2011-09-10

ニセ科学「批判」じゃなくて、他の言い方を考えよう

いわゆる「ニセ科学批判」に於いて、目指す方向、やろうとしていることは概ね賛同できる。

なのだけど、「批判」という用語を使うことに伴う語弊が大きすぎる気がしてならない。

 

下手に喩え話を出すと色々突っ込まれる事とは思うがあえて書くと、

たとえばタバコ飲酒をやっている高校生が居たとして、それを高校の教師が「生徒批判」したとしたら、言っていることがいくら正しくても、「生徒批判批判」が起こるのではないかという事。何を他人ごとみたいな言い方してるんだと。教師としての立場をわきまえろと。普通、こういう場合は「生徒批判」ではなく、「生徒指導」という言い方が用いられる。社会的立場として、教師には「批判」ではなく「指導」という行為が期待されているという事だ。

 

では、大学教授が、社会に対して公に「ニセ科学批判」することに関してはどうなのか。本人は、ただ人として正しいことを言っているだけなのかもしれない。しかし、社会的には、「教授」という肩書きを表明した瞬間から、どこへいっても「先生」と呼ばれる存在である。本人が好むと好まざるとにかかわらずだ。したがって、この場合立場上は「批判」ではなく「指導」であることが望ましい。さもないと、「ニセ科学批判批判」が起こる。

 

もっとも「指導」という言葉も、なんだか手垢がついてしまっている言葉なので、もっと他の言い方がないものかと考えている。「ニセ科学指導」などというと、ニセ科学を推進しているかのように誤解される恐れがあるし、他の言い回しだとどんな言い方があるだろう?。「ニセ科学指摘」「ニセ科学訂正」とか?

 

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