はてなキーワード: 人ごととは
強い、というのは人間としてではなく、生物としての話。環境変化に対する適応能力がすごく高い。
たとえばウォール街では、自分たちの生活が危ないとか言って、みんな頑張ってるみたい。
それは、「そんな必要性を感じないから」 自分たちの経済状況が悪くなる?「仕方がない」
そこが日本人の強さ。どんな悪条件にも反発することなく、適応する。
給料が下がったなら「そういうもんだ」って生活レベルを落とすし、職がないなら「そういうもんだ」って劣悪な労働条件を甘受する。
あらゆる不利益を「そういうもんだ」って受け入れることができるんだ。まるで人ごとみたいに。
きっと、日本人が他の国に負けることはない。
外交で不利な条件を突きつけられようと、領土がなくなっていこうと、どんな侮辱を受けようと。
”試合に負けて、勝負に負けない”
敗北を「そういうもんかな」と既成事実に昇華して納得し続けるのだと思う。
もしいつの日にか、どこかの国に日本が征服されるようなことになったとしても、
>まとめ記事を作って欲しくないということですか。解りました。お願いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?わたしは、話を把握する努力はやめるので、oooqureeさんのULOGとはてなのわたし宛の返信を削除願えますか?それで終わりにしたいです。
posted at 06:48:37
>わたしもoooqureeさんの話は最後までよく分からなかったので、
http://twilog.org/AtoMa/friends-Tasmanian_good
http://twilog.org/Tasmanian_good
これは自分のだから消されないけど、時間とともに表示されるものがこれではなくなるからバックアップも載せた
@AtoMa @OTZ_ 一人ごと用赤のようですが、https://twitter.com/AtoMa/status/130975030271156224 これも、迷惑だとは思いませんか? 迷惑だという意思はお伝えしておきましたので、これ以降それをなさるという事は、相手の意思に反した事をしている事になります。
posted at 06:41:39
@AtoMa @OTZ_ あなたは、勝手に失礼な事に医師でも無いのに、精神障害や精神病と判断され自分しか書き込みがない掲示板に書かれてます。本当の医師ならネットで診断はラベリングになるからしないし暗示になるので良くないとされている行為です。だから私はあなたについて診断はしませ続
posted at 06:46:36
@AtoMa @OTZ_ 続き 診断はしませんが、あなたはコミュニケーションが取れない方だと思いました。もう一つのアカウント、ブクマに載せてましたが、あれも本当にあなたなんですか?このアカウントはずっと一人で他の人からのが全くありません。珍しいアカウントですね。
posted at 06:48:59
一人で呟いてる変な人かと思ったら、twittでも、ギークハウスや私のブログURLを載せていたので、これは一人言用というのは、本当らしかった。
調停 申立書の文章 これはナルホディウスが、何度も嫌がらせのような頭がおかしい人を連想する文言または、精神障害 や 統合失調症 などの言葉とともにリンクしていたURLの中のリンクにあるものです。何度も紹介しつつ読まなかったのでしょうか?不思議です。 調停の文書は日本語として成り立っていなければ、受け付けてはもらえません。 この文章もわからないというのは、読む側の問題では
相手方は申立外○○○○(前大家)から○○○市○○区○○町x-xx○○荘x号の建物(本件建物という。)を取得した賃貸人で、申立ては賃借人である。
相手方は申立人に対し取り壊し等で退去が必要になる場合借地借家法では六ヶ月前に通告する義務があるのに、x月x日にtelで取り壊しの話と
本件建物隣「△△」への水道工事に伴う移転の話と混ぜて話などしたため、不信感を抱き、借地借家法に基づいた解決に向けての話し合いがしたい。
相手方はx月xx日本件建物敷地隣接で今まで家賃の振り込み先だった○○不動産店内での話し合いの際、水道工事後の水道の復旧について明言を避け
「何かはする」「タンクを置く」など公共サービスの水道が使えなくなるかのような事を匂わせ、はっきり確認しようとすると「○○荘にはお金をかけたくない
」「契約書には水道は無い」など発言したので、申立人は水道が止められてしまうかもしれない不安を感じ、止めないように第三者の前で確認したい。
相手方は口頭で精神的に圧迫をするような退去の求め方でなく申立人に、正式に文書で借地借家法に則った退去を求めて欲しい。
だから申立人は、相手方との間で申立ての趣旨記載の調停を求める。
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事件番号 ユ第111号
申立人 〒xxx-xxxx ○○○市○○区○○町x-xx ○○荘x号 ○○○○ tel 0xxxxxxxxxx
相手方 〒xxx-xxxx ○○○市○区○ x丁目xx番xx号 ○○不動産有限会社 代表取締役 ○○○○ 0xx-xxx-xxxx
申立ての趣旨 申立人と相手方間の建物賃貸借契約に関し協議をしたい
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この工事は、本件建物隣の「△△」の3階の部屋に水道の水を送るためのポンプのある小屋が、売却された○○荘の敷地内にあったので、撤去する必要があり行われた工事です。
最初に伝えられた時は、x月末かxx月初めと言われましたが、工事業者にはxx月xx日と言われ、実際にはxx月xx日から数日に渡り行われていました。
水道の配管を変える工事はごく最近まで行われていたようです。xx月末xx日頃来ていた業者(最初来ていた業者とは別)に、口頭で工事をする事を伝えられただけでした。
水道が○○荘の水も出なくなると○○不動産に言われていましたが 実際には○○荘の水道には関係ない工事だったので 水は止まりませんでした。
○○不動産は、その前に防犯上の問題などを電話で問い合わせしていただいた○警察署の市民相談には、水道は止まらないかもしれないと答えていたそうです。
防犯上の問題とは下の階のドアが壊れたままになっていて誰でも入れる状態になっている事です。
最初に止まると説明していたのに、なぜ止めなくてよくなったかの説明もありませんでした。
その後知人が電話で問い合わせた時には、水道は止まらないと言っていたそうです。
他に状況が変わったのは、○○不動産店内でx月末に話し合った時に「契約解除通知は出さない」「文書で何も出してないので、退去の要求をした事にはならない」
「もうあなたには何も要求しない。住んどって下さい」など言われた事です。
この時他にも「住んでいる所以外を壊せる」とも言われています。同じ日に最初に電話で提案された△△への転居について、移る気はないが家賃の差額について出すと言いつつ、
期間の具体的な提示がないのを怪しみ、「例えば△△の差額はどれくらいの期間持つつもりだったのか」と問うと「そこまで面倒見切れん」「この話はなかった事で」
「あなたがどういう人かわかったから、何も要求しない」と言われました。電話で問い合わせした知人には、私が逆上して話し合いにならないので
今のところ調停には出ると○○不動産は言っていますが、退去を要求しないということは、調停で話し合うはずの問題が無くなってしまうので、出てくるかどうかわかりません。
契約解除通知も出ていなくて、今のところはインフラも止まっていないので、住み続けるしかないと思います。
もし嫌がらせがあった場合は個々に対応して必要があれば、訴訟を起こしたりするしかないと思います。
調停の申し立てをせっかく受けて下さったのに、話し合いにならなかったらすみません。
話し合うとしたら、○○不動産店内で、相手方が言っていた「大家として言う事は言う」に代表される勘違いを改めてもらい、大家としての権利は家賃を受け取る事で
義務はインフラの整備や住居建物のメンテナンスだと、理解してもらう事くらいしか無いと思います。
提出した○○不動産の家賃振り込み用の口座が書かれた文書の口座番号が間違っていました。電話で事務所に問い合わせ事務員の人に正確な口座番号を聞き振り込みしました。
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近年は結婚したてで幸せを感じ、日常的に思っていた「あー死にたいな−」という思いがかなり無くなってきて、ああこれが幸せなのかと思う一方で、今までの家庭環境がどれだけ悲惨なものだったのかをだんだん理解してきた。
こんなに世界って明度と彩度が高いものだったっけ?というか、そういう意味で人生に光が差してきた感じなのだけど、一方、自分の過去がどれだけ無残なことになっていたのかということが、人生に差し込んできた希望の光によって在り在りと分かるようでなんかあれ。
妹曰く「おまえの心はボロボロ過ぎるから少し休め」という事なので、今まで自分に何度となく投げかけてきた「色々人生なんてこんなものだしみんな大変なのだし」という言葉では特に心というものは救われないらしいのだと、そういうことらしい。
確かに25年間悩みに悩み抜いたあげく、「この問題が解決するのは母親が死んだときしかないのだな」という結論にたどり着き、「今後一生罪悪感で夢見が悪くなるだろうけど、それでも早めに母親には亡くなって欲しい」という結論にたどり着き、いわゆるメンヘラ的な母親の人生まで責任を負えると思い続けて来た結果がこれだよ!みたいな、なんというか分からないけど配偶者がこの話を聞くととても泣いてしまう。本当に申し訳ない。一方で僕はもう「母親が亡くなるしか解決手段がない」と結論づけてしまった時点で、月並みな表現だが涙みたいなものは枯れ果ててしまったので泣けない。もちろん泣く資格もないし。
それに比べれば父親もだいぶマシだなと思っていたのだけど、配偶者に言わせるとどうやら父親もやっぱりまともではないらしく、それは「デリカシーがない」の一言では片付けられない領域にまでなっているらしい。そういう意味では、配偶者は両親に感謝した方がいいと思いましたしそう伝えましたし、僕は僕で配偶者の両親みたいな親の元に生まれたかったかもしれないかもしれないけど、そればっかりはもう、あまりに今更すぎることで、別に僕は今の自分があまり嫌いではないし、自分を好きだといってくれる配偶者もいることだしねと。ただ母親には「おまえを産んだことで芸術家になれたかもしれなかった私の人生は台無しになったんだ」と言われ続けたけれども。それでも産んでもらったことには感謝できるようにはなった。
生きつづければ生まれたことに感謝ができる日も来るのだなと思う。今まで日々日々死にたいなと思いながらも、未だ自分の命みたいなものを投げ出せず、生き抜けていることに感謝をしようかと思う。
ただ、自分の母親のメンヘラ問題、というかなり大きめな問題については、25年間かけて結局投げ出した人間が、今更何を言うかという話ではあるが。
そういう意味で、「母が自殺した」http://anond.hatelabo.jp/20111004053417 はとても人ごととは思えなかった。
言いたいのは、不倫は良くないなって事。
個人ごとにフォルダが分かれてて、ローカルのバックアップに使ってる人が多い。
ちょっと事情があって、そのNASの自分のフォルダを整理してたときに、
他の人のフォルダも見れることに気づいた。
ふと上司のフォルダを見たら、マイドキュメントのバックアップがあって、
その中に明らかに不倫をうかがわせるファイル群を見つけてしまった。
数年前のことのようだけどね。自分の娘と同じくらいの年齢の人とだ。
不倫なんてドラマとかネット上の話だけだと思ってたから、大分ショックだよ。
うちの嫁さんも同じ会社だから話せないし、ここに書くしかないんだ。
あんな誰でも見れるような所に置いてあるから、もうみんな知ってる話なんだろうか。
かなり引くわ。尊敬してたのに。奥さんが気の毒だ。
いわゆる「ニセ科学批判」に於いて、目指す方向、やろうとしていることは概ね賛同できる。
なのだけど、「批判」という用語を使うことに伴う語弊が大きすぎる気がしてならない。
下手に喩え話を出すと色々突っ込まれる事とは思うがあえて書くと、
たとえばタバコや飲酒をやっている高校生が居たとして、それを高校の教師が「生徒批判」したとしたら、言っていることがいくら正しくても、「生徒批判批判」が起こるのではないかという事。何を他人ごとみたいな言い方してるんだと。教師としての立場をわきまえろと。普通、こういう場合は「生徒批判」ではなく、「生徒指導」という言い方が用いられる。社会的な立場として、教師には「批判」ではなく「指導」という行為が期待されているという事だ。
では、大学の教授が、社会に対して公に「ニセ科学批判」することに関してはどうなのか。本人は、ただ人として正しいことを言っているだけなのかもしれない。しかし、社会的には、「教授」という肩書きを表明した瞬間から、どこへいっても「先生」と呼ばれる存在である。本人が好むと好まざるとにかかわらずだ。したがって、この場合、立場上は「批判」ではなく「指導」であることが望ましい。さもないと、「ニセ科学批判批判」が起こる。
もっとも「指導」という言葉も、なんだか手垢がついてしまっている言葉なので、もっと他の言い方がないものかと考えている。「ニセ科学指導」などというと、ニセ科学を推進しているかのように誤解される恐れがあるし、他の言い回しだとどんな言い方があるだろう?。「ニセ科学指摘」「ニセ科学訂正」とか?
荒らしにまともに取り合わない、罵倒されても受け流す、など考えられるが、
共通しているのは「その場の感情に流されない」ということだろう。
ここでポイントなのは、我慢あるいは感覚を鈍らせろというわけではないということ。
もちろんそのように頑張ってもいいが、慣れが要るし体に悪そうではないか。
感覚以前の時点でシャットアウトしたらどうだろう。
他人ごとのように聞くのだ。変わり身の術や串を刺すみたいに、あるいは操り人形のように。
ふーんそうかもねーと割り切って聞けば、ストレスがたまることも自然な感情が変質することもない。
もちろんとっさに切り替えろというのは無理な話なので、普段から念頭に置いておく必要はある。
それでも他の方法よりは実践投入しやすく身に付けやすいのではないだろうか。
少なくとも自分は、気付かないうちにこの方法で身に付けていた。
そんなことを考えていたらこんな記事を見つけた。余談だが。
「ブランドへの批判は自分への攻撃」 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム
きっとこれは今言ったことの逆なのだろう。
まさにこういうことをするんじゃないのと思うんだけど
誰だって
非常口は軽くないと危ないと思うでしょ
ペット禁止なのに飼ってる人がいたらだめだと思うでしょ
ベランダにふとんほしちゃいけないのにほしちゃだめでしょ
コミュニティルームでゆっくり過ごそうと思ってたらうるさくされちゃ嫌でしょ
匂いのきつすぎる料理されちゃ嫌でしょ
夜寝てる時シャッター音で起こされるの嫌でしょ
公園が無残な姿になってたらどうにかしたいと思うでしょ
理想は個人的に何とかすることだけど
我慢できないこともあるし、引越しは負担だし、直接言ってトラブルになったらもっと困る
あるいはキチガイ扱いして済ませられるほど他人ごとということだな
こういうことするのが嫌なら絶対に理事長なんかにならない!と固く拒否し
私は卒研のテーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年間自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せでした。ですので、後輩にもぜひ好きなテーマで卒研をして欲しいと思っていました。
私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいました。しかし、後輩に「今の自分の研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました。
どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした。
そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOのwikipediaの考察がいかに素晴らしかったか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました。
また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです。
これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)
他にもネットを探すとユニークなテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手と結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります。
卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです。
たしかに、「好きだからテーマにしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です。研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。
もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。
論文とは「問い」です。一般的に論文のテーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。
「ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなぜラノベが好きか」ということになるのでしょうか?
これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。
「「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」
つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです。
そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです。
さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義」ですが、混沌としているようですね。
程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性(20~30代)でしょうから。(成人男性が青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)
また、文学・物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念を引用することが結果を導く前から既に必要となります。
例えば、物語的に観れば大塚英志が提唱した「物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。
ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。
オタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。
ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワード(カテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。
ところで、先ほどラノベの定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義の文学に「SF」がありますね。
サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました。
小谷真理の『女性状無意識』に対する松岡の批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。
最初にハーバード大学のフェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネーシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノガイネーシスはそれにもとづいて提案した新概念で、
父権的な社会が蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。
長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会の価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世の魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動やセクハラ問題が噴出してきた。
では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性的無意識を象徴するガイネーシスになるのではないかと見た。
それにしてもいつのまに、女性こそが文学の可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。
まずはエレイン・ショーターが父権的文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFとフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した。
(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。
しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFとフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。
ということで、ここでは「外部の他者」たる女性と文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとではないのではないでしょうか?
では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます。
そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は
「【デリダとは】仏哲学者。20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学の呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」
とツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))
デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪の彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要ではないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーのニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)
ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。
女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである。
女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性の本質は存在せず」、「女性の真理は存在しない」。
女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性の本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分が存在しないということを知っているということである)。
実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニストの女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性が男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)
ニーチェの『善悪の彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。
真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。
そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか。
デリダは女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした。
つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから、女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。
見事にややこしいこの解釈から、女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。
ニーチェは芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。
であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)
十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉を発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレートな表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる
という指摘もあります。
例えば、オタクにとっての現実における外部性にインターネットがあります。
○オタク男性であろうツイッターユーザーのアイコンが、イラストやアニメの美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性を無意識に象徴しているのではないでしょうか。
また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユングの提唱したアニマ(男性の女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。
このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性が
先程のツイッターのイラストやアニメの美少女アイコンを無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?
以上より「ラノベ読者はなぜラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ、家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです。
○ラノベの本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?
70 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/12(日) 19:01:53 ID:b4aJ4bYo0
元々、最近はお笑いについて語ることが少なくなりつつあったし。
71 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/12(日) 19:06:04 ID:auz9M6ry0
>>70
私怨のある人間がたくさんいるから、なかなか止めないんじゃないかなあw
ttp://twitter.com/kujyukurigama/status/13887791108718592
>ピースやジャルジャルは確かに盛り上がってはいたが、あれは『有名所』だからというのがあった。
決勝発表時にピースの番号呼ばれただけで歓声を上げてた人がいたから、この2組に関してはお客さんも甘かったんだと思う。
また母親が『何が面白いのかが分からん』っていうのが目に見える…。
くじゅうくりがま、こちらの期待を寸分も外さない内容w
171 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 18:27:55 ID:YSntCsdu0
ttp://twitter.com/toronei/status/17510894003027968
>吉本以外の事務所や協会が、漫才復興になにやったんだよ。という思いは僕も少し以上の気持ちがあるんだよなあ。
172 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 19:07:55 ID:NLBRWApB0
>>171
「漫才復興」となるとM-1の立ち上げ以上にでかいものはないだろうから、2001年の立ち上げの時点では純粋に素人だったトロ先生に突っ込むのは流石に酷かも。
それよりも先生の前の糞九里がま君の発言の方に吹いた。
>kujyukurigama 僕が審査員を吉本勢で固めていいと言う理由は、お笑い界のことを真剣に考える事務所は吉本のみであり、紳助さんや吉本がM-1を作った。
>そのおかげでお笑い界に貢献してることを考えたら、吉本勢だけで固めたって文句言う筋合いはない。文句があるならM-1と違う大会を立ち上げるべき。 #m1gp
「お笑い界のことを真剣に考える事務所は吉本のみ」って、非吉本ファンの目に触れたら炎上ものじゃね?なんか先生が「漫才復興」と言いなおしてフォローしてるみたいな。
なんか、先生の金魚の糞から進化して、先生より過激化してないか?
173 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/22(水) 19:54:11 ID:YSntCsdu0
>>172
>2001年の立ち上げの時点では純粋に素人だったトロ先生に突っ込むのは流石に酷かも。
優しいw
トロは所詮「関西中心からしか見えてない視野の狭さ」で理解しやすいんだけど、
この人は何がどうなったのか。
まあこうして、M-1終了でファビョる人がちょくちょく出てくるということなのかな。
先生はどうせ代替があると踏んでるみたいだけど、それもどうだか。
個人的には、こういうコンテスト的なものが、
大昔からあるものを除いて、廃れていく方向になるんじゃないかなと思うけど。
まあ昔の姿に戻るというか。
で願望としては、こいつらのような変な評論がもろとも消えていってほしい。
・・・ってスレチだな。
246 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/28(火) 01:46:21 ID:MDeCqlji0
M-1について、今ツイッターでやってるのが、後々はてなに上がってくると思われるが、
247 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2010/12/28(火) 02:03:07 ID:MDeCqlji0
>>245
ところがこれが「#m1gp」のタグを見ると他にもいるんだ。例えばくじゅうくそがまとかw
こういう変なお笑い語りを産んだのがM-1の功罪・・・まあ自分は「罪」の方だと思うけど、
結局M-1を終わらせたのも、こういう人種の存在なんじゃないかなと思うわ。
http://anond.hatelabo.jp/20110128120539
http://anond.hatelabo.jp/20110128112900
男としていつも思うんだけど
指輪に限らないけど
なんか現代の日本の女って
2つの立場があってわりと正反対なわけじゃん?
どっちでもいいけどどっちかにしてよって思う。
例えば指輪なら、
女の喜ぶ顔を見たいと思った男が
でももし相手の女がBだったらもう軽蔑されるわけじゃん?
(Aでも指輪のデザインが趣味に合わないと微妙な顔になるだろうが)
自分の好みや感性が男に理解されてて当然みたいに思ってるよね。
ちゃんと説明しないとか、あとなんか体面の為に嘘、本心と逆のこと言ったりさ。
スイーツは「指輪ぐらいくれて当然」「この願望に気付いてくれてて当然」という了見。
フェミは逆に男がスイーツ的価値観を予期してアクションすると、鬼の首取ったみたいに軽蔑の所作をする。
ウンザリだよ。
別に、
フェミ女も草食男も
何でもいいと思いますよ?
この国が前借りで発展したのだから,今,痛い目を見るのは当然,というのは理解できる.
ただ悪い貴族(に仕立て上げられる人)がいるかいないかでいうと,
まぁ元増田も書いているように世代差や既得権差で作りだされる気がする.
ただ、危機感が無かった。
まったくその通り.
こんなことしてんじゃねーよと言われたらおしまいなんだけど.
でもまぁなんですか,さんざん閉塞感が語られ,打開策が提案されるわけだけど,
ほとんどが「○○がダメだから,それを直さないと」じゃないですか.
その是非の検討も必要だけど,まぁ仮にそれがダメだったとして具体的にどうするのか,と.
例えば田村耕太郎氏のこの話とか,中野雅至氏のこの話とか至極納得するのだけど,
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110104/217792/
私はここに、日本に30のシンガポールをつくることを提言する。今や国民1人当たりでアジアNo1の豊かさを誇り、今年の上半期も18%近い成長率をたたき出したあの国だ。その秘密はそのサイズにあると思う。私は、人口400万人のシンガポールが、財政錯覚を起こさず、住民が政府と一緒になり、創造力と危機感を共有して繁栄する地域を築いていく適性サイズだと思う。人口1億2000万人の日本なら30のシンガポールができる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110112/217895/
具体的に言うならば、中央政府の役割を外交とか安保とか、通貨などにぐっと絞って、あとは道州制にして分割する。そうした方がコンセンサスが築ける。お互いが顔の見える範囲にいれば、税金を払って支え合うという政策でも、それぞれが自助努力でがんばる政策でも、コンセンサスを築きやすいと思います。そして、地方政府の役割は社会保障を含めて、大きな政府でも小さな政府でも、道州ごとに決めればいい。大きな政府を取る関西州があってもいいし、小さな政府を取る東北州があってもいいわけです。
「現状の制度ではコンセンサスがとれないから,コンセンサスをとれるこの制度へ!」と言ったところで,
「じゃぁそうしましょう」というコンセンサスをどーやってとるねんー!という問題が残る訳ですよね.
そしてその問題への具体的な解決策がいまいち思いつかない.
人々のアクションが明確かつ実行可能性がそこそこあるように見えて,興味を引いた次第.
そうやってずるずると世界的地位が落ちていくのが一番辛いが.
↓
↓
一番辛い目を見るのは、至極当然。
↓
倒すべき「悪い貴族」はかつての自分なので、革命は起こらない。
ただし注意点。
こういう時、断頭台に上がるのは、
「俺は革命を起こす側じゃない、でも、悪いのも俺じゃない」と思ってる人。
マリー・アントワネットは、自分がそこまで憎まれてるとは思っていなかった。
実際、個人としての彼らは、それほど悪辣というわけでもなかった。
ただ、危機感が無かった。
私は、
http://anond.hatelabo.jp/20101123192319
を書いた人ではいないけど、
http://anond.hatelabo.jp/20101123231939
人物Bの主張を読ませます。
(人物Bの主張は人物Aの主張と意見が異なる人がよい。意見が正反対であればなお良い)
そして、人物Aに人物Bの主張の要約をしてもらいます。
A「Bの主張は~である」。
そのAの発言を聞いたBが、
「違う」とか「その言い方だとそうなるが、しかし~」とか「ただその前提として~」などの訂正、補足もせずに、
B「私の主張はそのとおりだ」
と言えば、Aは議論の通じる相手です。
この判定基準を使えば、
議論と口げんかの区別がつかないタイプ、
人間の思考プロセスは各人ごとに違うということを知らないタイプ、
論理は理解できるけど
議論での勝利だと思っているタイプ、
ってことが言いたいんだよね?
私は、
http://anond.hatelabo.jp/20101123192319
を書いた人ではいないけど、
http://anond.hatelabo.jp/20101123231939
人物Bの主張を読ませます。
(人物Bの主張は人物Aの主張と意見が異なる人がよい。意見が正反対であればなお良い)
そして、人物Aに人物Bの主張の要約をしてもらいます。
A「Bの主張は~である」。
そのAの発言を聞いたBが、
「違う」とか「その言い方だとそうなるが、しかし~」とか「ただその前提として~」などの訂正、補足もせずに、
B「私の主張はそのとおりだ」
と言えば、Aは議論の通じる相手です。
この判定基準を使えば、
議論と口げんかの区別がつかないタイプ、
人間の思考プロセスは各人ごとに違うということを知らないタイプ、
論理は理解できるけど
議論での勝利だと思っているタイプ、
ってことが言いたいんだよね?
うん、だからトンチンカンなことを言い出したり引っ込めたりしなくていいから
君がそう思ったという根拠の俺の発言を過不足無く引用しろ。
さっきもそう言っただろ?
日本語読めてんのか?
それならいいんだけど。
いやよくねえからw
何逃げ打っちゃってんの、ちゃんと白黒つけようよ。
あとなんかやたら「差別意識」を強調するけど、
目の前のボンクラも非常にゆるっと職業差別をむき出しにしてくれたから問い詰めてるわけでね。
「職業に対する差別意識を持ってる人と持っていない人とでは、持っていない人の方が偉い」という君の価値観自体が
「日本独特」なんじゃね?という話をしてるわけだから。
ハッ!?
更にものすげえ事を言い出した。
話がさっきと全然ずれている上に、
「差別肯定」をおっぱじめた上に
君は本当に何を言い出してんの?
すぐ撤回するなら問い詰められて泡くってパニックになってるんだと思って聞き流してあげてもいいけどw
猿云々の話はアホすぎてコメントしようがない。
ならコメントしなきゃいいのに勝利宣言はしないときがすまない、と。
お前の知能ではコメントも反論も出来ない、の間違いだろ。