はてなキーワード: 作品とは
ブコメで自分の思い入れのある分野で、よっしゃーと思いながらブヒブヒ書き始めて、字が足らなくなって、高揚感と消化不良感に包まれて朝の通勤電車に乗ることあるよね?(俺はあります)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/178130/
なので、ピンポイントで映画「ブエノスアイレス」のサウンドトラックについて増田でもう少し書こうと思う。
ブエノスアイレスは香港の映画監督のウォンカーウァイの作品である。ウォンカーウァイが最近なにをしてるか全く知らないが、90年代後半から2000年ごろにかけて無茶苦茶はやった。マジで流行った。東京の一番オシャレな映画館(と俺が思っていた)シネマライズで前作が動員記録を打ち立てて、その最新作がシネマライズで公開されるってから、レンタルビデオ屋で過去作の「恋する惑星」とか予習してから渋谷のスペイン坂まで、地方出身の俺は当時付き合い始めたばかりの彼女と出かけたわけである。
個人的な思い出はさておき、記憶に残るサントラの重要な要因として「時代性」がある。シネマライズ、香港返還、ちょっと先取りしたゲイムービー、ちょっと前の流れだがピアソラブームなどの時代の空気をたっぷり吸った「ブエノスアイレス」はその要素に溢れてる。
収録曲に関してはアストールピアソラ、フランクザッパ、カエターノヴェローソ、という3人の組み合わせである。この3人を一つの場に持ってこようと思った人間はいないのではないか。そしてその3人は同時代にいながら、互いの音楽を聞いていないのではないか(いや、ザッパは聞いてるかも)。しかし、その三者三様の音楽がブエノスアイレスという映画の中にめちゃくちゃ嵌っている。
楽曲以外の収録要素もいい。一曲目のカエターノの「ククルククパローマ」のイントロの前に、短くイグアスの滝の音が入る。イグアスの滝は映画の中で象徴的な役割を果たしており、サントラの導入としては最高である。また楽曲の合間に、映画本編の登場人物のセリフが収録されているのがいい。広東語なので何言ってるかわかんないが、こういうのは雰囲気だ。
こんな最高な作品だが、他の名作サウンドトラックと同様に廃盤となっているようだ。映画自体も前評判の割には大ヒットというわけでもなく、ウォンカーウァイの時代も遠い過去になってるからしょうがない。
半分はまあ自分の作品を使われたくない、著作権があるからなんだろうけど、もう半分は、「そもそも実力を誤魔化すのはダサい」というスポーツ的価値観なのではないかと考えた
というのも、仮に「俺の絵は完全フリーで、別にクレジット無しでトレスとかやってもらっていいです」って絵師が現れたとして、その絵師からトレスして投稿してもまあまあ炎上しそうだなあって思ったんよね※
だから、絵師界全体で「トレスで下駄履くのはダサい」というスポーツマンシップを根付かせる目的もあるんじゃないかと
※ただしこれ、有名漫画のコマみたいにミームになったら炎上しないという例外があると考える。というのも、ミームになったものをトレスすれば「こいつはトレスしてる」ってのが一目で分かるのでアンフェア感が生じないのだ。
LINEマンガをよく利用しているのだが、ピントのずれた感想コメントに頭をかしげることがある。
和菓子屋で働く主人公がパチンコ帰りに手を洗わず団子をこねた結果、食中毒を発生させてしまう。
主人公のことを煙たがっていた店の主人は、営業停止になった責任を負わせて主人公をクビにする。
「食中毒というのはウソで、主人公を追い出したいがための口実では?
いやいや、その読み方は無いでしょ。
途中に主人公が団子をこねている様子がアップで描かれているんだから。
映画でもそうだが対象をアップにするからには、必ず意味があるのだ。
チェーホフの銃ってあるだろ? 発砲されないライフルを舞台上に置いてはいけないってやつ。
LINEマンガの感想コメントって、こんな感じの変なツッコミがすごく目立つ。
中高生くらいの頃って、重箱の隅をつつく指摘が賢いって思っちゃうんだよね。
疑う余地のない部分をとりあえず疑ってみせる感じ。
映画セブンの犯人は実はモーガン・フリーマンなんだよ的なやつだ。
🙅
🙅
🙅
君の仕事はどうなってるかな?
日本語読解能力の低いやつとコミュニケーションすんのめんどくさいな。
元増田のようなプロ絵師の場合、君の言葉を借りるなら、プレイも作品もコンテンツなんだよ。
バカだな~~~~スポーツ選手ってのはプレイそのものがコンテンツだけど、アーティストっていうのは作品がコンテンツなんだよ。
たとえば漫画家のファンってのは作者の人格じゃなくて生み出される作品に対して産まれるわけよ。
どんなに性格がウンチッチであっても作品が面白かったら「作者は嫌いだけど面白いから読むわ。金が入るとムカつくから全話無料のタイミングでも狙う」ってなるけど、スポーツ選手の場合はどんなに強くても性格がクソだと応援をされることはないわけよ。
バカだな~~~~スポーツ選手ってのはプレイそのものがコンテンツだけど、アーティストっていうのは作品がコンテンツなんだよ。
たとえば漫画家のファンってのは作者の人格じゃなくて生み出される作品に対して産まれるわけよ。
どんなに性格がウンチッチであっても作品が面白かったら「作者は嫌いだけど面白いから読むわ。金が入るとムカつくから全話無料のタイミングでも狙う」ってなるけど、スポーツ選手の場合はどんなに強くても性格がクソだと応援をされることはないわけよ。
プロ棋士よりAIのほうが強いけど、プロ棋士は滅んでない。AIではなく人同士が競うことや、それを観るところに価値があるから。
プロ絵師よりAIのほうが上手く描けるようになっても、プロ絵師は滅びないだろう。AIではなく人が作品を創ること、それを観ることに価値があるから。
元増田みたいに、そいつが描いている姿を観て客が痺れるみたいな価値を提供しているなら、なおさらそれはAIには代替不能だ。
野球の大谷より優れた野球ロボットも創られるかもしれないが、それで大谷の価値が減じたりはしないだろう。
お前マジでアホだな~~~~
AI技術が発展したらアナログだってあっという間にハックされるよ。
多分あと10年持たない。
アナログの絵筆をロボットアームやアクチュエータの先につければいいだけだもの。
一度ハックされたら進歩が遅い分アナログの方がより悲惨なことになると思うよ。
「勉強が嫌い」という人は、テストや試験が嫌いなんだと思っていた。
試験のために、無味乾燥なことを丸暗記したりするのが嫌いなんだと。
でも、そうじゃなくて、知識のインプットそのものが嫌いな人がいるんだとアラサーになって初めて知った。
子供の時からの夢だった小説家を諦めきれず、仕事のかたわら小説を書き出した。
小説を書くために、古代ローマについての本を読んだり、政治学の学術書に目を通したりした。
作品のネタ集めのための勉強だが、自分の知らないことを知るのは面白い。
だが、Xで作家志望界隈の人と交流すると、少なくない割合で、「勉強嫌い」な作家志望がいる。
小説を書くために知識を蓄える、その知識のインプット自体が嫌い、自分の知らないことを知るのがだるい。
BBAと言っても確か30代半ばだったと思うんだけど。
給食の時間になると必ずホラー系作品(映画・ドラマ・ゲームとか)のサウンドトラックを掛ける人だった。
校内放送が掛かってるのに、それをわざわざ止めてまで自前のCDラジカセで流してた。
私、当時胃腸がメチャクチャ弱かったからそれが流れる度に気持ち悪くなって時折吐いていた。
毎日「気持ち悪くて給食残します」って報告するのが本当に憂鬱で
みんなでワイワイ喋りながら食べた給食は本当に美味しかったし楽しかった。
物理的な調色ができない者
お手本がないと手と足も出ない者
理由は色々だが、彼らはマシンアシストでないと満足に作画できないのである。
何を隠そう、おれは上の多くに当てはまる。鉛筆と紙で落書きする以外では、年に1回しかパソコンなしでは絵を描かない。時間内にある水準のクオリティの作品を繰り返し作り上げるための技術根性モチベーション計画性の総和がペケペケで、とても、金取れる作品なんか作れないのだ。
『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブームの火付け役
アニメ化も有名で、タイトルくらいは知っている人が多いものを代表例としてとりあげたってなんの問題もないだろ。
火付け役ってのも主観的な言葉で、ある段階でジャンル自体を加速させた作品という意味でも間違っていない。
お前にとっての火付け役ではない? お前にとってはそうなんだろな。
たとえば市川沙央氏の最近の作品を1〜2作読んだだけで"現代の純文学のあり方はどうのこうの..."と語り出したら、そりゃ全方位からツッコミを受けてもしょうがないのでは。
氏が書いたのはそのくらいに雑なジャンル評だったので。
批判してる増田にぶら下げる内容でもないと思ったので別個に書く
https://bunshun.jp/articles/-/73450
まず大前提として、あれは「大転生時代」という書籍の書評である
と読み解いたわけだ
その読解について、著者である島田の言で進めるのではなく、市川沙央の言で書き進めているので
「自分の言いたいことを他人の作品の書評の体で書くなや」みたいな歪なものに仕上がっている
巷でなろう系と呼ばれるものは、ゲームをゲームのまま小説にした作品群なのだ
ゲームを小説化すると、大抵はゲームから離れてリアルに寄ったものになる
漫画になっても同様で、「破壊神を破壊した男」みたいにしてしまう
なろう系作品は、そこを正面から堂々とゲームゲームした世界として描く
何より「世界観の共有」という側面が強い物ではあるだろう
レベル、スキル、ステータス、アイテムボックス、アルファベットのギルドランク
そういう理が働く簡略化された世界が、一般的にイメージされるなろう系だ
防御力が全てをはじき返す
「本当の異世界はあんなゲームみたいにイージーな世界じゃない(キリッ」
ロム兄さんのように颯爽と現れて「まてぃ」が出来るイージーな世界を設計したのだ
なろうにはそうでない作品(言葉が通じない、レベルやスキルなどが存在しない)も探せばあるが
ドラゴンランス戦記じゃなくてフォーチュンクエストが読みたいわけ
言ってしまえば娯楽小説でしかなく、極端な話駅のスタンドで買って乗車中に読み、終わったら捨てる、みたいな消費を前提とした作品群なんだが
そこに、物書きがマジレス・ウエメセな感じで、僕ならこう書くよと言って作品を出してくる場合、大抵は「凡庸な」一般小説になる
そりゃそうだ
ゲームの理を排し、極端な異能を取っ払い、現実延長の世界に描き出すISEKAIとやらなのだから
だいたい転スラが異世界転生テンプレート後の作品であることはタイトルだけでも分かるはずなんよ。
ラグナロクオンラインの原作者が漫画描かなくなったのって、
毀滅やフリーレンと同じで裕福になりすぎて描くモチベなくなったパターンってことでいいの?
はっきりいって日本のサブカルネイティブではないのにも関わらず、今の異世界系の世界観のフレームワーク的なものを構築したパイオニア的な位置づけの作品として功績はでかいと思うし、やる気があればまた世の中に一石を投じ得る作品を描いていた可能性は十分あるわけで、惜しい人材失ってるよね