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はてなキーワード: 作品とは

2024-08-18

anond:20240818012634

日本出版業界で、売上高が1億円を超えるのは30%しかない。売上高が1億円というのは、一般的食品スーパー月商よりも低い。

また、それなりに存在感のある出版社も、蓋を開けてみれば会社の規模としては小さい。例えばアニメ化作品をたくさん出している芳文社従業員数が約50名、売上高も50億円に満たない企業だ。

また、大学受験参考書で有名な赤本を出している世界思想社教学社は、従業員数が約50名、売上げが30億円程度の企業だ。

そう言う企業が自前で取次の機能を取り込むのは容易ではない。


キチガイとか理論意味不明とか言う前に、ちゃん認識してくれ。基礎知識を持ってくれよ。

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

虚淵玄精通した

ニトロプラスセールやってるんだよ。知ってた?

ラインナップを確認すると沙耶の唄があってさ、うわぁ懐かしい…ってなって思わずポチったんだ。

で、今日特に予定がなかったんで、一日沙耶の唄プレイしてた。

初っ端グロテスクな背景が表示されてさ、懐かしすぎて思わず笑いそうになっちゃったよ。

ストーリー進めると「ああ、こんなんだったなぁ」なんて思って、相変わらず沙耶カワヨってなった。

というかこれエロゲーっていうよりホラゲーだよな笑と思って後半まで進めると瑤を絡めての3pシーンがあって、これがもうとってもエロいのよ。

だって今となっては古臭さも否めないのに(そんなことない?)現代でも通ずるエッチさがあって、エロシーンは筆致の良さも相まって、今でもそのシーンでおっ勃ってしまった!!

その時ああそういえばって昔のことを思い出してさ、このゲーム、初プレイ中学の時なんだよね。

同級生の友人が「これ貸してやるよww」って渡されたのが沙耶の唄でさ、そいつの兄ちゃんのものらしいんだけど、とにかく貸してくれたんだ。

当時、自分の部屋には中学に成ったお祝いにノートPCを貰ってたんだ。

大したスペックじゃなかったけど、エロゲーやるぐらいなら問題なくて、それで夜中自分の部屋でこっそりやってたんだよ。

最初はもうドン引き。え?なにこれ…わけわからんし、グロいしでもうほんと序盤で投げ出しそうになった。

でもさ、エロの牽引力って凄いじゃん?

これエロゲーだし進めればエロいシーンがあるんだ…って、その原動力だけで進めていったんだ。

そうして進めてみると普通にストーリー面白くて、引き込まれて「なんなんだこれは!!?」っていう、まさに未知なる遭遇のような境遇になって、寝不足になりながらも進めて、確か二日ぐらいでクリアしたと思う。

華美な文章耽美世界観にも妙に惹かれてさ、気付けばグロテスクさも最初ほどには気にならなくなってた。

それから例のあのシーン、瑤をペットみたいにして3pするシーンになって衝撃を受けた。

このゲームをやる前は正直言ってまだそれほどエロに馴染みがなかったからこれほどがっつりしたセックスシーンは衝撃で、リアルに生唾が止まらなかった。

で、気付いたらパンツに染みが出来てた。というかなんかムズムズする!!?ってなって、もうドクドクですよ。気付けばドクドク。

あ、そうだ。俺って虚淵玄精通したんだ。

なんてことを、今日このゲームをやって久々に思い出した。

沙耶の胡乱さには当時とてもハラハラさせられたし、呻吟や韜晦といった言葉がこれほど似合う作品も珍しいのではないかと思う。

というわけで10数年ぶりにプレイしても沙耶の唄は本当に傑作で、おすすめです。

増田沙耶の唄で死よりも恐ろしいものがあるということを、そして愛と恋を知ったよ。

まだ遊んだことのない人は、このセールを機にぜひ遊んでみてほしい!名作だよ!

あと主人公の声カッコ良すぎるだろ…

 二次元の男たちの恋愛セックス作品収集したり作品を書いてることを公言しながらめちゃくちゃ意識高いツイートをしてる謎の集団

なんなんあれ。

2024-08-17

あなた山田太郎にだまされている。VISAは何も変わっていない、変えていない

[B! 山田太郎] 山田太郎議員クレカ規制撤回成功。次回参議院選挙出馬白紙

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2419641

クレカ規制本質は大したことではないのだが、その簡単なことを理解してないアホが多すぎる。

GAFAMにしろクレカ会社しろ、こうした企業が行なっているのは、犯罪に関連するものにはサービスを使わせないのが利用規約、それだけだ。

殺人詐欺麻薬などの犯罪に関わるものにはサービス提供しない。ここに異を唱えるバカはいないだろう。

そして犯罪には、非同意行為児童ポルノが含まれる。

このところ頻発しているクレカ規制は、単にそうした犯罪である同意行為児童ポルノを扱っているので、プラットフォーマーサービスの利用を拒否されたに過ぎない。

ワード規制は行わないと言質をとった?アホすぎる。最初からプラットフォーマーワード規制など行なっていない。違法コンテンツサービス提供してないだけだ。今回、VISAVP(Vice President)は、そもそもやってないことを、やってないと明言したに過ぎない。

ところで、VP副社長と訳されることがあるが、日本人イメージする副社長とは全然違う。何人もいる事業責任者の1人に過ぎない。欧米大企業ならVPと名乗る人は2桁は必ずいる。VisaのVice ChairはKelly Mahon Tullierでこの人が日本語でいう副社長に近いと思うが、山田太郎が会ったのはVice President Payments Policyだと言っており、単に支払いポリシー部門トップということだろう。少なくとも以下の経営陣のメンバーではないように思われる。名前を出してくれたらわかるのだが、突っ込まれたくないから敢えて名前を出してないという見方もできる。

https://investor.visa.com/corporate-governance/board-of-directors/default.aspx

話は戻るが、結局プラットフォーマー基準犯罪から、使わせない、それだけに尽きる。直近だと、とらのあなニュースがわかりやすい。


とらのあな」で作品掲載停止、作家の報告か話題 決済会社の「児童性的虐待コンテンツに該当」削除要請が背景か(オタク総研) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/ce62d6bb70e3dc04c102220587b154ec3bacd94f

先日、決済会社様より貴サ一クルの下記作品児童性的虐待コンテンツ(CSAM)に該当するとの通知があり、販売停止ならびに通販ペ一ジの削除の要請がございました

国際的犯罪だとみなされるCSAMを扱っているから止められる、それだけである

記事にまた的外れコメントが載っていて、ただ、これが日本で一番誤解されている、理解されてない部分だと思う。

該当作品年齢制限付きのアダルトコンテンツとなっているが、アーカイブページなどを参照した限りでは記録物ではなく、イラストによる架空創作物だった。そのため、この報告を見た一部ユーザーからは「CSAMには該当しないのでは」と決済事業者側の要請内容に疑問を呈したほか、とらのあな側が「要請内容の伝達ミス」の可能性も指摘するなど、さまざまな意見が飛び交っている

架空創作物ならCSAMでない、そんな常識世界的にはない。イラストであろうとCSAMはCSAMである

例えば以下はGoogleの一部のポリシーだが、「子ども性的虐待のすべての画像漫画も含む)や、子ども性的表現したすべてのコンテンツ」と明言されている。

https://support.google.com/faqs/answer/7425194?hl=ja

子ども搾取に関連するコンテンツ: 子ども搾取または虐待するコンテンツ禁止されています。これには、子ども性的虐待のすべての画像漫画も含む)や、子ども性的表現したすべてのコンテンツが含まれますGoogle ではこのようなコンテンツを削除し、アカウント無効化関係当局への報告など適切な措置を講じます



ここが世界日本ギャップを生んでいるところなのだが、日本では実在児童に関わるものでなければセーフとされている。しかし、それは世界では非常識なのだ日本コンテンツを楽しんでいるあなた方には文句があるだろう。しか世界的には犯罪とみなすのが標準なのだからあなた要望しなければいけないのは「ワード規制をするな」ではない。そもそもワード規制はされていないのだから

あなた要望しなければいけないのは、犯罪とみなす基準を変えろ、である

まりいい例ではないかもしれないが、覚醒剤コカイン麻薬から規制されてしかたないが、マリファナ麻薬じゃないと主張するようなものかもしれない。ちなみに欧米を始めとしてマリファナ合法化された国や地域が増えているが、クレカ決済は使えない。おそらく合法でも、プラットフォーマ基準では麻薬からだと思う(これに関しては完全に推測)

なので、クレカ規制をされたくないのなら、マリファナハードドラッグではないので麻薬とは区別して扱ってくれ、と主張するような努力必要なのだイラスト漫画のような非実在児童ポルノはCSAMではない、という国際的合意をとらない限り、今後も日本の各サービスではクレカ規制が発生すると断言する。

山田太郎のやったことは何の意味もない。ワード規制そもそも行われていない。今後もイラスト漫画であっても、国際的にCSAMとみなされるコンテンツを扱うサービスは、クレカ規制を必ず受けるだろう。

anond:20240817073400


追記ブコメ適当にお返事

id:coper山田が聞いてきた現状の説明のことを執拗に“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場している」言質を取ったと言ってるのは私ではありません。このポストhttps://togetter.com/li/2419641 に対する投稿であり、まとめの中で言質とおっしゃられている方々がいるので、それを引用しています。なので「“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場」と書かれていますが、「ここ」ではなく、該当Togetterと書きたかったのですよね?そちらにもコメント残されているようですし

id:proverb 「本当に犯罪ならクレカ会社の前に警察が動いてる」警察が動いてなければプラットフォーマーが何もしないなら意味のあるコメントかもしれませんが、そんなことないですよね?例えばGoogle垢BANされた人は警察に追われていたのですか?CSAMが取り締まられる理由犯罪から、と雑に括ったからこういう反応が出てると思うが、とらのあなが具体的に明かしてくれたように現実としてCSAMだからクレカ規制は行われている。

id:Winston_Smith2b非実在合法なのは日本だけでは無い。台湾アメリカなども合法アメリカ合法とも言い切れません。 https://en.wikipedia.org/wiki/Legal_status_of_fictional_pornography_depicting_minors プラットフォーマー利用規約違法行為にはサービス提供しないことを謳っていますが、無駄リスクを取ってもしかたないので、グレーゾーンは厳しめに扱うのが一般的です。合法な国があるからOKとはならないのがこの問題

色々コメントいただいてますが、一部に緩い国があっても、非実在でもCSAMっていうのが流れで、この流れは全体的には進む方向なので、山田議員が何をしようとクレカ規制の現状は変わらない。DL.Getchu.comにしてもこのポストがぶら下がっている anond:20240817073400 が指摘するようにCSAMコンテンツは復活していない。

このポスト国際的プラットフォーマーがCSAMに非実在を含むことの是非は問うていません。私個人としては被害者なき案件表現の自由を鑑み慎重に扱うべきとは思いますが、現実として国際的プラットフォーマーがCSAMに非実在を含めている以上、解決策はローカル手段を使うか、プラットフォーマーに縛られない手段を使うことしかない、ということになります

本人が自覚的か否かは知りませんが、山田議員のやっていることは問題解決に何ら貢献しないという事実を指摘したまでです。意味がなくても支持者向けにパフォーマンスする人もいるよね。

チェンソーマンキモかった

30代後半のおっさんだが、今更チェンソーマンを読んだ。

流行り出した当初は流行に乗るのが嫌で一切読んでこなかったんだが、そろそろいいだろうとジャンプ+の無料枠で最新話まで一気に読んだ。

ちなみに藤本タツキ作品を読むのはこれが初めて。他の作品情報は一切知らない。



で、感想なんだが、とにかくキモかった。

何が?エロが。

エッチ描写徹頭徹尾思春期の子ども(あるいはたちの悪いおっさん)の脳内」って感じでもう無理。

今の少年漫画ってこんな感じなの?こんなの誰も求めてないだろ。

俺が少年漫画で読みたいエロってのはもっと害の無い上部だけの甘いお菓子みたいな表現なんだよ。

毎日何度もシコってます!と宣言してるような汗だくの表現を持ってこられても困惑しかないんだわ。

これじゃ快楽天とかのエロ漫画と何も変わらねーじゃねえか。

お前らこんなの読んでどの面下げて感想を人と共有するわけ?



なお物語自体面白かった。

めっちゃ雑で荒さはあるけどタイパ重視の昨今はこういうのが流行るんだろうな。

キャラデザが偏ってて戦闘描写の躍動感が無いのは難点だが絵は上手いしカバーできてると思う。

イカれた人間しか出てこないし物語スピード感のせいで感情移入がほぼ出来てない感は否めないけども。

点数にしたら75点は超えてくる感じ?

それだけにエロのくどさが俺の中でがっつり減点が入ってしまった。

今の小学生とかはこういうの普通に読んじゃうものなのか?

処女厨友達純愛物だと言って寝取られ作品ますのにハマってる

キャベツ畑コウノトリを信じてる女の子無修正ポルノを突きつける時のような下卑た快感さ。

聲の形」って映画をやってたから見たんだが、聾唖者のキャラ声優が「健全者」でドン引きした…

昨日の夜、ガールフレンドの家で日式焼肉を食べた後

聲の形」って漫画映画がやってたか

ガールフレンドと一緒に見た


 聾唖者を題材にした映画コーダ あいのうたみたいな感じの映画なんかなあって思いながら観た

(そういえばコーダあいのうたみたいにHシーンがあったら気まずかったな)


この聲の形って映画声優を観たら、ノンデフ聾唖ではない)の健全者の声優ドン引きした…


 欧米中韓人権先進国では、障がい者の役は障がい者が演じるべきだと考えられており

貴重な障がい者の出演の機会を搾取するのは、文化盗用であり倫理に反しかねないと考えられている

 もしかして日本では、障がい者差別があまりに酷すぎて聾唖者の俳優存在すらできないのかなあって一瞬考えたけど

 去年日本アカデミー賞を受賞した「月」って映画にもデフアクターが出演してたからそんなこともないんだろう

 実写なら昔の人権意識が劣る時代にとった作品ですって言い訳も聞くけど漫画映画で今からでもデフアクターいくらでも吹き替えできるのになあ


 この映画については中国の一部地域で上映反対運動が起きたらしいけど然もありなんって思った

制服モノのav

Xで某av女優の方が制服使用したavについて発言しているのを見た

歳の近いカップルが性行為をする話で、その時に女側が制服架空学校制服)を着ている〜っていう内容?なら別にいいと思う

でも女子高生痴漢されているとか無理やりされている、とかはちょっと、、、とも思う

そういう作品は冒頭か最後に『痴漢行為犯罪です』とか注意画面が表示されたりするのか?知りたい

正欲の映画を観て人の嗜好を制限したり責める権利は誰にもないと思った

フィクションとして弁えたうえで女子高生痴漢されているav作品を好んで観ている人がいるのは別にいいと思う

でもその作品が実社会に良くない影響を与えているのであれば規制も考えないといけないのでは?とも思う

被害対象未成年になるのであればなおさら

av女優さんの主張を一通り見たけど

性癖av理解して受け入れてもらいたがっている印象を受けた

痴漢も援交も犯罪だし社会的に理解されることも受け入れられることも無理だと思う、創作物だとしても

でもそれを楽しんでいる人がいるか社会はその存在を認めていて、ただ推奨も公的場に出てくることの許容もしていないと思ってた

av制作する側の人たちはそれ理解していて、楽しむ側もその認識を持っているのだと思っていた

出版社漫画賞応募者を見下している

漫画を描いて生活している者です。

出版社主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。

まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。

なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。

少なくとも主催者と応募者は対等な関係であるべきです。

しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。

個人でも電子書籍漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。

それなのに、私はどうしても作家作品を軽んじるような、漫画業界価値観アップデートできてなさを感じてしまうのです。

漫画賞のポータルサイトマンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります

試しにこのサイト適当漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社高慢な態度を感じませんか?

出版社漫画賞応募者を見下していると私が感じる例

キミ

豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/

応募者を「キミ」と呼んでいます年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。

冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います

繰り返しになりますが、出版社ビジネスとして自社商品の作り手を募集しています

たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実ビジネスの場です。

協業相手候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。

指導

連載を目指し、担当編集者マンツーマン指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/

受賞した場合編集者作家に「指導」すると書かれています

もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。

ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者新人作家であっても立場は対等であるべきです。

2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社社員でもなければ、先生と生徒でもありません。

その他、個人的に

その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています

それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。

anond:20240817073400

これを成果とする山田信者クレカ決済が再開されさえすればコンプラ違反で取り扱えないって作品がどんだけ増えてもOKってスタンスなんすかね?

マジで俺たちの山田で一体感したいだけなんか?

表現規制反対って立ち位置すら忘れて山田アンチとバトルしてんのマジで頭悪すぎでキッツい

anond:20240817151650

そういう初めての感動はわかる。

そしておめでとう。

増田作品はある閾値を超えたということだ。

これからコンスタントに売れていくと思う。

売れていけば制作費が稼げるから、より予算をかけてつくれるようになる。

そういったもの増田想像もしてないような値付けで売れることになる。

おめでとう、そしてようこそクリエイター世界へ。

ハンドメイド作品10,000円の品物が売れた時の私

飾ってあるだけで売れるとは思わなかった

ほしいっていうなら全然はい構わないです。

毎月100回くらい買ってくれねえかな。

anond:20240817134608

あんな毒のない作品にも噛み付くやつがいるのか

さすがは人間性の歪みきった増田だな

やっぱり男ヲタに欠けているのは「清潔感」ではなく「清潔」

聲の形』って作品名前は知っていたけれど詳細はよく知らなかったんだけど

昨日の金曜ロードショーきっかけにして、この漫画ファンから川井というキャラが叩かれているらしいと知った

で、そのキャラが叩かれる理由として、永束というキャラから腕を捕まれた時に、「触らないで汚い」と言った事が挙げられているんだけど

でも、転載された原作漫画画像を見るに、どうもその永束というキャラって男子トイレの床に寝そべって主人公の足に抱き着いたりしているみたいなんだよね…

有り得なくない?トイレの床とか普通は寝そべらないでしょ。ギャグ的な表現だとしても不潔なのは事実だし、

そういう行為を平気で出来るキャラなら普段から女子の前でも不潔な言動をしているだろう事は想像に難くない。

汚いものは汚いんだよ、汚いと思わないのは衛生観念が狂ってるんだよ

そういう相手から突然身体を触られたなら拒絶感を露わにして当たり前だと思う

明らかに相手が実際「汚い」のに、汚い相手に汚いと指摘したら指摘したキャラクターの性格問題があるかのように主張してキャラを叩く。

こういう主張をする奴らってやっぱり現実でも、清潔に関する観念おかしいんだろうな…

ネットでよく見る男ヲタは「清潔感」という言葉に対してルッキズムだのイケメン無罪だの何だのとぎゃーぎゃーうるさいけれど

やっぱり清潔感以前の問題として清潔に対する意識おかしいんだと思う

お前らは清潔感がないとかそれ以前の問題として実際不潔なんだよ

anond:20240817073400

DLsiteとらのあなでも販売停止されてる作品は沢山あるのに

カード決済は再開されてない以上、山田太郎のおかげ論と同レベルの頭の悪い根拠の一つでしかないんだけど、

オタクヘイターいつメンはホイホイ乗っかってるな。

anond:20240817122709

言質どころか作品が消えてるんだよなあ

聲の形」って、ネットによくいる自称弱者男性

学生時代自分を直接いじめ男子生徒の事は何故か恨んでいないが

いじめから救ってくれなかった女子生徒の事は異常なまでの強さで恨み憎んでいる

という歪んだ認識を具現化させたかのような作品だなーと思う

三大車椅子キャラが立った時に興奮した作品

①『アルプスの少女ハイジクララ

②『エア・ギア武内

タイトル忘れたけど、映画の……あれ

anond:20240817073400

下手すると、山田太郎一派が間接的に作品削除してる構図だよなこれって

アーサー・C・ダントー提唱した「アートワールド」とは、芸術作品が成立するための社会的概念的枠組みのことを指します。彼は1964年論文「The Artworld」で、この概念提唱しました。ダントーによれば、芸術作品はそれ自体物理的な特性だけで芸術であるわけではなく、周囲の芸術的な理論批評歴史的背景、そしてその作品芸術として受け入れる社会的合意など、「アートワールド」と呼ばれる文脈によって芸術作品として認識されるのです。

この枠組みの中では、アーティスト批評家、鑑賞者、美術館ギャラリーなどの文化的社会的要素が、作品芸術性を定義づけ、芸術とされるための文脈形成します。したがって、芸術とは「アートワールド」によって成立する文化的産物であり、その文脈無視しては理解できないものだとダントーは論じました。

最近ドラクエをやったことがある子の方が少ない」←そもそもドラクエプレイヤー人口過半数になったことがあるのか?

DQだって400万本弱しか売れてないんだぜ?

現代においてさえ若年層の人口が1歳につき120万って所だ。

小学生大学生までを大雑把に合計して2000万弱かな?

そのうちの400万人しかDQ3を買ってないんだ。

友人同士の貸し借りもあっただろうけど、同時に当時すでに大人になった人間の中にもゲーム趣味としている人が大勢いたわけでな。

そう考えていくと、シリーズのどれか一つの作品を取り出した分だと若年層のうち半数にも行き渡っておらず、シリーズ全体で考えても、やはりプレイヤー比率過半数を超えたことなど一度もないと考えるほうが自然なんじゃないだろうか?

インベーダーやUFOキャッチャーのようなどこかの旅館で気まぐれに遊べるようなものならともかく、自分の部屋に腰を落ち着け文章をじっくり読んだりレベルをちまちまと上げて何十時間もかけてクリアするようなゲーム人口の大部分に波及していたことがあるというのは思い込みにも程があろう。

ガンダムってアニメとかCGとか様々な手法映像化されている。

ただあんまりたことがないな、って手法は未だある。

大昔のスターウォーズとかってCGがなくてミニチュアだけで映像を作っていた。

その頃のテイストを出すためや、

CGよりミニチュアを作ったほうが迫力がある映像が作れるという理由で、

海外SF映画などではあえてミニチュア感を出したり、

ミニチュアCGを上手くミックスして映像を作ったりしている。

そういうミニチュアで作ったっぽいガンダムってあんまりたことがない。

というかガンダムプラモデルを売るための作品でもあるんだからさ、

ガンダムプラモデル撮影しているかのような映像表現をつくらないなんて、なんでなの!?

実際にミニチュアで作ってもいいし、そういうふうに見えるCGでもいい。

ミニチュア表現ガンダム、そういう映像を作ってみるのは面白いと思う。

不完全で文句を言いたくなるのが良い作品

本当に良い作品は良い作品だね~で終わっちゃう。 もし東方ヒグラシの絵や話が上手かったらあそこまで盛り上がらなかったと思うんだよね。名作だねーで終わり

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