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はてなキーワード: 作品とは

2024-08-17

不完全で文句を言いたくなるのが良い作品

本当に良い作品は良い作品だね~で終わっちゃう。 もし東方ヒグラシの絵や話が上手かったらあそこまで盛り上がらなかったと思うんだよね。名作だねーで終わり

作品人物をイジったり叩いたりして面白がるようなオタクしぐさ

もともとキショかったけどもう完全に老害の振る舞いになってるよな

推しへの愛を競う今の人達にはめちゃめちゃ疎まれてる

聲の形ってアニメ金曜ロードショーでやってるのをきっかけに知ったけれど

わざわざタグを用意してまで登場人物の一人を執拗に叩いているファンがいる作品らしい

どうも見てみると

主人公の男が小学生の時に聴覚障害者ヒロインいじめ補聴器を壊した過去があり

その事実を全校生徒に広めた女性キャラクターがいて、そのキャラクター悪者扱いされて叩かれているらしい

いやはや、男ヲタクの加害性際まれりだな

どう考えたっていじめ主人公が悪いに決まっているし、どんなに反省してみせたところで過去は消えないだろうに

しかもその女性キャラクターだが、Xでの無断転載画像を見るに、突然腕に触ってきた男キャラに対して触らないで汚いと言った事が取り沙汰されて叩かれている

こっちはさら何が悪いのか分からない

そりゃいきなり身体に触れられたら嫌に決まってるだろ

多分、その男キャラが見るからに不潔そうなキャラから、そのキャラ自分を重ねているんだろうな

この辺も男ヲタ特有の「俺を拒絶する女は悪」思考が見て取れる

いじめ加害者主人公被害者美少女ヒロインに再会して許され最後恋愛関係にまで発展するって聞いた時点でヤバい漫画だとは思っていたけれど、

加害者視点で描いていじめ加害者擁護するような漫画を描くとこういう異常な読者が発生するんだな

ガラスの仮面(1975年連載開始)の読みやすさ、イカれてるとしかえんな・・・

ブラックジャックの少しあと、こち亀より少し前、そんな時代に生まれ作品としてオーパーツレベルだろ。

漫画文脈がいよいよ洗練されていく過程に出来た作品でありながらここまでスッキリとした読み味、演出意図メリハリ視線誘導の迷いの無さは時代を考えれば異常としか言えん。

同じ時代に生まれた化け物コンテンツとして釣りキチ三平ポーの一族があるけど、これらの作品も今読むとどこかゴチャついた読みにくさがある。

だがガラスの仮面の読み易さはなんだ。

何が恐ろしいって、どのページもどの演出も「これをどういう気持で受け取ればいいのかわからない」と迷子になることが一切ないことだ。

それぞれのシーンの作中における意図がハッキリと伝わるわけだ。

この時代漫画といえばよくあるのが、コマやページの空白を埋めるように粗雑なギャグが挟まり、迷い箸のような行儀の悪さを感じさせることだが、ガラスの仮面ではそれが極めて少ない。

これから何を描きたいのか、次に何を読ませたいのか、物語をどこに向かわせたいのか、それらが作者の中にシッカリと固まっていて、それを読者に精緻に伝える漫画的なコミュニケーション力を持っている。

何より凄いのが「この物語をただそのまま楽しませることができれば、読者はそれだけで満足するはずだ」という確固たる自信だ。

それが虚勢なのか本心なのかまでは紙面だけでは伝わらないが、ただ一直線に作品を読者にめがけて投げつける渾身のストレートのなんと鋭く重いことか。

漫画が無数の技術文脈を身に着けた時代を生きる50年先の未来人が読んでなお、「漫画が上手い。漫画力が高い」と思わせるここの普遍的技量、揺らぎのない精神性はなんだ。

とんでもない作品だな。

50年弱も連載して未だに完結もしないダラダラと間延びした過去遺物だと思っていた自分が恥ずかしい。

正しく知る誰もがその完成を待ちわびる漫画界のサグラダ・ファミリアだ。

漫画力の高さが本当に狂っとる。

どうやったらこれを1970年代に描き始められるんだ……

ソシャゲを遊ぶ時、基本的ゲーム音楽は一切聴かないで違う音楽ラジオ、もしくはTV配信の音を聴きながらゲームは無音のまま遊んでいるもんだからゲーム音楽イベントやらサントラが出たりしても全く楽しめなくて、作品に触れているにも関わらず置いてけぼりを食らうので地味に困っている。

音ゲーでも場合によっては自然回復したスタミナ消費をしたいだけとかなら音楽を聴かずに遊んでいるので、曲に対する思入れとかもない時がある。

コンシューマゲームなら普通にゲームの音聴きながら遊ぶけど、ソシャゲとなるとどうもそこまで集中して遊ぶ気が起きない。

でも周りの反応を見ていると作中で流れている音楽に対する色々な反応が出ているのを見ていると「周回ばかりするのに律儀に全部聞いているの?」と思ってしまう。

3〜4年遊んでいるソシャゲがあるけど、音楽の事は何も知らない。

「それ遊んでて楽しいのか?」と思われそうだけど、ソシャゲ暇つぶし目的でやっているので余程つまらないとかではない限りは別に面白さはどうでもいい。ソシャゲ面白さを求めている人そんなにいるのだろうか。

2024-08-16

Kindle Unlimited契約しようか悩んでるやつ

おすすめだぞ。軽くジャンル別に紹介しとくが詳しいことは自分で調べてみてほしい

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

anond:20240816194456

嫌なら見るなってのは的外れな話だよな。

見る前に嫌かどうかなんてわからんのだから

見た以上は感想も言うし、さっぱりわからんかったという感想になることもある。


それと感想ってのは自分作品に対して感じたことという自分の話。

作品を通じて自分の話をしているのであって、作品解説で反応するのも筋違い

感想ってのは良くも悪くも隙自語ってやつだ。

ヒロシのひとりキャンプのすすめで「涙腺崩壊アニソンランキング」やってたんだが(第二回かな?)

なんでこうも古い曲ばかりになるのだろうか(知らない曲が多すぎる。それらのアニメを見ていない。超有名作品から存在は知っているが)

ちょっと古い」のではなくて「思い切って古い」のだ。昭和40年代ではないだろうか。戦後20年でやってるアニメ来年戦後80年だ

この番組視聴者層は一体どうなっているんだ

(たぶん50代以上。しかも50後半じゃあないか?アラフィフでもこのラインナップになるかあ?)

キャンプ番組から30~40代くらいが見ていそうなもんだが

それとも、出役と同じ年代人間が見ているということか

(でもヒロシアラフィフだよな?50後半ではない。まゆたんだってアラフィフくらいだよね

まゆたんが古い曲知ってるのはアニメガチ勢から「遡って視聴しているから」に他ならない。リアルタイムなわけない)

まあ…この番組に関しては「キャンプから遠ざかっているので、視聴者層は「アウトドアおっさんバラエティ」が見たい人達だと思われるので

年代は「夜中に酒飲みながら昔のアニメを思い出したりしている」層になるのかな

「古い曲ばかり」つっても、自分にしたって最近アニソンといって知っているものは「異常に有名な曲」くらいだ

アニメ見てないから曲だけ聴くとか無いしなあ

今期は大変久しぶりにアニメを見ているから2期モノ以外はちょっと分かる

異世界失格のopはサブスクで高評価群に入れた。逃げ若のop/edも良い

あとなんだ。これからまた好きなのが増えていくかもしれん

anond:20240816101008

知るかバカうどん先生作品

ヤンキーJC1「ゴチャゴチャ五月蠅いな~」

ヤンキーJC2「いうて今8月やけどなw」

ってシーン好き

anond:20240816173038

マジか、男ってホントキモい

作者も何も言わないのって問題だよね

自分作品なのに

anond:20240814115136

AV界は熟女モノ大盛況なのに、IV界のほうではサッパリなのはなんでだろうね。

熊田曜子(42)が意地で作品を出し続けてるけど、以外はマイナーモデルがひとりふたりいるくらい?

日本語おかしくね?

DLsiteで合同誌を出してくださった作家さんに言いたい!

DLsite作品出してくれたら、お布施します。

いい作品だと思って、検索してみたらDLsite作品がない、メロンにもないとなると

「これが『振り込めない詐欺』『才能の不法投棄』か!」

ってなっちゃますね…

DLsiteで合同誌を出してくださった作家さんに言ってるんですよね?

どういうこと?






共産党の支持者ですら、立憲民主党の支持者ですら、「たしか自分たちにも問題はあるが、はてなブックマークユーザーよりはマシ」と思っているかもしれない

どうしてはてなブックマークユーザーは、陰湿ユーモアのかけらもなく何の勉強もせず他人を妬んだり嫌がらせするし可能がないいじめ加害者の集まりみたいに認識されてしまっているのか・

ネット界の上九一色村ネット限界集落とか散々言われても全く行動が改まらないばかりか、むしろworrisやanigokaみたいな老害ばっかりが元気になっていくし、メンタリティが、アップデート拒否した限界集落の住人並なのに地方民や低学歴の生徒をうっすら馬鹿にするその自意識も痛々しい。


思慮深く、繊細な人は思慮の深い人ははてなブックマークの思慮の浅さや無神経さが耐え難いのだと思います

私は思慮も深くないし、繊細の対極みたいな愚鈍人間なので、はてブで何を言われても続けていくことに支障はないので、

インサイド・ヘッド2』みたいに実際には白人だらけのスポーツで敢えてコーチや有力選手黒人を設定し

白人主人公彼女等を打ち負かすストーリーにするのって

実際にはありもしない「女尊男卑」の世界観を設定してその中で男性主人公女性権力者を打ち倒す作品に近いと思うんだけど

後者ミソジニーを感じる人達が何故か前者に対してはレイシズムを感じるどころかポリコレだとして持ち上げるのが本当に不思議

anond:20240816120336

これ元増田が三連投してんの?

憎しみを投げて、憎しみを投げ返されて、それにまた憎しみを連投して

そんなの辛いだけでしょ

その好きな作品の好かった探しでもした方がいい

制作において、他作品インプットって足枷になるもあると思うんだ

足枷になった具体的なケースについてはあげないので想像して。もちろん、インプットをごちゃ混ぜにしてオリジナルができることは正攻法だと思うが、ただの消費者が「制作やるんだったら名作は知っていないとダメでしょ」と強要するのは違うよなって思う。そういうクソバイスに揉まれ制作者が一人いなくなったのを目の当たりにして「あーあ、壊れちゃった」と思った。人間は愚か。

ある企画で、「マイムマイムを踊っている動画を集めて一つの作品にする」ってのがあったのよね

んで、見てみると、一番可愛かったのが、仲間がいなくて一人で踊っている人の投稿

俺も一人で踊って投稿すればよかったなぁ

anond:20240816091807

古い作品だとあのキャラもう寿命で死んでんだろなあってキャラも多数

コールドスリープしたいな

アニメ化したなろう作品コールドスリープでてくるの。短期間目を覚ましてあと寝てるやつ。 

やってみたい

1年に1週間だけめさまして

50回やるだけで50年も先に行けるじゃないですか。ここ1年何があったかなーって調べながら

楽しみたい。

Qiitaを見なくなった

プログラミング情報共有サイトと言えばQiita

それはもう昔の話。

最近トレンド欄はプログラミングスクール関係者記事ばかり。

プログラミングスクール創設者の中身の無い記事

・受講生の作品発表。

どちらも興味ない。

評価組織的に投じられるからトレンドに上がってしまう。

おもんない記事しかいから見るのをやめた。

もうZennしか見てない。

Zennには来るなよ?プログラミングスクールの奴らは。

Qiitaに閉じこもっておけ。邪魔や。

ラーゼフォン、やっぱり難しいなぁ…

なんか、感想見るとやたらエヴァエヴァ書かれてるんだけど、まあ、時期的にエヴァの影響がないとは言い難いけど、

基本は小松左京岡本喜八、それと勇者ライディーンな…

エヴァをパクったというより、出渕氏と庵野氏が世代的に近いからか似た作品の影響を受けてるわけで、

ラーゼフォンムーリアンの血が青いのはブルークリスマス元ネタだし、

エヴァパターン青!使徒です!の青も同じ岡本喜八ブルークリスマス元ネタで、

元ネタが被ってるんだよ、エヴァをパクったというよりはな…

自分は出渕、庵野世代よりも若いので、ブルークリスマス雑誌ロードショーだったか

映画雑誌バックナンバーを近所の図書館とか、あと親戚の家で収集している人がいて、

それでブルークリスマスを実際に見たことはなかったけど、雑誌で見てトラウマひとつになってたんだよな

円谷の昔のホラーとか、見たことないけど子供心には怖かった、ガス人間とか、電送人間とか

大人になって見て、ドゴラとかも子供の頃のトラウマだったんだけど、実際見てみると正直ショボかったんだよな

エヴァエヴァ言ってる人も、エヴァ元ネタってちゃんと分かってんのかな?って思ってしま

自分第一からウルトラマンかー、と思ってたし、活動限界とかカラータイマーあるしw

ウルトラマン風呂入ってるwwwとか爆笑してしまったし、

ガイナックス作品とかって、分かる人が見たら、そこで突然みんな爆笑し始めたりするんだよな

大学時代にみんなで視聴してたりすると…

しかし、ラーゼフォンはよく分からんな…

話が難しいから嫌い、という人も多いみたい…

流石にそれは勿体ない、単なる時空の捻じれ?によって年齢が離れてしまった男女の恋愛ものとして見ればいいと思うし…

しかし、それにしてもラストバトルだけ取り出しても自分にもよく分からんのよな

神名綾人って名前通り、主人公神様なんだろう

で、綾人の遺伝子上の母親久遠なわけだけど、ラスト久遠と殴り合いするわけで、

まり母親と息子が壮絶な殴り合いをするわけで、という理解でいいのかな…

父親殺しというのは物語パターンとしてよく聞くわけだけど、

例えば、初代ガンダムだって父親殺しであるし、あぁ、あれも母親殺しとも言えるのかな…

アムロは両親を見捨てる、見限るわけだけど、精神的に殺してるわけだよな

それが少年大人になる、自立するという意味なんだと思うんだけど、

ラーゼフォンはなんで遺伝子とはいえ母親と殴り合いの取っ組み合いの喧嘩するのかさっぱり分からん

なんだかんだ久遠とか麻弥はムーリアンのはずだからムーリアンとして、異次元から侵略者として、

地球というか、この世界側をムーリアンの都合がいい世界に完全に改変したかった、ということなのだろうか?

まり東京ジュピター以上に、この世界ムーリアンが完全に乗っ取りたい、それだけ?

綾人がオチのような世界調律したい理由はまったく納得できるので、そこは問題ないんだけど…

2024-08-15

海外でなぜか人気の九州出身男性詩人高菜一丁目さんの作品ほとしり』で最も有名な一節がこちらです。「まだ深く、ひと口のコーヒーだのに、これはゆららかな幻想なのだ――。ただひとつ真実は、私はまだ自分が生きてゐるのを知らないのである」、「そして、このことをこの短き冬の間に確かめるには夜を徹してはおれない、と念じるのである」。ほとばしる、みずにかじたコーヒーを、飲みほした夏の終わりを告げる熱気。タイトル文言の中には、淡いレモンのような潤

Anond AI作成

自分オタクだと思っているけどもう作品悪口言ってるだけの人

ツイッター作品制作スタッフなどを口汚く罵って仲間内ウケることだけが目的になってる人いるじゃん

人はどうしてああなってしまうの

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