死刑存置派として、個人的な考えを書き記して残すことにした。これを書くのは「死刑廃止派って何がきっかけでそうなるの?」と題する増田を読んだのが切っ掛けである。
あくまでも現時点で死刑存置派なのであって、私が未来永劫、死刑反対派にならないとは限らない。
私は人文・社会科学を修めていない人間なので、専門知識がある人から見れば、私が述べることには愚かなところが多々見つかるであろう。しかし、死刑について広く社会的な議論が行われるべきであるとするならば、私のような市井の愚か者一人の考えをサンプルとして書き残して提出しておくことにも、何らかの意義はあるであろう。
「馬鹿の考え、休むに似たり」とも言うが「お前が考える程度のことは、既に先人が考え尽くし、議論し尽くしている」と、学習すべき資料などを御教示してもらえれば幸いである。
最初は箇条書きのメモ程度にするつもりだったのだが、書いているうちに思ったよりも長くなったので、分割して投稿する。
本稿では、犯罪や死刑に関連した考え、人間観とか世界観とでも呼ぶべきことについて記す。
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細胞というものは、ある程度の自立性は有るものの、基本的には有機体の一部としてしか生きていく術はない。そのため、細胞同士が連携して、有機体全体の存続を図ることには価値がある。
犯罪とは「社会という有機体の内部で発生する、病理現象」である。社会という有機体の存在無しには、犯罪という現象は起こりえない。
犯罪者とは、社会という有機体にとって「病理を引き起こす、悪変した細胞」である。
犯罪とは「悪変した細胞が、他の健康な細胞に害を及ぼす現象」である。この「害」には2種類がある。それは
・害(1):他の細胞を餌食にすること=同じ社会の構成員である、他の人間を犯罪の被害者にすること
・害(2):他の細胞を悪変させること=同じ社会の構成員である他の人間を、自分と同じく犯罪者にすること(共犯関係に引き込むことや、犯行動機の思想や犯行手口等に関する情報を与えることによって模倣犯化させること等を指す)
の2種類である。したがって、仮に社会という有機体から全く独立/孤立した状態の細胞(=構成員たる人間)が存在するとしたら、犯罪という病理現象を引き起こすことはできない。害を及ぼす対象が存在しないからである。
犯罪を「病理現象」と見なすならば、対処方法は大きく3つに分けられる。ただし、互いに完全に分離することが可能という訳ではなく、重なる部分もある。
・対処(3):リハビリテーション=治療が終了した後の元・悪変細胞や、悪変細胞によって害を被った周囲の健康な細胞へのアフターケア
捜査・逮捕・裁判・刑罰という一連の司法的な処理は、このうち対処(2)に該当する。死刑やそれに相当するような犯罪に関する話とは関係が少ないので割愛するが、対処(1)・(3)に該当するのは、主に教育、経済的援助などの社会的なセーフティーネットである。ただし、死刑以外の刑罰を受けている間、犯罪者が更生教育を受けることもあるので、ここまで簡単に3つの領域を分離できるわけではないことは承知している。
死刑に処すほどではない犯罪者は「健康な状態に戻すことが可能な細胞」である。
死刑に相当する犯罪者は「除去するしか方法が無いガン細胞」である。また、ガン細胞は単独活動による害だけでなく、周囲にシグナル(情報)を発して、他の健康な細胞を悪変細胞に変えて、ガン細胞の集団を生み出すこともある。
現時点の私が、死刑の存置に賛成する根底には、このような人間観/世界観がある。死刑反対派と存置派の対立を理解するには、両者の間に人間観/世界観の相違が有ることを踏まえる必要があると思ったので、私のそれを書いた。
おそらく、死刑反対派と存置派を分けるのは、個人の自由に至上の価値観を見出すか否かの相違ではないか。個人の自由に至上の価値観を見出すことで「死者は権利を主張しない」「だから、死んだ人間のことを考えても仕様がない」「それよりも、生きている人間である、加害者のことを優先的に考えるべきである」という考えに行き着くのではなかろうか。
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死刑存置派としての考えを書き残すメモ。 前回の分はこちら。anond:20211225174826 《2.死刑反対派に対する、死刑存置派からの反駁》 と題して、死刑反対派の反対理由として想定され...