという。
学校側の理屈は、「授業を受けさせないと言った覚えはない。校門のところで『履き替えてきなさい』と指導したら家に帰ってしまっただけだ」というもので、まったくお話になりませんでした。
しかも、論争していると、驚いたことに両校とも言うことは全く同じで、「それじゃあ弁護士さんたちは女生徒がトップレスで登校してもよいと仰るんですか?」もうこれには言葉もありませんでした。ホントはこいつら女生徒のトップレスが見たいんじゃないか、と思わせるほど同じ言い方だったのには呆れるばかりでした。(上掲書。p.244-246)
1つは、『ブラック校則は場合によっては弁護士会の介入や裁判を招く』ことを多くの人に伝えたいと考えたから。
もう1つは、これらの事件に関して同書に興味深い記述があるから。その興味深い記述とは以下のようなものだ。
ある体罰教師は言いました。「ボクも、本当にこんなに暴力を振るっててよいのかと自問したことは何度もあります。でも、周囲が同じようにやっていて、自分も今まで体罰を繰り返していたのに、急に体罰をやめると、自分としてもやるべきことをサボっているという錯覚に陥り、やめることができなかったのです」(中略)
さらに、校長先生のお話はもっとも印象的でした。「私は、実は何度も管理教育を見直そうと悩んだんです。でも、もしウチが突然管理教育を止めたら、生徒は一時的にも荒れるでしょう。そうすると必ず親の方から、『なぜもっと厳しく躾けてくれない』とか、『学校が甘いからウチの子がだらしなくなった』とか、必ず学校が責められるんです。でも、今回は弁護士会という外圧がかかった。だから、親からクレームがついても、『弁護士会から圧力がかかったから、仕方がないから校則を緩めたんです。文句があるなら弁護士会に言ってくれ』って言えるでしょう。助かりました」
結局、管理教育をやる側の教師たちも、何も悩んでいない訳ではないのです。むしろ、内実を知らず、やみくもに厳しくすることだけを望む親との間で苦しんでいる姿がそこにはあるのです。
埼玉の方の学校は、帰りがけに教頭先生がポツリと、「実は私つい最近までアメリカに研究留学していましてね、本当はこんな服装のチェックばかりやらされて『アホらしい』と思っているんですよ」と仰るのです。
結局のところ、『無意味だから止めろ』というのは簡単だ。だが、実際には『管理を強化』が必ずしも安全の向上には繋がっていないとしても、『安全のため』を錦の御旗にされるとなかなか反対できない。
あるいは本当に止めようとなると始めた人の責任問題になったり、互いの空気の読み合いになったりする。だからなかなか止められない。学校に限らず、企業や役所や非営利団体でもありがちな話だ。
これは割とアリだよなー。
健康商法の営業以上のトーク力要るけど、『有名なお医者さんの本』だの『海外の大学の英語論文』なんて大抵のやつは無条件に信じるからなw
そういう学歴や肩書が洗脳とどう違うのかって、身内が医療過誤で殺された奴なんかにゃ大して変わらねぇワケ。
詐欺師との違いが明確にあるとしたら、もう笑っちまうけど“善意”だとか、“金目当てが第一”かどうか、って辺りしかないんだよな。
だから人を見る目っつーかさ。
いやまぁ統計取って比べりゃ正規の医者のが確率高くなきゃ税金払ってる意味なくなっちまうけどw
代替療法の回復率なんてマトモな数字出るワケねーから、そういう比較はあり得なくて結局は見分けられないんだよな。
ま、他が書いてるようにそこそこ頑張ってみて無理なら逃げるんだな。親も子離れしなきゃならねーし、そういう心配事で増田を引き留めたがってるのかしれんぜ?
ヒネた善意のアドバイスとして、俺はこの“親を洗脳しろ”ってのを高く評価するよ。
…がんばれよ、テキトーにな。
医療関係者でもなく、身内や身近に透析している人もいないので、ニュースの内容くらいでしか判断できてないです。
なんで、今頃これかっていうと、この間友達とお酒を飲んでてこの話になったから。
気づいた時には末期で転移もしてて、多分生きていられたとしても痛みを抑えるケアしかできなかっただろうって話だった。と言っても、これも死後に検査結果が出てからわかったことなんだけど。(検査入院中に急変した)
一応かかりつけ医にはかかってて風邪が長引いてるって診断だっただよね。
なかなか治らなくて総合病院にかかった頃には…ってやつ。
これを友人は悔やんでて、治療方針とか決める時間も迷う時間もなかったって言ってる。
私の方は両親とも健在。とはいっても肉体労働のある自営業なのでそこそこ大きめの怪我はある。
透析中止のやつなんだけど、これで友達と意見が真っ二つに割れたんだよね。
「選択できる状態で、透析して悪くなるってわかってて再開しようとしたときには再開できないくらい悪かった。そんなこと知ってたでしょ。そんな状態の妻を残して手術とかしてる方が悪いのでは。他の人たちは訴えてないんだし、自分達で決めた選択をごねてるんじゃないか」って友達。
「医療過誤じゃないかと思う。患者側はそこまで難しく考えてなかったんじゃないか、説明されて理解出来なかったかも知れない。医師がいうことには頷いてしまう人もいる。治療にお金がかかるから家族や先生に迷惑かかるかもと思って遠慮して判断してるかもしれない。そういった事を含めて患者側と病院側で話が出来てたのかっていうのもある。今まで中止して訴えなかったのは、亡くなったあと泣き寝入りしてたからでは?」と私。
友達の考えはわからないでもないけど、医者は意外に適当なことをいうし、老人は医者を神様かなんかだと思ってる節があると思ってる。なので、いくら同意してても私だったら親の治療方針は本人(と配偶者)にだけ説明するんじゃなく成人してるなら子供にも説明して欲しいと思ったんだ。
その上で家族で話をして方針を決めるとかならまだありだと思ったんだよね。
で、斜め読みしかしてなかったけど、このニュースをもう一度読んでみたら、無くなった奥さんて44才だったんだね。うわっ!!思ったより全然若かった!これで透析中止するかどうかの選択??自分の親(60代)くらいかと思ってたよ。マジかよっていうのがまず思った。
これ病院おかしくない??なんで中止とかも選択のうちっていっちゃったの。
ニュース読めば読むほど訴えられるだろうな…って思う。透析って確かにお金かかると思う、透析してても治るわけではないし。この人が80才まで生きるとして40年も透析しなきゃいけないかもっていうのも負担だと思う。だけど、でも透析って辞めたら死ぬじゃん?それなのに、中止の選択?そんな簡単に身辺整理ってできる?私なら無理だぞ。オタクなので蔵書適正に処分するだけで数年かかりそうなんだけど。
家族に任せたらきっと希少本焼却処分だって思うだけで胆が冷える。
身辺整理出来ても、心構えってできる?無理無理!もっと不治の病的なやつ余命1ヶ月とか半年とかってやつならともかく。透析したら延命できるってわかってたらそんな心構えっできないよ。
私まだまだやりたいことあるもん!子供がいたら成人式、結婚式とか考えちゃうよ!
それを透析やめて1~2週間で出来る気がしない。
(透析を辞めると1~2週間で毒素がたまって心不全を起こしやすくなるそうです)
親がそうなって本気で死にたいって思ってるならともかくお金のためとか周りへの遠慮で中止を判断するくらいなら、自分が二倍でも何倍でも働いてお金は工面するので、やっぱり自分にも治療方針聞いてほしいし、病院側にもそのための時間をつくってほしいと思った。親の住んでる地元と離れてるけど緊急ならとにかく電話ででもスカイプでもなんでもいいから。
透析中断による死亡に関するニュースへの反応(ブコメ)をみて気になったから書く。
長谷川豊の透析関連発言を擁護する意図は毛頭ないので勘違いのないように。
長谷川豊の発言の趣旨は、「透析患者が透析が必要になったのは自業自得。そんな患者達が税金や健康保険を大量に使って生きながらえるのはおかしいから透析患者は透析をやめて死ね。」ということだろう。
福生病院の説明では、「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とされている。
おそらく医師個人のなんらかの目論見として透析中止を提案したのではなく、コメディカルを含む医療チームによる提案なのだろう。
これは、維持透析を続けていくことが患者本人にとってベストな選択かどうかを見直すきっかけを与えたということではないだろうか。
一言に「週3回の透析を死ぬまで続ける」と言われても、具体的なイメージができる人はまずいないだろう。
透析は1回3-4時間程度で、その間は片腕に太い管が2本入った状態で椅子もしくはベッドから動くことはできない(本を読んだりテレビを見たりはできる)。
透析中やその前後では血圧の変動が大きいなどの理由で気分を崩すことも多い。
若い人であれば仕事の都合をつけつつ、決められた時間に決められた病院へ通う生活(夜18時から可能といった透析病院も多い)。
一方で高齢であれば、通院するだけでもそう楽なことではない。
先ほど腕に太い管を入れるといったが、事前にそのために太い血管(シャント)を作る手術を行う。しかし長年経過するとその血管が詰まる。その度に風船で血管を広げる処置や、新しくシャントを作る手術をしたりしなければいけない。
また、日常生活では水分制限や食事制限などが厳しく課される。それを行わないと週3回の透析では生命が維持できない。
例えば水分は1日1000mlまで、塩分は可能な限り控えてカロリーは1600kcal以下に、といった具合だ。
このような患者を目の前にして、医療者は「この患者さんが今後も透析を続けていくのが、この患者さんの人生においてベストの選択なのだろうか」と考える。
自業自得だとか医療費とかは全く関係なく浮かんでくる、1人の人間としての疑問だ。
抗がん剤を続ける患者が副作用で辛そうにしているとき、医療者が「もうやめてもいいんだよ」、と声をかけるのに似ているのかもしれない。必ずしも治療を受け続けるように説得するのが正しいことではないだろう。