はてなキーワード: 作品とは
日本の出版業界で、売上高が1億円を超えるのは30%しかない。売上高が1億円というのは、一般的な食品スーパーの月商よりも低い。
また、それなりに存在感のある出版社も、蓋を開けてみれば会社の規模としては小さい。例えばアニメ化作品をたくさん出している芳文社、従業員数が約50名、売上高も50億円に満たない企業だ。
また、大学受験参考書で有名な赤本を出している世界思想社教学社は、従業員数が約50名、売上げが30億円程度の企業だ。
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
ラインナップを確認すると沙耶の唄があってさ、うわぁ懐かしい…ってなって思わずポチったんだ。
で、今日特に予定がなかったんで、一日沙耶の唄をプレイしてた。
初っ端グロテスクな背景が表示されてさ、懐かしすぎて思わず笑いそうになっちゃったよ。
ストーリー進めると「ああ、こんなんだったなぁ」なんて思って、相変わらず沙耶カワヨってなった。
というかこれエロゲーっていうよりホラゲーだよな笑と思って後半まで進めると瑤を絡めての3pシーンがあって、これがもうとってもエロいのよ。
絵だって今となっては古臭さも否めないのに(そんなことない?)現代でも通ずるエッチさがあって、エロシーンは筆致の良さも相まって、今でもそのシーンでおっ勃ってしまった!!
その時ああそういえばって昔のことを思い出してさ、このゲーム、初プレイは中学の時なんだよね。
同級生の友人が「これ貸してやるよww」って渡されたのが沙耶の唄でさ、そいつの兄ちゃんのものらしいんだけど、とにかく貸してくれたんだ。
当時、自分の部屋には中学に成ったお祝いにノートPCを貰ってたんだ。
大したスペックじゃなかったけど、エロゲーやるぐらいなら問題なくて、それで夜中自分の部屋でこっそりやってたんだよ。
最初はもうドン引き。え?なにこれ…わけわからんし、グロいしでもうほんと序盤で投げ出しそうになった。
でもさ、エロの牽引力って凄いじゃん?
これエロゲーだし進めればエロいシーンがあるんだ…って、その原動力だけで進めていったんだ。
そうして進めてみると普通にストーリーが面白くて、引き込まれて「なんなんだこれは!!?」っていう、まさに未知なる遭遇のような境遇になって、寝不足になりながらも進めて、確か二日ぐらいでクリアしたと思う。
華美な文章と耽美な世界観にも妙に惹かれてさ、気付けばグロテスクさも最初ほどには気にならなくなってた。
それから例のあのシーン、瑤をペットみたいにして3pするシーンになって衝撃を受けた。
このゲームをやる前は正直言ってまだそれほどエロに馴染みがなかったからこれほどがっつりしたセックスシーンは衝撃で、リアルに生唾が止まらなかった。
で、気付いたらパンツに染みが出来てた。というかなんかムズムズする!!?ってなって、もうドクドクですよ。気付けばドクドク。
沙耶の胡乱さには当時とてもハラハラさせられたし、呻吟や韜晦といった言葉がこれほど似合う作品も珍しいのではないかと思う。
というわけで10数年ぶりにプレイしても沙耶の唄は本当に傑作で、おすすめです。
増田は沙耶の唄で死よりも恐ろしいものがあるということを、そして愛と恋を知ったよ。
まだ遊んだことのない人は、このセールを機にぜひ遊んでみてほしい!名作だよ!
あと主人公の声カッコ良すぎるだろ…
[B! 山田太郎] 山田太郎議員、クレカ規制の撤回に成功。次回参議院選挙の出馬は白紙…
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2419641
クレカ規制の本質は大したことではないのだが、その簡単なことを理解してないアホが多すぎる。
GAFAMにしろ、クレカ会社にしろ、こうした企業が行なっているのは、犯罪に関連するものにはサービスを使わせないのが利用規約、それだけだ。
殺人、詐欺、麻薬などの犯罪に関わるものにはサービスを提供しない。ここに異を唱えるバカはいないだろう。
このところ頻発しているクレカ規制は、単にそうした犯罪である非同意性行為や児童ポルノを扱っているので、プラットフォーマーにサービスの利用を拒否されたに過ぎない。
ワード規制は行わないと言質をとった?アホすぎる。最初からプラットフォーマーはワード規制など行なっていない。違法コンテンツにサービスを提供してないだけだ。今回、VISAのVP(Vice President)は、そもそもやってないことを、やってないと明言したに過ぎない。
ところで、VPは副社長と訳されることがあるが、日本人のイメージする副社長とは全然違う。何人もいる事業責任者の1人に過ぎない。欧米の大企業ならVPと名乗る人は2桁は必ずいる。VisaのVice ChairはKelly Mahon Tullierでこの人が日本語でいう副社長に近いと思うが、山田太郎が会ったのはVice President Payments Policyだと言っており、単に支払いポリシー部門のトップということだろう。少なくとも以下の経営陣のメンバーではないように思われる。名前を出してくれたらわかるのだが、突っ込まれたくないから敢えて名前を出してないという見方もできる。
https://investor.visa.com/corporate-governance/board-of-directors/default.aspx
話は戻るが、結局プラットフォーマー基準で犯罪だから、使わせない、それだけに尽きる。直近だと、とらのあなのニュースがわかりやすい。
「とらのあな」で作品掲載停止、作家の報告か話題 決済会社の「児童性的虐待コンテンツに該当」削除要請が背景か(オタク総研) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce62d6bb70e3dc04c102220587b154ec3bacd94f
先日、決済会社様より貴サ一クルの下記作品が児童性的虐待コンテンツ(CSAM)に該当するとの通知があり、販売停止ならびに通販ペ一ジの削除の要請がございました
国際的に犯罪だとみなされるCSAMを扱っているから止められる、それだけである。
同記事にまた的外れなコメントが載っていて、ただ、これが日本で一番誤解されている、理解されてない部分だと思う。
該当作品は年齢制限付きのアダルトコンテンツとなっているが、アーカイブページなどを参照した限りでは記録物ではなく、イラストによる架空の創作物だった。そのため、この報告を見た一部ユーザーからは「CSAMには該当しないのでは」と決済事業者側の要請内容に疑問を呈したほか、とらのあな側が「要請内容の伝達ミス」の可能性も指摘するなど、さまざまな意見が飛び交っている
架空の創作物ならCSAMでない、そんな常識は世界的にはない。イラストであろうとCSAMはCSAMである。
例えば以下はGoogleの一部のポリシーだが、「子どもの性的虐待のすべての画像(漫画も含む)や、子どもを性的に表現したすべてのコンテンツ」と明言されている。
https://support.google.com/faqs/answer/7425194?hl=ja
子どもの搾取に関連するコンテンツ: 子どもを搾取または虐待するコンテンツは禁止されています。これには、子どもの性的虐待のすべての画像(漫画も含む)や、子どもを性的に表現したすべてのコンテンツが含まれます。Google ではこのようなコンテンツを削除し、アカウントの無効化や関係当局への報告など適切な措置を講じます。
ここが世界と日本のギャップを生んでいるところなのだが、日本では実在の児童に関わるものでなければセーフとされている。しかし、それは世界では非常識なのだ。日本でコンテンツを楽しんでいるあなた方には文句があるだろう。しかし世界的には犯罪とみなすのが標準なのだから、あなたが要望しなければいけないのは「ワード規制をするな」ではない。そもそもワード規制はされていないのだから。
あなたが要望しなければいけないのは、犯罪とみなす基準を変えろ、である。
あまりいい例ではないかもしれないが、覚醒剤やコカインは麻薬だから規制されてしかたないが、マリファナは麻薬じゃないと主張するようなものかもしれない。ちなみに欧米を始めとしてマリファナが合法化された国や地域が増えているが、クレカ決済は使えない。おそらく合法でも、プラットフォーマ基準では麻薬だからだと思う(これに関しては完全に推測)
なので、クレカ規制をされたくないのなら、マリファナはハードドラッグではないので麻薬とは区別して扱ってくれ、と主張するような努力が必要なのだ。イラストや漫画のような非実在の児童ポルノはCSAMではない、という国際的な合意をとらない限り、今後も日本の各サービスではクレカ規制が発生すると断言する。
山田太郎のやったことは何の意味もない。ワード規制はそもそも行われていない。今後もイラストや漫画であっても、国際的にCSAMとみなされるコンテンツを扱うサービスは、クレカ規制を必ず受けるだろう。
id:coper 「山田が聞いてきた現状の説明のことを執拗に“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場している」言質を取ったと言ってるのは私ではありません。このポストは https://togetter.com/li/2419641 に対する投稿であり、まとめの中で言質とおっしゃられている方々がいるので、それを引用しています。なので「“言質”と言い張る世間知らずがここにも登場」と書かれていますが、「ここ」ではなく、該当Togetterと書きたかったのですよね?そちらにもコメント残されているようですし
id:proverb 「本当に犯罪ならクレカ会社の前に警察が動いてる」警察が動いてなければプラットフォーマーが何もしないなら意味のあるコメントかもしれませんが、そんなことないですよね?例えばGoogleに垢BANされた人は警察に追われていたのですか?CSAMが取り締まられる理由を犯罪だから、と雑に括ったからこういう反応が出てると思うが、とらのあなが具体的に明かしてくれたように現実としてCSAMだからクレカ規制は行われている。
id:Winston_Smith2b 「非実在が合法なのは日本だけでは無い。台湾やアメリカなども合法」アメリカが合法とも言い切れません。 https://en.wikipedia.org/wiki/Legal_status_of_fictional_pornography_depicting_minors プラットフォーマーの利用規約は違法行為にはサービスを提供しないことを謳っていますが、無駄なリスクを取ってもしかたないので、グレーゾーンは厳しめに扱うのが一般的です。合法な国があるからOKとはならないのがこの問題。
色々コメントいただいてますが、一部に緩い国があっても、非実在でもCSAMっていうのが流れで、この流れは全体的には進む方向なので、山田議員が何をしようとクレカ規制の現状は変わらない。DL.Getchu.comにしてもこのポストがぶら下がっている anond:20240817073400 が指摘するようにCSAMコンテンツは復活していない。
このポストは国際的なプラットフォーマーがCSAMに非実在を含むことの是非は問うていません。私個人としては被害者なき案件は表現の自由を鑑み慎重に扱うべきとは思いますが、現実として国際的なプラットフォーマーがCSAMに非実在を含めている以上、解決策はローカルな手段を使うか、プラットフォーマーに縛られない手段を使うことしかない、ということになります。
本人が自覚的か否かは知りませんが、山田議員のやっていることは問題解決に何ら貢献しないという事実を指摘したまでです。意味がなくても支持者向けにパフォーマンスする人もいるよね。
流行り出した当初は流行に乗るのが嫌で一切読んでこなかったんだが、そろそろいいだろうとジャンプ+の無料枠で最新話まで一気に読んだ。
ちなみに藤本タツキの作品を読むのはこれが初めて。他の作品の情報は一切知らない。
何が?エロが。
エッチな描写が徹頭徹尾「思春期の子ども(あるいはたちの悪いおっさん)の脳内」って感じでもう無理。
今の少年漫画ってこんな感じなの?こんなの誰も求めてないだろ。
俺が少年漫画で読みたいエロってのはもっと害の無い上部だけの甘いお菓子みたいな表現なんだよ。
毎日何度もシコってます!と宣言してるような汗だくの表現を持ってこられても困惑しかないんだわ。
めっちゃ雑で荒さはあるけどタイパ重視の昨今はこういうのが流行るんだろうな。
キャラデザが偏ってて戦闘の描写の躍動感が無いのは難点だが絵は上手いしカバーできてると思う。
イカれた人間しか出てこないし物語のスピード感のせいで感情移入がほぼ出来てない感は否めないけども。
点数にしたら75点は超えてくる感じ?
ガールフレンドと一緒に見た
聾唖者を題材にした映画でコーダ あいのうたみたいな感じの映画なんかなあって思いながら観た
(そういえばコーダあいのうたみたいにHシーンがあったら気まずかったな)
この聲の形って映画の声優を観たら、ノンデフ(聾唖ではない)の健全者の声優でドン引きした…
欧米中韓等人権先進国では、障がい者の役は障がい者が演じるべきだと考えられており
貴重な障がい者の出演の機会を搾取するのは、文化盗用であり倫理に反しかねないと考えられている
もしかして日本では、障がい者差別があまりに酷すぎて聾唖者の俳優が存在すらできないのかなあって一瞬考えたけど
去年日本アカデミー賞を受賞した「月」って映画にもデフアクターが出演してたからそんなこともないんだろう
実写なら昔の人権意識が劣る時代にとった作品ですって言い訳も聞くけど漫画映画で今からでもデフアクターでいくらでも吹き替えできるのになあ
Xで某av女優の方が制服を使用したavについて発言しているのを見た
歳の近いカップルが性行為をする話で、その時に女側が制服(架空の学校の制服)を着ている〜っていう内容?なら別にいいと思う
でも女子高生が痴漢されているとか無理やりされている、とかはちょっと、、、とも思う
そういう作品は冒頭か最後に『痴漢行為は犯罪です』とか注意画面が表示されたりするのか?知りたい
正欲の映画を観て人の嗜好を制限したり責める権利は誰にもないと思った
フィクションとして弁えたうえで女子高生が痴漢されているav作品を好んで観ている人がいるのは別にいいと思う
でもその作品が実社会に良くない影響を与えているのであれば規制も考えないといけないのでは?とも思う
某av女優さんの主張を一通り見たけど
性癖もavも理解して受け入れてもらいたがっている印象を受けた
痴漢も援交も犯罪だし社会的に理解されることも受け入れられることも無理だと思う、創作物だとしても
でもそれを楽しんでいる人がいるから社会はその存在を認めていて、ただ推奨も公的場に出てくることの許容もしていないと思ってた
出版社が主催する“漫画賞”のスタンスに大きな違和感を抱いているので問題提起させてください。
まず前提として、出版社にとって漫画とは“商品”であり、漫画賞は“儲かる商品の作り手を探す手段”です。
なので極端に言えば「私どもの会社が儲かるための商品を作ってほしいのです、どうかお願いします」というのが正しい姿勢ではないでしょうか。
しかし多くの漫画賞では、応募者を見下す空気が当たり前になっています(具体例は後述します)。
個人でも電子書籍で漫画を売れる時代にわざわざ賞に応募してくれる作家は、それだけで有難い存在と言えるでしょう。
それなのに、私はどうしても作家や作品を軽んじるような、漫画業界の価値観のアップデートできてなさを感じてしまうのです。
漫画賞のポータルサイト・マンナビ(https://mannavi.net/)というものがあります。
試しにこのサイトで適当な漫画賞の応募要項を読んでみてください。出版社の高慢な態度を感じませんか?
豪華先生方がキミの作品を熱烈審査! - https://mannavi.net/newcomer/4218/
応募者を「キミ」と呼んでいます。年齢制限についての記述が無いので決して子供向けの賞ではありません。
冷静に考えて、この空気感が当たり前になっているのは良くないと思います。
繰り返しになりますが、出版社はビジネスとして自社商品の作り手を募集しています。
たとえ漫画内で描かれる世界観が軽いノリであっても、賞は現実のビジネスの場です。
協業相手の候補者を「キミ」呼ばわりすることの不適切さに気づくべきです。
連載を目指し、担当編集者がマンツーマンで指導。 - https://mannavi.net/newcomer/18359/
もちろん商業である以上、作家の描き方を“売れるもの”に加工することは必要ですし、作家もその努力をすべきでしょう。
ただ、そのプロセスを「指導」というのはあまりにも上から目線です。たとえベテラン編集者と新人作家であっても立場は対等であるべきです。
2人は、商品を売る会社員と、商品を作る個人事業主です。同じ会社の社員でもなければ、先生と生徒でもありません。
その他にも個人的には、作品を偉そうに講評したり、応募作に点数をつけたり、受賞者の年齢や居住地を公表したり、ウェブサイト上で人気度を競わせたりするのも嫌だなと感じています。
それらに同意したうえで応募されたのだから良いだろうとも思うのですが、それでも良い気分になれないのは、私が漫画をどうしても芸術作品として捉えていて、そこに優劣などないと考えてしまっているからかもしれません。
そういう初めての感動はわかる。
そしておめでとう。
売れていけば制作費が稼げるから、より予算をかけてつくれるようになる。
『聲の形』って作品、名前は知っていたけれど詳細はよく知らなかったんだけど
昨日の金曜ロードショーをきっかけにして、この漫画のファンからは川井というキャラが叩かれているらしいと知った
で、そのキャラが叩かれる理由として、永束というキャラから腕を捕まれた時に、「触らないで汚い」と言った事が挙げられているんだけど
でも、転載された原作漫画の画像を見るに、どうもその永束というキャラって男子トイレの床に寝そべって主人公の足に抱き着いたりしているみたいなんだよね…
有り得なくない?トイレの床とか普通は寝そべらないでしょ。ギャグ的な表現だとしても不潔なのは事実だし、
そういう行為を平気で出来るキャラなら普段から女子の前でも不潔な言動をしているだろう事は想像に難くない。
汚いものは汚いんだよ、汚いと思わないのは衛生観念が狂ってるんだよ
そういう相手から突然身体を触られたなら拒絶感を露わにして当たり前だと思う
明らかに相手が実際「汚い」のに、汚い相手に汚いと指摘したら指摘したキャラクターの性格に問題があるかのように主張してキャラを叩く。
こういう主張をする奴らってやっぱり現実でも、清潔に関する観念がおかしいんだろうな…
ネットでよく見る男ヲタは「清潔感」という言葉に対してルッキズムだのイケメン無罪だの何だのとぎゃーぎゃーうるさいけれど
DLsiteやとらのあなでも販売停止されてる作品は沢山あるのに
言質どころか作品が消えてるんだよなあ
アーサー・C・ダントーが提唱した「アートワールド」とは、芸術作品が成立するための社会的・概念的枠組みのことを指します。彼は1964年の論文「The Artworld」で、この概念を提唱しました。ダントーによれば、芸術作品はそれ自体の物理的な特性だけで芸術であるわけではなく、周囲の芸術的な理論や批評、歴史的背景、そしてその作品を芸術として受け入れる社会的な合意など、「アートワールド」と呼ばれる文脈によって芸術作品として認識されるのです。
この枠組みの中では、アーティスト、批評家、鑑賞者、美術館、ギャラリーなどの文化的・社会的要素が、作品の芸術性を定義づけ、芸術とされるための文脈を形成します。したがって、芸術とは「アートワールド」によって成立する文化的な産物であり、その文脈を無視しては理解できないものだとダントーは論じました。
友人同士の貸し借りもあっただろうけど、同時に当時すでに大人になった人間の中にもゲームを趣味としている人が大勢いたわけでな。
そう考えていくと、シリーズのどれか一つの作品を取り出した分だと若年層のうち半数にも行き渡っておらず、シリーズ全体で考えても、やはりプレイヤー比率が過半数を超えたことなど一度もないと考えるほうが自然なんじゃないだろうか?
インベーダーやUFOキャッチャーのようなどこかの旅館で気まぐれに遊べるようなものならともかく、自分の部屋に腰を落ち着けて文章をじっくり読んだりレベルをちまちまと上げて何十時間もかけてクリアするようなゲームが人口の大部分に波及していたことがあるというのは思い込みにも程があろう。